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2020-01-01 37:52

2020/01/01:わたしがあなたを癒やす

2020/01/01 元旦礼拝

尹善鎬牧師

イザヤ書 53:1-5


00:01
改めて、みなさんおはようございます。それから、あけましておめでとうございます。
今年もこのように、元日のこの朝、私たちが他の場所ではなく、主の御前に集まって、
礼像のことをもって、主を礼拝できますことを、本当に主に感謝いたします。
主によって健康が、あるいは健康が支えられて、今日があることを覚えて、神様に感謝いたします。
今日はですね、先週の礼拝のお知らせに抜けましたけれども、礼拝の後、お祝いの食事会が持たれますので、
皆さんお忙しいと思いますけれども、ぜひ残ってくださって、しばらくの間、食事の同じ時をお待ちください。
妻が愛を込めて用意させてあげますので、ぜひ、しばらく同じ時をお待ちください。
では、メッセージの前に、一緒に思うようにですけれども、今日、新年の挨拶でも、周りの方から一つ受けましょうかね。
はい、お願いいたします。一言お祈りいたします。
しかし彼は、私たちの戸木の爪のために殺到され、私たちの戸川のために砕かれた。
彼への懲らしめが、私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは癒された。
アーメン。主よ、感謝いたします。
今から、神の御声に、心の耳を傾けてお送りいたします。
どうか、聴こっている一人ひとりに、主が怒ったり、その霊の目が開かれて、はっきりと主の心を知り、
あなたに従事に従う者へと、私たちを導いてくださいますように。
そして、イエス・キリストによって、私たちの全てが癒され、解き放たれ、
03:03
イエス様のように、神の形に、主よ、変えられますように。
身体も心も全ても、神様が最初の人アダムを作られて、良しとされたように、
私たちの信仰で、生き様で、あらゆる人間関係が、信仰が良しとされる者へと、
主よ、今年こそ、あなたたちを新しく作り変えてください。
心からお祈り申し上げます。
主に委ねて、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
感謝いたします。
今日は開かれている御言葉から、
私があなたを癒す、私があなたを癒すという御言葉をタイトルにしてですね、
共にこの乱日の朝、主の御言葉をお受けしたいと思います。
今年も、私たちの唯一の神様の豊かな祝福が、癒しが、恵みが、
慈しみが、皆さんお一人お一人、ご家庭の上に、
また明大に教会の上に、豊かにありますように、心からお祈り申し上げます。
今日、私がお読みいただきました、このイザヤ帳、
この五途三帳の一節から、大体六節までになりますが、
この御言葉は、イエス・キリストの預言の御言葉です。
イエス・キリストに対する預言の御言葉なんですね。
そしてこの御言葉に、私たちが信じるイエス・キリストが、
そのイエス・キリストの、特にその十字架の恵みが、
私たちに何をもたらしたのか、
イエス・キリストによって、私たちにどんな祝福が与えられたのかが、
この御言葉に書かれているわけです。
そこで今日は、大きく三つのことをお話したいと思います。
まず一番目は、私があなたの心を癒す。
二番目は、私があなたの体を癒す。
三番目は、私があなたをイエス様のイエスのように癒す、
という三つのことをお話したいと思います。
06:05
私たちを作られた神様は、最初の人間アダム・エバは、
神の形に見せてお作りになりました。
その神の形は、そこに善があり、美しさがあり、愛があって、
謙遜、あるいは正直、あるいは強さ、美しみがある形です。
しかし、人間の堕落によって、この世に罪、悪、あるいは貪欲、
あるいは偽り、そういったものが入ってしまいました。
まるで綺麗に描いた絵の上に、誰かが落書きをされたかのような状態になってしまいました。
綺麗な絵を描いたその人が、誰かに落書きされたら、どれだけ悲しいのでしょうか。
例えば、みなさんがお家の庭に綺麗なお花を、よく縁起をしたところ、
誰かが全部踏みつけてしまったならば、もう悲しくなるのではないでしょうか。
実は、神様が私たち一人ひとりを美しい形に、本当に神が愛と心を込めてお作りになったんですね。
美しい形として、良い形として、強い形として、偽りのない形として、
愛と慈しみに満ちた形としてお作りになりましたけれども、
あの人間の奈落によって、その素晴らしい良い形が歪んでしまいました。
しかし、神様は歪んでしまった。
その私たちの形、神の形を主は回復してくださることにしました。
