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2025-04-07 28:48

【#33】喋る瞑想

素人2人が2024年5月に始めためいそうラジオ、

配信スタートからほぼ1年が過ぎました。

自分が話す声を繰り返し聞くのは苦行か?

あるいは気付きへの最短ルートか?


喋る瞑想としてのポッドキャストを続けて

気づいたよしなしごとを赤裸々に開陳する、脱線・放逸・混線回です。


ホトケのココロでお聞きください!


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感想・質問こちらからお聞かせください!

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⦅めいそうラジオは⦆

インドで出会った瞑想コンビが、愛と性と死とお金の瞑想、タントラから生きるヒントを探ります。

⦅スピーカー⦆

アビラティ改めサキ:医学教育コンテンツプロデューサー。出生家族のアレコレ、男女関係の不毛さに悩みタントラへたどりつく。

ラシュミ:マルタ島で留学コーディネート、アーティスト支援などを行う。西洋/東洋の様々な自己探究をたどり、タントラへ。

サマリー

このエピソードでは、サキさんとラシュミさんがタントラ瞑想を通じて、現代人の喋る瞑想の体験を語ります。編集作業を通じての気づきや、話し方の工夫についても話し合っています。また、瞑想の状態やその際の言葉の使い方について探求しています。ポッドキャストを通じて、自己の声や思考パターンを瞑想的に見直すプロセスが語られ、表現やコミュニケーションの技術の重要性が強調されています。さらに、ジャパネット高田さんやサダ・グルーさんのようなエンタメ業界の人々への尊敬も示されています。自己表現と体感の重要性について考察され、継続の力や人との関わりが自己成長にどのように寄与するか論じられています。

