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2014-01-26 48:22

2014/01/26:エルサレムにとどまれ

2014/01/26 聖日礼拝

斎藤亘師

使徒の働き 1:1-8


00:02
おはようございます。いつもの礼儀に従って、お互いのご挨拶をいたしましょうか。
私の礼拝のときは、あまりしたことがないんですけど。おはようございます。
それでは、一言に一択をお祈りを下げておきます。
レビューヒカイセンのお父様、祈られてまいりました。この1月最後の聖日の礼拝を、新年正解礼拝として御祈って下さいました。
あなたがどうぞ、この礼拝を始めから終わりまで導いて下さるように。
とうとう一緒の皆によってお祈りをいたします。アメン。
新年正解という、前の赤城一丸教会でも、この時期には三陽新年正解という、以前は止まりがけで正解があったそうですが、
最近はなかなかそれが難しいということで、午前の礼拝と午後の正解ということで、毎年行われてきております。
この1月のこの時期の正解というのは、これは教会、それから教区、教団という、それぞれの総会が行われる時期に向かっていくわけですね。
早い教会ではもう既に教会総会を終えて、そしてこの教区総会に備えるというような、そういうところもあるようでありますが、
こちらでは2月に総会、そうですね、2月の時に2013年度の総会を開く。
以前世をそういう総会をもって、そして新しい年度に向かって、新しい年度に向かって体制を整えていくという、そういう準備のときと言いましょうか、備えるとき。
しかしこれは、そういう意味や異常に、私たちが働きを前にして、自らを清くさせていただくという、そういうこの時、
ですから神様は私たちにそれぞれにですね、本当にこの清さに向かって歩む、そういうものであるようにという。
03:03
皆さん方もご存知のように、成長を私たちに、神様が一番私たちに期待していることは、私たちが清くなることだという、そういう言葉が、ヘブル・ヴィトの手紙をはじめとして、そういう意味合いの言葉が各所に出てまいります。
そして私たちもまた、私たちのクリスタル生活においての最大の関心は、やはりどうしたら清くされるんだろうかという、そこにあろうかと思うんですね。
ということは、なかなか私たちは、そういった事柄が、聖書を通して、あるいは聖会やいろんな機会を通して、清くありなさいよということを求められながら、正直言ってなかなかついていけないというんでしょうかね。
その時は一生懸命求めて、そして、ゆう先生の言葉で言うなら、三日坊主、三日目からまた求めたら、また三日坊主で。
ということは、毎日それを求めるから、三日坊主でいいんですというね、面白い説明をなさるなと思いながら聞いておりましたけれども、
いずれにせよ、私たちが、とにかく私たちの信仰生活において清くされる。
ところが現実には、しばしば私たちが、聖徒が逆に経験しますのは、自分の力の限界であるとか、あるいは何度となく繰り返す三日坊主の失敗、
あるいはそのすぐ後からやってきた、この挫折感とかね、先に敗北感みたいな、そういう事柄を時には私たちが経験をいたします。
しまいには、世に無気力な信仰生活というのに入り込んでしまう。
そういう時に、だんだんと信仰生活も栽培されてまいりましたね。
昔はだったこうだったと言って、確かにそこには自分の勝手のそういう姿を見ながら、昔はそうだったけど今はもういいと、そういう言葉を皆さん方もそれなりに経験されたことがあるんじゃないかなと、そう思います。
私が人行伝をよく開くんですが、この人の働きというのは私たちの教会、あるいは私たちクリスチャンとしての、そういう原点と言うんでしょうか、そういった事柄がそこに記されていると思うんですね。
06:05
人行伝、この人の働きというのは、精霊がいかに教会を、あるいは初代のクリスチャンたちを通して人の働きを進めなかったかという、そういった記録でもあります。
人の働きという、この新海薬聖書になってからは、この人行伝がそういう風に呼ばれるようになりました。
