1. 名谷教会 podcast
  2. 2013/12/08:聖日礼拝(旧音源)
2013-12-08 49:00

2013/12/08:聖日礼拝(旧音源)

2013/12/08 聖日礼拝(旧音源)




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アーメン。
日曜日は、本当に素敵な、素晴らしいスキル、ミュージカルな講演が持たれました。
私、数えた人数としては、80人くらいだったと思いますが、サウンド・オブ・ミュージックだけではなく、レミー・ゼ・ラブのテーマソングとか、素敵な講演が持たれました。
私も、たくさん恵まれて感動を受けたのですが、劇団の兄弟姉達が、もっと大きな恵みを受けて帰ったような気がします。
彼らがよく言いました。
「ユニ先生、自分だけが仕換えに来たんだけど、仕換えられて恵まれて帰ります。愛されて恵まれて感動を受けて帰ります。」と、よくお話しをしてくれました。
現場の中では、参加された方はご存知かと思いますが、小学校5年生の女の子と来ました。また、5歳の幼稚園生の女の子も来て、子役を素晴らしく演じてくれました。
また、ある姉妹、一人の姉妹はミュージカルに登場もしていないのですが、今回のたった3日間の弾丸講演のようなことでした。
この祈るために、ただとりまきの祈りをするために、他の委員を自分でもっと高いチケットを取って、わざわざ来てくれたんですね。本当に感謝でした。
また、私が感謝して感動していることは、その16人のメンバーのために、うちの教会の皆さんと、高倉チャテルの僕先生のお娘さんの家族、またユースハーデスの先生方が、
英会話教室で使っているアパートを3日間また貸してくださって、本当に皆さんが、うちの家族の方々も朝昼晩食事のもてなしや、本当に接待を皆さんが気を配って、
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使えて、彼らが毎食毎食感動して帰りました。
最後の話を、僕氏のキム、私の友人ですけど、彼らといろいろ話をしていたところ、来年の5日になるかはまだわかりませんけれども、
聖書も教えたり、歌も教えたり、演技を教えて、最後にミュージカル公演をしました。それでミュージカルキャンプをしませんかと話したとき、
それいいですね、来年、Jシマショ、来たら日本で初めてじゃないですかと話したんですけどね。いずれにしても福音選挙、日本福音家のために、こうして力を合わせて使えることはとても幸せな目止みだと思うんですね。
こうしてまた使えていきたいとそう願っております。一言を祈りたいします。愛してる父の神様、今日もこうしてアドベント第二週を迎えて、愛してる兄弟姉妹たちが、主の御前に集まって礼拝を教えていたします。
インマヌエルの主、イエス・テイスト様が私たちにこの朝、インマヌエル主のその恵みを、その奥義を私たちに教えてくださる私を豊かに恵んで帰ることができますように、私を力づけて勇気を与えて下さい。
恵んで下さいますように、この物を隠して神様御自身がお語り下さいますように、イエス様のみなによってお祈りいたします。アーメン。
毎年クリスマスを迎えて、いろいろな集会を開いていますけれども、皆さん、何よりこのような集会を準備して、祈って、奉仕をして開いてしながら、何より皆さん御自身が恵まれていただきたい。
イベントが終わってですね、集会が終わって、ああ、終わった。で、その常駐館だけではなく、準備の段階から祈りをして、そしてもう準備の段階から恵まれてですね、そしてその集会、集会が終わった後はですね、ああ、神様が私にこんなに素晴らしい恵みを与えて下さいました。
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そういうふうに明かしできるクリスマスを贈りたいですね。聖火会の皆さんも、また教科学の教師の皆さんも、あるいはコロナウイルスの皆さんも、みんなが一つになってですね、使えることとともに、
また自分自身の霊が魂が潤されて恵まれることに、私がですね、力を入れていきたいとそう願っております。また、いろいろな集会やまた出会い、あるいはイベントがですね、開かれているんですけど、その時々ですね、そのチャンスをよく生かしていただきたい。
例えば、電脳の時に生かしていただきたいんですね。昨日もですね、たくさんの子どもが来たんですね。で、うちのひきょんちゃんと子息がですね、実は今年の夏の子どもの大会の時にですね、友達を連れて来たかったんですよ。
