1. 名谷教会
  2. 2013/07/28:聖日礼拝(旧音源)
2013-07-28 48:26

2013/07/28:聖日礼拝(旧音源)

2013/07/28 聖日礼拝(旧音源)




00:01
では、今日のメッセージの題は、「人よ、あなたはどこにいるのか?」という話題をもって、メッセージをお伝えしたいと思います。
その前に、いつものように隣の方々とアクセスしながら、さわやかな声で解説をしたいと思います。よろしくお願いいたします。
よくいらっしゃいました。ありがとうございます。感謝しています。
では、一言お祈りいたします。
愛する父の神様、今日も愛する兄弟姉妹たちと共に賛美をもって、また御言葉に聞くこの大量な恵みの時を心から感謝いたします。
どうか、主よ、私たちは、主の恵みによって、主の命によって生かされていることを覚え、
今、主の命によって、あなたの命の御言葉に御意味を与えます。
どうか、主よ、お祈りお祈りの上に、主の御言葉をあなたがおかかり下さい。
また、神様はまだ少ない方がいらっしゃるならば、
主、どうぞ、あなたの命に、主、どうぞ、救いの恵みに預からせて下さい。
どうか、主よ、我らを憐れみ下さい。
主、御自身がおかかり下さい。
主よ、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン
はい、感謝します。
今日は、この創世記第3章から、主よ、あなたはどこにいるのか。
このタイトルが、メッセージの主題であり、結論であり、
また、私たち一人一人への神様のお問いかけであります。
聖書は皆さん、何よりも救いについての教科書です。
男であれ、女であれ、人、神様がいかにして救いに導かれるか、
それが記されている書物、それが聖書なんですね。
この中で、この創世記第3章はですね、
私たちが生きているこの世界が、なぜ今日のようであるのか。
03:09
また、神様が救いの道を設けてくださることが、なぜ必要だったのか。
人と世界とはどこでおかしくなってしまったのか。
神様のお一人が天から地に下ってこられることが、どうして絶対的に必要になったのかを教えているところが、
この創世記第3章なんですね。聖書において、とても重要なところなんです。
ですから皆さん、私たちが、今日はもう8節、9節だけ読んでいただきましたけれども、
最初読んでいきますと、私たちはこのような問いかけに、直面すだるを得ないと思います。
こんな問いかけです。
今あるものことは、なぜ今のようになったのか。
私たちの世界はどうしてこうであるのか。
いかにして私たちは今の状況に立ち至ったのか。
私たちの現実の苦しみはどうしてか。
というお問いかけに、直面すだるを得ないんですね。
こういった問いは、私たちが自分の人生や、あるいは自分自身のことを真剣に考える人であるならば、
必ず直面しなければならない課題だと思うんですね。
皆さんは普段、どんなことのために悩んだり、真剣に考えたりしていらっしゃるでしょうか。
大体、悩みのネタはどんなものでしょうか。
お金のことでしょうか。将来のことでしょうか。あるいは健康のことでしょうか。
最も根本的な悩み・問いは、今申したことのようなものではないでしょうか。
この大きな問いかけに、今日の参考を学ぶことによってですね、
特に記録されている限り、人類に最初に投げかけられた質問、
人よ、あなたはどこにいるのか。人よ、あなたはどこにいるのか。
06:03
この問いかけを通して、皆さんが今日ですね、真剣に自分自身について、
そして自分が最後に迎える結末について、一緒に考えてみようではありませんか。
聖書は、正直いい人から言いますとですね、こう語っているんですね。
神様が世界をお作りになりました。人間もお作りになりました。
神様は人を男と女とに作って、パラダイスと呼ばれるところに置いてくださったんですね。
人はそこで生き、神様とより巻き割りを保っていたんですね。
そこがエデンの園というところです。パラダイスです。
皆さんがもし行かれたハワイより、ワームより、地球のどこのきれいなところよりはるかに勝るパラダイスなんです。
何の病みも、過ちも、苦しみも、涙も、悩みも、苦労もないパラダイスそのものなんですね。
そこに最初の人間、アダムとエヴァがそこに置かれていた。
神様を心から愛して、全く愛をもって、不純物が一切ない、100%ピュアな愛をもってですね、神様と愛し合っていました。
神様に愛されていたんですね。
しかし、それが荘石第二章までの悩み。この三章に入りますと違った光景が見解されるんですね。
神様と本当に愛し合っていたアダムとエヴァが、
惨めにも神様から身を隠そうとしている姿が出てくるんですね。
一変してしまいました。
神様を避け、彼らを探そうとする神様の声から逃れようとする二人の仕方ですね。
