1. 名谷教会 podcast
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2023-12-31 21:40

2023/12/31:居るべきところ


2023/12/31:歳末感謝礼拝

加藤満牧師

ルカの福音書 -51


サマリー

両親と12歳のイエス様はエルサレムへ巡礼に行っています。イエス様は神殿で立法の教師たちと語り合っています。その間、両親はイエス様を見失ってしまい、3日後にイエス様を見つけました。イエス様は神殿で語り合っていたことから、神との関係を重視する姿勢が見受けられます。今朝の説教では、イエス様の父なる神様との交流についての洞察が得られます。イエス様は自分の父の家にいることを知らなかったのでしょうか。それを問いかけながら、私たちも自分がいるべき場所にいたのか反省します。

エルサレムへの巡礼
では、短くお祈りをさせていただきます。お祈りをいたします。
愛する天の父なる神様、2023年のこの最後の日に、礼拝の時を与えてくださって感謝をいたします。
改めてこの一年間、あなたがどのように私たちに関わり、導きを与えてきてくださったかを、振り返るひとときとなります。
主がどうか、御言葉を通し、私たちにいろいろなことを悟らせてくださり、また、ご自身の一年の歩みも振り返る機会を通し、主がどれほど恵み深く私たちに関わってくださったのか、そのことを深く覚えることができますように、このひとときを導いてください。
神様、あなたは私たちのために、御子をこの地上へと遣わしてくださり、御子イエス様はあの十字架へと進んでください。
神様、あなたは私たちのために、御子をこの地上へと遣わしてくださり、御子イエス様はあの十字架へと進んでください。
神様、あなたは私たちのために、御子イエス様はあの十字架へと進んでください。
神様、あなたは私たちのために、御子イエス様はあの十字架へと進んでください。
どうか、そしてまた施設におられる方もいらっしゃいますが、どうかお一人一人の上にあなたが届いてくださり、あなたの御恵みをあらわしてください。
お願いいたします。これからの時を御手に委ねます。御言葉を開いてください。イエスキリストの皆によってお祈りをいたします。アーメン。
2023年の最後の礼拝が今朝となります。
2023年の最後の礼拝が今朝となります。
とは言いつつも、実は今日が31日で、明日が1日ですから、何か区切りとしてはっきりつけられるかなという気持ちもあるかもしれません。
けれども、やはり一つの区切りでしょう。今晩までが2023年で、明日からは新しい年になります。
皆さんにとって2023年はどのような年だったでしょうか。
昨年の年末を思い返してみて、
今年は願ったような1年だったでしょうか。
もしくは思いもよらなかった1年だったでしょうか。
私にとっては実は年明けに少し親しい方々を2人続けざまになくしたという年の始めだったので、
改めてこの年末を思うときに、
ああ、1年を過ごせるということは決して当たり前のことではないなということを深くかみしめています。
1年を経て、今、もしも去年見た方々とまた一緒にここで礼拝を守れているのであれば、
それは本当に幸いなことですし、神様の恵みだと思っています。
私たちそれぞれが主に感謝すべきことがあるのだと思います。
さて、そのような中で、今朝皆さんと一緒に開いたのは、この2章の41節から51節です。
イエス様の幼少期の話。
イエス様の幼少期の話になります。
実は聖書の中には、少年イエス様の出来事というのはここにしか書いていません。
それだけちょっと特別な箇所ですけれども、
ここから改めて、良い1年とは何なのか、
一つの視点をいただいて、今年の礼拝を閉じたいと願っております。
さて、今朝の箇所は、イエス様の少年時代が書かれている箇所なんですけれども、
41節から今日読んでいただきましたが、読んでいただいたら分かる通り、
この場面というのは、イエス様のご一家が、イエス様が12歳になられたときに、
イエス様のご一家が、この田舎のナザレというところから旅をしてですね、
南下していって、エルサレムという都に行く、そしてエルサレムという都で杉越の祭りをお祝いするという、そういう場面です。
ユダヤ人は年に3回、エルサレムへの巡礼を行いました。