私もずっと新海薬で来ましたから、人行伝という言葉が遠ざかっておりましたけれども、4年、5年ほどでしょうか、日替わり教会に赴任してまいりましたら、そこは公約聖書ですから、人行伝。
ついその言葉が人の働きということが出ちゃうんですが、どっちでもいいんですね。人の働きといった方が非常に私たちにはぴったりくるという、そんな感じがいたします。
それぐらい、精霊によって当時の教会のクリスチャンたちがどういう誕生と、そしてまたどういう働きをしたかという言葉がそこに記されております。
しかし、私たちがこの冒頭において見る、この当時の弟子たちの姿というのは、それこそイエス様も十字架に追いやってしまって、彼らは信仰上の反復観点じゃなくて、実際上の反復というのでしょうか。
結局ここまでついてきたのに、最後の最後に至って私たちは、私たちの愛してやまないこの方を十字架に追いやってしまった。
持っていることもできない。イエス様を守ることもできない。そういうことを思って彼らは、本当にこの一夏秋のこのところにおいての様子というのは、弟子たちはまさに敗北をした、そういうこの姿ですよ。
ところが、ここを見て参りますと、私たちはこれを改めて思うことは、そういう弟子たちの日、この四十日間、彼らに現れて、そしておよくを語り、また多くのたつかな証拠をそこに示しながら、
イエス様が最後におっしゃったことは、あなた方は、この恐れるから離れないで、私から聞いてきたこの約束を待ちなさい。この約束では兼ねても、私から聞いてきたこの約束を待ちなさい。ですから何度もイエス様は、このことを弟子たちにおっしゃっておられたわけですよね。
09:10
しかし、弟子たちにとってこのエルサレムというのは、そうは言えさ、申し上げてくださっても、きゅっと私たちにとってこのエルサレムはもうここには折れませんというのが、歴史書の実情じゃなかったのだろうか。
なぜかならば、これらにとってこのエルサレムは、申し上げたように、このお方を十四日間に追いやってしまった、守ることができなかったという、これは最も大きな失敗のそういう場所でしょう。
私も二回、エルサレムを訪問する機会がありました。そこに見るエルサレムは、非常に個人的な華やかさの中でもって、ある意味で期待していた通りという声も聞きますし、いやあ、これじゃ東本川氏、西本川氏とあまり変わらないんじゃないかというですね、そういう声も聞いたこともあります。
それぐらい非常に今の様子というのは、当時のこのエルサレムというイメージからは、おどとい姿でしょうね。
ただ、私が新学生の時代に、当時校長されておりました沢村五郎という先生が、英国に留学されておった時に一度エルサレムに行ったそうでした。
ところがその時のエルサレムは、オズマンとトルコ人の仲良しがいを得ておりますから、ですからどこを見てもそのエルサレムというイメージは感じてこない。
本当に荒れたエルサレム。これがバビロによって滅びていったこのエルサレムだろう、あるいはローマによって遂に何もかも本当にこれを破壊されてしまったこのエルサレムの姿なんだろうという、そちらのイメージの方が強かったぐらい。
ですから沢村先生が、もし現在で今のエルサレムに行ったら、どこへ行ったんだろうかどのぐらいの被害を感じたかわかりませんが、しかしそういう外見的なことよりも、このエルサレムというこの言葉は、
私たちにとってはイエス様を裏切ってしまったという、そういうこの敗北感、もういたたまれないそういうところとして彼らには残ったと思いますね。そういう中でイエス様は、そのエルサレムにとどまりなさい。そしてそれはあなた方が聖霊のバフテスマを受けるという。
12:16
これもかねてから彼らは耳にしてきたことであり聞いてきたことですよ。
けど改めてイエス様のお父から最後の言葉として彼らはこのことを聞いた。どうして私たちはこのエルサレムでそのようなことをあるいはそのような経験をすることができるんだろうか。
私たちはよく清められるあるいは聖霊を受けるということの一つの中にね、もっと自分の置かれている状況というのがもうちょっとこうマシだったならば、もっとストレートにこの聖霊の恵みに預かるんじゃないか。それが正解であったり、あるいは何かそういう大きな修養会であったりする。
