00:01
それでは、本日のメッセージを語ってくださる先生をはじめ、もう一度改めて、温沢教会の皆さんをご紹介したいと思っております。
今日、メッセージを語ってくださるキム先生は、私は2004年から2008年まで、富山の富生の教会で福牧として奉仕をしておるときに、
その富生の教会で福牧でした。私は5年ほどおりましたけれども、キム先生はその富生の教会に15年、進学生のときから福島で奉仕をされて、
そして、ちょうど私がMyoudaniChurchに赴任される年、2013年に富山に学校の街道を借りて開拓を始められて、だから5年目に開拓教会、名前は温沢とありますけれども、
温沢は日本語で訳しますと、完全な人という意味の逆語になります。それで、教会が神にあって、神様が完全であられるように、あなた方も完全でありなさい。
今日の私立のメッセージの最後の御言葉によって、教会の標語を書かれて開拓をされて、今は子供も全部含めて160、170名の群れになっております。
私と歳がほぼ同じ歳ではありませんが、私が本当に尊敬するほど、とても素晴らしくて、韓国だけではなく、いろんな海外にも中国にも行かれて奉仕をしていらっしゃる、とても素晴らしい先生でいらっしゃいます。
今回、子供2人含めて、12人の兄弟姉妹が来てくださいました。
今日のメッセージのタイトルは、「生命の人とならせてください。」という題ですけれども、メッセージの始まる前に、いつものように周りの方々と挨拶したいと思います。
初めまして。
03:35
私は今日、もうすでに妙谷教会で礼拝を捧げました。
子供礼拝でした。
ノアという子供を一人捨てました。
しかし、とても素晴らしくて、大きな礼拝でした。
私も今日、子供のメッセージを聞いて感動しました。
三原さんの礼拝は素晴らしい。
そこで、言葉を覚えました。
生命の父は悪い人にも良い人にもブラブラブラ。
そして、土壌も受け取りました。
神様は生きておられます。
この場に、日本人、韓国人、一緒に集まっています。
人という前に、どこの国の国名がついていますね。
日本人、韓国人、アメリカ人、こういう風に。
その言葉の理由でしょうか、人々が違うように見えてきます。
私たちも、大体顔は似ているのではないでしょうか。
何日かですね、過ごしているながら、不思議な思いがしました。
妙谷教会の皆さんが、温泉教会の神徒のように思って、
温泉教会の皆さんが、妙谷教会の人のように見えました。
なぜでしょうか。
私たちはどこかの国の人というより、神の国の人だからです。
私は、イエスの人です。
隣の人に、私はイエスの人です。
06:03
私は世界宗教に、多くの国に行っています。
どこの国にいても、イエスを信じる人は、みんな同じです。
初めて会いましたけれども、今まで違う暮らしをしましたけれども、
一つになることを、たくさん見てきました。
妙谷教会の皆さんも、神の人のように見えます。
今日、聖年を迎えます。
私たちが、特別な人であることを、見せなければなりません。
どんな人なんでしょうか。
聖霊の人です。
どこの国の人、どこの人生のものではなくて、
ただ聖霊の人であります。
今日の本文を読みますと、聖霊の人が、
どのように作られるのかわかります。
イエス様の変わった、秘密の行いを知ってほしいです。
一つ目は、イエス様がなぜ裏切った弟子たちを、もう一度選ばれたのかということです。
弟子たちはイエス様を裏切りました。
しかも、イエス様を呪いました。
しかしその前は、誰から見られても、イエスの人のように見えました。
彼らは、イエス様に出会った初めから、船やアミモを捨てました。
彼らの人生の3年は、おじきイエスの人でした。
私たちがイエスに一度、教えに行くわけではありませんでした。
毎日イエス様といていました。
他の人々もイエス様でした。
しかしイエス様は、十字架に持っていなかったその日、
そのイエスの人の中の一人は、イエス様を売ってしまいました。
そんなに熱心だった方々は、みんなイエス様を捨てて逃げていきました。
知ってみたら、実は彼らはイエスの人じゃなかったのです。
でも、イエス様はなぜ彼らを選んだのでしょうか。
私たちも、妙谷教会に温泉教会で熱心に通っています。
09:01
私たちが経験したその苦難がやってきたら、
