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2020-01-12 38:19

2020/01/12:神に祝福された人生の法則21(18)神の目で自分を正しく見る

2020/01/12 聖日礼拝

尹善鎬牧師

テサロニケ人への手紙第一 5:4-5


00:01
みなさん、おはようございます。
今日も、私の前でご一緒に礼拝できますことを、本当に感謝いたします。
自らにも祈っていただきましたけれども、先週、月曜日から金曜日までは、
新年祝福待望基督会が、私が赴任しましてから行われておりまして、7回目行われました。
今年は、あらゆる世界の情勢や教会の様子、さまざまなことから、
イエス・キリストの再臨に備える信仰という場をもって、
5つのテーマに沿って見事をいただきました。
ある方は早朝から夜、あるいは午前、説明者の方も1週間目に出席してくださって、
また、メッセージの後は、共に祈り合おうときが持たれて、本当に感謝でした。
本当にね、その恵みを覚えて、また来たくても来れなかった方々の上にもね、
また来年、1週間行わせてくださればね、一緒に恵みをお受けしたいと思います。
では、周りの方とですね、挨拶を交わしましょうかね。
はい、それでは一言を祈りいたします。
あなた方は皆、光の子供、昼の子供だからです。
私たちは夜や暗闇の者ではありません。
アーメンしよそうです。
私たちはもはや、夜や暗闇の者と例ではなく、
光の子供、昼の子供、神のことされた者です。
この信仰をもって、今日、あなたを求めているこの群れの上に、
しよ、どうぞ、あなたの言葉をお語り下さい。
下部やお聞きいたします。
御手に至れて、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
感謝します。
はい、去年の11月までですね、この神に祝福される人生の法則21の17回までさせていただきまして、
03:07
そして12月新年過ぎてですね、
久しぶりにこのシリーズ、説教に帰ってきました。
今日が18回目ですから、18、19、20、21、
今日含めてあと4回残っていますけれども、
今日の題は、神の目で自分を正しく見る、神の目で自分を正しく見るということになります。
最後の、今日含めて最後の4回は、この全体のテーマの中のまた小シリーズになります。
今日から4回のメッセージが全部、一つのメッセージを、
今日1回ってできませんので、4回に、4回で足らないと思いますけれども、
4回に分けてですね、このテーマについてお話をしていきたいと思います。
ですので、今日はその4回の小シリーズのメッセージの序論的な内容になるかと思います。
私のこの分野、これについていろんな悩みをしたり、祈ったり、あるいはたくさんの本を読んだり、
あるいは学びをしたり、研究をしたりすることを土台にいって、
私が語るんじゃなくて、聖列様に語っていただいてですね、見ていきたいと思います。
4回の内容になりますけれども、語る私も皆さんも純粋な心、素直な心を持って、
そしてそれを自分自身に当てはめていくならば、きっとですね、美しい結果になるかと思います。
私たちは神様を信じて、神の子供とされました。
つまり私たちの霊は永遠の命を得ており、私たちは死から命へ、暗闇から光へ、すでに信じる時に映されました。
これは神様がなされた変わらない事実であります。
私たちが本当に救われたならばです。
ところが、残念ながら信者になっていても、クリスチャーの中でも救われただけれども、
06:04
光の子供になったにもかかわらず、永遠の命を得ているにもかかわらず、
自分が誰なのか、自分が果たしてどんな存在なのか、アイデンティティとよく言われますよね。
自分に対する自分のアイデンティティ、セルフイメージがもう歪んでしまって、そしてそれが間違ってしまって、
それで自分や人を正しく見ることができていなくて、残念ながら信仰の成熟が、人格の成熟が、まことの自由を味わっていない、
そして悩みに悩んでいる人々が少なくないということであります。
この間違った、歪んだ自分へのこのセルフイメージ、その自分のアイデンティティ、本当の自由、神の目、そして神に対するその誤解が、
この間違いが、この歪みが、私たちの本当の自由を、本当の信仰の喜びを妨げてしまうということであります。
