1. 名谷教会 podcast
  2. 2012/08/05:聖日礼拝(旧音源)
2012-08-05 41:20

2012/08/05:聖日礼拝(旧音源)

2012/08/05 聖日礼拝(旧音源)


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ご着席ください。本日の聖書を朗読していただきます。
聖書の箇所は、新約聖書エペソビトへの手紙2章の11節から16節までです。
新約聖書は375ページとなっています。新約聖書の375ページをお開きください。
では、藤田兄弟、よろしくお願いいたします。
お読みします。
ですから、思い出してください。
あなた方は、以前は肉において妖人でした。
すなわち、肉において人の手による、いわゆる活霊を持つ人々からは、無活霊の人々と呼ばれるものであって、
その頃のあなた方は、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
しかし以前は遠く離れていたあなた方も、今ではキリストイエスの中にあることにより、キリストの地によって近いものとされたのです。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、枝手の壁を打ち壊し、ご自分の肉において敵意を廃棄された方です。
敵意とは、様々な規制から慣れ立っている忌ましめへの一方なのです。
このことは、二つのものをご自身において、新しい一人の一人に作り上げて、平和を実現するためであり、また両者を一つの体とし、十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました。以上です。
では聖火体に賛美を捧げていただきましょう。
歌っていただく曲は、新聖火の432番です。
聖火体の賛美の後、内田牧師より、平和を願う祈りと題してメッセージをしていただきます。
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聖火体の賛美の後、内田牧師より、平和を願う祈りと題してメッセージをしてメッセージをしていただきます。
聖火体の賛美の後、内田牧師より、平和を願う祈りと題してメッセージをしてメッセージをしていただきます。
聖火体の賛美の後、内田牧師より、平和を願う祈りと題してメッセージをしてメッセージをしてメッセージをしていただきます。
聖火体の賛美の後、内田牧師より、平和を願う祈りと題してメッセージをしてメッセージをしてメッセージをしていただきます。
皆さんおはようございます 今日も御言葉をいただきますが
一言お祈りをさせていただきます 恵み深い天の父なる神様今日の
良き日をありがとうございます こうして私たちをこの水戸へと
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導いてくださりあなたを心から 礼拝を捧げる者の一人に加えて
くださったことを感謝をいたします 主は生きておられ今ここにともに
いましてこの礼拝を最後まで御 導きくださることを信じて委ね
ています 新しい月この八月を迎 えて第一聖日をここに取り行って
います私たちが主の導きによって 礼拝へと導いてくださり感謝を
いたします礼拝は人として最高 の務めであるそして人間が神の
礼を受けて人間としてくださった ことの証である心から覚えてこの
礼拝を捧げています主をどうぞ 清めてお受け入れくださるように
私たちの捧げる賛美をあなたが 受け入れてくださりまた私たち
がさらにあなたを主体求めてあなた とともに歩めるその生涯を導いて
くださるようにまた御言葉なく して私たちは一歩も歩みゆけません
ので神様どうぞきょうも御言葉 を通してあなたの御旨を教えて
くださるように特にきょうは平和 を覚えるときとしてまた願う祈り
を持ってあなたにこの礼拝を捧げます 日本には血潮のない戦争ということ
を経験いたしました既に六十数 年前のことでありますけれども
その傷は消えることはありません ですからこうして毎年のように
この夏のこのひとときもう一度 このことを覚えて礼拝を捧げる
ものであります時とともに戦争 を知らない世代が多くなっています
けれどもその者たちにも精霊が この戦争の悲惨さとまた愚かさ
を私たちにも伝えてくださるように お願いをいたします御言葉を通