タントラ瞑想の紹介
ナマステ
めいそうラジオ
インドで出会ったタントラ瞑想コンビ、サキとラシュミが
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための瞑想入門、始まります。
ポッドキャストを通した喋る瞑想、やってみてどんな感じ?
半年以上?
去年の5月からかな?
去年の5月から、都合に28回ゲスト回もあるんですが、続けてきたわけですよ。
素晴らしい。パチパチパチパチ。
素人の私たちが喋ることを続けてみてですよ。そこでの
気づきかな?気づきポイント。
まず、気づきポイントとしては、自分たちで編集しているから、自分たちの喋っているのを聞くわけじゃん。
まず、自分の喋っている声が気に入らない。
同じく、すごい嫌。
自分で気づいたポイントとして、何が嫌?
特に自分の声、喋り方、あとは何だろう。
プロじゃないからというのを置いておいてだけど、気になるポイントは何ですか?
気になるポイントはね、あのねとか、フィラーワードがめっちゃ多い。
フィラーワードってよく、ほら、私たちのPodcastのラジオの人とかフィラーワードって使うけど、何ですか?フィラーワード。
あのーとか、そのーとか、というかーとか、意味のない
おつい口をついて出ちゃうワード。
私はね、えっとねーとか、特徴的なフィラーワードがあるんだよ。
それを言っているのを聞くと、また言っている。ってなる。
じゃあ私の気づきポイントとしては、話がとっちらかっているこの人って思う?
お気づきになりましたか?だしゅみ先生。はい。
それはなんか私が気づいただけじゃなくて、気づいてた?
うん、気づいてるよ。また飛んだと思って、戻してこなきゃーって言って。
あらしゅみ、今さっき言っていた話と全然違う方向に話が入っている。これは戻さねば、というね、使命感に駆られておりましたよ。
面白いんだけどね。面白いんだけど、編集をしようと思った時はね、話が繋がらないぞとか、また別の方向に行っちゃったから締められないぞとかね。
なるほどね。編集してみるとよく分かる、とっちらかり方っていうのがね、まず気づいたよね。この人何言ってるのかよく分からないって。
いまだにそうだけど、いやー、どこにこの話は。なんかさ、基本的に台本とかを真面目に考えてたりもするじゃん。
うん、一応ね、流れはね。
流れに沿っていると思わせておいて、流れから外れてることが、なんか道草を食ってるような喋り方をよくしている。
あらしゅみはあれだよね、このさ、単語で引っ張られること多いよね。何か一つの単語が出てきたら、それにその単語から思い出される別のこととか、
その単語の表現の仕方でこういうあれもあったなとか、単語に引っ張られて寄り道することすごい多いよね。
これは連想ゲームの法則ってやつですか。
そうそうそうそう。本筋の国道38号線を走ってるんだけど、一つ視線で、そこで犬の話が出てきちゃったら犬の視線に行っちゃうんだよ。国道はどこへみたいな。戻ってこれない。
そう、この道草モノローグっていうのは、実は今に始まったことじゃなくて、周囲の人から何度か指摘されたことがあるんだよね。
これ日本語でも英語でも、さすがにイタリア語はそこまで流暢にいかないから、それかイタリア人が私の言ってることとか自分の言ってることを何にも気にしないから、どっちかなんだと思うけど。
とにかく下手するとモノローグが連発されているのが私の喋りらしく、周りの人たちがシーンと聞いてるけど、聞いてるわけじゃなくて、なんかどうしていいのかわからない。演説してるまたこのパブでとか。
波が収まるまで待とうかなみたいなね。そんな感じかもしれない。
多分、ラシュミは私一緒の合宿とかに行って、ラシュミが話してるのを聞いて、話しかさんのようだと思ってたのよ。
でも話しかっていうのは何かしらさ、オチとかがあるじゃん。
つまりそれは何かというと、ラシュミの場合はオチはない場合が多いんだけど、なぜか聞けてしまうリズムの良さを持ってるんですよ。
あとプレゼンスっていうの。なんかこの人の話だったら聞いちゃうっていう、そういうエネルギーがあるから聞けちゃうというところがいいところであり、おそらくラシュミがスタックするところでもあるんだと思うね。
恐ろしいところでもあるね。
熱意を持ってエネルギー源として、熱意を持って私が語りたいことを多分語ってるはずなんだけど、ちょっと私のエネルギーを感じてみたいな。
分かった。やる気と光は分かったが何を言ってるかは分からない。
分からない。めちゃくちゃ致命的だよね。致命的なポッドキャスター。エネルギーポッドキャスター。
面白いよね。エネルギーポッドキャスターなのかね。
