肉体の死とマインドの死
ナマステー
めいそうラジオ
インドで出会ったタントラ迷走コンビ、アピラティとラシュミが
愛と生と死とお金のメディテーション、タントラから生きる処方箋を探っていきます。
欲深い私たち現代人のための迷走入門、始まります。
では第3回目、死って何だろう?
死っていうのは、肉体の死が我々がよく捉えられることだよね。
心拍数が止まる、心臓停止、あとは脳の血流が止まる。
これが一般的な死っていう風に考えられていて、
もう一つこのタントラの世界では、マインドの死っていうのが、
タントラだけじゃないですけど、迷走界隈ではよく言われる表現だよね。
ということで、もうちょっと深掘りしていきたいなと思うので、
そもそもマインドって何ですかね?
マインドの役割
私たちはマインドを使わないと日常生活はできないわけじゃない?
7時に起きるためには何時に寝る?
仕事行くから何時の電車に乗るとか、誰と待ち合わせしてる?
これだけのお金が必要だからこういうやりくりをするとか、
全部それってマインドで考えて整理して物事をやっているから、
生活にとっても必要なものではあるんだけど、
マインドは実際のところはそれは道具であって、私たちの主人ではない?
方法をきれいに想像して順序よく現実を運んでいくことはできるけど、
何か意思決定をできるものではない?
自分の召使いのようなものにしたいけど、王様のように振る舞っちゃってるってこと?
本来は私、アビラティが決めていて、マインドさんこれをこうしたいんで、
そのあたりの事務的なことをお願いしますっていう風に使えてたらとってもいいけど、
私はアビラティ自身は不在で、マインドが全部やってるから、
私の人生はひっちゃかめっちゃかっていう感じ?
マインドの奴隷化
なるほど、マインドの自分が奴隷じゃないけど、
マインドに自分が使えるみたいになっちゃうと、
人生がひっちゃかめっちゃかになっちゃうってことなのかな?
本来は私が私の人生の主人、王様のはずなんだけど、
役に立たないからマインドがしょうがねえって言って、
俺が王だって言ってマインドがあれこれやってると、ひっちゃかめっちゃかって。
本当に瞑想界隈でっていうことかもしれないけど、
エゴとかマインドっていうのに左右されないようにっていうのは、
まことしとやかによくよく聞かれるじゃないですか。
我々の中ではエゴもマインドの一部かな?
エゴとマインドって多分ほぼイコールなんじゃないかなって思う。
これが私だって思うものを作っているのはマインド?
死って何?っていうところに一瞬戻るんだけど、
肉体が死ぬこと自体は多分そんなには怖くなくて、
エゴが私だと思っているものが崩れる方が、
すごく遥かに怖いんじゃないかな。
そこが死に対する恐怖とか。
誰も死んだことがないので、経験者はいないじゃないですか。
言ってみれば。
初めての経験っていうのは、
ドキドキ感、いい意味でのドキドキもあるけど、
やっぱり不安要素はすごく多いよね。
でもさ、心配の9割は起こらないって、
私高校生の時に聞いたことがあるよ。
マインドの傾向としてはあれかな、
ドラマクイーンになりたいっていうか、
なんて言ったらいいんだろう。
すごく悲惨なドラマも作りやすい傾向があるかもしれないね。
うちの87歳のおばあちゃんを見てると、
まさにマインドの心配ドラマクイーンをしているよ。
もちろん彼女にはいいところもいっぱいあるんだけど、
これが起きたらどうしよう、携帯壊れたらどうしよう、
冷蔵庫壊れたらどうしよう、
これより動けなくなっちゃったらどうしようって、
先のことをいっぱい心配しちゃってドラマクイーンなのね。
でも旗と見てみると、彼女は娘も3人いるし、
孫もいるし、周りはケアギビングだからね。
めちゃ恵まれてるんだよ。
だけど本人は心配の中にいるから周りが見えないっていう。
ドラマクイーン。かわいいけどね。
心配とマインドってすごく、やっぱり、
なんて言ったらいいんだろう。
うーん、距離が近い感じ?
