00:01
ご着席ください。
聖書を読みいたします。
今日の箇所は、新約聖書、ページは374ページ。
後ろの方の新約聖書、374ページ。
エペソビトへの手紙、2章の1節から10節まで。
エペソビトへの手紙、2章の1節から10節まで。
お読みいたします。
エペソビトへの手紙、2章、1節。
あなた方は、自分の罪かと罪との中に死んでいたものであって、
その頃は、それらの罪の中にあって、この世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として、今も不従順の子らの中に働いている、
例に従って歩んでいました。
私たちも皆、かつては、不従順の子らの中にあって、
自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むまま行い、
他の人たちと同じように生まれながら、身怒りを受けるべき子らでした。
しかし、哀れみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪かの中に死んでいたこの私たちをキリストと共に生かし、
あなた方が救われたのは、ただ恵みによるのです。
キリストイエスにおいて、共によみがえらせ、
共に天のところに座らせて下さいました。
それは、後に来る世々において、この優れた豊かな御恵みを、
キリストイエスにおいて私たちに賜る慈愛によって、
明らかにお示しになるためでした。
あなた方は、恵みのゆえに信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出た言葉ではなく、
神からの賜物です。
行いによるのではありません。
誰も誇ることのないためです。
私たちは神の作品であって、
良い行いをするためにキリストイエスにあって作られたのです。
神は私たちが良い行いに歩むように、
その良い行いをもあらかじめ備えて下さったのです。
以上です。
聖歌体に賛美していただきます。
新聖歌409番。
その後、内田牧師より聖書が語る人生の目的と題して、
メッセージしていただきます。
03:26
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
聖歌体に賛美していただきます。
06:15
みなさんおはようございます。
今日もまた、見言葉をいただきます。
その前に一言、お祈りをさせていただきます。
いただきます あなたの御言葉は いかに我が顎に甘いことでしょう
蜜に勝って我が口に甘いのです あなたの御言葉は我が足の灯火
我が道の光です 恵み深い天の父なる 神様こうして六月もここまで支え
られてまいりましたことを感謝 をいたします 一日一日また一週
一週をあなたが支えてくださり そしてあなたとともに歩めました
幸いをありがとうございますきょう もまたこの六月第四の聖日をここ
にあなたとともに捧げ礼拝を捧げ そしてあなたの愛されるお一人
お一人とともに時と場所を一つ にして礼拝を捧げるこの恵みを
ありがとうございます こうして夏に 向かおうとしております日ごと
に暑さを増してきますが神様 どうぞあなたをこよなく愛しそして
あなたの恵みをいただいております が体の弱気を覚えるときもあります
が神様どうぞそのときには休み を与えてくださりまた力をいただ
いてあなたに奉仕することができる ように私たちをお支えくださいます
ようにお願いいたします こうして ここにお送りくださり集えた私たち
をどうぞこの場にあってあなたが 礼拝へとお導いてくださいます
ようにしかし弱気を覚えまたいろいろな 事情でここに来れなかった兄弟姉妹
方のうちにもどうぞあなたが届 いてくださいますようにその場
をあなたを覚えまた礼拝賛美する ときとしてくださるようにお願いいたします
今からあなたの御言葉を待ち望み ますどうぞ聖書を通してあなたの
御旨を教えてくださいまた知らなかった ことをもあなたが悟してくださり
そして陽気に導いてくださいます ようにお願いいたします語ります
物乏しくまた小さいものであります から憐れみをもって最後までお
支えくださいますように全てを おえだねをして主爵様の尊い皆
09:04
によってお祈りいたします アーメン この教会では一月の一週は伝道
礼拝というような名目でこれまで なさっておられたということを
聞きまして少しほかの週とは趣 がちょっと違いますがそういうことを
念頭においてきょうのテーマを 聖書が語る人生の目的という少し
固いそういうタイトルがついて おりますが話す内容は決して固
くありませんのでともに御言葉 に耳を傾けてまいりたいと思います
ある人の質問なんですけれども 私たち人間にとってこの人生には
生まれながらの目的といったもの があるのでしょうかというような
ことですね 人生の目的私たちは 日ごろ自分が生きる目的あるいは
生かされている目的あるいは自分 はなぜ生きているのだろうかそんな