ポッドキャストってこっちの特に英語圏の人ってよく聞いてることがすごくあって、やっぱりいろんな人たちの英語のポッドキャストとかを聞いてても話がやっぱり聞けちゃうのと、結構聞けちゃう中でもむむっとも大学教授とかも結構上手なんだよね。
いろいろ例えばタントラの話をしている、タントラの話っていうよりもタントラの歴史とか、そのいろいろな解釈をしている人たちっていうのもやっぱり講演会をやってるような人とか授業を持っている人とかっていうのは話が上手というか、とりあえずまとまっているというか聞けるよね。
上手上手。
なんか私もポッドキャストってだいたい英語の方を聞いてるんだけど、日本語の雑談系ってあんま聞かないの。もともとお笑いとか雑談とか得意じゃないっていうのもあるんだけど、でもやっぱりある程度起承転結とかトピックがまとまっているものを聞くのがすごく多いから、
それを聞いてる前提で自分の喋ってるのを聞くと、お前もっと起承転結を言えよとか、もう少しちゃんと論理的に喋れよとか、だいたい自分の喋りの構成にだいたい腹を立てて、感情的だなみたいな。
さっきもよく私喋りがもっと上手くなりたいとかさ、割と自己肯定感低めのことを自分の分析をするよね、自分の喋りの方に関しては。
超自己肯定感低いよ、自分の喋りに関しては。なんかフィラーワード多いし、やっぱりなんか自分が喋るときってどこか言動力に怒りみたいなところがあってさ。
でもね、怒りとマッチングしたときのあの熱意、そして伝わる言葉、ほとばしる言葉がほとばしってる感じよ。
そうね、だからね、もげろとか言うときはたぶんほとばしってんだと思うの。
瞑想の状態について
もう聞いてみたいな感じで、もげてまえみたいなのはすごいさ。
もげてまえ。
乗ってる乗ってる。
乗ってる。でもね、その乗ってるときの喋り方って自分ではあんまり好きじゃなくて、この人こんなに怒ってるよみたいな。
もっとね、瞑想してるんだからもっとこうなんか、カームな感じになんだよみたいな。
属性すぎんだろ。
でも確かに誘導瞑想をしている人たちの音質とか声とかを聞いていると、誘導瞑想だからさ、そのなんかもげろとかさ、
私の川の流れのようにどっか道草を食ってるような感じでさ、ちょっと戻ってきてみたいな、そういうのじゃないじゃん。
もうちょっと何ていうの、一定数の落ち着きがあるような声が流れてきているのが耳に入りますよね。
そう、普通はだからね、ちょっとした憧れはあるの。
そういう感じのなんかふわー、ふわーっていう声と落ち着きでお話ができるようになりたいなという憧れを持っているんですが、
たまたまそういうふうになろうものならば、私の声が聞こえなくなるっていう照らし道を編集しづらいというふうになる。
そう、なんかすごく理路整然と、これこれはこういうことでしょって軌道修正してくれた後でちゃんと言葉をつないで説明して、
なかなか理路整然と話してるって言うけど、語尾がどっかで消えゆく感じで、
うーん、っていう感じ。
みたいな感じでさ、「あら、消えゆいている。またここが消えていく。」みたいな。
あれはなんか瞑想状態に入ってるんですかね、あの消えゆく感じの。
消えゆく感じのときは瞑想状態に入っている場合と、やる気がないかどっちか。
それか眠いかだよね。
時差があるからさ、どっちかが起きがけとかさ、眠くなっている、なんか飛んじゃってるときにはい戻ってきてっていうようなときに、
この無理くり切り収録してるときがあるからね。
そうね、私割とさ、ムラが激しいけど、ラシムは割と一定で安定してるよね。
喋ってる内容がじゃなくて、その喋るトーンがってことでしょ。
そうそうそうそう、テンションが。
でもなんかさ、いろんなタイプの瞑想を私たちもしてきたときにさ、最近よく思い出すのがね、
ヘッドレスって頭から上がないような状態でちょっと歩いてみましょうとか、首チョンパのギロチンメイソーと私が呼んでいるやつですね。
はい、ギロチンメイソーですね。
頭がなくなった状態で、今ここで動いてるとか生活してるとか瞑想でって言うと、確かに心の目で見なさいどうのこうのでっていうので、喋んないじゃん。
内側では喋ってるのかもしれないけど。
頭なしだったらハートから喋るのかね。
うん、マインドをとにかく頭と一緒に何かどっかに置いてきなさいとか外しましょうとか、そういうことなんだろうなっていうふうに私は思ってるけど。
いやだからそれを考えてた時に、確かに瞑想中ってほらジベリシとか喋る瞑想とかもしあったとしても基本的に目を閉じたりさ、静かにしてるじゃない。
だけどそれだけじゃ全然足りなくてさ、頭がないっていうのはなかなか素敵と思うと、私あんまり喋りたい言葉とかないんだよなってちょっと最近思ってたことがあるわけよ。
喋ることができないっていう感じ。言葉が見つからないって感じ。
