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2025-07-25 19:10

【#39】OSHOナタラジ瞑想

OSHOアクティブ瞑想の体験談シリーズ

4回目はOSHOナタラジ瞑想。

ナタラジはシヴァの別名。

40分踊り続けるこの瞑想、初めのうちはすごーくむずかしく感じるかもしれません。

思考が静まり、からだとひとつになる不思議な体験を、

一緒に探ってみませんか?


ーめいそうラジオ・オンラインサロンOPENー

https://yoor.jp/door/meisoradio

1カ月ごとにひとつのOSHOアクティブ瞑想を取り上げ、深めていきます。

一緒に瞑想しましょう!


⦅めいそうラジオは⦆ 

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。 

⦅スピーカー⦆

 アビラティ改めサキ:医学教育コンテンツプロデューサー。出生家族のアレコレ、男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。

 ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。

「どう見えるか」「上手くできているか」が気になってしまい、自分を手放すことが難しいからです。
ラシュミとサキの体験を通して、「踊り手」を忘れ、「踊り」そのものになる瞬間が訪れるのかを探ります。

サマリー

ナタラジ瞑想は、踊りを通じて自己表現を深めることを目的とした瞑想方法です。インドのタントラに基づくこの瞑想の特徴は、踊り、横たわり、祝福の時間が組み合わさっている点です。このエピソードでは、ナタラジ瞑想を通じて得られるコミュニティのつながりや、オンラインでの瞑想体験のユニークさについて語られています。参加者は心地よい音楽の中で自己肯定感や全知全能感を体験し、ナタラジ瞑想がもたらす楽しさを感じています。

