1. 名谷教会
  2. 2013/08/04:聖日礼拝(旧音源)
2013-08-04 42:48

2013/08/04:聖日礼拝(旧音源)

2013/08/04 聖日礼拝(旧音源)




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聖書課題は、旧約聖書、4篇、第22篇、1節から2節までです。
旧約聖書、旧約24ページです。
それでは、司会者が解読させます。
我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。
私のうめきの言葉にも。
我が神、昼私は呼びました。
しかしあなたはお答えになりません。
夜も私は黙っていられません。
アーメン。
それでは、本日のメッセージは、今回のチームの担当として来られています、水泳道教会の高等部の担当部長であります、清永明先生によってメッセージを取り付けていただきました。
私が通訳をさせていただきます。
幸せなつのみです。
おはようございます。
隣の方々とですね、挨拶したいと思いますけれども、おはようございます。
隣に座っていただいてありがたいです。
よくいらっしゃいました。ありがとうございます。
おはようございます。私たちは、先週の木曜日に神戸に着きました。三地選挙チームの者たちです。
03:02
また、こうして美しい妙谷教会に私たちを招いていただいて、本当に嬉しく思います。
私のことをちょっと紹介させていただきたいと思います。
日本と私の出会いは、8年前に遡りますね。
初めて行った町が福岡でした。
日本に対するとても良い印象を持って帰りました。
その後から8年間、毎年日本に選挙チームを連れて日本に来ています。
私は日本が大好きです。
日本の食べ物も大好きです。
お寿司、カレーうどん。
全部大好きです。
男には温泉にも行きました。
このようにとても良い所に住んでいらっしゃる皆さんにお会いできて、とても嬉しいと思います。
先ほど読んでいただきました説明書から、九難の時という題を持ってメッセージを取り付けていきたいと思います。
今日のメッセージを通して、心の中に重荷を抱えていらっしゃる方がもしいらっしゃるならば、
その重荷を下ろすことができる恵みの時でありますようにお祈りいたします。
私は今、富山にある水泳の教会の高等部を担当しております。
高校生たちの中には、
楽しく幸せなこともたくさんありますが、
生徒の中には、大変な時を通している
そういう生徒たちもたくさんいますし、いろんな悩みを持って、私に富山に来る生徒たちもたくさんいます。
この天教に出発する前に、
06:03
インターネットで青少年に対する記事を見ました。
その記事のタイトルはこうでした。
青少年が家を出るきっしんする理由は、
それは家庭不安の問題でみんな家から出てしまうということです。
その記事を見ると、その青少年たちは問題ではありません。
日本はどんな状況であろうか、私ははっきりしていませんが、
韓国の場合は、
勉強に対するストレス、
社会的に生徒は、
成績を持って人を判断するという雰囲気があります。
その寂寞な社会的な雰囲気によって、青少年たちの心は非常に穏やかになっています。
それに加え、その家庭も、その雰囲気によって、確かに蠢いています。
その社会的な雰囲気だけではなく、家庭においても様々な不安や、
揉め事でみんな悩んでいるのです。
私の高等部には約550人ぐらいの高校生が教会に来ていますが、
その中に多くの生徒たちが様々な悩みを与えております。
ある日、蒼天の祈りの時でした。
彼らのためにですね、祈っていたんですね。
その神様の憐れみの心が、私の心に伝えてきました。
彼らの中に多くの問題がありますけれども、
でも彼らはそんなにたくさんの問題が掲げているのですが、
自分は僕として何一つ彼らのためにすることができることがないということで、
自分も本当に悩んでいました。
彼らのためにですね、手助けにお役に立ちたいと願ってはいますけれども、
09:01
私も常に私の目には届かない子供の生徒たちがたくさんいるわけなんです。
本当に生き苦しかったんですね。
そう、福音には確実な力がありますよね。
なぜ神様、彼らの問題はなぜ解決されていないままなんでしょうか。
いつになったらその問題が解決されるんでしょうか。それが終わるんでしょうか。
そういうのになくなっておりました。
でも何の答えもありませんでした。
心の中に平安もありませんでした。
そういうふうに祈って、祈りを終えました。
私はいつもですね、当ての祈りが終わったら、いつもように詩編を一遍ずつ読むんですよね。
その日も詩編を一遍読んでいました。
その日の本文が今日のこの二十二編でした。
この一節二節を読んでいた時に、
この詩編の中に私と同じ心を持っている人が、この一節二節の中にその人がいました。
私がもう一度お読みいたします。
この人は何の答えもいただいていないまま、
無記録のようなお姿で十字架で架けられて亡くなられたイエス様、
そのイエス様のお姿が思い浮かんできます。
ダビデはこの詩編で、
放棄された者のその姿を隠すことなく、
追い詰めして語っているんです。
