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2021-03-14 35:50

2021/03/14:創世記(11)神の心にかなった一人

2021/03/14 聖日礼拝

尹善鎬牧師

創世記 6:5-9


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改めて皆さんおはようございます。 今日も礼拝にようこそいらっしゃいました。
またこのように、神に支えられて共に礼拝できますこと、本当に感謝いたします。
私の病も皆さんに本当に祈っていただいて、日に日に
良くなってきて、また癒されていると、そういうふうに信じて、衆に感謝しております。続けて
お祈りいただけたらと思います。一応全体に12回の抗がん剤の治療を毎週水曜日に行きますが、
先週の水曜日まで5回目終わりました。これからまた続きますけれども、
特にその薬が効いてですね、また突発のことや、また他のことが異常が出ないようにですね、スムーズに移行するように
お祈りしていただけたらと思います。感謝いたします。 今日は創世記の11回目、神の心にかなった一人というタイトルになります。
今日6章に来ました。
創世記の第1章から5章までの内容をまとめて見てみたいと思います。 まず後を見ていきますと、神様は
創世記第1章を見ますと、この宇宙万物を神様がお作りになって、 それを見て神様は良しとされたと、そういう見言葉があります。
創世記第1章を見るとですね、4節、10節、12、18、21、25、31に書かれているんですね。
特に第1章31節を見ると、 神はご自分が作ったすべてのものを見られた。
みよ、それは非常に良かったとね、されました。 最初は
どうだったのか、アダムもエヴァも、人間も、 動物も、すべてが非常に良かった。もう最高の状態でした。
清い状態でした。 ところがどうですか。
第3章以降から見ていきますと、 その神様は大きな期待をもって、愛をもって美しく作られたこの世界が、
人間、アダムとエヴァを始めて、罪を犯してしまい、 堕落していくことを知ることができます。
その第3章には、アダムとエヴァの罪と、 その結果が書かれていました。
そして第4章には、先週見てきたように、 カインが弟アベルを値段で、
アベルを殺害した、
この罪の凄まじい結果が書かれていました。 そして4章、5章にはですね、その
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カインの子孫、あるいはアダムとエヴァの子孫が 増え広がっていくんですね。
人の人数だけ増大するのではなく、
そのまるで人の数くらい、
罪悪も増大していってしまいました。
その様子を、今日の6章の5節は、このように言っています。
5節だけみんなで、もう一度一緒に読みたいと思います。 創世紀第6章5節、
ご一緒に、せーの、
アーメン。ここにですね、神様が見られました。 ご覧になったら、その様子はどうでしたか。
地上に人の悪が増大してしまいました。 そして人々がその心に図ることが、みないつも悪に傾いていることを、主がご覧になりました。
今日、この6章の5節から9節を中心にしてですね、
この世界の状態、 そしてそれをご覧になる神様の心、
そこでの、ノア。 この3つのことを通して、この2021年を生きている私たち、
この日本のクリシャンに語ってくださる神のメッセージを、共にお受けしていきたいと。 悟り、また実践していきたいと願います。
まず第一に、この世界の様子を見ていきましょう。 世界の様子はどうですか。状態はどうですか。皆さん。
まず5節を見ると、 悪が増大しています。
神様が作られて非常に良かったと。 その世界は、地上は堕落してしまいました。
善で満ちているのではなく、悪で満ちていました。 悪でいっぱいでした。
罪の結果は、悪ですね。 そしてその悪は、あちらからこっちへ、こちらからあっちへ、この人からあの人へ、この集団からあの集団へ、
移っていきますね。 そしてこの5節と、6節をよく見てみますと、
1つ知ることができる事実が1つあるんです。 この悪というものは、
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自ずと移るものではないんです。 まるでですね、このコロナウイルスが人から人へ移るのと似ていて、