私たちはそういうことにおいては条件的な面においてこの聖霊を受けるということへのそういう思いを持つところがあります。あるいは理論がこうだったならば、聖霊が私の地においでくださるんじゃないだろうか。そういうことですね。
そしてそこには非常に神秘的な政権と言いましょうか。これまでにないそういう体験をもって自分はああ、これで聖霊を受けたんだな、あるいは清められたんだなというそういった秘密を求めてもこの聖霊政権というものにこのよく憧れてしまうところがあります。
しかしあんまりそういうことばかりを求めたりしますとね、経験のほうが重んじられて、聖書の言葉の約束というものに期待感が衰えてしまって、そして私もあのようになりたいというようなところに向かう。
これも私が話しますから古い話が次に出てくるんですけれども、これも田村先生がおっしゃったと思うんですがね、バクソン先生はそれこそ浮気無駄感動して人類の花だとこう言われたぐらいにバクソンという方は多方面の方々から高い評価を受けなかった方のようですよ。
15:00
たくさん信仰の報酬という本を読んでまいりますと、そういったものを感じます。ところが、田村先生が、ですからバクソン先生は間違いなくそういう聖霊の恵みをいただく経験をお持ちなさっている。どういう経験をなさったんだろうか。
もうそのバクソン先生に接せば接せばメッセージを聞けば聞くほど、いやバクソン先生はどうなったんだろうかというね、そういう思いが強くなるんです。そしてそのことをあらためてお尋ねになったそうです。
そしたらバクソン先生は、私はいつもそのことを皆さん方にお話をしています。私に与えられたそのお恵みをいつもメッセージでお話しています。そうおっしゃって、自分のそういう体験的な言葉らには触れなかった。
おそらく、これはまあここからは山田先生がおっしゃっている言葉ですが、あのような方がこういう経験をしたとなったらね、みんなさんに向かって、私もまたそういう経験をしよう、こういう経験をしようというような、そしてまたそうしなければ清められない。聖霊を受けることができないというふうに偏ってしまう。
バクソンという方は、そういう私たちが陥りやすいかもしれない、そういったことを思って、そして決してご自分の体験的な言葉らは、そこではおっしゃってはいなかった。
しかし、ダファーといってその先生にその清さがないか、そういう経験がないのかと言ったら、そうではない。誰も誰も一人いない。大切なことはですから、私たちにとって本当に清めの恵みというのは体験的なことよりも、これもですね、小島先生からお聞きした一つですけれども、
ある先生が、私たちが、この憎なる私たちが清き神の御様を受けた土地に、そこに何が残るのか、申し上げたようなそういった経験もあるかもわかりませんが、
精霊が私たちのうちに臨んだときに、そこに最もあっきりと表される一つのことは、いいことだが残ると、バクソン先生がおっしゃっていたということを、その先生が言われたんですよと言って、小島先生から、ですから23時の受け流しでありますけれども、しかし私は本当だなと思いますね。
18:14
どんな経験よりも、御言葉がそこに残る。確かに御言葉を読んで、先生を読んでまいりますと、そういうことですよ。体験も素晴らしいです。そういう本当にこんなに変えられたんです、というような、そういうことを聞きますとね、それじゃあって思いますよ。
先ほど非常にデイヘイでは懐かしい歌だなと思って、十字架に架かりたるというね、それを歌いましたけれども、新学生になって、そして1年生、2年生のこの2年間というのは、港側にあります電動館で、そういう奉仕のときがあるわけですね。
そしてそこでは、その新学生がそれぞれ証を壇上に立って、そうしてやるわけですよ、力強くね。そしたらね、1年生に入ってきたその新学生が、皆さん私は3人の母親がおります、とびっくりして、え、なんだって。
いろいろそこには彼の証、イエス様を信じたるまでの、彼にとっては非常に辛いところの、そういうことをそこで話した。ですから、あの道行く人たちもですね、こういう話を聞いたらみんなとどまって、え、どういう話だということで、とどまるわけですよ。