私たちもいつイエス様を裏切るか知りません。
だから必ず聖人の人に生まれ変わらなければなりません。
イエス様は、私たちが裏切ることを知っていました。
知っていながらも、なぜ選んだのでしょうか。
これが、これこそ、聖人の人に賜る秘訣であります。
私がお答えする前に、皆さんがちょっと立ち止まって考えていただきたいです。
イエス様は、なぜ私たちが裏切ることをもうすでに知っているのに、なぜ彼らを選びましたか。
それは、イエス様が全てのものを持って彼らを愛しておられるからです。
彼らの背身の罪を知っていながらも、全ての愛を持って彼らを愛しておられます。
彼らの裏切りより、イエス様の十字架の愛と、詳細にいまい聖人の能力が間もなく壊れる罪への恵みが、
彼らの背身の罪より、彼らの背身の罪より、ほしんど能力のあるものだからです。
彼らが背身の罪を犯すことを知りながらも、選んでくださいました。
また、イエス様は彼らの背身の罪だけではありません。
また何をしていたのでしょうか。
また、あの弟子たちがみんな聖人の人に変わることをイエス様はご存知でした。
ある意味ですね、私たちもそんなに立派な信仰を持っていないかもしれません。
背身の罪を犯したことはありませんでしたけれども、たまにはこの世での集いと礼拝を変えてしまったりすることもあるでしょう。
ちょっと面白い質問を一つしたいと思います。
大バーゲンセイルをする日が日曜日だったら、教会に行きますか。大丸に行きますか。
今までお金がなかったですね、欲しかったものがですね、90%オリンピックセイル、どうしましょうか。
私たちの主人はそれを知っています。
それでも彼らを選んだ理由は、彼らが聖人の人になることを知っていましたからです。
12:07
もう一つ異常なことがあります。
もう一つイエス様の変わった行動がありました。
裏切った彼らをイエス様がなぜもう一度彼らのところに助けてくださったのでしょうか。
産まれた後、イエス様はまず最初に弟子たちのところになぜ行かれたのでしょうか。
お前がそうやったな、やつと。
ああ、何だ。
私たちの主人が弟子たちを再び探す理由は、御金が本当なものであることをもう一度彼らに示すためでした。
イエス様を3年がついていて、イエス様が先生だと彼らは知っていましたけれども、
いろいろな同居の中で立派な先生だと思っていたでしょう。
裏切った彼らに助けられたイエス様は、そのすべてを超えて御金が本当なものであることを示すためでした。
あふれ、お前たちが選ばれたのは、お前たち自身のものではなく、私がお前たちを選んだのだ、それを示すためでした。
お前たちが私にしたかったものではない。
私がお前たちを選んだのだ。
裏切ったことを知っていながらも、
これらすべてが本当なものであるから、
これらがすべての力に変わるから、
また相変わらず愛することを示すためでした。
相変わらず愛してくださることを皆さん信じてください。
イエス様は今もなお皆さんを愛しておられます。
時に我が親友が落ち込んでしまっても、
怠けていても、
知っていながらも罪を犯してでも、
相変わらずイエス様は我らを愛してくださっています。
もう一つの理由があります。
神の父なる神様の約束されたことを、
彼らが受けるように助けるためでした。
裏切った彼らのところにいて、イエス様が言われました。
15:00
彼らの信徒の弱さを助けてあげました。
ニョダニ教会でも奇跡が起きるような、これから起こることを信じます。
トマスがイエス様の手に触れたように、
皆さんがイエス様の手に触れるチャンスを、
信徒の弱い時と、イエス様が助けてください。
日本のすべての神々より、遥かに超える素晴らしい神様に出会わせてください。
イエス様は私たちに、40日間蘇った身体を彼らに見せてくださいました。
今日の演説を見ると、人々を集めました。
そして彼らにこのように頼まれました。
イエルサリムを離れないで、
私から聞いたときの約束を待ちなさい。
皆さん、離れてはいけません。
待ってください。
主の教えの前に、
何も知らないように見えても、
主の約束を待たなければならない。
それは聖霊のパクテスマです。
私たちはその時、これは何なのかよく知っていなかったでしょう。
今、彼らは導かれました。
彼らは2階の奥間に集まっていました。
