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2019-01-01 30:15

2019/01/01:主と共に歩む幸いな人生

 2019/01/01 元旦礼拝

尹善鎬牧師

詩篇 37:3-6

00:01
改めて、明けましておめでとうございます。
いろいろお忙しいでしょうけれども、 また多くの方々がお集まりくださって、
一緒に出会いできますことを、 ここから感謝いたします。
それでは、メッセージの前に周りの方と、 明けましておめでとうことね、挨拶をされてみましょうか。
はい、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
感謝です。一言お祈りいたします。
あなたの道を主に委ねよ、主に信頼せよ、 主が成し遂げてくださる。
主を心から信じます。
この新しい一面を、全てを、主にお委ねいたします。
主に信頼します。
主が成し遂げてくださることを、 刻々に禁じ、この朝、
この元旦永安に集まっているこの群れに、 主の教会に、神のお言葉を聞かせて下さい。
その御言葉が私たちの内側に、 命と光と、また救いになりますように、
希望になりますように、 主を祝福して下さい。
お願いいたします。
神様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
感謝します。
この2019年、新しい年が明けました。
一日一日が早いような気がしますけれども、
でも、また変わることなく、
この元日の朝、集まってですね、 一緒に礼拝できることは本当に感謝のことであります。
今年も、天の賜る神様が、 その素晴らしい福福をもって、また恵みをもって、
皆さんのお祈り、お祈りのために、 家庭のために、また主の教会のために、
主が見させて、見させて、 煽りさせて下さることを、心からお祈り申し上げます。
何よりですね、年の初めの日に、 こうして他のところではなく、
03:02
もちろんね、行きたくても行けない、 来れない方々もおられるかなと思いますけれども、
すべてが守られて許されて、
この元日の朝、主の教会に、 この礼拝の場に、ここにいることは、
これはなんと大きな恵みで、 特権なのではないでしょうか。
皆さん、そう思いますか、皆さん。
皆さん、本当にそうなんですよ。 特権なんです。恵みなんです。
今日来れなかった方々の分まで、 2倍3倍、皆さん、恵みをお受けいたします。
私たちが信じる神様は生きておられます。 そしてその方は、私たちを祝福して下さるお方です。
そしてその方は、どんな時にも、 私たちといつも一緒にいて下さるお方です。
神の福音書を見ますと、 イエス様のもう一つのお名前が出てくるんですね。
それは、なんでしょう。
インマヌエルですね。インマヌエル。 インマヌエル。フェブライ語ですけれども、ちょっと勉強しましょう。
インマヌエルはインマとインマヌまで、 そしてエル。
そういう風に分けることができるんですけれども、 最初のインマヌまでは、私たちと共にという意味なんですよね。
そしてエルは神様の名前なんです。
ですから、神様が私たちと共にいます、 という意味がインマヌエルなんです。
ところで皆さん、私もそういう祈る時がありますけれども、 私たちが祈る時にですね、時々ですね、
神様あるいはイエス様一緒にいて下さいとかですね、 あるいは神様がいつも一緒にいて下さいますようにと祈ったりしますよね、皆さん。
もちろんその祈りに問題があるわけではありませんけれども、 インマヌエルと約束してって言った方ですね。
私はあなたと共にいるとね、約束して下さった。 そして実際にいつも一緒にいて下さるんですよ。
去年も、この2019年もね、いつも一緒にいて下さるんですね。
ところが、私たちが例えばですね、毎回毎回祈る時に、 祈る度にですね、神様いつも一緒にいて下さい、いつも一緒にいて下さい、
いつも一緒にいて下さいと祈ったならば、 もしですね、私たちが自分がインマヌエルの神様と思ったら、
いつも一緒にそばにいるのに、一緒にいて下さいと、 一緒にいて下さいとと祈られたら、神様がちょっと寂しい気持ちになるかもしれません。
06:05
例えば、おい、私はいつも君のそばにいるんじゃないか。
私はいつも君のそばにいて、いつも君のために、 一生懸命に働いているんだよ、と言われるかもしれません。
インマヌエルの神様を信じましょう。
目には見えませんが、全能の神様が、お言葉をもってこの天地、 宇宙万物をお作りになった神様が、
今もなお全てを全て収めておられるが、 私たちの主であり、お父さんであり、よき友であり、
いつも一緒にいて下さることを信じましょう。
世の中は、特に日本、他の国もそうでしょうけれども、 西洋より、特にこのアジア系、日本もですね、
新年になると世の人々は、何か海運スポットに行ってみたり、 滝とかどこかね、山とかね、行ってみたり、
