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ありがとうございました。みなさんおはようございます。
今日は名谷教会の設立、24周年の記念生産礼拝であります。
神の恵み込みに感謝し、またお互いにですね、感謝し合おうとしてやりたいと願っております。
ではメッセージの前に、いつものようにですね、周りの方と挨拶しましょうか。
初めての方もいらっしゃいますけど、ようこそいらっしゃいました。
心を尽くし、思いを尽くし、私力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。アーメン、主よ。
私たちが生きる目的も、救われた目的も、神を礼拝する目的も、
ただ心を尽くし、思いを尽くし、私力を尽くして、我々の主なる神を愛するためであります。主よ。
今から神の御声をお聞きいたします。
一人一人の霊の中に、心の中に、主の言葉を主が語りかけて下さいますように。悟りを与えて下さい。聴く心を与えて下さいますように。お願いをいたします。
そしてその御言葉通りに生きる上からの力もあふれるほど、お与え下さいますように。
このものはかとして、神御自身の栄光だけが現れますように。
イエス様の皆によってお祈りいたします。アーメン。
今年は明太に教会の街道が設立されて、礼拝が始められて、24周年になる記念の年。
また来年は25周年になりますが、生産礼拝とともに捧げてまいりたいと思っております。
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そこに席を共にしていらっしゃる方々の中で、多くの方々は明太に教会の初め、街道と言いましょうか、その時から、
その時か、1970年ですね。今日皆さんにお配りしましたけれども、後から見られていいですよ。ありますけれども、
その時から多くの法師、お祈り、礼拝、あるいは伝道、あるいは王子を解放して、教会学校をなされた方々が大勢ここにいらっしゃいます。
その方々が伝道して、愛をもって、祈りをもって、またその後から来られた方々を喜んで迎え入れて、前後なく、先輩後輩なく、最初のもの、後のもの、
区別なく一つになって、主を礼拝できますことを感謝しますし、何より神様が喜ばれると信じております。
今日はこのお祈り、礼拝として、神を愛し人を愛する教会という題について、このマタイの訓書の御言葉から、教会が生徒が大切にすべきである価値を発見して、そしてこれを実践していきたいと願っております。
今日のマタイの訓書の御言葉は、イエス様が私たちに信仰生活をしていく中で、最も大切なものなんだろうか、何が一番価値あるものなのかを教えてくださった御言葉だったと思います。
そこで一人思い詰まると、パリサイド人たちがイエス様のところに集まってきました。その中には、今日も書かれているように、立法も専門家もそこにいました。
彼らがイエス様から何か教えを学ぶために来たわけではありません。
もっと広く言いますと、旧約戦争にあたりますけれども、そのいわゆるイエス様とディスカッションして、イエス様の鼻を折るためなんです、簡単に言ってですね。
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そのためにわざわざ立法の専門家も連れてきた。イエス様の口を黙らせるためでした。
その前の説を見たら、34説をご覧ください。しかしパリサイド人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まったわけですね。
いわゆるサドカイ人たちがイエス様と論争して負けてしまった。相手にならなかった。
パリサイド人たちは悔しくて、むかついて、イエス様を黙らせろ、鼻を折ってやるぞと粋で彼らはやってきた。
それで一番最初にですね、イエス様にこのように質問を投げました。
36説。先生、立法の中で大切な決めはどれですか?と聞きました。
そしたらイエス様が37説お答えになりました。37説一緒に読みましょうか、皆さん。
もう一度。そこでイエスは彼に言われた、心を尽くし、思いを尽くし、主を愛せよ。
おそらくですね、このイエス様のお答えを聞いた立法の専門家、あるいはパリサイド人たちは驚いたことではないでしょうか。
どんな答えが出てくるかわからなかった。しかしイエス様は、神を愛せることが大事だよと。
それにはですね、パリサイド人たちも文句を言えないわけなんですね。
ところが彼らの本とは別としてですね、大切なのはこの37説から、
聖徒、教会が最も大切にしていくべきメッセージはまさにこれではないでしょうか。
我々の信仰、我々の教会の姿はどういうものになったら神様が最も喜ばれるのでしょうか。
それは言うまでもなく、他でもなく、心を尽くし、思いを尽くし、主力を尽くして、
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私の神である人を愛することで他にはありません。
これはですね、心あるいは思い、主力が別々あるという意味じゃなくて、
これはいわゆる誇張法でですね、もう我々の全てを尽くして、全人格を尽くして、
命を尽くして、神を愛しなさいという、これが立法の大事ですよという答え。
聖徒は心を尽くして、思いを尽くして、主力を尽くして、神を愛する。
その聖徒たちの集まったところが教会です。
ですから神に喜ばれる聖徒とは何でしょうか。
神に喜ばれる教会とは何でしょうか。
