1. 名谷教会 podcast
  2. 2011/07/31:聖日礼拝(旧音源)
2011-07-31 38:56

2011/07/31:聖日礼拝(旧音源)

2011/07/31 聖日礼拝(旧音源)


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本朝の聖書は、伊沢賞四十三章一節から四節、旧約の1194ページです。
伊沢賞四十三章一節、だが今、ヤコブよ、あなたを作り出した方、主はこう仰せられる。
イスラエルよ、あなたを形作った方、主はこう仰せられる。
恐れるな、私があなたをあがなったのだ。私はあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。
あなたが水の中を過ぎる時も、私はあなたと共におり、川を渡る時も、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
私があなたの神主、イスラエルの聖なるもの、あなたの救い主であるからだ。
私はエジプトをあなたの身のしろ金とし、クシェとセバをあなたの代わりとする。
私の目にはあなたは高価でたっとい、私はあなたを愛している。
だから私は人をあなたの代わりにし、国民をあなたの命の代わりにするのだ。
以上です。
では聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
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聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
聖火隊の3部に続いて、本庁のメッセージをこちらから寄せていただきます。
おはようございます。
今日もまた見言葉をひらいて、神様のメッセージをいただきたいと思います。
一言お祈りをして、今日の見言葉をいただきます。
この水を飲むものはまた渇きます しかし私が与える水を飲むものは
渇くことがありませんそしてその 人の中で泉となって命が湧き出ます
恵み深い天の父なる神様こうして 七月もここまで守られ支えられて
きましたそして今日最後の聖日 でありますけれどもまたこれを
もって新しい月へと私たちを導 いてくださる主を覚えて皆をあが
めます一周の歩みはそれぞれ異なり ましたがもう一度時と場所を同じ
をしてこのところであなたに賛美 を捧げ祈りを捧げまたこの礼拝
を捧げていますあなたは生きて 今も私たちとともにおられる主
であることを覚えます目を閉じて あなたを賛美するときそこにあなた
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の臨在を覚えますあなたは間違い なくここにいてくださりそして
この礼拝を捧げる民を導きまた 使わされるそれぞれのところにも
伴っていてくださるお方である ことをきょうも覚えて皆をあが
めますどうぞこのお方は私たちの 神として生涯あなたから離れず
いや私たちが離れようともあなたは 私たちを見捨てず離れないお方
でありますからどうぞ私たちの 主としてこれからも導いてくだ
さるようにお願いいたしますしかし まだ世にあってはこの誠の神を
知らずにおられる方が多くいます から神様どうぞ御言葉を通しまた
精霊の注ぎを通してその方にこの 誠の神が現れてくださるように
またそのための教会の働きをも どうぞ祝し宣教の働きに預かる
ことができるように日本中にまた 世界に使わされていますその御言葉
の宣教者をどうぞあなたが育み また養いそして強めてこの宣教
の働きが全世界に及ぶことができる ようにそしてきょうもどこかで
この御言葉を信じそしてあなたを 信じて救いに預かる方がいることを
私たちも信じますどうぞきょう またいただきますあなたの御言葉
をもってそれぞれに慰めとまた 励ましあるいはあなたをもう一度
見上げるその思いを与えてくださる ように信じますそして私たちもう
一度この主の前にひれ伏してこの お方に従っていくことのできる
その信仰を与え強めてくださる ようお願いをいたしますきょう
ここに来ることができた恵みと 幸いを感謝いたしますしかし暑さ
のゆえに弱っておられる方また 用事があって来ようとしても来
れないその事情のある方々の上にも どうぞ今あなたが臨んでくださり
その場にあって主をあがめまた 主に賛美を捧げまた主との交わり
を喜びとすることができますように どうぞ導いてください今からの
ひととき御手に委ね主キリスト の皆によってお祈りいたします
アーメン7月の最後の日そしてきょう カレンダーの7月をびりっと破りました
もう明日から8月ですのでそして そのカレンダーをちょっと見て
みますとこの8月の行事予定それは 一般のカレンダーですから教会
のカレンダーとは違うんですが 8月の1日が水の日ということになって
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いました私も改めてそういう日 があったんだということに気が
