00:01
はい、ありがとうございました。
それでは、メッセージに入る前に、隣の方々とあいさつしたいと思います。よろしくお願いいたします。
お二人から、いらっしゃいませ。
よくいらっしゃいました。ありがとうございます。
はい、それでは一言。
大切な神様、今日も私一人一人を、この礼拝に主が導いてくださり、ありがとうございます。
今日初めての方々、また久しぶりの方々、毎日の聖テール、教堂の聖テールの上にも、一つめぐみであふれるめぐみを、主よ、今、我らに注いでください。
御言葉の中で、聖徳様が教えて、感動を与えて、心を開かせてくださいますように、
私はあなたの御言葉を聞かせてくださいますように、お願いをいたします。
いでにがでて、感謝して、イエス様の御名によって、お祈りいたします。
アーメン。
はい、ありがとうございました。お若しさま、素晴らしいお若しさま。
今日は、シリーズのメッセージの続きですが、石子神像のメッセージをですね、教えていただいています。
私が信じるのは、その5番ですが、我は主なるイエスを信ず、というところです。
私たちが何を信じているのか。
それから、私たちが告白している内容、その真空告白がどんな内容なのか、それを一つ一つ学んでいくところです。
今日は、主なるイエス様です。
イエス様がこの前は、独り子なるイエス様について教えていただいていたんですけど、
今日は、イエス様が主であること、主人であること、我らのオーナーであることをともにですね、考えて、生徒から教えていただきたいと願っております。
3つのポイントをお話したいと思いますが、
まず第一点は、人生の主人はイエス・キリストであるということです。
人生の主人はイエス・キリストです。
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皆さんも、人生のオーナーは誰だと思いますか?
皆さんも人生の主人は誰ですか?
皆さん、自分でしょうか?
あるいは、奥様の方は、お家にいらっしゃる旦那様でしょうか?
私たちの人生の主人は、ただ一人、イエス・キリストです。
私たちの人生の出発点は、ここから始まらなければならない。
その御言葉に、イエス様がですね、「私はよみがえりです。命です。私を信じる者は、死んでも生きるのです。」とおっしゃったんですね。
そして27節、この女性の告白は、素晴らしいことですね。
はい、主よ。
この女性は、イエス様を先生とか、あるいは聖人とか呼んでいない。
主よ、主よ、呼んでいるんですね。
イエス様を、ただ普通に偉い人とか、先生とか、教師とかではなく、主として受け入れて、主として信じて、そして主と告白しているこの人口が、私たちの人口の出発点であり、いや、それが全てなんですね。
ローマ語との手紙、10章12節を見てみたいと思います。字幕に出ますので、そのところを見ていただきましょう。一緒に読みましょうか。
3、ユダヤ人とギリシャ人との不別はありません。
同じ主が、主を呼び求める全ての人に対して、恵み深くあられるからです。
ここに、同じ主が全ての人の主であるとあります。全ての人です。
抜ける人も、漏れる人も、一人もいます。
イエス・キリストこそが、全ての人の主です。
この主を、イエス様をですね、ただ教師とか先生とか精神とかじゃなくて、イエス・キリストを主と呼ぶ人、イエス様を主と呼ぶ者には、
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全ての人に対して、その人はどんな人であろうが、初めて教会に来た人であろうが、あるいは長い間イエス様を信じる人であろうが、子供であろうが、大人であろうが、黒人であろうが、白人であろうが、
イエス様を主よと呼ぶ人は、全ての人に恵み深くあられる。
皆さん、この単純な真理を信じていただきたい。
イエス様を主と呼び求めるだけで、その恵みが満ちあうれる。
その恵みが、その人の上に、イエス様を主よと呼ぶ者の上にあふれるほどの恵みが注がれるということです。
