00:03
おはようございます。
今朝もこのようにして、皆さんと一緒に礼拝を守れることを感謝したいと思います。
そしてまた、高齢者の私に、こういう機会を準備しなさったことに大変感謝しております。
だんだんと、80を越えて今になってみますと、声がなかなか出なくなってしまって、
言っているのも、声が、言葉が鮮明でなくて、どうもお互い夫婦の間でも言った言わないということが、
いや、こっちは言ったはずなんだと言って、耳が遠いのよと言われたりしながら守られてきておりますけれども、
こういう礼拝ですから、できるだけそれこそ決まって、ことを名誉にして与えられたこの機会を、
そしてその責任を果たしていきたいと願っております。
一言お祈りいたします。
恵み深い主よ、どうぞこの礼拝において、あなたの御事を取り継ぐという大切な役割をいただいております。
このものを、御精霊が助け、そしてどうぞ与えられたこの時間を通して、
共にあなたの御心を知ることができるように導いてください。
死のみなによって祈ります。
アメン。
今朝は、従順の祝福という礼をそこに設けておりますが、
私が、それこそ今から何十年前になるか、新学校に入って、
まもなく二年生の時だったでしょうかね、校長宅に呼ばれましてね、
それで、高齢とはいえ非常に頑固をするのに、
沢村校長の前でですね、縮み上がるような小思いで最初から分かりました、分かりましたとお返事したのですが、
それはあることがあって、当時の社官の先生に反旗を翻すというような、
そんなことがあって、大変高校先生を困らせたということが校長の耳に入りまして、
それで、私も含めて4名か5名かおったと思うんですけれども、
それぞれ校長宅に呼び出されていくわけです。
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私に沢村校長がおっしゃったことは、斎藤君は何を学びにこの新学校に来たのか、
この新学校は、よその新学校とは違って、ここは従うことをまず学ぶことだ、
従順ということを学ばずして、そのまま今のまま新学校においても意味をなさないから、
やるならば辞めて帰った方がいいのではないかと、そういうふうなお光をいただきました。
ですから、もう始めから終わりまで分かりました、分かりましたとですね、
一応従順を装うような、そういうことで、その場は守られまして、
ですから何とか4年間の新学校生活、またその後の検診者としての報酬の生活も守られたといってもいいのではないか。
私にとりましてはですから、従うことを学ぶということがその新学校においての、
まず意識してそのことを心に決めて学びなさいと言われた佐村校長の声が今もですね、私の心に留まっております。
それぐらい私がどうも従うということにおいては、まことに程遠いそういうものだったんでしょう。
いろんな面で私たちを指導してくださっている先生には、
この斎藤という人間は本当に大丈夫なんだろうかという不安の材料の一つになったのではないかなと思いながら、
そういう経験がありますので、ですから余計パウロがフィリピンの教会に書き送った、教会にとって何が一番大切かという、
そこでパウロがここに言っていますのは、従順だということを取り上げているんですね。
教会が形成されていくのに必要なのは、これはユン先生を派遣しております教会のチョン・ビルトという先生が、
教会が祈りで立つというその御本だったでしょうか、あるいは何回か私たちの教団の教師修行会であるとか、
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いろんな修行会においでくださって、そして御用に当たってくださっている。
そういう中でおっしゃったのか、定かではありませんけれども、しかし非常に心に残っているのは、神様の働きというのは、
お金ではなく心を一つにするところから前進するんだ、そう先生がおっしゃったことを覚えております。
教会が生まれ、教会が前進していくということに必要なのは、それはここに進められておりますように、従うということ。
その前にパオロは、従うということにおいてのイエス様の模範を、特にこの6節以下に書いています。
パオロはイエス様のお姿の中に、減り下るという言葉を使って、そしてイエス様は十字架の死にまでも本当に地図に減り下り、そして従い通されたという、それをそこに模範として記入し、
そしてパオロはそれを受け止めながら、教会にとって必要なのは何かということを改めて進めるわけですね。
パオロはそういう意味において、そういうわけですから愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさらと、そこに力点を置いて進めております。
ちなみに私はまだ前の進化薬を使っておりますので、なかなか新しい方に、新しい方は線が引いてあったり、古い方はいろいろそこにありますから、読みやすい、引きやすいということで、あえてこの前の進化薬を使っておりますので、