皆さんもそういう経験はありませんか。私が今から3年前にイエス様を信じて救われたんですが、あんまりですね、皆さんは、え、というような関心を持ちませんよ。ですから私はね、あるとき、まあこれも新学生のときだったと思いますけどね、大島先生のところに当時先生がこうしておりました福音という新聞のお手伝いに行きましたときに、
まあその新聞のそれを手伝いながら、先生私はあんまりそういうね、みんな聞かせるような証がないんです。やっぱり一回恐ろしい踏みでも犯して、そしてイエス様を信じて、そしてそれからって、やったらいいでしょうか。まあそんな馬鹿なこと言ったんですよね。
まああの近畿っていうところは遠いところですから、いくらでもちょっと足を伸ばせば、そういう誘惑の考えがそこにあるわけですよね。まあそうしてそこを通るときに、兄ちゃん兄ちゃんと言ってこのおばあちゃんがですね、まあおばあちゃんみたいな人が呼ぶわけ、招くわけですね。
ほんと言ったらば、そういう世界でしょ。だから一回そういう世界に入って、踏みを犯して、そして食い改めて、そして私は救われたんですって言ったら、馬鹿なこと言うなよ。もうそんなことを言われて忘れられない先生との間の会話で一つありますが、幼稚なことを尋ねたんだなと当時思いまして。
21:13
それぐらい、そういう救いの経験の乏しい人間ですからね。なんかそういうことをもっとみんなにはっきりするためには、馬鹿そういうところに行かなきゃいけないんかなと。
で、その時に小島先生がおっしゃったのは、私もハワイのクリエイターになって、そしてハワイに連れ去りで教会に行く。だからそういう経験なかった。
そういったことが災害だったということが証と違うかと言われて、そういう外世人の罪を、過ちをしてからというんじゃなくて、そういう世界を知らないままに、イエス様を信じられたということが恵みだよと言われて、本当だなと。
それっきりそういう思いを持ったことはありませんけれども、私たちはともすると、そういう何か子主の伴うような、あるいは祭典的なこと柄というところに私たちは向かってしまう。しかしイエス様は、そういうことはここではおっしゃっていないんですね。
イエス様がこれをおっしゃっていることは、分かりますか。私を裏切った。もう途方にくれてどこにも行けようがないと言う。彼らはこの状況においてはもう本当に不安と焦りと不応と、こういう言葉がもう全部入るような、そういうどん底のような中でもって、彼らは恋をしていましたんでしょう。息をしていましたんでしょう。
しかしイエス様はそこにおいでになって、そして彼らにおっしゃったことは、このエルサレムにいなさいよと。
あなたにとって一番つらい場所だけどもね。しかしここなんだということを、イエス様はおっしゃるかのように、このエルサレムから離れないで。そしてその約束をまず、聖霊のバフテストにおけなさい。
あなたにとって一番居にくい、降りにくい、失敗の場所、敗北を経験したこの場所こそが、しなる限りあなたに、あるいはあなた方に、改めて聖霊の恵みをお与えくださるところとして、私たちが力強く成長するということのためには、時はしばしにとどまるということも必要なんだなと思うんですね。
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あなたに全身あるのみというのも、それも素晴らしいですけども。しかし聖徒が示すこのとどまるということは、弟子たちにとってもここにとどまることでしたが、かつてはヤコブが父と兄と織田に行って、そして叔父のもとに逃げていく。
自分の国へ帰りたいという思いもありましたけども、しかし自分がとんでもない過ちを犯してしまったという思いがありましたから、もうどうしてもそれの方が先になって、彼はそこにおらざるを得なかった。
ありにおいて彼はヤコブはラバンのもとにとどまるということが必要だったんですね。アリは孟静はミリアンの主でしょ。彼は確かに失敗して、そしてミリアンの者に逃れていったわけです。
しかし神様はその失望し、もや先に行くことができないような中に置かれたこの孟静に対して、あの燃える芝を通して、一方になった。サウルの地震そうでした。サウルの豆元において彼は、当時の教会に対して容赦なく返しました。