でもですね、実際にイエス様を主よとかを呼び求めることは、そんなに簡単なことではないんですよね。
例えば、50歳の時にクリスチャンになった方がここにいらっしゃるか知りませんけれども、ある意味ね、50年かかった、そうなんですね。
イエス様を主よ、主よ、二文字。この二文字が口先から出てくるまで50年、あるいは20年、あるいは70年かかった人もいるかもしれない。
ですから皆さんがイエス様を誰々さんじゃなくて、主よと呼び求めていること、それができたことは奇跡中の奇跡ではないでしょうか。本当に奇跡なんです。
日本だけ見てもですね、クリスチャンの人口は0.4パーセントです。1億2千7百万人の中で、皆さんのようなクリスチャンの人口は約50万人ぐらい。
だから千人の中で4人がクリスチャンなんです。簡単に言えば。これは奇跡なんです。皆さんは奇跡の人口なんです。
私のような場合はですね、クリスチャンホームで生まれて、もういつの間にかクリスになっている自分のことを気づいた、こんなケースですけれども、皆さんの場合はほとんどそうではないんですよね。
生まれた時も、小さい時も、あるいは青年の時、イエス様とか教会とか聖徒とか、全く関係のなかった人が、ある方はお友達の教会で、ある方は一枚チラシをもらって、ある方は病気ではしっかりになって、
09:10
ある方は心の悩みのゆえにイエス様に出会って、そしてそのイエス様を救い抜き、「主よ、あなたが私の人生の主人です。あなたが私の人生の王様です。」と呼び求めることができた。
これは本当に奇跡の奇跡じゃないですか。さっきのお二人にお返しをしてもらいましたけれども、最初の彼は、大学生活を酒を喰らう、お酒ばかりの暮らしをしたわけなんですね。
昼も夜もお酒とともに、そんな生活ばかりだった彼が、イエス様に出会って、今はお酒を飲めないんですよね。全く別人になった。奇跡じゃないですか、皆さん。
また、あとの二番目の彼は、周りにクイシャーが一人もいない。宗教に関心もない。伝播してくれる人も一人もいない。
でも、家庭教育がクイシャーだった。その家庭教育に教会を一緒に誘われたわけなんですよね。その教会にたまたま行って、今になってクイシャーになって、宣教にまで来て、私ができていること、奇跡じゃないですか。
また、それは神様の恵みなんですよね。
主を呼び求める者に、満ち溢れる恵みを、上から溢ればかりの恵みを与えてくれる。誰にですか?イエス様を主よと呼び求める人なんです。
皆さん、この主人は、私たちの人生のマスターです。我らを作られた方です。我らの人生を導いてくださるお母様です。
第二番です。主なるイエス様は知らないことがあります。イエス様は神様であります。その知恵も知識も無限大です。尽きることはありません。知らないことがないんですね。
聖書一箇所を見てみましょう。コロファイ第二の半節です。一緒に読みましょうか。
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このキリストのうちに、知恵と知識との宝が全て隠されているのです。アーメン。
皆さん、イエスキリストのうちに全ての知恵と全ての知識が宝が全てですよ。聖書で全てと書かれているならば、全てです。漏れることは一つもありません。
この世を作られた方、私たちを作られた方は全てのことを知っておられる。そして知っておられるだけではなく、その知識をもって、知恵をもって、宝をもって、私たちを助けてください。
皆さん、私たちの知恵は不完全です。知ることより知らないことが多いんですよね。この前、選手でしょうか、娘が学校で試験でした。
数学の勉強をしていて、私にパパ、これを教えてもらえると言ってみた。わかりました。確かに高校のときに学んだことですけれども、わかりました。
もともと数学は苦手なものですけれども、わかりました。
また、2番目の試験者が5年生ですよ。社会の試験で点数とかもらったものを持ってきて、見たんですね。
私も知らないんですけれども、かなりよく、急に難点ができたけれども、見ても知りません。日本の社会でして知りません。