悪というものは、人から人へ、 あるいは集団から集団へ移るということなんです。
人の悪が増大するんです。 悪だけ存在するんじゃなくて、人を通して悪が生じて、人を通して悪が増大して移っていってしまうということなんです。
私たちはそれを既に、もう経験を通して知っています。
悪は、例えば私から他の人へ、他の人からまた他の人へ、あるいは他の人から私へ、そういうふうに
人を通して悪は移るんですよね。 下院の罪は、その子孫に、
霊脈に移るんですよ。
そして、それが増大していく、増殖していくわけなんですね。 ここで私たちは立ち止まって、
自分自身の様子を変えりみたいと願います。
私たちは、いや、
まず自分自身は、私は、 果たして
善と正を移る人なのか、 良い影響力を与えている人なのか、
家庭に、 教会の兄弟姉妹たちに、
街に、私を知っている人々に、 善を、神の心を、正を、
良い影響力を与えて、及ぼして、移している人なのか、 それを変えりみたいと思うんですよ。
果たして、私は何を移してきたんだろうか。 今まで。
もちろん、私たちは、みんなですね、 完璧な人にはなれないんですよ。 この地上にいる限りは。
天国にいたら、まあね、完璧な人になりますね。 罪を知らない、犯さない人になります。
しかし、大事なのは、
自分の罪や自分の悪を、 悟って、
それを悔い改めて、 立ち返って、
今日、それを中心に話をしますけれども、 神の心にかなった生き方をする。
それが大事なんです。 その心を神様が知ってくださって、憐んでくださって、
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身力を表してくださって、戦って勝利できるように、 主が助けてくださるんです。
それが、罪との戦いの道であり、成果の道であり、 美しい信仰の道なんです。
さて、この五説、六説を見てみますと、
人の悪が増大していく時に、
その様子は、 それをもうちょっと詳しく具体的に
描いているのが、その次ですね、五説。 その心に図ることが、皆いつも悪に傾くとあります。
その心は、誰の心でしょう? 人の心ですね。
人の心に図ることが、皆いつも悪いんです。 もう、悪に傾いているんですね。
ここに注目したい言葉は、心という言葉です。 心。
心はですね、単なる思いとか感情の場所だけではなく、 それを含めて知性と意志。
知性と意志の場所なんですね、心は。 だから、心に図ることというものは、
ただ考えることとか、感情だけではなく、
そこに、その人の意志がある。 その意志が悪である。
そして、その意志が悪いから、当然その結果として、 悪い行いが現れてしまうということです。
そして、この世の様子を、11節はこのように話をしています。
今日、読んでないんですけれども、 11節を一緒に読みたいと思います。
11節、いいですか? 一緒に読みますね。せーの。
はい。 そしてまた、12節も一緒に読みましょう。せーの。
アーメン。 ここにですね、その地は、地は単なるこの
地だけじゃないですね。地とそこにあるすべてのものですね。 人間や人間が作った文化、風習、すべてが堕落してしまいました。
この日本語の聖書は、堕落という大人しい表現をしていますが、 もう簡単に言いますと、もう腐っているという意味なんです。
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腐敗の意味なんです。 もう腐って腐って、神様に嫌われる状態になっている、
この地上人間の状態なんです。 そして最も大事な言葉は、その堕落、腐敗は
神の前にという言葉なんです。11節を見るとですね、 地は神の前に堕落しとありますね。神の前に、
神の前に。 この言葉に注目してください。
罪というものは何なのか、改めて教えられますね。 罪は皆さん、神の前に
そこでの堕落。 神の前に罪を犯すということなんですね。
だから皆さん、私たちが道徳的に、 日本的に、法律的に、いいか悪いか、正しいか正しくないか、
もちろんそれも大事ですけど、それを乗り越えて、それ以上に、 私は私で、神の前に正しいかどうか、それを常に問わなければならないと思うんです。
神の前に私は正しい人なのかどうか。 神の前に私は清いかどうか。人の目じゃないんですよ。
道徳的ではないんですよ。 神の前に私がどうか、それを根本的に問うて、答える、その道が信仰なんです。
