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おはようございます、Moです。 こんにちは、こんばんは
皆さんお元気ですか? 私おかげさまで元気です。いつもありがとうございます。
今日ですね、今、2月1日。いつもあんまり日付を言わないんですが
日本ではね、あんまりお祝いとかしない旧正月、ルナーニューイヤー。
ニワトリ聞こえました? なんか朝からニワトリが鳴いてるんですよね。
うちの敷地内の、今度の敷地内に何羽かいて。
今年は虎年なということで、虎がいろいろなところに飾られてますけど、
今日はそのチャイニーズニューイヤーの1日目です。
で、あとは明日もお休みで、学校もお休みっていう感じになってます。
たまにはちょっと、今日がいつかわかるのを入れてもいいかなと思って入れてます。
今日はまた、しょうまさんと雑談をしたののパート2、これから入れたいと思います。
あとお断り部分も、今日これ初めて聞いてくださっている方は、
お断り部分は概要欄、この前の回に入れてます。
概要欄に載っけてますので、もしよかったら見てください。
じゃあ、どうぞ。
はい、こちら聞いていただく方へお断り、概要欄にも書いてありますが、
お互いに絶対にジャッジすることはないと知っていて話しています。
それこそが、心理的安全性が高い状態です。
そういった信頼があります。
だから、お互いが言ったことに対して思いついたことを相当勝手に話すので、
あれと思うでしょう。
自由さが大事です。
会話はこれで成り立っているのかどうか。
結構、私、僕、ジャッジメントしちゃうなって方にはお勧めできません。
ムカつく気持ちも出たりとかしてしまうかもしれません。
では、どうぞ。
アイ
僕というか、心に働きかけないといけないことだから。
だから、みなさん、いっぱい勉強されている方が、
理解始めた言葉が、
愛って言葉なんだよなーって思います。
最近。
もうね、
あー、この方いいかってこと言ってらっしゃるなーって思って、
めちゃくちゃ難しいことを、
あーだこーだ、あーだこーだ、言うんだけど、
結局、それって、
愛だ、愛だ、みたいな。
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抽象化すると、そうなってくるんですよ。
愛って言う?
最終的な、
一番人間の最小単位は愛だと。
そこに従うような生き方をすれば、みんな大丈夫、
みたいな言い方をされています。
今の考え方の根本にはそれがあります。
そう?
その言葉は、聞いたことが、
今まで私が聞いた中では、
それで説明をしていたのを聞いたことがあまりないかもな。
しゅうさんの中の根本的なところには、
それがあると思いますね。
しゅうさんは直感的にそういうのにかなり気づかれる人で、
そこの今の話にしても、
自己組織化の話にしても、
道のりで話していたときのしゅうさんが、
アウトプットが先という話が初めて出たときに、
すごい衝撃を受けたんですけど、
そこの話で、
結果そういう風な考え方、
さっき言った、自己適応型複雑系システムみたいなことの
イメージをしゅうさんもその時点で持たれていたんですよね。
言語化自身はその時点でできておられなかったですけど、
僕はその話を聞いてそのイメージが湧いて、
そのイメージが湧いた状態でその単語を聞いたので、
これはたぶんあの時のこのことだと思って調べたら、
やっぱりそういう意味合いのもので。
何系のところの専門用語なんだろう?
心理学とかなのかな?
心理学とかで言うよりも、数学とか、
数学。
物理学とかあんまり学問的に、
何て言ったらいいのかわからないですけど、
モデル化なので、
どっちかと言ったら、
工学、制御工学とか、
制御工学とか数学とかの方が割り返し近いとは思うんですけど、
結局人間に適応してくるってなったら、
感情とか、知性とか、
そういうとこが混ざってくるんで、
本当にいろんなものが関連するのかなと思ってて、
先ほどおっしゃってたように、
人間に適応するってなったら、
知性が高いし、知能が高いし、
僕らの感情があって、
そこがかなり複雑性を増してると思うので、
ポイントとして。
そこらへんが影響して、
かなり複雑な、複雑系システムがこの世でできてて、
逆に言ったら、複雑系システムをある程度、
モデル化をもうちょっと深めていったら、
今後どうしないといけないかっていう問題解決だったり、
予測だったりとかが、
できるんじゃなかろうかなっていうのは思ってて、
これはおそらく、
ねぼすけさんがやりたいことだなっていうふうに思いますね。
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え?何それ?何でねぼすけさんなの?
