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2022-09-04 33:46

「旅人の人生、苦難、御言葉」2022年9月4日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年9月4日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

詩編119:92 あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみに私は滅びていたことでしょう。(living Bible、あなたのおきてが、心の底から湧き上がる喜びになっていなかったら、私は失望の果てに滅んでいたことでしょう。)

伝道の書(コヘレトの言葉)7:29 ただし見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが/人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。

ヨハネ3:8 罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。

ヨハネ3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネ5:19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。

ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

00:00
今日のメッセージは、旅人の人生、そして苦難、また見事ば、という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
今、この世の中を終末の時だと言います。
どんな言経で終末と言うんですか?
それは、聖書でそう書かれてあるからです。
イエス様が、目白く22章の20節、そう言います。
しっかり、私はすぐに来る、と言われたからです。
その見事ばに、私たちは、アメンシュエスよ、来てください、お待ちしております、という答えを、聖書の最後に教えて終わりをしています。
イエス様が、すぐ、私は来る、と言われました。
ですから、終わりです。すぐ来られる、と言います。
聖書は、今の時代が、終末であり、恵みの時代であり、聖霊の時代だと言われます。
今の時期、なぜ恵みの時期なのか?
誰でも、罪人でも、良い人でも、誰でも、イエス様の皆を呼び求める人は、救われるからです。
今の時期は、神様が恵みを注いであげるために、待っておられる時代です。
ところが、今のこのような、終わりの時代の特徴の中で一つが、
終わりの時期には、苦難があり、災いが注がれる時期だ、ということもあります。
皆さん、なぜこの世の中で、苦難があるのですか?
この苦難の根拠は、創世紀3章16節から19節です。
神様は女に向かって言われた。
お前の腹身の苦しみを大きなものにする。
お前は苦しんで子を産む。
この産むということは、産むことだけじゃなくて、育てることも含まれています。
お前は男を求め、男はお前を支配する。
これが全ての女性が持っている苦しみです。
また、神様はアダムに向かって言われます。
お前のゆえに、土は呪われるものになった。
この土ということは、全地球を意味します。
今、全世界が呪いの中にいる理由が、この罪のゆえです。
また、お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前は顔に汗を流してパンを得る。
そして最後に、地理に過ぎないお前は地理に帰れ。
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これは死ぬことです。
皆さん、この16節から19節まで人間に与えられた呪いですけど、
この一つ一つが全て苦しみの内容です。
そのうえ、この世の神と言われる悪魔が信じる人を迫害します。
中古書の18、19節です。
世があなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に、私を憎んでいたことを覚えなさい。
あなた方が世に直していたなら、世はあなた方を身内として愛したはずです。
だが、あなた方は世に直していない。私があなた方を世から救い出した。
だから、世はあなた方を憎むのである。
この世ということは、この世の神と言われる悪魔です。
悪魔、悪魔に直している人たちは、信じる人をただ憎むんです。
これが信者だけが受ける苦しみです。
また、そのうえ、目白くに20項目以上の災いが終わりの時に注がれると言います。
七つの封印の災い、七つのラッパの災い、七つの蜂の災いです。
ですから、この世の終わりには、災いの連続です。
終わりに行けば行くほど、もっともっと苦しくなるでしょう。
この時、私たちはどのように、この苦難の地域を乗り越えることができるか。
ヘンリ・ブレッカビ先生は、この世は地雷畑、聖書は地雷畑のマップと同じだと言いました。
聖書の御言葉通りに従っていけるなら、安全になるでしょう。
しかし、聖書を知らないで、私たち勝手に過ごすなら、危険になると教えてくださいます。
ですから、苦難の時、私たちはどう生きるべきか。
