1. 大和の夜明け break down the walls
  2. #10 個人主義の限界と贈与と絆..
2026-01-27 39:13

#10 個人主義の限界と贈与と絆が信仰を動かす理由

#宮台真司 #贈与 #初代教会 #
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/69395bb68ddb67b396686d5d

サマリー

個人主義の限界について議論が展開され、贈与や絆が信仰に与える影響が語られています。聖書のエゼキエル書では、干からびた骨が生き返る様子が希望や再生の象徴とされ、信仰の重要性が強調されています。このエピソードでは、個人主義とお金の支配が日本社会に与える影響について考察されています。宮台真嗣氏が言及され、贈与や絆がコミュニティを復活させる可能性が示唆されています。また、個人主義の限界と贈与や絆が信仰を動かす理由についても考察されています。さらに、日本の共同体を回復するために信仰が重要であることに焦点が当てられています。

聖書に見る再生の象徴
ではですね、今日のラジオを始めたいんですけども、まず、えっと、コメントじゃない。
レターですね。レター紹介からちょっと していきたいとおもいますね。じゃあこれ。
えっと、 これですね、えっと
まあキミさんがね、くださったやつなんですけども、ちょっと読みますね。 こんにちは
息を四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。 エゼキエル書37-9
昨日のスタイフで眞鍋さん、オセロの四隅の話をされていましたが、私も昨日、この聖書が気になっていましたので、シェアさせてもらいます。
眞鍋さんファミリーの土曜日の話でほっこりしました。かけがえのない祝福ですね。ということで、ありがとうございます。
そして、このエゼキエル書37-9ですね。僕、これを読んだんですけども、
すごく油そぎを感じたんですね。なので、ちょっとこのラジオでも紹介したいんですけども、
37章1節からもすごく油そぎを感じたので、ちょっと読みたいと思います。
主の御手が私の上にあり、主の霊によって私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれた。
そこには骨が満ちていた。 主は私のその上をあちらこちらと行き巡らせた。
なんとその谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。 主は私に仰せられた。
人の子よ、これらの骨は生き返ることができようか。 私は答えた。神主よ、あなたがご存知です。
主は私に仰せられた。これらの骨に予言していえ、干からびた骨よ、主の言葉を聞け。
神である主はこれらの骨に仰せられる。 見よ、私がお前たちの中に息を吹き入れるので、お前たちは生き返る。
私がお前たちの筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚で覆い、お前たちの中に息を与える。 お前たちが生き返るとき、お前たちは私が主であることを知ろう。
私は命じられたように予言した。私が予言していると音がした。 なんと大きな轟き。すると骨と骨とが互いに繋がった。
私が見ていると、なんとその上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。 しかしその中には息はなかった。
ここからキミさんが紹介してくれるところですね。 その時主は仰せられた。息に予言せよ。人の声を予言して息に言え。神である主はこう仰せられる。
息を司法から吹いて来い。この殺された者たちに吹き付けて彼らを生き返らせよ。
じゃじゃん ということで
信仰と個人主義の対立
僕がオセロの四つ角を主が押さえているので、ブルーオーシャンでひっくり返したい放題ですねっていうイメージで語ったんですけど、本当にこの聖書歌詞とぴったしですね。
司法から息を吹いて来い。そしてこの殺された者たち。要は日本の今、無能力の無自覚、内的事故が
閉じ込められている。ある意味、絶望して語らなくなる人が多いって話しましたけども
要はもう骨を見ている。死んでいる。これはもう不可能だという絶望ですよね。でもまあ 神様に不可能はない。
骨に対して予言する時に司法から風が吹く。そして 生き返るわけですよね。そして創造的奇跡ですよね。筋がつき肉が生じるわけですよ。
なので 私たちも絶望しないで
生存戦略と言いましたけれども、この予言的なイメージと 君さんに対して
主がその日に語っていたその御言葉の一致ですよね。これは確認であり、 印にもなるかなと思っていて、まあすごい
この言葉にも僕もあぶらそぎという力を感じたので、ちょっと紹介しましたね。はい、では次の レター
ん?どっちだ?
