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2021-08-22 32:20

2021/08/22:創世記(26)主のことばは必ず成就する

2021/08/22 聖日礼拝

尹善鎬牧師

創世記 21:1-7


00:00
皆さんおはようございます。今日もいろいろ、世の中にいっぱいありますけれども、主に守られて、また皆さんが信仰をもって、神様を愛して、共に集まって、出会いできますことを、また感謝いたします。
また、お久しぶりの方々もいらっしゃいますが、主が教会に向けさせてくださって、導いてくださったことを、本当に感謝いたします。
1週間も、私は皆さんの配慮により、夏の休暇を待たせていただきました。そのうちに、教会も守られたこと、また斎藤先生に奉仕をしていただけましたこと、本当に感謝いたします。
今日は創世記26回目になります。半年くらいここまで、一緒に創世記から恵みをいただいていること、本当に感謝いたします。
今日は、主のことばは必ず成就する、という題であります。
一つ我が家の話ですけれども、今年の5月から6月頃、私は家族に、こう言いました。
夏になったら、休みのときに、韓国に行こうと話をしたんですね。
でも残念ですけれども、コロナの感染は収まるところがない。
また私の病気も、そこそこよくはなっていますけれども、いろいろ事情があってですね、いけません。
言ったとおりになりませんでした。
守りたいんだけど、守れない場合はありますね。
人の言葉というものは、こんなものだと思うんですよ。
言ったとおりになる場合もありますが、そうならない場合もありますね、皆さん。
守れる場合も、場合も、守れない場合もあります。
ところが皆さん、人の言葉と比べて、主なる神様の言葉、約束はどうでしょうか。
その成就はどうでしょうか。
今日は、読んでいただきました聖書の中でですね、特に一節に注目したいと思いますけれども、
一節だけですね、もう一度一緒に読みましょうか、一節。
ご一緒に、主は約束したとおりに、サラを帰り見られた。主は告げたとおりに、サラのために行われた。
ここにですね、主は約束したとおりに、サラを帰り見られた。主は告げたとおりに、サラのために行われたとあります。
03:00
ここにですね、約束する、告げるという言葉がありますが、もともとの言語の意味は、約束するという意味は、言う、話すという意味ですね。
それから告げるは、同じ言う、話す、語るという意味ですけれども、この告げた、告げるの言葉のことですが、
ヘブライ語はちょっと不思議な、深い意味がですね、複合的な意味があってですね、
この告げた、告げるはダバルといってですね、その中には語るんですけれども、成就することが前提にしている語りなんです。
この意味を考えながら、今日のストーリーを見ていきたいと思います。
いったい今、アブラームとサラに何が起きたんでしょうか。
主は、アブラームとサラに約束した通りに、子供をお授けになりました。
それは、アブラームが100歳、サラが90歳でした。
おじいちゃん、おばあちゃんに、子供ができて生まれたわけです。
しかし、これが主なる神様の、その言葉の約束でした。
そして、その神様の約束した通りに、お言葉通りに成就した、行われたということに注目したいと思います。
ですから皆さん、ここからですね、私たちの信仰に関するとても大事な内容を知ることができます。
それは、今日の説教題、その通りです。
主なる神様の言葉は、必ず成就するということです。
主が言われた通りに成就するということです。
聖書すべてが、それを明かししています。
主が言われた通りに、天地が作られました。
主が言われた通りに、ノアの時代に、洪水による侵犯がありました。
主が言われた通りに、婦人の女性サラが子供を産みました。
主が言われた通りに、イエス様が別霊夢でお生まれになりました。
ここでですね、神様は神の言葉をどういうふうに譲渡してくださるのか、いくつかの聖書をこれから見ていきたいと思いますが、
まずイザヤ書55章11節の御言葉を見ていきたいと思います。
前の字幕に出ています。私が読み足します。
そのように、私の口から出る私の言葉も、私のところにむなしく返ってくることはない。
06:05
それは、私が望むことを成し遂げ、私が言い送ったことを成功させるとあります。
神の言葉は、むなしく返ってくることがありません。
これを信じる神父が私たちの神父です。
人の言葉は、むなしく返ってくることがありますね。
夏になったら、韓国に行けませんでした。むなしく、みんな悲しく、娘たちは悲しくしていましたけれども。
人の言葉というものは、そういうものなんです。
しかし、神の言葉は、永遠から永遠まで、私があなた方を見捨てない、離れない、祝福する。
アブラームに、あなたの子孫が空の星のようになるよ、海辺の砂のようになるよとおっしゃったならば、その通りになるということなんです。
ここで、私たちは信仰に関して、より根本的な部分に入っていきたいと思います。
その問いはこれです。
私たちは何を信じるか?
