1. 名谷教会
  2. 2013/12/15:クリスマスの目的
2013-12-15 41:31

2013/12/15:クリスマスの目的

2013/12/15 聖日礼拝

斎藤亘師

ルカの福音書 19:1-10

00:01
生活への素晴らしい賛美が捧げられました。
こうして、この時期は、クリスマスがそこまで来ているということで、
私たちは、いろんなことでクリスマスの備えをしている。
それがお互いであろうかと思います。
それぞれに初めてのクリスマスというのがあったと思うんですね。
私は、何も知らずに、近所の友達に誘われて、
今日はお寺さんでね、クリスマス祭がある。
それで、小学校の2年生か3年生だと思うんですけれども、行きました。
そうしたら、今はそんなものはないでしょうけれども、
幻灯器というのが子供の頃にありましてね、
それで、何の解釈も入らないんですよ。
ただ、場面がパパパパと薄くていくだけで、
今思えば、キリストの誕生から生涯神社までの、
そういう幻灯のフィルムだったと思います。
私は、その時は、クリスマスが何であるのかということは知りませんし、
どこでも超えないことはやっているんだなという程度の理解していなかった。
平方におりました時に、私は直接お会いしていませんけれども、
近所に関西大国語大学という大学がありまして、
そこから女性たちが2,3人、教会に来て、
そして中を覗き見るようにしているもんだから、うちの家内が出て行って、
どうぞ中へお入りくださいと言ったら、
教会もいろいろと工夫をして、そしてディクレーションを始めておりました。
ですから、たぶん今頃だったんですよね。
もうちょっと時期的には早かったかも分かりませんが。
その人たちが言いましたのは、クリスマスって何でしょうかという。
大学生なのに、クリスマスの意味も十分知らずに、
それでも教会とならば、何か関係があるだろうから、教えてもらえるだろうということで見えたんでしょうね。
珍しい学生さんだなと思いながら、
けど意外と私の中は、そしてまたテレビも何もかもが本当にクリスマスを演出してきて、
そして大勢の人がもう全部クリスマスになったんじゃないかと思われるぐらいに、
クリスマス、クリスマスですよね。
ところが意外とこういう、いわし大生のように、
そういうところを考えてみたら、あれ、クリスマスって何だったんだろうかなと。
で、またもう、大人たちなんだろうかなと。
そんな感じで言っている人もおるかも分かりませんし、
子どもたちに話すときにもちょっと冗談で言うんですが、
03:02
クリスマスは誕生日です。
サンタクロースなおと言ったら、分かったんだ、おい、分かってたと言うんですね。
次に話すのが本当なんだけど、気持ちよく聞きなさいと言って、
イエス様のことを話しました。
ああ、そうだったのかなと言うんですね。
サンタクロースの誕生日がクリスマスだと思っているような、
そういう幼い子どもたちの理解も中にはあるんですけど。
まあ、その大学生がクリスマスって何だろうかと言うことでもって訪ねてきた。
まあ、訪ねてきたんですが良かったんですけどね。
と言ってもそれっきりなんですが、どこかでクリスマスだと。
そういうわしら方におったときに、近くの教会でクリスマスというのはイエス・キリストの誕生を祝いするそういうときなんだ。
じゃあ、行ってみようと言ってですね。
あるいはもう今だったらば、子どもさんも小学生ぐらいになっているぐらいの年だと思うんですけども。
子どもたちを連れて行っているかと思ってですね、勝手な想像をこの機会に申します。
イメージで私たちはそういう初めてのクリスマスというものをそれぞれ経験されて、
そして今日に至っているのではないかとそう思うんですが、いかがでしょうかね。
もう一つ付け加えて申し上げますとね、
私は宣伝を受けたのが17歳で、その宣伝を受けての最初のクリスマスはもう忘れられないんですね。
で、宮谷教会がどういうふうにこのクリスマスシーズンを過ごしてやるのかわかりませんけれども、