はい
こっちから行こうか。 力強い御言葉ですよね。チェスさんもこんばんは。
えっと、これ 行こうか。
はい。 これで見えますか?はい。
この前の阪神なんですけど、いやーあれはすごく考えさせられました。 同じことを毎回ループしてる。
これは自分自身の人生に振り返った時に常に思い知らされると思いますか? あ、またこのパターンにハマってしまってるって何度も気づかされてきました。
そこから抜け出さないといけないってその度に思うけど、たもっちゃんが言ってた 少しの油断で気づいたらそこまで落ちてしまっていることに繋がっているなって。
どこに罠があるのか?そこにはまってないか?って冷静に考えないといけないなと思いました。 毎回阪神を聞くと何かしら自分自身の思い当たることがあるんですね。ということでありがとうございます。
これは男性からのレターなんですけども、 これすごくわかりますね。毎回ループする。同じ、まあ僕も進行生活で過去にわかったのにまた失敗している。
また繰り返している。また例えば許したのにまた怒っているとか 尊敬するし
信頼すると決めたのにまた疑っているとか いろんなパターンがあるんですけど
まあ これね前もこれ同じパターンだったようなこれ違うぞってわかるんだけどでももうハマって罪の流れに
入ってしまっているということで これは僕もすごく苦労したのでわかるんですね気持ちが。なので一番無能力の無自覚にまた落ちているという状態ですね。
過去に神様の恵みで教えてもらったことなのにまた同じミスをしている。でも本人はそのことに気づいて、感情的にそのもう現場では気づけてない状態になっている。
まあ怒っちゃったり何かを言っちゃったり何かをしてしまったりってこともあると思うんですけど これなぜかっていうと僕もすごく苦労したのでわかったことが多少あるんですけど
やはり 罪を犯すと罪の奴隷になるって聖書の言葉があると思うんですけども
神の奴隷というか神にとどまらなければ 罪がオープンドアとなるとやはりまた同じことを繰り返してしまうというか
犬が吐いたものに戻るとかまあそういう聖書の言葉もありますけどやはり 頭で一度わかっても
社会の変化と信仰の必要性
神様と共に歩む人生もしくは清い人生であったり 従順な人生、減り下る人生でとどまらない限り私たちは何かの罪に対してオープンドアするともう
昔と同じサイクルに引き戻される そして頭でいくらわかっていてもこれには抗えないなぜなら
霊や潜在意識や内的事故の法則のが強力だからっていうことだと思いますね なので
やはり我々は霊的存在として神の霊と交わらないと 頭でわかっていて学んで知恵を得たとしても勝てない
そして勝利できないっていうのはすごくあるかなと思うんですね 一つ参考にしてみてください
チェスさん罪の奴隷から神の子種の弟子なそうですね なのでやっぱりこの時代ってまあ男性は特にそうかもしれないんですけどやっぱりね
わかればできると勘違いしちゃうんですよね わかってるということとできているできる状態にあるってすごく差があるっていうのが
学歴であったりその立場であったり なんか理解が能力のような勘違いがやっぱり起きやすい時代だった背景もあるのかなーって
僕は思ってるんですけど これ教会ですごい多いと思うんですよね 学んでたらできるようになるという 学びは絶対大事なんだけど
学びはスタート地点っていう感じですかね これこれもまたいつか話したいんですけどはいでは次
じゃじゃんジュミさん今日はいっぱいレターありがとうございます 神様が見せてくれてるという言葉でハッとしました
検討違いかもしれないですが自分の今の生活にも当てはめてみると少しこれまでと 見方が変わり
種への感謝が溢れてました少し目の前が色鮮やかになり前向きになれる感覚がありました いつもありがとうございます次回も楽しみにしていますということで
いやこちらこそありがとうございます あのこの
この方がよくね目の前が色鮮やかになりっていうのをよくおっしゃってくれるんです けどこれねすごく
すごい大事な観点だと思っていてその 世界を変えようとする今の政治ね今ちょうど暑いですけど今怒ってたり
まあ主張してる人いますよねまあそれ素晴らしいと思います立ち上がり 声を上げているのででもそれと同時に
8日本が変わらないと幸せになれない日本が変わらないと自分の怒りが収まらない っていうところまで行くとやはり違うなと思うんですよね
