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5年の新年生会は、斉藤先生より、「ひとりのために」と題しまして、メッセージをしていただきます。
おはようございます。インフルエンザではないと心地よく。
今朝は、今読んでいただきました、この「ヨハネによる福音書」の、先ほども新年度においては、そういうヨハネによる福音書。
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御承知のように、ここはイエス様とサマリアの女性との出会いという、そういう点での説に、
しかし、サマリアを通っていかなければ、サマリアというこの国との関係において、イザラシたちは一方的に穢れた町であるし、
また、サマリア人というのは除外されているところの、そういう穢れた人々だ。
ですから、一方のイザラシ人は、このサマリアとの関係というのを非常に嫌う、そして避ける。
今式に言うならば、今もイスラエルは、パレスティナとの関係において、いろいろと問題がそこに起きております。
ここに入れないところが、たくさんの昔から、そういう背景を考えますと、
今回二人、このイザラシに戻ろうとするときに、イザラシ人たち、ペトローたちも随分とそこでは驚いたと思います。
06:12
イザラシ様のお考えがどうなのか、どうしてそんな町を、昔から言われている、そういう関係のこのサマリアに自分たち、
けれども、このお言葉が示す、どうしてなのか、というのが今申し上げたような、外描的な、いろんなそういう状況というのが、
この一句があったればこそ、それぞれに及んで、そしてイエス・キリストの子の救いに預かり得て、
もしもイエス様が、私はイザラシの救いのために来たんだという、そういうことを申し上げているだけでの、
この枠の中には入り得ないわけですから、イエス様の子の救いに預かるということはあり得ない。
けれどもイエス様は、ご自分のお考えの中でもって、そのサマリアの町を通る。
そこには、イエス様の方はあらかじめ一つのプランがあった。
サマリアを通るための一つの予定がそこに組まれていた。周りは知らないですね。
そしてここに登場するサマリアの女性も、そんなことは何にも知らないで、日の日中水を汲みにこの井戸にやってきたわけですよ。
そしたらなんとそこにイザラシがですね、男性がおるじゃないですか。
彼女にするならば、一目を避けてこういう時間になったならば、もういろんな人間関係において彼女は疲れておりますから、
そういう言葉から逃れることができるだろうと、そういう一方責任を持ってやってきたところが、
サマリア人の男性じゃなくて、こともあろうにユダヤ人の男性。
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イエス様がそこにおられたので、彼女は自分を驚いたようですよ。
ところがそれ以上に驚いたのは、そんなことは絶対ありえないと思っていたユダヤ人の男性から声をかけられて、
私に一杯の水をくださいと言って、頼んできてやる。
もうここは私が最初から私の井戸として持っているんだから、
あなた方はここでくんだりなんかしちゃいけないというような欲張りがあっても仕方のないような、
そういうこのサマリアとユダヤの関係ですから、そういう状況も一般にだったならば考えられたわけですが、
ところがそうではなくて、彼女は全く想定外の事柄の中でもって、このユダヤ人の男性に一杯の水をそこで提供する。
そして自分の責任を渡して、そしてもうこの場から去ろうとしていたところが、またそこで次の言葉に彼女の感心が向いていったわけですよ。
この水を飲むのは渇くけれども、私の水は渇くことがないんだという、そういうことを聞いた彼女は、
そんな便利な水があるんだろうか、毎日毎日私の務めとして、この日の日中ここまで水を汲みにやってくる、
そういうこともあるから、逮捕されるだけでもたくさん。
彼女は彼女なりの計算でもって、えっとこう感心を向けさせるものです。
もしそういうものがあるならば、私にぜひ譲ってほしい、与えてほしい。
この生き方は十五節、女はイエスに行った、先生私が買うことはなく、もうここまで汲みに来なくてもよいように、その水を私にください、とこう言っているわけですね。
ことはここから始まるわけです。
私は、こと個人前途ということについて、このテキストを見てまいりますとですね、
やっぱりイエス派なんて方はね、こういう独りの人を求めるということにおいて、
本当に優れた方法と、あるいはその場に応じたところの一番適切なそういう声をかけて、そしてこの彼女の心を説こうとしている、そのことにですね、いつも心を打たれるわけですよ。
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このやりとりの中でもって、彼女の訴えた、もしそういうものがあるならば、私がこんなところまで来なくてもよいように、その水をください。