いくら祈っても答えられていない。
神様に向かうこの悲しい心がですね、そのまま明らかに書かれているんですね。
では問題は、
答えてくださない神様にだけ問題があるわけではありません。
12:03
六節をですね、私がお読みします。
しかし、私は無識者です。人間ではありません。
人の素知り、民の詐欺すみです。
周りの人々からの素知りやあざけりが続いているんですね。
信仰の人はたまに、あるいは時々にですね、わけもわからないそういう苦しみにですね、やられる時が時々あります。
僕は信仰の通りに生きてきたのに、この苦しみは一体どこから来たのだろうか。
神様よきおかかであられるのに、なぜ我らの人生にはこんなに苦しみが多いのか。
私の頭では理解できない、その苦しみは、私の人生を揺さぶることがあり得ると思います。
私の頭では理解できない、苦しみは、私の心をしんどくさせます。
その時に、この試編の記者、ダビデは信仰を持って神様の御前に近づいていくんですね。
3節を私がもう一度お呼びいたします。
けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を妻としておられます。
ダビデは苦しみの中に、むしろ賛美を持って主の御前に近づいていきます。
その時に歌う歌は、ただの歌ではありません。
心を尽くして、嘆き、痛み、涙のような賛美です。
死を塞がれて、咳だらけの状況です。
でもその時の歌う賛美と、ただの平安で平凡な時に歌う賛美とは、その賛美、二つの賛美は全く違います。
9節を私がお呼びいたします。
しかし、あなたは私を母の胎から取り出したかつ、母の渋さにより頼ませたかつ。
15:00
10節もお呼びします。
生まれる前から私はあなたに委ねられました。
母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。
主は私の神です。
皆さん、この賛美はどんな賛美でしょうか?
その胸の中に信仰を持って、
すべての状況を乗り越えた信仰を持って、
捧げる賛美がまさにこの賛美です。
皆さん、この歌、このような姿が神様の心にかなった姿です。
それが、ダビデの賛美です。
皆さん、ダビデは、自分の頭や知識には理解できない状況に囲まれていても、
自分の賛美を止めることはありません。
このような信仰こそ、
ヘブルビデの手紙11章のその信仰のまさにその歌です。
私が読みます。
ヘブルビデの手紙11章です。
信仰は望んでいることがあることし、目に見えないものを確信させるものです。
今からですね、今回のメンバーの一人にですね、生徒一人に
神様の恵まれたこと、そのお明かし、教会ではお明かしと言いますか、その明かしをしてもらいたいと思います。
今回ですね、6人の高校生たちが来ましたけれども、
この今回の一週間の滞在のために、
3月から祈りをもって供えてまいりました。
その中にですね、本当に心を尽くしてよく真面目に準備してきた女の生徒に
アカウントをしてもらいたいと思います。
こんにちは。私は高校3年生ののすやんと申します。
私は、小さい時から裕福な家庭で育てられました。
18:02
お父さんは歯科医師で、またお母さんは聖楽歌を歌う人でした。
小学生の時は、聖堂も本当によく行っていました。
しかし、小さい時から私はもう絶対に死んでも教会には行かないと決めていたものでした。
しかし、ある日、私が小学校6年生の時、ある事件が起きました。
お父さんが、ある日から家に帰ってこないんですね。
あえて、家から出てしまいました。
いつかは帰ってくるだろうと、漠然と待っていたんですね。
結局、家に帰ってこなかったんですね。
家族全部捨てて、
別の女性と同棲をし始めました。
私には理解できませんでした。
後からは、もう生活費も、お父さんから来る事も捨ててしまいました。
住んでいた家からも、出て行かなくなり、引っ越していかなくならない状況になってしまいました。
そういうようにして、中学生になりました。
友達や周りの人々に、自分の家の事を隠そうとしていましたけれども、
私が通っていた中学校には、お医者さんの子供たちが結構多かったんですね。
ですから、彼らの家族とかが知られようとしたら、みんな私の事を知られるわけなんですよね。
特に、あのような時期には、
パパはですね、母に何度も何度も離婚しようと要求していました。
でも、母は私のために、絶対離婚だけはしないと願っていたんですね。
21:00
訴訟も進めました。
それでですね、法廷ですね、離婚証訟も進んでいました。
このように、家族をですね、家庭を潰そうとしているパパのことで、
私はとても小さい時から、心に大きな傷を持っておりました。
このような心の病が積み重ねて、
中学校2年生の時に、小児リマティスという病気を判定されました。
心の病も深くなってしまったんですけれども、
身体の病気もどんどんどんどん、深くなってきました。
朝はですね、起き上がることすらできない、歩くことすらできない状況でした。
病院には診察に、治療に行っていましたけれども、何の回復もありませんでした。
お医者さんもですね、この病気はもう治せません、もう無理ですと言われました。