そしてザマスコに向かうというそこにもって彼は神様に出会い、そして彼はそこからスタートしていくわけですけれども、しかしそのサウルも豆元になっていくためには彼はザマスコにとどまる。
そして数人の人たちとの出会いを通して彼はやがてこのエルサレムのために戻ってくるわけですけれどもね、時にとどまるということは、たとえそこが同じ場所であれ神様が備えなかった。
そして守られて、そして信仰、クリスチャになって約60年、また前道者になって50数年まで、今日まで守られてきたということの中に、本当に神様がありにもってそして私を守り下さったな、いつもそう思うんですね。
27:04
数年前に千代誠会でも御用された沢城信勝という先生と話をしていたときに、この先生が、「いや、恵みというよりも私はあれみで今があるんだなと思う。」とそうおっしゃったことに非常に同感しました。
本当にそうですよね。恵みは恵みとしてありますけれどもね。しかしそれ以上にあれみだなと。いろんな場面で思い返せば、ああ、神様があれんでくださって、そしてそこにおいて私を取り扱いさせてまた立ち上がることができるようにしてくださったんだなと。
その一つは、私が前の白片希望教会というところで報酬しておりましたときに、当時開拓教会でありましたから、とにかく早くカイゾが欲しいと。カイゾというよりもとにかく広い家を建てて、そこで集会ができたらいいというのが、そういう願いを持っておりまして。
そしてよく不動産屋にもあきげんに行ってましたよ。なかなか寝る間と格好の場所というのがないものですから、引っ越していくうちにあるときに不動産屋に出会って、そしてカイゾが立つ、いろんな言葉があって教えられたわけですよね。そしてそういう中でもってカイゾができたわけです。
その剣道という、今度の日曜日というこの月曜日に、私は自動車で乗って人身事故を起こしちゃったんですね。
1歳10ヶ月の子が、近所の子供たちと遊んでおりましたところに、私が自分の子供、自分の家の子供と、それからその近所さんの子供と病院に送っていくときに、その日は私が当番で、そして子を連れて行く。
そしてスタートしました。ごとんつて呪ったというか、済んだという感じがしたんですね。そしたらそこにおりました何人かの子供たちが、何々ちゃんが叱られたと言って、どうして読むんですか、私は自動車のバックで、あの場面はもう忘れられないんですけどね。男の子がこうなっているんですよね。
とんでもないことをしてしまった。そしてすぐそこに泊めて、そしてその子を抱きかかえて、もうすぐ目の前のその家ですから、お母さんを呼びに行ったわけですよね。そのときにちょっと臭いなという、そんなのありました。その時期はもうお腹から何か出たんじゃないかという、そういう思いの方が強かったですから。
それから警察が来て、現場検証やいろんな検査をしていくときに、これはかなりやっているなというね、そういう報告を送っているんでしょうか、捜査できたよ。
30:06
ときはその間にその子をすぐに近くの病院に連れて行って、そして預けて、そしてこの検査を、調査を受けてきたわけですが、聞いておりました、ランディングシャツというか、何かとにかくね、複雑なことですから、もうちりじれにこうなっていますし、タイヤなどが入っていますしね、いろんな状況はもうとてもじゃないけれども、何とかしていってくれたらいいなという思いでした。
ところが、いろんなそういう検査を終わって、そして病院の方に駆けつけましたら、その医者の方からね、いや、今晩ね、何かあったらすぐに、もう救急車でもいい、何でもいいから病院に連れて来なさい、今はとりあえず落ち着いたから家に帰ったらいい、もう不安な気持ちがいっぱいでした。
それでも、ええという思いでした。帰れるのかなという思いで、確か帰ったと思うんですね。
そして翌日またその家に来まして、どうですかと聞いたら、いや、別に今のところ何も起きないと。そして日に日が経っていくうちに、その両親がね、脳をやっているかもしれないから、そこの病院だったら脳の検査が食わせてやると言って、それで行きましょうと言って、内臓をやっているかもしれない、内臓、そういう関係の病院に行って、