あるいは幸運をもたらしてくれるみたいな、 そのコマーシャルに騙されるですね、
何か、何を買うんですかね、いろいろ買ったりするんですよね。
手首につけるやつとか、ネクレスとか、何かを買ったりする。
宝石を買ったりする。そしてよく見えるところに置く。
あるいは、さからこしを買ったり、神社に行っておみくじを買ったり、
500円で絵馬を買って、合格できますようにね、取り掛けたりする。
本当に虚しい行いにすぎません。いや、愚かな行いにすぎません。
私たちクリスチャンは、全能なる神様を信じるから、 こんなことはしませんよね、皆さん。
詩編のところを開けたいと思います。詩編の121編。
詩編121編、1節と2節を一緒に読みたいと思います。
私の聖書では、1036ページです。
詩編の121編の1節と2節を読みたいと思います。
よろしいでしょうか。1節と2節をご一緒に。
私の山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を作られた主から来る。アメン。アメン、皆さん。アメンしましょう。
09:02
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、皆さん、私たちの助け、祝福は、どこから来るんでしょうか。
天地を作られた主から来るんです。
その方は、まどろむこともないんです。
うっかりして忘れることもありません。
手が短くなって衰えて助けることができなくなっている方でもありません。
永遠から永遠まで変わることない、全能全知の神様なんです。
祝福は、天地を作られた神様から来ると信じるから、私たちは神に従っていくんですよね、皆さん。
ところで、今日の自演は、ダビデが作ったものですけれども、ここには、私たちに向かう神様の御心が現れています。
そしてこれは、私たちが主と共に歩む幸いな人生になる、そのチケスと言いましょうか、主のお言葉なんです。
大きく3つ話していきたいと思います。
4編の37編の3つからご覧くださって、まず第一は、主に信頼せよ、ということです。
主に信頼せよ。
3節、今日の4編の37編の3節を一緒に読みますね。
主に信頼して善を行え、地に住み、誠実を養え、アーメン。
5節の2行目にも、主に信頼せよ、とあります。
皆さん、信仰とは何でしょうか。
それは、主に信頼することなんです。他はありません。
これはですね、主にも信頼して、ちょっと不安だから他にも信頼するね。
そういった、何と言いますかね、人種保険みたいな、蓋またかけるみたいな、そんなことはないんですよね。
ただ、主だけ信頼することだね。これが信仰なんです。
神様に対する私たちの信頼には不純物がもう積まれていないんです。
ただ、主だけ信頼することであります。
私の人生より皆さんの人生がもうだいたい長い、すいません。
大体長い方が多いですけれども、いろいろ波乱万丈な、いろんなことが終わりかなと思いますけれども、
小林もね、日本に来まして、ちょっとお話ししましたけれども、10年が経ってね、11年目に入ります。
12:04
それで来年は、今年はですね、その宗教ビザも公示しなきゃならないんですし、
この際にもう日本に骨を埋め覚悟できましたから、永住権を取れたらそれもしようかなと、祈っておりますけれども、
選挙時はビザが出なかったら帰らなくてはならないんですよね。
そこからこの10年、振り返ってみますと、福岡で4年、神戸で6年、過ごさせていただいて、いろんなことがありましたね、本当に。
何度もお話ししましたけれども、私除いて、非常に私除いて、家族3人はいろんな病気みたいなですね、患いました。
ここにいますけれどもね、今金髪の娘になってますけれども、福岡に来るときには5年生のね、本当に子供だったんですね、本当に。
お姉ちゃんぐらい、ちょっと上ぐらいね、1歳上ですから、ほぼ一緒だったと思うんですよ。
頑張って学校に行っててですね、もうちょっと神経前というね、過往の病気もあずらったり、子孫は不安症みたいなこともあったり、
そのうちにハンナはまた胃がんもあったりですね、ずつもあったり、そのうちに私はいろいろ遊びに来ているわけじゃないですからね、
もう一生懸命に自分なりに、教会の報酬を発揮しながらですね、ここまで来ました。
そのうちに2年目に、日本に来た2年目に父親は亡くなって、もう夏で飛行機も船もなかなかなかったので、亡くなるときにそばにもついていられなかったんですね。
後から後から駆けつけていきましたけれども、ということもありましたし、多くの教会がサポートしていただいておりましたけれども、切れたり切れたりするところもありましたけれども、
でもうちにまた神様が昔の神学館の同期生を会わせてくださったり、連絡がなかった方から、ある教会から連絡が来たり、