つかされて早速調べてみました 水の日及び水の習慣水の貴重さ
や水資源開発の重要性に対する 国民の関心を高め理解を深める
ため毎年8月1日を水の日としこの 日を初日とする1週間を水の習慣
として定め各種の行事を国地方 公共団体及び関係諸団体が連携
して実施しています難しい表現 していますが結局水ってありがたい
なそういうことだと思うんですね 私たちにとりましても聖書を読ん
でおりますときにこの水という のは神様の命そしてイエス様が
言われた私の与える水を飲みなさい ということですね当然イエス様
がおられた地方パレスチナのあの 地方といいますのは乾燥した地域
ですからもう毎日のどが渇くです からこの水というのは命であって
それがなければ生きていけない というそれほど大切なものである
ということが聖書にもそれが語 られているわけですね私たちと
でこの暑い夏のことですから水 を切らせれば本当に切らせば立ち
どころに枯れてしまうそういう ものでありますしかし普段そういう
必要な大切なものでありますけれども もう当たり前のようにありますと
それを普段感じないと言いましょう か改めてそれを感謝しないという
そういう戒めでもあろうかと思 うんですねいちいち朝起きて水
を感謝します空気を感謝します そういうことはしないですねでも
年に一度や二度はやはり本当に 恵みとして与えられているもの
を心から感謝するその思いを忘 れてはいけないとそう覚えさせ
られました ちなみにこの八月の二日のところ
を見てみますとうなぎの絵が描 いてありましてこれにつきまして
はお昼前なのでちょっとこの話 には触れないでおこうと思います
きょうは見言葉先ほど読んでいただき ました伊沢市四十三省の四節の
言葉私の目にはあなたは高価で たっとい私はあなたを愛している
私の目にはあなたは高価でたっとい 私はあなたを愛している教会学校
の子どもたちも一生懸命見言葉 を覚えますこれぐらい朝飯前今
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は昼飯前ですがもうすぐに覚える そういう子どもたちがたくさん
いて私たちもう負けてしまいます でもきょうはしっかりとこれを
覚えたいと思います私の目には あなたは高価でたっとい私はあなた
を愛していると主は言われたということ ですね主は言われたきょうは毎
月の一回は伝道礼拝ということで 少し伝道に重きを置いて話させて
いただくということにしております がきょうは聖書の第一番目の言葉
創世紀一書の一節神が天と地を 創造したというふうに聖書は記
してあるわけですね神が天と地 そしてこの宇宙あるいは人間そして
全てのものを創造されたという ふうに記しているわけですねそれ
を私たちがいつかどこかでその 言葉をいただきそしてそれをそうだ
と信じて生きていこうという生き方 をするのを決めた人といやそんな
はずはない私は神が天と地を創造 したとかあるいは神がおられる
というそういうことすら信じない 神のいないそういう世界に自分
は生きていくんだという生き方 をする決めたかどうかそういう
生き方をする人に大きく二つに 分かれると思うんですね私たちは
この聖書の言う神が存在するその ことを信じて生きている人はここ
にはほとんどだと思うんですが 一歩外に出ますといやそんな神
なんか存在しないんだあるいは そういうことは自分は信じないんだ
あるいはもうそういうことすら 考えないで生きていくそういう
人も多くいるわけですねかつて の私もそうでした
神の存在ということは以前お話し しましたがきょうはそれじゃ神
が存在しないとするならばそれは どういうことになるのかということ
を考えてみたいと思うんですね あるいは整理したいと思うんです
あるいは皆さんが伝道や宣教に 当たるときに神の存在を信じない
あるいは神を信じないそういう 人たちにもしこのことを伝えて
いただけたら幸いだと思うんですね もしそれじゃ神がいないということ
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であるならばどうなるのかということ ですね三つのことが言えるかと思
うんです 神が存在しないならこの 人間宇宙もそうですがその存在
の意味も目的も失われてしまいます 第二番目に神様が存在しないならば
私たちが日々生きている上で大切な 道徳というのも失われてしまいます
そして三つ目に神が存在しない なら人間は尊さあるいは尊厳という
ものの根拠を失ってしまいます 神が天と地を創造されたそして
宇宙この全て人間もつくられた もし私たちがつくり主という方
がおられるつくり主という方は 何かをつくるときに必ずそこに
意味や目的というものを持って それをつくられるわけですねですから
私たちが神様を信じるというとき のこの神というのは別の言い方
をしますとつくり主ですね宇宙 をつくられたつくり主私たち人間
をつくられたつくり主としての 神その神がおられてそしてそれを