神の前に、神の目の前に、自分自身の様子を照らしていただいて、 それが清くないとしたら、それを改める、
立ち返る、それが信仰の道ではないでしょうか。 そして私たちは、その道を通して、
本当に神の父なる神様の子供として、日々生まれ変わることなんです。
神の前にと関係なく、いくらマナーが良くて、良い人であって、 一生法律を犯したことが一度もない、何の問題のない人だとしても、
神の前にと関係なければ、それはそれで終わってしまうということなんです。
皆さん、キュリシャになること、信仰を持つということは、単純に良い人になるのが目的ではないんです。 それは当たり前のものであって、
信仰を持つということは、道徳的に人に非難されることのない人になるための、 イエス・キリストの十字架があるわけではないんです。
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マナーのある人、品格のある人、優しい人になるために、 十字架があるわけではない。
あるいは信仰は、人と比べて、いや、私はあの人よりはマシだとか、 あの人よりはいい、あるいは悪い、立派だ、そうではない。
それも信仰ではないんですね。
それは単なる人間の思いに過ぎないことであって、 神の心と神の目とは関係のないものになってしまう。
それはね、信仰なくてもできるものですね。 良い人になること、マナーある人、優しい人、親切な人。
それは信仰なくても、神なくても、十字架なくても、 いくらでもできるわけなんですよ。
信仰はそれらを乗り越えて、神の前に生きることなんです。
道徳より、法律より、文化的な価値より、人々の視線より、 それよりもっと高い価値、神の心にかなった生き方をすること。
それが信仰なんです。 私たちはここに到達しなければならないんです。
このように良い人になること、それを乗り越えて、 もっと尊い価値である神の心にかなった生き方。
今日のノアのように。 それが我々の人生の目標として欲しいわけなんです。
さて、このような世界を、地をご覧になった神の心に 向けていきたいと思います。
今日の6節を一緒に読みたいと思います。
せーの
アメン。 皆さん、
今日の5節、6節、7節、 それから12節まで
読みながら
神様は
最初に作って非常に良かったと 言われたその世界が
人の悪が壮大して 堕落して
満たされていることを見て 神様は
地上に人を作ったことを悔やまれました 心を痛められました
私たちはここでですね神の絶望を感じます 神の絶望
最初に神様は非常に良かったと 美しい世界を見て完全な世界を見て神様
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感動したけないですね 共談されたけですよ
とっても喜んで満足しておられた あの世界が
人間も世界もすべてが腐っていました 堕落していました
明ることがすべて悪に傾いていました 人々は自分の道を乱していました自分の道を乱している言葉はね
もう無法天下みたいな表現なんです 腐っていました暴虐で満ちていました
このような世界をご覧になった神様がどうして 絶望せずにいられるでしょう皆さん
この世界は 神には絶望であり悲劇であり
悲しみであり痛みなんです 今日のこの創石録書のこの部分を読む
読者の私たちに 今日の御言葉は
皆さんも神のようなこの悔やみ痛みを その心を読み取ってほしいと促しているんですよ
皆さんどうですか神の悔やみその悲しみ痛み 絶望が感じられるんでしょうか
そして神様は ここまでしなければならなかったせざるを得なかった
それが7節ですね7節一緒に読みたいと思います 7節ご一緒にはい
アーメンここにね 神の悔やみ神の心の痛みがあった
そして神様は 非常に良かったと言われたその世界を
もう消し去る それをせざるを得なかった
その堕落の様子 神の絶望悔やみ心の痛み悲しみ苦しみ
それを今日私たちは神に神の心に 共感したいんですよ
共に感じたいんです 今日の御言葉を読みながらそして今のこの世界を見ながら
世の中悪や悪が増大することに対して 悔やみ心を痛める
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絶望を 共に感じる私たちでありたいんですよ
私たちは
この世の中の罪あるいは自分の罪あるいは家庭の罪 あるいは教会の罪に対して悔やむものであり