もちろん、私たちは神様を信じます。唯一の神を信じます。
よみがえりのイエス・キリストを信じます。
さて、神様を信じるということは、
神様のすべてを信じるという意味です。
例えば、神様を信じるんだけど、神の言葉は信じない。それは矛盾です。
神様を信じるということは、神の言葉を信じる。
神のなさることも信じる。
聖書の御言葉も信じるということです。
神の言葉、神の説理、神の救い、神様がなさるすべてのことも、当然信じるという意味です。
信じないものはないという意味です。
特に、神の言葉を信じるということを深めて、一緒に考えていきたいです。
神を信じるということは、神の言葉も信じる。
神に信頼するということは、神の言葉にも信頼をするということです。
同じです。
例えば、皆さんが誰かをとても信頼している人がいるとしましょう。
09:01
ところが、皆さんが今年の夏、これは例えですよ。
お腹の調子がちょうどよくなくて、それで普段よくアドバイスをしてくれる、
良い情報を持っている、その信頼する人に、こう言いました。
今年の夏、お腹の調子が悪くて、出入りするんだよと言ったら、
その向こうの人が、私が信頼している人ですよ、その人が、
そうなのかわいそうだね、キャベジンがいいよ、それ結構効くんだからね、
私もお腹の調子が悪い時にキャベジン、あの薬を飲んでよく治るんだよと言ったら、
私が信頼している人が、薬の宣伝ではありません、皆さん。
キャベジンがいいんですよと言ったから、それをドラクストに行って買って飲むわけなんです。
信頼する人、その言葉も信頼するということです。
神様に対しては、まさに同じなんです。
私たちが神様を信じるという信仰は、実は、神の言葉を信じる信仰なんです。
そして、神の言葉は、その通りに成就する、主は成功させる、
それを信じる信仰が、私たちの信仰なんです。
神様は、どのようにご自分の言葉を成就してくださるのでしょうか。
3つくらい、聖書・歌書を見ていきたいと思います。
字幕に出ますね。まず、イザヤ書14章24節です。
私が読み出します。
イザヤ書14章24節。
万軍の主は誓って言われた。
必ず私の考えた通りにことはなり、私の計った通りに成就する。
必ず私の考えた通りにことはなり、私の計った通りに成就する。
それから、イザヤ書38章7節です。
次のことが、あなたへの主からの印である。
主は約束したこのことを成就する。
主は約束したこのことを成就する。
もう一か所、エジェキエル書12章28節です。
それゆえ彼らに言え。
神である主はこう言われる。
私のすべての言葉、私が語ることは、
もはや引き延ばされることはなく、必ず成就する。
神である主の言葉とあります。
必ず成就するとあります。
12:00
他にもたくさんありますけれども、
要するに主なる神様は考えた通り、計った通り、言われた通りに必ず成就するということです。
私たちはそれを信じます。
ここからもう一つ、私たちに必要な信仰が示されていると思います。
それは、私たちが神の言葉をいただくとき、神の言葉ですから、
神の言葉その通り、そのまま受け入れて信じるという信仰がここに示されています。
今も私たちは神の言葉をいただいています。
神の言葉を読むときも同じです。聞くときも同じです。
神様はご自分の言葉を我々人に聞かせるために、
孟瀬の時代から預言者を通してお語りになりました。
孟瀬とかその後の時代はヨシュワ、サムエル、イザヤ、エレミアなど、
多くの預言者を通してお語りになりました。
新約時代に入ってはどうでしょうか。
使徒たちを通してお語りになりました。ペテロとかユハネ、パオロがそれです。
その後の時代は執事たち、監督たち、
今日であるならば牧師たちを通して神の言葉が告げられてきましたし、今も告げられています。
ですから今日も私たちは信仰によって神の言葉をその通りにいただくために、
ここに今集まっているわけです。
そして主の言葉は必ず成就するという信仰を持って私たちはここに集まっています。
さっきのイザヤ書14章24節は今日の創世記21章1節とぴったりする言葉だと思いますが、
