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2017-07-09 33:17

ヨハネの福音書講解説教(4)私たちはメシヤに会った

 2017/07/09 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ヨハネの福音書 ~51

00:04
改めて皆さん、おはようございます。
蒸し暑い日々が続いていますけれども、皆さんお元気でいらっしゃるでしょうか。
神様に支えられてですね、この世に出会いできますことを心から感謝いたします。
では、メッセージの入る前に隣の方と挨拶しましょうか。
はい、それでは一言お祈りします。
主よ、彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、私たちはメシヤ、訳して言えばキュリストに会ったと言った。
彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。
主よ、この朝アンデレが、メシヤが主であることを知って。
そして、ペテロニ、またピリポニ、またそれがパマエルに本当に不思議につながった。
今日はその証言、あるいは我が師の言葉を通して、私たちがどうあるべきなのか教えていただきたいと願っております。
一人一人の心の中に、神様ご自身がお語り下さいますように。
あなたにお会いし、あなたを知る、またあなたの形として作られたものとして、主に喜ばれる歩みを指して下さいますように。
この礼拝がそのスタートとなりますように、主よ祝福して下さい。
この穢れの多い泥になりなき物を隠して下さって、主よご自身の栄光だけが、御言葉だけがこの中にあって語られますように、イエス様の皆によってお祈りします。
アーメン。
ヨーネーノ勲書の公開説教に戻りました。
今日は4回目で、私たちはメシアにあった、私たちはメシアにあったという御言葉であります。
03:02
ヨーネーノ勲書は、メシア、つまりキリストに出会った人々の証言の書です。
それでイギリスのジョン・ストープという先生がいらっしゃいます。今手に召されていらっしゃいますが、その先生がこのヨーネーノ勲書を指してこう言いました。
メシアにあった人たちの証言の書であると言っています。
特にこの第一章だけ読みますと、プテスマのヨハネまで入れると、6人の証人のストーリーがこのヨーネーノ勲書の第一章から始まっているんですよ。
気づいているんでしょうか。
4つの勲書の中で、このヨハネの勲書、この著者ヨハネがきっと意図的に我々がメシアに出会った、キリストに出会った人々の証言、いわゆるお証し、
それがどれだけ大事なものなのかを意図的に書いていると考えられます。
それを整理していますと、証言は証言を生み、証言はイエスの人を生み、証言はその人をイエスに導くと言えると思います。
この証言を幅広く言うならば、お証しと言っていいでしょう。
あるいは今風に言うならば、口コミと言っても少し似ているかもしれません。
今日の御言葉の35節からまず一緒に見ていきたいと思います。
35節、私が読みします。
その翌日、またヨハネは二人の弟子と共に立っていたが、イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊。」と言った。
二人の弟子は彼がそういうのを聞いて、イエスについて行った。
よくご覧ください。今日は言葉、語る、聞く、この三つのことに注目していただきたいです。
まず、バプテスマのヨハネには弟子が大勢いました。
06:01
なぜかこの日は二人の弟子と一緒にいました。
そしてちょうどそのところイエス様が通られたわけですね。
それを見て、その二人の弟子と一緒にいたときに、このバプテスマのヨハネが、「見よ、神の子羊。」と言いました。
これが短い言葉ですけれども、これがバプテスマのヨハネの証言なんですね。
彼は神の子羊に出会ったから、「見よ、あの方が神の子羊ですよ。」と証言をしてあげました。
そしてそのヨハネの言うのを聞いた二人はどうなりましたか、皆さん。
37節を見たら、「イエスについて行った。」とあるんです。
さあ、この二人が誰なのか、前後の文脈から言いますと、ペテロとアンデレアンです。
それが40節にこうありますね。