それは、イエス・キリストを通してです。
それで、神であり、この地に人間としておいでになったイエス・キリストは、私たちを癒やされるお子様であります。
09:05
癒やすことを願っておられ、また癒やすことのできるお方であることを、皆さん信じてください。
まず、イエス・キリストは、私たちの心を癒やすお方です。
重い心の病気、そこまでいかなくても、
今日の多くの人々は、心の中に何かの歪みがある。
あるいは心配がある。あるいは闇がある。
そういったものを抱えたままで生きているのではないかと思います。
ある病院の文句を聞いたら、
鬱とかですね、そういう心の病気を心の風と表現したことを見たことがありますけれども、悪くはないかなと思います。
私は精神科お医者さんではないので、皆さんに薬の調補線を出すことはできませんが、
しかし、どの医師より、私たちのことを根本的に永遠から知っておられるイエス・キリスト、
私たち一人一人をお作りになったイエス・キリスト、
そして、私たちを救ってくださったイエス・キリスト、
救い主であり、癒し主である、そのイエス・キリスト、
今日の御言葉のように、私たちを癒すために、平和をもたらすために、
命を捨てられた、マコットの医師であるイエス・キリスト、
その方が、私たちを癒そうとしておられる。
また、癒やすことのできるお方で、
今日は三人のお訳しを、この癒やしのお訳しをさせていただきたいと思いますけれども、
たまたま見かけた、ある日本ですではないんですけれども、
日本のある教団から出しているネットのサイトで、お訳しがありまして、
その中でバストして、またちょっと省略して、お訳しをさせていただきたいと思います。
そこで、たぶん名前も書いてありましたので、これは正しいことだと思います。
ある一人のまずお訳しです。読ませていただきますね。
私は二十数年前に救われましたが、いろんなことがあって、長い間教会から離れていました。
12:03
でもことは、親の癌がきっかけで、六年前に教会につながることになりました。
その頃私は、鬱の病状が重く、薬がなくては夜も眠ることができませんでした。
私たち姉妹は、幼い頃から親の愛情を受けることがなく、毎日が争いの絶えない家庭で育ちました。
長い年月の間に虐待を受け、自分でも気づかないうちに鬱病になってしまいました。
精神科に通院しましたが癒されず、頭の中ではどうすれば薬で治めるかということばかり考えていました。
一人で暮らしていたので、イガイラが募り、死の場所を求めて夜中さまよい歩きました。
しかし結局は、死の場所が見つからず、バス停のベンチで夜を明かっていました。
生きているのが辛く睡眠薬を飲まず、資料を貯めてたくさんの薬を飲みましたが、不思議に死ぬことができませんでした。
左手の甲や腕を刺したり、切り付けるという異常な行動を取り続けて、皆に心配をかけていました。
でも、きりの義理の姉と教会に行くようになりました。
仏彦夫妻はいつも私のために祈ってくださりました。
教会の人々もいつもあたらかく迎えて祈ってくれました。
また、姉が献身していたこともあって、日曜礼拝や祈祷会にも必ず出席をしていました。
礼拝や祈祷会においては、神様は、「私はあなたを癒す。」と何度も何度も語ってくださいました。
私は教会に行き続ける中で、少しずつ孤独感やイライラが薄れていきました。
気がつくと薬を飲まなくても眠れるようになっていました。
今では自分を傷つけることもありません。
神様は私をゆっくりとつかし、確実に時間をかけて癒してくださいました。
今は薄から完全に癒されました。
薄で苦しんでいる方に神様を知っていただきたいと思っています。
神様は必ず癒してくださいます。
15:00
アレリアと書かれていました。
皆さん、イエス・キリストは本当の癒し虫なんです。
これを信じることが大事です。
例えば、私たちが聖書を読んだり、賛美歌を歌っていますが、
私たちは心の中で、どうせ治らないだろう、これは治りにくいだろう、難しいだろうと口では言っていなくても、
心の中にそういった思いを持ってはいないでしょうか。
信仰が大事なんです。
神には不可能がない。
イエス・キリストは私たちの救いの魂、魂の救いはもちろん、私たちの心を癒してくださるおかたです。
他にも、パニックや疼から治された方が大勢いるんです。
韓国に私も前も行っていたことがありますが、私が宗教の教会で復刻をしていた時に、
あの時に青年の姉妹でした。
彼女は少子でしたけれども、私は彼女に三年やられました。
もう復刻をやめたいほど怖い姉妹でした。
でも彼女も本当に神の恵みによって癒されて、今は牧師夫人になっています。
もう一人は、私が軍隊で一緒に復刻していた兄弟ですけれども、