今日の御言葉を見てみましょうか。八節のところですね。
八節のふく頃、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。
主の御声を聞いたんですね。聞いてどう反応したんでしょうか。
それで、使徒とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
09:07
仁教まではですね、アダムとエヴァは神様から声がかけられていた。
神様、僕たちはここにおりますとですね、それを喜んで迎えたことでした。歓迎したことでした。
しかし、三句に入りますと、御顔を避けて、木の間に身を隠してしまった。
一体何が起こったのでしょうか。
一体何が起こったので、このように天が地に変わったように、彼らの姿が変わったんでしょうか。
死には呪いがつけられました。
女の人は、悲しみと痛みの中で出産することになりました。
男の人は、今もそうですけど、顔に機械に汗を流して、丁寧にしても、七分十八分に出しても、働く。
食べ物を得るために、労苦をすらるを得ない。
さらには、茨と痣、病と苦しみ、また究極には死ぬことも超えられてしまいました。
何が起こったので、このように変わってしまったのでしょうか。
私たちが共に考えなければならない状態についての説明が、この問いかけにあります。
しかし皆さん、聖書が語る、物語っていう内容はですね、今描いた二つの後記が、こう変わりましたよ、だけではないんですよね。
なぜ、そう変えて変わってしまったのか。
その原因が、理由が何なのかを、聖書は私たちに明確に、誰も知人できないように明確に語っているんですね。
その原因は、罪と呼ぶものが、この三章、二章に書かれているんです。
12:10
人が何をしたので、人を取り巻く全ての状況が、一変してしまったでしょう。
今、私たちが受け継いでいる全ての、この苦しみ、悩み、涙、苦労、全てのことが、まさにこの聖石第三章、アダムとエヴァの行為から始まったこと。
それで、今ある世界の一切も、全く同じことで、このアダムとエヴァの出来事から、大実験から始まったことを、私たちは認めさるを得ないということです。
政府がここで語る真意は、大きく二つにまとめることができると思います。
第一、今日の重要なポイントです。
人の抱える問題は、自分の内にあるのであって、自分を取り巻く周囲にあるのではないということです。
もう一度申します。
人の皆さんが抱えている問題はですね、全ては、私たちの自分の内にあるものです。環境に、周りに、周囲にあるものではありません。
政府にとっては、このことが、もう自明の大前提です。
しかし、今日の世の中の人々は、あるいは世の各社は、この政策の大前提と、もう正反対なんですね。
そうではない。人間は正しい。人間は清いものなんだ。善なるものなんだ。周りが、環境が、状況が悪いと言っています。
皆さんに一つお尋ねしたいと思います。考えていただきたいですね。
今あるこの世界、日本だけ考えても、日本のこの世界が、こういう悪にはびこっている原因は、人間が悪いから、この国が、この世界が悪くなったのでしょうか。
あるいは、環境が、私たちの周り、国が悪いから、人間が悪くなったのでしょうか。
15:00
どっちですか、皆さん。後者ではありません。前者です。
人間の内側に悪があるから、周りが、環境が、国が、世界が悪くなったということ。
これが聖書が教えている真理なんですね。聖書は私にこのように語っています。
人は最初、最高の環境からしたとしたら、パラダイスに置かれていました。何の罪も、過ちも、苦しみも、涙もない。
そこで人は望み得るすべてを得ていました。欠けたものは何もなかったんですね。
にもかかわらず、聖書によれば、人はこの完璧な条件のパラダイスにおいて、このパラダイスをあらのに、あれしへと帰ってしまったこと。
それが人間にその責任があると、聖書は私たちに教えているんですね。
聖書が語っている真理はこれです。
人の問題は、置かれた環境や状況ではなく、条件ではない。
その人、自分の内にあるのか。いや、私の内にあるのかと、聖書は教えているんです。
ですから、環境を変える、条件を変えるんじゃなくて、まず自分自身を変えなくちゃならない。
大福祭2の点に移ります。
私たちの問題は、究極的には、神との誤った関係から生じています。
もう一度申します。
私たちの問題、死の問題、悩み、苦しみの問題は、究極的には、神様との誤った関係から生じます。
これが、葬式3との中心メッセージなんです。
今、世界がこの点を認めたとしたら、それだけでも正しい方向に向けて、第一歩を間違いなく進んでいったでしょう。
しかし、そうではないんですね。
今日の聖書を読みますと、人は神様との正しい関係を踏み外してしまった。
18:03