単なる数学とか英語とか、そんなものだけでしょうか。他にも、子育てのことや自分の悩みをどう解決すればいいのか、夫婦関係をどうすればいいのか、あるいは人生のこの先のことをどうすればいいのか、知りません。
5分後のこと、10年後のことすら、私たちには知っていることより知らないことが遥かにたくさん多いんです。それが私だけなんです。しかし大丈夫です。なぜでしょうか。
主なるイエス・キリストは全ての知知と全ての知恵を持っておられる。そして全てのことを知っておられるから、全ての人に全てのニーズを見させてくださることができるんですね。
15:09
皆さんは何で悩んでいるか、その悩みの答えが何なのか、皆さん自分には知らないことを主は知っておられる。その知恵を満たしてくださる、そのニーズを満たしてください。
個人のことや家庭のことや、あるいは教科に何が必要なのか、主はそれを満たしてくださる。知恵をご存じであられ、そしてそれを満たしてください。
一つの証をしたいと思います。二つの先生がいました。一人は川崎市で働いておられる。もう一人は横浜市で働いておられる。
この川崎市で働いている先生は来週、遠くに店員で行かれる。横浜のその先生も場所を変えました。その二つの先生に少数のニーズがありました。
それは車でした。二人とも車がなかったんですね。遠くに行かれる先生も、前の車がもうぼろくさせて、もう廃させて、買わなくてはならないんですけれども、もう祈っておりました。
買う余裕がなかったので、お祈りしていました。神様、遠くに行かれなりません。でも車は必要です。必要。あなたにはこの常用車一台は、幼子祭祭です。必要。どうぞ。お祈りしていました。
もう一人、横浜の先生も車がないんですけれども、駐車場も借りておきました。車がないのに駐車場だけ先に借りて持っておりました。二人とも祈っていました。
そして、不思議なことが起きました。川崎市にある教会があります。その先生は翔子という先生ですけれども、その教会に、二級館を機に教会の信徒さんが、最初はニッサンのキューブを、新車ではないんですけれども、割と新車、近い車を、
もし先生がご存知の方の中で、車を必要としている方がいらっしゃれば、支えらってくださいと。その先生が祈りに入りました。神様が遠くに行かれる先生を前から知っていたんですね。
18:00
でも、車が必要だったのか知らなかったんですね。祈っているときに神様が、翔子先生に電話していたら、「車が欲しいんです。ここにありますよ。」キューブが翔子先生に与えられて、その車に持って遠くに行かれました。
2時間後、もう一人が豊田の6人乗りの車を、車検も2年付けて、そして保険も2年付けて、また持ってきました。
先生、もし車が必要である先生がいらっしゃれば、この車を差し下げてくれませんかと、きれいに整備して持ってきました。
それで、先生がまた祈りに入りました。で、横浜の先生のことが思い出しました。電話して言いました。
「駐車場借りています。どうぞ送ってください。」素晴らしいですよね。
横浜の先生のニーズも、川崎市の先生のニーズも神様知ってあげた。でも、プロの検品した人のことも神様知ってあげた。
そういう先生を通して、それがちょうど必要な時に、絶妙なタイミングに車を。
これが、私たちの主なる神様です。
車は、本当に神様にとっては、お茶のご主体です。もっと素晴らしい、莫大なものの主は、与えてくださることができるんです。
すべての知識と、すべての知恵、宝は質のものです。
もう一か所見てみましょう。第一コリント1章24節ですか。
一緒に読みませんか。3、はい。
ユダヤ人であっても、ギリヤ人であっても、めされた者にとっては、シリストは神の力、神の知恵なのです。
アーメン。
皆さん、めされた者にとっては、イエス様は神の力です。神の知恵なんです。
だから、イエス・キリストと人格的な関係を持っている人。
イエス様を救い主として、主として受け入れた者に、キリストは神の力です。神の知恵なんです。
この力は、文語訳制度ですかね、そこには能力と書いて、それを力と読むんですよね。