ねぼすけさんの話を聞いてて、
ああ、ねぼすけさんのやりたいことはこういうことなんだなって、
僕が受け取ってる話としては、
多分、自己適応型複雑系システム的な形で、
感情のパラメーターとか、
脳科学だとか、心理学だとか、
そういったところの中身と、
あと歴史的な背景。
だからそういうのは歴史的な背景とかも全部かかってくるじゃないですか。
心理的なところ。
そういったところを総合して、
この人間世界、人間の振る舞いっていうのが、
システム的に表現できないだろうか、
そういうのを表現したいなみたいなふうに、
ねぼすけさんはおそらく考えてるというふうに理解してるんですね。
そうなんだ。
そうか。
私、すごい自分は感情的な人間だとすごく思っていて、
共感力っていうか、感じるわけじゃないけど、
理解しようとする能力。
相手の人とか他の人とかそのものとかに。
その理解しようとする能力というのは、
自分でもこういう年になったからあると思っていて、
だからなるべくもっと世界を広げようと思って、
今、地点が偏っちゃいけないなと思って、
文化人類学とかを勉強したりとかして、
いろんな視点を学んで、
いろんな人の感情とかも理解しようということをしたいっていうのが、
私のモチベーションであったりするんだけど、毎日のね。
で、感情がないないないとか言ってる人、
何も感じないとか言ってる人ほどね、
私ね、ないはずないんだよなって思ってるのね。
ないって言う人ほどですね。
本当にね、聞きたいんだけど、そういう人にはね。
でもね、そこが難しいんだけど、
そういう人ほどね、いろいろ私みたいにこうやって
突っ込んでいく人のこと嫌いだったりするのよ。
掘れば掘るほど、
辛いことも出てきたわけよ、そこで。
だから嫌がられるっていうのがわかるのね。
そういう話はちょっと、
思ってるのも感じるから、
あんまりそこはね、
あんまり私みたいには止まりたくないんだなとか、
あとはすごい、私とか僕って人と距離を置くんだよねとか、
初めから言われたりとかするからね、
そういう人らの感情がないとか言ってる人。
そこでそういうこと言わない。
あなたには本当にないんですか?
そうじゃなくて、本当はあるけど、
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隠したい何かがあるに違いないとしか思えなくてね、私はね。
だから、そのねぼつけさんがやっている
人間の振る舞いをシステム的に表現するとか、
本当にやってもらいたい。
絶対全員あると思う。
面白い、面白い。
話聞いてて、ぼつけさんと最初話したときに、
そんな類いなことを言ってて、
僕はちょっとどこまで受け取れているかわからないんですけど、
そういうふうなことを考えてるんだろうなって思ってて、
僕もどっちかと言ったらそういう興味あるんですよ。
僕もそういうのを作りたいって思う方なので、
だからすごく楽しみにしてますね。
なんかさ、感情があるとさ、
これも資本主義に戻っちゃうんだけど、
育てられ方が感情を出したりしないで、
冷静になりごとも解決していった方が、
合理的で問題解決にはとっても役立つみたいな、
そういうふうに育てられているような気がしてるんだよね。
感情的である人が偉いなんて誰も言わないし、
だからね。
それもそういう社会を人が動くことで、
人が形成してますもんね。
感情がないっていうふうに言えるってことは、
感情みたいなのを知ってるってことだから、
その論理破綻してますよね。
あー、そうかそうか。
感情が何かっていうのをわかってるわけだから、
感情がないはずないし、
そもそもそういうのを口に、声に出して言うってことは、
冗談か、冗談じゃなくて本当に言いたいんで、
あれば、ももさんおっしゃるように、
よりそこに普通の人よりこだわってる。
本当に感情がない人がいるんであれば、
自分に感情がないみたいなことは言わないし、
感情ないから。
あー、そうだよね。
この前読んだ感情のほうに、
自分は希望なんて持たないだったかな。
絶望…
希望…絶望なんてだったかな。
希望なんて持たないっていう人ほど、
やっぱりその…
こだわってる。
こだわってるとか、そんなのだったかな。
ちょっと文脈がしっかり出てこないですけど、
