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2020-01-19 33:00

2020/01/19:神に祝福された人生の法則21(19)わたしは神の子どもです

2020/01/19 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ヨハネの福音書 1:9-12


00:00
皆さん、おはようございます。今日も、聖地礼拝にようこそいらっしゃいました。今日も神様の恵みが豊かに注がれますように、心からお祈り申し上げます。
それでは、周りの方とですね、挨拶と伺いましょうかね。おはようございます。よくいらっしゃいました。
はい、それでは一言お祈りします。お祈りします。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をおあたりになった。
神様、感謝します。
罪と罪過のゆえに死んでいた私たち、神を知らなかった私たち、神の敵だった私たち、悪霊の悪魔の奴隷だった私たちを、
主は一方的な愛と恵みをもって、一人一人を導いてくださって、イエス・キリストに出会わせてくださって、その力、闇から救ってくださいました。
そして私たちを、もはや闇の子ではなく、光の子どもとしてくださいました。
そのためには、神なるイエス・キリストが十字架の上で、私たちが受けるべき呪いと恥と苦しみを身代わりとなって受けてくださって、
そして罪を許してくださり、またその力、私たちを贖ってくださいました。
そのイエス・キリストを救い主として信じて救われた者がどんな者であるか、主よ、先週から神の御言葉をお受けしております。
今日も続きですが、どうか一人一人の中に、救われた者が何者なのか、信仰的に、政治的に正しく認識をもって、
この信仰の歩みを、生涯を全うできますように、一人一人に正しい信仰を、またあるいは正しい自己認識を与えてくださって、
03:04
神の栄光をあらわす者へと、我らを導いてくださいますようにお願いいたします。
この場におられる方の中で、修道者、あるいは信仰の疑いがある方がおられるでしょうか、
どうか、等しい恵みを悟りを見すべきよ、神様御自身がお与えくださいますようにお願いをいたします。
感謝して、イエス様の依頼によってお祈りいたします。アーメン。
始まる前に今日お配りしましたけれども、この緑の神の子供のアイデンティティ、これは収まるんじゃなくて、今から説教の中で使いますので、皆さん出していただけますでしょうか。
はい。今日は先週の続きとして、神に祝福される人生の法則21の中で19回目になりますが、先週から小シリーズになります。
それは、イエス様を信じて救われた者が誰なのか、何者なのか、世の中の目じゃなくて、神の観点で自分自身を救われた者が何者なのか確実に知ること、そしてそれに基づいて生きることを案内していきたいと思います。
よろしいですか。お持ちですか、皆さん。ありがとうございます。さあ、では注目して聞いていただきたいと思います。
先週は、私たちはイエス様を信じて救われた者は、暗闇の子供ではない、光の子供であるということをお話ししました。もはや私たちの霊的身分が変えられたということをお話ししました。
確かに人は、自分が誰なのか、何者かと知っているかによって、その人の人生の歩みが違ってくるんです。
一人の話が聞きたいと思います。日本にもよく知られている、だいたい100年前に生まれたスコトランドでランナーであった陸上選手だったエリック・リデル選手のことを聞いたことはありますか、皆さん。
炎の戦車という映画も結構昔のことですから。日本にも結構知られていますけれども、この人は、エリックさんはスコトランドの陸上選手、国家代表選手である優秀な選手でした。
06:19
同時に彼はとても献身的なクリスチャンでした。そして彼はいつも、自分はランナーである以前、神の子供であるという正しい認識をいつも持って走ることも、神の栄光のために走るんだという自己認識をしっかり持っていました。
ある時は、この大事な試合の日程が発表されましたけれども、それが正日、日曜日にありました。そこに出たらほぼ優勝が決まっているようなことでした。
ところが、エリック選手は、自分はもう前から日曜日、正日には走らないことに決めていました。