ナタラジの紹介
ナマステ!
めいそうラジオ!
インドで出会ったタントラ瞑想コンビ、サキとラシュミが、
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための瞑想入門、始まります。
今回はナタラジ瞑想って何?
ナタラジ、多分インドに行ったことのある人、もしくはインドのお土産をもらったことのある人が、
踊ってる仏像をもらったら、大体それはナタラジです。
そうですね。踊るナタラジ。
踊るナタラジ。
なんだけどさ、ナタラジって、実際にこの踊るっていうことは、ナタが踊り、ラジが王様。
で、ナタラジが芝の別名なんだよね。
なんか私のイメージはね、なんだか忙しいなっていうイメージ。ナタラジ像が。
え、そう?
まあ確かにさ、足で鬼みたいなの踏んでるし、手いっぱいあって、笛吹いてて、蛇いて、周りには火がわーってなってるから、
まあ確かにやってることは多いよね。
忙しいでしょ、それぞれ。
あんまり忙しいって思ったことないけどね。ごめんごめん。はい。
これさ、実はさ、笛を吹いてるんじゃなくて、なんかあれらしいよ。
右手に持っているナタラジの楽器はドラムらしいよ。
え、そうなんだ。
そうなんだって。なんか笛を吹いてるのがリーだっていう役割の人。なんだっけよ。
遊びでしょ、神の遊びでしょ、リーが。
そう、その人は笛。で、忙しいの。私にとっても忙しいナタラジは、ドラムを叩いてバンバンバンバンって。
しかしあの、鬼踏んでるのが好き。うちにもさ、カジラホでお迎えしたナタラジがいるんだけど、うちの部屋にも。
踏まれてる鬼が幸せそうなんだよね。なんか嬉しそうに踏まれてるの。
あれって鬼なの?私さ、なんか子供の虐待かと思ってた。あの最初の日さ。
日本の虐待じゃないよ。あれはさ、なんかほら、無知の象徴だって。あの、知らないことっていうのなんすね、かな。
まあ、それで子供に見えたりするのか、無知とかね、エゴとか、混沌とかを踏みつけるっていうのは、まあ鬼とも言える。まあ、子供はちょっとかわいそうだな、なんか。
仏像になるとあれ、ガキなんだっけ。
そうそうそうそう。
日本の仏像だとあれ踏まれてるのガキだよね。
そう、だからガキ大将とか、やっぱイメージ子供でしょ。
ちなみになたらじ瞑想というのは、1時間5分の瞑想で、40分踊り狂う、20分横たわる、目を閉じたまま、5分祝福の中で踊り楽しむ。
40分、20分、5分だよね。
40分、20分、5分です。
いびつなサンドイッチ状態ですね、これは。
でも40分踊るんだよね。
うん、だよね。
そう、40分踊るんですよ。だからさ、結構さ、ハードだよね。
これさ、インストラクションがほら、どの和尚のアクティブ瞑想って、必ずインストラクションをこう、説明忘れてた人が説明してくれて、はい、じゃあやってみます、演じようっていう感じで始まるじゃん。
で、必ずさ、最初から踊ってる人がいなくなって、踊りだけになるように踊る。
気分が悪くなる。生存と破壊を超越して回すんだって、これ自分で書き足したんだって言った。
踊りだけになるように踊る。こんなの理解できる?
いやね、それすげえ難しいと思った。
難しいよな。
なんかさ、私ペアダンスとかしてるしさ、体育館してたりとかさ、その方の形のある、形のある体の動きにめちゃくちゃ慣れてきてるからさ、
最初の頃って、ナタラジで好きに踊って、踊りだけが、と言われても、肩が残っちゃうんだよ。肩でしか踊れなくて、すごい苦労したの。
それはよくわかる。私は別にさ、踊りのプロでもなんでもないけれど、自分の人生を振り返った時に、生活の中に踊りがあるって結構さ、沖縄に移住しようと考えてた時もあったので、
あ、そうなんだ。
今は地中海の部分にいるけど、あるいは共和国に行くときの候補として、沖縄とギリシャとか、何か島ばっかりなんだけどさ、上がってたのね。
で、八重山民の宇田さんのうちにお世話になってたから、家庭で待つもんね。
そこではさ、毎日のように音楽と踊りが繰り広げられるわけ。三振の音と。
で、日常に踊りがあるってすごいなーって思ったけど、この踊りにさえさ、音踊りじゃないけど、なんかあるんだよね、その型が。
そう、型がある。自由に踊っていいって言われても、結局なんかさ、トレーニングされた型で踊るっていう、そこからなんか出るのがさ、まず最初の関門だったなって思うね。
うん、それは同感。同じく同じく。
だから今でも40分踊ってる間に、ちょっとでもなんかこう、他のことを考えようものなら、その型でさ、踊るものが出てくるから、おーえーってなる。
すごい条件付けてすげーなって一番なる瞑想かも。
でもさ、不思議なのが、結構なんかこれ、なんか全然その型が抜けないと思いながらやってたんだけど、
でもさ、なんかそれをやり続けて、ある日、ある日っていうかフォームのあるさ、そのレアダンスとかに戻ると、
新たな発見
なんか逆にね、形、その型通りに踊って、そこの共通言語としてのそのルールにのっとって踊ってるんだけど、その中ですごい自由なんだよね。
なんか失敗しても刺して気にならないし、あと、なんかね、一緒に踊ってる人からすごい楽しいって言われることがめちゃくちゃ増えた。
上手い人からも、そのビギナーの人からも、何かわからないけどあなたと踊って楽しいって言われることがめちゃくちゃ増えたから、それは新しいの効果なんじゃないかなと思ってる。
あーでもそれがそうなのかも。
あの、ウェヌスアイレスとかで、この本当のアルゼンチン単語に触れた人って、なんか、なんて言ってたかな、楽しいとか自由度がすごく高いんだって。