当時教会はキャロリングといって、その朝3時か4時ぐらいから起きて、
そして教会に来ている人とか、近所をずっと歌って回るわけですよね。
私は初めてのことですから、クリスマスってこんなこともするんだなというようなことで一緒に回りました。
そして6時ぐらいに教会に戻っていくんですね。
そうすると宣教師がストーブを温かくしましてね、それからクリスマスの東京の礼拝をする。
そのキャロリングで終わって帰ってくると、年ぐらいからなんかしらしら広いものが海にかかってくるんですね。
あら、雪だ。
けれども見たら星は出ているんですよね。
そういう中でもってクリスマス会が終わって表に出たら、教会の前に大きなキモネ屋敷がありまして、
そこで宣教師が言うならばライトアップという、今で言うならそうなんですけど、それほどではないんですけれども、
まめきをつけてそうして綺麗にやっている。
それがまた白いのと、それからグリーンと、そしてその明かりのそれとがうまく調和して、きれいだなあという、
そういう印象、何か私の宣礼を受けたことをお祝いしてくれているような感じのクリスマスだったなということをもう忘れられないんですね。
06:09
やはりそういうこの早朝のキャロリングは、ですから明石人丸教会に来るまで、前の平形教会の場合はやっておりましたから、
ただやり方がだんだん時間的に早朝は難しいので、それで時間をずらして、そして夕方ぐらいから、
我々はみなさん天方なものですからね、3日間かけてそうしてキャロリングをやったこともあるんですね。
しかしそれもこれもみな楽しいクリスマスとして迎えてまいりました。
それぞれにクリスマスという最初の経験をなさったクリスマスが終わりです。
今日開きましたこの「ぬかによるふとりとの十九条話」これはザーカイさんのうちになされたこのクリスマス。
これは大公説である今のこのアドベンツの期間の中でもって読まれる聖書の一箇所ではあるんですね。
今読んでいただきましたこの中の十節に実際にですね、
人の子は失われた人を探して救うために来たのです。
人の子は失われた人を探して救うために来た。
これがザーカイさんにとっての彼のクリスマスと申し上げることができるかと思うんですね。
このザーカイさんの話はほとんどの方がよくご存知の箇所であろうと思いますし、
こういうところから話をするのは一つには難しい面があるんですね。
みんなも知ってらっしゃるそういう箇所ですし、今さらという感じがする。
しかしまた反面、知っているから、表情ちょっとずれておってもちゃんと皆さん方が聞きながら、
このザーカイさんの口に出されたイエス様の素晴らしい救いを整理して、そして受け止めてください。
両面もあろうかと思います。
今朝ニュースを見てみましたら、イスラエルにも今雪が降っているんですね。
よーっと思って、そのニュースの画像を見ておりました。
ヘルモンナには雪が降るわけです。
月下3時間の移設にもそれがあるんですけれども、街中に雪が降る。
数人たちが、つい1ヶ月経たないくらい前に行かれたんでしょう。
09:05
雨のイスラエルは経験しましたけれども、エルサリムは経験しましたけれども、
雪のエルサリムを経験するということはなかなかないな。
なんとなくクリスマスを思わせる、そういう神様からのプレゼントかなと思ったりもいたしますが。
そのイスラエルに行きますと、必ず行くのがエリコなんですね。
エリコというこの街は、世界で最も古い都市として作られていたと言われています。
私が2回行ったのですが、初めて行ったときは、そのエリコの要所要所にイスラエル軍が、
それこそこういう機関銃というのでしょうか、それを向けて、パレスヤの人々の同棲を監視している。
ところが3年ほど前に行きましたときには、全く変わりましてね。
そこはパレスヤの自治区になっていますから、そこへ入るのに、
今までずっとイスラエルが回ってきたそのバスから降りて、そしてパスポートも渡して、
向こうのこのバスに乗って入るというような手続きをしなければいけない。