当時ですけれども。
杉越の祭り、古巡節の祭り、カリオの祭りですね。
イエス様が住んでおられたナザレという地域は、ガリダヤ地方という、
エルサレムよりもだいぶ北の方にある地域ですから、おそらく長旅だったんです。
きっと村でキャラバン隊か何かを組んで、一緒に旅をしながら、
この巡礼の旅を過ごして、
この巡礼をするという光景だったと思います。
そのように、祭りを守る忠実な一家でした。
イエス様は12歳、当時、今の小学6年生ですね。
当時では、ユダヤ人にとっては、12歳、ないし13歳からが、
元服と言いましょうかね、大人になる、一つの責任を負って生きるという年齢の区切りでした。
13歳、12歳になった時には、
立法の責任が伴いますし、何よりも神様の前に、一人の人間として主体的に応えて生きていく、
そういう責任が発生する年齢が12歳、13歳です。
ただですね、この巡礼の記録、1日経った後とありますけれども、
巡礼から帰っていくその旅の中で、ヨセフとマリアは、この少年イエス様がいないことに気がつきます。
イエス様の神との関わり
きっとキャラバン隊で中断で動いていたので、隊列を組んでいる中で、
どこかにいるんだろうと思いながら旅をされていたんでしょうけれども、
1日経って気づいた。顔面蒼白ですよね。
彼らはすぐにエルサレムへと戻っていきました。
イエス様を見失ってから3日後と書かれています。
子供が3日間行方不明だった。非常に焦ったでしょう。
ただ、イエス様はどこにいたかというと、
エルサレムに帰ると、なんとそのエルサレムの中心ですね。
エルサレム神殿と呼ばれる場所で、
なんと神殿にいる立法の教師たちと語らい合って質問を熱心にしていたとあるわけです。
その受け答えが実に知恵に満ちていたことに周囲に驚かれているわけですね。
両親はこのイエス様を見ながら驚きながらも、
いさめました。48節、49節にありますが、
両親は彼を見て驚き、母は言った。
どうしてこんなことをしたのですか。
みなさい、お父さんも私も心配してあなたを探していたのです。
するとイエスは両親に言われた。
どうして私を探されたのですか。
私が自分の父の家にいるのは当然であることを、
ご存知なかった。
ご存知なかったのですかとイエス様はお答えになられる。
両親は当然怒りますわね、怒る。
ただイエス様の返答はとても不思議だった。
私が自分の父の家にいるのは当然であることを、
ご存知なかったのですか。
両親にはこの言葉が理解ができなかったと書いてあります。
ただどうでしょうか。
私たちもこの流れを読みながら、
このイエス様が言っている意味がわかるでしょうか。
実にわかりづらいことですよね。
私が自分の父の家にいるのは当然であることを、
ご存知なかったのですか。
イエス様のお父さんってヨセフだったんじゃないですかと、
私たちは思いますけれども、
確かにそうなんです。
地上の家族としての父親はヨセフです。
でもここでヨセフのことを言っていないのは明確でしょう。
イエス様がここで、
私の父と言われたのは、
当時エルサレム神殿に座していると考えられていた、
父なる神様、神様のことですね。
そしてその神がここに座してここにおられるという、
この場所こそが、
当然私のいるべき場所である、
そうご自覚なさっていたということが、
ここで言われるわけです。
当然私がいるべき場所である、
当然私がいるべき場所である、
この場所は父なる神の身元なのだと言われたわけです。
これは少年時代のイエス様のだけのことなのかといったら、
実はそうではないのです。
イエス様というお方は、
この後のルカの福音書をバーッと見ていってもそうですし、
他の福音書でもそうですけれども、
父なる神様と共にいるということを、
とても大事になさるお方でした。
ちょっと福音書が変わりますが、
ヨハネの福音書で、
例えばヨハネはこういうイエス様の言葉を書いています。
まことにまことにあなた方に言います。
子は父がしておられることを見て行う以外には、
自分から何も行うことはできませんとイエス様は言われた。
父なる神様の身元から離れては私は何もできないということを
イエス様が言われていると書いている。
あのブドウの木、
主はブドウの木、
私たちはその枝だと私たちは歌いますが、
あの言葉もヨハネですね。