今日は、聖書の御言葉に従っていかなければいけないよということを、皆さんに申し上げたいと思います。
まず初めに、この世に苦難があります。
神様はなぜ、この苦難の世界を作られたのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
コエレト・伝道の章、7章29節を見ますと、神様は人間をまっすぐに作られた。
しかし、人間が複雑な考え方を足したと言います。
軽力を足したということですね。
人間が誘惑を受けて、全悪の知識の木の実を食べて、神様のようになりたいと思って、私たちがダメになったんです。
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創世紀3章の事件は、幸せだったこの世の中が、なぜ地獄のように変わったのか、その理由を教えてくださいます。
この後の世界は、悪魔がこの世の神として統治するので、罰と呪いと苦しみだけです。
これはまるで、皆さん、北朝鮮を考えてみてください。
金正恩が北朝鮮を統治して、北朝鮮がこんなに苦しいところになったことと同じです。
その中で過ごしている人間に唯一の希望は、創世紀3章15節で現れている女の子孫です。
神様は人間が呪いの中で、女の子孫を求め、待ち望みなさいと言います。
ですから旧約聖書は、女の子孫、メシアが来られるということです。
旧約聖書は、メシアとして女の子孫、イエス・キリストが来られたということを教えてくださいます。
イエス様は、忠実かと復活で罪の問題を解決し、人類に救いの光を照らしてくださったんですけど、
幸せなようなこの世の中で、災いが臨んだこのすべての問題の原因は、罪なんです。
罪がこんなに怖いんです。
私たちがぜひ覚えていただきたいという聖書があります。
第1ヨガネ3章8節です。
罪を犯す者は悪魔に直します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。
悪魔の肌らきを滅ぼすためにこそ、神の子イエス・キリストが現れたのです。
本当に福音として素晴らしい見言葉ですね。
また、ヨガネ3章16節。
神はその一人子をお与えになったほどに、要愛された。
一人子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ぜひ、この2つの聖書だけでも、しっかり覚えていただいて、それを述べ伝えることができればと思います。
苦難と苦しみは本当につらいのです。
誰でもこの苦難と苦しみは避けたいのです。
嫌なんです。
ところが、人は苦難と苦しみがあれば考えます。
皆さん、喜びばかりだったら、多分人は考えないで過ごすでしょう。
しかし、苦しみがあるなら、苦難があるなら、なぜこんなことがあったの、起こったのか考えます。
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原因は何だろう、何が間違えたんだろう、どうすれば解決できるんだろう、考えます。
皆さん、この答えをどこから得ることができますか。
大抵、大勢の人は環境から、また人から答えを得ようとします。
まあ、助けになるかもしれないけど、正解ではありません。
賢い人は、神様の見事ばから答えを得ます。
聖書の中で、見事ばの章と言われる4編の119編、18節から40節までの間に、
聖書の長者は、この世の旅人の人生には苦難があり、いろいろ世の中から非難を受けるようになるんだと言います。
その中で、彼は黙って、神の見事ばを読んで、黙想して、それを乗り越えたということを記事があります。
そうです。苦しみの中で反発して、向かって戦うんじゃなくて、私たちは苦しみの中、非難があるその中で、私たちは見事ばを読んで黙想することが大事です。
なぜ私たちは見事ばを読まなきゃいけないのか、聖書の中には、人生ということは何なのかが書かれてあります。
なぜ苦しみがあるのか、命の道は何なのか、教えてください。
人類の過去にあったことを教えてください。今、人類の現在の意味を教えてください。将来、私たちがどう生きるべきか、聖書が教えてください。
特に、どのように人間は罪を犯して神から離れたのか、また、罪から救われる道は何なのか、その中で、神様の身むね、神の計画を教えてください。救い主、イエスキリスト、助け主、聖霊様について教えてください。
また、人生には終わりがあり、騒ぎがあり、天国と地獄があることを教えてください。救いがどれほど大事なのか、イエスキリストが十字架の復活で救いをどのように成し遂げてくださったのか、また、イエスキリストを信じる人に与える祝福は何なのか、聖書が教えてください。
また、人生100年で、これは終わりではない、永遠に生きる天国と地獄があることを、聖書が教えてください。
ですから、支援119編の105節には、あなたの御言葉は私の道の光、私の歩みを照らす灯火だと言います。
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目に見えることしか見えない、100年の人生が全てだと思って過ごしている人に、永遠の天国を準備することができるように、滅ぼされることがないようにしてくださる、聖書は本当に私たちを賢い人になるように助けてくださいます。
ですから、聖書は私たちを救ってくださり、天国と幸せと祝福を与えてくださる本です。
ですから、私たちは聖書を近づいて、いつもいつも近くに持っていかなければなりません。