いわゆるイスラエル領土からパレスヤ領土に入るということで。
同じようなことをやるんですかね。ベスレームでもそうでした。
もうバス一本で数つ行ったのが、今はものすごく大きなコンクリートの部屋で囲まれておりますから、
その入り口の狭いところで持ってパスポートを出して、今度は向こうで中で用意している観光バスに乗って、
このベスレームをずっと見るというような、大変ややこしいですね。そういうところですね。
このイエス様がこの入り口に入られた、この言葉を考えますと、私は二度行きましたときに、
イエス様の時代はどうだったんだろうかな、すっと入りたんだろうか、どうだったんだろうかな、
しかしここを読む限りにおいては、真っ白ですね、お通りになったというこの言葉ですね。
ザーカイさんとの出会いがなければそのまま、イエス様はエルサレに向かって行かれたと思うんですね。
ですからこのお通りになったというのは、この時のザーカイさんにとってはですね、
そうか、もうこうか、もう最後だというような、そんな思いでは全くない。
ただもうこれまでの噂で聞くイエス・キリストという方がどういう方なんだろうかという、
それでもって一度どういう方なのか見てみたいという、そういうこの気持ちでしょう。
12:04
で彼がイエス様のお通りになって、そしてある箇所に来られたときに、
彼も一度そこへ行きましたところが、ここに書いてありますように、
背が低かったので見ることができなかった、というんですね。
自分に置き換えて考えますとね、もしそうやったらば書いてしまったかもわからない。
明けて先生行くようになりますけれども、その今井館海岸でね、
わざわざ韓国からサウンド・ミュージックの皆さんが来られて、
そしてやるつもりでね、私もぜひ見たいと。
いつも通っている渓谷ですから、わけもなくそっちに行けると。
そう思って来たところが入口はわかんない。
もちろんあそこで交差点で入館して、そして表明入り口のとこへ行きましたら、
こうやっても全然こう開かないし、おかしいな、ちょっとですね、どこから行ったんだ。
それからもう一回先まで行ってまた入館して、
で、その交差点でこう見ますと、警備のパーキングのそれがここを曲がって先行ってこう替えてありますからね。
それで曲がってこういったところが、だいたい近くにパーキングがありますよね。
同じ市内に。あれ普通の家しかないのになぁと。
そう思いながらしばらく降りて行ったんですけど、またそこから入館して、
もう一回正面のあそこへ出てみようと思って、またその正面のそこへ出たんですけれども、
やっぱりダメでね。
それであのラムのそこにありますから、そこへ車を置いて歩いてみようと思って。
それで表から見たときは、そう大きくないと思ってたところが、歩いても歩いてもなかなかその場所に入らない。
そしてやっと向こうの通りに出て、そして行けるなって。
入りましたら、移動車が止まってるんですけれども、どうも台数が少ないんで。
で、明かりがついてるんで、覗いてみますから、中でクリスマスのそれをやってる様な様子もない。
誰もいないんです。
おかしいなぁと思って、もう仕方がない。
それじゃもう帰ろうって。
ですからね、前回さんだったら違ったと思いますよ。
どうやって出こうっていうね。
とは私は、そういう諦めるのも早いもんですから。
そっからもう乱暮に置いた車で乗って、けいめいを見ながら、ここに礼拝堂らしい建物があるんだけど何も聞こえてこないし、
ただ、夜ですからね、デコレーションした空がずっとあって綺麗に飾っておりましたが、
けれどもその中の様子がさっぱりわかんないで、そのままですね、1時間近くその辺り、
ハイカイさんが、ハイカイさんってことはおかしいんですけどね、回ったんですけども、
それで結構歩けたなと思ってるんですけども、
15:02
どこにもそれが場所がわからないので、結果としては帰ってきて、
あとで聞いた。もう一つ山手にこの道がある。
いや、そんな道は。
てか見ましたら、ほんと山手の方に車が一致してるのがわかるんですね。