少々違うところがあるかわかりませんが、しかし前のは間違っているというわけではありませんので、お聞きいただきたいと思います。
パオロは、そういうイエス様の模範をまずそこに置きながら、このような減り下った心が、それが本物の従順を生み出すんだということを語っております。
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ですからいつもこの従順に立ちなさい。いつも従順で。それから新興薬の方を見ますと、一層従順でという風に力点をそこに置いております。
この言葉から見ますのに、こういう一層従順であるということは、そして彼が言ういつもということは、私がいる時だけではない、離れていても死ぬ前にイエス様に習うこの減り下った心をもって、そして従っていく。
このように教会は、減り下った心と従順というものが、教会の一致をもたらせますし、一つ心になっていくための大切な重要な材料だということを言うんですね。
そういう意味において清水先生は、教会の働き、教会というのは、お金でなく心を人質にするところから前進するということを、こうした自然の言葉が背景になっているとそう思うんですね。
私たちは生まれながらにして、従順ということに非常にあどとい生活をしている。私たちの本質の中には、ある言葉をさらに用いて言うならば、この五章のところでもって、
最初の人たちアダムとエバの不従順が、私たちにまで及んで、神に対する不従順なものとなりました。
そういう私たちは、生まれながらにしてという、もちろんそこに罪というものがあるわけですけれども、その罪というものが、何らかの形でもって、神様に従い通さない、通させないという、そういう働きを私たちのうちにもたらせる。
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しかし、彼らはそういうふうに私たちに不従順の種をまきましたけれども、主イエスの従順によって、救いと回復が与えられているんだということを、その後にも続きます。
ですから、信仰というのは、従順になること、この従順に相反することが、この十四節に言われているように、つぶやきであり、あるいは疑いである。
信仰を成長させる動力も従順であるとともに、信仰を低下させるものも、これはつぶやきであり、あるいは疑いというものを、そこに生まれさせてまいります。
先ほど申しましたジョン・ビルト先生は、ご自分の体験の中から、傲慢についてこのような説明をしております。
傲慢というのは、神様が評価することを自分が評価してしまう。神様の栄光を横取りすることだ。
考えなくてもいいことを考えたり、自分の本当の姿をきちんとわからずにいるときに、そういう不自由心な思いというのが生まれてくる。そしていつしか私を傲慢にさせてしまう。
僕にとって一つの誘惑と言いましょうかね、戦いは。一つには街道建築というのがあるんですね。やはり使わされたところにおいて境界を建てる。もちろんこういう建物のことを言うわけですが。
やはり自分の置かれているところにおいて、街道が建ったらいいな。私も使わされたのが平方希望教会であります。四間中屋の一番端っこの間口が一間半ほどだったでしょうかね。そういう狭いところなんですが。
それで私はだんだん人が増えてきて、私は台所の流しがあるところにカーテンを敷いて、そこに立ってお話をする。
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こちらがトイレなんですね。水泉で。その頃は小さい子が多かったものですからね。我が家にもそうでしたが。その子供が一人トイレに行きますとね、不思議なもので、僕も私もと言って、行くたんびにジャーという音がすると声が届かなくなってしまう。
そういうことがありましたから、早く街道が建ったらいいなという、そういう思いがありました。ですから街道というのが、私は日本においての選挙の大切な武器だなと、そう思っておったぐらいです。
教会政調のセミナーに来られた、今本にも出しておりますけれども、その講師の先生が、その方は開拓伝統のときは、高校の高度を借りてやった。
ですから私は個人的に、そういう質疑のときがあったときに、日本ではね、いろいろと法律上か何かがあって、そういう公のものが一つの宗教にそういう提供をすることはできないんです。
その人は不審そうな顔をしておりました。ですから日本では小さくても街道を持つということが必要なんですと言って、少々こう議論したことを思い出しております。
何ウォーレンだったかな、名前が出てきませんけどね。
そのように日本においての伝統においては、街道というのは一つの魅力ですよ。
開拓の場合は空落ちてですね、20年もったらいいだろうというような安物心でもって、それよりも一つの場所で礼拝ができる、クリスマス会もできるという、そういう場所さえできればそれでいいといってですね、そういう街道ができまして。