彼も突然パンツになっていましたが、彼も本当に真実にイエス・キリストによって癒されて、今は立派に仕事をしていて、
そういう方々のために奉仕もしているんですね。
たとえ薄病でなくても、実は隠されているだけで、多くの方々が心的に病んでいるのではないかなと思います。
例えば、家族不和があったり、離婚があったり、いじめがあったり、家庭暴力があったり、
あるいは自殺を考える方、あるいは何かの依存症の方、
あるいは口を開いたら嘘ばかりしてしまう、でもそれを気づいていない方、
疑心、痛み等々、これらも心の病なのではないでしょう。
もしも私たちの心のうちにこのような心の歪みが少しでもあるならば、
イエス・キリストによって、誠の癒し主なるイエス・キリストによって癒していただけるんです。
18:06
イエス・キリストは癒すことのできる本当の神様であります。
願わくは、今年2020年は、私たちも全ての心の病が、その歪みが癒されますようにお祈り申し上げます。
二番目、私があなたの体を癒し。
今日のイザヤ・ショコルド三章五節を読みますと、
しかし彼は私たちの戸向きの罪のために差し通され、私たちの戸がのために砕かれた。
その次の言葉ですけれども、
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
イエス・キリストがお受けになったあの懲らしめ、
それによってそのキリストを信じる者には平安がもたらされるということですね。
それから、彼の打ち傷によって、
イエス様があの十字架で打ち打たれたあの打ち傷によって、
私たちは癒されたと、このイザヤ・ショコルドは私たちに宣言していてくれます。
聖書を特にね、新約聖書の福音書をよく読みますと、
多くのところでイエス様は人々の体の病気を癒されたことがたくさん書かれています。
その中でイエス様の癒しの御言葉をまとめて語っている言葉が、
マタイの福音書4章23節にこういう言葉があります。
イエスはガリラやジェンドをめぐって、
カイドウで教え、
ミクニの福音を述べ伝え、
その次ですね、民の中のあらゆる病気、あらゆる患いを治された。
民の中のあらゆる病気、あらゆる患いを治された。
マタイ4の23節です。
皆さん、イエス様が2000年前は元気でよく癒すことができたんだけど、
今はできない方なんでしょうか。
あるいはすごい中国とかポーランドアジアではすごくイエス様を癒すことができるんだけど、
日本ではできない方なんでしょうか。
そんなことないです。
イエス・キリストはあらゆる患いを癒すことのできるお方です。
ステーションに出てくる病気はいろんな病気があるんですね。
熱病、中風、片手のなえた人、長血をあずらっている病気、
盲人、耳が聞こえない人、38年間の病の人、
21:02
その人々はイエス・キリストに出会って癒されたんです。
2020年、願わふわ。
両谷教会の皆さん、あるいは皆さんのご家族の方々が、
このイエス・キリストを信じて、イエス・キリストによって、
この方を通して全ての病気が癒されますようにお祈り申し上げましょう。
何より、私たちの信仰の通りに癒されるんです。
イエス・キリストの癒しの力を、その憐れみを信じ続け、
あきらめず、癒されるまで粘り強く祈っていこうではないでしょうか。
あきらめてはいけないんですよ、皆さん。
何度もなるだろう、それも不信仰なんです。
難しいですよ、それも不信仰なんです。
祈りは信仰ですが、祈らないのは不信仰なんです。
信仰は癒し、不信仰は癒せません。
もう一人のお訳しをさせていただきたいと思います。
これは、雲真っ赤出血の癒しのお訳しです。
あるいは、僕主人のお話ですね。
福岡市のショッピングモール、フォークスタウンでのコンサートで、
私は教会の賛美チームの一員として、キーボードを弾いて歌っていました。
突然、激しい頭痛があり、最後の曲の前奏を弾いたあたりで、
目も見えず、耳も聞こえなくなり、演奏ができなくなってしまいました。
意識がなくなる寸前になったと思いますが、
意識から落ちてはいけないという必死の思いで体勢を保っていると、
後半、意識が戻り、最後はまたキーボードを弾き、歌うことができました。
その後、すぐに救急車で病院に運ばれ、検査の結果、雲真っ赤出血と診断されました。
普通は緊急手術なのですが、出血箇所が目の奥であり、動脈を傷つける危険があるため、
大量の出血の場合、輸血などの体勢を整えて、4日後に手術することになりました。
教会で多くの方々が祈ってくださいました。
知り合いの牧師ご夫妻が長崎から祈りに励けてくださいました。
私は絶対安静で、ほとんど眠らされている状態だったので、病室に来られたこともぼんやりしか覚えていないのですが、
きつくしないで治るように祈ってくださいと私が言ったそうです。