信じているということなんですね ですからもしその神いわゆるつくり
主がいないとするならば存在している ものはただ偶然にできたかあるいは
本質的な何の意味も目的もない ということですね例えて言います
ならば皆さんが日ごろ使っている お茶碗にしろお皿にしろそれは
誰かが手を加えてそして目的を 持ってつくったわけですね必ず
それをつくった方がいるそこには 意味や目的があるしかしもしそこに
土くれがあったとしましょう存在 してはいますけれども土くれがあります
その土くれに誰も手を加えない ただそこにあるだけとするならば
その土くれは何の意味も目的もない ということですねしかしその土くれ
に誰かが手を加えそしてそこに 何か意味づけ目的を持たせてこれを
茶碗にしろお皿にしろそしてつくる ときにそれは意味を持った存在
になるわけですねですからもし 神と言われる作り主がいなかった
ならばこの宇宙の全てはただ虚しく そこにあるというだけ宇宙はただ
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時を刻んでそして過ぎていくそして 人間も何の目的もなくただ生まれ
はしますがただ生きて何の意味 も見出せず百年経てばそして消滅
していくだけのものになってしまう もちろん人間が自分自身で自分
が生まれた意味とか目的をつける ことはできますしかしそれも私たち
がこの地上を去るときにそれも 一緒に消し去ってしまう私たち
人間の存在というものがそういう ものであっていいだろうかいや
決してそんなことではないそう 思うんですね私たち人間を意味
を持ってあるいは目的を持たせて つくったお方がいるんだいなければ
私の存在というのは一体何なのか 意味もなく目的もなくただあるという
だけそんなはずはないとみんな そう思っているはずですしかし
それは創造主なるお方神がおられる という前提に立っているわけですね
それをどうか信じていただきたい しもう一度そこに目が開かれるように
私たちも祈りまたこの御言葉を 伝えていきたいと思うんですね
神様のいないそういう世界に生きる のではなくはっきりと神様がお
られてこのお方が創造主そして 私たち人間を神様の意味づけと
神様が人間に対しての目的を持って つくってくださったんだそれが
人間なのだということをもう一度 改めて覚えたいと思うんですね
二つ目に神が存在しないなら道徳 を失うということが言えるかと思
うんですね人間には良心という ものがあります良い心良心があります
そして何か善悪をわきまえるそういう 基準誰に教えられたということ
でもなくそういうものをみんな 持っているわけですねもし自分が
これは悪いことだったと思えば 自分を裁きますし後悔もするし
何か心の痛みを覚えたりします それは良心というものがあるから
ですね与えられているからあるいは この民族私たちが日本なら日本
ほかの国の民族なら民族それぞれ に道徳がありますそしてその道徳
に従ってみんな一致して動いている わけですねもしその民族やその
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人に正義は懲らしめないといけない あるいは殺人を勧めます嘘をついて
も盗みをしても構いません愛なんて なくてもいいんだというような
道徳が語られているならもうその 民族あるいはその人はもうとっく
の昔に自滅しているはずであります それではこの基本的な人間に与え
られている道徳とか良心という のはどこから来ているのかこれ
に気づいたもう遠くの昔の人たち もわかっていたんですねそれを
宗教的な権威の上にそれを見出した わけですまず神この創造主なる
お方がこの道徳の全ての善悪の 基準なのだと据えてそこから全て
の道徳あるいは善悪の基準そこから 法律が出てきたり人間の営みの
ルールがそこから来ているわけ ですねですからこの基準になる
お方がいないとするならばもう みんなそれぞれ民族は民族人間
は人間もう自分たち勝手なルール や基準やあるいは道徳をつけて
そして判断するわけですねあなたは それはいいとしても私はこれが
いいと思います私の好みでこれを 善としこれを悪としますいやでも
別の人は私はそうじゃない私は これがいいと思いますこれは悪い
と思いますそういうふうになって しまうですからやはり神がおられる
というその権威の上に全てはその 方の善悪の基準そういうものを
持ってみんな動いていくこれが 正しい在り方そして人間はそういう
ことを与えられているんだということ を聖書は言うわけですね
第二手もての三章の十六節の言葉 ですが聖書は全て神の霊感による
もので教えと今しめと矯正と義 の訓練とのために有益です聖書
の中には教えがあり今しめがあり そして正しきに導いてくださる
そういう道が示されている義という 神が正しいとするそういう基準
を私たちに与えてくださるみんな がそこにより頼むときに人間は
正しく生きることができるあるいは この社会も世の中すべてが平和に