この4月にその古い街道を壊して、新しい街道に作り変えるという、この街道は最後ですという知らせを安川先生からもらいましたので行ったんですが、非常に思い出がありますよね。
私の子供たちもみんなそこで育ったようなものですから、そういうところですが。
しかし私は街道が完成しましたときにね、本当に反動しました。
よくこんな人数で大きな借金を抱えながらでも街道が建ったなぁと。
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その借金の全部を返すことができたのは、私が転任する2、3年前だったでしょうかね。
ですから私の平方希望協会においての報酬は、1つには借金の返済だと言ってですね、そんな冗談もかわすようなことでしたけれども、それも返しました。
そういうところで、私は街道ということがですね、それぐらい牧師がその働きにおいて1つの魅力としてあるのは、やっぱりこう、境界道を建てるというのが正直あります。
だからそこに誘惑があるんですね。
小さな街道でもできますとね、私がやったんだというような、何かそういうのがいつの間にか自分の中に潜んでいるんですね。
あんなことをやっているからなかなか街道が建たないんだとか、連動が進まないんだとか、結構ね、街道を見たら、
もう西部境界ご存知でしょうけれども、その境界の半分ぐらいの境界ですよ。
それでもね、やっぱりないところから街道ができたということで、1つの誇りになって、やがてそれが傲慢にいくわけですよ。
これが牧師にとってのね、1つの落とし穴ですよ。
ある先生、ほんとにせっかくいい街道を建てながらね、どうもちょっと御礼的におかしくなっていってしまったという、そういう実例も近くに見ることができますし、
また、その東大阪を含めて、その辺に最も境界が成長しているという境界も訪問しました。
そうしましたら、確かにその境界は、当時にすればですね、400名、500名というね、大勢の人を集めて礼拝が盛んにさげられておりました。
大変賑やかな境界。
しかしそれから間もなくね、その牧師の問題が、そして境界がバラバラになってしまったという、そういう痛みも併せました。
あんな街道を建てるんだから、少々傲慢になってもいいんじゃないかなと、私の心の中にはどこかこうありましたけどね。
しかし神様は時には特別な取扱いの中でね、その境界、建物はいざ知らず、キリストの体ある境界というもののためにはね、少しの不純物なってはならない。
それで境界は試みられていくわけですよ。
牧師もちろんそうですが、境界も大変なところを通られたなと思いますけどね。
ですから、いつの間にか自分を過大評価してしまう、本当に蛇下るっていう、このイエス様の大切な模範をそこにいつも覚えていかないと。
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どこでですね、何が落とし穴になって、そしてそこに落とされてしまうか。
パウロはここで従順ということをそこに置きながら、これは19節以下、今朝は18節までお読みしましたけれども、
その19節以下において2人の人をですね、そこに出しております。
1人はテモテという人です。
パウロとテモテっていうのは、パウロも何回も書いてますけれどもね。
そしてこのピリピリに当てたこの境界も、この手紙もそうですよ。
パウロは、自分がそこに書くというよりも述べて、おそらく若いテモテが一生懸命筆記して、この書簡がいくつか生み出されたんだろうなと。
極中書簡と言われる、そういうところでありますからね。
そんなことも想像しますが、それぐらいパウロとテモテは、本当に年の子そろそろ違いますけれども、しかし一つになっている。
テモテはそういうパウロの期待に応えて、一生懸命彼に使えている様子がその後にもわかります。
テモテというこの人は、実はパウロの第2回目の伝道旅行で、ルステラというところで彼は出会います。
そしてその後、このパウロがピリピリに伝道するという、そこに彼も多少なりでも加わっていた。
これは人の働きの16章の1節でしょうか、そこを見ますとそのことが記されています。
パウロはこの20節において、テモテを紹介するにあたって、そこに言っていますのは、
このテモテのように私と同じ心になって、真実にあなた方を心配している者は他に誰もいない、とまで断言している。
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交互役であるとか、神経大学生署では、そこをテモテのような心で真実になって、あなた方を心配しているという風に、
真実になってそして心配しているということをそこに使っておりますが、
言うならばテモテの従順というのは、親身の従順とそういう答えを用いるならばそういうことでしょうかね。