ヨハネから聞いて、イエスについて行った二人のうちの一人は、誰ですか。
シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
いろいろ伝承によりますと、この二人の誰が兄で誰が弟なのか、聖書ははっきり語っていないんですけれども、
いろいろな事情で、ペテロが兄だろうと考えられています。
いずれにしても、皆さん、この流れ、順序と言いましょうか、この流れをよく注目して考えていただきたいです。
パプテスマ・ヨハネの弟子の多くの人の中で、ペテロとアンデレは、
イエス様を証言するパプテスマのヨハネの証言を聞きました。
聞くということは、語るものがいたわけなんですよね。
語った言葉がある、証言があったということなんです。
そしてその証言を聞いて、聖霊の感動を受けて、
そしてその証言によって、その証言が指すイエス様に出会って、
この二人はイエス様の弟子になったのです。
ところが、このペテロとヨハネがイエス様についていって弟子になるこの状況を、
40節から42節よくご覧ください。
40節をまずご覧ください。
ヨハネから聞いて、ここにまた聞くという言葉が出てくるんですね。
聞きました。
09:01
つまりそれはヨハネが語ったということなんです。
証言をしたということなんです。
だから聞くわけなんですね。
イエスについていった二人のうちの一人は、
シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
弟アンデレが、まず誰に行きますか皆さん、41節を見たら、
彼はまず自分の兄弟、お兄さんシモンを見つけて、どう言いましたか。
私たちはメシアに会ったと言いました。
私たちはメシアに会った。
お兄さん、私はメシアに会いましたよ。
そのメシアはあの旧約聖書に語っているあのメシアなんですよ。
そのキリストに私たちは出会いましたよ。
と、弟アンデレはお兄さんのペテロに証言をしたわけなんですよ。
これが証言、お証と言えるでしょう。
さあ、パプテスマのヨハネの証言を聞いて、
イエス様に出会って、イエス様の弟子になったアンデレも、
何になりましたか。承認になりましたね。
そしてパプテスマのヨハネが言ったように、アンデレさんも、
私がメシアに出会いましたよ、と証言をしている、お証をしているわけなんですね。
ある先生はこれは連鎖証言と言いました。
証言が証言を生んで、証言が続くんですよ。
今日この流れをですね、私はこのようにまとめて言いたいと思います。
証言は証言を生み、証言は承認を生む。
わかりますか、皆さん。本当にその通りなんですよ。
パプテスマのヨハネの証言が誰を生みましたか。アンデレを生みました。
そしてそのアンデレはイエス様の弟子になったんです。
そしてそのアンデレはまた自分から証言をして、ペテロに私たちはメシアに出会いました、と。
もちろんですね、多分他の言葉も言ったでしょうね。
イエス様について自分が出会ったイエス様の話、あるいはパプテスマのヨハネから聞いたその証言もカタカタと思うんですけれども、
この著者のヨハネはその他の一番大事な肝心なところ、私たちはメシアにあった、ということだけですね、記録している。
一番重要な証言だと思います。私たちはメシアにあった。
12:02
メシアはですね、41節に書かれているように訳して言えばキリストですね。
メシアはヘブライ語、キリストはギリシア語、二つも救い主を意味します。
ですから皆さん、アンデレは兄ペテロに私たちは救い主に会いましたよ。私が救い主、メシアに会いましたよ、とですね、証言をしたんです。
お明かしをしたんです。今ここにいれば口コミをしてあげるんですね。
そしてそれだけではありませんよ。その次の42節をご覧ください。42節。
彼はアンデレですね。アンデレはシモンを、お兄さんね、シモンをイエスのもとに連れてきた、とあるんですね。
さあ、ここですね、もう一つの大事なポイントを私たちは知ることができます。
誰かをイエスのもとに連れていくこと。誰かをイエスのもとに連れていくこと。
さあ、ここで二つのステップが出てくるんですね。福音伝道の第一のステップは、私がメシアに会いましたよ、と証言をすること。それが第一のステップです。
そして誰かをイエスのもとに連れていくこと。それが福音伝道の第二のステップなんです。