あえて言葉にするってことは、
それにやっぱりこだわってる証拠だったりもするからですね。
どうしてその人たちが、
そんなに感情を出さなくなってしまったのかとか、
出しちゃいけないと思ったとか、
あとは自分の感情はないと思っちゃうかっていうのは、
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どっか感情を出した時に、
悪い過去があったりとか、
したのかなとかって想像したわけなのよ、私も。
やっぱりみんなこう…
こうありたいみたいな自分像があるじゃないですか、
少なからず。
その中に感情のファクターも多分入ってて、
例えば感情を素直に出すことは大人げないとか、
そういういろんな情報が飛び交ってますから、
本とかでもですね、子育てで起こるべきじゃないとか、
そういったところで形成されてるものに対して、
自分の目指してるところとギャップがある風に、
やっぱり思われたくないっていうところで、
そういう反応が出たりとかっていうのがあるのかなと思うんですけど、
何かしら出力というか感情をあらわにしたことで、
ネガティブなフィードバックがあったがゆえに、
そういう閉じ込もっちゃったりあると思うんですよね。
多分普通に出して、特にそれにネガティブなフィードバックがなければ、
多分そうならないでしょうし、
だからいろんな人が感情をフラットにただ受け止めるみたいなのが、
難しい世界になってるなぁとは思うんですけどね。
本当だよね。それはでもね、実はみなさんいろんな国を知ってるわけではないけど、
日本人の歴史的な忍耐とか、
それって儒教とか、なんかしなければいけないとか。
儒教どうなんですかね、僕あんまり詳しくないですけどね。
それを読んだ時に儒教的なこととか。
美徳みたいなのがですね、我慢とか、
美徳とする何かしらのよりどころに影響を受けてますよね。
それがあるから、
感情的にカーッて怒ったりする人ってやっぱりそんなにいないじゃない。
だけどそれを抑えているがために、
いろんなところで逆にストレスを感じてしまったりとか、
怒るのはいけないことだというふうに思っちゃってるからね。
でもさ、怒りってのは、さっきそういえば私怒ってたけど、
怒りっていうのは、でもそれがもう理不尽な怒りだったらやっぱりきちんとね、
深掘りして自分の中で、自分は勝手な思いでただのわがままで怒ってるんだなとか、
私の居所が悪かったから人にこう言ってたなとかってあると思うんだけど、
この怒りっていうのはさっきも言ったように、間違ったことをしてる人が目の前にいる時に、
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怒っていいじゃんって思うんだよね。
でもそれをどこにぶつかるかっていうか、
どうやって自分の中で処理していくかっていうのがそれぞれの人の仕方だけど、
そこで怒ってる自分を責めたりするんだよね、日本人の怒ってとこ。
自分は怒ってしまっているみたいな。
だからそういうのとかも、その辺ちゃんと自分の中に出てくる感情を認めてあげないと、
必ず理由があると思うし、その感情とかって。
うん、絶対あるからですね。
松間さんが教えてくれたように、この自己組織化とか全体論としては、
自分の中でも自然に戻っていけば、自分が気持ちよくなるようにしか生きていかないはずなんだよね。
シュウさんの表現を借りるなら、
そこが自分の中からだけ情報を周りから入れ、アウトプットが先っていう表現ですね。
基本的なところからとはちょっと乖離して、もうちょっと本質的なところからいくと、
周りの影響を受けない。
さっき言ったように、環境から影響が少なからず受けているので、
全く受けていないかって言ったらそうじゃないんですけど、
アウトプットが先っていうのは、意味合いとしてシュウさんが言いたいのは、
外界、いろんな環境、社会とかいろんな環境から影響を受けた状態で何かしらを出すんじゃなくて、
自分の内発的なものを先に出せば間違わないでしょっていうところがあるんですよね。
それが難しいよね。
それが難しくて、そこを深もって、多分OSにみんなエラーが起きてて、
そこの純粋に自分が楽しい、楽みたいなところで、
