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2020-11-01 20:54

2020/11/01:創世記(2)神はそれを良しと見られた

2020/11/01 聖日礼拝

尹善鎬牧師

創世記 1:6-13


00:01
みなさん、おはようございます。
今日もこのように、主が私たちをいろんなところから守ってくださって、
また、主に心を向けさせてくださって、ここに集まって、一緒に礼拝できますことを、主に感謝いたします。
今日も、祈っていただきましたように、主に期待して、御言葉に期待して、従っていきたいと思います。
また、今日は聖三式が行われますので、何よりもっとメッセージは身近です。
心を集中して聴いていただけたらと思っております。
今日は創世記2回目です。タイトルは、神はそれを良しと見られた、でございます。
その中に、まず第一として、この創世記の第一章の中で、私たちが注目すべき御言葉が多くありますけれども、
その中で今日は、このような御言葉、
神はおおせられた、するとそのようになった、という言葉に注目したいと思います。
神はおおせられた、するとそのようになった。
この御言葉が、この一章の中に、何回も繰り返して書かれているんです。
例えば、いくつかのところがありますが、聖書をご覧くださいますか。
それが、長い節をまとめると、こうなるんですよ。
今日は、もともと25節までの内容になりますが、長いので13節まで読んでいただきました。
皆さん、例えば14節ご覧くださいますか。
そこの最初、神はおおせられたとありますよね。
そうすると、光るものが天の大空にあれ、昼と夜を分けよ。
定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
また、天の大空で光るものとなり、地の上を照らすようになれ。
その後、何と書かれていますか。一緒に読みましょう。
するとそのようになった。
神はおおせられた。
するとそのようになった。
光も、空も、海も、地も、植物も、太陽も、月も、星も、家畜も、神様がおおせられました。
03:07
神様が言われました。神様の言葉が発されました。
その時にどうなりましたか。
するとそのようになった。その通りになったということであります。
ここで私たちは非常に大事な真理を学ぶことができます。
それは、神の御言葉は必ずそのようになる、その通りになるということであります。
皆さん、これを信じますか。
これがですね、この創世紀の中で始めにあたり、一番大事なことかもしれません。
さっきも祈っていただきましたけれども、神の言葉は、言葉にもちろん力がありますが、神の言葉、その言葉そのものが神様であります。
だから神の言葉が言われますね。語られる。
そうすると神の言葉だからその通りになるということなんです。
ここには例外がない。できない場合がない。そういうことは一切ない。
神の言葉は必ずその通りになるということなんです。
さあ、聖書を見ていきましょう。
3節から見ていきますよ。皆さんもご自分の聖書をご覧ください。
3節を最初に神様が、神は覆せられた光あれ、するとどうなりましたか。すると光がありました。
そうなんですね。また6節ご覧ください。
神は覆せられた大空や水の真っ只中にあれ、水と水の間を分けるものとなれ。
そうしました。そしたらどうなりましたか。
その通りになりました。7節の2行目の方にするとそのようになった。ありますよね。
また9節ご覧ください。
神は覆せられた天の下の水は一つのところに集まれ、乾いたところが現れよ。するとそのようになった。
いいですか。11節ご覧ください。
11節は一緒に読みましょうね。皆さんも一緒に読みましょう。
神は覆せられた地は植物を、種のできる草や種の生えた実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。するとそのようになった。
全ては神が覆せられた。するとそのようになった。神は覆せられた。するとそのようになった。と言って、光も空も海も乾いた地も全てがその通りになった。この法則があるんですね。
06:19
神様が覆せられるとその通りになるんです。
何一つその通りにならないことはないんですね。なぜでしょうか。唯一の神、全能の神、創造主の神様の御言葉であるからです。そしてその言葉は神様だからなんです。
ところが皆さん、この装飾を、もし皆さん、私たちが初めてこの装飾を読むとき、あるいは初めて教会に行って講談から語られる説教の話を聞いて、神の御言葉を読むときに、この神の御言葉はですね、