実はシンプルで簡単なんですね。アンデレはですね、ペテロにですね、聖書を開いて教えたわけでもありませんよ。
説教したわけでもありませんよ。ただ簡単に私がメシアに会いました、そしてそのお兄ちゃんをイエスのもとに連れてきた。
簡単にまとめるならば、これは二つしかない。二つだけなんです。
皆さん、これが福音伝道ではないでしょうか。こう見ますと、私たちは一生涯のうちに少なくとも一人以上の人に、私はキリストにお会いしました。
私はメシアにお会いしました、とこのアンデレのように証言をする、お渡しをする人でありたいと願っております。
そしてその人でもいいでしょう。あるいは他の人でもいいでしょう。一人でも多くの人々をイエスのもとに連れていくこと。
そういうクリチャンでありたいと願っております。
そして時には私たちも、このアンデレのように福音のメッシを持つクリチャンでありたいと願っております。
皆さん、皆さんの周り、まずは家族から始まって、友人の方々、知人の方々、あるいは街の皆さんのお住まいの近所の方々。
15:14
実は心の中に植えかわいている人々が大勢いると思います。真理を求めている人々が大勢いると思います。
あるいは悩みを抱えて苦しんでいる人々、心を痛めている人々が大勢いると思うんですね。
そういう人々に出会って、私はメシアにお会いしました、私はキリストにお会いしました、と証言をしましょう。
そしてアンデレがしたように、その方々を教会に、礼拝に、イエス様のもとに連れて行こうではありませんか。
そうしますと、必ず主がその人に出会ってくださるんです。
もしアンデレさんが、自分はメシアに出会ったんだけれども、家族にそういうのはちょっと難しいなと、
いつか何とかお兄さんもイエス様を信じればいいなと思って、私はメシアに出会ったとは言わない。
イエス様のもとに連れて行こうとしない。
ならば、この偉大な使徒ペテルは誕生しなかったかもしれません。覚えていただきたいですか。
皆さんが誰かに、どなたかにイエス様のことを証言するならば、神様のことを明かし、口コミをするならば、
そしてまた誰かをイエス様のもとに連れて行くならば、それはこの世の中で神様が最も喜ばれることではないでしょう。
皆さん、皆さんが誰かにイエス様のこと、神様のことをアンデレのように証言して、
その証言によってペテルのような素晴らしい人物が誕生するか、誰かわかりますか。知りませんよ。
皆さんが教会に連れてきた方々、礼拝に連れてきたその方々の中に神の素晴らしい伝道者が生まれるか、誰かわかりますか。わからないです。
もちろんペテルとかピリポのような偉大な弟子じゃなくても、
もしも皆さんの証言によって、誰かを教会に連れてきたその働きによってその魂が救われならば、その証言は偉大なものです。素晴らしいものであります。
神様が働いてくださるならば、私たちの小さな表現、小さなお証を誰かを教会に連れてくるそのことを神様が自ら働いてくださるわけです。
18:08
それを信じて諦めずにやり続けていきたい。証言をすること、イエス様のもとに連れていくことを諦めずに粘り強くやっていきたい。
昔の話ですけれども、私が大学生の時に、わりと熱心に伝道していたわけなんですね。
伝道して、イエス様を信じた友達が何人かいましたけれども、その中の一人が今は牧師になって、フィリピンで選挙士で選挙活動をしている。
キム牧師ですけれどね、彼は。専門が同じだから日本語を習ったのに、日本で選挙をしたらいいのに、なぜかフィリピンにいてますけれども。
彼が伝道する時には、なかなか断られて断られて、仲は良かったんですけどね。
でも何とか彼を捕まって、空いている教室に行って、聖書を開いて、聖書を教えたり祈ったり、何とかして、少なくともこの一人が救われたらいいなと。
そしたら神の前に立たされた時に、一人は救われたなと面目を立つかもしれないなと思って、一生懸命彼を捕まって伝道して。
でも彼が牧師になるとは夢にも思えませんでした。証言がまだ皆さん続いていますよ。聖書に戻りましょう。
そのようにアンデレは、自分のお兄さんシモンに証言をして、シモン・ペテロをイエスのもとに連れてきたんですね。
そしたら42節を見ますと、イエスはシモンに目を止めて言われた。
あなたを呼ばねえの子、シモンです。あなたをケパ、訳すとペテロと呼ぶことにします。