そこには弟子だけではなく、
イエス様のお母さんもそこにいました。
イエス様の兄弟たちもいました。
なぜでしょうか。
皆、聖霊の人に変わらなければならないでしょう。
なぜ、イエス様が裏切った弟子たちに立てられたかわかりましたか。
それは聖霊のためです。
もう一つ、イエス様の変わった行動を理解してほしいのですが、
天に復帰されながら、
なぜ、約束されたことを待ちなさいと言われたのでしょうか。
今までは裏切りながら行くしかなかったのですが、
イエス様から直接訓練を受けても、
無理を懲らばず、
信仰のない、
人になるしかない、
その人々が変えられるのは、
イエス様です。
人になるしかない、
その人々が変えられるのは、
聖霊のためです。
今日の本文を見ると、彼らが祈るときに、
聖霊が求まれました。
18:00
14条を見ると、
弟子たちと、
イエス様の母と、
周辺のマリアたちと、
彼らがやったことは何でしょうか。
祈るだけです。
祈りに専念していました。
何のためでしょうか。
祈りの他には、
聖霊の人になる、
方法がないからです。
なぜなら、
ミサマは贈り物だからです。
私は言葉を準備しながら、
夢と目標を持ちました。
今日の礼拝の中に、
この弟子たちが消えていった、
聖霊の恵みがありますように、
一節に行きますと、
この人の働きは、
デオヴィロという人に与えられたものです。
デオヴィロは、
ローマの公威、
公務員だと思いました。
しかし、彼は、
パオール先生が前に書いた、
書簡文も知っていました。
それは、たぶん、
ルカのクイントでしょう。
その聖書には、
私たちが知っている、
イエス様が生まれて、
十字架にかけられて、
そこまで書いてありますね。
今日、私が皆さんにメッセージするように、
デオヴィロという人が、
イエス様を知っていた、
聖霊の人に、
変わられるように、
そのために、
職の働きが、
このデオヴィロに渡されたことです。
弟子たちは、聖霊の人に変えられました。
デオヴィロという人も、
今日、私たちも、
聖霊の人に、
変えられなければなりません。
皆さん、
デオヴィロという名前の意味、
ご存知でしょうか。
デオは、神ですね。
ヴィロは、フィロスという言葉ですけれども、
兄弟、また、
友情の愛ですね。
彼は、神を愛する人でした。
しかし、友情ぐらいの愛を持っていた人です。
皆さん、私たちは、
彼らをどんな愛を持って愛してくださっていますか。
フィロスではありません。
アガペであります。
無条件的な、
彼らのために、
生んでくださった、愛です。
21:00
デオヴィロ、
その名前の意味、
イエスのところ、
分かりますね。
今日の多くのクリスチャンが、
イエス様に対する、
友情のように、
教会に出る人が多いです。
イエス様の話を、
よく知っています。
イエス様は、何をされたのか、
イエス様の生涯は、どんなものなのか、
何かで死んで、
蘇られたことも、知っています。
しかし、
今日のデオヴィロは、
デオヴィロは、
イエス様は、
彼は、
他の多くのクリスチャンが、
聖人の人に変わることを、
共にしています。
今日の本文で見ると、
15代に何人が来たのか、
120人です。
イエス様は、
500人がいる時にも、
自分の蘇った身体を、
見せました。
本文が書かれる、
今日の生涯、この出来事は、
デオヴィロのような人々に、
聖人のような人々に、
聖人のような人々に、
聖人に変わるように、
重要な本文です。
重要な仮想です。
イザムロの物語でした。
ついに、
いよいよ、
私たちと一緒に、
一つの魔女が、
心に集まっていました。
突然、天から激しい風が吹いてくるような、
響きが起こりました。
家全体に、
響きが当たりました。
炎のような分かれた人が、
現れました。
そして、みんなが聖人に満たされました。
神様が話してくださる通りに、
他国の言葉で話しました。
聖人の人に変えられる場面を見たら、
特徴があります。
音、声があります。
目に見えるものがあります。
みなさん、聖人のご臨在は、
聞こえるものであって、
見えるものであります。
お互いを見たら、それが分かります。
みょうだに教会のみなさんにお聞きしたいと思います。
みなさんは、兄弟姉妹たちをお互いに見るときに、
手を広がす人に見えますか?