動物レベルって言ってもただ生きていくだけっていうわけじゃなくて、
人間が人間らしく生きれる最小限の必要重量OSというか、
これだけでいいよねっていうOSを持てば多分生きやすいんですけど、
今の社会の中で、その社会に適応するようにこのOSを組み替えていってるので、それぞれが。
そこで変に感情を表に出せないとかっていう風な話になってるんでしょうし、
そこのOSをアップデートしていって、
一番純粋な、人間が人間らしく生きるために純粋に必要な分のOSっていうのに向かっているのがしゅうさんですよね。
おーすごいね。これやっぱり配信しよう。
ちゃんと解析するためにしゅうさんがどうしてそういうことをしてるのか、
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分かりたい人が多すぎるから。
これはもうあくまで僕が受け取ってる範疇で僕が考えた内容なので、
しゅうさんのと完全に一致するとは思わないんですけど。
それでいいのよ。この前みんなで話したじゃない。
しゅうちゃんがそうしてもらいたいことっていうか多分分かってきたんだけど、
みんなが自分の一番生きやすいOSを持てばいいってことなんだよ。
それをきっかけがすでにしゅうちゃんがアウトフットしてくれたおかげで、
私たちが考え始めてるっていうことは、
私たちのOSがだんだん書き換えられていっているという状態だと思っていて、
実はね、しゅうちゃんが今やってることが全ていいのかどうか、
良いのか悪いのかよく分からないんだけど、
しゅうちゃんの将来のためにそれでいいのかなとか心配はあるけど、
いろんな疑問の始めのもとってね、
なんで私は朝起きたときにいつも機嫌がいいんだろうっていうことからなのよ。
いろんな心配とかもあるんだけど、
最近の一番の疑問は、
誰も何も私に働きたけてるのか分からないのに、
ほんと小さい時から朝起きると大体機嫌よく起きてるんだのよ。
私の努力ではないのよ。
私はそれが自然な状態だったんだけど、
いろんな生きていく中でそうじゃない人にも会ってくるし、
なんでそんなにみんな不機嫌なんだろうみたいな、
それが不機嫌な人を見ると私心配になったってね。
で、どうしてかなーっていって、
それでいろんな心配が起こったときに、
私もそのOSがおかしくなったときがあって、
ぐちゃぐちゃになって、
で、やっぱりそれを書き換えて、
今自然に戻っている状態みたいなんだよね。
自分だけ的にはね、一番生きやすいOSに戻っているんだけど、
ぐちゃぐちゃになったときはあるわけね。
環境のおかげでね。
いろんな環境が繰り出したおかげで。
だからそのさ、自然な状態でいれば、
みんな機嫌よくなるんじゃないかなって思っちゃってるのよね、私は。
何にも裕福でもなんでもないお家だったけど、
本当に私が生まれてきてよかったって言われてたし、
割にはシャヤホヤじゃないけど、
あんまりプレッシャーもかけられずに、
あらこうだってやられてたから、
朝パッと起きて、困ることとかなかったのよね、一応。
頭もおかしいのかもしれないけど、何も考えてなくて。
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だけど、みんなそうなんじゃないかと思ってるのよ、実は。
自然にしてれば。
敵みたいなものがいなければ。
守られた環境であれば。
その辺がやっぱり、子供の頃とかで、
純粋にそういうふうに言って、
環境ですよね。
そういうふうに、何も心配がないっていう、
心理的な安全性が保たれる、
絶対的な承認状態みたいなのが。
そこが承認欲求っていう言葉が取り立たされてるみたいに、
大人になってくると今の社会でそこが満たされずに、
っていう不の連鎖が起きてるんですよね。
だからそこはやっぱり、子供が育つ環境で、
どうしても周り、特に両親とかからの影響を受けやすいからですね。
そこがやっぱり代々受け継がれてしまいがち。
だからそこをOSをかけ替えることができれば、
子供たちに多分それを伝えなくて、
そこで一回、そういったものをリセットできるでしょうし、
それから子供たちが生きていく中で、
自分でかけ替えられるかもしれないし、
そこは本当に運というか。
でもそれって悲しいじゃない?