で自分の思想し思考や思想が世界を 世界自分が世界を見る思考思想って言ったかななんかそれが世界を変えるみたいなねそう
いう表現があると思いますけど本当そうだなぁと思いますね 神様と一緒に世界を見るのであれば
神様の味方がで見れるのであれば目の前が色鮮やかになる 少しってやりますけどこれはやはりグラデーションがあってより鮮やかになっていくって
いうものだと思いますね なので主の声や主の刑事と言われる神様から来る
ちょっとしたあの気づき悔い改めが我々の世界の見方をより鮮やかにしていく なので今の世界でも我々はもっと
なんていい生き方ができるってことですよねシンプルに言うとねそうじゃないかなぁ と思いますね
はいそして最後に 最初に送ってくれたのでチェスさんのねレッター
1番はちょっと
そうですねその通りって感じですよね2番ねこれちょっとね 面白いなと思ったんですけど私個人は三島幸男氏が切腹すまでする必要はなかったと思います
が真剣にものを考える人間があのような追い詰められていく時代だったような思います 文も同感ですねでやはり三島幸男さんの晩年は義勲に行ってたのかなという思うん
ですけどもやはり義勲に行くと 悲しいんですけどそのただ真理を捉えていたとしてもやはり
神の霊と共に生きないのであれば義勲に行き自らを滅ぼすっていうことになると思います まあまあ三島幸男氏が
最後どうなったか僕には分かりませんけど彼の霊の状態まではわからないけれども やはりそこはすごく気をつけなきゃいけないんじゃないかなぁと個人的な思います
あと3番ねこれもすごく面白いんですけど 世界の人は共産主義こそ悪だと思っていますが私は民主主義イコール多数決主義
にも正義があると思っていません現代では共産主義より民主主義主要主義の方は 自分たちが自由に生きることができると思っています確かに共産主義よりも民主主義の方がずっと
外的には自由に生きることができるも確かですが 共産主義民主主義も結局は人間中心主義であって形を変えているだけでどちらも神はいない
人間の地球の力だけで生きると私たちを脅しに来ていますということで これもアーメンアーメンと言ってもわかんないからこれも僕も本当そう思っていて
えっと えっとねある何かでねその
愚民化政策ってありますよねGHQがやった で一人が一票にしてメディアを牛耳られて教科書を取られてそしてインフルエンサー
表に出る人は言論統制 まあ要は思想が統制されてたわけですよね僕みたいな人はテレビに出れないわけですよね
イエスキーストとか言っちゃうからねっていうことは えっと普通に日本に来ている人たちの思考をある意味まあコントロール
まあ洗脳できたわけですよねであれば民主主義では暗闇が勝つっていうのは当然の 結果になってたなぁと思うんですよね
だから僕も民主主義の多数決主義は別に正しいとは思わないですね でやっぱりこの
イデオロギーでね文章今やっているのが暗闇のやり方だし でも今の最前線の戦いは多分あの右翼左翼でもなくグローバリズムですよね
でグローバリズムっていう言葉この5年10年で悪だっていうのはすごく広がったけど今度 はグローバリズムと戦うのが正義っていう視点でやってますけどまたそれも誘導だと
僕は思っていてあの結局繰り返しているんじゃないかなと なのでやはり感情的にえっと
煽られてそして何々主義が良くないって言ってもその何々主義においては人は救われない っていう積極するも外敵事項の領域ですよね
ないって僕もすごく思いますねはいそことは少し違う戦い方が必要だと思いますね 4番これもありがたい意見で皆さんからご覧になったら平成は外敵事項に
こそ価値があると感じられる時代だと思いますが昭和の中期からすでにそれを始まっていました ということでやはりその時代を生きてこられた方々のその生の意見っていうのは
すごいね参考になるんですねありがとうございます 個人的には義勲がいつかしら資本になるのが怖いわーわかりますわかりますわかります
なんで sns 気をつけなきゃいけないですよねなんか怒っちゃいますもんねなんか 怒っているのが多いですからねはい
ということで a 今日はですね 可愛いですねうん今日はですね
うん ちょっと紹介しゃべりすぎましたけど頑張りますえっと
新しいテーマですね新しいテーマで本当 話したいんですけど