でも、一人も来なくてですね、ひきょんちゃんはもう、あの日一日中ブルーになってですね、二階でぽじこもっていたんですね。友達が一人とも来なくて。で、昨日は四人連れてきて、子ども二人連れてきてですね、子どもが連動して嬉しいなと思ったんですけどね。
また金曜日もですね、池田姉妹も三浦さんもですね、また他の方々もですね、たくさんの友人や知人の方々をお知らせしてですね、そのチャンスを生かしていくこと、そこから連動が、選挙が始まるでしょう。
見言葉にありますように、時が良くても悪くても、そのチャンスを福音をもべ伝えることもそのチャンスを逃さず生かしていきたいと。
この十二月、まだ今週は夫人のクリスマス、二十二日のクリスマスで、また二十三日の職家恋愛が、また三回のチャンスがありますから、皆さんぜひですね、このチャンスを生かして、伝道挙げんでいきたいとそう願いたします。
本文に移りましょう。
09:15
もう喜んでおられるお式なんですね。
神様を愛の神様と言います。私は神様は交わりの主と言いたいんですね。
皆さん、神様はですね、私たちと交わること、付き合うこと、喋り合うこと、気持ちを分かち合うことが大好きなの。それを望んでおられるんですね。
それでアダムを作られ、エヴァを作られました。そして数多くの人々を選んでくださって、彼らと交わりを持ってくださったんですね。
今も皆さん、神様は私たちと交わることを喜んでおられる、望んでおられるんです。私たちと喋り合いたい、話し合いたい、相談をし合いたいとですね、主は望んでおられるんです。
そしてその交わりを望んでおられる神様が、この家に私たちと共にいるために、共に交わりを持つために、付き合うためにこの家に来られたこと、それがクリスマスなんです。
では今日は大きく二つのことをお話ししたいと思いますが、第1話。インマヌエルの主は交わりの主です。インマヌエルの主は交わりの主です。
さあ今日の箇所をちょっと見てみましょう。皆さんもよくご存知でしょうけれども、1章の23節です。では23節を声を合わせて一緒に読みたいと思います。
インマヌエルがどういう意味ですか。どういう意味ですか皆さん。神は私たちと共におられる。
インマヌエル。何々ルーしたら日本語は動詞になりますけどね。ダブルとか。インマヌエル動詞にしてですね、神は私たちと共におられるという新造語にすればどうでしょう。インマヌエル。
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皆さん、イエス様が人間になられて、このうちにお生まれになったことは、私たちと共にいるためなんです。その方は皆さん、私たちと共にいたいと願っておられるんです。なぜでしょうか。愛するからです。恋をするからです。
皆さん、例えば恋人とか、親しい友達とか、友人とか、あるいは夫婦とかは一緒にいたいんです。一緒に過ごしたい。だからデートをする。だから結婚をするわけなんですよね。一緒に。
愛するから。二人でですね、何かいろんなことをしなくてもですね、ただ二人でいることだけでもう幸せなんですよね。神様がそう考えておられる。そう望んでおられるんですね。
私たちと皆さん、お一人お一人と共にいたい。共に過ごしたい。共に歩みたい。それをですね、もう願ってですね、熱く考えられて、このうちにおいでください。それがクリスマス。それがインマヌエルの主義。
そして、旧約聖書から新約聖書に至るまで、数多くのところで神様が私たちに向かってですね、私があなた方と共にいる。私があなたと共にいるというメッセージをですね、何度も何度も繰り返して語ってくださったんですね。
旧約聖書1ヶ所見てみたいと思います。出エジプト記第3章1節です。みんなこれだけして一緒に読みたいと思います。出エジプト記第3章、3章1節ないですね。ごめんなさい。少しずつ。3章1節じゃなくて、ごめんなさいね。
15:05
3章12節です。ごめんなさい。3章12節。99ページです。よろしいですか。では12節一緒に読みたいと思います。
3、神は仰せられた。私はあなたと共にいる。これがあなたのための印である。私があなたを誓わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出す時、あなた方はこの山で神に伝えなければならない。
はい、アーメン。これは神様が孟子に語りかけてくださったメッセージですけどね。その最初の御言葉が、なんと今日のインマヌエルその御言葉と同じ御言葉なんですね。私はあなたと共にいる。