ですから、私たちに必要なのは、私たちが、皆さん一人一人、自分が神にあってキリストにあって誰なのか、それを正しく知ることです。
それを見つけて、はっきりと認識することが大事であります。
今回のこの教育シリーズのメッセージのタイトルは、最初は、私が誰か今分かりました、としようとしてもしたんですけれども、これに今日のテーマになりましたけれども、そういうことなんです。
私が誰か今分かりました。
皆さん、どなたか、皆さんを知らない方が、皆さんにあなたは誰ですか、あなたは誰ですかと聞かれたら、皆さんは大体何と答えますか。
すいませんが、大村佳代です、みたいに答えるでしょう、名前をね。
あるいは、誰々の妻ですとかね。
あるいは、日本人ですとか。
あるいは、身長171で体重は65キロです、私ですけどね。
あるいは、自分の仕事ですね、海外人です、学生ですと答えるかもしれません。
09:01
しかし、それは名前であって、あるいは国籍であって、あるいは体の条件であって、本当のあなたなのかということであります。
もしそれが皆さんだったら、もし名前が変わったら、あなた、私だけじゃなくなるんでしょうか。
国籍が変わったら、自分じゃなくなるんでしょうか。
体重が増えたり減ったりしたら、自分自身がなくなるんじゃないでしょうか。
そういうことではない。
私たちは、イエス様を救い主として信じて救われた、新しく生まれたもの、私たちには、名前がなくなっても、国籍が変わっても、体の条件が変わっても、病気になっても決して変わらない、私たちのアイデンティティ、それがあるんです。
それを知ることが大事です。
これを知って信頼して生きることによって、神様との関係が本当に美しくなる。
そして本当にキリストにあって幸せに生きるようになるということであります。
皆さん、私たちの名前とか国籍とか、あるいは自分の外見とか、あるいは自分の財産とか、あるいは自分の職業とか、あるいは自分の役割とか、
あるいは自分が乗っている車の種類とか、あるいは自分の能力とか、あるいは自分の健康の程度とか、これらは実はイエス・キリストを信じて救われた、新しく生まれた自分自身を知ること、自分の本当のアイデンティティとは関係がないということであります。
私たちはこれを正しく見て知ることが大事なんです。
というのは、神様が私を誰だと見ておられるか、神の目に私は誰か、救われて新しく生まれた自分自身が誰なのか、
神の御言葉が自分を誰だと言われているか、これを知ることが、そしてそれが自分の本当の自分であります。それが本当の自分のアイデンティティであります。
なんでならば、この世はアダムの依頼、堕落しています。私たちは今堕落した罪のあるこの世界に生きているわけですから、
12:11
歪んで堕落して間違ったこの自我の概念、アイデンティティ、特にこの世の堕落した罪深い世の物差しで、世の堕落したその目で、それで自分が新しくされたにもかかわらず、
この世の物差しで自分を測ったり人を測って、自分が強い弱い大きい小さい偉いダメだ良い悪い、そういうふうに測ってしまう間違いを、私たちはあまりにも多くしているのではないでしょうか。
堕落したこの世の物差しで、私たちは自分を見ること測ることを止めて、また人を測ることも同じです。
それが家族であろうが、兄弟姉妹であろうが、世の人々であろうが、それをね、この世のもうそもそも歪んでしまって間違ったあの堕落した物差しで測って結果が正しい結果が出るわけではないです。最初からその物差しが間違っているということなんです。歪んでいるということなんです。
堕落したこの世の目、堕落したこの世の物差しで自分自身を測る愚かさを私たちは受かってはならないんです。ではどうしたらいいのか。
それはそのこの世の物差しやこの世の目や価値や価値観やそういうものから切り替えて、神の物差しで神の目で自分がキリストにあって神にあって誰なのか。
十字架で獅子を流してくださったイエス・キリストを信じて新しく生まれた自分自身が誰なのかを聖徒の教え、その神の目で自分自身を正しく見ること、そこから本当の自由が本当の幸せが本当の信仰人格の成熟がそこから花咲くということであります。
そして私たちは本当に自由になるんです。自分が弱くても罪を時に犯しても能力がなくても病んでいても若くても年をとっても低れてもおもにから自由にされるということであります。