彼が従うということにおいては、彼はもう親身になってあなた方のために一生懸命従い、そしてまたあなた方のためにしている。
私はこの二十節のこの言葉から、テモテの、やはりパロが言うあなた方のことを心配している者という、そういう言葉を使っておりますけれども、
あえて言うならば、これは教会と御精霊の関係として見ることができるのではないか。
教会が守られ、教会が成長していくにあたって、そこに大切なそれは、教会の生まれた時点を考えますと、精霊が下って教会が生まれたのですから、
パロはこの御精霊が、それこそテモテのように、教会は違いと思いますよ、御精霊のようにテモテはと言った方がいいのか分かりませんけれども、
あなた方のことをいつも心配し、あなた方のことを御運ばかりくださっている、ペトロはそういう表現を使っております。
これは私の非常に覚えてきております言葉の一つでありますけれども、ペトロ第一の手紙の五章の七節というところ、
私は時にこの言葉を記念に送ったりするのですが、五章の七節に、私の前の古い神科学聖書では、皆さんよくご存知の言葉です。
あなた方の思い患いを一切神に委ねなさい。神があなた方のことを心配して下さいからです。
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これはペトロ自身の経験です。ペトロは熱心でありましたけれども、
イエス様の御心がいるならば、肝心の時に彼はずれてしまうというところがあったり、オーバーランしてしまうというところがあったり、いろいろあるのです。
そして最後の最後に至っては、イエス様を否定してしまうという、そういう痛々しい経験をしているだけに、
パオロはこの七節の言葉において、あなた方の思い患いを一切神に委ねなさい。神があなた方のことを心配して下さい。
これはペトロの経験です。パオロと言っていましたが、ペトロの経験です。
失敗を重ねてきた、そういう失敗の旅ごとに彼は、誰よりも御精霊が一番私のことを心配して下さり、私のことを取りなし下さり、私を守って下さっている。
だからあれやこれは考えずに、この御精霊にお任せしなさい、そうペトロは言います。
手もてはそういうペトロの姿にも教えられた。そしてそれが教会に対する思いとなって、
パオロはそれを、手もてはあなた方のことをどんなに心配しているか、私はそういう手もてと教会との関係の中に御精霊と教会、その関係を思います。
そして二人目は、ここにエパフロデという名前が出てまいります。
この二十五節を見ますとね、しかし私の兄弟、道路者、戦友、またあなた方の使者として私の救防の時に使えてくれた人、エパフロデと、あなた方のところに送らねばならないと思っています。
と言って、日々の教会にパオロは本当に道路者の一人で私のことをどれだけ思い、またガードしてくれたか、また必要なものをそこに運んできて、そしてお見舞ってくれたことか。
仏心両面において、このエパフロデという人は非常に大きなパオロの支え。
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それこそパオロの働きの右に手持て、左にエパフロデと言ってもいいぐらいの、そういうパオロはこの二人によって支えられ守られてきた。
パオロはこのエパフロデの様子をそこに語りながら、彼の中に見るこの従順というのは、無欲の従順と言ったらいいでしょうか。
この27節以下を見てまいりますとね、本当に彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼を憐れんで下さいました。
彼ばかりではなく、私をも憐れんで、私にとって悲しみが重なることのないようにしかさった。
そういうエパフロデを新たな方のところに送る。
30節では、彼はキリストの仕事のために命の危険を犯して死ぬばかりになった。
それぐらい、このエパフロデという人は、パオロの目から見て本当に彼は命懸けでね、私にも仕えてくれたし、またそういうエパフロデだからあなた方の教会のために、それこそ命懸けでやる。
そういう思いの人だということを言っています。
そしてそのためには、何もかも全部放棄して、そして主に仕えるように私にも仕える。
同時にその姿勢はあなた方の教会のために、彼はそのように命を捨ててまで法師にあたる大切な器だから、そのように受け止めてほしい。
そしてエパフロデとは、このパオロとフィリピンの教会の関係の中において欠かせない存在として彼はおりました。
しかしやはりここに書いてあるような死ぬほどの病というのですから、そこに長く居ることは許されなかったのでしょう。
彼はそれであっても、たとえ自分が生きながらえて、そしてこのフィリピンの教会のために命を捨てるようなことがあったとしても、私はあなた方に使い、また主にお使いしていきたいという、そういうこのエパフロデと。
33:00