多くの場合、私たちの人間の世界、常識、理性を遥かに超える御言葉なんですね。だからある意味で必ずのように、当たり前のように、私たちの考えとか理性とか常識とか文化とか様々なものと衝突するわけなんです。
乗り越えている、遥かに上にあるものだから、上のものと天のものと地のものが必ず衝突するんです。まあ衝突ってあれですけど、この地上にある私たちの理性や常識、考えは、神の考えを神の御言葉をそのまま受けることが難しいんです。
なぜなら、私たちは作られた非造物なんですね。有限のものなんです。しかし、神は無限のものである。永遠から永遠までおられる方であって、その言葉をもって全てお作りになった全能全知の神様の言葉だから、私たちの頭ではそれを理解しきることはできないということであります。
だからある意味で、違和感を感じる、抵抗感を感じる、受け入れがたい、信じがたいのはある意味で当たり前かもしれません。
ところが不思議にも信仰が与えられれば、この受け入れがたかった御言葉が、理解しがたい御言葉が、想像の御言葉が、不思議に信じられるようになるということなんです。
今までは聞いても耳のあたりにきて、それが返されましたけれども、今その御言葉が私の心の中に、私の霊の中に入って、そして確かな真理になっているんじゃないでしょうか。
09:07
これが信仰の恵みであり、信仰による祝福であります。
だから信仰が私たちを神の祝福に導いてくださるということであります。
みなさん、今日他のことを忘れてもいいです。
神の言葉が仰せられると、必ずその通りになるんだと、これ一つだけはぜひ掴んで信じていただきたいと願います。
聖書の中に多くの証の神の奇跡の御言葉がありますが、
新約聖書の単位の福音書に行きますと、ローマの百人大長に、百人の兵士を持っているその長がいました。
その百人大長の下部の一人が中国の病気にかかって、もう死にかけていました。
そしてこの人が家様のところに訪ねて行って、
家様に私の下部を癒してくださいとお願いをしているところのその話がとても素晴らしいです。
私から紹介しておらせたいと思います。
この百人大長が家様にこのように言います。
ただお言葉をください。
皆さん今日もこの言葉を覚えてほしいですね。
ただお言葉をください。
そうすれば私の下部は癒されます。
もう家様がわざわざ私の家にもういらせらなくていいんです。
ここで、下部はあちの私の家にいるんだけれど、ここで家様がただお言葉をください。
これを聞いて家様はこう言われました。
まことにあなた方に言います。
そこにいる大勢の人に家様がこう言われました。
私はイスラエルのうちに誰にもこれほどの信仰を見たことがありません。
それから家様は百人大長にこう言われました。
あなたの信じた通りになるように、あなたの信じた通りになるようにすると皆さんどうなりましたか。
ちょうどその時、家様があなたの信じた通りになるようにとおっしゃったあの時に、その下部は癒されたんですよ。
ハレルヤ、アメンですか皆さん。本当なんですよ。
私たちにもこのような祈りを持ってほしいです。
このように祈ってほしいんですよ。
主よ、ただお言葉をください。そうすれば私は癒されます。
主よ、ただお言葉をください。そうすれば私のすべての問題は解決されます。
12:00
皆さん、神の御言葉は神であるから、その御言葉を信じれば祝福を受ける、主から与えられるということであります。
このように漱石は私たちに、この世界のすべてのものは、全能なる神の永遠なる計画とその愛によって作られた、美しく作られたと宣言して教えています。
私たちはこれを真理として信じています。
ところが皆さん、昔からどうでしょうか。
世界は学校では、進化論が確定したもののように教えています。
学校だけではなく、一般の社会でもテレビでも普通の地球の歴史が何千万年とか、そういうふうに言われています。
ある意味で一番最もらしい嘘が進化論です。
残念なことは、今自由主義新学校の世界にある新学校では、進化論半分、創造論半分、信じる、そういう学者によって教えられた僕たちが世界中にいるわけです。
日本にももちろんいるわけです。
皆さん、学校で学んだこの進化論を主張した、チャールズ・ダーウィンですね。
彼は、ご存知の方もいらっしゃると思うんですけれども、ケインブリッジの大学で勉強して、成功会の神父になった人なんです。
お父さんの勧めと教養によって、彼は神父になったわけなんだけれども、