その結果、すべては悪い方向に向かってしまったんです。
そういうわけで、これが私たちが抱えているすべての問題に対する聖書の説明です。
すべては人間の罪に起因すると、聖書は説明しています。
さて、今日の歌詞をもう一度見てみたいと思います。
そもに、男と女がいました。
しかし、この3章の8節、9節の彼らの姿を見たら、もう不幸なんですね。恥を感じている。
惨めです。
2章でのパラダイスでの幸せは、最高の幸福は、もう一瞬なくなってしまったんですね。
とてつもない重要な過ちが生じてしまった。
アダムとエヴァは感じていたでしょう。
わぁ、姉妹だったですね。
その時、声が、人間からではありません。神様から声が語りかけられました。
夕方の涼しい時、その歩いておられる神様の御声です。
神様は人に近づかれました。そして、こう語りかけられました。
使徒よ、あなたはどこにいるのか。
この思い出は、この朝、神様があなたに、きょうお一人の皆さんお一人お一人に語りかけておられました。
使徒よ、あなたはどこにいるのか。
この問いかけに耳をしまして、真剣に一体自分は今どこにいるのか、考えて利用ではありませんか。
この問いかけに、アダムとエヴァは身を隠してしまったんですね。逃げてしまいました。
皆さん、これが聖書の全メッセージの祝図のようなものであります。
21:06
神様は、使徒よ、あなたはどこにいるのか。
この創世記の時にも、いや、2013年、きょうも、使は同じく問いかけておられました。
使徒よ、あなたはどこにいるのか。
そして人間は、耳を隠してしまった。どうとしない。
ですから皆さん、アダムがなぜこのような不幸な状態に陥ってしまったのかと問えば、
私たちが今置かれている状況の原因は何なのか、その答えを見出すことができるのです。
なぜパラダイスがこの地獄のように変わってしまったのか。
なぜアダムとエヴァと神様との関係がこうして悪の関係に変わってしまったのか。
その原因は一体何なのかを二つに分けてお話したいと思います。
第一、アダムとエヴァもそうですけど、私たちも一人だと思います。
このようなことが原因です。
自分にとって一番良いことが何か、それを自分で知ることができると思い込む致命的な過ちがありました。
もう一度申します。
自分にとって何が一番良いことなのか、自分で分かる、神様は言わないと思い込んだ、それが致命的な過ちでした。
アダム、エヴァがそうでした。
今の時代の私たちも、この世の人々がそうではありません。
自分の人生を神様以上に自分で上手に知ることができると思ってしまったんですね。
自分で、自分の手で、自分の能力で何でもできる。
神様なんていらないと思い込んでしまった。
それがアダムとエヴァの大きな大きな過ちでした。
最初のアダムとエヴァは完璧な存在に作られたんですね。
そして完璧な状態に、完璧な環境に置かれていたんです。
24:06
表現しにくいかもしれないんですね。
私たちの世界も自分自身の状態も完璧ではないから、
一体完璧な状態ってどんなものなのか、表現していないから消毒しにくいかもしれませんけれども、完璧でした。
でもそれが続かなかったんですね。途切れてしまったんです。
何が間違ったんでしょうか。
人は自分の人生を神以上に上手に仕切ることができると思ってしまった。
皆さん、これが人間の傲慢さであり、これほど明快な答えはないと思います。
皆さん、このことはクリスタンじゃなくても、クリスタンの私たちにもおかしがちな過ちではないでしょうか。
神様は信じてはいます。礼拝もしています。
しかし心のどこかに自分でできるといった傲慢があるのではないでしょうか。
あるいは逆に、これはどうして自分にもできない、神様にもできないと諦めてしまっているのではありませんか。
それがまさに不貧乏ではないでしょうか。
自分の人生を神以上に仕切ることができる。
神なくても何でもできると思い込んでいるのではありませんか。
最後に神様はアダムとエヴァンに彼らをパラダイスに置いて、こうおっしゃったでしょう。
私が望むような形でいきなさい。あなたには大きな自由があるよ。与えられているよ。
ただ一つだけしてはならないことがあるよ。
神様はただ一つだけなんですよ。
一つのおきてを与えていられます。
あなたは本当に幸せに私と交わりをもちつつ、そして生きることができる。
あなたには何でもできる。
この本当に光り輝くこの創造の世界から、豊かな豊かな命を、祝福を受けることができるよ。
27:10
困難や死に直面することなんてそんなことないよ。
ただ一つだけ、この善と悪を知る火の実だけは食べてはいけないと主がおっしゃったわけです。
しかし、こんなふうにして、彼らの目の前に誘惑者がやってきたんですね。
悪魔が人の前にやってきて、こう囁いていました。
神様がこんな制限付きの人生を提供するなんて、不公平と思わない?