だからなんか、私単語って、たぶん3ヶ月ぐらいで出せって言ってたら、楽しいとか言う前に汗が絡まって、いや、すごい思ってただけ。
そうね、あのね、ラシュミンのエネルギーでアルゼンチン単語って感じじゃない。なんか深刻さがちょっとさ、ちょっとさ、ちょっと違うよね。
それだったらなんかサルサとか踊った方がいいよ。
あーなるほどね。
アルタンはなんかだいたいさ、眉毛の右にシワを寄せてさ、なんか食うか食われるかみたいな、なんかちょっと割と真剣じゃん、アルタン。
男と女の真剣勝負みたいな、踏む踏まれみたいな、そんな感じがするんだけど。
ラシュミンちょっとそれじゃないよ。
え、なに、アルゼンチン単語が踏んだり踏まれたりするってこと?真剣勝負の。そういうわけじゃなく?
私もちゃんとやったわけじゃないけど、こうやってる人の話を聞いてると、なんかヒールで男を踏むじゃないけど、なんかこう恋の駆け引きのなんかすごいドロドロしたやつ。
でもエネルギーのぶつかり合い自体はそういうことなんじゃないの?なんかこっちにいるとさ、タブラで踊るのはフラメンコか。
ラシュミンフラメンコの方がいいよ。
フラメンコってなんか独自だけど掛け合いがあるわけじゃん、やっぱり。
何の根拠もないけどラシュミンアルタンよりフラメンコの方が合うと思うよ。
パッションの話かな。
フラメンコだけはやったことがないな。
え、今度やってよ。
じゃあ今度デビューしようかな、明日スペインに行ってね、フラメンコ。
話が逸れました。
話が逸れましたが、まあでも自由に楽しく踊れるようになったってことは、これポイントは何だと思う?踊りじゃなくて踊るってことになったんだよね。
だからやっぱりね、踊りそのものに近づけば近づくほど、肩にはまって肩を守らなければって言ってる時は踊り手なんだよね。
なんか上手くやらなきゃとか、フィットしなきゃとか、誰かより上手にやらなきゃとか、これで合ってるのかなとか。
コンペティティブだし、あと外側に意識が向いてるんだよね。
コンペティティブだね。
相手からどう見られるかとか、他のフロアにいる、他の見てる人からどう見られるかっていう、他者目線でいる時って多分それ踊りでなんだろうなと思うの。
肩があろうがなかろうが、私はこれで楽しいってなってると、それはなんか確かに踊りそのものに近づいてるんだろうなと思う。
このナタラジ迷走に戻って、私がちょっとヒントにして、その瞬間から楽しくなった行動パターンはね、なんか忙しいって言ってたじゃん。やたらめったら手はあるしさ。
ナタラジ像が忙しい。
そうそう、忙しい。で、なんかある時に、右手だったと思うんだよな、なんかアバヤムドラって、普通ムドラって言うとチーンっていう感じで、親指と人差し指を丸くして座る。
アパーナーみたいな、ヨガー。
そうそうそうそう。なんだけどこのアバヤムドラって、右手でちょっとストップポーズを前に出してやってるのがそのアバヤムドラって言うんだって。
で、これもなかなかいいなと思って、なんかさ、自分の中で手を出して、その迷走の中で踊ってる時に手を出して、チッチッチッじゃなくて指だけでやるけど、手でこうなんて言うの、ストップ、ノンノンノンみたいなことをやっていると、なんかさ、自分のエネルギーがダメ出しごっこをして楽しむみたいな。
そこからナタラジに入っていく私。それからはなんかね、ノート言えない自分からノート言える自分になった感じがして嬉しくなっちゃったのかな、よくわかんないけど。
いいね。なんかブレイクするポイントだったんだね、アバヤムドラ。
そうそうそう、アバヤムドラのめちゃくちゃブレイクするポイントで、こんなのだってノンノンノンノン言ったらさ、
40分なんか減っちゃらさになったのが私のナタラジ迷走体験ですね。
私あれかも、なんかさ、ナタラジが楽になったのって、人と一緒にやるだったかも。
一人でやると結局、形に沿ってみたいなのがすぐ出てきやすかったんだけど、
例えばオンラインの迷走会でもさ、私あれ、なんか一人で部屋でやってるはずなのになんかすごい入れたなっていうのがあったかな。
そういうのが繰り返しで結構ナタラジ楽になったかも。
私たちも何度かオンラインでやったよね、ナタラジ迷走。
やったやった。それにさ、私たちマルタ日本の遠距離だからさ、
確かに。
参加してる迷走会は全部オンラインだから、ほぼオンラインだからね。
そうだね。
そう、だから最初もさ、私はもうコンボリーニの時もさ、コンボリーニはコロナの間にやってくれて、それオンラインで。
ああね、21日間やったって言ったよね。
ナタラジ瞑想の魅力
うんうん。
そうそうそう。で、その時もさ、すごいびっくりした。
オンラインで周りにさ、会場で人がいるわけでもないのに、ちゃんと人と一緒にやってるっていうさ、なんかフィーリングが来るのがすごい不思議だったんだよね。
でもそれはね、3年間くらい私たちこのオンライン迷走のあらゆるものに、まあいつやってるじゃん、それで繋いでみたいな。
で、一人でもできるけど、みんなでやれば怖くない状態。
ナタラジ迷走も。
そうそうそうそう。あとなんかさ、意外にね、良かったなって思ったのが、オンラインでナタラジやってると、
あのさ、場所的にはさ、オンラインは人と繋がってて、人と一緒にいる感があるに加えて、実際に部屋にいるのは一人だから、何やっても大丈夫みたいな、そういう安心感もあり、なんかね、すごい良かったんだよね。
それ言うよね。