昔私の母教会で、私が伝道士のときに牧師センスだった方がアメリカのシアトルで国会をしておられまして、本当にもう十何年ぶりに連絡がつながって、少しでも年に何回サポートさせてもらいましたねと、
そういうふうに連絡が来たりですね、不思議な神様の恵みと、また癒やしと、また祝福がですね、与えられて、
今は皆さんに本当に支えていただいて、家族みんな元気に過ごしております。
祖父の夫人も今年4年生になりますね。不思議だったねと思うんですよ。もう4年生になって、これから次のステップのためにですね、祈っておりますし、
15:13
子孫も9月になりますし、子供も高2、高3、また大学のことも将来のことも考えなくならないんですけれども、そこでいつも教えられたことは、そのキーワードは、ただ宗だけ信頼すること。
皆さん、私たちは一本先のことも知らないんですね。いくら完璧に手とにびっしり計画を、プランを立てておいても、1行先、5行先のことも私たちは、
とするならば、すべてをすべえ収めておられる神様に信頼することが主へではないでしょう。では、私たちはどのようにして主に信頼することができるでしょうか。
実際にどのように生きていくことが、主に信頼する信仰なのでしょうか。3つ。いつも喜んでいてください。2つ目。絶えず祈ってください。3つ目。すべてのことについて感謝してください。
この3つは信仰の基本の基本なんですよね。でも信仰の土台がしっかりしていれば、大丈夫なんです。皆さん、どんなときでもお祈りください。忙しくてもお祈りください。
辛くてもお祈りください。弱くてもお祈りください。祈れないほどつらくても、だからこそお祈りください。
祈りはですね、ここにお母さんの方々もおられますけれども、体内の赤ちゃんと母親をつないでくれる、まるでへその尾のようなものだと思うんですね。切れてはいけないことなんです。
必ず丈夫につながっていなければならないものがへその尾なんですよね。
とあるように、祈りは神様と私たち自分をつなぐ命綱なんですよ。今年こそ、どんなときも絶えず祈っていきましょう。
いつも喜んでいてください。すべてのことについて感謝してくださいとね、御言葉にあります。
喜びや感謝こそ、神様に信頼していながら生きている人のお証だと思うんですね。
18:03
喜べないときに喜べる力。すべてのことについて感謝できる力は、全能なる神様に信頼しているからこそ起こるものなんです。
皆さん、すべてのことなんです。すべてのことについて感謝しなさいと御言葉ですね。
だからよくよく考えると、すべてのことの中には、自分の良いことだけではなく、良くないことも実は含まれているんです。
例えば、自分の病気についても感謝することなんです。自分の弱さについても感謝すること。
あるいは、自分にはできないこと、自分のできない事柄についても感謝すること。
あるいは、お金がなくて貧しければ、その貧しさについて感謝することなんです。すべてのことなんですから。
いかがでしょうか。去年は皆さん、すべてのことについて感謝できたんでしょうか。
この2019年、いつも喜んでいて、いつもすべてのことについて感謝する人でありたいんですよ。
だから今年は神様に対しても、家族に対しても、教会の兄弟姉妹に対しても、感謝することがたくさん起こる一年でありますよ。
そしてその証がたくさんありますように、心からお祈り申し上げます。
大きく2冊目、今日の37編の4節一緒に読みたいと思います。
主を己の喜びとせよ。主はあなたの心の願いを叶えてくださる。アーメン。
皆さんお聞きしましょう。何を喜びとするんですか。何を喜びとするんですか。
主を自分の己の喜びとすることが、主と共に歩む幸いな人生の知恵なんですよ。
秘訣なんです。恵みなんです。主だけ自分の喜びとするという意味なんです。
さあお聞きしましょう。皆さん、去年の2018年は、皆さんは何をご自分の喜びとして取られたんでしょうか。
21:01
いやあ、昨年はあれが一番最高の喜びだったなと。ありましたか皆さん。
それは一体どんなものだったんでしょうか。どこか素敵なところに旅行に行かれたんでしょうか。
超うまい、超激レアのおいしいものを食べられたんでしょうか。
いろいろあげられたかもしれませんけれども、神を信じる私たちは、主のみ、主だけ自分の喜びとするものでありたい。
例えば、そこにですね、私は本当に祈ることが嬉しくなりましたとか、私は毎日聖書を開いて読むことが一日の最高の喜びですよとか、
私は毎週の礼拝が人生最高の喜びですよ、他ありませんよと言える。そういうふうにお分かりできる私たちでありたい。
他のところにいるときより、礼拝にいるとき、祈るとき、聖書を読むとき、あるいは信仰の交わりをするときに、もうキラキラして生き生きするものでありたい。
逆だったら神様は悲しいんじゃないでしょうか皆さん。教会に来ては、すみませんね、もう枯れた白菜みたいにですね、ひょんぼり来ていて、