あるいは、聖人の人のように、
兄弟姉妹たちが見えますか?
24:00
聖人のことを祈ることに、
聖人が一人ひとりの人に
祈ったことを、
みなさんが分かるようにしてください。
こんなことが起こることが、
何があるのでしょうか?
その言葉を見ますと、
大事に変わることがあります。
大事に変わることがあります。
大事に変わることがあります。
大事に変わることがあります。
まず、言葉から変わります。
それはですね、韓国人が日本語を習って、
日本語をしゃべる、そういうわけではありません。
彼らの霊が変わるから、
話を言うことができるのです。
言葉が変わったということは、
彼らの考え、霊が変わったということですね。
みなさん、みなさんがすでに知っているように、
自分自身の考えは、
なかなか変わりにくいものです。
聖人の人は、
その人の霊が変わることです。
私の妻が一番前に座っていますけれども、
優しい。
私は、私の妻と23年をされました。
私の妻が承認です。
結婚した当時は、
私はテオピロのような人でした。
イエスラムといい関係でした。
しかし、
腹が立ったら、ペトロのように、
人の耳も、
切り落とすことまでできる、
と思いました。
結婚してから、
もしかしたら、
スマホの耳を切り落としたかもしれません。
私は、イエスラムをよく信じている人だと思いました。
私は、最も愛している人と結婚したのに、
自分がどれほど悪い人間なのか、
気づきました。
父母から教えられたイエス様、
私が信じるイエス様、
そのイエス様の話と、
自分の生活は、
そっとかけ離れていたのです。
私の心に、
イエスを信じていない人のような、
そういった姿が、
私の心の中にたくさんありました。
この御言葉の前に立たされました。
私は裏切り者でした。
27:03
表されていない裏切り者でした。
神様、私はこのままでは生きられません。
私も聖人の人に変わらせてください。
方法を見つけました。
よく知りませんでした。
でも、今日の御言葉は、とても簡単です。
今日も御言葉を見たら、実は簡単でした。
ひたすら祈ることです。
声が聞こえるまで、
私に精霊が望まれるまで、
今日もこの空だらけに弟子たちだけではなく、
イエス様のお母さんマリアも、
そこにいたことに注目しました。
イエス様のお母さんは誰でしょうか?
天主からイエス様の受胎の告知を聞いた女の天主です。
女性とは関係がありません。
同情与でイエス様を産みました。
肉体の関係によるものではなく、
乙女、そして妊娠したのです。
イエス様は33年間、母親を育てました。
そのイエス様は33年間、
育てられたお母さんです。
誰よりイエス様のことよく知っているでしょう。
しかし、その女性も
精霊を待ち望んで、
ここに一緒にいるのです。
なぜでしょうか?
いくら大きな奇跡を経験しても、
いくら立派な先生から教えてもらっても、
我らに精霊が望まれないと、
私たちは新しい人になれません。
希望はありません。
精霊が望まれると、言葉は変わりました。
言葉が変わるということは、
霊が変わったということです。
妙谷教会の皆さんも、
まず言葉から変えられますように、
お祈り申し上げます。
精霊様が働かせてくださるところから、
力が現れました。
ペテロがメッセージをするときに、
他の人々に
精霊が望まれました。
金と銀は私にありませんか?
私にある神様の御名によって、
歩きなさいと命じました。
その時何が起こりましたか?皆さん。
ペテロの仕事は、
石ではありません。
両足です。
しかし、その足のない人が
30:00
ペテロの声を聞いて
仰がりました。
皆さん、質問したいと思います。
誰の声を聞いたのでしょうか?