ことを考えながら生きている人 はいないと思うんですねそういうこと
は哲学者に任せておけばいいこと であって哲学者というのはいつも
そんなことを考えているよう ですね自分はどこから来てそして
今どこにいてそしてどこへ行くん だろうか自分の存在とは一体何
だろうかそういうことをずっと 考えながら過ごしてそれがまた
仕事のような人たちですねある 哲学者がそのように毎日毎日自分の
存在というようなものを考えながら 過ごしていたわけですねそして
外に出ても道を歩きながらもそういう ことを考えていた自分の存在とは
何かもう我を忘れるぐらいに考 えていくそれが哲学者ですが道
を歩きそしてやがて公園に来た わけですねそしてやがて公園の
中の花壇に入ってしまったわけ ですねそれでも考え続けている
そしてその公園の花壇の管理人 がそれを見つけておいお前自分
が一体今どこにいるのかわかっている のかと言われたその哲学者ああ
それさえわかればとなおも考え 続けながら公園を去っていった
と言うんですねそれぐらい自分 の存在一体自分はどこから来て
12:04
今どこにいてそして何をしてそして どこへ行くんだろうかそして人生
の目的とは一体何だろうかそんな ことを考えるわけですが私たちは
そういうことを日頃考えながら 生きてはいませんけれどもしかし
その質問に対してきちっと答え を持っているのと持っていない
とでは大きな違いだと思うんですね 人生の目的なぜ自分は生まれて
きてなぜ生きてそして何のために 生かされているんだろうか生きて
いるんだろうか私たちがいろいろ 調べますと世界の七不思議という
ものがあるようでしてとても 珍しい建物とかそういうつくら
れた建造物があるエジプトのピラミッド にしろロードストの何か像にしろ
いろいろなものがあるわけですね バンディの頂上にしろどういう
ふうにつくられたのかなということ を私たちはそれを知ろうとして
いろいろな人がそれに携わるんです が間違いなく言えることは誰か
がそれをつくったということですね どういうふうにつくったのかそれを
いろいろな人が調べていますが 誰かがつくったことそれは間違い
ないつくり主がいるんだもちろん 一人ではないと思いますが誰か
がつくっただからそこにそういう ものが存在している勝手にピラミッド
ができたり勝手に石像ができたり バンディの頂上が知らぬ間にでき
ていたそんなことはないわけです おおよそ私たちの身の回りにある
ものそれは誰かがつくったあるいは 誰かによってつくられたという
のは当然のことであります皆さん が座っておられる椅子これもつくった
人がいるわけですねピアノにしろ マイクロフォンにしろみんな誰か
あるいは工場であってもそこに 携わる人たちがつくったわけですね
ですからそこに存在しているそれと もう一つはつくった人たちは必ず
目的を持ってつくっているこれも 当然といえば当然ですよね椅子
であればそこに座っていただく ピアノであれば音を出すそれを
音楽のために用いるそういうような 目的を持ってつくっているということは
わかるわけですねですからそういう ことを含めてきょう私たちも人生
の目的というものを見てみたい と思うんですねキーワードは何々
のために何々のためにつくられた というそのことを覚えながら見て
15:04
みたいと思うんですね私たちは なぜ生まれてきてなぜ生きている
のかなぜ生かされているのかそして その目的は何だろうか日ごろそういう
ことは考えてはいませんけれども やはり私たちは間違いなく目的
があるんだもしその目的という ものがないとするならば私たちの
生きているそれは一体どういう 意味があるんだろうか中にはもう
そんなことどうでもいいじゃない ですかもう楽しくそして気楽にやって
いきましょうよとそういうことも いいと思うんですねでもそういう
ときにもちゃんと目的なぜ私たち は私は生きているのかという目的
というものを知った上でそういう ものを見ていくそれは大事だと思
うんですね私たちのこの人生には 必ず目的あるいは意味がなければ
ならないなかったら大変だそういう ふうに思うんですね決して私たちの
この命が軽く扱われないように 命の尊さというものをお祈りの
中にもありましたようにこのとき ほど私たちが知らされているとき
はないわけですねとするならば 私たちも生かされている生きている
その人生にも必ず意味や目的が あるはずですねですからその人生
の目的意味というものを清楚に 聞いてみたいとそう願うわけであります
まず私たちに人生の目的あるいは 意味があるのかどうかそれは先
ほども言いましたように私たち が偶然にできたあるいはそこから
進化した生物に過ぎないとする ならばそこには目的はないでしょう
つくった人がいないということ は目的もないということですね
人間が偶然にできたとするならば そこには創造者もいないし当然
目的もないしかし誰かが創造した そしてその創造者が目的を与えて
それをつくったんだということ がはっきりするならば私たちが