言語はルナミスと言います。ルナミス。
それは莫大な力です。
21:02
闇を打ち破る。死を打ち破る。
人生の試練より、病より勝る力が、このルナミスなんです。
この力を持っておられる。
だから、私たちの全ての試練も、苦難も、大変なことも、主は打ち破ってくださる。めぐってくださるんですね。
だから、心を広げるんです。その方が、私たちの主人であるからです。
3番目に行きましょう。
3番目は、主なるイエス様は、豊かな方であり、与えることを喜ぶ方です。
主なるイエス様は、富んでおられ、そして与えることを悲しみにしておられます。
イエス様は、私たちに全てのものを与えて、与えて、与えて、与えて、また与えて、さらにさらに与えてくださる方です。
惜しみなく、喜んで与えてくださる、簡単な方です。
例えば、皆さんがイエス様にお会いしたくて、夜2時であろうが、3時であろうが、イエス様にお会いしたい。
そして、祈ったら、イエス様が、今眠いから足首にしよう。そんなことはないんですよね。
いつも出会ってくださる。
いくら目立って、2時間であろうが、10時間であろうが、丸々1日であろうが、主は会ってくださる。話を聞いてくださるんですね。
私たちには、それができないんです。
私が教会で働き終えて、家に帰るんですね。そしたら、時々、ハンナが1日、いろいろ説教を聞いたり、聖訓で恵まれたことをですね、わーっとですね、30分しも語るんですね。
たまにはよく聞いてくれるわけなんですけど、たまには、しんどいときもあります。それが我ら人間なんですね。
だいたい男性の方はそうでしょう。
でも、イエス様は飽きることがないんです。
いつでも会ってくださる。そして、どこまでも話を聞いてくださるんですね。
また、私たちが昨日求めたことを与えてくださる。また、今日また求めたとしましょう。そして、また与えてくださる。
明日また求めても与えてくださるんですね。また来たか、そんなことをおっしゃらない。与えて、与えてくださる。
24:12
この世界に、このような主人がどこにあるんでしょう。いないんですよね。
聖書を一箇所見てみましょう。ヨハネ十書、十節です。一緒に読みたいと思います。
殺したり滅ぼしたりするだけのためです。私が来たのは、執事が命を得、またそれを豊かに持つためです。アーメン。
イエス様が来たのは、執事は私たちです。私たちに命を得させるためです。
そしてその命は、たったですね、ちょっとだけじゃなくて、豊かに。神様の豊かの世界は、無限の豊かさです。
尽きることがない、限りがない豊かさです。それを持ってみさせてくださるんですね。
もう一箇所見てみましょう。フィリピの四書十九節です。この御言葉をぜひ覚えていただきたいんですね。覚えていただきたい。
そして、尽きてしまったときに、皆さんの精神が、心が、物が尽きてしまったときに、この御言葉を覚えて、信仰を持って告白していただきたいんですね。
では一緒に読みますわ。三杯。
また、私の神は、フィリピとイエスにある御自身の栄光の富をもって、あなた方の必要をすべて満たして下さいます。アーメン。
あなた方の必要を一つであります。すべて満たして下さいます。信じましょう。御言葉通りです。
まあ、来週ですね、あると思いますが、先週、役員会で6月の会計報告がありました。神様は妙だに教会のニーズを御存じであるから、一月、主は潤して下さいました。
赤字ではなく黒字に、主が満たして下さいました。
神様の尊い捧げ物を持って、主が教会の必要を、ニーズを満たして、潤して下さったんですね。
尽きることのない富の神様が、皆さんの信仰と偏見を見られて、そして満たして下さいました。
これからはさらに、さらに、2倍、3倍、10倍、100倍以上、主が満たして下さい。そして神様が働かれることを信じていきたいと、そう願っております。
27:03
一つですね、今、兄弟たちの選挙チームとのお出会いでしょうか、それをちょっと分かりたいと思いますが、
考えてもいなかった、素晴らしい恵みだったと思うんですが、本当に主は、明らかに教会に何が必要なのか、御存じです。