それでもその一歩先でもって、どこでこの道と一緒になんだろうか、それはわからないし、
どこからあの道が入っているのか、それはわからないで、
いまだにわからないんですけども、とにかく私は帰ってしまった。
だから私はこのザ・ハイカイさんという人はね、偉いなと思いましたよ。
正確に言うために。
まあその辺りのこの人間関係があって、
そしたらね、税務局の局長ですから、どうぞそちらこちらへどうぞと案内されたかわからないんですけども、
もう我々のこの税金を、全部このローマンに尽くす、
そういう人が本人だということでもって、
もうみんなからこの手聞かれておったような、それがザ・ハイカイさんだということを皆さん方もご存知だと思うんですね。
だからそのイエス・サムとかに近くに行こうと思っても、誰もそれを助ける人もいない。
妨げようとする人、邪魔しようとする人おっても、そっとこう連れて行く人はいない。
ところが彼はね、まあその辺りがジェームス社長にもなった計算早い人間の一つの特徴かなと思うんですが、
サッと計算したんですね。
きっとイエス・サムは、ここにおいでだったらば、この道を通ってずっと行って、そしてこの襟甲で通って行かれるだろうと。
そしてその先に一本のこの桑の木がある。
彼はその桑の木に登ったわけですよ。
私は最初に行ったときに、これがザーカイさんが登ったと言われている桑の木です。
それがここにあるんですよ。行かれましたか?
行かれるとそういうあたりがね、実際的に話ができるんですけども、まあそういう伝説ですよ。
それで、ああなるほどな、これだったらね、ここからザーカイさんもサッと上がって、
そして上からこう見るというのは、さあ考えられただろうなと。
じゃあ私はどうだったら良いかなと。
だいたい構想は恐怖症なものですからね。
まあ私はやっぱりこれも考えもしないでね。
そうでも有産地点、じゃあもうこっちには仕事があるんでしょと言って、
もうその場から遠ざかってしまったんじゃないかなと。
まあいろいろと自分で当てはめて考えるんです。
ただ人というのはね、時に自分の欠点だとかね、何かすごい不利な事柄があると、
もうそればかりに違えてしまって諦めてしまう。
まあこれが自分の人生なのかもわからない。
あの日を比べたら、なんと自分はこの三つぼらしというか失敗が多いし、
何やったってこのみんなから注目されるような事はできないんだし、
というような事でもってね、余計落ち込んでいくっていう。
18:03
それが我々が持っているこの欠陥という所から来る意識じゃないかなと。
この辺りがざかりが違う。
自分のそういう欠陥を補う何かないかというような事が、
その桑の木に残らせたということです。
私は赤嶋に赴任していきました。
初めてね、一軸の栽培しているこの畑を見ました。
それはこの辺ぐらいの生ですよね。
けど本当にたくさん一軸が生まれている。好きなものですから。
これいつになったら実質的に食べられるなんですかと聞いたことがあるんですけれども。
この一軸の木からは、到底この光景は考えられない。
私はその一軸の木に降りちゃうと思いますよね。
このイスラエルのこの一軸。
私はある時期、一軸の実を買ってきてもらって、
そしてそれを遺症のために飲んだということで、
行く人たちにはお願いしてそして買ってきました。
ところがよく見たら、遺乱性なんですね。
それがユン先生に案内されたそこのデパートでしょうかね。
行ったらその一軸の実がたくさん、干した一軸ですけれども、
売っているんですね。
ああなんだ、イスラエルに行かんでも、
韓国へ来たらこういうスーパーで持って帰るんだなと思いましたけれども、
その時もですから重いですけれども買ってきて、
そしてそれを口に入れてしゃぶるようにしてますと、
出汁が出ておいしいんですね。
そんな話はあるんですけれども、
とにかくこういう一軸がたくさんこうなっているんでしょうね。
だいたいこのエリコというところは、
そういうこのイスラエルのこの多立の豊かなところのようですよ。