ほ?ほ?ほ?ちょっと待てよ。家庭板に水で喋っている浦淑美様から喋る言葉がないとか?
はい、そういうような気持ちになっていながらにしてのこの無理くりポッドキャストの喋る瞑想って一体何?っていうふうに思いを馳せたことがありましてですね。
なんかさ、日常生活で自分が喋ったことを繰り返して聞くってないじゃん?
ないね。言いっぱなし。
ポッドキャストと自己発見
だからポッドキャストをすることによって自分の喋ってる声と内容を繰り返し聞くという若干苦行のような瞑想をしているわけですよ、この半年。
確かに。超苦行。
ね。でもなんかそれで良かったなって思うのは癖が見えるじゃん?声の質にしても喋り方にしても。
自分のトークパターンの?
そうそうそうそう。なんかさ、話のパターンってつまり思考のパターンでもあるからさ。
確かに。
それをいつもだったら、日常生活だったら流れていって形に残らないから意識しようもないものを
無理やり苦行で聞いて編集するじゃん?
そうするとさ、見ざるを得ないからそれはやっぱりとっても良い瞑想だなぁと思っている。
だからなんか本当にティーチャートレーニング終わって、瞑想を教えるって教えるようなもんじゃないだろう?瞑想はって思った時に
ほら瞑想って怒るとかいう話をしてるようにさ、やってみて怒る時は怒るし怒らない時は怒らないっていうのを
なぜポッドキャスト、とにかく喋るぐらいだったらあんまり何にも関係ないから喋ってみようかぐらいの
とっても軽い気持ちで始めてみたものの、いやこれはすごい気づきの連続苦行であったみたいな結果としては。
そう、なんかね、結果として苦行なんだけど、やってる間にそんなに劇的には減ってないんだけど
自分の喋っている言語の中にゴミを減らそうという気持ちは芽生えているよ。
なるほど。
フィラーワードはなかなか削れないけど、でも少なくともこの私が喋っているセンテンスの終わりは決めようとかね。
頭の中にあるものを出すだけではなくて、それはジベリシュじゃん。何を伝えたいんだっけとか
一体この私の言っていることの結論は何なんだろうとかね。
そういうことを普通よりも考えるようになったかなと思う半年ですね。
コミュニケーションの技術
うーん、すごく進歩してます。素晴らしいですね。
私の起承転結はどこに行ってしまったんだろうっていうほどに。
でもこれも私の思考の癖なんだろうね。
どこかに行って道草を食うことが多いってさっき言ってた国道から外れるって。
川の流れのように、流れるように話をしているように見せかけといて、石につまずいたらちょっとパチャパチャ遊んでみるとかね。
なんかそういうのが多い気がするんだよな。
だからある意味私は起承転結とか、利の生前みたいなのに行かねばって思っているから、
逆にラシュミの川の流れどこへ国道じゃなくて寄り道っていうのがある意味羨ましいところもあるし、お互いに別の修行を一緒にやってるね。
これあえてボケとツッコミで私がいつでもボケ役をやってるわけじゃなくて、ちょっと天然でさ、どっかに行っちゃう人。
ちょっと待って、ラシュミ戻ってきて、利の生前とこれはこういうことですよねってちゃんと言ってくれて、そこでみんな聞いてる人が落ち着くって何度か言われた。
なんかどこ行っちゃうの、どこ行っちゃうの、どこ行っちゃうのっていうところが、こういうことを言ってるっていうふうに解釈してくれる通訳者とかインタプレーターがそこにいるから、
これでやっとこの人がこういうことを言いたかったのかもしれなかった。そっかそっかって落ち着くってみんなに言われて。
私一人で喋れないんだ、やっぱりみたいな。ちょっと愕然といたしました。
全部国道にするのは違うと思うけど、ちょっとだけ国道に寄ってほしいです。ちょっとラシュミが国道に寄ってくれると私も寄り道できるから。
なるほど、じゃあ私用の台本だけをちゃんと前に置いとこうかな。まず1、2、3。寄ってもいいけど4、5に戻れみたいな。戻れとか書いとこうかな。
ちょっと寄ってもいいけど戻って。ずっと国道に戻す役割だと私寄り道できないから。
確かに。
助け合おうよ。
じゃあ私が今度は理路整然と話をするような感じで、言葉少なく理路整然ともうちょっと台本、自分用のラシュミ用台本って言って3行くらい書き足しとくわ。いつでも。注意ポイント。戻ってくる。
そうするとさっきの方が怒りとかにエネルギーにまかれず、自分の理路整然とするところでも自由が行けるみたいな。
そう、私もたまに寄り道してみるみたいな。さっき何言ってるかわかんないって言われたい。
でも何言ってるかわからない君の言ってることってあんまり言われたことないでしょ、人生の中で。なんかすごくムラはあるとは思うよ、その感情の起伏に合わせて。で、乗ってるなとか怒ってるなとか。