心配のマインドと自分がもうべったりくっついちゃってる感じ。
マインドの死っていうのが本当に永遠に訪れる、
我々の扱う死にはなるんだけど、
日常生活でもマインドが死ぬ瞬間っていうのは、
本当に睡眠とセックスの中のエクスタシーに行った時。
よくほら、イタリア語で、
なんて言ったらいいんだろう、ケンジャタイムのことを
小さな死って言うからさ。
生きてる中で経験できるマインドの死っていうのは、
そこにやっぱりヒントがあるよね。
なんかさ、セックスの中で小さな死っていうのもあるだろうし、
関係性の中で自分が相手に明け渡すみたいなことも、
もしかしたら小さな死かもしれないしね。
言ってみれば本当にドキドキ感っていうのが怖い?
言ってみれば、なんて言ったらいいんだろう。
セックスに例えるとワンネスっていう、
いろいろ我々の2イコール1とか、
2つの要素が1つになるっていうのも、
瞑想の技法の中でよくよく出てくる話じゃない?
そうすると解け合うとか結ばれるっていう結合する、
物理的な意味じゃなくてね。
そういうのが起きた時っていうのは、
マインドっていうのは心配からすごく離れるじゃん。
特にマインドから離れて、
なんて言ったらいいんだろう。
もっと大きなものの世界の中に入っていってるよね。
言ってみれば宇宙空間みたいな。
よくオーガズミックステイトとかっていう風に言うけど、
なんて言ったらいいんだろう。
大きな洋水の中で入っていくじゃないけど、
海に浮かんでるとか、
いろいろな表現はあるけど、
そういう感覚の中に行かない?
セックスではそういうこと体験したことないからわからんな。
あれ?そういうことじゃなかったっけ?
飛んだぞ。
そこじゃなくて。
でもその感覚は、
自分が溶けていて、
何か大きなものと一緒になってるみたいなのは、
老子?老僧の本読んでた時そういう感覚あったな。
老子って老人?
老子だね。
大学の時に身体心理の先生と一緒に老子を読むっていうゼミにいたんだけど、
みんなで老子の本読んでて、
何もないけど何でもあるね。
その時言っててよく思い出したのは、
縦糸と横糸みたいな仏教でいう縁起みたいなことだと思うんだけど、
糸と糸が重なって、たまたま重なったところに私たちはいるっていう。
それが外れたらなくなってるけど、また繋がったら出てくるみたいな。
日本人にわかりやすい空の世界っていうのかな。
空とか無とかって私聞いた時に、
無情じゃないけどさ、そんなとこにいて何にもないなんていやーっていう
マインドの抵抗感はすごく昔からあったけど、
こういう修行の道っていうわけじゃないけど進んでいけば行くほど、
そこに全てあって何もないっていう世界があるんだっていうのだけが、
なんとなく心地よいものにだんだんなってきたような気はするね。
死ぬのが怖いのって自分が亡くなるのが怖いじゃない?
マインドにしても肉体にしても。
死んだらマインドが死んで、無みたいなところに行ったらむしろ気持ちいいんだよっていう。
よくある例えかもしれないんだけどさ、
器ってさ、コップでもボールでも何しろ器と呼ばれるものは空じゃない?
その空がなかったら器足りないじゃない?
それは器としての要件は空の部分があるっていうことだからさ。
空であるとか何もない、死んでいる状態にはとても意味があるよねっていう。
だからマインドさんどうぞ一緒に死にましょうっていう。
別に怖くないよっていう。
そこのマインドから離れたところに意識的に入っていくっていうのが一つの
死っていう言葉が体現しているものっていうか、
表していることなんだろうなっていうふうに思うけど、
寝るのが小さな死っていうのが、日常での睡眠っていうのは死ぬっていうので
よくこのタントラでも死の瞑想っていうのをすごく扱ってるじゃない?
意識的にこう死んでみましょうっていうので、
あんまりこの死ぬ死ぬって言ってるとちょっと言葉尻が悪いけれども、
終わらせるっていう感覚かな?完結させるとか。
今日1日の自分が終わりました。
それなので眠りますっていうのは、
マインドの死を経験する
今日1日が終わって完結させるっていうことにもなり得るじゃん。
これは正しいかわからないけど、ある意味新陳代謝みたいな感じじゃない?