まずですねあの 今の教会で僕がすごく思うのは
えっとそこに来られる人たちは本当に
神と共に生きていたり栄光と言われる超自然的な人生 領域を経験しているのは多分事実でしょうね
そこは正しいと思いますね 彼らが教える神の国の法則やいろいろな聖書の
解き明かしも正しいと思います ただ
日本人がそのそれと同じようなことができているという領域そのいうふうに生き ていますという日本人のこれから生み出していく上でそうしようと頑張って
るけどもそうならないしなってないし頑張らないと継続できないっていう 経験が
多分僕だけじゃなくて多くの方があると思うんですね その何かギャップがあるんですよね何か溝があるんで
頑張ればできなくはないんだけど やっぱ頑張るっていうのはある意味宗教なので引き戻される
個人主義と内面的な探求
だって双心であったり何かしらのなんて言うんですかねー 不自然なモチベーションを使わなきゃいけないから
僕の探求の一つにやっぱりより自然より内側から無理をしないというのは最近すごく気をつけていることなんですけど
神様とともに自然とそう生きれるっていう方向になるべく持っていきたいんですよね 自分の信仰生活を
っていうのでえっと 言ってることはわかるし頑張ればできそうな気もするけども
なんか頑張らないとできないみたいな感覚ですかでそして燃え尽きて諦めていく人とか 教えが違うんだとか
いろんな理由をつけてもう経済的理由 夫婦間の理由家庭の事情いろんな理由でその信仰のチャレンジを止めていく人たちというものは
見てきましたねはい その中で
まあ僕はいろいろ考えてきたんですけども最近 神様が僕が発明したとか閃いたんじゃなくて神様導いてくださいっていう
まあそれが僕の人生なので神様が僕を導いていったときに 以前より自然になってきたなっていう感覚があるんですね
でなんで以前より自然になってきたかって言ったらまあこの数年間の変化なんですけど この前ですね youtube で僕がよく見る人たちの中で社会学者の宮台真嗣さんって
いうね以前もちょっとちらっと紹介しましたけど彼自称クリシャーなんですね 以前はあの
日本最強の論客とか言って朝まで討論みたいな番組でまあすごくまあ 頭が切れる頭がいいそして議論が得うまいということで無敵だったみたいで
でまぁあの深く考える人たちは彼の方を読んだらしいですね僕は全然知らなかっ てそういうの興味なかったので当時はでもまあそういう方が
今またいろいろ youtube でいろんなことを経験された上で まあまあ
賢く話してるんですね社会学も絡めて で彼が言うことが
えっとね神様が僕にしていることと一致してたんですよ ね
あーそのコミュニティの話もそうだし観戦主義もそうだし そして今日紹介するのはこれなんですけど
えっとね近代っていうのは個人主義とお金の支配で日本社会は崩壊しているよっていう 話なんですね
で宮台さんが言うには増揚まあギフトですね 増揚どうすることで絆が回復するんだよと
でなんで近代社会のお金を支配は絆がなくなりコミュニティが破壊されたかと いうと
お金を払うお金をもらうそれがなければ例えば 引っ越しをするとなった時に昔なら手伝ってくれる人がいてできたわけですよ
でも今はえっと手伝ったらお金払わなきゃ申し訳ないと思ったり お金もらわないと手伝いたくないと思ったりそういうお金の支配が及んでいることによって
まあ個人それも個人主義とお金の支配の結果要は絆やコミュニティがなくなっているよと ただし増揚これは無料であげるもんだし
そしたら まあ恩がどんどん溜まっていくみたいなねあいつに案内してもらって申し訳ないなぁみたいな
で絆が深くなるっていうような話をしてたんですね でそれをそれだから個人主義とお金の支配がコミュニティや絆をなくしていって
贈与の重要性
日本社会のまあ空洞化したんだよみたいな話してて だからこれからは増揚と絆でコミュニティを回復しなきゃいけないみたいな話をしてた時に
えっとね僕がやりたかったわけじゃないんだけど神様が僕とまさしとよっちゃんの中に この増揚という概念をめちゃくちゃ入れ込んできたんですねこの3年間
なので えっとね最初は抵抗しましたなぜかというと個人主義のが楽だからなんですね
その迷惑かけたくないですよねで まああの相手を助けるならまだできるんですけど自分の自分が迷惑かけたくないし