24:02
神様が言わせてくださったと思います。
そこで、教会の兄弟姉妹、また姉妹教会の信徒の方々にも、私の癒やしのために取りなしの祈りをし続けていただきました。
それで4日が経ちました。手術日の朝でした。
3人の医師が体制を整えていましたが、担当医からどうしても気になるので、
危険はともなお精密検査ですが、手術前にもう一度検査をしたいですと言われ、
直前に造影剤を使っての検査を行うことになりました。
これも神様がその思いを担当医に与えられたとしか思えません。
その検査の結果、出血した腹部を調べても出血箇所が特定できないということで、
突然手術は中止になりました。
その後の検査の説明のときに、主人はお医者さんに感謝するとともに、
教会で手術しないで治るように祈ってくださっているんですと言ったそうです。
また、その日の午後、医師が病室に来られたときに福音を語る機会も与えられました。
私は眠りから覚めた後は、頭痛と全身の具合悪さ、プラス不眠という苦しい日が続きました。
苦しい時間がたっぷりあるので、一つ一つを徹底して感謝し、
言葉が欲しいと思い聖書は読めないのですが、祈りました。
そのときに思い浮かんだのは、十日の間苦しみを受ける言葉でした。
十日で大部屋に移れるのかなと思い、主に期待しました。
すると十日が近づくにつれてどんどんよくなり、十一日目の朝、大部屋に移りました。
この驚異的な回復には病院の看護師さんや職員の方々もびっくりしました。
本当に神様の癒し、教会の祈り、天の取りなしを強く感じました。
十日目に再検査を受け、主人と一緒に写真を見ながら説明を受けました。
主人は、担当医を通して神様語ってくださるようにと祈っていたそうです。
先生は、ここが切れたのではないでしょうか、と思える場所はあるんですけれども、
今は精度であって、血が流れた跡が黄色く残っているだけです。
こういうことは稀ですね。また手術をしてはいないので肺圧の可能性はあるかもしれませんが、
あとはそれこそ祈りですねと言われました。
医師を通して神様の特別な力が動いたことを聞かされ、私たちは足をあだめました。
27:06
そして十五日目、入院からちょうど二週間目に退院となりました。
皆さんいかがでしょうか。イエス・キリストは生きておられました。
その方は、私たちが心も体も精神もすべてが健やかで、
主にあって幸せに、主に仕えつつ生きることを願っておられる良きお父さんであられます。
そしてその方は私たちを癒してくださるお方であられます。
三番目、私はあなたのすべてをイエスのように癒す。
私はあなたのすべてをイエスのように癒す。
天皇、地下の神様は私たちの心やあるいは体、魂だけではなく、
人間関係も、つまり私たちのすべてを癒してくださるお方です。
それはまさに一人一人のうちにある神の形を回復してくださるということですね。
これはイエス・ヘリクロに出会って、その方を堅く信じる人に起きる美しいためです。
天皇、地下の神様は私たちが親子関係、あるいは夫婦関係、あるいは会社の同僚関係、
あるいは教会の兄弟姉妹の関係、あらゆる関係において病んでいるところ、
歪んでいるところから、回復してくださり、癒してくださって、
イエス・キリストの神性や人格まで成長と成熟を起こしてくださるお方であります。
今年こそその方を信じて、信仰を持って、その福福を、あるいは癒しを、その恵みを一緒にお受けしようではないでしょうか。
イエス・キリストにやっていただくために、粘り強く信仰を持って、祈っていこうではないでしょうか。
最後にちょっと長いですけれども、もう一人の和歌詞を読ませていただきたいと思います。
ギャンブル・鮭・タバコから解放というタイトルになっていました。
私は妻に連れられて、教会に行って洗礼は受けましたが、リアルクリシャンとは言えないものでした。
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洗礼を受けただけで、神様とは無関係の生活をしてきたものでした。
私はギャンブルや鮭、タバコが若い頃から大好きで、中学校の頃からシンナーなどをやっていて、高校の時には毎晩お酒を飲んでいました。
心のどこかでは、いつかは辞めなければならないという、そのような気持ちはあったんですけれども、現実にはなかなか辞められませんでした。
人生の面においてもそうでしたけれども、私は娘のゆえに、神様に喧嘩を打っていたのかもしれません。
御言葉に神を試みてはならないという価値がありますが、私はバリバリ神様を試みていたような気がしました。
こんな俺を変えられるものなら、変えてみろ、という当時は思っていました。
今思えば、なんと愚かなことをしたと思っています。