もう一度14の24節出してくださいね。
万分の主は誓って言われた。
その次から必ずから一緒に読みましょうか。
必ず私の考えたとおりにことはなり、私の計ったとおりに成就する。
信じますか皆さん。これを信じる信仰が私たちの信仰なんです。
アブラウムをさらに考えていきましょう。
100歳のアブラウムと90歳のサラが息子イサクを産みました。
それは神の言葉の成就なんですね。その証です。
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神様は必ず考えたとおりに、計ったとおりにことを成功させてくださいました。
神の約束は何回もあったと、この創世記の後回説教で何度もお話ししました。
一番わかりやすいところ、創世記15章の4節に神様は既に前に以前、
アブラウムとサラにこのようにお言葉をくださいました。
約束してくださったんですね。15章4節。
主の言葉が彼に望んだ。ここにね、言葉が望んだとありますね。
そのものがあなたの後をついではならない。ただ、あなた自身から生まれ出てくるものが、
あなたの後をつかなければならない、という言葉が既に何年前ありました。
どうなりましたか。その言葉通りになりましたね。
主は成功させてくださいました。成就してくださいました。
神の言葉は落ちて消えるものはありません。必ず成就するんです。
ですから皆さん、ここに私たちの誠の希望がありますよ。
自分自身を見て、周りを見て、世の中を見て、どうでしょうか。
人は変わりますね。時代も変わります。
自分や周りの状況も変わります。時には急に突然変わります。
健康状態も変わります。世の中も本当に何が起きているのかわからぬほど、
世界の国々で、1年前はミアンマとか、今はアフガニスタンとか、本当に急変しています。
世の中に神様以外に変わらないものはありません。全ては変わります。
しかし神様とこの方の言葉は決して変わることはありません。
かの有名な御言葉があります。イジャヤ書40章8節。一緒に読みたいと思います。
せーの、草はしおれ、花は散る。しかし私たちの神の言葉は永遠に立つ。
草はしおれます。花は散ります。人は衰えて年老いていきます。
しかし私たちの神の言葉は永遠に立つ。変わることがないということなんです。
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だからそこに希望があるんです。私たちが最後までしっかり握りしめるべきものは何でしょうか。
他ではないんですね。神の言葉なんですよ。
自分の健康でもないですし、自分のお金でもありませんし、国の力でもありませんし、
神の言葉、神様、それが唯一の私たちが頼るべきお方なんです。
2年前、この世にこのようなコロナウイルスの感染が拡大していくことは誰も考えられなかったことでしょう。
あるいは始まったときに、風邪みたいに今しく治るだろうと思っていたんじゃないですか。私もそう思ったんですけどね。
でも1年がたって、もう2年目に入って夏になって、この夏はもっとそういう言葉は使いたくないんですけれども、
爆発しているように、もう他の国々も増えている中であります。
困惑したことや紛らわしことが多くありました。
時には何が正しいか正しくないか分かりにくいことも多くありました。
何に頼ったらいいのか分かりづらいことも多くありました。
私たちの指針は一体何でしょうか。人生の道しるべは何でしょうか。どこにあるのでしょうか。
唯一の神様とこの方の言葉ではないでしょうか。
そしてもう一つ示されることがあります。
神の言葉の成就には神の時があるということですね。神の時。
その時というのは神の時ですから、私たちの考えた通りの時とか、私たちが好む時と必ず一致することは限りません。
私の時ではなく神の時ですから。
だからこの神の時をカイロスという言葉をよく使います。カイロス。
単純な時間や時間の流れではなく、神の時、神がくださるチャンス、そして神の言葉が成就するその時、それをカイロスと言います。