相手のお世話になりたくないんですよそれはプライドというか 個人主義で僕は身につけてしまった良くない態度だったと思うんですけど神様はそれを
壊しに来たんですねいろんなことを通して で僕たち3人全員が個人主義とお金の支配を超えて
増揚を学ばなきゃいけなかったんですね でこの増揚を学べば学ぶほど僕たら僕らの間に絆が回復していったんですね
でそれを経験した上で宮台さんの言ってることを見たときに あこの人が言ってることは神様は僕たちにやってくれていることと一致してるなぁこの人
賢いなっていうふうに僕は思ったんですね でまぁいろいろ youtube 動画を見ているといろんなところで神様が僕らにやっていることを彼は
これからこれが必要っていうふうな表現をしていたので 社会学や文学わからないですけどそういう世界から
まあ本当に賢い人がそこにも行き着いているんだなっていうのはまあ僕の中ですごい 確認にもなりましたしもしかしたら神様が直接語っているのかもしれないですけど
まあ面白いなぁと思ったんですね でこの
なぜこれを言ったかというと
あとね宮台さんはその像様はある意味なんて言うんですかね仕組みとしてそれをすれば 人は絆が回復するっていうある意味ちょっとテクニックっぽく言ってるんですけど
でもこれね多分必要なことだしいいことなんだけどでも人は見返りなしで像様をし続ける ことができるのかというとこれは
できないっていうのは僕の本質で答えで で何でかっていうと
これは内的事故から溢れ出るもんだと僕は思っていて なのでキリスト教の確信はもうこの像様と絆を回復しようじゃなくてこれ
理屈じゃないわけですよね 私たちはもうすでに命も姻を獲得したんじゃなくてただで受けたのだからただで
与える すでに私たちはもう存在自体が与えられているんだということに気づく
それがある意味無能力の無自覚に気づく 自分の罪に気づくそして悔い改めるの
最も深いところになると思うんですけどその結果私たちは像様をするのが当然で 当たり前で溢れ出るものとしてやり続けるようになると思うんですね
僕の師匠もよく聖霊様に満たされている人の見分け方は与えることにしか興味がない 人は聖霊様に満たされているんだよっていう話があるんですけど
なるほどなぁと思ったんですね 欲しい欲しい神様僕を私を祝福してではなくて聖霊様でも満たされている人は誰を
助けたらいいか誰に与えようか誰誰を祝福しようかそちらに関心がより溢れ出てくる っていうのがまあ一つの印だと思うんですけど
なので宮台さん的にいう像様というのは聖霊に満たされた人の 結果としてのまあ現象になるのかなと思っていて
なので神との回復関係が回復しその源が私の中にあるので やろうとしてではなく頑張るんでもなく溢れ出るものとして像様し続けた結果
絆ができ そして神を中心としたコミュニティが回復していくっていうもんじゃないのかなと思っていて
るんですね 今日いい時間になりましたね 導入で終わりそうですけどいいですかもう少し話して
よいしょとか言って話すんですけどね ここからが一番面白い話で
えっとですね なんでねこれを僕が言ったかというと
正直な話として神様のためだけに走れ2 走り続けれる人って僕はね少ないもしくはいないに近いんじゃないかなと思っていて
どう思います皆さん 神様のため主の栄光のため全て捧げましょうみたいなね話ありますよねで
共同体としての信仰
アーメンですよ手挙げますよねせね全て捧げようと思いますよ 思いますしアーメンだしその場では完全に100%同意してるんですけど
正直な話として
24時間365日本当にそれだけで走り続けるかというとそれを維持できないから皆さん自分自身も含めて
アーム自分てダメだと思っちゃうんじゃないですかね 僕は何度も思いましたよもう
だって家に帰った瞬間そう思えない自分がいますから だから何度もそこに戻るけども何度もそうなれない自分に失望するそれを繰り返す
というのは正直なところでしたね なんで自然とそうなれないのかなっていうのがあるんですねでこれね
あの よくよく考えていくと
個人主義が原因じゃないかなって僕は思っていて だから悪魔って賢いですよねキリスト教を個人主義的な宗教として日本に輸入してるん
ですねでも日本人というかまあ多分人間とそうだと思うんですけど 神様のためにっていうのはさあ当然その一番の中心なんですけどでもそれにプラスして