生きている意味目的がはっきり するわけです私たちはそれを聖書
に聞くわけですね聖書の創世紀 の第一章神は天と地をつくられた
18:01
そして神は人をもつくり一章の 二十七節神は人を御自身の形として
創造されたここに神は人を創造 されたそして神の形として彼を
創造し男と女とに彼らを創造された 繰り返し繰り返し神は人を創造
ですから人間としての私たちの 作り主は神そして創造者創造者
がいるならその創造者は目的を 持ってそのものをつくったんだ
それがはっきりするわけですです からもし自分の人生には意味も
ないんだ目的もないんだとする ならばその創造者がその人には
ないということですね創造者が なければ当然自分の生きている
意味も目的もわからないということ になりますしかし私たちの与え
られている生涯一生というもの を必ず目的があるわけですもちろん
私たちが日々目指している何か 目標とかそれぞれの個人個人の
目標ビジョンあるいは夢そういう ものとは少し意味が違いますが
人間が神によってつくられたこと の目的意味そういう意味でより
大元の目的ですねその目的はこの 聖書に書かれてあるように神が
人を創造したというここにある わけですおそらく中に自分は一体
なぜ生きているのかなぜ生かされている のかそして私が生まれてきた目的
あるいは生きている目的がわからない というそして悩んでおられる人
がもしいるとするならばここに 原因があると思うんですね自分
を人間として自分がつくられた 創造者とその創造者の目的がわか
っていないからだと言えるわけ ですそして神様は全ての生き物に
その目的を持って創造をなさった わけですがまず第一に私たちは
もう一度聖書に帰りますが一章 の二十八節のこのところに第一
の目的もちろんおそらくほかにも たくさん目的があると思うんですが
きょうはそのうちの幾つか見て いきたいと思うんですが一章の
二十八節に神は彼らを祝福された 人間たちを祝福された神は彼ら
21:04
に仰せられた埋めよ増えよ地を 満たせ地を従えよ海の魚空の鳥
地を這う全ての生き物を支配せよ 支配せよとありますが別の訳では
地を納めよということですね地を 納めよ支配せよというと何か支配
的な権威的なそういうニュアンス がありますけれども地を納めよ
ということです管理してそれを 正しく納めなさいというこれが
まず第一の人間たちに与えられている 目的であろうというわけです全て
の神様がつくったものを人間たち が正しく管理して納めなさいそれが
まず第一の人間に与えられた目的 神様が創造されたものは創世記
にありますように自然のものあるいは 生き物そういうものがあるわけ
ですがそして人間も創られたそして 人間たちが生きているこの人間
の社会お互いあるいはその人間 たちの一番小さな社会であるその
家庭そういうものを正しく管理 して納めることそれが人間に与え
られた目的であろうというわけです 例えば映画とか劇にたとえます
と創造者はいわゆるシナリオライター 全部計画してつくろうつくるわけ
ですただしそれをきちっと監督 する人がいるわけですなぜかと
いいますとそこには演じる役者 さんがいるわけですからその人たち
が正しく演じることができるように それをきちっと全体を管理して
そして監督して作品を一つの作品 としてシナリオライターの描いた
ようなものに導いていくそういう 働き総監督にあたるようなそういう
目的が人間に与えられているんだ この世にある全ての自然のもの生き物
一切のものを人間たちが委ねられて それを正しく納めていくそれが
一つの目的である決して全ての ものを自分のものにしようとしたり
征服したりここにありましたような 支配するとかそういうものではなく
きちっとそれを納めていくそれが 人間に与えられた目的であり務め
であるもちろん監督にしろ役者 さんいろいろな働き人そういう
人とうまくそれを納めていくためには 調和しなければならないあるいは
24:01
秩序が保たれていかないといけない そういうこともありますですから
全てを委ねられている人間たち も自然との調和あるいはそこに
与えられている生き物人間同士 もそうですがそういう中での調和
あるいは秩序を保って正しくそれを 管理し納めていくこれが人間に
与えられた人生の目的そしてその 正しく納めるというその目的を
見失ってしまうと人間は暴走して しまいますし自然を破壊してしまいます
しそして人間社会のあるいは家庭 のそういう秩序調和も崩れていって
しまうですから決して神様が人間 をお作りになって人間に与えた
この自然と生き物そしてお互い 人間同士が正しく管理されそして
導かれ納めることができるように というその目的を果たしていく
ことが私たちに与えられた務め であるまたそれが生きている意味
なのだ 二つ目の目的はエペソビトへの
手紙の二章の先ほど読んでいただき ました二章の十節の言葉ここにある
と思います私たちは神の作品であって 良い行いをするためにイエスキリスト