しかし温泉に行ったり、デパートに行ったり、遊びのところに行ったら、もうキラキラして喜んで幸運しているのであったら、神様はもうとても寂しいんです。そう思いませんか皆さん。
だから、私たちが集まって祈ることが最高の喜びであり、集まって礼拝することが最高の喜びであり、集まって聖書を学び、そこから恵まれることが最高の喜びであってほしい。
それですね、皆さんの中でですね、どなたかが、他の兄弟姉妹たちを自分のお家に招いて、そこでお祈りをしたり、賛美を歌ったり、あるいは御神社を招いて、お茶でもしながら、おまじわりを持ったりする、そういうムーブメントが起きてほしいんですね。
お願いいたします。今年こそ、主を己の喜びとしていこうではないでしょうか。
大きく三つ目、五節と四節一緒に読みたいと思います。
五節と六節を一緒に。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる。
24:02
主はあなたの義を光のように、あなたの裁きを真昼のように輝かされる。アーメン。
今年の一年がこのように、この通りの歩みでありたいんですね。
大きく三つ目は、あなたの道を主にゆだねよ、です。あなたの道を主にゆだねよ。
信仰は信頼であり、その次のステップは、ゆだねることです。ゆだねる。
だからこうなんですよね。信じるから、信頼しているから、ゆだねることができるんじゃないでしょうか。
信頼していないなら、ゆだねられないんですよ。あるいは、ゆだねられていても不安なんです。
今のに覚えておくことがありますけれども、人生で初めて刃のスケーリングをしたことが、20代でしたけれども、
初めていってスケーリングをしたときに、回るやつ、逃げるやつが回るんですね。
それで不安なんですよ。こうして刃が全部削られたらどうしよう。
あんな激しいことでやるな、どうしようって不安になったんです。
ところが終わって下でこう見ても、全然削られていない。
そこから2回目3回言っても、不安しないんですよ。
もう全然刃が丈夫に残っていることを、もう分かるから、信頼しているから、ゆだねて口開けていられるんです。
神様に信頼する人は、信頼するからすべてをゆだねることができるんです。
お母さんを信頼するから、お母さんが朝ごはんを作っているのでしょうか。
奥さんが朝ごはんを作っているとしたら、この卵には毒が入っていないんだろうかね。
この味噌汁はおかしいんじゃないかね、と疑われる人は子供はいないでしょう。
ありがとういただきますね、食べるんじゃないでしょう。
信頼するからです。この1年、これから何が起こるか私たちには分かりません。
だからこそ、主に信頼すること、主にゆだねることこそ、
この未知の1年を都合相当している私たちに最も必要な信仰の姿勢なのではないでしょうか。
今年1年は皆さん、神様にすべてをゆだねる信仰の訓練の1年としていこうではないでしょう。
もう何でもゆだねる訓練をしようではないでしょう。
27:01
健康も、子供も、将来も、病気も、職場も、強さも弱さも、
すべてを神様にゆだねる訓練を、トレーニングを一緒にしてまいりましょう。
自分が叫ばれるのではない。神様が先頭に立って、右に行こう。はい、かしこまりました。
直進だよ。はい、かしこまりました。直進する。
走るんだよ。はい、走ります。
神様は皆さん、今までも一度も私たちを裏切ったことはないんです。
見捨てられたこともないんですよ。
だから今からも裏切られることはありませんし、神様はこんなことはなされません。
信じますか皆さんも、自分自身のこと、将来のこと、家族のこと、
もちろん私は牧師として、教会の伝道、牧会も、たしだけ、信仰や祝福も、
すべて、もう神様においだねるしかほか、方法がないんです。
だからこそ神様にゆだねるんじゃなくて、それがもうね、もう、正論というか正しい道、その一本しかありませんから。
真っ直ぐに参りましょう。一直線に参りましょう。牧会も、自分の信仰を含めて皆さんの信仰も、祝福も、救いも、みなしも、
すべて本当に全能の神様に信頼して、ゆだねきることのできる一年にしたいと、固く決心しております。
皆さんもそういう風に決心して、また実践して歩んでいこうではないでしょう。
説教を終えたいと思います。
地と共に歩む幸いな人生というものは、遠くあるものでもありませんし、本当にとても難しいものでもありませんし、
あるいは試してみてもどうにもならないものでもありません。
神様に対して、絶対的な信頼をして、絶対的にゆだねる人は、決して神様から裏切られることも見捨てられることもありません。
信じてください。
私たちの人は、生きておられる全能なる人であられるからです。
生きて働いておられる人、祝福してくださる人、
30:03
命と恵みと希望でにたってくださる人を、どこまでも信頼して、どこまでも従ってまいります。
お祈りします。
30:15

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