してまたその主の恵みと祝福と に預かることができるようにどうぞ
一人一人を導いてくださいきょう 行われている日本中の礼拝また
世界中の礼拝が主の礼に満た された礼拝となりますように全て
を委ねて主キリストの皆によって お祈りをいたします アーメン 人間
にとって必要なものあるいは大切な ものというのは普段は余り意識
していないというのが多くあります 身近なところでは例えば空気だ
とか水だとかそういうものをいち いち意識しながら生きてはいない
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わけですでもそれは大切なもの 必要なものではいつそのものが
大切なものであって人間にとって なくてはならない必要なものなのか
それを知るのかいつ知るのかそれは 失くしたときに初めてその大切さ
必要であるということがわかる 私たちの身近ないつもともにいる
家族であるとかそういうものも 普段は意識はしていないでもいなく
なったときに初めてああ本当に ありがたい大切なものであった
そんなことを気づくわけであります なくして初めて知るその大切さ
必要性しかしもしそれが取り返し のつくものであるならばいいですけ
れども取り返しのつかないような ものであったとするならばその
犠牲というのは計り知ることのできない 私たちの傷であり痛みであります
平和というものもそうです私たち は今は平和ですですけれども
普段はそういうことは意識していない これが当然で当たり前だということ
で日々過ごしていますけれども それではいつ平和がありがたい
これは大切なものなんだそれを 知るのか平和をなくしたときに
初めて知るでもそのことを知る がために多くの人が犠牲になった
ではその犠牲になった人は取り 戻すことができるのかそれはもう
できない願わくはその大切なもの 必要なものをなくさないうちに
これは大切なのだ必要なのだ ということを学ぶ知ることができ
たら幸いであるそんなことを考え ながらこの礼拝を過ごしていき
たいとそう思うわけです 聖書 私たちは日々読んでいますが神
様が天地万物を創造なさったその 中にエデンの園というのもお作り
になってそこに人間を置かれた ということが書かれてあるわけ
ですそして神様はそれらの全て を御覧になって非常によかった
素晴らしいそのように仰せられた と書いてあります創世紀の一章
二章を読むときに神様が必要な ものを全て備えてそこに人間が
12:02
生きるようにということをされた ここに神様が人間をどれほど愛
しておられるかその神の愛がこの 一章二章にあふれているという
これがずっと続くように永遠に 続くように神様はそう願って天地
万物エデンの園そして人間を創 られたそのように書いてあるわけ
ですそこに平和平安がもう満ち ていたところが第三章に至って
蛇に姿を変えたそのサタンが現 れて人間を誘惑しその誘惑に負け
た人間が自分の作り主である神 様から離れてそして罪人となって
いくそういう経緯が書かれてある これが創世記の一章二章そして
三章からそのことをもう一度私たち は改めて覚えたいと思うわけです
きょうは八月六日の広島と八月 九日長崎に原爆が落とされたあの
昭和二十年一九四五年のそのとき のことをもう一度覚えながら話
を進めていきたいとそう願っている わけです私自身はまだ生まれて
いませんこの中にはそのことを 実際に知っておられるそのとき
生きておられた方もおられるかもし れませんしだんだんその当時の
ことを実際にそのとき日本にいて 過ごされた方も少なくなっていきます
けれどもこのことは決して忘れて はならない出来事でありますその
広島長崎に関しての資料という のはいろいろな形で見ることが
できると思いますたくさん本が 出ておりますしインターネット
で検索すればいろいろなものが 出てきますあるいは絵本なんか
でも紹介されています本当にその 体験談が生々しく書かれていたり
あるいは映像を通しても私たちは 知ることができるわけですこれは
決して他人事ではない実際に私たち の生きる住んでいるこの日本で
起こった出来事そのことを私たちは 改めて知る必要があります願わく
は実際に広島あるいは長崎の資料館 に行って学ぶのも一つかと思います
今年の夏は四年に一度のオリンピック がありまして世界中がその思い
15:05