皆さん、この朝神様が皆さんお一人お一人に孟子に語られた神様が旧約時代に新約時代に数多くの人々に神様が語られたそのメッセージを改めてこの朝皆さんお一人お一人に、私はあなたと共にいる。
あるいは、私があなたと共にいると語りかけてくださるそのメッセージに耳を澄ませていただきたいんです。私があなたと共にいるインマヌエルの主としてあなたと共に歩むと約束のメッセージを語ってくださるんですね。
そして力を出しなさい。勇気を出しなさい。私を信頼しなさいと語りかける神の御声を聞いていただきたいんです。
皆さん、この神様は、イエス様は、私たちと心が通じる、気持ちが通じる片思いじゃなくてですね、一歩遂行の愛ではなく、もう本当に親しい友達のように、夫婦のように、あるいは恋人のように交わること、付き合うこと、話し合うことを願っておられるんですね。
もう皆さんご存じのように、ヨハネの目白の最後にはですね、私たちを花嫁として、イエス様を花婿として、結婚をですね、それを例えて、イエス様と私たちの関係を例えて話し合っているんですね。
18:10
皆さん、もう一度申しますが、インマヌエルの主は、私たちと交わることを切実に願っておられるんです。私とこの一体、新たに向かってですね、もう話してほしい、話し合ってほしい、交わりを持ってほしいとですね、願っておられるんです。
それを新約聖書に行きますと、イエス様がこのように教えました。私たちがイエス様の家に留まる。そしてイエス様が私たちの家に留まる。それを主が望んでおられるんですね。
その歌詞を見てみましょう。ヨハネの福音書です。新約聖書、ヨハネの福音書、第十五章、五節です。211ページです。では、五節を一緒に読みたいと思います。
まさにインマヌエルの主がですね、私たちがイエス様に留まり、イエス様も私たちの中に留まっているなら、そういう人は多くの実を結びます。
インマヌエルの主の恵みなんです。四節にはですね、このように書かれているんですね。私に留まりなさい。私もあなた方の中に留まりますと、インマヌエルのメッセージがですね、なんと旧約聖書から新約聖書に至るまで、いや、今の時代にもずっとずっと続けて語りかけておられるんですね。
皆さん、このインマヌエルの主は、共におられるということはですね、お別れを前提したメッセージではないんですね。永遠に共におられるというメッセージなんです。
21:09
ところが皆さん、イエス様が私たちのそばにただいるだけ、もうそれもすごい恵みなんですけど、何もしなくているだけではありません。交わりを持つ、心が通じる、打ち明けて、そして本当に魂が霊が交流をする、そのような交わりを、深い交わりを主は求めておられるんです。
ところが皆さん、地下鉄とかバスに乗ったりですね、全然知らない人とですね、すごく近く隣に座っているんですね。身体がね、こう擦るほどですね、座っている。そばにいるんですよ。しかも近く座っているんです。しかしその人と私とは何の関係もないんですね。ただ座っているだけなんです。
イエス様が共におられるというメッセージは、地下鉄の隣の人のような関係を指す意味ではありません。夫婦のように深い所まで、心の奥深い所まで、それを打ち明けて交わりをする、その深い交わり、深い付き合いを主は求めておられる。
それがしたくて、この地においでになったわけなんです。
ですから皆さん、クリスマスは私たちと交わりたくて、この地においでになった神の愛なんです。交わりを持ちたくて、付き合いたくて、この地においでになった神の愛の現れ、それがクリスマスではないでしょうか。
夫婦や友達も時間が経てば経つほど、もっと深く知るようになるんですよね。
私の場合、結婚する前に1年半ぐらい、同じ教会でハンナと付き合いを知っていたから、結婚する頃は2人で、よく深くほとんど知っているかのように考えたんですけどね。
結婚したら、知らないことがたくさんありました。びっくりしていることも、喜ぶことも、がっかりしていることもありました。
まあ、向こうもそうでしょうね。しかし、今年17年目ですけどね、時間が経つほど、もっと深いところまで知るようになるんですね。
24:04
家様と神様との関係も同じくならないといけないんです。
5年信じた人より、ある意味で20年信じた人より深くなって、神様のお首を、素晴らしい恵みを、もっと深く知るようになる。
もっと深い、親密な愛の関係、交わりの付き合いの関係を持つこと、それを主が求めておられるんです。それがイマヌエルの主の心なんです。
皆さん、もう一度申しますが、イマヌエルの主は、私たちと交わりを持ちたい、付き合いたい、話し合いたい、共に歩みたいと、求めて求めておられるんですね。