ペテロの声ではありません。
ペテロの中に
ナイフを捨てられる
精霊の声に
従順したわけですね。
ペテロは力の人に変えられました。
日本の血は神の血に変えられます。
この終わりの時代に、神様に
もちろん民族になりますように、
日本人は可能性の持つ
民族だと思います。
その中にミョダニ教会が
持ち入れられますように
お祈り申し上げます。
ペテロが説教すると
一日に三千人が救われました。
人の説教を聞いたわけではありません。
神の声を聞いたんですね。
そこに本聖御殿の神徒さんが
いますけれども、
一緒に開拓して五年になりました。
一週間に私の説教を
五回六回します。
私が人間の口で説教したら
一緒になったかもしれません。
もう退屈して一緒に
いられないでしょう。
しかしいつも礼拝に
始まる時にお知らせします。
聖霊様求めますようにと。
恩賜とは何でしょうか。
完全な人です。
その完全な人は
聖の人です。
もう一つお聞きしたいと思います。
安寿命が起こった時に
ペテロがもっと驚いたでしょうか。
安寿命がもっと驚いたでしょうか。
もっと驚いた人は
私はペテロだと確信します。
以前はそう語ることがなかったですね。ペテロさん。
しかし彼の神ある聖霊様が
語らかれたんですね。
聖霊が語らせてくださる通りに
語ってください。
そのように語ったら
人間関係が変わります。
教会が閉まると
人間関係が変わります。
教会が変わります。
33:00
感謝したいことは
開拓して
今、教会に
199人の神徒がいます。
教会が
カイドが立派だから
ではありません。
我々は
カイドも持っていません。
学校のカイドを借りて
出会いしています。
誰から支援を受けているわけではありません。
ただ、聖霊様だけを
待ち望みます。
開拓する時も
教会を募集する時も
私のダイヤルに
祈りながら
聖霊がくださる思いを
記録します。
それを話します。
そうすれば
素晴らしい行動が
起こります。
ミョダニ教会の
この世の中に
聖霊の御託しが
なければなりません。
そのために私は
心の中に
目標を持ちました。
皆さん、ひたすら
祈ることです。
私はこの御言葉に
法令にやってみたこと
チャレンジしてみたこと
はありません。
そのまま
そしてその後
一緒にお祈りしたいと
思いますけれども
最近のクリスタルは
みんな
賢いです。
私が一生懸命
勉強して
メッセージして
自分の知恵や
格式を
持っていても
人々はすぐに
気づきます。
ある日
山に
祈りに
行きました。
私の
内側に
悪い
義務が
います。
人々は私を
牧師として見て
私を
御託しとして
見ています。
このままでは
もう
持続できないと
思いました。
冬でした。
山に
登りました。
ただ
一人で
登りました。
イエス様が
山で
山に
登りました。
午後
12時から
祈り
しました。
皆さん
考えて
みてください。
寒い冬ですよ。
しかも
夜12時ですよ。
一人で
祈っています。
本当に
嬉しいんでしょうか。
そうでしょうか。
いざそうで
ありません。
本当に
怖かったです。
とても
寒かったです。
ペルサは
来てくれませんでした。
皆さん
一番怖い物は何でしょうか。
お芝の
36:00
音でした。
音がするんですね。
蛇かと思って
びっくりしました。
蛇が
飛んでいたら
まるで
お化けが
飛んでいるように
実際に
お化けを
見ました。
白い
衣を着て
ある
物がいて
私の目の前に
揺れていました。
とても
怖かったです。
明るい日
また
起きました。
朝になって
赤くなって
見てみたら
散歩を
気を付けていました。
山下注意
という
ブランカードでした。
朝4時
ぐらい
になりました。
朝
早朝
4時ぐらい
になりました。
足の親指が
凍っていました。
もう
これ以上
立てませんでした。
でも
本当に
悔しいことは
宗教に
書いてあることが
あまりにも
起きませんでした。
とても
悔しかったです。
本当に
悔しかったです。
私が
信じていることは
何でしょう?
私は
神様に
選んだもの
ではないのかな?
私は
このように
二重的に
生きているのか?
私は
この
二重的な
人間の
ままでいいのか?