そういう意味から言えばですね、アブラウムが100歳、サラが90歳、この時に息子イサクが生まれたこと、それはまさに神の時ですね。カイロスなんです。
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もちろんアブラウムやサラはもっと早く生みたかったはずだと思うんです。
しかし神の時は100歳と90歳に至らないと成就しませんでした。
よく考えると皆さん、神の時というものは、時には場合によっては私たちの考えを超えるんですね。
そして常識的でない場合もよくあるんです。
あるいは人間的じゃない場合もしばしばあります。
皆さん考えてみてくださいよ。
女性のことで話をしますと、90歳のおばあちゃんが見こもったわけなんですよ。
ここに90歳の方はおられないでしょう。90歳ですよ。
90歳のおばあちゃんが妊娠して、そしてどんどんどんどんお腹が大きくなるわけですよ。
90歳のおばあちゃん、つわりもするわけなんですよ。
子供を産みました。自分の父を飲ませるし、おんぼをするし、おもちを買えるし、10年とか15年間世話をするわけなんですよ。
大変ですよ。そう思いません?皆さん。
皆さん、時々お孫さんの面倒を見るのも大変でしょう。
なのに90歳のおばあちゃんが子供を産んで、それを育てることは考えられないこと。
常識的じゃないんですよ。人間的じゃないんですよ。
それだけ言うなら神様はあまり人間味がないですね。
元と更が、例えば50歳とか、50も若くないんですけど、違うんですね。
しかし神様がそうなさったわけなんです。何ででしょうか。
その時が神の時カイロスだからです。
そしてこれが正しいんです。そしてこれが善です。
実はこれを信じることが神様を信じるということなんです。
これを受け入れることが神様を受け入れることです。
私たちが認めて知ってほしいことがあります。
それは私たちは神の考えとか、神の言葉、神がなさること、
そのすべてを知り尽くすことはできないことなんです。
神様が教えてくださる分だけ、啓示してくださる分だけ、
開いてくださる分だけ、少しだけわかるだけなんです。
全部知り尽くすことはできません。その時も同じなんですね。
わからないことが多くあります。けれども私たちは信じます。
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主は正しいお方であること、主は善であられること、私たちは信じます。
主は善知のお方であることを信じます。
だからただこの方を信頼し、信じて受け入れるのです。
だから皆さん、信仰は納得したり理解したりするものではなく、
ただ信じて受け入れるものです。
特に神の言葉をいただくときに、まさにこの信仰が求められます。
皆さん、また例えて話をしてみましょう。
夫婦のことを考えてみてください、皆さん。
何十年も一緒に暮らしている夫婦でさえ、お互いに何を考えているか、
何が欲しいか、何が食べたいのか、
互いの夫は妻、妻は夫の考え、価値観、考えていることを全部知っていますか、皆さん。
吉野さんどうですか。
分かりませんね。
私、今年で結婚して25年目ですけれども、未だに分からないことが多くあります。
納得していない部分、知っていない部分、知りきっていない部分がまだまだたくさんあるんです。
全部納得して、全部知り尽くしている夫婦は、たぶんこの世の中にはいないと思います。
何十年も一緒に暮らしている夫婦でさえ、互いに分からないことがあるならば、
人間同士でもそんなことがあるのに、創造主の神様の考えや、その言葉、その計ること、その説理を、
人である、作られた、非造物である私たちに知り尽くせないことは、当然のことではないでしょうか。
神様が計っておられること、考えておられること、神の時が分かりにくいこと、理解し難いのは当然なんですよ、皆さん。
ですから、私たちがとるべき態度、信仰はこれです。
主の言葉の前にへりくたって、主よ、あなたとあなたの言葉はいつも正しいです。
私は信仰を持ってそれを受け入れます。