神様の言われたそのことをもうお飲みにしないで、その命令なんて無視して、
あの火の実を取ってみろ、食べてみろ。
そうすればあなたはものすごい素晴らしい知恵を得て、神のようになれるよ。
神様が作られたよりはるかに素晴らしい人生があるのよ。
食べてごらん。これが誘惑です。
残念ですが、人はこの嘘を受け入れてしまったんですね。
その結果が聖書全体の物語なんです。
個人であろうが、国であろうが、この世界であろうが、
今日、私たちが経験している悲惨や悲哀や苦しみ、悩み、死、そしてあらゆる問題は、たった一つのことから生じてしまった。
アダムとエヴァは神様に逆らってしまった。その命令に背いてしまった。
神様が備えてくださった人生を生きることをもうやめてしまった。
神様の聖なる掟を犯してしまった。
そして、その掟の代わりに自分自身の思いを、考えを、欲望をそこに据え付けてしまった。
取り替えてしまったんですね。
これが人間の傲慢なんです。
神様なくても大丈夫。私には何でもできるのさ。
30:04
今までやってこれたし、後の人生、そんなに長くもないと思っているんですから。
皆さん、よくよく考えていただきたい。
あなたの人生は何を基盤にしていましたか?
あなたは本当に幸せですか?
全てはうまくいっていますか?
自分には魂の疼きや苦しみなんてないと言うことができますか?
自分の内にある恥の思い、てかせあきかせを課せられているような気持ちを説明できる言葉を何か持っていますか?
人生の答えを持っていますか?
あなたの輝かしい人生に向かわせない何かが立ち塞がってはいないでしょうか?
この質問に考えていただきたい。
そして一体自分にはこの問いに答えを持っているのか?
今、正直に神様の見舞いで考えていただきたい。
真剣に取り組んで考えていただきたい。
あたかては自分の心の内に今経験しているようなことではなく、
何かもっともっと大きなことを経験するために自分は生まれたのではないか?
という不思議な感情を持ってはいないでしょうか?
もっと豊かな、もっと新鮮な空気を下へ求める内なる叫びがあなたにはないでしょうか?
ここで一つの動画を一緒に見てみたいと思います。
今日のメッセージは、よくまとめている4分ぐらいの動画ですが、
33:03
とてもインパクトもあって、私たちに教えてくれるメッセージがありますけれども。
ファンニャファンニャお願いします。
調子が悪いみたいです。準備する間進めていきたいと思います。
私、あたかてのすべての病や問題、苦しみ、そういったものの根本的な原因は、
どう生きたらいいのか?より良い生き方となるのか?
神様が示してくださった異常のことを自分は知っている。
大きな勘違いをしてしまったことに、我らの過ちがあるということです。
大きく第二の理由に進みたいと思います。
人間が絶えない問題に直面している第二の理由は、
裁きという事実に人が真剣に直面しようとなった。
もう一度申します。
このような絶えない、本当に苦しい問題に直面している理由は、
神様の裁きがある。その真理事実に真剣に私たちが直面しようとしなかった。
それが大きな問題です。できましたか?よろしくお願いします。
今日の物語から明確に見て取ることができると思います。
神様が人間をそうした裁きの下に置かれたことは間違いありません。
36:02
人間は言い開きすることができます。
神様は人に言っておられました。
あなたはこの園で生き、どのようなことでもすることができる。
ただし、私が信じているただ一つのことをするなら、あなたは裁きをあめくことになる。
神様が明確に告げておられたのです。
もう最初から裁きがあることが神様から語られていたのです。
それを無視することができない、あるいはないことにすることもできません。
創造主なる神様は当然の権利として、
その神様が定められた置き手の下に私たち人間を置かれたということです。
それでその置き手を置かせてしまうなら裁きがあるよと予告されていました。
だから人には言い開きができないのです。
神様は実に最初から人に大きな責任があると告げておられました。
神様は人を責任ある存在としてお作りください。
そして神様のその御神性の幾分化を人間に与えられたのです。
そして神様の思いを理解できるものとして作ってください。
神様の思いを知ることができる。
神様が何を喜ばれるのか。
神様が何を嫌われるのか。
それが知ることができる、理解できるものとして作られたのです。
バカじゃないのです。
神様の思いを知ることができる存在として作られた。
だからこれを切っちゃいけない、食べてはいけないことを分かっていたのです。
裁きがあることも分かっていたにも変わらず、誘惑に負けてしまった。