15:08
聖結論を先にお話したいと思います。私たちは誰ですか。あなたは誰ですか。救われて新しくされた私は、皆さんはキリストの中にある神の子供です。アーメンですか皆さん。キリストになって新しく生まれた私たちは光の子供です。
今日の語説をもう一度一緒に読みたいと思います。語説。一緒に読みますね。
あなた方は皆光の子供、昼の子供だからです。私たちは夜や暗闇のものではありません。アーメンですか皆さん。アーメン。アーメン。私たちは夜や暗闇のものではないんですよ。
皆さん救われましたか。そしたらあなたは光の子供、昼の子供なんです。それが神の声なんです。あなたはまだ夜の子供じゃないか。あなたはまだ暗闇のものじゃないかという声はサタンの声なんです。それを聞いてはいけない。
この神の宣言を、神の真理を信じて認識して生きることが信仰であって、そこから本当の自由が始まる花里ということであります。皆さん、でもこの世はどうでしょうか。
私たちの価値を、身分を、その人の尊さを決めることが、神の、創造主の神の基準じゃなくて能力の程度なんですね。あるいはどんな家に住んでいるか。屋敷みたいに、邸宅みたいなところに住んでいるか。ぼろぼろのね。
財産はどれくらい持っているのか。職業はどんなものなのか。あるいは旦那さんの仕事はどんな仕事なのか。国籍はどこなのか。元気であるか。病気であるか。女性だったらどれくらい美しい顔をしているか。いいボディを持っているか、みたいに。
そういうものを持って、この世は人を計るんです。計られる。そして、いい人、素晴らしい人、成功したい人、出世したい人、だめない人、みたいに。皆さん、覚えていてください。そんなものが私たちの人生を左右することはできないんです。
信仰を持ってクリスタルになっても、こんなもので左右される、あるいは自分自身がそういうふうに思う、偉い、悪い、思うことから私たちは本当に自由にならなければならない。
18:32
ある人は、神の前にも、あるいは人の前にも、自分自身を隠すのが隠し上手なんです。自分の弱い部分や、自分の家族の弱さや、あるいは自分の過ちや、そういうものをよく隠し、本当に上手なんです。
そういうある人は、自分のだめなところ、自分の弱さ、あるいは自分の家族の罪を、それを隠さないで、美化しないで、飾らないで、ありのままで、それを表して、祈ってほしいと助けを求める人がいます。
後者の方が、人格的に、信仰的に、皆さん私たちは、この外見的に人から見られる部分に、ものすごく力を入れて、それを上手に隠そうとして、
いつも何かのね、もう鎧を着て、もうマスクを着て、かぼとをかぶって、そうして良い人に、偉い人に、上手な人に、何の問題も傷もなく、何のトラブルもない、何の罪もない、みたいに見せようとする、その中に、歪んだ、あの物差しがあるということであります。
それで、この世の影響によって、不利者になっていても、こんな思いを持たれる人がいたりします。
自分が本当に金持ちになったら、自分が成功したら、もっと良い車に乗ったら、自分の家がもう十億円ぐらいの良い家になったら、自分の夫が成功したら、そして自分がもう金持ちだけ入れる社交クラブにその会員になっていたら、自分のアイデンティアが変わるだろう。
自分のセルフイメージが変わるだろう。自分は本当にもう尊い貴婦人になるだろうと、そういうふうに思っていることは世の物差しでありません。
21:02
神を信じながらも、その物差しをまだ持っているならば、今日から皆さんそれを捨ててください。それを追いかけて生きるのを止めていただきたい。
皆さん、いくらそうなっても、自分自身の内面は決して変わらない。
それをみんな飲み込んでしまった。それで自分のきれいな外見、人から褒められることをもっともっと聞くようになったら、それが本当の自分だとみんな錯覚している。
あるいは、いい仕事ができて、金持ちになって人々から羨ましいなと言われると、それが本当の自分の価値だとみんな勘違いしている。それが信念になっている。
しかしこの人たちは、それはただ他の人に見られるものだけであって、それは本当のあなた、自分自身ではありませんと言っている。
人々は金持ちになったらもっと幸せになるだろうという信念を持っている。