ブドウの木から、
ブドウの木から離れた枝は身を結べないのと同様に、
私たちも神から離れては身を結ぶことができない。
そう書いたのもヨハネでした。
ヨハネは父なる神様と私たち、
イエス様が一つなんだ、
結びついているんだということを意識するわけですけれども、
ルカもそうですね。
ルカもイエス様を父なる神様と共にいることを望まれた、
その姿を書いています。
イエス様の父なる神への帰属
イエス様は朝早く一人で寂しいところに行かれた。
ルカの言葉ですね。
一人で寂しいところに行って、
未知知との交わりを日々持っていた。
イエス様の願いは、
父なる神様に似ることだということが、
例えばルカの六章に書いてあったり、
イエス様は精霊に満たされて、
未知知へと祈ったということが書いてあったり、
祈りの代表である、
先ほど私たちも祈りましたが、
主の祈りというのは、
天の父への呼びかけですよね。
父なる神様への祈りでした。
未知知は蛇ではなくて、
父なる神はあなた方に良いものを与えたい父であるということも、
イエス様は言われましたし、
それぞれの必要を知り、
あの鳥や草花を日々養われるように、
父なる神はあなた方のことを養ってくださる、
そのような恵み深い父であるということも語りました。
そして、好き放題やって出て行った弟息子を、
走って抱きしめに行く父親の姿を、
イエス様は、
例え話で話されました。
放蕩息子の話ですね。
そして、イエス様は、
十字架の前、
月瀬真似のそのでも、
父へと祈りました。
父よ、御心なら、
この杯を私から取り去ってください。
しかし、私の願いではなく、
御心がなりますようにと、
祈りました。
十字架の上でも、
父へとイエス様は祈りました。
父よ、
彼らをお許し下さい。
彼らは自分が何をしているのかが、
分かっていないのです。
この地上の歩みの最後の叫びも、
父への祈りでした。
父よ、私の霊をあなたの御手にゆだねます。
繰り返される言葉は、
父よ、
父よ、
父よ、
です。
イエス様は、もしかしたら断るごとに、
日々の中でパッと、
ああ、お父様、父よって祈る、
お方だったのではないかな、と思う。
心は天に開かれ、
イエス様の父なる神様との深い交わり
口を開けば父と呼ぶ。
あらためて福音書を通してみても、
私たちはここにイエス様が父なる神様との
深い交わりに生きていたことに気づかされます。
けれども、この姿勢というのは、
何か特別にどこかで気づかれたものではない。
少年時代から変わらなかった。
私が自分の父の家にいるのは当然であることをご存じながら、
知らなかったのですか、とイエス様はそう言われた。
この自分の父の家にいるということを知らなかったのですか、
と書いてますけれども、
これは原文では、家という言葉がないんです。
元の言葉は、
私が私の父にいるのは当然でしょう、という言葉です。
私が私の父にいるのは当然でしょう、と。
場所が問題ではないのです。
まあ、父の家という言葉が補足されたのは、
きっとエルサレム神殿という
場所を意識して、後の時代の人が書き加えたんだと思います。
場所が問題ではないのです。
この後、イエス様はエルサレム神殿を離れて、
ガリラ屋に帰られました。
けれども、ガリラ屋においても、
きっと父よ、父よ、父よ、と祈っていたんです。
心はいつも未知との交わりが中心にあった。
そこにこそ、私のいるべき場所があると知っていた。
それがおそらく、神の子イエス様の生き様、生き方であり、
私たちがいるべき場所
そしてそれは、今、神の子とされている私たちとその生き様が重なるわけです。
で、今朝の御言葉にある種照らされながら、
私が願うことは、ちょっと一念を振り返ってみたいと思うのです。
私たちはどれほど、この年、私のいるべき場所にいたでしょうか、ということです。
イエス様が、最も父よ、父よ、と呼びかけたのは、
十字架の死に近づくにつれてでした。
弟子たちも、裏切って離れていきました。
孤独の中で、一人でこの十字架の死に向き合わなければならない、
という出来事がありました。
しかし、最後までイエス様が呼びかけ続けたお方、
いや、あの人、この人が離れていって、
一人で死に向き合わなければならない、
慰めの言葉って大事なんですが、
しかし、
イエスというものに向き合う時には、
本当に慰めうる言葉って、なかなかないような気がします。