駅からもうその観光バスが入るところにはもう路線みたいにして、
だーっといろいろ作ったものがそこに売っておりました。
その中に一軸も売っていたのかどうか私は分かりませんけれども、
ああなんとエリコという街は豊かな街だったんだなと。
そして今でもそういうところのようですが、
サーカイさんはとにかくその一本の木の上に登った。
そして上からイエス様というその人を見てみようという、
彼のお家にあるこの鉱石というのでしょうか、
そういうもので持って彼はその木の上に登った。
大人ですしね。
社会的にはあるところまでの木も持っているし、
21:04
そんなところまで登りたくてもという情策が当たるか分かりませんけれども、
しかしサーカイはとにかくその木の上に登った。
そして通り過ぎるこのイエス様を上から一つ見てやろうということで見てましたら、
案の定イエス様がお通りになっているじゃないですか。
ああ髪の毛の長いな、こっちの言うのは大体ラティン市のイエス様はそうですけれども、
まあ花の高い、素晴らしかったななんていうのを、
そういうことでお手上から見ていたと思いますよ。
ところがその時にイエス様がその桑の木の下に来たら、
ずっとこの上を見てね、
サーカイさん、来てらっしゃい。
今日はあなたの家に泊まることに来ているんだからっていう、そういうことでしょう。
初対面の人からいきなりね、
斉藤渡さんなんて言われたらびっくりしちゃいますよ。
どこでこの人とお会いするんだろうかなって。
それぐらい、いやそれ以上の驚きでもってサーカイは、
イエス様と一度もお会いしたこともない、ましてや言葉も交わしたこともない、
メッセージを渡したこともない、その方から、
なんでこの方は私のことを知っているだろうかな、
いうすごい驚きが彼の心に入ったと思います。
皆さん方は似たような経験をなさっているんじゃないかなと思って、
私が今日が行くと。
私は高校生の時に、先ほど言ったのは、
教学生の何も知らない時に行った先で、
お寺さんでその、幻灯器でキリストの障害っていうことを見たんですけれども。
しかし高校一年生になって、
友達と一緒に誘われてこの教会に行くようになって、
話を聞いてもさっぱりほらむせいんですね。
だから時々、
どこでこの宣教師が私のことを調べてきたんだろうかな、
家に来てお袋から、いろんなことを聞いて、
そうして言っているのかなと思うぐらい、
もう私のことを言っている、
そのままのことを言っているというような感じだったんですね。
けれどもしかし、
じゃあ、パッと言う、
そういうこともなければ来たならば、
そのお袋の母親が、
いや、お前が言っている教会の僕さん、
とにかく家に来て、
お前のことを知りたいと言うから、
話を聞いたけども、
というようなことで、
話題にはなると思いますよ。
しかし一向にそういう話題になりませんから。
それは、そういうことはなかったわけですけれども。
しかし私につけばですね、
もうどこでこの宣教師が私のことを調べたんだろうか、
と思うぐらいに、
こう、チクチクチクチクと来るという、
そういう時はありましたね。
人間誰しも、
24:00
そういう一面というのでしょうか。
あの、堺が、
その桑の木から降りてきて、
そしてイエス様をこのお迎えに来た。
で、これを見たみんなが、
あの方が唯一どこに行って、
客となったと言って、
ここを避難する。
それが続くんですね。
私は、この堺さん、
この一人で降りてきて、と言う、
これは私たちの、
このエフカルテを、
神様が私たちに同じように求めている、
その言葉の一つであろうと思いますよ。
クリスマスで、
そしてみんなでお祝いをする。
お祝いをするけれども、
じゃあ、あなたにとってクリスマスは何なのか。
あなたにとってクリスマス、
先ほど言ったイエス・キリストは、
どういう意味を持つ、
そういう方なのか。
この3月最後の、
赤嶋人間教会での礼拝はイースターでした。
で、その時に、
95歳か、6歳になりますかね。