人々は豚骨の車よりベンツみたいに高貴者を持っていたら、自分の地位が、身分が、アイデンティティが高くなるだろうという信念を持っている。
自分が成功して人々から羨ましいと羨まれる、そういう仕組みを持っていたら、自分の人格も信仰も身分も高貴なものになるだろうという信念を持っている。
しかしみなさん、聖書はどこにもそう教えていない。
この信念というものは堕落したこの世から来たものである。神から来たものではなく、サタンから来た偽りの信念であるということを、私たちは知らなければならない。
24:06
みなさん、聖書をよく、ソロモンのことをよくご存知でしょう。
ソロモンはイスラエルの歴史上、もう最前世紀の時の王様だった。
あのソロモンは最高の権勢を、地位を、富を、女性を、領土を、権力を持った王様でした。
今日も、このソロモンくらいの富や地位や全てを持った金持ちはないと言えるくらいなんです。
もし人々からの尊敬や、そして認め、外見、業績、あるいは身分、それによって人生が決定していられるとしたら、もうソロモンが世界一になるかもしれない。
ところがどうでしょうか。幸いにも、ソロモンは後々に、本当に自分の目が開かれたんですよね。
自分の目が開かれて、本当の自分は何なのか、自分のこのアイデンティティすれば、もう分かってきたんです。
これらのものは、この領土、権力、あるいは富、こういったものによって自分自身が決まるものではないんだと。
彼は、神によって自分のアイデンティティに対する正しい解釈を、正しい知恵を、正しい目を、物差しを、神様から与えられたんですね。
これは、ソロモンに対する本当に神様の素晴らしい恵みだと思うんです。
皆さん、ソロモンが自分自身のそういったすべてのものに対して、何という解釈をしているのでしょうか。どんな物差しで言っていましたか。
電動車の表をちょっと開きます。旧約聖書の電動車の表、1卷1節2節です。旧約聖書の1102ページです。旧約聖書の電動車の表、第1卷1節と2節です。1102ページです。
一緒に読みたいと思います。エルサレムでの王、ダビデの子、電動車の言葉。空の空、電動車は言う。空の空、すべては空、雨。
27:14
どうですか。世界最高の富や権力、あるいはもうね、男子だから女性のことや外交力や領土や、世界最高のものを持っていて味わっていたあのソロモンが、その時はわからなかった。
これで自分は偉い人だ。自分は高貴な人だ。こんな世界で俺みたいな王様がいるんだろうか。俺は偉いんだ、みたいに、あの時はね、それを楽しんでいたんですよね。盲目だったから。それで自分が高い人、高貴な人だと思っていたんですよ、ソロモンはね。
でも後々、後々になって、その目から鱗が落ちて、その世の堕落した物差しではなく、神の物差し、神の目を自分にすればね、もう神様から与えられて、自分を見たら、ああ、これは全部もうゴミなんだ。
もう虚しいものに過ぎないと、それで彼はこの伝道者の書を託する。
皆さん、この末深い王のお話に耳を傾けて聞こうではないでしょうか。皆さん覚えていてください。
もしも皆さんが本当に神によって救われたにも変わらず、もしも少しでもまだあの富を、あの高貴な成功、ああいうクラブであろうが趣味であろうが、そういう群れに入ろうとする。
あるいは入って自分は偉いと思う。いいものを持っているから自分は偉いと、尊いものだと思う。そういったものによって私の価値が決定付けられることはないんです。
世の中の駄々こした公式がありますよね。成功イコル幸福、金持ちイコル幸せ、失敗イコル不幸、貧乏イコル不幸みたいな。
30:00
だから神の公式ではない。
堕落したサタンが巧妙にこの世界に、人間の社会に植え付けてしまったサタンの公式なんです。それによってそれを依順にして生きていってはいけないんです。
アメリカのある高等学校で男女学校で男性の生徒たちにアンケート調査をしました。これは仮定をして調査をしました。
学校にちょっと言葉荒れても理解してください。とてもブサイクで、デブで、資力もめっちゃ悪くて、分厚いメガネをかいていて、毛だらけの、そして勉強も最低の女の子がいます。
この女の子が将来に幸せになれると思いますか?とアンケート、さっき言ったあの牧師がしたそうなんです。
結果はどうなったと思いますか?100人中うち98人は、あの子は幸せに絶対になれないと答えたそうです。
日本もそんなに変わらないと思います。皆さん、世の物差しはそういう風にして人を計るんですよね。