ただ、正日、日曜日には神を礼拝すること、神に栄光をお返しすること以外はしない。特に自分の栄光のためや、自分の楽しみのためには一切しないことを神の前に誓ったからです。
彼は確かに陸上選手なんだけれども、自分はクリスチャンであり神の子供だから、走ることより賞をもらうことより優勝することより自分の国に栄養を捧げることより神を礼拝することが最も大事であるという確かな信仰と認識を持っていた。
そのように、自分が何者か、その自己認識を、霊的に自分をしっかり持っている人は、その歩みも生き方も言動も異なると思うんです。
では、私たちがイエス・キリストを救い主として信じて救われた時、私たちの霊においてどんなに素晴らしいことが起きたのかを、今日お話しさせていただきたいと思います。
09:01
まず、それを知るためには、救われる前の私たちがどんなものだったのか、どんな状態だったのかを、聖書から見ていきたいと思います。
前の画面にありますが、聖書から見て一緒に読みましょうか。
神の聖書は、救われる前の人の状態は、自分の罪と罪の中に死んでいたという言葉を語っています。
救われた方は、すでにこれを認めて信じて救われたのですが、救助者の方やまた信仰のない方には、これは認めにくいかもしれません。受け入れにくいものかもしれません。
私は生きているのに、なぜ死んでいるかと思われるかもしれません。この肉体の生命はありますが、その霊は霊の命、霊的命は死んでいる状態だったということであります。
なぜなら、人は神から離れた状態は死の状態だからなんです。
聖書はこのように語っています。
罪の報酬は死である。
この法則を逆らえる存在は、みんな私たちはかつてはそんなものでした。
死んでいた魂、死んでいた霊が、神の不思議な導き、あるいは悟り、あるいは出会い、あるいは導きを通して、
ああ、本当の神様は唯一の天の父なる神様以外にはないんだと。
そしてその一人後、イエス・キリストが自分の罪を許して、死から命へ移してくださって、永遠の命を与えてくださった。
それを信じれば救われると信仰によって、私たちは救われたんです。
そしてその霊においては、驚くべき変化が起きたわけなんです。
12:04
既に起きました。
聖書に、今日も読みますけれども、聖書はよく特に、救われて私たちに起きた事柄については既に起きましたと過去受けで宣言しているんです。
例えば、救われた者は、その名前が命の書に記されました。記されている。今も記されている。
そしてこの霊は、もはや死んでいる霊ではなく、生きている、生かされている霊であるということです。
これが永遠の命であります。
キリスト教は、聖書は私たちに永遠の命が与えられたという御言葉があります。
この永遠の命は、死んでから得られるものを指す意味ではないんです。
もし救いと、それで与えられる永遠の命が、今はなくて、死んでから、亡くなってから得られるものであって、そして天国にだけ焦点を合わせるものだったら、それは聖書的なものではないんです。
それは完全な福音にはならないんです。
とはこの前に座って。そこに座っていいよ。そこでいいよ。ありがとう。
イエス様を救い主として信じて救われた人は、キリストにあって、その霊が今ここで生きていることなんです。
後々で与えられるものではなくて、救われた瞬間、今ここに私たちに与えられている、私たちがそれを得ているということなんです。
それは救われたものが、その人の霊が神様と一つになった祝福ということであります。
そしてその霊が、死んでいた霊が生きるようになった、それが永遠の命である、その命は永遠のものであるということであります。
ですから皆さん、救いは未来の未来の何とか漠然とした未来で与えられるものではなく、今ここで救われた瞬間、イエス様を信じた瞬間、すべての人に与えられ、その人の霊も心も体も変えられることが、
15:04
それは私の話ではない。聖書がこのように宣言をしています。
第2コリント5章17節です。よく注目して、御言葉が神様がイエス様を救い主として信じたものに何を宣言しておられるかをよく考えながら一緒にこれを合わせて読みたいと思います。
誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく作られたものです。古いものは過ぎ去って、みよすべてが新しくなりました。アメン。
皆さん、日本語だから皆さんご存知でしょう。誰でもキリストの内にあるなら、その人はどうなりましたか。新しく作られたんですよ。
これから作られますようじゃないんです。作られるかもしれませんでもないんです。