罪を犯してしまった。
神以上に自分に何でもできると思い込んでしまった。
言い換えますと、人間は裁きがあるという事実を無視してしまったということなんですよね。
今も世もそうではありませんか。
よく伝道をするんですね。
先月まで毎週火曜日、訪問伝道を姉妹たちと一緒にやりました。
39:06
都会の中央に行って行って回るながら、便分をして伝道をさせました。
子供の方にもいいです、結構です。
他の主張を信じてます、拒まれる。
ほとんどはそうです。
たまに話ができる人もあったりして会うんですけど、
その時にやっぱりこの聖書の話とかしたら、裁きがあることを信じないんです。
いや、認めない。
実は認めたくないんですね。
その恐れが怖いんです。
怖がっているから認めたくないんです。
認めなければならないのに、それを認めようとしない。
拒んでいるだけなんですね。
まさにアダムとエバの依頼は、全ての人類はそうです。
裁きがあるという事実を無視してしまったんですね。
悪魔の誘惑に人間は負けてしまった。
もっと幸せな人生があるよ。
恐れる必要なんてないよ。
神様はあなたをただ脅かせただけだから、
私の言う通りにしてごらん、と。
もっと幸せな完璧な世界があるよ、という誘惑があったんですね。
人間はそれを信じてしまって、裁きを招いてしまったんです。
それが今のこの世界の結果です。
ですから人間は自分が蒔いた種を絶えず刈り取らなければならなくなってしまった。
にも関わらずアダム依頼、全ての人類は同じ過ちを繰り返して繰り返して
犯し続けているのではないでしょうか。
聖書全体を殺してそれから間違っているよ、と繰り返して語っているんですね。
聖書は私たちにこのように裁きを屈辱しています。
裏切り者の行いは荒い。
悪どもには平安がない、と私の神は仰せられる、と聖書は繰り返して繰り返して語っています。
42:07
皆さん、神様に従わない道は苦難への続くのです。
しかし、従う道は真の幸せが続きます。
これが聖書のメッセージです。
ワンポイントで言いますから。
従わない道は苦難へ。
従う道は真の幸せへ。
これが聖書の語るメッセージです。
愛している皆さん、聖書のいいことを信じようではありませんか。
裁きの事実を認めようではありませんか。
マニアは亡くなる前に耳を傾けようではありませんか。
今日の聖書の文文を言おうとしていることをまとめますとこうです。
善能にて絶対者であり、働ききれないほど無限の力と尊厳をお持ちの神様がおられます。
その方がなんと私たち一人一人を個人的に知っておられます。
それだけではありません。
神様は私たちのすることすべてを見ておられる。
そして全知にして知っておられる。
ですから皆さん、私たちのするすべてのことで神様に見られず、神様に知られないものは何もありません。
私たちは神様に知られています。
ですから私たちが代わりを求めなければならないのはこのような善能な神様なんです。
神様は私たちが心の内の思いを知っておられます。
行いすべても知っておられます。
人が信じようが信じまいが、これが聖書のメッセージであり変わることはありません。
誰の人生にも神様の御声が突然聞く時が必ず訪れてきます。
神様はこの朝、こう語りかけておられます。
使徒よ、あなたはどこにいるのか。
45:03
神様は私の名前を呼び、あなたの名前を呼び、こう語りかけてくださいます。
私が与えた命をあなたはどのように用いてきたのか。
あなたの内に置いた魂はどうしているのか。
使徒よ、私はあなたに素晴らしい可能性を与えたはずだ。
使徒よ、あなたはどこにいるのか。
あなたは何をしてきたのか。
この問いかけに耳を傾けて聞こうではありませんか。
そして応答しようではありませんか。
大切な皆さん、これが全ての生徒の中心のメッセージです。
今日のこのお問いかけに真剣に向き合っていただきたい。
考えていただきたい。
皆さん、人は神様を離れては決して幸せになれません。
生徒全体には神様の裁きの告示が鳴り響いています。
それだけじゃなくて、また同時に救急の予告も響いているんですね。
今日のメッセージを終わりたいと思います。
神様は優しく人間の心を理解してください。
そして裁いて裁いて滅ぼすためではなく、
元のパラダイスに私たちを戻すために、
使徒よ、あなたはどこにいるのかと優しく語りかけてください。
その御声に従おうではありませんか。
どうか裁きに側面して悲劇で人生を終えるのではなく、
48:09
その裁きが訪れる前に、
間に合って応答して神の御声に従おうではありませんか。
お祈り。
48:26

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