1. 名谷教会 podcast
  2. 2011/08/07:聖日礼拝(旧音源)
2011-08-07 42:26

2011/08/07:聖日礼拝(旧音源)

2011/08/07 聖日礼拝(旧音源)


00:01
聖書を拝読いたします。
今日の聖書の箇所は、エペソビトへの手紙2章の11節から16節まで、新約聖書の375ページでございます。
エペソビトへの手紙2章の11節から16節までです。
エペソビトへの手紙2章の11節
ですから思い出してください。あなた方は以前は肉において違法人でした。
すなわち、肉において人の手によるいわゆる滑霊を持つ人々からは、無滑霊の人々と呼ばれるものであって、
その頃のあなた方はキリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
しかし以前は遠く離れていたあなた方も、今ではキリストイエスの中にあることにより、キリストの地によって近いものとされたのです。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、ご自分の肉において敵意を廃棄された方です。
敵意とは様々な規定から成り立っている戒めの立法なのです。
このことは二つのものをご自身において、新しい一人の人に作り上げて平和を実現するためであり、また両者を一つの体として十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました。
以上です。
聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
その後、キリストこそ平和と題して内田博士よりメッセージをいただきます。
03:09
聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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06:10
聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
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24:07
新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
新聖歌体に賛美していただきます新聖歌308番。
平和というのもどうでしょうか。かつては当たり前のようにあったんです。
創世紀を読んでみますと神様がアダムとイブにエデンのソノという素晴らしい土地を与えて
そこにあなたたちは生きていきなさい。人間たちはその中にこれから生きていくんです。
もう本当に素晴らしいそれこそ平和平安あるいはそんな言葉もいらないほどに
人間たちはそこに住みそして憩いさえすればよかったわけですね。
しかし人間は神様に背き罪を犯してエデンのソノから追放される。
それは今日においても同じです。
その平和というのももう当たり前ではないという時代。
平和というのがもうそこに普通にあってそして願いさえすれば平和が向こうからやってくるというような
あるいはもうスウェーデンのようにそこに備えられているそういうものではないんだということを
私たちは今日教えられなければならないと思います。
平和というものは自分たちで勝ち取っていかなければならないものとなったわけです。
そのことをイエスキリストは平和を作り出す人は幸いですとおっしゃったわけです。
平和を作り出す人平和平和とただ言っているものでもない。
平和をもちろん祈ることはしますけれどもそれだけであってはいけない平和を作り出していく。
これが私たちが平和を自分たちのものにする一つの鍵である。
平和というものがどういうものかみんなで考えそして学びそして努力して
時には犠牲を払ってでもその平和を自分たちのものにしていく。
まさに平和を作り出す。生み出していかなければいけないんだ。
それは私たちがじっとしていたのでは平和というものは私たちのものにならないんだ。
27:01
そのことを教えているわけです。
アシジノ・フランチェスコという人が平和を願って
そして自分も平和を作るためにどうしたらいいんだろうかということを
神様に祈ったという祈りがあるわけです。
要するに彼は自分が平和を作るために自分が用いられたい。
自分もその平和のために何かできることはないだろうか
そのことを示されて彼は祈ったわけです。
皆さんもご存知の方がおられるかもしれません。
フランチェスコの平和を求める祈り
主よ私をあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を。
いさかいのあるところに許しを。
分裂のあるところに一致を。
疑惑のあるところに信仰を。
誤っているところに真理を。
絶望のあるところに希望を。
闇に光を。
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを。
理解されるよりは理解することを。
愛されるよりは愛することを私が求めますように。
私たちは与えるから受け。
許すから許され。
自分を捨てて死に。
永遠の命をいただくのですから。
アーメン。
彼自身も何とかして平和を作り出そう。
生み出そう。
そう願ってこの祈りを捧げたわけであります。
私たちが平和をものにする一つ。
それは平和を作り出す。
そして二つ目に見言葉にありましたように
敵意を取り除くということです。
敵意というのは相反する二つのものの間にあるものですね。
それは別の言い方をすると心の罪。
それは怒りであったり恨みであったり憎しみであったり
そういうものがお互いの心の中にある状態。
それが敵意という形で現れてくるわけです。
二つのものを隔てている。
そこにこの敵意といういわば心の罪があるわけですね。
この敵意がある限りそこに平和はない。
国と国、民族と民族。
その争いもこの敵意という罪がそこにあるわけです。
30:03
はじめはおそらく片方が例えば支配欲に駆られて
その国を民族を侵略する。
侵略された方は当然そこに怒りを覚えます。
憎しみを覚えます。
そして敵意を覚えてそれにまた応戦していく。
そしてどんどんどんどんエスカレートして
大きな争いになっていくわけですね。
ある民族は別の国や民族に虐げられる。
この虐げによって憎しみが生まれる。
そして何とかまかしたいと。
その方法をいろいろ探ってその一つの現れとして
テロというそういう行為で応戦する人たち。
それが現在の新しい争いの形です。
やられたらやり返すという
そういうお互いの中に平和がありません。
ですから私たちが平和を手にするためには
そのお互いを敵対させている