43節一緒に読みたいと思います。
44節私は読みますね。
ピリポはレツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であったとあるんですね。
たぶんこの文脈の前後から見ますと、アンデレさんは自分のお兄さんペテロだけに証言をしたわけではないと思うんですね。
21:00
ペテロの他の多くの人々、自分の町のレツサイダとその同じ町の人々に、あるいはガリラ屋の人々に、自分のお兄さんペテロに言ったように、
アンデレは私がメシアに会いました、私がメシアに会いました、会う人にですね、そう言ってですね。
そしてその話を聞いてイエス様の弟子になったペテロも、今度は二人ですね、二人がいとふみになってですね、
イエス様に出会いましたよ、あの旧約聖書を言っているあのメシアに会いましたよ、あなたも会ってみませんか、とよくよく証言したのではないでしょうか。
その多くの人々の中に、きっとこのピリポさんもいると思うわけなんですね。
なぜかそのそこにピリポさんがですね、現れて、こう見ますと、証言は証言を生みますね、証言は証人を生みますよ。
パプテスマのヨハネの証言によってアンデレさんが誕生した。
あのアンデレの証言によってペテロさんが誕生した。
そして今度はペテロとアンデレの証言によってこのピリポさんがイエス様を信じるようになったわけなんです。
皆さん覚えていただきたいですが、私たちが日頃誰かに神様についてイエス様について証言をするならば、それは決して無になることもありませんし、無意味になることもありません。
消えることは決してありません。
神様が聞いてくださる、精霊様が聞いてくださる、そして身を結ばせてくださることを信じてください。
ですから皆さん、諦めないで、時が良くても悪くても、このパプテスマのヨハネのように、アンデレのように、ペテロのように、イエス様について、神様について、メシアについて証言を、あるいはお証しをしようではありませんか。
していこうではありませんか。
口コミの話をちょっとしたいと思います。
他の国より日本はですね、口コミの社会だと思うんですね。
私がそれを経験したことがあり、今も経験している中ですけれども、毎年ですね、今は11月の頭に、あの、
日本牧会社セミナーが始まって6年前でしょうね、もう6年、7年前になっていますけれども、その最初の頃はですね、そのお世話をしてくださる福岡教会の横田卓之先生がですね、
クリスチャン新聞にも広告を出したり、教団の先生方に、あるいは先生は幅広いですけど、多くの先生方にですね、電話をしたり、メールを送ってですね、
24:08
行きませんか、素晴らしいことですよ、行きませんか、ですね、何度もお願いしてもですね、あんまり関心がない。
最初の頃はですよ、もちろんそれぞれ事情は終わりですけれども、なかなかですね、ついてきてくれないんです。
それで最初はですね、40人定員にしてもですね、一番少ないときは20人もあったりしましたね。
でもですね、それが1年経って、2年経って、4年経って、1回、2回参加された方々が、その方々が今度は口コミをするようになってですね、
その方々が、他の後輩や先輩や周りのですね、先生方に、いやこのセミナー素晴らしいですよ、とても恵まれましたよ、本当にたくさん教えられましたよ、
口コミがですね、広かったらですね、3年前からは、もう定員オーバーになって、キャンセル待ちになっている、今。
今年ももうすでにですね、もう3月に満席になって、キャンセル待ちになっている。
今はですね、その方々に、その横田先生が申し訳ないです、キャンセル待ちです、昔はあの方に行ってくれませんかとお願いする、今はちょっとお待ちくださいね、というようになってしまった。
口コミの社会ですね、ある意味で。
ところが、これを私たちが福音年道によく活用したらどうでしょうか。
もしですね、街のどこかでですね、通る人々に、私が、イエス様が本当に大事な方ですよ、私はイエス様に出会いました、その方こそ救い主です、と叫ぶことも年道ですよ。
ところが、皆さんが信頼して、皆さんを信頼している方々、皆さんのことをよく知っている方々、
それが会社の人であるかもしれません。街の誰かも、誰であるかもしれません。お知り合いの方かもしれません。