時間
は始まりました。
今は
夜が
明けようになっていました。
自信
の
前に
立ってました。
私は
太った
肩を持って
首を
たたいて
いました。
そんな時
いたのですが
私は
山の
中央に
立っていました。
山の
上の
上の
屋根
で
音が
声が聞こえてきたのです。 女性の声でした。
彼がこのように叫んでいました。
父~~~~~ 父~~~~~ 父~~~~~ 父~~~~~
ある女性が祈っていたのです。
その声を聞く瞬間でした。
私の心の中に不思議が起きました。
父の愛が私の心の中に湧いてきました。
私もここに寒くて震えながら祈っているのに
39:00
もっと高いところで祈っている姉妹は、どれだけ寒いんだろうと、
衣服を脱ぐのか、自分の浴衣を脱ぐのか、何かができなかったのか、
私は早くそこにいてあげたかったのです。
瞑想をしてあげたかったのです。
その瞬間、聖人様が求まれました。
あの山の頂上で、夜中、祈っていた姉妹の声を聞いて、
私は何の力もない私が聞いて、助けたい心を持っていた時、
その心に主の声が聞こえてきました。
主は聞いておられます。
助けてください。
私に形がされるような声です。
あなたはなぜ叫ばずにただ立っているわけなのか。
そして私もその時から叫びました。
「お父さん!」と驚き事が起きました。
私の叫ぶ声が響きました、
お父さん!お父さん!お父さん!お父さん!
その声が自らの背中に持ってきたので、
お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん
全てを思い患わないで、おじきるき振るじくこのように叫んで、
まいすんでろうすんじょうはみを、みことがごうにんにじゅうじゅうしたが、ねがのをはみてはげたのをうそむする。わたしがあなたといっしょにいるという声をききました。
その日以来、わたしはきょうにんとなりました。
わたしの妻がわたしがかわったことをきづきました。
わたしの信徒がわたしをみて、先生、かわられたなとわかりました。
ある信徒が実際にわたしのところにいて、こう言ってくれました。
先生、メッセージがかわりましたね。
そして神のみなさんがおこりました。
それを全部話せませんけれども、
しかし確かなことは、
42:01
今日の本文の話が、
日本にも同じく起こりうるということです。
みなさん、聖人になるまで、父さんと叫んだことはあるでしょう。
日が昇るときに、あの女性の声をわたしがききました。
私の声を神様がききました。
聖人になるまで、
皆さんの生活に確かな証拠がなさるまで、
叫ばなければなりません。
従者たちが抱かれていて、
失望していて、
あきらめていたときに、
恥ずかしがっているときに、
エルサレムを離れてしまったならば、
彼らは聖霊を知らなかったでしょう。
みょだん教会のみなさん、
聖霊様は生きておられます。
約束です。
今日のこのひとなだなきを最後まで読んでみますと、
神様の贈り物です。
聖人の人になりますと、
今までと全く違った人生がスタートします。
二つの文字の人生が始まります。
教人という言葉です。
皆さん、聖人になることを願います。
聖人はただ、義理的な信仰を持った聖人ではなくて、
聖霊の聖人と変えられます。
皆さんの言葉の上に、
信じない旦那さんが教会に来るでしょう。
皆さんの言葉の上に、
この日本が、
永久的地震に、
起こるでしょう。
たくさんじゃなくてもいいでしょう。
120人の変化が、
AD2017年まで、
今まで、
全世界の歴史につながっています。
皆さん、すみませんが、その場でお立ちいただけますでしょうか。
では、合わせて祈りたいと思いますけれども、
皆さん、聖人になることに生きられるでしょうか。
そしたら、皆さんのレベル以上にはできないでしょう。
聖人になれば、
教人として生きられます。
デオヴィロで、それに終わってほしくありません。
聖人に代わって、そして天に行きたいです。
45:03
聖人は、命の音を声を出します。
聖人は、
その自分の手を、
イエス様の手の上に重ねます。
聖人は、その自分の歩みを、
イエス様の歩みの上に重ねます。
そうすれば、聖人は、イエス様を温存にするような人になります。
私たちと一緒に、
父と呼びます。
私を聖人の人にならせてください。
どんな人でも、
聖人になるまで祈ると、
必ずそのようになると信じます。
何回か言って、祈りたいと思います。