国からの給料をもらいながら、その給料で自分がやりたい、進化みたいな知識、人類学に関心を持って勉強していて、
そして船に乗ってアフリカ、パタゴニアみたいなところの選挙旅行に行って、
その当時の世界は、1800年代ですけれども、特にイギリスでは、一心論に対する反抗的な思想や主義やそういった群れが起ころうと盛んになっていた時期だったんです。
宗教的に、イギリス国教とか成功会に対する反発が強くなっていたところ、
このチャールズ・ダーウィンが書いた有名な本がありますよね。
種の危険という本は、彼らにとっては最も一心論を攻撃できそうな大きな爆弾になったわけなんですね。
それで多くの一心論、神様が唯一創造したこの真理を攻撃するために、ちょうどいい時期にこのダーウィンがこれを書いた。
15:08
これが世に出た。それで多く煽られて、それが彼らに使われて、一心論を攻撃するために、それが世に紹介されて、広げられて、広げられていってしまったわけなんです。
ところが、これは残念なことで、興味深い一つのエピソードがあります。
彼が神父でしたから、彼の周りに本当に信仰を持っている友人たちがたくさんいたそうなんです。
ところが、このダーウィンの信仰を捨てないように、本当に周りで祈って努力した大勢の友達がいましたが、
彼がチャーズダーウィンが一番親しい友達に、ほぼ老年の時にこういう手紙を書きました。
手紙の一部です。そしてなんとも、この手紙がアメリカのオークションで約2000万円くらいで売られたそうなんです。
残念なことなんですけどね。こう書きました。
神の啓示としての聖書を信じないということを知らせることになって残念だ。
そんなわけで、イエス・キリストが神の子供だとも信じません。
という手紙を書いて、自分に信仰を戻るようにする友達に手紙を書く。
そして、その間もなく後、ダーウィンは死にました。
でもさらに呆れたことがあります。
彼が死んだ後、彼が一心論を攻撃できる大きな爆弾を作った。
そういった意味で国に貢献できた。
昔彼は聖母会の神父だったからといって、神を否定したものなのに、
イギリスのウェスト・ミンスターという有名な聖堂があるんですね。
そこの納骨堂に、この神を否定したダーウィンのお骨が収められた。
とんでもない当時の聖母会の堕落した様も知ることができます。
聖書に戻りましょう。
しかし、いくらダーウィンであろうが、誰であろうが、
それを反発して信じなよとしても、真理は真理であるということです。
この世界は永遠の前から、神の心にあった神の愛の現れが、この創造の全てなんですね。
そして何より、今日のタイトルにありますけれども、
神はそれを良しと見られました。
太陽も月も星も空も海も土も罠も草も虫も動物もあどの人間も、
18:08
全て神様は作ってくださった。
そしてそれを見て神様はどうされましたか。
良しと見られた。
この御言葉はですね、神の創造がもう完全であることを表している御言葉なんです。
神は良しと見られた。
この良しという言葉は、まあまあいいんじゃないの、みたいなそれくらいの良しじゃないんですね。
もう完全な素晴らしさ、欠けたところがない、不十分さがない、
何か足らないからこれから補ってもらう、そんなものもない、
そのままで完全である美しさ、それが良しと見られたという意味なんです。
どういう意味かというと、神様の創造は、
太陽であろうが、草であろうが、虫であろうが、鳥であろうが、魚であろうが、
作られたその姿で完全である。
進化なんていらない。
不完全なものはありません。
神が見て、良しと見られた。最高であるという意味なんです。
もうこのままで美しい、最高に美しいという神の宣言であります。
なぜなのか、神様が完全なお方だから。
完全なお方、すべてご存知の神様、その全知全能の神様が、
その神である御言葉を通して作られたものだから、
そのものも当然完全である、良しであるということであります。
メッセージを終わりたいと思いますが、
神が仰せられますと皆さん、その通りになります。
そして神様が作られたすべてのものは、
良しと見られたとありますように、完全なものであります。
それは足りなさも罪も堕落も欠けたところもない、
最高に美しい、神の善と神の栄光を表す最高の容赦です。
そしてこの素晴らしいすべてのものは、
私たちのために主が愛をもって前もって作ってくださったものであるということ。
これはまた続いて来週にお話をしたいと思います。
お祈りしましょう。
20:54

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