ある意味においてですね、これは自分の都合のいいお祈りの一つのタイプではなかろうか、こういうやりとりの中でもって彼女の祈りをとして見せまいりますとね、
時にこういう勝手な祈りをするのが私たちではないかどうかと思いもしるわけですね。
私も今回思いもしないやつ約半月ほど伏せておったんですけれども、病気になるということについてあまりそれまではなかったような私がですね、どうも最近そういうふうにいろんな点で体力が落ちてくる。
年齢もさることながら、こういうことになってだんだんと健康が損なわれて弱くなっていくのかなと、ふとですね、布団の中で思ったりするわけですね。
今度の日曜日は、同じ年齢でね、片谷開かた、私が開かたで、その先生は茅島というところで伝道しておりましたから。
特に団体は違いますけれども、そういう団体を超えてひたひとつはこの大阪でありますし、まさかその先生が先に召されるということは考えもしませんでしたからね。
けれどもやはり召されているんで、やはり私もその中にだんだんと加えられていくんでね、そうするとどうなんだろうかなと、あれやこれは考えていくと、だんだんと気持ちの上で細くなるんでしょうか、悩んでしまうんですね。
貧困を持っているのに僕ながらいいと思いなさるかわかりませんけれども、やはりそういうひとつの美容器ということが、ずっとやっていきますと弱くなってしまうというところがありますよ。
で、こういう時にね、どうぞもう一度私を生かしてくださいと、いろんなことをそこで口にはしませんけれども、心の中でお祈りをするわけです。神様とのイエス様とのやりとりをそこでするわけですよ。
で、やりとりをしながら、いやあ都合のいいことばかり自分がね、やりとりをするタイプだな、この女性とそう変わらないなと思いながら、その布団の中でもってそんなことを思い起こしておりました。
全くイエス様の身思いとは、見当外れなお祈りをする。しかもそれは自分勝手なお祈りでもってことを収めていこうとするような、そういう自分というものにですね、改めて何と言われるんだろうか、そう思います。
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しかし、見当外れなそういう思いでもってイエス様に、これも一つのお祈りですから、彼女がイエス様に向けたその言葉は、その見当外れなそのお祈りすらもイエス様はこれを受け止めなさってですね、それじゃあなたのね、御心をここに連れてらっしゃい。
というところから、彼女は一番触れられたくない点に、イエス様の言葉が入ってきた。
これは大切なんですね。甘い言葉だけでもって人は導かれませんし、ただそれでイエス様を信じますというところにはなかなかいかない。
私は自分のことをふと思いましてね、私の教会に対する興味というのは、やはり聖書を読みたいとか、イエス様の作りを求めたいというような、そういうよりも、もっとはるかにそれこそこの彼女のように、県と違いな思いでもって教会に友達と一緒に行ったというのがきっかけです。
ですから、礼拝院行き、あるいはこういう集会で、聖書の言葉をせっかく聞きながらですね、さっぱり私の中にはとどまらないんです。
もうあっちこっちというようなことでしょうかね、私の関心はそっち、このイエス様の言葉じゃなくて、全然違うところに向かっていた。
そんな私がね、ある時から聖書の言葉が自分に向けられた。どうしてなんだろうかなと、なぜそこでもって聖書の言葉がこの私にとって大切だと思えるようになったんだろうかな。
一つ思い起こすことは、まだクリスチャンになる前ですけれどもね、当時私が高校生で行っておりましたその教会で、教会というよりも一つの群れで、白川城という山城がありましてね、そこへ上がって行って、そこでもってお祈りをする。
教会でもお祈りをするし、私にとって初めてのそういう山でもってみんなが集まってお祈りをするというのは初めてなのですからね、えらいお祈りをするだけにここに来たなんて、もうちょっとまずかったなぁと本心思いましてね。
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しかもさらに思ったのは、普段教会では一人か二人なんですよ。長いお祈りをする人がおりますから、その間じっと我慢していたらいいわけです。
ところがね、その時は前の方から順番にずっとお祈りをしてきましてね、私を誘ってくれたその友達とね、おいどうなっているのこれって言って、もうお互いにどうしよう、これ行ったらだんだん自分たちに回ってくる。
とりあえずじゃんけんしようと。じゃんけんして負けた方がお祈りをするんだって。まあそんな馬鹿みたいなことは、それぐらい教会に対してのあるいは世襲に対しての関心というのは本当にゼロに近い私でしたから。
それで私が負けたもんですからね、じゃあ私が最初にお祈りしようと、最後の方ですけれども。