イエスにあって作られたのです 神は私たちが良い行いに歩むように
その良い行いをもあらかじめ備 えてくださったのですここに良い
行いをするためにというここに 目的が表されています私たちの
今この聖書にその目的を聞く大前提 は神が人間を作られたということ
が前提になっているわけですその 神様が人間に与えたその目的それは
良い行いをするためにということ が書かれてあります それでは良い
行いとは何だろうか私たちはこういう ことが良い行いだああいうことが
良い行いだしかしああいうこと は悪い行いだということを自分
自身で考えそして自分の経験で あるいは人から教えられたことを
通してそういう基準を決めるわけ ですが私たちは神の作品であって
私たちの創造者は神でありそして 神が私たちをつくったもう一つ
はキリストイエスにあってつく られたですから私たちに与えられている
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人生の目的の基準何が良い行い で何がいけない行いかという基準
は神様にあるあるいはイエスキリスト にあってというふうにそれは神様
に聞かないとわからないことですね 自分たちが勝手に良い行いだ悪い
行いだと決めつけないで神が望 まれる良い行い神が嫌われる悪い
行いそれを私たちは聖書に聞く ということですねなぜかという
と私たちの創り主は神であるから という大前提に立つからですね
ですから聖書を読む必要がそこに あるわけです聖書を読まないと
神様の基準に立っての良い行い というのは何かというのがわからない
わけです そういう意味で私たちは 神の作品であって良い行いをする
ためにキリストイエスにあって つくられたのですここに一つの
目的があります 私たちはこうして 人間としてつくられそして今ここに
生かしていただいています もちろん体もありそして心もあり
魂もあるんですが良い行いをする それは私たちの多くは体をもって
そういうことをするわけですね 行いということですからですから
私たちの体全てを用いて良い行い をするんだ口は人を励ますこと
あるいは神を褒めたたえること そういうことが良いことだ礼拝する
ことあるいは神様のために何か できることがあればそれをさせて
いただくことその良い行いという のはこの聖書に書かれてあるそれを
私たちはさせていただくそれが 私たちに神様が与えた目的である
決してこれを用いて悪いことを しないようにこれは悪いことを
行いであるからしてはいけません ということも聖書が書いてある
わけですね 例えばこの口を用いて悪口を呪う
人を呪うそれは悪いことだ神様 は私たちにそういう目的を与えて
つくったのではないそういうこと がわかるわけですこの頭特に頭脳
は良いものを想像したり良い考え をしたりそれを神様のために何か
30:01
用いる人々が喜ぶような助けになる ようなことを考え出すための能力
としてそれを備えられている決して 知識を用いて何か悪いことをしよう
破壊的なことをしようそういうこと に用いてはいけない当然といえば
当然そういうことですねですから 私たちは神様から託されたもの
あるいは与えられたものそういう ものを全部用いて良い行いのために
それをしていくそれが何よりの 神様が人間に与えた目的である
私たちは神の作品であって良い 行いをするためにキリストイエス
にあってつくられたのです神は 私たちが良い行いに歩むように
その良い行いをもあらかじめ備 えてくださったのですこういう
ふうにして私たちは一つ一つ人間 に与えられた人生の目的という
ものを見ているわけですがある 人が学生に尋ねたわけですがあなた
はなぜそんなに一生懸命勉強している のですか学生は答えましたそれは
さらに良い学校に入るためです そうですかそれじゃなぜ良い学校
に入るんですかそれは良い会社 に入るためですそうですかそれ
じゃなぜ良い会社に入るんですか それは良い条件で良い暮らしを
するためですそうですかそれじゃ 良い暮らしをしてそれからどう
するんですか学生はその後続かなかった わけですね良い暮らしをしてそして
どうするんですかあるいはそれは 何のためですかという意味でも
あるわけですね学生はもちろん 目先の良い学校良い会社良い暮らし
をするそういう目先の目的は知って おったしかし自分が生きてあるいは
一生懸命勉強してそして生きている という大事な大事な本当の目的
というものがわかっていなかった わけですねですからそこに目が
開かれて彼は初めて何のために 生きているのかということを考え
たというんですね私たちが神様 の作品としてつくられそして何の
ために生きているのか人生の目的 とは何かもうこれがおそらく総括
的な人間たちの目的であろうという のが同じエペソビトへの手紙の
33:05
十章のごめんなさい一章のエペソビト への手紙の一章の十二節一章十二
節にそれは前からキリストに望み を置いていた私たちが神の栄光