もしも教会の中でも、福利者になっていても、金持ちは祝福された人、貧しい人は祝福されていない人、いい仕事を持っている人は祝福された人、あんまりいい仕事を持っていない人は祝福されていない人、
あるいはそういう夫や奥さんを持っている人は好奇な人、そうでない人は駄目な人、あるいは成功した者はみんな無条件いい信仰を持っている人と決定してしまったら、私たちはただに黙られているわけなんです。
それは福音ではないんですよ。福音がなぜ福音でしょうか。福音がなぜ良い知らせなんでしょうか。
それは堕落した世の物差しで自分自身や人生や人々、世界を計るのではなく、作り主の神の父なる神様の慈しみと愛と豊かな許しのあの目で私たちを見てくださるから、
あなたは光の子ですよ、あなたは私の子ですよと語ってくださって見守ってくださるから、それが福音なんです。だからそれが良き知らせなんです。
33:04
だからキリストにあって新しく生まれた私たちはこの価値観、神の価値観、物差しを持って神の目で自分を見て生きるんです。それが福音なんです。
皆さん、私たちの存在は既にイエス・キリストによって尊いものにされました。私たちは光の子とされました。高貴なものにされました。
どれくらい私たちの価値が高貴なんでしょうか。神なるイエス・キリストの命と変えられるほど高い高貴な尊いものと既にされたんです。
ただの声を聞いてはいけません。人の声を聞いてはいけないんです。世のものたちで私たちの人生の価値が決定されることではない。そこに語っていないんです。
この真理を正しく知るときに私たちは本当の自由を…
救われた神は神の尊い子供でありました。既に尊くされています。愛されていますし、愛される資格がありますし、既に神に愛されていて、既にキリストの幸せが、キリストの祝福が私たちに与えられているということなんです。
これが神様が語る、聖書が言う私たちの存在であります。アイデンティティであります。私たちの尊さであります。それが私たちの身分であります。
皆さんどうか、堕落した世の価値基準を追わないでいただきたいです。あるいは、堕落した世のものたちで自分を測ったり人を測ることをやめてほしいんです。
今日の御言葉は、家様を救い主として信じて、新しく生まれた私たちに対して、あなたは闇や暗闇のものではないんですよ。光の子供ですよ。昼の子供ですよと宣言しているんです。
雨ですか、皆さん。堕落した世の声や諸さんの騙しの声を聞かないでいてください。私を救って、私のために一人後を死に渡らせてくださった神の愛のメッセージを聞いていただきたい。
この世は、罪によって堕落しています。すべては堕落しています。だから人々は、計るものも価値観も考えもすべては、神様が最初作られた尊くて美しい品性や人格や価値や身分や存在の意味それよりすべてを失われてしまいました。
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サタンに奪われてしまいました。それでサタンにも取り憑かれていって、みんな学って間違ったものさせて価値観で思いで生きているわけなんです。しかし私は、神様を救い主として信じて新しく生まれた、救われたものでありました。
私たちの魂は新しくされました。だから、もはや私たちは、古いものはすき去ってみよう、すべては新しくされたと、第2コリント5章17つの御言葉を皆さんよくご存知でしょう。
新しくされたんです。尊いものにされたんです。愛されるにふさわしいものになっていますし、イエス・キリストの命の価値ほどあるものに。
これは神様が宣言してくださって、信頼してくださって、最後まで守らせてくださるんです。これが本当の私の自分自身であります。
だから、神の目で、私は光の子、神の子、尊いものである。自分の能力、もの、富、健康、様々なものによって自分自身が決まるのではない。私は神にあって尊いものである。
この福音を握りしめて歩んでいこうではないでしょうか。この神の宣言を信じて、礼的においても、信仰的においても、人格的においても、健全で健康で、そして本当にキリストにあって幸せな歩みをさせていただきましょう。
また来週に続きます。お祈りします。
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