そしてやってきましてね、いよいよ私だと思っていたら、彼が先にお祈りしだした。あれ?と思って、まあそれはそれでいいと思って、そして次に私もお祈りをしたんですね。
東北のですね、お正月ってものすごい、もう下橋がこのぐらいあるところを踏んで、ずっと山に上がったところですけれども、もう寒さが厳しいんですね。
その時、もうガタガタガタガタね、寒さと緊張と、なんかわからないのでこの不礼が止まらなかった。
これを覚えているんですよ。どういうお祈りをしたのかってのはさっぱり覚えていません。
ただそこでね、本当に神様の前にそういう勝手な祈りですけれども、心を開いてそしてお祈りをしたということが、これは後々に振り返ってみてね、
なんで聖書の言葉を求めようともしないような人間が、聖書の言葉にさらに関心を持って、そして聖書を読むようになったんだろうかという、
そういうことを考えた時に、あの時に何を祈ったかわかんないけどね、あそこでお祈りをしたっていうのがやっぱり良かったのかな。
つまり私の心がね、それまで色々あったそういう心が解かれてね、そして神様の前に柔らかいそういう心の状態でしょうか、魂の状態に、
その時から耐えられたのではないだろうかと、これは後で、今でもそう思っているんですけれども、そういうことがあってね、
それまでは聖書を読むように言われてもなかなか、聖書の先に進まないそんな自分が、福音書でもなんでこんな同じことを繰り返しているんだろうかなという、あらすじ的なことがわかって。
聖書上伝に入りますとね、いろんな当時のクリスタンたちの大変なところを通ったんだなという、一つの歴史としてのそれはわかりました。
ただそれだけなんですよ。ところが老婆人の手紙に入りましたらね、えっとこう思うところが、この次々とこう見えだしたっていうんでしょうか。
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いやこれは私のことじゃないかな、こんな私のためにイエス様はこういうことをしてくださった。神様がこの方を通して私に何という素晴らしいことをしてくださったんだろうかと、
そういうことで心が開いていて、いやこれも大切だ、これも大切だという、それこそですね、赤い水で持ってこうなぞっていく箇所が、
もうローマ人の手紙からそれまでも聖書とは全く違う感じで持って、この聖書の言葉が入ってくる。
つまり私は、そういう見と違いな求め方で持って教会に行き、また聖書も行った時だけこう知らずというような、
知られてもですね、説教がわかるとかどうのこうのじゃなくても全く関心がなかったような、そんな私がその時点から変わる、変えられた。
そして私の心の中に聖書の言葉の一つ一つが光となって入ってきた時に、私の感謝の間にどういう存在かということがそこで初めてわかった。
当時このローマ人の手紙を読んでわかりだしたということを言いましたけどね、わかったと言ってね、本当になんて言うんでしょうか、聖書仲介書を読んでそしてわかったと言うようなそういうわかり方じゃない。
ただ、聖書の言葉からの光が私のその心を照らし出した時に、私がいかがるものか。
そういう私のためにイエス様がどういうことをしてくださったのかというそれが入ってきた時に救いがわかりましたよ。
イエス様の十字架の意味がそこで信じることができるようになった。
点と違いなそういう求め方をする私たちなんですけどね。
しかしイエス様は、そうであっても、その彼女のそこから後に言い出した言葉の一つ一つを受け止めながら、
これイエス様は、あなた方は昔からエルサレンに対抗して、そしてこのサマリアに偶像の神殿を、孔子の金の像を作って、そしてこれはもうエルサレンの神殿よりももっとすごいんだということであなた方は来ただろうけども、
エルサレンでなければならない、あるいはサマリアのそういうところでなければ神様を礼拝できないというのではない。
今私たちはね、神様の前にどこででも礼拝することができるんだ。今があなたにとってその時なんだ。
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つまり、私たちがイエス様の救いに預かるということは、神様の前に出るっていう、そういうこの資格って言うんでしょうか、何かいいことをしたからそういう資格を得たんじゃないんです。
この女性のようにとんでもない過去をぶら下げて、そして本当にこんな過去でも私のようなものでもイエス様の救いに預かれるんだろうかっていう、そういう思いの中で戦いが始まるんですけどね。
それでもしかし、イエス様はそういう私どもの一つ一つの問題を受け止めてくださってね、そう、そういう過去も持ち合わせてもいい。
私たちが間違ってはならないことは、ここでしか神様とお会いすることができない、あるいは礼拝することができないんじゃない。
どこででも私たちはイエス様のこの神様で礼拝することができるんだ。