で、あの踊り系のやつっていうのは、どんどん音楽がやっぱりこれも引っ張ってくれるからさ、気分を盛り上げてくれるような音楽配置になってない?この40分間の間。
乗せる乗せる、上げてかかってる、上げにかかってる。
上げにかかった時に、だんだんこの気分がハイになり、
一瞬でも、あ、人にぶつかっちゃうかもしれないっていう恐怖っていうのかな、そういうのがさ、一人で部屋でやってると邪髄が入らないっていうのがいいなと思っている。
そうそうそうそう。そんな感じ。
ちなみに私たちも、わりとオンラインの迷走会で恩恵を受けまくってきたので、自分たちもコミュニティをすることにしました。
イエーイ!パチパチパチ。
なので、一人で迷走とか意味わかんないとか、ちょっと最初からリアル行くの怖いですとか遠方ですとか、いろんな理由はあろうと思うんですが、ぜひ、迷走ラジオと一緒に迷走しましょうという告知を番組の最後に入れておりますので、ぜひお聴きください。
よろしくお願いします。
で、ナタラジオは本当によくオンラインとかでやってるので、いろいろ私たちの失敗だみたいな話をしているけれども、楽しくなっていくっていうのがこの迷走の良いところなんだよね、と思う今日この頃。
コミュニティのご案内
あれかも、私これすげー肩で踊ってるっていうことに気づくのすら、後から考えるとすごい楽しい体験。
自分の気づきと発見が何?
分からんけど、今肩で踊ってるなとか、今また同じ動きを繰り返してるなみたいなことを見てるのも、だんだん楽しくなってくる。
まいっかーってなる、最後に。
そう、このまいっかはね、私のさっき言ってたムードラですよ。ノンノンノンっていうの、あとなんていうの、完璧な自己需要爆上がりみたいな感じ。
なんかね、なんかね、ナタラジやるとね、もう全部どうでもいいかってなる。そんなネガティブな意味じゃなくてね、わーいってなる、わーいってなる、わーいって。
へー、私はね、全知全能感がこう、なんていうの、ヒシヒシと湧いてくるんだけど、ナタラジ迷走やると。
え、そう?
地震がなくなってる時とか、落ちてる時ってあるじゃん、いろいろと。で、この発散型ので自分の中の感情をバーって出すっていうのは、それはそれでいいんだけど、なんかそのノンノンノンの自分のステップが分かってから、なんか、あーこれでいいんだっていう、完璧な自己肯定感っていうの。
だから全知全能感よね。あ、私これでいいじゃんみたいな。
へー、私ね、なんか全てのことがどうでもよくなって、はー楽しいってなる。
へー、そうなんだ。
まあ、いずれにしよう、なんか季節はさ、この40分、最後のサレブレーション、このサンドイッチのね、最後の方に祝祭とかがあるじゃん。
これ全知全能感だったら、ニアトラってさ、まあ、しもじものものに、私はもう違う世界におります、みたいな。
ただ単にハッピーだからいいなー、みたいな。
まあ、いずれにしよう、なんていうの、少し日常がプラスの方に持ってく感じの仕上がりになってるじゃないですか、お互いに。
うん、お互いに、なんか割とさ、なんていうのかな、こう、やまーたになくハッピーになりそうだよね、私にとっては。
そうだよ、だってこれ柴の、柴の化身なんでしょ、だから全知全能っぽいじゃん、なんか破壊もするし、再生もするし、なんか壊しっぱなしでもないしさ、
壊したら、もう一回、何、生まれればいいっていうか、再生すればいいんでしょ?
あー、なんかあれかもな、なんか全知全能って割とキリスト教タームだから、私はあんま馴染みがないのかもね。
あー、そっかそっか、そこかも、なんか、そう、全知全能感っていうのは、キリスト教っぽいかもしれないね、確かに。
キリスト教っぽい、キリスト教っぽい、なんか仏教国で日々生きてるとあんまりない。
そういうことですね。
全知全能って言うと、なんかこう、たぶん一心教な感じがするんだ、たぶん。
あー、そっか、まあでもいいんじゃない、自己肯定感爆上がりっていうので、私の素敵なナタラジ体験をお届けしたいかなと思います。
そうですね、私、東洋的な、なんかもう全部溶けてハッピーみたいな、そういう、そういう東洋的ハッピー感だね、東洋的全知全能感かもしれないね。
なんでも同じじゃなあ、みたいな。
瞑想した後のさ、1時間ちょっと超えるけど、その後のその気分の、なんかスカスカしいじゃなくて、ハッピーでニヤッと笑う感じ、私なんかは。
うーん、ナタラジハッピーだなあ。
フフフって感じ。
という、ハッピーなナタラジ瞑想の回でした。お聞きくださりありがとうございます。
ありがとうございました。
ナマステ。
ナマステということで、ちょっとだけお話をしたね、オンラインコミュニティのご案内です。
はい。瞑想を始めたいけど、1人だとどうやって始めるのかしら?忘れちゃうなあ、続かないなあ、という方にお知らせです。
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月に数回ズームをつないで瞑想会を予定しています。
一人では続かないけど、でもみんなで一緒なら大丈夫。体験してみましょう。
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ゆるくつながって月に数回一緒に体験してみましょう。
瞑想ラジオはあなたと一緒に瞑想できるのを楽しみにしています。
ありがとうございます。
19:10

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