今、救われたこの時、すでに私たちは私たちの霊が、内なる人が新しく作られたものに変わったんです。私たちの霊の身分が、霊の状態が変わったんです。
だから皆さんは古いものではないんです。サタンのものではない。罪のものではない。闇のものではない。
新しく作られたもの、自分が誰なのかを、この神の宣言の御言葉をはっきり知っている者は、信じる者は、古い道に闇の道に行かないんです。何ででしょうか。自分は新しく作られたものだから。
さてその後、何と宣言していますか。古いものは過ぎ去ったとあるんですよ。見よ、すべてが新しくなりました。
イエス様が信じてくださる恵みの上に、新しくなったんですよ。皆さん信じますか。皆さん自分自身の内なる人が霊が新しくなったことを信じますか。
これを信じなければならないんです。神様の宣言を信じるべきではないんですよ。作り主なる神様を唯一の神様として信じて。
その一人子イエス・キリストだけが唯一の救い主だと信じて救われたクリスチャンになるということは、キリスト精神を持ったり、キリスト教的な傾向を持ったりするものではないんです。
18:03
何かキリスト教のアクセサリーをつけて生きる、そういうものではないんです。あるいはキリスト教の、ずっとキリスト教の匂いだけ嗅ぐ、そういうものではないんです。
とりあえずは、クリスチャンになること、救われること、イエス様を信じるという言葉を新しく生まれる、それで神聖という二文字で使う、あるいは生まれ変わるという言葉を使いますね。
英語ではborn againと言います。新しく生まれるんです。天において生まれることです。だからクリスチャンになるということ、神様を信じるということは、単純に死んで地獄には行きたくないんだから、天国に行けるチケットを得たいんだから、それために宗教活動をするものではないんです。
信じること、クリスチャンになるということは、その言葉通りに新しく生まれる。
自分の霊が今ここで、神のものとして、精霊のものとして、自分の人格も存在も言動も人生の目的も変えられたことを知って、信じて、それにふさわしい生き方を自分が選んで歩むことだ。
だから皆さん、私の霊的身分はもはや闇のものではない。私の真剣な国籍はどこにありますか?天にあります。変えられました。
私たちの霊的身分、霊的アイデンティティが変えられたこと、そしてそれを信じるから、それにふさわしい生き方を自分で選んで歩むことなんです。
最初に話しました、あのランナーのエリック・リデル選挙は、その後、なんと検証して中国に選挙していったんです。
もう一度お話しします。
新しく生まれること、生まれ変わることは、クリスチャンになるということは、自分の身分が、存在が変えられたということです。
新約聖書の中にクリスチャンを、その身分を指す言葉として、最も多く使われている言葉が聖徒という言葉であります。
言葉通りに強い人の意味でありますね。
21:03
さあ、そこで一回聖書を見てみたいと思います。
第一コリント一章二節です。
前にありましたけれども、コリント人の手紙第一章二節。
この赤い文字の線に引いている聖徒を注目しながら、最初から一人で読みたいと思います。よろしいですか。
お一緒に。
人々の手紙です。
パオロ先生が、コリント教会のそこの神徒さんを指して、何と呼んでいますか。
聖徒。あなた方は聖徒ですよ。救われたあなたは聖徒ですよ。
それをちょっと解釈して、
イエス・キリストにあって聖なるものとされた方。
皆さんはどんな存在ですか。
イエス・キリストにあって聖なるものとされた方なんですよ。あなたは。
ほぼ聖徒という日本語は聖徒とありますが、
英語の聖書はそれをholy peopleあるいはsaintsと訳されている。
つまり聖者、聖人の意味なんです。
だから救われた皆さんは聖人なんですよ。聖者なんですよ。
それをね、日本語は聖徒、それが訳が悪いわけではありませんが、
もしこの聖徒がね、ここが聖者とか聖人と訳されたら、
自分は聖者とされた聖人なんだとね、
この極められた意味がもっと強烈に伝わってきたかもしれない。
いずれにしても、クリシャー、救われた人を、聖書はあなたは聖徒ですよ、
聖者ですよ、聖人ですよ、聖徒ですよと身分を変えて呼んでくださっている。
何と素晴らしい事なんでしょうか。
罪のゆえに死んでいた私たち、奴隷だった私たち、自分では自分の罪を解決できないものだった、