そのことがそこでもって、彼女の中に明らかにされたときに、彼女はまことの神との出会いをそこで経験する。
ですから、私もその聖書の言葉が少しずつ分かり出したときに、礼拝っていう言葉だな。
単に修法に、当時はこういう修法なかったような、そういう教会なんですね、宣教師がやっていたバイルクラスですから。
けれども、そういう中で、この礼拝を通して神様が私の心を引き寄せ、そして持っている問題をそこに指摘しながら、そしてその問題を通してイエス様がわかるように私を導いていらっしゃっているんだな。
ですから、私は私たちのこの救いというのは、救われてそして罪からの許しというものをいただくんですけれども、しかしそれもこれもね、私たちが神様も礼拝するっていう、そういう中に加えられる。
ビルグラム先生が、確かあれは80年、ビルグラム国際大会というのが、今はなくなりましたけれども、大阪の森宮に二世球場という野球場がありましてね、そこが1万人余り入る観覧席を持っている。そこで会ったんです。
で、先生は毎回のようにそこでおっしゃったことが非常に残っているんですが、それは、今日、今晩ここに来られた方はね、明日もぜひ来てください。お友達を連れてくるのが一番です。しかしそれよりも、あなたが来ることによって、周りの人々が一体あそこで何が起きているんだろうか、そういう証が人々を引き締める。
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だからぜひ、明日の晩も、とにかくいろんなスケジュールがあるでしょうけれども、それを置いておいて、ぜひ一緒にここに集まりましょうというね、アピールを先生がなさっておられたことを、今でも思い起こします。
ですから、最後の時は、大阪府庁から交通政治はありませんけれども、これ以上中に入れないようにしてくださいという、そういう規制があって、そして入れない人たちのために、ビルグラム先生が表におる人たちのために特別なメッセージをされたぐらい、大勢の人が集まったんですね。
そしてもちろんそこでも、かなり大勢の人々が、イエス様の救いに預かったという、今でも教職の仲間でもって、あの時の大会でもって私はクリスタになり、そしてその後、牧師になって今こうしているんですという証を何人かからも聞きました。
素晴らしいことはね、私たちが、確かにビルグラムの場合には日清球場というその素晴らしい救いが表されているそこに大勢の人々が集まるということ自体が証だということを言っておりますけれども、私たちがイエス様の救いに預かったというこの証はね、この女性のように、
イエス様をと言って、イエス様を礼拝する、そこなんですね。
私は、ですから彼女は、この後、取り返して、そしてそのサマリアの町に戻って行って、そして今私はね、私たちが求めてきた誠の神様を礼拝した。
今イエス様はその方はおられるんですよと言って、そして大勢のサマリアの人たちがイエス様のところに来て、そして王者の人たちが死にたというストーリーがずっと続くわけですよ。
中にはですね、そのサマリアの女性に対して、あなたが誘ってくれたから、私はここに行ったんじゃないんだと、私が求めてきたんだと、そういうイエス様のことをわざわざこの女性に言っているような、そういう場面も書いてありますけれどもね。
私が決めてここだと言うんじゃない、でもそれでいいわけですよね。
けれども全ての人がイエス様の救いに預かるということは、誠の神様との出会い、誠の神様に対する礼拝がそこに始まるからなんです。
それにて私は、イエス様という方は、この一人の礼拝者が救われて、そして一人の礼拝者がそこに起きる、このためにイエス様はわざわざ遠回りか下回りかわかりませんけれども、日ごろ通らないサマリアの街を通る。
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そこには一人の女性の救いと、このサマリアの街の人々の救いということのために、イエス様がこの道を求めなさってこられた。
そして繰り返しになりますけれども、この場面でもね、この婦人の方が求めたというよりも、その場をイエス様が用意して、そして彼女を迎えるという、そういうこの姿です。
私たちは今年の新年度のテーマとしてある、一人が一人をイエス様のところに導くということですけれどもね、誰よりもこのことを求めていらっしゃるのが、この場面から見てもわかるようにイエス様なんですね。
一人の礼拝者がそこに迎えられる。そのために私は迎えに行く。あるいは予定を変えてでも、その一人のために私はそこに行く。そういうこの姿がそこに記されております。
問題を持っているから私は教会には係りを持ちたくないとか、あるいはふさわしくないとか、いろいろと私たちは自分側の条件でもって、せっかくの私を招いて、そして私を迎えていらっしゃっているこの方の招きというものを無視してしまうという、そういうことがある。
それが一般の人々ですよね。