その中にあるその敵意というものを
取り除く必要があるわけです。
もちろんその敵意を生み出すもの
それは支配欲の罪であったり
高慢の罪であったり
そういうものを取り除いていかなければならない。
それじゃあ個人のレベルにおいてはどうか。
個人と個人が相互に敵意を持って
そして仲違いをしている。
そういう状態。
そこには平和がありません。
あるいは心の中に平安というものはないわけです。
誰かに対して
もし自分の中に敵意に当たるものを覚えるならば
そこに平和はない。平安はない。
多くの人が幸福とか幸せの定義というものを
いろいろと言っています。
そのうちの一つ
私たちが幸福であり
あるいは幸せだと感じるのは
心が平安であるということです。
心が穏やかであるということですね。
ですけれども一旦ここに敵意
あるいは怒り、憎しみ、妬み
そういうものが起こったら
瞬時にしてその平安は失われ
そしてお互いの間に平和がなくなっていく。
ですから私たちはまず個人のレベルの中に
33:04
平安を持たなければならない。
平和をそこに生み出していかなければならない。
マタイによる福音書の5章の23章24節で
ある人が神様に備え物を捧げに行こうとしたわけですね。
それは神様にとってはとても嬉しいことです。
本当に信仰があるなという。
でもその備え物を持っていく途中で
自分が誰かに恨まれていることを思い出したならば
その備え物を置いて
そしてその兄弟のところに行って
まず仲直りをしなさい。和解ですね。
それはもちろん神様に備え物を捧げる
それも大事なことですが
それよりももっと大事なことは
自分の中にある怒り、憎しみ
そういうものを解決して
そして平安をいただくこと
このことが神にとっても何よりも大事なことなんだ
備え物をするのはそれからでいいのですと
神様はおっしゃってくださっている。
まず心に平安をいただきなさい。
ですからイエス流の仲直りする秘訣
それは相手が何か謝罪をするのを待つのではなく
仲直りを申し出るということですね。
思い出したなら自分からその兄弟のところに行って仲直りをしなさい。
必要ならば私にもし日があるならば
出て行ってその人のところに行って謝るということ
あるいは私に許してくださるなら私も許そうではなく
こちらからまず許すということ
これはおそらく先ほどの平和を生み出す
平和を作り出すということにも言えるかと思うんですね。
こちらの方からその人のところに赴いて謝る許す
あるいはお互いの理解を求めていく
そして仲直りをしていく
しかし敵意を持っている怒りを持っている憎しみを持っているお互い
なかなかこういうことはできない時があります。
そういう時はまずそのことをおいて
私たちは十六説にありました
十字架によって神と和解させるということが書かれてありました。
36:01
敵意をまずおいてそして憎しみ怒りをまずおいて
私たちは神の前に跪き
そして神の清さの前に自分自身がいかに醜いものであるのか
まず自分自身がいかに罪深いものであるのかということを
神様に示される必要があるわけです。
そしてこんな醜いこんな罪だらけの自分
そんな自分を神様哀れんで
そしてイエスキリストの十字架の
あがないを通して救ってくださった
神様は本当に私を愛してそして許してくださったんだ
そのことをしっかりと覚えて十字架を仰ぐということ
その十字架にイエス様はもうズタズタに引き裂かれて
血を流し頭に茨の冠をかぶせられ
そして槍で突かれて
そして真っ赤な血に染まったそのお姿で
貼り付けにされておられる
そして私たちに語りかけてくださるわけです
お前が持っているその憎しみ怒り敵
それによってあなたは本来罰を受けなければなりませんけれども
私が代わりにもうその罰を受けたのだから
あなたはもう怒りから憎しみから
そして敵意から解放されなさい
そうイエス様は私たちに語りかけてくださる
私とまず神とのその関係が回復されて
その神の愛と許しと
そして精霊の満たしをいただいて出ていく
そして仲直りをする
その時には神のアガペが満ちていますから
愛には恐れがありませんという御言葉の通り
私たちはどんな人にも今まで抱いていた憎しみ怒り敵意も
すっかり解放されて
憎しみから怒りから敵意から解放されて
仲直りをすることができる
民族と民族の平和あるいは国と国との平和も
あるいはグループグループのそういう平和も
まず一人のお互いの和解とそして仲直り
平和から生み出されてくるものなんだと信じます
あるいは家庭の中での平和平安
39:02
それもお互いがお互いを思いやる
そういう中から生み出されてくるものでありましょうし
もちろんお互い人間同士生きていく中で
何もない波風が一切ないということは恐らくないでしょう
時には怒りも憎しみもあるいは敵意さえも
起こってくることもあるかもしれません
その時は静まってまずそれを置いて
神の御前にひざまずいて
主よ私の敵意と怒りと憎しみを取り除いてください
そして神様殿をまず和解から始まって
そして十分に神の許しと愛をいただいて
それぞれに接していくということ
私たちは何よりもこの平和を願うならば
このキリストこそが私たちの平和であって
二つの適しているものも一つにしてくださる
そのお方であるということを十字架を通して
私たちは今日しっかりと覚えて
そしてここから使わされていきたいとそう思っています
お祈りをして聖山に向かいたいと思います
敵意は十字架によって葬り去られました
愛する天の父なる神様
今日は平和についていろいろと考え
また御言葉を通して学んだことであります
広島長崎の犠牲を思うときに
取り返しのつかないような大きな悲劇を
人間がしてしまったということ
このことを深く覚えて
二度とこういうことがないようにと願うものでありますし
また核兵器がすっかりこの世からなくなるように
どうぞ人間たちのその愚かさを
どうぞもう一度一人ひとりが覚えて
そして神様によって作られた人間たちが
神様の御胸にかなう行いをしていくことができるように
どうぞ助けてください
また私たちの身近なところでの
お互いの関係の中で
もし憎しみや怒りや敵意があるならば
どうぞ今すっかりそれを取り除いてくださるように
そして行って仲直りをしなさい
神との和解から人との和解へと
どうぞ向かわしめてくださるようにお願いをいたします
私たちの幸いは心に平安があること
42:00
また日々の生活の中に平和があることです
これからこの日本を世界を担っていく
子どもたちや若い人の上に
どうぞ素晴らしい未来が備えられていますように
信じてゆだね
主キリストの皆によってお祈りいたします
アーメン
42:26

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