を褒めたたえるためです神の栄光 を褒めたたえるためですここにも
何のためにというのがあります これが全てのものを総括した人生
の目的人間が与えられている目的 神様の栄光を褒めたたえるため
であるもちろんそこには私たち をお作りになった創造主なる神
様というものを自分が信じてそして その方が与えた私たちへの目的
ということが大前提になります がこれが究極の目的であろう私たちは
神の栄光を表すために神様が喜ば れるために神様が人間たちをよく
やったお前たちのおかげでこの 創造主である私もうれしい椅子
をつくった方が誰かがその椅子 に座ってこの椅子本当に心地よく
座れて休むことができたと言って くださったらその創造主は本当に
うれしいわけです創造主として の妙麗に尽きるというんでしょうか
そういうものがそういうことが 言えると思うんですね全てにおいて
そうですつくったものがその創 ったものがその栄光を表すということ
ですねそういうふうに人間たち も自分が何かできることをさせて
いただく聖書に書かれてあるそういう ものを私たちが何とかそれを一つ
でもしようとするできないこと もあるしできることもあるしできる
ことはさせていただいて誰かが あなたのおかげで助かったあなた
がいてくれてうれしいもし人間たち がお互いにそういうことが言い合う
ことができたらその本人もうれしい しかし何よりもその人間をつくった
神様がその栄光を囮になるわけ です神様は人間をつくってよかった
あなたをつくってよかったあなた をつくってよかったそういうふう
にして私たちもつくられたもの としてつくっていただいた神様
に栄光をお返ししよう私の持てる ものであるいは託されたもので
与えられているものでよい行い をしあるいは神様が喜ばれる
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だろうということが聖書に書かれて あるならそれを忠実にしていこう
決して神様の悲しませるような こと嫌がることはしないように
しておこうあるいはもししてしま ったら神様に素直に謝ろうそういう
ことを人間たちがしていくこと それが何よりの私たち人間の生きる
目的なのだ神に栄光をあらわす ため神様は栄光を囮になるため
それはお互い人間たちがお互い を見合ってそういうことを言うわけ
ですねですから私たちがこの世に 存在しているそれは与えられた人格
や身体そういうものを通して神 様に栄光をお返ししよう神様が
喜ばれるものをしていこうそして 神様を喜ばせようと一生懸命その
目的を果たしていくそのことが または人間たちの喜びであり満た
されることですねそういうふう に人間というのは作られている
んだ人間たちが満足し幸いを得 喜びそれを見ている創造主なる
神様がそれを喜ばれるですから 逆にその目的を果たそうとしない
ならば神様の栄光を汚すことになり 神様はそれを悲しまれるそして
自らの存在というものも癒しめて しまうそんなことは決してあって
はいけないもちろん私たちは人 それぞれ与えられているもの環境
違いますから決して人と比べて あの人と自分はとかいうそういう
ものではない自分が与えられている もの自分の存在全てを通して何か
神様に喜んでいただけること神 様に栄光をお返しできることがある
ならばそれをさせていただくそれが 私たちの何よりの生きる目的であり
人生の目的でありもちろん哲学者 のようにいつもいつもそんなことを
考えながら生きる必要はありません しかし私たちがやがて自分の生涯
を振り返ってみるときがあると思 うんですねそれはいつかわかりません
が自分の人生はこれまで生きて きた日々はどうだったろうかその
ときに自分は何のために生きて きたのかなそういうつぶやきの
ような嘆きのようなことが決してない ように自分はこの生涯神様の栄光
39:06
のためにというそういう難しい 言葉ではなくても神様が喜んで
くださること一つでも二つでも 自分はできたそうするならばもう
その与えられた生涯は本当に良き 生涯であったんだそういうふう
に感謝して私たちこれからの日々 も過ごしてまいりましょうお祈り
します それは前からキリストに望み を置いていた私たちが神の栄光
を褒め称えるためです 恵み深い 天の父なる神様きょう御言葉を
通してあなたが人間たちまた私たち に与えてくださった生きる目的
をもう一度覚えることができて 感謝をいたしますどうぞ聖書に
書かれてあるあなたが喜ばれる 良い行いをしていくことができる
ようにそれを日々あなたが示して くださってまたそれに従っていく
ことができるように何よりもあなた が喜ばれることそれは神とともに
歩むことですどうぞ何ができなくても あなたを褒め称えあなたを愛し
あなたの良き下辺としてこのキリスト イエスにあって救われたことを
感謝するものとして日々導いて くださるようにイエス様の尊い
皆によってお祈りいたします アーメン