の、その方が宣礼を受けなさったんですね。
あるいはタリミ教会出身の方だから、
名前を知っているかも分かりませんけれども。
で、この奥さんの方は、
早くから信仰もたれて、
そしてタリミ教会では役員になったというね、
そういう方のようなんですけれども。
ですからこの奥さんに連れられて、
そしてタリミ教会でも教会に行ってもらえたんですかね。
60年近く、
私が新学校に行く前ぐらいから、
もう行ってらっしゃるんです。
それでほとんどのことは、
聞いて知っているんです。
けれども、
じゃあ、それだけじゃなくて、
聞きませんかと言うと、
いや私は、
私はもうそこまで行くとね、
私はそういう世界の人間じゃない、
物理的なそういう人間、
考えの者だから、
それを失い、
存在としては、
歴史上そういう方がおられたということは、
理解できても、
なんとかかんとかと言われると、
ちょっと私はもうそこへ来ると、
信じられないんだなと。
それでもって60年近くすると、
来られた。
それでね、
奥さんが来られないときでも、
ご自分来るんですよ。
だからね、
だったら、
信じたらいいんじゃないですかと言うんですけど、
やっぱり自分の知識であるとか、
今さらと言うね、
そしてまた審理を受けるんだったら、
27:00
もう元々昔に、
中島昭先生時代にね、
中島先生が審理を受けたよと言うんです。
なんでその時なかなかったんですかと。
いや、その時も今も変わらない。
どうしても信じられないんだと。
言ういろんなことを挙げておりました。
ですから、
クリスマスを迎えて、
そしてイスターを迎えて、
いろいろあっても、
一生自分にはそんな係りがないということで、
こう、距離を置いていると。
そういう方だった。
しかしその方がね、
不思議と、
私もそうしたら信じましょうと、
っておっしゃったんですよね。
どこでどうなったのか、
私は詳しくは分かりませんけども。
後に訪問しましたら、
それじゃあ騙されたと思って、
信じてみましょうか。
せっかく60年近くな、
頑張ってきたんだけども。
それはちょっと冗談も入れての言葉でしたけども、
しかしこのイスターに、
もう一人の青年と一緒に、
この審理を受けなさいましたけどもね、
その人にとってはやっぱり、
自分の桑の木があるわけですよ。
どうしたって私はここから降りられない。
降りてて、
っていうような、
そんな気持ちにはなれないっていう。
知識がそうさせなく分かりませんしね。
何かその人にとっての、
そういう、
登ったけれども、
そこから降りられない。
登って橋も取られたわけじゃないんですよ。
自分の気持ちでも降りてこれるんですけども、
そういうことを、
今のケースですとなかなか、
それが次を経って、
そうしても、
ご自分が90何歳になるまで、
降りてこなかった。
でも降りてきて、
そして、
審理を受けなさったんですけども、
それから、
私にこの短冊に一筆書いて、
そして、
自分の気持ちは、
って言ってですね、
各の奥さん、
奥さんは教師の先生ですから、
非常にさっぴしな、
教会の看板もずっと、
この3月までは書いておられたんですけども、
体調がいろいろありましてね、
もう書くのはやめなさったんですが、
最後にそれを、
ご主人の読んだ一句を書いて、
そして、
いただきましたけれども、
この中にも、
自分の、
あるいは桑の木っていうものを持って、
もうそこからね、
なんだかんだ言って、
せっかく家様が、
雑貨屋さん、
おいでらっしゃい、
そう言ってにもかかわらず、
降りれる勇気を持たない、
あるいは、
降りることのできる謙虚さがないために、
なかなかそこに残ったまま、
身を固くしているっていう、
そういう、
で、私もそれを受ければでね、
1年半ほどかかったんですけども、
だから、
あれによって雑貨屋さんの気持ちが、
わからんではないんですよ。
30:03
まあ今話をした、
その方に比べるならば、
私はまだね、
あの1年半でしたら、
短くて終わったんですけども、
どうぞ、
もし自分の場所が、