それで私はですね、一人でいる時ができたらですね、
涙だらけで時間を潰していました。
お母さんもこのように、パパのことで心が崩れている時に、自分も同じく潰れてしまったらダメだと、そう思っておりました。
ですから母の前にはですね、涙をですね、あえて見せなかったんですね。
いつもですね、口先でですね、大丈夫よ、大丈夫よ、そういう風に振りをしていました。
何の問題もないようにですね、本当に幸せな子のように振りをしていました。
誰にも心のこの傷を、悩みを明け渡すことができない状況で、
私の人生はもうどんどんどんどん、満足にですね、陥ってしまったんですね。
何度も何度も自殺しようと試みました。
まあ、小学生の時までカトリック教会に来ていましたから、漠然とですね、神様はおられるんじゃないかな、そういう思いは持っていました。
24:03
神様が本当にいたら、私をどうしてこんなに苦労させるんですか、そういう風に訴えたりしました。
毎日の生活がもう苦しみで、地獄でした。
ある日のことです。母の知り合いの方がですね、教会のクリスチャンでですね、教会の賛美の奉仕をしてくれませんか、と頼まれたんですね。
ただ、お母さんがそういう風に頼まれて、制約をしたわけですから、教会に昔行ったことがあるんですね。
でも、心よくですね、はいと答えたんですね。
それで、母は私の病気の癒しのために、毎朝教会の早天人会にも出ていました。
しかし、今からず病気は癒されていませんでした。
自分もその病気でですね、苦しくて苦しくて、もういられなくてですね、どうしようもなくて、母について教会に行っていました。
教会には行きたくなかったんですけれども、早天人会だけでは行ってもよかろう、そう思っておりました。
毎朝ですね、うまく歩くことすらできない私を、母は音符をしている風にですね、私を連れて教会に連れて行ってくれました。
家から近い教会に行っていました。
涙しながらひたすら祈っていました。
そのお母さんの涙して祈るその姿を見て、私の心も少しずつ開かれたんですね。
何ヶ月経ってからは、お母さんと一緒について日曜日に、
7人が集まって、7人くらいの教会に行って、日曜日の礼拝も捧げ始めました。
ところで、中学校2年生の時に、学校の3人先生が私に聖書を読んでみて、そういう風に進められました。
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ミシュラムスクールだったんですね。
でも、教会に対する嫌な気持ちがあってですね、ちょっと躊躇っていました。
でも私、とても愛して大切にしてくれている先生ですから、もう言えなかったんですね。
そういう風に、私は聖書に触れるようになりました。
少しずつ神様と家様について知るようになりました。
その頃、うちの家庭の事情がですね、生徒の親たちに知られるようになったんですね。
生徒たちによく、それが知られている噂が広まってですね、父がいない子だ、そういう風にですね、悪口を言われたりしたんですね。
とても親しい友達がいたんですけれども、その友達すら、ある日私にですね、
その方がですね、うちのママが言ったんだけど、あなたはお父さんいないからよく仕上げなさいと、うちのママから言われたよ、とこの人が私に言ったんですね。
私のお父さんがいないということだけで、多くの親たちはですね、
自分たちのことも私としては少ないことがですね、知られていました。
自分のお父さんにはですね、近寄りしないで、そういう風に言われたそうですね。
そういう苦しい時でしたから、私は神様にもっとですね、近づいていきました。
その年の12月でした。その聖教を学びをしているメンバー4人をですね、先生が連れて、
その先生が、もうたった一度だけでもいいから、僕の教会に一緒に行きましょうと、支えてくれたんですね。
30:03
好奇心と恐れはの気持ちで、先生について教会に行きました。
韓国にあるプンサガン教会、豊かな教会という教会でしたけれども、
不思議にも、教会に初めて入って座って賛美を聴いた途端、
もう全然知らない嘘なのに、もう目から涙がボロボロ流れてきました。
心の門が開かれる、そのような気持ちでした。
今ですね、振り返ってみたら、それはもう一方的な、無条件的な神様の恵みだったと思うんですね。
神様が私の心を触れてくださったんですね。
神様がどれほど長い間私を待っていてくださったのか、
その時に、やっと語ることができました。
イエス様にお会いしてから、不思議にも私の心が開かれていました。
教会に対する教育が、この嫌な気持ちもなくなりました。
信仰も少しずつ伸びてきました。
朝、学校に行ったらですね、まず聖書を開いて、一日を始めていました。
毎日聖書も読んで、
3年生の時にはですね、学校のミッションスクールですから、電脳部長として奉仕もしていました。
高校生になってからは、今の水道教会に登録しました。
登録してから3ヶ月が経って、
病気がですね、なおさら悪化になってですね、ひどくなくですね、学校を辞めせざるを得なかったんですね、辞めました。
それで、ひとつだけ神様に願って、ねだっておりました。
今まではもう恨んでいたこの病気のことですけれども、