主よ、あなたの言葉を通りに成就しますようにと応答すべきではないでしょうか、皆さん。
これがこの時代に、私たちに求められる信仰なんです。
皆さん、100年前までいかなくても、50年、40年前と今と比べたら、今はもう神のメッセージを聞きたい気持ちでさえあれば、あふれていますよ。
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たくさんの本が出版されていますし、ラジオでも聞けるし、YouTubeでもいろんな先生のメッセージを聞けますし、言葉ができるなら、英語ができるなら、もうあふれていますよ。
たくさんの言葉が、神のメッセージが発信されて語られて聞くことができるわけなんです。
情報は多くあるんですけれども、問題は情報の量の問題じゃなくて、私がどういう信仰の姿勢を持ってそれをいただいているかどうかの問題なんです。
好き嫌いにチョイスはしていないでしょうか、皆さん。
好みによって選んではいないでしょうか。
あるいは時には理解しようとするんだけれども、理解し難いから脇に置いてしまうことはないんでしょうか。
あるいは本を閉じてしまうことはないでしょうか。
あるいは自分に合わないと思って避けてしまうことはないでしょうか。
大事なのは、神の言葉は神ですから。
ユハネの福音書1章1節にありますように、初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であったと御言葉にありますように、言葉は神ですから、神様は言葉ですから、その言葉を信仰を持って、
たとえ分かりにくいことがあっても、納得し難いことがあっても、何でこの時なのか、何でこういうことが起こるのか、
全て知り尽くすことができないとしても、神は正しいお方で、神は善であり得ますから、
信仰を持って謙遜に受け入れる信仰がこの時代に求められているんです。
だから、1分のメッセージを聞いていても、10分のメッセージを聞いていても、1ヶ所、1節だけ読んでいても、
それをアーメンと昭和して、信仰を持って受け入れる信仰が、特にこの時代に、私たちに求められています。
神の言葉は必ずその通りに成就します。
それは、まず神様ご自身のためであり、次は私たちのためであります。
メッセージを終わりたいと思いますが、今コロナウイルスの感染の終わりがなかなか見えないような状況であります。
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そして他にも、世の中に起きていることや、自分自身に起きること、家族に起きることなど、理解し難いことがしばしばあります。
皆さんにも祈ってほしいことがありますが、ニュースでアフガニスタンのタレバン政権が、緊急事態になっていますが、
そこに隠れクリチャンが多くいたわけです。そして、残っている選挙地も大勢いるというニュースが入ってきています。
見えないところで、徐々にクリチャンたちが処刑されています。
その国のために皆さん、お祈りください。前もお話ししましたように、ミヤンマも同じ状況になっています。理解し難いことが多くあります。
その国の人々が、日本の国民より悪い人間だから、そういう悪い目に遭っているのでしょうか。そんなことはありません。
起きてほしくないことが、世界中に起きています。悲しいことです。
祈るしかないことが、本当に無力な我々でありますから、本当に悲しみにありますが、それでも主は最善を成してくださること。
そして、その中で人間の欲望、罪はどれだけひどいものであるかを、改めて教えられるところもあります。
主が我々のために、今、混沌としている世界のために最善を成してくださるように。
そして、そんな中でも主の言葉を必ず成就すること。主はいつも正しくて、善であられることを信じて受け入れる私たちでありますように。
その信仰が我々にありますように、お祈り申し上げます。お祈りします。
32:20

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