けれども私たちは今日、こういうイエス様と一緒に一人の人を求めて、そしてその救いをその人に導かれるように取りなしながら行くというのが、今先にイエス様を見出した、私たちの与えられたこの責務ではないだろうか、特権ではないだろうか。
彼女はイエス様を知り、イエス様を礼拝することができたので、それで今私はまことの神様に出会ったんだ、という新鮮なこの出会いの喜びをサマリアの人々に伝えている。
それまでのどういう姿勢でもって、このサマリアの女性とサマリアの人々が会ったかということは、皆さん容易に想像できると思いますが、会えないようなお互いの関係だった、それがですね、まことの神様に一人の人が出会うことを通して、町全体の人々がその救いにまで至るということは。
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私はちょうど10年前になりますが、朝日新聞の有間に、元日本銀行総裁、早見勝さんという、その方、たぶん二次議員総裁になさっていましたからね、よくご存知だと思います。
この方は、日本キースト教団の東京の阿佐ヶ谷教会の教会員で、どんなに忙しがっても、それこそ万難を拝して、阿佐ヶ谷教会の礼拝を休むことなく大切にして、
そしてその日、自分に与えられた控えであるとか、受付であるとか、皆さんなさっているようなそういう仕込みをなさることが、本人にとって大きな力になったそうですよ。
当時の日本銀行というのは、それまでいろいろな問題があって、そして政府の方から、何とかここで早見さんがやってくれということで、それこそ指名を受けて、大変な時代でしたけれども、立って。
そしてそこに書いてあるんですけどね、国会で持って、いろいろと答弁しなくちゃならないというような緊張した時に、総裁室で持ってね、そしてそこに書いてあった、伊沢氏の恐れるな私はあなたと共にいるというこの言葉をそこで、もう一度そこで確認しながら、そしてそこでお祈りをして、
そして国会に臨んでいったということからもエピソードの一つとしてそこに書いてあります。
この人はクリシャン三代目か何かなんですね。二代目ですね。とにかくそういう。この方の流れを汲んでいる教職が私たちの教団におりますけれども、ですから彼は四代目クリシャンか五代目なのかなと思ったりもしますが、この方の姿勢は、申し上げたように自分の最高の務めは、それは神様を礼拝することだ。
私は救われた人のアコスがここにあろうかと思いますよ。
今日だぼうと言ってですね、当時の総裁の席に覆っておられたこの方ですから、その方以上に今日は忙しいので、礼拝ちょっとやらせてもらいますなんていうことは言えないような感じになると思うんですけれども、
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しかしどんな中でも、この人は生涯かけて私の最高の務めは神様を礼拝することだという、それをですね、全うされた。
やはり一人の人がイエス様のその救いに預かると、毎日の生活の中でもってその人自身が神様との関係においてそれが大きく変えられる。
もちろんこの礼拝に来ることも大切だが、それぞれの生活の中で神様を礼拝するという、大事な方を第一にするという、この知性というものがそこで持って、しっかりと養えていく。
ただこの綾美さんの証の中に、そういう素晴らしい一面を持つ方ですが、しかし同時にこの方はね、この自分の哀愁精苦という中の一つに、私は土の器という、あのコリントリートの手紙に書いてある、自分は本当に神の中に弱い人間なんだという、
その自分の弱さに徹すれば徹するほど神様の大能の力、先ほどの伊沢社のこの言葉というものが力強く、自分の弱さを通してさらに温まる。そしてそれは礼拝する中においてそれが全うされていく。
私は最後にもう一つのことを申し上げて終わりたいと思うんですが、それは私がクリスタルになった当時は、ちょうど日本の選挙、プロテスタント選挙100年ということで行われておりました。
今150年目を迎えているわけですけれども、その100年目ということで、当時はテレビはありませんでしたからラジオで聞いておりましたが、北森和夫という、これは東京新学大学の長く狂言をとられた日本語を代表するような学者で、そしてもう一人はノンクリシャンで、亀井克一郎という、この人は仏教家でそういう点で評論家でもあるんですが、
この二人の対談がそこでなされたんですね。その対談の中で私もクリスタルになって間もないものですからね、興味を持って聞いておりました中で、亀井克一郎さんという方がね、なぜ日本でこうして、
いわゆる日本というもの、この世界で教会が今日まで2000年という歴史を持って、そして今日に建てられているか、なぜなんだろうかなと亀井さんは思ったそうです。
その時に一つ教えられたことは、きっとそれはね、初代教会から始まって彼らはどんなところでも礼拝をする、そういうこの不思議な集団。