仲間の顔守りたい相手自分が贈与したい送った相手 これがないとやっぱ
祈れないじゃないですかねで走る理由としても仲間の顔を守りたい関係 自分が送った相手
これがないと どうですか祈り祈る必要ありますかね自分のため自分のためで個人主義で祈る
僕はね祈りが聞かれない理由っていうのは個人主義 自己中心的祈りは一つの大きな理由ですよね
だから神だけのためだと倒れる でも神と共に歩く人のためなら立ち上がれるという感覚ですよね
どうですか僕ね なんで自分が立ち上がらなかったのかなんで自分が走り続けなかったのか過去を
振り返ると 多分
自分ぐらいもいいやって諦めなんですね だから自分が立ち上がろうが自分が走ろうが神様のためにはやりたいけど
でもそれをしなくても自分一人が なんていうのかな
苦しむとか後悔するとか 損をするぐらいであれば自分ぐらいならいいやって思えちゃうんですよね
でもそこに仲間の顔が出る自分がここで諦めると仲間がどうなるか 守りたい関係がどうなるか自分が
ギフト送ってきた増援してきた相手がどうなるか それがあると自分はここでは立ち止まれないっていうのもその神様のために生きる人に
おいてプラスアルファすごく僕は大事だと思っていて 個人主義で自分さえ良ければいいっていう延長線上でキリスト教の信仰っていうのは
捉えれないんじゃないのかなって思ってるんですね チェスさん日本はそもそも家族主義そうなんですよね
なのでやはり天皇論とか国体そしてこの国はなぜ っていうところがやはり回復され必要があってそしてそこが
実は相当大きなモチベーションや命につながるんですよね日本人て前の話で言うと アメリカの日じゃないんですよ本当は
なので逆に今我々がアメリカや海外書く先生たちとのギャップを感じているのは 当然であり分断されているから個人主義の信仰になってしまっているから
私と神様だけであれば力はそんなに出ない ありこさんここ最近毎日それを考えていました家族や友達の存在をどう位置づけられ
るんだろうと考えていますいいですね面白いですね チェスさん家族のため人のためなら頑張るんですよね
君 h さん娘のためなら諦められないですよそうですよね 結局そうですよね多分皆さんも今ここまで来たのは
自分のためだけなら多分諦められたと思うんですよ でも諦めきれないのは愛するべき人たちそして
僕はね家族だけでもまだ弱かったんです僕に関してはね 僕に関して言うとそのよっちゃまさしの家族彼らの人生彼らの信仰もある意味背負うという
か それをそれが結び合わさった時に絆というか
自分の役割はこれは立ち止まれない っていう風に変わってきたんですねでそれが自然と首都の関係
神の国に対するモチベーションを上げていったってもあるんですよね a チェスさん人が一人でいるのはよくないその通りですよね
で初代教会なんですけどまあ皆さんご存知の通り 初代教会っていうのはすべてのものを共有していましたか
すべてのものを共有し誰一人自分のものと主張しなかった だので明らかに共に生き共に食べ共に動いていたそして共同体としての信仰だったんですよね
私ではなかったパウロだとかペテロだじゃなくて共同体としての信仰があったわけです ということは今どうですか皆さん私として教会に行き私と神様の関係で種を巻き
私と神様の信仰で内面を見つめ自分の信仰を捉え直している それもいいんですけどそれだけだと当然信仰は立ち上がらない
なぜなら我々の信仰は個人で完結するものではないからです なんかしっくりこない
なんか頑張れない なんか続かないなんか走り続けれないその原因は私たちが繋がるべきものと繋がれてないから
っていう可能性ありますよね これがですね
日本のキリスト教のずれとして僕は感じてるんですけど皆さんどうですかね 日本人っていうのはそもそも関係の中で意味を感じる民族ですよね
で西洋型個人主義キリスト教はまあ理解はできます でも体が動かないんですよね結局
だってね僕ね何回もねあのうわぁーってなっても家帰って何すんのってなんですよ 家帰って何すんのってなんですよその燃えたエネルギーを
体に転化して動くものがないんですよ ねえな神様は別に僕ね異品整理がしたいとかねゴミを片付けたいとかね
そんなことはしたくはないですよ普通はでも 神様がやってきたのは
この国のため神様のためにそれをやろうとし 立ち上がった一親友ですよ一番人生を伴うできた友達がそれをやってるわけです