ですから教会、ここで言うならば、このフィリピンの教会というのは、思いもしないような事柄であって、パオロたちの働きによってそこに道が開かれて、それこそヨーロッパ最初の教会として誕生したわけでしょう。
けれどもこの教会が本当に一つ一つ積み重ねてそして成長していくにあたっては、このように手も手がおり、またエパフロデとがおり、親民になって従っていくというこの手も手の姿勢の中に、
あるいは無欲になって、捨て身になってそして教会のために尽くそうとするこのエパフロデという、この二人の若い伝道者たち、これはもうフィリピン教会にとってはもう欠かせない存在としてあるわけですよ。
そこには一切の計算とか出さんという、そういうものがもうエパフロデに限ってはもう立ち入ることができないぐらい、そこにはもう何らでもなければいけないような従い通し、通されたエパフロデという人の、そこに二つの求人というものをパオロはそこに解き起こしております。
私は最後にお分かりしたいと思うんですが、私が進学校に入った頃だったでしょうか、今の100万人の副院が非常に週刊誌ぐらいの大きさの薄い、そういう雑誌でした。
それを購入して、そして読んでおりました。そこにはアメリカから派遣された5人の宣教師の、南米のエクアドルというところでの宣教記録がずっと載ったんですね。
その働きが進行中だった。しばらくしたら、その記事が載らなくなってしまった。半年ぐらい経ったんでしょうかね。記憶は、そのような記憶しかなくなっちゃったんですが。
実は、エクアドルでこの5人の宣教師が、エクアドルの人たちの手にかかって、そして進行した。ですから、そこからの記録が載りませんという、そういう正しがきで載りましたね。
私も、今こういう形で進行するという宣教師がおられたんだな、驚きでしたよ。
さらにもっと驚きになったのは、今から30年ぐらい前でしょうか、1980何年、オランダのアムセルダムでビーグラム先生の主催する世界電動車会議というのがありましてね、そこにあたま行きなさいということで言われて、そして何人かの先生が一緒に参加しました。
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その最初の番であったか、ビーグラム先生が今から皆さんに紹介したいと言って、先生は3人のどうも気慣れた整備の姿ではない、とってつけたような感じのする3人の人がそこに紹介されて出てきました。
皆さん方は彼らのことについては、その後何もニュースが入っていないと思います。
彼らはエクアドルの人です。そして原住民です。
彼らは5人の宣教師に対して、槍や弓やそういう武器を持って殺害した人たちです。
もう働きはそれで全部ストップしたかに見えた。
ところが、そのエクアドルでの惨事が米国内の教会や新学校やいろいろなところに伝えられたときに、若い人たちが大勢宣教師となる志願を持って立ち上がった。
中でも、そのご志願をそのエクアドルの地において失った一人の婦人は、その夫の後を私はついていきたいということで、彼女も立ち上がった。
また亡くなった宣教師のお姉さんだったでしょうかね。その方も立ち上がった。
何人かの人たちが、その5人の宣教師の成し得なかったその働きを継続して、そしてその働きに当たった。
やがて神様は、そういう人たちを通してこのエクアドルの中に、ような素晴らしい救いが始められた。
大勢の人たちが救われた。
ビリー神先生の紹介で出てきました3人は、実は私たちがこの手で、皆さん方が私たちの国に送ってくれた宣教師を殺害した私たちなんです。
今このように受け止められて、そして私たちもあの5人の宣教師たちのそのことを通しながら、
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けれども今このように、皆さん方の前で明かしできる機会が与えられて感謝しておりますという、そういう短いご挨拶があった。
私はもうそれを見ましてね、その100万人の福に乗ったその記事が、もうそれで終わってしまった。
人の働きとしては何かそのように終える。
けれども一粒の耳となったこれらの人たちの働きは、やがて奥さんの手に、あるいはそのご兄弟の手に、そしてまたそこに一緒にエクアドルの宣教に向かいたいという人たちが起こされて、この働きが継続したんですね。
私は本当に一人の人が従い通すということの中で厳しい面と、しかし従い通されたときに神様がそこからどんな豊かな実を結ばせてくださるかということを見て、今もその光景をですね、もう30年もあまり前の話ですけれども思い起こします。
改めて私は、BPの教会に書き送りました、このパウルの手紙の一文、そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今もなお、恐れるのにと自分の救いの達成に努めなさい。
イエス様の模範をそこに置きながら、教会はあなた方の従順によって生み出され、そして宣教が拡大していくということをそこに述べております。お祈りいたします。
めぐみ会終了。