もう言われるたんびにですね、その病院に参りまして、そして見てもらった。ところが最初連れて行ったその病院の院長がですね、まあこの状態だったら、今見る限りにおいてもその外の傷だけだから、まあ一週間か十日ぐらいの傷だね、もう信じられないんですよね。
そして言われるたんびにいろんな病院に行って、そしてそれぞれの検査をすると、別にそれ以上のことは起きていないし、起こりそうもない。本当にこれでいいんだろうか。そういうこの不安の中にも何かほっとするようなこと柄が数日間ありまして。
その他の検査所、検査所に呼び出されて調査を取られたり、その調査を持って今度は検査所に行ったりして、そのことはありましたけどもね。しかし最初の医者に診断した当時のこの一週間がないし、遠くからの数日です。信じられない。現場の先は、警察が取っておりますか、それを見るとありあるいはそこに寝ているわけなんですけども。
しかし私はその時に、まず全員死んでしまって、そしてその子を連れてその家の前に行った時に、急にそこの子を本当に祈りました。そのお母さんが出てくるまでね。そして祈りながら、その後の話を聞くたんびにですね。
33:19
なんか天使がね、私のその車を、私とその男の子二人乗っているわけですけども、もう車だけでもかなりの重量ですよ。ところが、それこそ支えたんじゃないか、支えてくださったんじゃないかと思うほどの軽度で持って終わった。
だから今はもう私はね、あの時は天使が差し込んで手を入れて、そして私の車をその子にこの重量がかからないようにしてくださったんじゃないかなと思うほどですよね。
それもそれかもわかりませんが、しかし私はそれ以上に思ったことは、今度の日曜日は剣道式っていう、もしそこでその子に何か起こったらもう剣道式の騒ぎじゃないんですね。私はやはり交通事故を起こした、そういう人身事故を起こしたっていうことでもって、あるいは大阪の中の堺にあるんですけども、そういう交通刑務所ってのがありますけども、そこへ送らせてきたかもしれない。
ですから私は本当にその時ね、神様の憐れみだな、だから今自分が剣道者として立って折れるのは、あの時あのような事故があったけども、しかし守られて、そして今日あるということは、もう恵みっていう以上に憐れみが何でもないっていう、そんなこの思いがいたしました。
そこに折り続けることができるように、その平方の地において働きができるようにといって、哀れんで、そしてそういう景品を追い込まれたような状況でしたけれども、守られたなっていうことを今、今もそれを思いますね。
今からもう40年近く前の話ですよ。ただその時にね、警察署に出しました、そこに。この子に関して、小学校卒業するまでかな、中学校卒業するまでかな。
この事故によって何か起きた場合の責任は、加賀医さん私が追いますという、そういう時それを書いて、そして検察庁から言われたことですけれどもね、そして送りまして。
そしてそれっきり、あとはもう裁判所のほうから何も連絡がないものですからね。ある時、一人の弁護士さんにその話を聞きましたら、じゃあ一回聞いてあげましょうかというか、いや、寝たく起こるようなことにならなかった。
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距離が下のほうだったから乗り込んだなんて言ってですね、引っ張り出されて、やっぱりあれはしっこを揺らす意味でも、ここだというようなことでもってね、そういうことにならなくて。今でこそこんなんで話しますけれども、とりあえず毎日は沈黙でしたよね、祈りでしたよ。
教会も、県土地のための祈り会が、そこはもう祈り会になって、そして祈られて、そして守られたなという、そんな思いがいたします。ですから神様はね、そういうとんでもない私のようなケースがあるいはもう稀かもしれませんよ、あるいは、ところが本日くらいの交通事故の多い時ですから、
私の家でもそういう本当に油断しようとしとったら、何をしてしまうかわからないような、そういう時代ですから、いつでもとんでもないことに巻き込まれるか、あるいは犯してしまうかわからない。ですから本当に日々が、終日が、もう神様が闇の中で守られていくっていう、それだなということをいつも思いながらおります。