同じ牧師の息子でね 助けが明らかに必要なのに一人で始めちゃってるわけですよ
じゃあそうした増援するしかないですよねこれはやら助けるしかないと そうした時に仕事人生生き方そして目の前の問題が組み合わさった時に体が動く
ようになるんですよ チェスさんそれそれだと思います君さん
信仰と共同体の重要性
辛そうな友達はいつもここがありますなるほど それが実践的現実的な信仰になってくると思うんですよ
なので私たちは繋がらなきゃいけないですよね神様が導く助けるべく人たちと助け なくをと繋がらなきゃいけないしそして
自分を命を懸けてでも助けようとするような友ともつながらなきゃいけないそして 助けてもらわなきゃいけないと思うんですよ僕はそれも学んだんですよ
助けてもらうということも学びましたこの数年間ね なので日本に必要なのはもちろん個人を救う救済というそういう信仰もね
いいんですけどいいんですけどなんかね響かないですよね どうしても
プラス共同体に使える信仰共同体 日本国家ですよね日本国という
国に使える 国に贖えを持ってくる
日本国というコミュニティを回復する それが本来のキリスト教のやることじゃないかなーって僕は思ってるんですよ
だから いくら
最先端で最も深く多分 日本で一番栄光は強いと思います僕もすべては知らないですけどいろんな教会僕
先生を見てきましたけど あの場所はそういう場所だと思いますね
わかんないですけどでもでもそれそれでも日本人が それを丸々コピーし同じことができる同じことが起きるわけではないわけですよね
我々日本人に同じレーベルというか同じような栄光が注がれるために我々はどういう 信仰を
持たなきゃいけないのかどういう信仰で神の前に求め祈らなきゃいけないのか そこのヒントが
個人主義を脱却するそして 像よ絆コミュニティ
共同体で使える信仰そういうところを回復していくのであれば我々の 信仰というのは燃え続けるそして
信仰の歩みというのは立ちそして動き続けるっていうふうになるんじゃないかなと思います それも神様の力でですよね重たくないので神様の思うには
神と家族のパラドックス
頑張るから やりたいこと
できることに少しずつなっていくんじゃないのかなと思う はい
どうですかねぇ そんなことを最近考えてますね
そうその視点で行くとやっぱりあれが出てくるわけですよね あの神様がですね日本の神様が出てくるわけですよ結局はねそこに行きつくと
思いますねこの国は何なのっていうところですよ 何において我々のコミュニティは
まとまるのかそしてそのまとまるべきものを イエスキリストの奥義においてどうあがなっていくのかどう杭改めていくのかもしくは
どう ベールを剥がしていくのかそういう領域に来るんじゃないですかね
と思っておりますねはい ということででしょ
今日は 面白い内容でしたね
ありこさん 神のみを見るとき家族を捨てているような離れてしまう関係無数
東京のテキストではないかもしれませんが うーんどういうことだ
なるほど
神様はねあの私よりも家族を選ぶものは私にふさわしくないとはもう言いましたよね なので
2つの側面があると思いますねちょっとこの真意がちょっとまだ聞いてみたいです けれども
神道はそもそも宗教ではないそうですね そこも面白い点ですよね
えっと 家族をあがなう上で神を一番にすると結果家族に救いが来るっていう
パラドックスというか逆説がすごいあるような気がしますね 家族を幸せにしたいからその手段として神様だとうまくいかない
優先順位はやはり神様が一番 神様が一番そして
その結果自分の中に精霊の満たしその結果憎悪が自然と溢れでその結果周りに 絆が発生しその結果コミュニティになると思うんですけど
順番を間違えてコミュニティつまり家族のための神様になると おかしくなってくるなぁと思いますね
ちょっとそれで伝わったかわかんないですけど そんな感じはしますね
はいということでこのテーマもね 今の日本の人気アニメチーム主義仲間主義らしいなるほど
アニメでも教えられているかもしれないですね 今日皆さんコメントたくさんありがとうございます
はい ということでこのテーマもねまた皆さんと一緒に
主から教えてもらいながらね 深めていきたいなぁと思っておりますはいそれでは今日もありがとうございましたおやすみなさーい
失礼します
39:13

コメント

スクロール