がロンドンに行っておりますけれども このしばらくのときは私たちの
住むこの日本日本にもう一度思い を寄せて一九四五年の八月のあの
夏の日決して忘れてはならない そういう日があったのだということ
を覚えたいと願っているわけです せめて明日の六日と九日の日には
心から平和を願ってそして祈る ときを持ちたく願うわけであります
私たちは生きていく上で被害とか 災害というのを経験することがあります
ニュースでも見ますしかしその 被害とか災害には二つあろうか
と思うんですね一つは自然災害 台風だとかあるいは地震だとか
いわゆる自然現象によって災害 を被るというそういうものがあります
もう一つは人間がもたらす被害 災害それは人間が起こすものですから
先ようと思えば人間の思い一つで 避けられたものしかし人間がもた
らす災害もあるということですね これはもうわかろうかと思うん
ですがそのことを私たちは改めて 思うわけであります広島そして
長崎に原子爆弾が投下されたその ことによって多くの犠牲者を出した
この被害は自然災害ではありません 人間がもたらした人災であります
人間がもたらしたのであるならば 人間が先ようと思えば避け得た
ものでありますがしかし人間は 多くの犠牲者を出してしまった
先ようとすれば避け得たものが 避け得なかったここに一つの人間
の罪を見るわけです罪について 私たちは聖書からいろいろと学ぶ
わけでありますが人間は罪を犯す から罪人ではない人間は罪人だから
罪を犯すのです罪人がもたらす 罪とはいかなるものでしょうか
例えばローマ人への手紙の一章 にはこのように書いてあります
から聞いていてください彼らは 神を知っていながらその神を神
として崇めず感謝もせずかえって その思いは虚しくなりその無知
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な心は暗くなりました彼らはあらゆる 不義と悪とむさぼりと悪意とに
満ち妬みと殺意と争いと欺きと 悪巧みとでいっぱいである陰口
を言う者阻しる者神を憎む者人を 人と思わぬ者高ぶる者大言壮語
する者悪事を企む者親に逆らう もの脇前のない者約束を破る者
情け知らずの者慈愛のない者など などマルコの福音書の七章には
内側からすなわち人の心から出て くる者が人をけがすのです悪い
考え不貧乏盗み殺人関与欲横島 欺き高職妬み素尻高ぶり愚かさ
でありこれらの悪は皆内側から 出て人をけがすのですこういった
人間の内に潜む罪それが多くの 災いをもたなしそして多くの犠牲者
を生み出すなぜ人間はそういう 罪を持ちまたその罪のゆえに多く
の争いを起こしそして犠牲者を 出してしまう取り返しのつかない
ようなことをしてしまう人間は 罪人だからあるいは愚かである
からその一言では済まされない それほどの大きな犠牲者を出して
しまったということを私たちは 改めて思うわけであります その
人間の罪の一つとしてきょう考えて みたいのは欲ということです欲
人間が欲を持っているこれは神 様が与えてくださった欲という
ものでありますから決して全ての 欲が悪いものではありません欲
それがあるからこそ人間は生きても いけますし前にも進んでいける
欲がなかったら人間は生きていく ことができない大切な要素である
生きていく上で必要なものである そういうことも言えますしかし
その欲の中にもきょう考えたい のは支配欲というものであります
支配欲全て自分のものにしたい そういう欲が人間にあってそれが
応じて他人のあるいは他者の領域 にまで踏み込んでいってそれら
も全部自分のものにしたいそういう 支配欲というものがあるということ
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に私たちは気づくことがあります 聖書の中にもそういうものがありました
かつてイスラエルの人たちがエジプト に住んでいたころイスラエル人
がエジプトでたくさんふえていた しかしエジプトにはエジプト王
パロというのがいましたからパロ はイスラエル人がエジプトにふ
えていくのを非常に恐れてこの イスラエル人を支配しようとした
わけですねもうこれ以上ふえて は困るエジプトを守るためにも
このイスラエル人を支配してそして 彼らに呉駅を敷いてそして虐待
をしたということですねそういう パロの一つの支配欲も見ることが