ですから、エルフォームというのは確かに彼らにとってはそういう、戦勝と思えるような大きな失敗をしたところですけれども、しかしそこにとどまらないということはね、そこがあなた方のこれからの私の場となるんだ。
その発説において、なんとおっしゃったかというと、聖霊があなた方の上に臨まれる時、ここにエルサレム、ユダヤとサマリアの前頭を指す、死の果てまで私の承認となる。あなた方がまず立ち直って証を探す場所は、このエルサレムなんだ。
このエルサレムから離れてはならないということを、この時イエス様から彼らがみんな一様に聞いたわけです。本当は一番証のかかない場所ですよ。
お前たちが都合のいい時は、このイエス様、イエス様って言って、そしてこのアリータだろう、そしてイエス様と一番近くにおっただろう。しかしお前たちはそれなのに、見事にあの方を裏切ったなと言ってね、人の声を通して、
アリータ彼らはサタンの声によっても、そういうことを言われて、そして二重三重の圧縮を振っているんでしょうか、出たと思います。ですからこんな場所でね、どなたの博士になるの、と。
私は、今の知らないエコー協会という母協会ですが、新学生の頃に母協会に帰りますよ。そうすると、どうぼう集会に行くわけですね。いろんなところで協会の案内をするわけです。
39:20
それからですね、私がもういつもいたずらして、お叱られて、ちょっと遊び間になっちゃったんですけれども、お児童さんというね、ちょっとした中に入るとスペースがあるんです。そこに入り込んで、そして遊ぶわけです。
そこがそっと程度から引き込んでますから、どうぼう集会に行くのにはちょうどいいんです。前の私の家なんですね、近所の周りはみんなそうなんです。そこでやるんです。えーっととびっくりしてね、ちょっとそこは、いやいや遊ぼう、ちょうどいいから。
さっそくの家の前だし、赤木階があるんです。当時はもうこういう結構なものがありません。あのこういう歌があるんですか、こういう武道士に顔を描いてやってやるんです。で、それをこう持ってこうやるわけですね。その時はこう持ってやったんです。できるだけ顔をこうやって。
もうそんなとこでね、なに伊勢谷渡部がそんなのにキリスト教になった、えーってこうね、みんなにこう言われるんじゃないか、ちゃんとあそこでもっといたずらして悪者してね、なんでそんなのがってこう言われる、そんな思いをこういつもこう思っておりましたから、そんなとこでね、もうちょっとね、クリスチャンとしてこうできてきてね、それでこうやるんじゃないけども、
まだまだ、そんなことばっかりやってきたような人間の、いくらキリスト様を信じて、そして教会に来てるって言ってるって言いながら、なに言ってんの伊勢谷渡部がそんなとこ行ったからって、なにが変わるって。
でもみんな知ってますよ。なにやったって三日坊主って。三日坊主に続けたらよかったんですよ。ほんとに三日坊主って、なにをかんの。私はですからね、教会に行ってるって言うことがお両親にわかってからでも、私は別に何も反対しなかったですね。
あ、そう。きっとそれは何やってもね、後続かないっていう。まあもう何もかも見通してるような、そんな感じだったんでしょうね。ですから私は、ことさが教会に行きますとか、なにか言って、このカナエはずいぶん反対されたそうですけども、私はそういう反対を受けたことがない。
もう少しそれが三日投げじゃない、年一カ月のとき、少し一年続きってやってるうちに宣伝も受けた。え、なんだ宣伝は。そんなことをですね、後からこの親に話したことがありました。
反対されたのは、その学校に行くってことを言い出したものですからね。そしたら私の一番上の兄は、「渡るお前な、牧師になるってことはな、小敷になるってことだぞ。みんなに物もらいに行って、そしてそこで持って戻ってもらって、それで何なことができるのか?」
42:21
証ができておりませんからね、返す言葉がないわけですから。しかしね、神様は、そんなところを通りながらでもね、今の白海湖教会の一番最初の場所としてね、ちょうど私の家の2階が空いとったんですからね。
宣教師のその教会から離れて、そして独立した教会を持つっていうのが、そういう願いでしたから、その2階で持ってスタートしたっていう、そういうことがありましてね。