でもすごく理路整然とちゃんと言語化して出そうっていう努力があるじゃん。だから何言ってるのかわからないっていうようなことはあんまり言わないよね。
そうね。
その、瞑想会話の人とか趣味のところで何言ってるかわかんないって言われることはほぼない。ただ、会社の文脈だと何言ってるかわかんないって言われるときがたまにある。
あ、そう?
説明があんまり上手じゃないという側面もあるし、頭高速回転なので3、4歩先のことを言ってて、そこの説明が足りなくてついてこれないことはある。
なんかさ、あれじゃん、マインドの人、フィーリングの人、アクションの人みたいな話をしたじゃん。個性心理学でその3分類できるって言って、アクションタイプの人は結論が知りたい。結論だけを言ってくれればわかりますっていうのがラシュミンアクションじゃない?確か。
超アクション。
超アクション、超アクション。で、私フィーリングで1から10まである中の3、4、7みたいななんかふんわり掴んで、大体こんな感じでしょうみたいな理解をするタイプで、もう一つ最後のマインドの人は1から10まで順を追って細かく全部説明していただかないとわかりませんみたいなタイプで、
たぶんね、会社の中の人はね、マインドの人が多いんだと思うの。私がふんわり言っても、1は?2は?3は?4は?5は?6は?7は?8は?9は?ってなって、何言ってるかわかりませんみたいになって、え、でもこんなふんわりで伝わるのが普通でしょとか思うフィーリングのやつでやると爆発する。
そういう何言ってるかわかんないはある。それ以外はないね。雰囲気で理解するのが不得意な人と一緒だと、私が何言ってるかわかんないって言われる。
うーん、でも職場とかそういうプロジェクトとかではどうなんだろう。なんか誰かが何かを聞いてきたら、私って必ずそれ自分でも気をつけるようにはしてるんだけど、こうしなきゃいけないっていうのはすっごい思ってるわけじゃなくて、パッと浮かんじゃうから、これこれこうなんですよ。
これどうしましょうかって言っただけで、あっそっか、だったらプランAで行こうって言うと、Aで行こうって言ってみんながなんかAをやり始めるみたいな。それでうまくいく時もあるし、行かないことだってあるじゃん。
あるね。アクション。で、なんかこれでもまた問題起きましたわ、じゃあAプラスBで行こう、Cも試してみてみたいな感じで、とにかくアクションをしながら整えていく感じだから、
絶対にこれっていう確信があった積み上げてじゃないんだよね。そこは直感で何でもかんでも縁をついて出ちゃうから、この人に決断を任せるといいかも。でもそれが正解かどうかわかんないじゃん。
まあね、でも決めるのってさ、結構体力使うから決めてくれると安心っていう人がいるよね。
そうね、だから何言ってるかわかんないじゃんとはね、また別の話だけどね。
だから喋るのが本当にあれだよね、リスペクトするのは私もあんまりお笑いの人とか芸人とかコメディアンとかっていうのは、そんなにエンタメとして得意分野というか好きでずっとフォローしてるっていうのがあんまりなかったんだけど、今改めてエンタメ業界の人たちの喋りのうまさと、あと話題の持ってき方なのかな。
もうちょっと超リスペクトなわけよ最近。すごいなこの人たちと思って。
私、ジャパネット高田の人はめっちゃ尊敬する。あの畳み掛けるような流れる話。ちゃんと買いたいと思わせるあの感じは尊敬する。
ジャパネット高田、それ何、テレフォンショッピングじゃなくてオンラインショッピングみたいな人?
そうそう、テレフォンショッピングみたいなもんよ。
だから目的はこの商品を売るなわけ。この商品を売るのにどういう風なメリットとかさ、こうやって使うんですよとか、そういう説明が畳み掛けるようで、しかも聞いてて嫌じゃないし、なんかちょっと欲しいなって思っちゃう、あのおしゃべりはすごい尊敬する。
目的がはっきりしている。
ハーバードだっけな、ポッドキャストでね、コミュニケーションに特化してゲスト呼んできて、今その人が研究しているコミュニケーションの技法でこんな良いことがあるよとか、こうやって使うんだよみたいなことをしゃべってくれるポッドキャストの人たちは出る人みんな超わかりやすくてめっちゃ尊敬する。
なるほど、やっぱり自分がこういう風になりたいっていう例があるのね、私パブリックスピーチとかこういうポッドキャストで尊敬するっていうか何度でも聞いて、いつもうなずくのはサダ・グルーだな。
そこに政治家がいても、若い人たちからのお悩み相談でも、あの人は元ヨギーだったり、いろいろな活動をしている人だけど、とにかく実際に話を聞いたこともあるんだけど、もう話が引き込まれる。
尊敬するエンタメの人物
誰もが聞いている。