選んでないのに、
私の問題点は選んでないのにそうできちゃってたから、
朝とか親に怒られるぐらいだったんだから、機嫌良すぎて。
朝っぱらから機嫌がいいから。
だって私に罪はないでしょ?朝っぱらから機嫌がいいのは。
だけど不思議じゃない?
そうじゃない人もいるんだなって思ったら。
それで結構悩んだよね。
だって大体機嫌がいいから、
むすっとしてる人とかにも同じテンションで話しかけちゃうと嫌がられるじゃない?
高校生ぐらいの時に一番大変だったんだけどね。
やっぱり不機嫌な人には不機嫌っぽくしなきゃいけないのかなとか。
すごい大変だった気がして。
自分が生きる上で、
自分の大切なものを直感的に認識してて、
自分の起源取りが上手いというか、
そういうのが天性でできる人と、
やっぱりそうでない人もいるんかなっていう風な感じはしますけど。
でもその天性とかっていうのは私のせいじゃないよね。
本当に責めるわ、自分。
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どうやって説明したらいいかなと思うじゃない?
別に誰にも責任がある話ではないので。
だからこそ天性っていう言い方。
それはもう運だし、逆にネガティブな言い方としては十字架でもあるのかもしれないですよね。
たとえば私本当にいろんな人がそれぞれ定義が違っていいし、
違うのが当たり前だと思ってるんだけど、
たとえばしゅーちゃんが今すごい極端なことをしてるっていうことで、
やっぱりみんな不安を感じるんだよね。
不安というか心配もあるし。
そうするとさ、そこでどうやってみんながそれぞれが理解していけばいいかなって思うのは、
やっぱり天性かもしれないじゃない?
彼にとってはそこまでいけちゃうみたいな天性というか、
その感覚?感じること?感じることとかの深さとか。
そういうのっていうのは天性なんじゃないかなって思ったし、
しょうまさんの言葉を借りるとそうなんじゃないかなと思って。
それでそれぞれに天性があるわけじゃない。
だから本当にね、それぞれの天性を理解し合えるように
工夫していけばね、いいよなって思ってるのよ。
それでやっぱりリベラルアーツの大切さっていうのに戻っていくわけですね。
できる限りそういういろんな社会を見ることで相対化できるから、
自分にとっての価値観が広がって、
本当に大事なものが何かっていう分析の解像度が上がっていくんで、
そのOS自身が洗練されやすいってことだと思うんですよね。
そう思う。
それで洗練されて、結局ね、最近やっぱり思うのは
向かっていくものは愛だと。
わかりにくい人がいるから、
深沢先生の統合デザインで先生がおっしゃっていた、
美しい考え方。
いいね、美しい考え方の先には絶対愛があると。
もう分かっちゃったから、
だってみんな言ってるんだもん、こうやって。
みんな。だからヒューマンカイトとかフォンとかでも。
やっぱり志を持って動き始めてる方たちが先に先に言ってることは、
結局はふざけたこと言ってる人もいっぱいいるけど、
言いながらもずっと聞いてると、
結局愛で動いてたなという人がいます。
ここまで聞いていただいてありがとうございます。
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雑談の中でね、ちゃんと名前を出すことができなかった
学者さんとか、いろんな人が愛って語り始めたよっていう、
いろんな部分がね、私も覚えていられないから、
後になってね、ちょっとリンクを下に貼ってみました。
今すぐに思い浮かぶのだけなんですけど。
あとはまだ他にもね、いろいろ毎日いろんな人の本とかに
触ってみたりとか、きちんと読めてるわけじゃないんだけど、
本当にね、いろんな方が愛を持って行動するっていう感じでね、
なんかされてるのがなんとなく感じるので、
それが伝わればいいなと思ってます。
次回は愛とか幸せってなんだろうねっていう話の残りをするので、
もしよかったら次回も聞いてください。
いつもありがとうございます。またねー。