できるわけです 今度はこのイスラエル がやがて世界中に散らばっていきます
が彼らはまた一つの国をつくろう ということで今のパリスチナの
ところに国をつくったわけであります がそこには既にアラブ人もみんな
がいわば平和に暮らしておった わけでありますがそこにイスラエル
人たちが神様の約束された地として そこに戻ってきたそうすること
によってそこに住んでいた人たち はそこを出ていきなさいということ
になったわけであります要するに この地はイスラエル私たちのもの
だというそこにも支配欲を見る わけであります
そしてパリスチナを追い出された 人たちは難民として別のところ
に行かざるを得なくなったアメリカ 大陸が派遣される前はそこに原住民
の人たちがいたというふうに言 われています今でいうインディアン
と言われるような人たちしかし ヨーロッパからアメリカ大陸に
渡ってきた人たちがこのところ を支配しようとしたですからそこ
にいる原住民たちを何とか支配 しあるいは追い出して自分たち
のものにしようとしたそこにも 虐殺があったというふうに伝え
られています 日本はどうでしょうか日本も歴史
の中で中国やあるいは東南アジア そういうところに行ってはそこを
支配しそして国を大きくしよう そこを自分たちのものにしよう
として戦いまた多くの人を犠牲 にしたというそういうことがある
わけであります いわば今私たち が住んでいる家に全然知らない
人が来てきょうここ私たちの住み 家とするあなたたちは今まで住んで
いたけれどももうよそに行って 住みなさいそう言われたような
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ものですそう言われた方はたま ったものではありません何を言
うんですかここは私たちの今まで ずっと住んできたところだ私たち
のものなんだしかしいやそうじゃない お前たちは出ていくんだそこに
争いが生じないはずはない人間 はそのようにしてある種のそういう
支配をしたいそういうような罪 をいつも持っているいじめの問題
もそうです結局はそれは人が人を 支配しようとするそういうところ
から起こっているこれらはみな 人間が持っているその罪から出て
きた災いであり災害でありそして 犠牲者であるということそのこと
を私たちはもう一度覚えたいその ように思うわけであります人間
とは何と罪深くそして愚かなのでしょうか そんなことを思うわけであります
先ほど読んでいただきました中 にも十一節あなた方は以前は肉
において違法人でした私たちは 先民だ神様から選ばれたもの
だお前たちは違法人だ異教の民 だそういうようなそして神様から
選ばれた者は偉いのだあるいは 上だとか下だとかあるいは滑稽
を持つ者あるいは無滑稽の人々 そういうふうにして私たちは素晴らしい
のだお前たちは劣っているのだ だから上の者は下の者を支配しよう
とするそういうことが続いてきた もうそういうことはやめにしない
かということも神様は常に語って おられるわけでありますそこには
敵というものが生み出されてそして 今まで一緒に暮らしていたそういう
ものたちが別れなければならない そこに大きな壁とか溝とかいう
ものができて互いに敵意を持って 争い合うそういうことがこの歴史
の中で起こってきた今もあるんでしょうか これからもあるのかもしれない
でももういい加減にやめないか というのを神様は常におっしゃ
っておられるわけであります そしてその敵意が心に渦巻きそして
互いが争い合いそしてやられたら やり返す一やられたら二倍も三倍
もやり返すもう泥試合のような そういう結果になってそしてその
ための武器もどんどんどんどん エスカレートしていってやがて
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原子爆弾にまで至ってしまった 今日では原子爆弾よりもさらに
破壊力のあるものまで開発されている 核兵器の話ですけれどもどこまで
人間は行ってしまうのかそんな ことを思うわけですね その愚かさ
をいつ知るのかそれは多くの犠牲者 を出して初めて気づく愚かさに
気づいたのはよかったしかしその 犠牲となった人たちはもう帰って
こない取り返しもつかないことを してしまった 私たち人間はですから
災害はありますしかし雨や風によって 被る被害あるいは地震によって
葬る被害災害があります私たちは 自然というそういうところにいます