聖書と近くに過ごすことができる、これが一番最高の祝福です。
これも幼いとき、それを教えてくださることが大事です。
ここに母の役割があるでしょう。
ですから、このような賛美歌があります。
朝夕読まれた母の聖書は
悲しむときには祈りを捧げ
喜ぶときには賛美を歌う
そうです。母が読んでくださる聖書、母の祈りの声、母の賛美の声
このことを聞きながら成長する子どもたちには、人生最高の祝福の環境で成長する子どもなんです。
私はこの御言葉が本当に大事だと思います。
神の御言葉は、金に勝り多くの純金に勝て望まし
蜜よりも蜂の巣の舌たりよりも甘い支援の中級書の中一節です。
一体どんな状況でこのような御言葉を読んだのか
そして蜂の巣の舌たりよりも甘いのか蜜よりも甘いのか
私もこの御言葉がこのように甘いことを経験したいと思います。
また支援の一辺には御言葉を近くにしている人の祝福をこのように教えてくださいます。
支援の一章の一節から三節です。
いかに幸いなことか
主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人
その人は流れのほとりに植えられた木
時がめぐりくれば実を結び葉をしおれることがない
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その人のすることはすべて繁栄をもたらす
いかに幸せな人なのか
朝晩聖書を読んで暗唱してみこえを聞いて従う
そうするなら神様が最高の人生になるようにさせてくださるということです。
ですから私たちは最後の災いの時
神の御言葉によって乗り越えなければいけないんですけど
支援にこんな素晴らしい聖書があります。
これが今日読んでくださった支援の119編の92節です。
あなたの立法を楽しみとしていなければ
この苦しみの中で私は滅びていたことでしょう
じゃあリビングバイブルもう一回
あなたの起きてが心の底から湧き上がる喜びになっていなかったら
私は失望の果てに滅んでいたことでしょう
私はこの御言葉を思いながら私の人生を振り返ってみました。
私の人生に危機また苦しい時がたくさんありました。
これからもたくさんあるでしょう。
終わりの時期だから災いがあるんじゃありませんか。
この時期に神の御言葉が私の力にならなかったら
皆さん私たちは滅んでしまうんですよ。
昔御言葉を私を生かしてくださいました。
これからも御言葉が私の人生を危機の中から救ってくださるでしょう。
だから私は昔どんな御言葉を私を救ってくださったのか
将来のことを考えながら御言葉を掴んで私の人生を過ごしていきたいと思います。
この御言葉は私は聖書を全く分からなかった時
聖霊様が教えてくださったこともあるし
私はいつも聖書を読んでいたんだけど分からなかった。
しかしある時ちょうどその時期に思い出してくださって
それが力になったということもあります。
ほとんどのことは聖書の勉強会をする時に教えてくださったことがたくさんありました。
ですから私はそれを皆さんと分かち合いながら
今日危機の時御言葉が力になったということを一生に考えていきたいと思います。
私の証です。
私は大学3年生の時軍人に行きました。
軍隊から帰ってきた時にこれから私の人生どう生きるか悩んだ時がありました。
もともと私は博士になって大学行進になりたかったんです。
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しかし軍人に帰ってきたらもう世界がすごく変わっていきました。
私の力ではもう博士になることは難しいと思いました。
だから誰かに私の人生を預かりたかった。
だから祈りたかった。
だから私は聖典の祈り、教会の聖典の祈りに行きました。
その時、説教者が聖書一ヶ所を読んでくださったんですけど、
それがすごく感動的でした。
これがヘブライ書11章6節です。
信仰がなければ神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は神が存在しておられること、
また神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを信じなければなりません。
その御言葉が大浜のように私の心を強打しました。
報いてくださる神様、報いてくださる神様を信じなければならない。
そうだ、そうだ、私はこの神様を信仰を持っていきたいと思って教会を来始めました。
私の信仰は初め、ものすごい燃える心でした。
宣伝を受けて、家からの先祖に対する空城襲拝をやめました。
そして家から追い出されました。
その時、非常に怖かったです。
その時、私は聖書を全くわからなかったんだけど、
聖霊様が私の心に聖書の言葉を入れてくださいました。
これはマルコ、中小29節、30節です。
イエスは言われた、はっきり言っておく、私のため、また福音のために、
家、兄弟、姉妹、母、父、子供、裸を捨てた者は誰でも、
今のこの世で迫害を受けるが、
家、兄弟、姉妹、母、子供、裸を100倍受け、
どっちの世では永遠の命を受ける。
私はこの迫害がある中でも、
信仰を守り続けていくなら、家族みんなが救われるんだということを見言葉でした。
私はこの約束を覚えながら迫害を乗り越えました。
苦難の時、この見言葉がなかったら、私はどうだったんでしょう。