動いていくしかしその神なるお 方がいないとするならばもうみんな
人間は民族はそれぞればらばら な生き方をするばらばらな善悪
の基準を持って生きそして自分の 欲望の向くままに判断しそして
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社会は混乱していくわけですね こうして何とかこの人間の世の中
が保っているそれは地球上にこの 誠の神を信じてそこから神の善悪
の基準神から来る道徳に従って いこうというそういう人たちが
いるからこの人間社会は何とか 保たれていくですから神が存在
しないなら人間たちはこの道徳 というものを失ってしまいそして
たちまちのうちに混乱を起こす のですそのことを私たちはもう一度
きょう覚えたいと思うんですね そして三つ目に神が存在しない
ならば人間はその尊さの根拠を 失うということであります先ほど
土暮の話をしましたが土暮が誰の 手にも触れずその目的意味もなさ
なかったらただそこにあるだけ 誰かが手を加えそしてこの土を
持ってお茶碗をつくりお皿をつくり そしておいしいものをそこに持って
食べていただこうそういうつく った人の思いがそこに込められている
んだという話をしました それじゃ 人間はどうなのか私たちも今人間
として存在しているわけですが 決して難しい哲学のような話を
しているわけではありません私たち が今ここにそれぞれ一人一人が生き
ているわけですねしかしもし私たち がただこの一人の人間としてここに
あるという存在置かれているという 存在それ自体が尊いあるいはそこに
尊厳があるかというと聖書はそうではない というんですね人間がただそこに
あるだけならそれは人間の本来 の尊厳はないのだと要するにその
人間が人間として尊くつくられ そしてその存在を尊いと宣言し
そして尊いとして扱ってくれる 他の存在があってそれを認められて
初めてその存在人間は尊いのだ というわけです人間の尊さの根拠
はそれ自体にあるのではなくそれを 尊いと認めてくれる人格そういう
ものがなければそこに尊厳はない ここに一つの今度は意思くれがある
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としますしかしその意思くれは 輝いてそしてぴかぴか光っている
透明でしかしただそれを意思くれ だと見てそして通り過ぎていく
人にとってそれはただの意思くれ に過ぎないわけですねしかしそれを
見た人がこれはダイヤモンドだ これはすごく価値があるんだそして
これは私が何か偽税を払ってでも これを欲しいそういうふうに認め
宣言しそしてその価値を尊ぶときに この意思くれだったそれはダイヤモンド
として私たちのこの世の中に出て くるわけですね私たちの人間という
一人の存在がただそこにあるもの なのかあるいはそれは尊い価値ある
ものなのか尊厳としての存在なのか ある人が自分のことを私はあなた
を尊敬しますそしてあなたは本当に 素晴らしい人だと言ってくれる
とき私たちは自分が価値があり また尊い存在だと思うわけですね
単純にうれしいわけですしかし 人間が人間を遠飛ぶということは
いつも不安定ですそのaさんが 私のことをそう言ってくれていた
のは確かしかしbさんからすれば いや私はあの人はそんなに好き
じゃないしそんなに尊敬もしません ということですねaさんはきのう
まではあなたは素晴らしい人だ 尊い人だ価値ある人だと言って
くださったのにもうきょうになる とひっくり返ってもうきょうから
あなたを尊敬しませんそういうこと だってあるわけですですから人間
が人間を遠飛ぶあるいは価値ある ものと認めるというのはいつも
不安定でその状況によりますあるいは 条件によります私はあなたを愛します
でもこれとこれとこういう条件 つきですということですねそういう
ことで人間たちはあるときには 悩み傷つきそして自分は一体何
なのか自分の存在というのは一体 何なのかなぜ自分はここに存在
して自分はいったい何の価値が あるんだろうか人に裏切られたり
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あるいは人からばかにされたり 自分を価値あるものとして見て
くれない価値あるものとして扱 ってくれないというときに人は
みな行き詰まってしまうわけです しかし私たちは聖書を通して見る
ときにこの創造主なる神は全ての 人にこのように言っている私の
目にはあなたは高価でたっとい 私はあなたを愛しているこのこと
に気づいたときに私たちは人が 自分を愛している人が私のことを
尊敬しているそうではないもっと それを超えたこの創造主なる神
御自身が私のことをたっとい価値 あるものそして私はあなたを愛
している大切なんだと言ってく れているお方に気づくわけですね
そのときに私たちは人間としての その尊厳をもう一度取り戻すわけ
ですそれがなければ人間という のはただただ価値のないそこに
あるだけの存在でしかない私の ことを価値あるもの尊いものとして