私のこのフォルムは同じだけど、
中の細胞は皮膚だったら28日で全く別のものになってる。
うん。
だからエゴも別に1回死んでもどうせ出てくるし、
そうだね。
ずっと死んでるわけじゃないし、絶対出てくるしさ。
マインドだったら絶対出てくるしさ。
だからイメージ的にはそうなんだよね。
よくマラソンとかを走った時にゴールでテープを切って、
1位だったら2位だったらっていうのは置いといて、
ゴールのテープを切ると要するに完結するじゃん。
一応マラソン終わり、
1位だったら2位だったらっていうのは置いといて、
ゴールのテープを切ると要するに完結するじゃん。
一応マラソン終わりみたいな。
それをしっかりやれるような習慣をつけておくと、
マインドも混乱しなくて済むのかなっていうふうに思うよね。
それにマインド、私本当はサーバントなのに王のように振る舞ってるとさ、
お休みないじゃない?
うん。
過重労働じゃない?
うん。
休もうよ。
忙しい。
忙しい。
ブラック企業かのごとくずっと働いてるじゃない?
休んだ方が仕事の効率よくなるよみたいな。
確かにそうかもしれない。
それが日常のマインドの死を経験しましょうっていうところが、
きっと死って何?
死を扱うっていうのがこのタントラ的な一つなんだろうなっていうふうに思うけど、
チベット密教にバルドっていう瞑想があったよね。
それはね、リンネ転生を抜けるためには死ぬ時に気づいているっていう。
自分が肉体の死を迎える時に気づいているためにやる瞑想。
リンネ転生の輪から抜けたい場合のことだけどね。
言ってみればキーワードとしての気づきっていうのも、
すごいうるさいほど言われるじゃん。
気づいていなさい。何に気づくんですかっていう世界だけど、
気づいていなさいっていうのが、
なんて言ったらいいんだろう。
新たな視点っていうか、
主観的にいつもマインドは動きたがるけどさ王様のように。
メタ認知とマインドへのアプローチ
ちゃんと客観的な視点っていうのを持ちなさいねっていうのが
気づいていなさいっていう新しい目だよね。目っていうか気づきの目っていうか。
私たちの好きな現代風に言うとさ、メタ認知ってやつじゃないですか。
そう、だから日々メタ認知しときなさいっていうところに
行き着くんだろうなっていうふうに思うな。私たちの好きなメタ認知。
なんかやばいかっこいいじゃん。
メタ認知を自分に化しましょうっていうのはいい感じだよね。本当に。
心配と一緒になっている自分も、もう一つ鳥の目線から見たら、
あいつ心配とめっちゃべったりしてるって言ったらちょっと離れるかもしれないじゃん。
メタ認知。
心配のメタ認知。
そう、だから私がおばあちゃんを見て、
おばあちゃんべったりしてるっていうのと同じように自分のこともメタ認知できたら私は離脱っていう。
そうなんだよね。それこそ自分をどういうふうにやって見つめるか気づいていなさい。
メタ認知っていうのを、その視点を何て言ったらいいんだろう。
よく知識とかそういうのを、知識自身は全然何て言ったらいいんだろう。
罪はないじゃない。
その知識を持っているっていうのは、知識をピュアに持っているっていうメタ認知をしとけばいいんだろうけど、
何て言ったらいいの、心配と知識をつけちゃうとかさ。
そうするとマインドが忙しくなって、ちゃんと眠る暇もないじゃんっていうことになっちゃうんだよね。
死ねない。
死ねない。
というわけで、深い眠りに今日入っていきましょうっていうのが私たちのメタ認知かな。
今日寝るときはOK、今日の私はこれで死ぬ。
終了。
終わり。ゴールテープ。
大丈夫、死んだままじゃないから。
明日絶対目覚めますから、大体の場合は。
明日も大丈夫、今日夜死んでも明日は起きますから、安心して死ぬように寝てください。
そうですね。これが死って何っていうので、小さな意味と大きな意味のメタ認知っていうので、
このマインドマインドって多分これからいろいろ出てくるだろうなっていうふうに思いますが、
いろいろな本当に宗教、哲学、宗教ではすごく扱うよね。
このマインドとどうやって付き合っていくか、生きてる間は。
マインドはとりあえず王様じゃなく、
マインドの王様みたいにして自分が継続するのはやめましょうっていうメタ認知しましょうってことかな。
やめたいけど、やめようと思ってもやめられないかもしれないから、
マインドが王様してるなって思って見ていくだけでもいいかも。
ということで、今日もありがとうございました。
ナマステ。
ナマステ。
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