見言葉によって迫害と寂しさを乗り越えることができました。
また、この見言葉の約束通り、信じなかった家族はみんな信仰を持つことができました。
神様が働かれたんです。
私はこの見言葉をもっと知りたくて、選挙団体に入りました。
21:00
この団体の修練会で、悔い改めの書簡の発表をしました。
その時、主の御声が私に聞こえました。
マルコ二章五節です。
子よ、あなたの罪が許された。
その時、私は悔い改めの深い課題の中で、精霊の体験をしました。
天国の喜びを味わいました。
その時、私はこの素晴らしい福音を全世界に伝えたいという選挙誌になる決断をしました。
これも見言葉が導きました。
そして、職場の生活の中で、私は日本の駐在員としてきて、
駐在員の生活の終わりに、私は地表を出して新学校に行きました。
ところが、日本の新学校での現実は、もう昔の職場の生活とは全く違いました。
難しい中でどうすればいいのか、経済的な難しさもあり、給料もない。
一番問題は言葉でした。
言葉ができていない。
また、家族の将来はどうなるのか。
私みたいに人間を使ってくれる日本の業界があるのか。
40代の初めに、私は無謀な働きをやってしまったのではないか。
目の前が真っ暗になって、新学校の3年、本当に苦しみました。
神様、どうしたらいいんでしょう。
その時、私に聖書が与えられました。
本当に確かな約束が与えられました。
私はこの御言葉を命のように握って、
毎日、まず神の国と神の国を求めることが大切だったのです。
私はその御言葉を持ち、
私はその御言葉を持ち、
私はその御言葉を持ち、
私はその御言葉を持ち、
毎日、まず神の国と神の国を求めることが何だろう、
思いながら思い出されるところを実践していきました。
その時、新学校の3年の時、私はたくさんの人に出会うことができました。
今田さんに出会って、野住さんに出会って、その時、全てができました。
御言葉通り、神様は私に全てを与えてくださいました。
その時の御言葉がなかったら、私を支えてくれなかったら、
私の人生どうだったんでしょう。
また、弟子訓練を熱心にやる時、
先輩の専教師からいただいた御言葉があります。
第2コリント、キュースよ、チュッセチュです。
種をまく人に種を与え、
パンを糧としてお与えられる神は、
あなた方に種を与え、
それを増やし、あなた方を、
慈しみが身を結ぶように成長させてくださるということです。
24:05
種をまく人に種を与えてくださるんだということです。
そうです。御言葉の言葉を教える、
御言葉を伝える人に聖書の秘密を教えてくださることでした。
私は聖書の秘密が欲しかったので、熱心に御言葉を伝えました。
初めの不倫先で、私は熱心に弟子訓練をしました。
しかし、当時の教会の平均年齢が75歳でした。
老人ばかりの教会で、弟子訓練がなかなか難しいです。
その時反発がありました。
また、家族が病気になって、
僕会を辞めて韓国に戻るしかありませんでした。
僕会5年目に、すべてがダメになって韓国に戻りました。
韓国で2年間浪人しました。
その時、私はやっと分かりました。
私の人生、完全にダメになったなと思いました。
一個ところがないんです。
韓国には、私を受けてくれる教会がありませんでした。
皆さん、神徒が教会に行ったら、教会は歓迎します。
しかし、宣教師が教会に行くなら、教会が負担だと思います。
だから、私は行くところがない。
私の人生、どうしようかと思いました。
毎日、蒼天の祈りで、神の前で泣き続けました。
ある日、泣いている私に、御声が聞こえてきたんです。
これが詩編の42章、後節です。
わが魂よ、なぜ、何ゆえ、うなたれるのか。
何ゆえ、私のうちに思い乱れるのか。
神に待ちのぞめ、私はなお、わが助け、
わが神なる主をほめたたえるでしょう。
その御声が聞こえたんですけど、
どこから読んだんだけど、どこにあるのか。
家に帰って、午前中、ずっと聖書をあちこち探しました。
これが詩編の102編にあったんです。
この御言葉通り、神様が働かれて、
そして道教から私に連絡が来ました。
あなた、今、何やっているの。
それで、私は再び、日本に赴任するようになりました。
道がないのに、道が開かれたんです。
みるさん、これは奇跡ですよ。
日本で失敗して、韓国に追い出された宣教師が、
再び日本に復帰された、これは事例がありません。
完全にアウトだった私が、
神様が私を生かしてくださいました。
その時、もしこの御言葉がなかったら、
27:01
私は極端な選択をしたかもしれません。
そして、韓国で私は反省しました。
熱心に働いたと思ったんだけど、
完全にためになったぼっかい、何が間違えたのか。
それで、十字架を復印を学ぶとき、
私に与えられた御言葉がありました。
これはイオハネの古書中級説です。
そこでイエスは彼らに言われた。
はっきり言っておく。
子は父のなさることを見なければ、
自分からは何事もできない。
父がなさることは何でも、
子もその通りにするということでした。
イエス様も神の御言葉を聞いてしたかったのに、
私は私勝手に熱心で働いたということを思い出しました。
選挙は礼的な戦いなのに、
私の熱心で悪魔との戦いができないのに、
そこで悟りがありました。
だから、これからは私は勝手に働かないで、
神様との親しみの中で御声を聞き従う決心をしました。
それはまさに今日の子供の格好のメッセージ。
WWJD
What would Jesus do?