神様に出会ってからは、その恨みが感謝の気持ちに変えられたんですね。
もう本当に壊れてしまったその家庭の事情も、それが感謝の課題に変えられました。
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このような苦難がなかったならば、
神様が求めていなかっただろうと、
本当にもう感謝して感謝しておりました。
すべてのことを手放してですね、感謝し始めたらですね、
神様の関係も本当によく回復されました。
そして、神様の導きによって、
また教会のある夫人の紹介によってですね、大学病院に治療に通うようになりました。
またこの自分の祈りがですね、もう済まれたというか、
薬物治療をですね、1年間続けて受けたところ、
炎症はですね、体の炎症はやっとなくなるような状況になりました。
また神様の恵みによって、
去年からは別れていたパパにですね、年に、月に1回くらい会えるようになったんですね。
法定理解もできない、もう許せない。
そのような、また私の恨み心でしたけれども、
6年が経って、やっとパパのことを許すことができるようになりました。
そこまではもう絶対許さないと、自分はもう心に秘めたような思いを持っていたんですけれども、
結局神様は、
私の心の中にイエス様の心を助けてくださって、
すべての人をすべてのことを許すことができるように助けてくださいました。
その時からパパに向かう私の心が、
私の心が、
恨みが哀れみの心に変わりました。
それでですね、私がですね、パパにですね、自分がどうやってパパのことを許すことができたのか、
イエス様はどんなお方なのか、パパに伝えました。
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福音を伝えて、
パパがですね、全員イエス様にお愛して、
パパがですね、お医者さんですから、医療選挙してですね、海外にも使わされたらいいなと、切に願って祈っていました。
今もその夢をもってですね、課題をもって祈り続けています。
全然変わる意味がなかったパパでしたけれども、
祈りは決して地に落ちて無駄にはならないことを、何度も私は経験しましたから、
信仰を持って命をあげます。
家族のことも家庭も必ず再生してくださることを私は信じます。
ルマチスの病気も神の時になったら、
廃棄されたと言われることを私は真心の中で信じています。
ローマ二十三の手紙、8章28ですを見ますと、
神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、
神が全てのことを働かせて、役に立ててくださることを私たちは知っています。
どんな苦難がやってきても、苦しい時があっても、
そのすべてのことは神様のご計画であり、
それは結局、後には祝福に耐えられること、
そして苦難を通して苦難のゆえに心骨が固くなり、
驚きの主人の手のひらを経験することで、
人を頼らずに、
唯一の慰め主である神様だけを見上げて、
すべての悲しみを復活させる主人を、
慈しんで愛しています。
ありがとうございました。
39:00
結論を申し上げたいと思います。
既に二十二年を読んできました。
神様が私に語ってくださいました。
四年二十二年、二十七、二十七、二十七節、二十八節を私が読みました。
死の果て果ての皆、思い起こし、主に帰ってくるでしょう。
また国々の神も皆、あなたの見舞いで降っておかみましょう。
まことに、王権は主のもの、主は国々をすべおさめておられる。
この言葉を読んでいくうちに、
この言葉を読んでいくうちに、
韓国で流行っていた映画、インセプションという映画のことが思い浮かびました。
この映画の一つのシーンで、
地が巻きのように巻かれて、起き上がるようなシーンがあるんです。
地の果てが、自分の親族を思い起こす、
結局、全ての民は、神様の見舞いに帰ってくる日が必ずある、ということを信じる、という私の心でした。
神様は皆さん、一つ一つ一つの問題を解決してくださる時もありますが、
時に新たな思いを乗り越えて、
一気に全ての問題を解決してくださる時もあります。
神様は善ののお方です。
その方のご臨在の前で、
私たちにできることは、
ただ、礼拝するだけです。
お祈りだけです。
皆さん、信仰は全ての問題を打ち勝ちます。
信仰は全ての問題に勝るものです。
一緒にお祈りしたいと思います。
すべての宇宙万物をつけられた神様、
この宇宙万物をすべて治める神様、
その恵みを心から感謝いたします。
あなたの永遠の愛を感謝いたします。
私たちの人生に、
苦しみの時に、
42:01
この赤い知性を持って、
頭の知識を持って、この苦痛の苦しみの理由を求めるのではなくて、
むしろ神様をもっと信頼し、
神様をもっと賛美するものとさせてください。
最後の義務は、
死の御前に立たされた時に、
私たちの人生に向かう、
神様の素晴らしい計画を
育ることができると信じました。
私、神様を賛美します。
皆様の皆によってお祈りいたします。
アーメン
42:48

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