心を痛めるものでありたいんですよ 苦しむものでありたいんです
もう叫ぶものでありたい それは決して恥ずかしいものでもありませんむしろそういうそうしていることこそ
私たちは正しい道を歩んでいる証拠であり 清い証拠であり私も神の心にかなっているという証拠なんです
作られたことをご覧になって非常に良かった と語られた
そのこの 非造物を創造物を見てですねそれを
もう滅ぼせざるを得なかった神の 絶望
悔やみ 悲しみ
それを読み取る私たちでありたいんですね皆さん
そして今日の御言葉は 私たち人間が犯してしまった
あれを貸してきた罪悪の 深さがどれだけ深いのか
それがどれだけ 致命的で恐ろしいものなのかを
気づいてほしいと促しているんじゃないでしょうか皆さん
皆さん悔やみは何でしょう 罪に対して
悔やみ 心を痛められる神様の絶望を知って
私もそれを感じて その罪悪を悔やらため
立ち返り新しくされることです そして私の人格が
生き方がその行いが 言葉が関係の結び方が習慣さえも変えられる
清められることなんです もちろんそれは一度にできるものではありません
もう天に行くその日まで 日に日に変えられていく戦いの道を
歩むことが信仰の道なんです ところで
創世記をここまで読むと 例えば8節まで7節まで読むと
もう絶望で終わってしまいそうな雰囲気ですね 規模がない本当に規模がないんだと
しかしどうですか この創世記はこの堕落したこの世界の中で
私たちに希望を語っているんですよ皆さん それが8節
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8節の最初の言葉は何ですか しかしですね
神様はもう消し去ると思うほどの堕落したこの世界なんだけれども しかし
ノアは主の心にかなっていた ここに希望があるんですね皆さん
まるでですねもう真っ暗の中でですね 差し込むような一筋の光のような人がそこにいたわけなんですよ
闇の中に 周りは本当にもう真っ暗なんだけれども
そこにピンポイントみたいに光が差し込む そこにノアがいた
飛んで返しが起こるんですね 堕落と
暴虐で満ちていた世界
自分の道を乱していた世界 もう腐っていた世界
しかしそんな世の中でも神の心にかなっている一人の人が その人がいたんですねそこに
99.9 まるで堕落した世の中で0.1%のような神の心にかなった人 正しい人
まったく人
その人が その一人がそこにいたんですね皆さん
皆さんここで もう一つの大事な真理を知ることができます
それは 私たちは
自分もそういう時がありますけど その場を逃げるために
責められることが嫌だから逃げるために この逃げ道を言い訳を考えるんですね
例えば もう状況がこんなに悪いから 99.5%のクリスタルがいっぱい
この日本では あんな立派にクリスタルとして生きるのは難しいですよ もうね
もうみんなそうしてないしもね で
逃げてばかりしている 言い訳ばかり言っていたら希望の花は咲きませんよ
言い訳はしやすいんですね逃げるのはしやすいんですね その場を逃れることはできるかもしれませんが
そしたら一生希望の花は私を通して咲かない どうですか皆さんどうはどうですか
神様は消し去る そこまで考えられた
実際にね洪水で全ての命あるものは 死んだわけなんだけれども
そんな堕落して腐っている腐敗の世の中でも ノアは主の心にかなっていて堂々と歩んでいる人がその一人の人がいたんですね
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このね
旧説も一緒に読みましょうね旧説じゃないですね 旧説ノアがどういう人物なのかを考えながら一緒に声を合わせて読みたいと思います
旧説せーの 神と共に歩んだアーメン
素晴らしいんですね主の心にかなっていました そして彼は正しい人でありました
彼の世代の中に彼の世代はどんな世代ですが今まで話をした 悪が増大して悪に傾いていて暴虐で満ちているその世代ですね
その世代にあって全き人でありました ノアは神と共に歩みました
皆さんここにね神と共に歩んだという言葉をですねちょっと調べてみたところ ノアは本当にもう
良い習慣としていつも神様と交わっていつも神様と同じ方向で 歩丁を合わせて歩んでいたそれがノアの毎日のあるで息をしているような毎日の
日常だったということなんです たまに神のことを考えるんじゃないたまに清い道を歩むんじゃない