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毎週毎週、暑くても寒くても、もう何かいろいろあって、もう行きたくないというような気持ちがあっても、しかし礼拝に行こうという、そういうことからずっと今日まで来て、2000年というね、いろんな教会にとっては戦いがありましたよ、もうそれで教会終わりじゃないかというような、そういうようなこともあったでしょう。
しかし、そういう中でも、なお礼拝が続けられてきたということからが、今日の2000年という歴史を抱える教会の赤ひがと私は思うということを、そのノンクリティカルな無教学者の亀井勝一郎さんという方がそこでおっしゃったことが非常に残っているんです。
他の対談の内容は忘れておりますけれども、なるほどなぁと私はそこで思って、礼拝ということの位置づけというのがね、自分のこの作りにどんなに大きな形と関係づけられているか。
私は今日はいつものようにこうして礼拝に来ておりますけれども、しかし、礼拝に来ること自体がね、教会が、教会から占めるところの大きな証がある。
ピークラム先生はですから、そういう日清球場でありますけれども、しかし、一緒にここでね、神様のことを聞く、礼拝をしましょう、合わせが来ることが、人に対しての大きなインパクトを与える、よく合わせるんだということをおっしゃったことと重ね合わせますとね、今私たちも礼拝で何ができるわけではないけれども、
しかし、自分の生涯をかけて貫いて守るのは、神様の前に礼拝する。
イエス様は、その一人の礼拝者を得るために、予定を大きく、当時の常識的な予定を大きく変えて、わざわざサマリアに来られて、当時の情勢との出会いから、このことを私たちに教えて下さっている、示し下さっている。
ですから、イエス様は、この後知られたときに申し上げますけれども、五千人の人々が救われた、三千人の人々が救われたという、そういうところがありますよね。
そしてイエス様も、あの参上の説教は、大勢の人々を前にして、そしてメッセージをなさっておりますが、しかしイエス様の関心は、その大勢の人々が、あそこだった、よかった、ということよりも、そこでもって見失われている、あるいはイエス様を必要としている光というところに目を向けていらっしゃる。
パソコンを開きますと、Google Earthというのがありましてね、あれを初めて教えてもらったときに、住所を入れますと、地球があって、そこがヒューッといって、そして今の神戸市、ただ肉質だけを、アンビネントジェームセンマーという、そこにダーッと置く。
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そして建物が、イエス様はちょうどそんなふうにね、もう斎藤なんて、どこにあるかわからないような人間ですけれども、しかしイエス様の関心は、Google Earthではありませんけれども、ひとんな人を目指したときに、他のことは全部そういうふうに置いて、そしてそこに集中して、その人に救いをもたらせる。
この場面が、いまっきり言う、Google方式のイエス様の、その女性に対する救いを表しなさったということにも立てることができるかな、と思ったりもします。
Googleというパソコンの世界の用語を使いましてけれどもね、十分な説明できないままに申し上げたので、わからなかったらどうぞ聞いてください。非常に面白い、面白いなと思って、時々私は救世話から知られておりますけれども。
神様はね、そういうふうにして一人の人をしっかりとたらえなさい。ある箇所でイエス様のような人々がね、ついてきている、そうしたところにイエス様が笑って、誰か私に触った。
ただ一番近くにあったペトロたちは、イエス様そんなこと言ったら、私も触りました、あれも人も触りました、みんな触ってますよ、と言ったら、いやそうじゃない、一人の人が私に触った。
そしてその女性は、今まで長い間病気で苦しんできた彼女は、イエス様の前には彼女の中にイエス様の救いがなされた、そういう一つの出来事がこの深夜福音書の発祥でしたか、出ておりますけれども。
イエス様の関心から、そういうまっという大勢の人々よりも、一人というところにいつも向けられている、福音書を読んでもらいますと、イエス様はそういう関係を一番大事なさり、その関係を求めて、そして私とあなただという関係で、
今もイエス様は私に、あるいは私たち一人一人に最大の関心を持って、そして求めていらっしゃる、ではないでしょうか。
そういう風にしてイエス様は、お自分の救いを、私を通して、もう一人のあなたに向けられていくということに、私たちの思いをもう一人の人の救いのために、私たちは今年に大切な一人の人をこれからいただいていくと思います。
このサムリア人の出来事はそういうことですよね。今私にはわかりません。当時のペトロ社長はわかりません。けれども、イエス様は私を通して一人のサムリア人を求めていらっしゃると、私はこのところから重ねて教えられます。お祈りをいたしましょう。