見てくださる認めてくださるそして 扱ってくださるこのお方それが
神であり創造主そのお方がおられる から私はもし誰が私のことを認めて
いなくても誰も私のことを尊く 扱ってくれなくてもこのお方はいつ
も変わらず永遠に私のことを高 価でたっといあなたを愛している
と言ってくださる私たちは神の 存在を認めてそこに立つということ
は神が人間に与えられているその 尊厳に立つということです
もしこのお方がいなければ私たちは 人間としての存在の尊厳という
ものは全く失いそして人から愛 される人から愛されない人から
たっとばれない人から価値ある かどうか見てくれているかどうか
もうそのことばっかりが気になって そしてときには絶望してしまう
そういうことがあるわけですしかし そういうことを超えた世界のこの
創造主なる神はいつも私のことを 見ていてくださるそして価値ある
尊いものとして扱っていてくださ るんだこの御言葉に触れて救われた
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人が多くいます何人かの証を聞き ましたときにこの御言葉を言って
くださった方がいますある一人の 女子新学生の方も証してくださいました
その人も社会に出て働こう自分は その会社でその仕事で一生懸命
尽くしたい何とか役に立ちたい と思うんですけれどもいつもば
かにされるあるいは何も軽くあ しらわれるそういう中で自分の
一体存在って何だろうか自分は 本当に価値のない人間ではないん
だろうかなぜ自分はこうして生き ているんだろうか全くその意味
も目的もそして尊厳さえも失って しまう行き詰まってしまったということ
ですねそういうときに友達に教会 に誘われそして聖書を教えていただき
この御言葉に触れたときに私を 大切にしてくださっている高下
でたっといそして私を永遠に変わらず 愛してくださるお方がいたんだ
ということに気づいたときにこの お方についていこうそして教会
の働きそれはたくさんあるわけ ですねそして世の中では自分の
ことを誰も用いてくれないしかし この教会ではあれもしてほしい
これもしてほしいもしこういうこと できたら奉仕していただけません
か私のようなものでいいんですか もちろんですあなたは素晴らしく
神様に用いられるお方ですそんな ことを言っていただいたという
のは初めてだったんですねですから この神様にそして教会に自分を
用いていただこうたとえ五タラント でなくても三タラントでなくても
一タラントでもいいそのことを 神様は認めてくださりその賜物
も含めてあなたは私の目には神 ご自身にとっては価値ありそして
たっといそういう存在だということ そのことに彼女は目覚めてそして
新学校に来ましたと言っておられ ました私たちはこの神様がおら
れるがゆえに私たちの存在に尊厳 があるわけですですからきょう
どうぞこの御言葉をしっかりと 私たちが握ってそしてもう一度
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このお方との私たちの関係を正 してこのお方が私のことを大切
にしてくださりたっとんでくださり そして愛していてくださるたとえ
ですよたとえ誰も私のことを愛 していないたとえ誰も私のことを
大切にしてくれないたっとんで くれない尊く扱ってくれなかった
としてもこのお方は私のことを このように言ってくださっている
ということそしてそれを我が物 としたならば出ていって今自分
って一体何だろうか自分は価値 あるんだろうかと見失っている
人たちに聖書はあなたにこう言っています 神様があなたのことを価値があり
たっといそして愛しておられます と言っておられますよとそれを
告げてあげていただきたいとそう 思うわけですまず私たち自身が
このお方に目をとめ心をとめ魂 を向けてこの御言葉をしっかり
と握っていきたいと思いますお 祈りをいたします
私の目にはあなたは高価でたっとい 私はあなたを愛していると神は
言われています天の神様この御 言葉を知らなかったとき自分の
存在の価値すらわからないあるいは 何のために生きているのか意味
や目的すらわからないあるいは 自分勝手な判断基準で行動していた
ものでありましたしかしきょう もう一度あなたが私たちに言って
くださる私の目にあなたは高価 でたっとい私はあなたを愛している
というこの御言葉にしっかりと 世に頼んでこのお方を我が神とし
そしてあなたを雇用なく愛しまた そこから出てくるあがぺの愛を
持って隣人を愛していくその生涯 を貫いていくことができるように
またそのお方は私たちに永遠の 命をも与えてくださるお方であります
どうぞ世にあってこのお方を知らない またその神の存在を認めないその
皆さんにどうぞこの御言葉が行き 渡るようにどうぞ教会の働きを
も祝福してください 全てを委ねて主キリストの皆によって
お祈りいたします アーメン
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