毎日毎日が清い習慣として神と共に歩んだ その人がノアでした
今日私は神と共に歩んだという言葉を こういうふうに言い換えてお話したいと思うんですね
それはノアは神の心に共感した 神に共感した
と言い換えたいんです どういう意味でしょうか
神様はこの堕落して罪に満ちている世界をご覧になって神様は悔やまれましたね 心を痛められましたよ
神様は苦しかったわけなんですよ悲しかったわけです その神の心に共感するノアなんです
わかりますか皆さん この堕落した非常に良かったとしたあの世界がこんなにも堕落してしまった
悲しんで悲しんでどうしようもないその神の心 ノアも一緒に共感して神が泣いておられるならば
ノアも泣いていました 神の悔やみにノアも悔やんで悔やんでどうしようもなかった
心を痛めておられる神の心と共感してノアも心苦しくていた この罪を見て
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堕落した世界に向かって神が感じられる神の清い怒りを 息通りをノアも一緒に感じていた
私がこれこれがこれこそ神と共に歩むことだと 考えます
これこそ神の心にかなった人の生き様なと思います 神様は心を痛められること私も心を痛める
神様の身怒りを私もその清い怒りを感じる 神様が悔やまれることを私も悔やむ
これが 神と共に歩むことです
皆さんどうですか 普段
神の心に共感しているでしょうか 神の心に共感しているんでしょうか
葬石6章は ノア以外の世界を見たら暗黒です真っ暗です
しかしその中に その絶望と暗黒の中に一筋の光があるんですよ
葬石の第6章は実は希望を語っているんですね 神の心にかなったその一人ノアがいた
これはですね私に対する重要なメッセージだと思うんですよ 神様は今も炎堕落して腐っているこの世界の中に
偶像だらけのこの日本の中で周りを見ても本当に神を信じ神に心をかなって生きる人が少ない この社会の中で神様は私たちに向かってこの朝
あなたが私のノアになってくれないか あなたが私のノアになってくれないか
と 語っておられる神の心を聞きたいんですよ
神様は今ここでこのノアのようなその一人を探しておられるんです
一箇所私が聖書を読み出します 第2歴代史6章9節です
主はその恩恵をもって全地を隅々まで見渡し その心がご自分と全く一つになっている人々に未知からを表してくださるのです
もう一度お読みします主はその恩恵をもって全地を隅々まで見渡し その心がご自分と全く一つになっている人々に未知からを表してくださるのです
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雨ですか皆さん本当にそうです 私が弱くてもお金がなくても無学でも愚かでも病気で病んでいても関係ないんですよ
私の心が私の生き方が神の心にかなっていて 私の心が神と全く一つになっていればその私に主は素晴らしい全能の未知からを表してくださるんですよ
信仰は私が強くなる強くなるというより 心が神と一つになって全く一つになってさえいれば神様の力を私にあなたを通してあなたの上に
主の教会に表してくださるんです 雨ですか皆さんそれが大事なんですよ
徳氏の私に信徒の皆さんに主の教会になかなか神の未知からが表されていない とすれば
問題は私にあるわけなんです 私の生き方が私の心が神の心ともう全く一つになっていないわけなんです
ただ自分の道をも走っていったわけですから
そこに神の道からは
メッセージを得たいと思います 罪は人から人へ全も人から人へ移ります
しかし罪は やがて神の心を痛めつけてしまいました
非常に良かったと言われたこの世界は 消し去るしかなかった状態にしてしまいました
住みが しかし
神様が悔やまれ心を痛められるしかなかったその絶望と暗黒の中でも 一筋の光のようなその一人がいました
そして神様は その一人をもって世界を新しくされます
皆さん愛する皆さん私たちが 私と皆さんが2021年この日本でこの神戸で
神と共感し神とともに歩み神の心にかなっている その一人になってください
そうすれば神様が道からをあらわしてくださいます そしてこの世界がこの日本が
本当に神様生きておられる前後の神はおられるんだと信じあがめ 褒めたたえるその日が必ず来ると信じますお祈りしましょう
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