その方々に、皆さんが、このアンデレのように、ペペロのように、私が会ったイエス様にあなたも会ってみませんか。
あなたも一緒に行きませんか。イエス様のところに一緒に行きませんか、と皆さんが口コミをするならばですね、
そこからですね、それが証言になるわけなんです。
ちょっと寒そうですので、ちょっと温度を調節した後から話をしましょう。
27度にしていただけますか。ちょっとね、寒そうですので。
27:17
それでは、証言は証言を生みます。証言は証人を生みます。
他のことは忘れても、この二つの言葉をぜひ覚えていただきたい。
パプテスマ・ヨハネの証言は、あの偉大な使徒アンデレを生みました。
アンデレの証人は、自分のお兄さんペペロを偉大な使徒にする種になりました。
そして、ペペロとアンデレは同じ出身の町の人々の中のピリポに生下をして、
そのピリポはまたイエス様の弟子になる実が生まれました。
そしてですね、その後、もう一人の人が出てきます。
その人の名前は45節、誰ですか。マタナイルです。
45節ご覧ください。彼は誰ですか。ピリポですよ、ピリポ。
ピリポはマタナイルを見つけて行った。
私たちはモーセがリッポの中に書き、有言者たちも書いている方に会いました。
さあ、よく見たらですね、アンデレがペペロに言った言葉とよく似ているんですね。そうでしょ。
私たちはモーセがリッポの中に書き、有言者たちも書いている方に会いました。
私たちもメシアに会いました。その通りなんです。
誰が誰に言いましたか。ピリポがマタナイルに言いました。
そしてその後見たらですね、このマタナイルは聖書には出てこないんですけれども、証言によりますと、
イエス様の弟子の中にバルトロマイという人がいるんですね。
その二人はマタナイルとバルトロマイは同じ人物ではないのかなという説もあったりするんですけれども、
いずれにしても皆さん、このここにはいわゆる神父の四代が誕生するんですよ。数えてみましょう皆さん。
バプテスマのユハネ、そしてペペロと、まずはアンデレにしましょう。アンデレ。そしてペペロ。
その二人によってピリポ。ピリポによってマタナイル、五代目ですね。素晴らしいでしょう。
だからですね、このユハネモク一章第一章には証言の書です。証の書です。
30:06
簡単に言いますと、私たちはメシアに会ったこれなんです。これが皆さん、証言の力なんです。
神様は聞いておられる。聖様は聞いておられる。そしてその言葉を用いてくださって、その言葉を聞く人の魂を神様が捉えてくださって、
救ってくださる働きがそこにあるんです。私たちは今日、証言の素晴らしい力をここで私たちは知ることができます。
皆さんですから、皆さんが日ごろ、家庭でも町でもどこででもですね、
皆さんが神様とイエス様と聖霊様について証言をするならば、お証をするならば、神様がその言葉を、証言を聞いていてくださる。
そしてその証言をお証を用いて救ってくださる。福音伝道は難しいことではありません。
神戸の技術や博士レベルのですね、聖書を知らなければならない。そんなことはないのです。
アンデレは兄に証言をしました。ペテロとアンデレは同じ出身のピリポに証言をしました。ピリポは知り合いのナパナエルに証言をしました。
皆さん、遠く行かなくていいんです。近くの人々から始めていいんです。そして大事なのは証言は言葉です。
私はメシアにあった。この言葉によって、それを聞いてイエス様についていく。そこに救いが起こるんですね。
ですから皆さん、自分の力によるものではありません。一度連れてきても何も起こらないかもしれません。
しかし諦めないで、二回、三回、四回、諦めないでイエス様のもとに連れてくるならば、そこに必ず救いの目当が起こることを信じます。
ですから皆さん、今日から皆さんもお会いになる方々に、私はメシアに会いましたよ。あなたも会ってみませんか?と証言をしてください。
クリシャンが一生がいい、積むことができる大きな大きな働き、神様が喜ばれる技があるならば、それは神についてイエス様について証言をすることではないでしょうか。
33:02
メッセージをあげたいと思います。証言は証言をおみます。そして証言は証人をおみます。そしてそこに必ず救いが起こります。
アメン。お祈りしましょう。
33:17

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