ですから私は両親の前に来てね、本当にこのお話もしたことがあるんですよ。母親なんかは、「渡るお前な、そんなところで話ができるような人間じゃないんだから、ちゃんと信用金庫に就職されて住めたから、そこは痛い!」って。
もう進学を卒業して帰ったときにも言われましてね、いいよって。とにかくこう言いましたけどね、その程度の反対はありましたけども、あとは続かない。
ですから私にとってはですね、本当にその教理伝道なんてことは、もう根っから考えたことがない。早くそこから出たほうがいいっていう、そういう思いを持っておりましたけども。
しかし神様は、不思議なようにしてね、その2階が空いとったっていう、そこで持って集会をする。そして帰ったときには近所のこのようなものをやってきて、そして、「じゃあ一緒に話しつくんで!」なんて言ってね、部屋立ち半分に来て、それで座を埋めてくれたこともありましたけどもね。
やっぱり明かしの深い場所が、神様が一番明かしのすべき場所として置いてくださったんかなと、後々においてこう思いましたけども。なぜならば、そこが私にとって、また当時のこのクリスタルたちにとってね、神様の聖なる約束がそこで持って、
話される場所でしょ。四年兼ねてから約束してた通り、あなた方はこのエルサレムにおいて聖霊を受ける。やはりあなた方はこのエルサレムから始まって、ユダヤ、サマジアの前頭、そしてその果てまで、この赤い人としてあなた方は立っていくんだ、っていう。
その約束が、まさにここが起こったわけですよ。ここからスタートして、やがて教会が生まれていくわけですね。この後はそのことに触れていくんですけども。
45:04
ですから、神様はね、私たちに、私たちそれぞれにとっておきの場所を備えとってくださってる。いい場所であったりもするでしょうしね。あれは本当につらい。そういう人間関係においてとか、いろんな点においてね、私はもうここに降りにくいっていうような、そういうことも、この皆さん方も経験されているかもわかりませんけどもね。
でも神様は時にそういう場所こそがね、神様のお取り屋敷にある聖なる場所、あなたの聖霊を受け入れる、もうとっておきの場所として、そこにおいてくださってる。
ですから、こうしたとこを読んでまいりますとね、本当に私たちは悲観することは何もないんだなあって。しかも、こういう経験をしていったこのパウロが、あのお坊さんの教会に書き送った一文の中に、神は神はいつもために手紙に与えて万寿生きとしてくださるっていうね、そういうことまでそこに書いています。
パウロも、ですから、削害っていうとんでもないことを彼は大きな過ちを、このお方として、ダマスコに向かう、そこでもって彼は取り扱いを受けて、そしてそこからサウルは後にパウロとなって、そして今日私たちが彼の所感を通してですね、
どれだけ優れたこの素晴らしい神様の約束の言葉が一気に、また私たちは信仰をやり直していることか。
神様は、私たちの最も大切な場所として、エルサン、それぞれの響きがあろうかと、あるいは意味があろうかと思いますけれども、それぞれにエルサンになります。
失敗であったりします。しかし、証すべき場所です。同時に、そこが神様の約束の果たされる場所です。
私は、この8節までのを読んで参りますと、そのことをね、本当に恋して申し上げられます。お祈りいたしましょう。
恵み最終よ。あなたは私たちに、同じように、これらのことを思って望んでくださっていることを感謝します。
人にも言い渡せないような、そういう大きな失敗の中においても、あなたはそこを、あなたの恵みを誘いでくださる、精霊を誘いでくださる、それらの場所として、
お渡しくださっていることを覚えて、あなたの皆を憐れます。願うことは、どうぞ私たちも一人ひとりが、さらに大きく力強く成長していくために、
48:07
どうぞ私たちが平らでこのエルサレムを持って、あなたに前に恵みを整えてまいりますように。この成果にも望んでください。
白杉さんによってお祈りをいたします。では、ご一緒にお祈りいたします。
48:22

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