からその自然と向き合って生きる ものとしてつくられましたですから
神様が備えた自然と向き合い調和 しながらそしてときにはその被害
も何とか避けるようにそしてそれを 受けたときにはそれをまた回復
できるようにそういうふうにして 私たちは生きていく自然との戦い
ということも強いられることがある わけですなのに人間はこうむら
なくてはいけないこうむらなくても よい被害いわゆる人災避けることが
できるならば避け得たそういう 人災を起こしている場合ですかと
神様はおっしゃっているのではない でしょうかなぜ六十数年前にそういう
ことが起こってしまったのか一部 の人はそれに気づいていたかもしれない
ああこんなことをしている場合 じゃない私たちはもっとほかに
やるべきことがある自然のその 災害に備えていつ襲ってくるか
わからないそういう自然災害に 備えようあるいはそれに葬った
人たちの手助けをしよう人が人 と争いそして素晴らしいものを
壊したりあるいは犠牲者を出したり そんなことをしている暇がある
のかということを神様はおっしゃ っていたんだと思うんですしかし
神様は取り返しのつかないことを してしまった人間を憐れんで今
30:03
はこうして平和に私たちが過ごせる ように少なくともこの日本はその
愚かさを学びそしてその犠牲者 を思うがゆえに今はこの平和を
何とか保っているというそういう 状況であります世界を見渡すときに
まだまだ争いの絶えないきょうも どこかで犠牲者が出ているかもしれない
そして新たな形でテロという形 でまたその憎しみ敵それを表して
犠牲者を生んでいるそういう状況 であります
私個人のことで申しわけないんですが 宇宙とか宇宙開発ということになる
とどうもよくわからないところ がありますもちろんそれは勉強
不足であるというのも確かであります が宇宙に夢をとか言われてもピン
とこないそこにはその宇宙に携わる 人たちの目的や何か意義がある
んだと思うんですしかし笑われる かもしれませんがこう言いたいん
です私たちは神様からこの地球 を託されたその与えられたこの
地球さえ満足に守れないで人間 同士がそこで平和を保てない争い
をしてそして破壊をしているそういう 人間がなぜ宇宙なのか宇宙の前
にまずこの地球を守ることあるいは そこに生きる人たちが平和に暮らす
ことそれができずになぜ宇宙なのか そのことを教えていただきたい
そういつも願っているわけです 神様はこの宇宙を含めて天地万物
を創造されその一つとして地球 をつくったその地球ですから私たちは
ここに平和を築いていくそして そこに生きるお互いが平和を築
いていかなければならないもちろん 言葉では奇麗事かもしれません
しかしその奇麗事あるいは理想 とするものを私たちはなくして
はいけないそこに目指していかな ければいけないんだということ
も改めて思うわけであります 宇宙のことは神様がお作りになった
ものでありますからこれはもう 神様の領域といってもいいわけ
でありますもしそこに踏み込む ならばよほどの神様の許しをいただいて
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本当に慎重に経験な思いを持って 踏み込んでいくべきであります
私たちはお互いがこの与えられた 地球で幸いに生きるようにまず
このことを考えるべきであろう かとそんなことも思わされるのであります
罪人の私たちに神様は今日この ように語っていてくださるキリスト
こそ私たちの平和であり二つの ものを一つにし隔ての壁を打ち
壊し両者を一つの体として十字 下によって神と和解させるため
なのです敵は十字架によって葬り さられました
歴史の中で私たちは何度も何度も 争いをしそして破壊をし多くの
犠牲者をもたらしてきたそして 神様はその争いをやめるように
そのような犠牲者をもう出さない ようにとそして互いに愛し合う
ことを折に触れて語ってくださった 今占めてくださったしかし罪深い
人間はそれを成し得ないやめよう としない決して国と国との争い
民族と民族の争いだけではない 私たちの生きる身近な中での争い
はないだろうか敵意はないだろう か憎む思いはないだろうか強いた
げようとする思いはないだろう かいじめようという思いはない
だろうかそんなことも考えさせ られるわけであります民族と民族