ですからイマヌエルの主のお気持ちが私の気持ちになる。家様のハートが私のハートになる。家様の情熱が自分の情熱になる。そして主の献身が自分の献身になりたいと。
このような信仰までいて、深まる私たちでありたいんです。
金曜日の劇団の話ですけどね。その中のある兄弟の話です。彼はレミジャラブルのテーマソングを歌っているときに、マルクスかな、その役をしたハンサムで身長高い若い男の子、兄弟がいたんですね。
彼は家様を信じて、2、3年くらいになったそうです。今回の引率で来られたキム先生の教会に今年から出席するようになったそうですが、なんと彼、今年で19歳です。
もう恵まれ、その教会の争点は朝5時だそうですけど、なんとこの19歳の兄弟が争点に出たいんです。しかし彼は10年前から若いなのに糖尿がひどくて、毎朝自分で注射を打っているんです。
こっちに来たときにも、朝自分で注射を打って、そして公園に立ってくれたんですけどね。その争点の恵みが強くて、午時に起きて行きたいんですけど、寝たら糖尿もありますし、他の病気も持っているそうです。
起きられないんです。でも朝5時の争点に行きたくて、彼が選択した方法は、夜通し寝ないことだそうです。すごいなんですよね。もう朝4時半まで起きていて、そして争点に行くんです。
27:17
そして5時頃に争点に行って、そして朝帰ってきて、ちょっと寝て学校に行ったり、また授業がない日には家で寝たりするんですけどね。
もう陰真面の主と交わりを持ちたい。祈りたい。もう陰真面の主の愛の中に吸い込まれるように、そして主と一体になる恵みをその証を聞いて、すごいなと。僕主より偉いなと私は考えさせられました。
皆さん、陰真面の主と共に歩むことは、出席教会の水準に留まっているのではなく、信者になってください。さらに信者から働き人になってください。また働き人から献身者になってください。
この信仰の成長が大きく2番目です。陰真面の主は選挙をする方です。皆さん、陰真面という言葉の意味は今日見ましたけれども、神は我らと共におられるというメッセージですけど。
深い関係を結びたい。さあ、それで主は何をしようとされるのかということです。もちろんですね、交わりそれも大事な目的です。神様と私たちが交わること、愛し合うこと、その自体が目的です。
しかし、さらに一歩進んで、私たちに求めているメッセージがあるのです。聖書から見てみたいと思います。同じ、マタイノクイーション最後の28章、19節から20節までです。
28章、19節、20節です。新約聖書63ページです。よろしいですか。では、ご一緒に。
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皆さん、何かお気づきでしたか。マタイノクイーションの素晴らしいメッセージにお気づきでしたか。
何と皆さん、マタイノクイーションは、私があなたと共にいるというメッセージから始まって、最後もいつもあなたがと共にいますとメッセージで終わっているのですね。
マタイノクイーションは、なんとインマヌエルの宿から始まって、インマヌエルの宿で閉じている。私があなた方と共にいる。私があなたのそばにいるんだよ。そういうメッセージをですね、マタイノクイーションは、いやもう聖書は、いや私たちの信仰の世界は、最初から最後までそのメッセージが貫通をしているわけなんです。
この朝、皆さんお一人お一人に、インマヌエルのメッセージを語っておられる、そのインマヌエルの主の御声に耳を傾けたいんです。
皆さん、現代人のもとも多くの心の病といいまいとか、その中の一つは孤独、寂しさではないかなと思いますね。寂しさ、孤独。
若い人もそうでしょうけれども、お年寄りの方々もですね、日本の場合は老夫婦が二人だけでですね、暮らしている家族が多い。
もう片方が亡くなられたらですね、もっと寂しくなってですね、また子供たちが親と一緒に暮らす場合は少ないかなと思うんですけどね、日本の場合は。
33:01
で、心が寂しいんですね。また誰もいなくて一人暮らししていて、もう寂しくそのまま亡くなられる方々も多くいるようですね。
現代人は多くの人々に囲まれている。しかし、寂しさ、孤独があるわけなんですね。だからこそ、イマヌエルのメッセージが必要なんです。
私があなたと共にいる。あなたの気持ちを私に打ち明けて欲しい。深いところまで交わりを持っていきたいと。そして、私にイマヌエルの血に全てを委ねてくださいと。
その孤独も寂しさも重荷を下ろしなさいとですね、イマヌエルの血が語りかけてくださるんですね。