神様から離れてしまっていたらゆえに、仕事面においても家庭面においても悪い方へ進んでいってしまいました。
その当時は自分で建設業をしていましたが、仕事もうまくいかず不才が増えるばかりでした。
私はおまけにパチンコが好きで、勝っても負けても毎日のように通っていました。
そうするうちに不才が増え、返済ができなくなってしまい、そして闇金まで手を出してしまい、厳しい取り立てを受けるようになってしまいました。
このような状況は妻も知りませんでした。
いよいよどうすることもできない状況になりましたが、神様に頼るよりお酒に逃げていました。
そんな中、もう死にたいという思いがきて、死のうと思いました。
自分が死ねば保険金が入り、そしてそのお金で借金が返せる家族には迷惑をかけずに済むと思っていたのでした。
川で溺れて死んだことにしようと思って川に来ました。
ウイスキーを株飲みし、川に飛び込もうとして思い切り飛び込みました。
そこは滝になっていて渦を巻いていました。
もう死ぬんだなと思いましたが、気づいたときにはその渦をすり抜けて下流の方に流されて何十メートル流されたでしょうか。
気がつけばあちら届くところにいました。
もう一度飛び込み直そうとしていましたが、そのとき私のところに来なさい、私のところに来なさいという声が聞こえました。
その声で自殺することをやめました。
今思うとその声は神様の声だったと思います。
そして今度は逆に死にたいから生きたいという気持ちになりました。
33:04
それから妻に殺菌のことを仰げました。
全てのことを言って、全てのことを神様に依頼ようと思いました。
妻の反応は意外と冷静で、ここ二、三日私の様子がおかしいことに気づいていて、
自殺未遂を起こした日においては私がために祈ることが導かれていて、取りなしの祈りをしていたことがわかりました。
今思えばこの自殺未遂があったからこそ、神様の憐れみや恵みを知り、
本当に神様はおられるんだなということが実感できました。
そしてその日から不思議にも神様の愛を知り、ギャンブルを完全にやめることができました。
お酒は十五歳ごろから飲んでいました。
かつてはお酒を飲んで車の運転をしていて、二回ほど飲酒運転で捕まっていました。
毎晩お酒を飲んでいました。
ある時、酒に酔っていて娘を叱り、娘の頭をなどってしまいました。
その時神様の守りで娘の頭はどうもなくて、自分の手は骨折しました。
しばらくは仕事ができず、その時神様から深い悔やみが導かれ、
私は自分はどんなに惨めな人間なのか、娘をなどってしまったことを本当に悔やみ、
今まで酒で犯してきた罪、いろんなことが思い起こされ、神の前に出て真実に悔やみをしました。
また本気で酒をやめられるようにと神様に祈りました。
次の日から、不思議にも三十年間もみ続けてきたお酒を完全にやめることができました。
お酒はやめて、もう十年以上経っています。
次にタバコです。タバコだけは絶対やめられないと思っていました。
何度もやめようと頑張りましたが、最後二日が限界でした。
いつかはやめないといけないなと思っていましたが、なかなかやめることができませんでした。
ある日、教会の牧師より、もうそろそろ本気になってやめた方がいいんじゃないと言われました。
神様を選ぶかタバコを選ぶか、自分にとっては選択の時でした。
本気で神様に私は祈りました。狂きまずにタバコをやめることができますようにと。
一日目、二日目、三日目ぐらいから苦しくなりましたが、神様に感謝しました。
36:06
とにかく心を定めて神様に感謝し続けました。
そして、ハレルヤ主の皆を褒めたたえます。完全にタバコをやめることができました。
2009年9月からやめて、十年が過ぎました。
神様は真実なお方であられます。
そして御頃の祈りを聞いてくださって、全く新しいものへと作り変えてくださいました。
2010年、神様の憐れみ、恵みによって牧師としての暗示を受けました。
自分自身、まさか牧師になるとは思っていなかったので驚いています。
神様に心から感謝いたします。
私たちは本当に神様が生きておられ、
イエス・キリストは私たちのあらゆる病気、病みを癒すことのできる方として、
信じて、祈って、癒していただこうではないでしょうか。
イエス・キリストは生きておられます。
この方は救い主であり、癒し主です。
この元日の朝、癒し主なるイエス・キリストが、
私があなたを癒す、私があなたを癒すと、
今年、明太の教会の中で、このイエス・キリストによる癒しや回復や祝福がたくさん起こりますように、
そして年末にはたくさんのお分かちができますようにと、信じてお祈り申し上げます。
お祈りします。
37:52

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