そのような時に、最後まで呼びかけることのできたお方、
呼びかけうることのできたお方、
それは、父、父、父よ、父よです。
父なる神様でした。
最後まで変わらない救いの岩、
最後までそこにあり続ける、私たちの居場所が、
父なる神というお方でした。
私たちは、そこにいたでしょうか、ということです。
別にこれは、責めるための言葉ではありません。
ただ、私たちがやはり知らなければならないのは、
イエス様が、当然ここが私の居場所であると、
ご存知なかったのですか、と呼びかけた言葉は、
それは私たちの言葉でもあるということです。
当然、私は父のもとに居るべき場所であったのに、
私はそこにいただろうかと、
これは私自身も自戒を込めてですけれども、問われる気がいたします。
少年イエス様がいなくなって、
3日目に親が探しに出てきたということが書いてあって、
ある仲介者がこう言いました。
エルサレムという都は、実はそんなに広くはない。
広い場所で一生懸命探したら、3日もかかるわけがない。
でも、なぜ3日もかかったかというと、
それは、この両親にとっては、
最もこの神殿の中というのが、イエス様がいそうにない場所だったからだと。
まさかと思う場所だったから。
だから3日間も見つけられなかったんだということを説明した先生がいました。
なるほどなと思います。
でも、その説明はすごく胸を刺されました。
最もまさかと思う場所にイエス様がいた。
でも、私はその説明を読みながら、
ともすれば、私自身にとって忙しいとき、苦難に迫られるとき、
未知のもとに行くというのは、もしかしたら私にとっては、
一番まさかと思う場所になっているのかもしれないなと思わされたんです。
いろいろなことを対応しなければならない。
忙しいならば休めばいいし、何か苦難があるんだったら、
いろんな対応を考えたらいい。
いいのだけれども、父のもとに静まる。
まさか、まさか、そういう場所に私はしてしまっていないだろうかということを、
ふと思わされて、反省をさせられた思いでした。
どうでしょうかね。人によっては、まさかという場所なのかもしれません。
しかし、そこにイエス様はいました。当然のごとくいました。
そこで、みちちを仰いでいました。
そこに最後までの、この地上の生涯の最後までの、
生涯をイエス様は見出されました。
ある先生が教えてくださった言葉に、
あなたの家に祭壇を築きなさいという言葉を教えられたことがあります。
別にそれは木の祭壇を築けということではなくて、
主を仰ぎ、主のもとに跪く。それは教会だけのことではない。
自分の場所で祈りの祭壇を築きなさいという勧めでしょう。
教会から私たちが帰る家、私の仕事場のデスク、別に大行なことなどしなくてよいのです。
ただ、その場所で、目には見えずとも祈りの祭壇を築く。
私はこのところにおいても、みちちの場所にいるのだということを、そのことを覚えるために。
2023年はどういう年だったでしょうか。
願った通り、または願った通りではない一年だったでしょうか。
ただ、私は一年終わるときに、こう言えたらいいなと思うんです。
だいたい一年先のことはわからないですし、願った通りということがあまり人生上ないような気がします。
ただ、今年は願った通りではなかったけれども、でも父なる神様のもとにいて、どうにか導かれたから感謝だなと言える一年で終われたらいいんじゃないかなと個人的には思うのです。
いるべき場所に居続け、幸いだなと思える。
父なる神と共に歩んだ、本当にその中でみちちを知った一年だった。
そういうことができたら、とても幸いではないかなと思うのです。
私が自分の父の家にいるのは当然であることをご存じなかったのですか。
今日この言葉を受け止めたいと思う。
皆様とこの一年間、神様は共に歩んでくださいました。
神様は救いの岩、決して変わらない、最後まで変わらない私たちの岩です。
そのお方につながり、神様はあなたが今年も来年も心をご自身に開いて、私のもとにいてほしいと招かれるお方であることを思います。
ご一緒に、当然いるべき場所に居させていただく一年を及べたら幸いだなと思います。
一言お祈りをして、説教を終わります。
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