昨日ですね、議談を送るために三宮まで電車で一緒に行ったんですけどね。その引率の金吾牧師は私より一歳上ですけど、四十代の牧師二人でですね、何か心が通じたことがあったんですけどね。
こう話をしたんですね。彼はですね、三宮先生、もう四十代になって牧師はセンチメンタルになったり、何か寂しくなったりするんですよね。
あなたもそうですか。私もそうですけど、と話をしたりですね。時には、奥さんの一言で心が寂しくなったり。
時には鬱になったり。牧師だからね、牧師だから心の重荷もあるんだけども、牧師だから言えないこともいっぱいある。
時にはほどくも感じる。時には心の重荷をですね、誰かに話して、時にはたまにでも慰めてほしいんだけども、それも簡単ではない。牧師だから。
時には奥さんに言ったら、なごしゃめるところか、子供が怒られるように怒られてしまってですね、二人でそうそうそうなんだよねってね、そう話しながら三宮まで行ったんですけどね。
五十代、六十代の男性はいかがでしょうか。
36:08
金曜日のミュージカルコーンの中でですね、最後にお招きの時に、彼らに一曲歌をゴスペで歌ってもらいました。
同行という、とても感動的な賛美でした。
歌っている彼らも泣いて、聴いている多くの方々もですね、私コーナーで立っておりましたけれども、涙している方が結構いらっしゃったんですね。
その感動そのままお伝えできないんですけれども、その歌詞はですね、とても恵まれました。
また今日のメッセージもぴったりするという歌詞だと思ってですね、一部だけ訳してきたんですけど、一度聴いてみてください。
こういう歌詞です。
長くて暗いトンネルを一人で通り抜く人生
先が知れなくて寂しさやつぶやきが起こる時
あなたの歩む道恐れず諦めないでほしい
力を出しあなたの力になるから
一人でいるようでもそうではない
あなたのそばにいつも私が共にいる
勇気を出して歩んでほしい
私と共に
そういう賛美でした。
皆さん、イマヌエルの詩は、まず私たちにこのメッセージを語ってくださるんですね。
私があなたと共にある
しかも世の終わりまで共にいるんだよというメッセージを私たちに語ってくださりました。
そのメッセージを私たちは受け取りました。
信じて歩んでいます。
そしたら今度は私たちがこの神のメッセージを他の人々に
孤独や寂しさや、あるいは様々なことで苦しんでいる方々に
お伝えしなければならないんじゃないですか。
ですからイマヌエルの詩は宣教する詩なんです。
先ほども言いましたけれども、
マタリノフィー書1章23節と28章20節の共通点は
私があなたと共にいる。不思議な見言葉の恵みなんですね。
イマヌエルの詩は私たちに続いて私があなたと共にいる。
そのイマヌエルの詩の愛はですね、条件付きではないんですね。
39:04
無条件的な愛なんです。
今日の箇所も最後の箇所も条件は付いていません。
例えばあなたがこう言ったら私が共にいるよとか、
あなたがああ言ったら私はイマヌエルしないよというメッセージはありません。
条件付いていないんです。
もちろんですね、罪を犯しても神様を信じなくてもいいという意味ではありません。
イマヌエルの詩は私たちから目を離さず、
共におられる、見捨てられないというメッセージなんです。
イマヌエル。
人間の交わりとか交流とかそういったものはですね、
ある意味では人間の心の奥深いところには条件が付いているんですね。
付き合い、恋人、あるいは結婚をしたりとも、
嬉しくて満足しているときには条件が付いていないように考えるんですけれども、
何かが起きてしまったらですね、別れてしまうんです。
実は条件が付いているんですよ。
あなたが私を愛してくれるなら私もあなたを愛す。
無意識的に条件が付いているかと思います。
しかしイマヌエルの詩の愛は無条件的な愛。
いつでもイマヌエルなんです。
皆さん、私たちが神を信じる者として時には失敗しても、
あるいはちょっと自分の無能力さにがっかりしている時であっても、
あるいは自分の都合が良くなくても、
あるいは真骨がちょっと落ち込んでいたりダウンしていたりしても、
イマヌエルの詩は、イマヌエルの愛は、そのイマヌエルその自体は、
この真実を信じてください。
持っていただきたい。
私もたまに、自分の無能力さに、自分の失敗や自分の弱さ、
あるいは自分の情けなさの上に落胆している時があります。
42:00
そのような時に、
主は必ずイマヌエルの主が慰めてくださるんですね。
大丈夫だよ。私はあなたと共にいる。
メッセージを終わりたいと思います。