まだ、
いまだに桑の木の上だと言ってもらえればね、
本当にクリスマスはなかなか来ないと思いますよ。
ですから、
雑貨屋さん、
降りてらっしゃい、
私は今日あなたの家に泊まる。
そして、
イエス様を迎え続けて降りてきて、
彼は自分の家にこの方を迎えなさった。
その時から状況が変わったんですね。
それまでは雑貨屋に向けられていたところも、
言うならば、
お前はローマの手先になって、
我々の責任を取るゾボだ、
っていう、
もう、
そうかぶぐらいなのが、
先生にだったんですよ、
当時のユダヤ社会においては。
だから誰からも相手にされないというような、
あれによって孤独な生活をして、
身分はあった、
お金も持ってきた、
けれどもしかしながら、
人はいない、
というようなのが、
当時のこの雑貨屋さんだったようですね。
そうしたら、
この雑貨屋さんってこう、
自分を初めて認めてくれたような感じの、
イエス様の呼びかけに、
彼は崩れたわけですよ。
本当にそうかと思って、
イエス様の足元に。
ところがその時から、
人々の雑貨屋に向けられたそれは、
今度はイエス様に向けられた。
これがここですよね、
あの方は。
なんと住み居たところに行って、
客となったじゃないか。
イエス様に非難の言葉が向いている、
というそこです。
で私は、
先ほどあの、
伊沢書の五十三章が、
講読されましたけれども、
この伊沢書の五十三章もまた、
こういうアドベントの時に、
読む箇所の一つでも、
あるわけですね。
この五十三章の、
先ほどの新解約の方ですね、
この最後の方ですけれども、
何節になりますか、
8節から12節が、
五十三章の中から抜粋されて、
そして講読されておりますが、
その初めの方に、
私たちも、
彼を殺到まなかった誠に彼は、
33:00
私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。
だが私たちは思った、
彼は罰せられ、
罪に打たれ、
くりつめられたのだと。
しかし、
彼は、
私たちの背きの罪のために殺到され、
私たちの戸場のために、
クリスマスはまたに、
ここにある。
この予言が、
このイエス様を通して私たちに、
私たちのうちに、
現された日だ。
そう、
申し上げることのできる、
このイザヤの予言ですね。
ザーカイさんに向けられていたところのその非難、
それは、
ザーカイさんがイエス様を受け止めたときから、
イエス様が変わって、
まさにこの言葉の通り、
ザーカイに向けられた非難中傷、
そういったものを、
全部イエス様が変わって受けなさっている。
というのが、
イエス様は、
このことのために、
私たちのうちに、
おいでてくださったわけですよね。
この五十三章に見られる、
このイエス様の姿っていうのは、
本当に、
読むのに人に難いような感じがいたします。
しかし、
このクリスマスのときに、
もう一つ読まれるかしらの一つは、
ピリピリと読む手紙の二章ですね。
神と等しくあられたこの方が、
おいでて、
私たちのために、
その立場と言いましょうか、
それを固執せずに、
人となって私たちのうちに来られた。
ここでもそうですね、
人の子が来たのは、
失われた人を探して救うために来た。
来たっていうことは、どこから来たんですよ。
ですからイエス様は、
三密会のお方として、
天の栄光の座におられた。
そこから、
私たちごとき人々の姿を、
神に仰って、そうしておいでになられた。
それがクリスマスですよね。
神の栄光の座におられたその方が、
私たちと同じこの姿を持って、
叩かれたら痛いんですよ。
お腹がすくっていうこともありますよ。
悲しんで涙を流すっていう、
そういうものもイエス様はお持ちでしたよ。
そういう意味では、
完全な人として、
イエス様はおいでくださった。
しかしながらこの方は、
私たちの罪を背負うという、
この一点のために、
36:01
このクリスマス、
私たちにおいでくださったわけですよ。
私たち一人一人の、
私たちのおろべき罪を、