内容的にも、例えば内容がない内容はないっていうか、グルーにならなきゃダメなのかなってちょっと思っちゃったりもするけどさ。
まあでもグルーになれる人なんかほとんどいないでしょ。
いないのと、なるべくしてなったっていうことなんだろうね、きっと。
うん、なんかなりたくてなれるもんじゃないんじゃないの、グルー。
そうね、職業何、いやグルーですとか、あなたの将来何になりたいですか、宇宙飛行士とかさ、なんかそういうのがわかるけど、いやグルーになりたいですってたまに私も冗談で言ってみたりするんだけどさ、えーみたいに。
まあなりたくてなれるようなもんじゃないとは思う。
ティーチャーとかはなれるんじゃない?先生はさ、それをしようと思ってたけど、先生はたくさんいるし、論理的に納得をするとか何かを教える人はいるけど、マスターとかグルーって言われるものは何かを教えるわけではなくて、その人自身がもうすでに何か花を開いていて、その人と一緒にいるだけで何かが起こるような、
なんかそういう人って考えたら、なんかなりたくてなれたら、みんな悟ってかない。
でも確かにあれかもしれないね、何かしらのこう一本筋が通った、求心力的なものがあるんだろうね、そのエネルギーの中にグルーを持つ。
ねえ、本当だよね。
身体の貧困が言葉の貧困と言われて、私はすごいショックを受けながら、次の半年をやろうと思います。
身体の貧困ってどういうこと?
身体の感受性があまりないと、言葉も同じように感受性が低いと考える人もいる。
なるほど。
私はそれ結構真実だなと思って、結局その自分の体を通して何か実感をしていること、これは自分に起こっていることだって、
体感をしているものがない限り、いくら言葉で言っても、それって空虚っていうかさ。
上滑りに聞こえるっていうことか。
うまく言えないけどさ、その雰囲気でやっぱり伝わるものがあるなあと思って。
だからその頭でっかちになって知識だけを詰め込んでいくとさ、知識はいっぱいになるけど、それこそギロチン瞑想が役に立つんじゃない?
一回全部頭に詰め込んだものも、ちゃんと体で受け止めてるんだったら自分の言葉になるとか、血肉が伴うんだろうけど、
頭にばっかり詰め込んだところで、上滑りになっちゃうんだろうなっていうのは感覚的にはわかるな。
それはそうだよねっていうふうに思う、すごく。
自分のことはよくわからないけど、わからないなりにやるしかないなあ。
もうポッドキャストの先生の、なんかこの前ポッドキャストを聞いてたらさ、その人が言うように半年っていうのはスタートラインにやっと立てるような準備が整っただけみたいなことを言っていて、
そういう言葉は使ってなかったけど、半年でみんなやっぱりもう辞めちゃう人はすっごい消えちゃうんですよね。
もったいないなあ。本当にそこからですよね。
少なくても2年ぐらい経たないと土台ができないって言って。
2年、いやーみたいに思ってさ、継続は力なりっていうような教育臭いことは言ってなかったけど、実感としてすごい伴ってるなあと思って、彼らの中でも。
私もいくつか言い訳つけて、私あんまりちょっとオタク度低いし、ガジェットとか好きじゃないし、みたいな感じで思ってたんだけど、いやいや、そんなことは言ってられないんだわと思って。
とりあえず、次の半年、自分の話し方と声と苦行を続けながら、皆さんと何かしら良いものをシェアできたらいいなと思います。お付き合いいただきありがとうございます。
瞑想の価値と参加の呼びかけ
これからもお付き合いください。もし自分の喋りを改めて聞きたいという方がいらしたら、ぜひゲストにお越しください。
そうですね、この自分で喋ってみるっていうのも良い瞑想経験に、本当に苦行苦行とかさっきから言ってますけど、そんなことはなく、すごく良い瞑想イコール築きって思うと、超すぐに築ける良い瞑想ツールだと思っております。
とても楽しいですよ、苦行とか言ってるけど。
ね、というわけで、出演したいという方、もう大募集です。ぜひぜひお声をかけてください。
一緒に喋りたいテーマと共に教習してください。お待ちしてます。
じゃあ今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
お聞きいただきありがとうございました。
瞑想ラジオは歯磨きのように瞑想が日常になることを目的としたプログラムです。
お聞きのポッドキャストアプリでフォローボタンを押して最新を聞いてくれると嬉しいです。
また番組では質問疑問にお答えしています。番組のメールフォームからお寄せくださると嬉しいです。
聞くだけで少し生きるのが楽になるヒントがきっと見つかる。
次回お楽しみに。
さまして。
28:48

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