イマヌエルの主、その主と深い深いところまで交わりを持って、
そしてそのイマヌエルのメッセージを、今度は知らない人々に、世の人々に、
伝えていくこと。
それがイマヌエルのメッセージです。
お祈りいたしました。
まず、このイマヌエルの恵みを覚えて、感謝の祈りをしました。
主を共にいてくださって、ありがとうございました。
慰めて勇気をつけてくださって、ありがとうございます。
この感謝の祈りをしました。
また、この王国として、選挙に私たちが励んでいけるように、
このイマヌエルのメッセージをお伝えする私たちであるように。
では、ここで一緒にお祈りいたしましょう。
アーメン、アレルギア、神様、アラーム。
ロードしよ。
さあ、神様、ロード、アレルギア、一人一人。
主よ、ロード、アレルギア、一人一人。
ロード、神様、イマヌエル、イマヌエル。
神様、ロード、恵みを感謝いたし。
共におられる。
共にいてくださる。
そして交わりを持ってくださる。
本当に私たちの耳に傾けてくださる。
心を本当に理解して慰めてくださるし。
このイマヌエルのメッセージ、私たちが今度は知らない人々に述べ伝えることができますように。
本当にこの選挙の神様、イマヌエル氏は選挙の神様であると改めて教えてくれました。
この恵みに私は、どうぞ私たちをどんどん使わせて持ちに行ってくださるように。
お願いいたします。
アーメン。
それでは一言お祈りいたしましょう。
その名はイマヌエルと呼ばれる。
訳すと、神は私たちと共におられるという意味である。
愛する父の神様、お言葉の恵みを心から感謝いたします。
祢は、私たちといつも共にいてくださる。
45:05
そして、交わりを持ってくださる。
私たちを理解してくださる、慰めてくださる主であることを、
イマヌエルの恵みをこの朝教えてくださりありがとうございます。
またイマヌエルの父は選挙の神であることを教えていただきました。
イマヌエルのメッセージを先にいただいた私たちとして、
私たちのイマヌエルのメッセージを知らない方々に伝えることができますように、
どうぞ、私たちを振り立たせてくださって、
使わせてくださって、メッセンジャーの役割を果たすことができますように、
どうぞ、祢をそれぞれ置かれている場所で私たちを用いて下さい。
私たちがこの世で、主よと叱りとして、
私たちを通して一人でも多くの人々が、
このイマヌエルの主にお会いする恵みが起きました。
どうぞ、この明太利教会を持ちに来てくださって、
この神戸で、この日本で、主をどうぞ、
あなたの福音選挙の器として持ちに来てくださいますように、お願いをいたします。
私よ、いつも教会を愛し、また兄弟姉妹たちを愛し、
主を愛して、心から使えて奉仕をしてくれる、
愛する兄弟姉妹たちの尊い愛の業、奉仕をしよう、どうぞ、覚えておいて、
そしてあなたが報いしてくださることを信じ感謝いたします。
私よ、愛する兄弟姉妹たちの様々な祈り称えがあります。
家族の救い、あるいは様々な課題が抱えているわけですが、
主をどうぞ、あなたは全てご存知ですから、
主があなたの時に、私たちが望んで考えている、
それ以上に素晴らしくあなたが答えてくださることを信じます。
どうぞ信じたかにしくしてください。
今年もはやあと3週間ですしよ、
いつも一緒に感謝し、またこのイエス・キリストの福音のメッセージを
一人でも多くの人々に伝えるこのクリスマスの時となりますように、
どうぞ主を豊かに祝福してください。
教会の役員さん、また教会学校の教師、生活体、
また他の奉仕者、一人一人をあなたが覚えて、
その奉仕の上に豊かにあなたが報いで祝福してください。
48:01
また礼拝に来たくても来れない、愛する兄弟姉妹一人一人を覚えて、
体も心もあなたがいじやして祝福してくださいますようにお願いいたします。
さまざまな事情がありまして、教会から離れている方々の信仰も
あなたが強めてくださいますようにお願いいたします。
妙なね、教会から本当に子どもたちも中高生、若者たちが次から次へ
祝福され、また洗練を受けて起こされますように、
どうぞ全世代が共に集まって神を礼拝する日が来ることを信じます。
どうぞあなたが恵んで豊かに祝福してください。
教会にも様々な祈り方がありますが、どうぞ神様が全てを備えて
応えてくださることを信じます。
感謝してイエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン
49:00

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