彼が代わって見受けるために、
お生まれくださった。
これからクリスマスを迎えてきます私たちは、
本当に、このことを、
自分に温めて、
このクリスマスへの、
思いを深くしてきたんですね。
イエス様は、
このザーカイさんの家に泣かれた、
そしてまたザーカイさんが言っている、
その告白の言葉、
8節ですけれども、ご覧なさい。
私の財産を貧し、
半分を貧しい人に施します、
という、
これを十八章に出てくる、
あの止める役人、
あなたに一つ足りないところがあるんだ、
と言われて、
そしてそのことを指摘された彼は、
それを、
イエス様の前に、
もうこれだけは手放せません。
彼にはそういう不安の気、
上ってしまったこの不安から、
下りようともしないで、
そしてイエス様の中に座っていった、
というこの出来事が書いてあります。
ところがこれ以上に、
この止める役人以上に、
このことにこちに来たのが、
自分の人生はもうこれなんだと言って、
富を築くのに、
自由を築くのに、
やってきたこのザーカイさんは、
イエス様を迎えに来た時から、
それを全部、
起きなさった。
間違ったやり方でもって、
この税金を取った、
そこにはもう何倍も、
大切をして、
お返しします、という、
この十八章に出てくる、
この止める役人と、
このザーカイさんのそれと、
比較してみますよね。
しかしイエス様を迎えるということが、
こんなにまでその人を迎えるの、
伝説の一つには、
この後ザーカイさんが、
やがてエリコンの、
永たる首相として、
名を成す仲の仕掛けとして、
みんなに尊敬された、
そういう人物になっていった。
そのザーカイさんが、
いつも一人ひとり行く場所がある。
これは伝説になっている話ですから、
聞いたことが多いかと思うんですが、
ある瞬間、
どこへ行くんだろうかな、と。
そして、この目を隠れしながら、
そうしてついていったら、
なんとその桑の木のところに来てね、
そして彼はそこで思って、
イエス様と出会ったこの場所、
彼は本当に感謝して、
ああ、この桑の木から降りてきて、
イエス様を迎えたとしたら、
私の人生は変わったんだな、と。
39:02
彼にとってこの桑の木は、
単なる桑の木ではない。
イエス様とお会いした、
そういう場所になった。
ですから、自分のこの欠点や、
いろんなものがね、
私たちにとってイエス様と出会う、
そういうチャンスを、
私たちにこの、
与えてくれる、
桑の木があるということは、
背が低いために、
その桑の木に登ったというこのことは、
雑貨屋さんにとっては、
その時のせいだったか分かりませんけれども、
それがあって、
そこから降りてきて、
イエス様を迎えた。
イエス様は、
私は、
あなたのために来たんだ、と。
それがこの十節の結びの言葉です。
クリスマスは、
まさにこの一句のために、
この一時のために、
私たちのために、
おいでくださった方の誕生ですね。
本当に感謝したいと思います。
お祈りいたしましょう。
しかし彼は、
私たちの桑の木の積みのために先祷され、
私たちの戸賀のために、
御礼に参り給う、
イエス様。
私たちは今年もこうして守られて、
一年間ここまでやってまいりました。
そして今私たちは、
あなたがおいでくださったこの日のことを思いながら、
お祝いし感謝し、
またこのことのために私たちは、
尊いイエス様によっての助けに預かり得た、
この幸いを本当に心を思いながら、
今こうしてクリスマスを迎えようとしております。
どうぞここに集う私たち一人一人、
あなたは、
人の子が来たのは、
失われた人を訪ね出して救うためだと仰るその言葉、
本当にそのままを、
主よどうぞ私へのあなたの言葉として、
これを受け止め、
クリスマスを心から感謝して、
お受けしていくことができるように、
一日一日の皆によって、
御一度のうちにあります祈りとともに、
見舞いを捧げたします。
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