こんな人な私たちが、神の一方的な恵みのゆえに、
24:00
イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、十字架で死んでくださったイエス様の恵みのゆえに、
それを信じる者は、死んだ者から聖徒に、聖人に、聖者に、聖徒に変えられたんですよ。
何と驚くべき事なんでしょう。
皆さん、私たちは聖徒です。私たちは聖者です。私たちは聖徒なんです。
神様がそういうふうに、我々の霊的身分を定めてくださった。
あなたは聖徒ですよ。あなたは聖者ですよ。あなたは聖人ですよ。素晴らしい事なんでしょう。
だから、世の人々が自分自身の事を何と言っても、どう言われてもそれは関係ない。
神様の目は、私を聖者で、聖人で、聖徒で呼んでくださって認めてくださる。
それで、私たちのこの霊的身分がイエス様を信じる者には、どんな変化が既に起きたのでしょうか。
どんな身分の者になって神様が宣言してくださるのでしょうか。
今日のこの今からね、この緑のテキストを出してくださいました。
全部ですね、もっとたくさんありますけれども、32個聖書からお選びいたしました。
これを全部私が読んでもいいですけれども、今日は皆さんに参加していただきたいと思いますので、
一番ずつですね、クロス姉妹から三上さんの方に、こうしてこうしてこうしてね、一人ずつですね、読んでいきましょうね。
それで、これは神の御言葉ですから、信仰を持って、
神様、私は救われた、私をこんなものにしてくださった、宣言してくださったんだという信仰を持って、
1個ずつ、なるべく皆さんに聞こえる声でですね、普段の皆さん声はでかいですからね、大きい声で読んでくださって、
そしてできるならばですね、これは神の御言葉ですから、1個読んだ後は、アーメンとね、奨和していただけたらと思っております。
よろしいですか。1個ずつですね、よく。
聖書家族は皆さんぜひですね、今日お家に帰られて、聖書を開いてですね、その信仰を持って感謝するね、思いを持ってね、読んでほしいなと思います。
よろしいですか。ではクロス姉妹からお願いいたします。
アーメン
27:01
2番
私は世界の光である
アーメン
次さん
3番
アーメン
次は
アーメン
今度さん
アーメン
6番
もう一回、私は身を結ぶようにキリストに選ばれたものである。アーメン
アーメン
アーメン
アーメン
10番、10番
私は神の聖徳
アーメン
アーメン
12番
アーメン
13番
アーメン
14番
アーメン
15番
アーメン
アーメン
アーメン
私は聖徳である
アーメン
18番
アーメン
19番
アーメン
20番
私は神の聖徳
アーメン
21番
アーメン
22番
アーメン
23番
アーメン
24番
アーメン
25番
アーメン
26番
アーメン
アーメン
30:01
28番
アーメン
29番
アーメン
30番
アーメン
31番
アーメン
32番
アーメン
ありがとうございました
皆さんいかがでしょうか
神様は私にこのように素晴らしく既に宣言してくださって
こんなものに来てくださったんです
だから私は世の声を聞く者ではない
頭の声を聞く者ではない
神の声を聞いて
神の声に従って生きる者である
果たしての身分は
イエス・キリストによって変えられました
もしもここにおられる方の中で
クリスタになっていても
あるいはまだキューロスの中にいらっしゃって
新しくされたにもかかわらず
古いものは過ぎ去って新しくされたにもかかわらず
不安があったり
疑いがあったり
自分を責めたり
人を恨んだり
あるいは神様があなたは
聖者ですよ
聖徒ですよ
聖人ですよと宣言しておられるにもかかわらず
まだ立ち切っていない
罪と戦っている方々がおられるならば
神様のこの宣言の御言葉を
朝昼晩ぜひ読んで宣言して目指して下さって
自分が何者なのか
神の目で自分自身を正しく見て
そして信じて歩んでいこうではないでしょうか
私は神の子供です
特権が与えられています
この宣言の御言葉を信じて
そして私の霊的身分はこんな素晴らしいものに変えられたんだ
その恵みを変えさせて受け入れて
そして何よりその霊的身分に
聖徒に
例えば神の子供に
キリストの友に
その身分にふさわしい生き方を
歩んでいこうではないでしょうか
神に喜ばれる我々の生涯でありますようにお祈り
33:00

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