それは他ではなく、この37つの御事は総理なのではないでしょう。
心を尽くし、思いを尽くし、主力を尽くして、私の神である人を愛する。
杉里二十四年、あるいは1970年から始まると47年ですね。
これはちょうど私の年と一緒なんです、実は。
あえて言いますと不思議だなと私は思いました。
その恵みを、大道からの恵みを、あるいは皆さんの同志を数えてみますと、
皆さんは本当にこのお床に、
今日もですね、このお歩みにちょっと写真が93年のカイドの写真ですが、
周りに何もなかったんですね。
その前には本当に何もなかったでしょう。
今に至るまで、今の教会があるまで、
皆さんはこの御事は総理に心を尽くして、思いを尽くして、
主力を尽くして、捧げ尽くして、奉仕して、
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教会を愛して、神と愛して、神を愛して、
ここまで諦めず、愛しつつ、粘り強くですね、ここまで歩んで来られたことではないでしょう。
その御事を、その愛を、その祈りをですね、主は全て知っておられる。
そして喜んでおられる。そして褒めてくださるに違いないと信じたい。
ところが、今日の37つの御言葉を裏返して考えてみるならば、
神様は私たちに心を尽くして、思いを尽くして、
主力を尽くして、主に生活をしなさいとか、遊びなさいとか、
家庭生活をしなさいとか、子供に頑張りなさいとか、
自分を喜ばせなさいとかと語っておられないわけですね。
ですから、私たちがもしも心を尽くし、思いを尽くし、主力を尽くして、
神を愛することではなく、神じゃないものにこれほど全てを尽くして愛するものがあるならば、
それはですね、神をとても悲しませることになってしまうのではないでしょうか。
昔より今の時代は好きになりやすいものが身の回りにたくさんあると思うんですね。
若い人は恋人が好きです。ポップが好きです。もっと小さい中高生たちはアイドルが好きです。
30代ぐらいになったらですね、自分の仕事が好きです。友達が好きです。スポーツが好きです。趣味が好きです。
40代、50代になったらお金が好きです。旅行が好きです。家族が好きです。休みが好きです。
それらはですね、決して悪いものではないでしょう。神様のいわゆる一般音頭の中でそれを楽しんでいいと思うんですね。
ところが、神より愛するものがもしもあるならば、
神より思いを尽くして、神より気力を尽くして、神より心を尽くして愛するものがもしもあるならば、
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好きなものがもしもあるならば、それは神様を悲しませることであって、
それは大切な第一の戒めを犯してしまうことになるわけなんですね。
ですから、上様は私たちが神様の心を悲しめることがないために、
一方の一番大事な第一の戒めを犯すことがないために、私たちにこの御言葉を教えて下さい。
ですから皆さん願わくは、我々神とお一人おひとりが、
心を尽くして、思いを尽くして、気力を尽くして、神を愛していくならば、
明大に教会もそのような教会になるわけなんですね。
皆さんお一人おひとりが教会であられます。
願わくは皆さん、今まで皆さんが神を愛してくれたように、
今日は24周年記念礼拝の今日というこの日、心をあなたに知っていただいて、
あるいは心の得意を正していただいて、
イエス様が来られるその日まで、あの御国に行くその日まで、
我らのすべてを尽くして、私たちの神である死を愛していこうではありませんか。
それが神様の望みであられます。
二番のイエス様は続きまして、こう仰せられました。
三十九節を一緒に読みたいと思います。
あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。
この二言葉は文字通りにするんです。
隣人を私たちが自分自身を大切にするように大切にするんです。
自分自身を百ぐらい大切にするならば、隣人も百ぐらい大切にすることです。
あなた自身のようにとありません。
これが第二の忌ましめです。
第二は第一より劣るものなのか、第一が第二より勝るものなのか、そうではない。
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イエス様ははっきりと仰せられました。
三十九節続きますと、第二の忌ましめもそれと同じように大切です。
第一と同じく等しいということです。
でも、この第二の忌ましめを誤解しないでほしいです。
人を愛することが神様を愛することと同じなんだ。
神様を愛せなくても人を大切にしたら、神様を愛することと同じになる。
そうしたら天国に行けるかもと思ってはなりません。
この御言葉は、人を隣人を愛することが神様を愛することほど大切ですよという意味です。
だから神様だけを愛して、人を愛すること、隣人を愛することを軽くしてはいけませんよという意味です。
なぜなら、パリサイ人とかサドカイ人たちは、立法に対しては立法を守るものしかを厳格に厳しく守っていましたけれども、
人に対しては愛が欠けていたわけですね。
だからこの御言葉の背景には、パリサイ人たちの誤った態度をイエス様が指摘するための意味もあるわけですね。
いずれにしても、私たちはこの御言葉から信仰生活の大切なもう一つの価値を発見することができます。
それは、人を愛することです。隣人を愛することです。兄弟を、姉妹を愛することです。