イエス様だったら何をどうなさるかなということ。
これでした。
この御言葉が私に光を照らしてくださった。
今まで自分の馬鹿のような熱心、
ただ熱心であれば神様を助けてくださるだろうと思った。
それが間違いでした。
それで家族はダメになり、
教会もダメになったんです。
愚かな私を悟らせてくださいました。
そしてその延長線の上で、
私の教会のビジョンが新しく与えられました。
回復とリバイバル、大収穫の準備。
マルコ2章22節です。
まだ誰も新しい葡萄酒を古い皮袋に入れたりはしない。
そんなことをすれば、
葡萄酒は皮袋を破り、葡萄酒は皮袋のためにする。
新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れるべきだ。
この葡萄酒ということはリバイバルです。
リバイバルは新しい皮袋に入れるということです。
ここで古い皮袋、新しい皮袋は何なのか。
古い皮袋は自己中心的な信仰です。
新しい皮袋は神中心的な信仰です。
私は教会を開拓しながら、
教会の名前をブドウの木教会としました。
なぜそうしたのか。
ヨハネ中高小講説です。
私はブドウの木、あなた方はその枝である。
30:01
人が私につながっており、私はその人につながっていれば、
その人は豊かな実を結ぶ。
私を離れては、あなた方は何にもできないからである。
ブドウの木と枝の関係を考えながら、
枝が自分勝手に行うなら、何にもできない。
しかし、ブドウに木につながっているなら、
自分が頑張らなくても、木が枝に無理を与えるように、
私たちの信仰もこうするべきだということを、
私たちの教会がこれから実践していきたいと思うからです。
このように、自己中心的な信仰、立法主義、陳本主義、
合理学的な信仰を徹底できます。
神中心的な信仰、神様との親しみの中で、
主の御声を聞いて従う信仰生活をします。
今までいろいろな物足りないことがあったとしても、
心の中心からこのような信仰生活をしていくなら、
神様の時、私たちを使ってくださる、このような信仰を持って過ごしています。
皆さん、神の御言葉は大事です。
私の人生を振り返ってみていますと、結局、神の御言葉が私の人生に働いて、
神の計画を知らせてくださり、力を与えてくださり、
生かしてくださり、導いてくださったのです。
神様に感謝します。
この危機の時に、神の御言葉がなかったら、
私は滅んでしまったでしょうという言葉が、私はよくよく分かります。
今まで助けてくださったように、これからも神の御言葉が、
私の人生を助けて導いてくださることを信じます。
結論を申し上げます。
神様は、100年この世だけではなく、永遠な天国まで計画されて、
私たちの人生を導いておられます。
この世の100年、自分を捨てて、自分を十字架をよく背負って、
なぜ私だけこんな苦労をするのかと言わないで、
この100年を旅人の道を希望を持って忍耐して、
御言葉と精霊に従って生きるなら、
神様が私たちのために天国を備えてくださり、
必ず私たちを迎えに来られます。
この約束を信じて、希望を持って、
イエスさんを迎える準備をしましょう。
目標22章20節、以上すべての証をする方が言われる。
しかり、私はすぐに来る。
アメン主エスよ、来てください。アメン。
33:02
お祈り出します。
主よ、この世のすべての人が、
終わりの時期だと言います。
終わりの時期の印がいろいろ現れています。
こんな時、私たちは揺れることではなく、
神の御言葉通り、従順して生きる。
そのような、そうするなら、
神様は私たちを保護してくださり、
導いてくださることを信じます。
私たちの希望は、イエス・キリストが来られることです。
再び来られるイエスさんを迎える準備を、
うまく行う私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。
アメン、アメン。
33:46

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