の争い国家と国家の争いもずっと 遡っていけばある人のちょっと
したそういう憎しみ敵意それが 原因であったということもある
わけですそんなことを思うときに 私たちの一人一人の心が平安である
だろうか敵意はないだろうかしかし 聖書を通して神様はイスラエル
の民を通して人間はうなじの怖い 民であるそのような表現をなさい
ましたうなじというのはこの首 のことですがなかなか神様の言う
ことに頷いてそして従いますということ のできないそういうものだそういう
ことをうなじの怖い者たちよその ように言ったわけでありますなるほど
そう言われれば私たちはなかなか 神様のお言葉に従えない罪深い
者であるそのことも覚えるわけ でありますがしかしそれを可能
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にしてくださる唯一の今日の今 締めと神様からの御言葉それは
キリストであるということキリスト こそが私たちの平和でありキリスト
こそが十字架によって表された その神の愛によって私たちを清
そしてあらゆる罪から解き放って くださり私たちのうちにある敵意
も憎しみもそして先ほど挙がって いました全ての罪から解き放って
そして本来のあるべき人間の姿 にしてくださるうなじも柔らかい
ものにしてくださるこれがキリスト の愛でありそして神様がきょう
私たちに語ってくださる私たち への福音である私たち自分では
どうしようもできない憎しみ敵意 そしてやられたからやり返すあるいは
支配しようとする思いそういう 思いを私たちから取り去ってくださる
それは十字架でありまたそこに かかってくださった守護自身である
全ての罪を私たちが持っている 罪のその刑罰を身代わりにイエス
様は十字架でかかってくださって 罪もろともよみに下ってくださった
そのことによって私たちがそれを 信ずるとき私たちのうちに平和
が訪れる心に平安とそしてもう 罪許されたものとして神様はこれから
生きていくようにというそのように 言ってくださっているこれが福音
であります私たちはきょう広島 と長崎に投下されたその原爆によって
犠牲になった人たちのことを覚え ますしまたこのような悲惨な出来事
が二度と起こらないようにそう 願ってやみませんそしてもし私たち
のうちに支配欲というようなもの がまだあるとするならば神様が
それを取り去って清くしてくださる ようにそのことを願ってまた生産
をいただきそしてこの与えられた 平和が永遠に続きますようにそして
世界にもし争いがあるならばいち 早くそれをやめてそしてそこにも
平和が来るようにそして私たち もまた祈り願うだけではなくその
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平和の道具として何かできることはない でしょうか示されたならばここに
私がおりますこの私をお使わし くださいと一歩進みゆくもの
とさせていただけるようにお祈り いたしましょう
キリストこそ私の平和であり二 つのものを一つにして隔ての壁
を打ち壊してくださった天の神 様私たちの罪をお許しください
知らないうちに私たちの中に欲 がありまた支配欲があり憎しみ
やあるいはそのことを通し争い をしようとする思いがあります
日本には多くの犠牲を出してしまった 経験があります取り返しのつかない
というものでありますがどうぞ 許してくださいまたそのことを
通してこの平和が何とありがたい ことであり決して当たり前のこと
ではなく私たちが願い求めそして 努力して勝ち取りそれを維持して
いくことができるようにと切に 願います今も世界の中で争っている
国がありますならば神様どうぞ そこに平和が訪れますようにそして
取り返しのつかないことが起こる 前に神様どうぞもう一度お互い
が許し合いまた理解し合い助け合い そしてこの地球の中で互いが平和
を築いていくことができるように そして今や別の意味の災害自然
の災害もこむった日本であります から私たちはそこにさらに思い
を馳せて今その復興のため復旧 のために私たちも祈りとまたその
働きが進められてまいりますように 今からの生産指標もお恵み祝福
してくださいゆだねて主キリスト の皆によってお祈りをいたします
アーメン
41:20

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