しかも、自分自身のように愛することです。
人は言われなくても、本能的に自分を大切にします。そうですよ、皆さん。
自分自身は本能的に自分自身を大切にします。
今日、24周年記念生鮮明拝の日に、主幹牧師が動機が悪くて、この講壇に立ってしまいました。
大変、皆さんには申し訳ないと思いますが、主幹牧師にいて、冷房を拭きすぎてしまいまして、
2日の朝起きたら、寒気がめちゃくちゃして、汗は出て、熱も出て、ここから血が出るように、
過労死で、近くのフルーツフラワーパークから近い、総度内下があって、病院にいたら、熱が39.5℃でした。
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それでもやむを得ず、帰りばかりで寝ていたから、夜まで待とうとして、やむを得ず帰ってきて、薬を飲んでいるんですけれども、
申し訳ないことは、このように人は、体が調子が悪いとか、過労死でも病院に行く。
薬を飲む。自分の体をなんとか庇護するという、自己本能が人間にはあるわけです。
自分を大切にする本能的な愛があるわけなんです。
みなさん、自分自身もそうです。
ある僕先生が、この39節の御言葉を、とてもリアルにわかりやすく解説した説教誌を読んだことがありますけれども、こういうふうに話をしました。
ちょっとリアルすぎですので、ただ参考的に聞いていてくださいね。
あなたの口においしいステキが入るとき、あなたより貧しい兄弟たちにも、おいしいステキを食べさせてください。
あなたが数万円、数十万円のバッグを買って持っているとき、あなたより貧しくてそんなものを買えない兄弟姉妹たちにも、同じものをプレゼントしなさい。
あなたが新しい車を買い替えて持るときに、車すら買えない貧しいあなたの兄弟姉妹たちに、車を買ってプレゼントしなさい。
これが、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよという御言葉であります。
我々は、自分の隣人を自分自身のように大切にするのが実は難しいです。
考えはするですが、自分自身のように等しく大切にし、愛することはなかなか難しいです。
さあ、神の御前に正直でありましょう。あなたは、あなたの隣人を自分自身のように本当に愛しているでしょうか、という説教でした。
いかがでしょうか、皆さん。申し上げたいことはこれです。
この地が、この世が、この教会が、神の国になるために、この地にこの世が、神の愛がまかとに実現されるためには、
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私たちは、神を愛することと、また隣人を愛することを実践しなければならないと言います。
そして、隣人を自分自身のように大切にし、愛すること、それを実践。
この前、私が釜山にいたときに教えたお中国が、日本の男性と結婚して横浜に住んでいて、ある教会に通っていますけれども、
親子の悩みがあって、相談の電話をしたんですね。相談したら、教団は言いませんが、その教会は、
何々を考える会という会が多いんです。伝道を考える会、隣人を愛する考える会、考える会が多い。
その姉妹の母子と言いますか、母は考えはたくさんやるんだけど、実際は何もしていないんです。
どうしたいんですかと。まずは考えることが大事でしょうと、私はそのことに文句を言うわけではないですから。
でも、いくら考えても、動かないと何もできないわけで、いろいろ相談をしたわけなんですけれども、そうなんです。
神様を愛することもそうなんです。隣人を愛することもそうなんです。いくら考えても、いくら考えても、それは何にもならないんです。
横浜の世代にもあるでしょう。兄弟が食べ物がないんです。そしたら、食べ物がないんですか、おうちにいておいしいものを食べてねって。
食べ物がないんですって。食べ物をあげなさいと。愛は行動なんですね。愛は行動。神を愛すること、隣人を愛すること、それを実践してまいります。
私たち二人一人が自分にできることは、いくらでもあると思います。
まずは祈りから始めてまいりましょう。まずは奉仕からまいりましょう。
このようにですね、それぞれできること、心を尽くして、思いを尽くして、自力を尽くして、神を愛して、隣人を愛していくならば、
この地が、この教会が、神の国の臨在の場所になるでしょう。そして、神に喜ばれる教会になるに違いないと思います。
そこに、神の栄光に生きる教会になります。
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メッセージを終わりたいと思います。
代谷教会設立24周年記念礼拝、まずは神様に栄光をお返しいたします。
そして、大道から24年間、47年間、祈りと奉仕と様々な献身をもって、
仕えていただくととった兄弟姉妹たち、あるいは先に戦に行かれた姉妹姉妹たち、
その方々に心から感謝し、また幼いに感謝し合う、今日の一日でありたいと願っております。
代谷教会が我々が大切にすべきである価値があるならば、それは他でもなく、神を愛することです。
愛するに心を尽くし、思いを尽くし、自力を尽くして、すべてを尽くして愛することであります。
他にはありません。
また同じく、これと同じく、隣人を自分自身を愛するように、自分自身を大切にするように愛することです。
願うわけは、ここにいらっしゃる皆さんすべてが、この二つの少しいまひめを命のように守りつつ、
愛しつつ、死の御前まで歩んで参りましょう。
お祈りいたします。