昔からの皆さんの祈りを、主は強いておられました。そして、主が働いておられることを、本当に強く深く感じて拝見しているところですが、
実は私が今年に入って、また不倫したばかりですし、その年ですから、誰かに選挙チームを送ってくださいとか、送ってほしいとか、お願いしたことはなかったんです、実は。
一つの課題としては、つられたところですよ、周りに大学が多い、教会にはまだまだ若者が少ない、現実を覚えて祈っていました。
この若者の連絡のために、働き手を送ってください。それが一週間であろうが二週間であろうが短期チームでもいいですし、あるいは半年とか一年とか働き手を送ってくださいと祈っておりました。
それで、私が福岡におるときに、シビアにあった親子のある韓国の選挙師と会って、福岡に来て、その選挙師が大阪から神戸に移っていらっしゃる先生のことを教えてくれたんですね。
私に選挙師と連絡してみてくださいと、きっと助けになるかもしれませんよと言われました。
それで、一ヶ月前でしょうか、尼崎市まで行って、その先生が大阪に会いました。
お家で食事も兼ねていろいろ話していたところ、教会の事業をお話しさせて祈ってほしいと言っていたんですね。
周りに学校が多くて、教会にはまだまだ少ない若者が一人でもいいしチームでもいいししてほしいなと、
そういう話を正直に話させていただいたところ、その先生の話によると、ちょうどその週でしょうか、前の週に、彼らが予約していた教会がポパキャンになったんです。
その教会の先生が選挙師だったと思うんですが、いろいろ事情がありまして帰国したくならないことがあって、チームを受けることができなくなったんです。
30:00
その選挙師が祈っていたんですね。もう父とも勝ったみたいです。だから来るんですけど、どこに行っても教会が閉まっていなかった。
でも、うちは来てほしいと。しかし、ちょうどそのときにその先生とお出会いがあって、祈って、そしたら一週二週それぞれお祈りしましょう。
そのときもいつか祈って、ちょうどまた役員会がその週にあったんですね。役員会でお祈りさせたら、役員の皆さんがみんな大喜んで受け入れましょうと連絡して、彼らがここに来ることができたんです。
お互いに恵まれましたね。選挙チームはこじにならなかった。
本当に感謝ですね。神様は彼らの必要も、私たちの必要もご存知、豊かに満たしてくださっています。
そして、本当に熱い中でしたけれども、一週間、大学にキャンパスにいて、本当に友達になって誘って、大学のときにありますけれども、火曜日には4人が、また木曜日は2人、日曜日は17名でしたかね。
そして、昨日は3人が来て、その中の2人が決心の受け入れの祈りもしてくれた。また今日もまた2人が来てくれた。嬉しいことなんです。
皆さん、主なるイエス様は、私たちの必要をご存知である。だから、ご存知の方がそれを満たしてくださるんです。
私たちの人生の起源は、イエス・キリストです。その主が全てのことをご存知であられ、そして満たしてくださる。その主を信頼して祈っていきたいと思います。お祈りいたします。
まず、今日の御言葉を覚えて、また、主を信じる者となるように、そして主を受け入れて、イエスを主として、王様として、人生の持ち主として受け入れる。
そして、その主に従って生きることができるように、豊かな人生を送ることができますように、我々の必要を満たしてください。人共に歩む人生とならせてください。
これを合わせて、祈っていきたいと思います。では、これを合わせて、みんなでお祈りいたしましょう。
ハレルヤ神様、あなたの御神の心から感謝いたします。あなたの御神が我々に本当に主を感謝いたします。今日も一人一人お主さん、愛してください。
33:00
本当に主を感謝いたします。今日も二人の共産姉妹の主、あなたが踊っていらっしゃった、本当に主を感謝いたします。あなたの御神が我々に一人一人ありましょう。
私は本当に感謝、両主は知っておられ、そして我々の全てのことを満たしてください。祈って参る人に主が満たしていただく、本当に主の言葉は感謝いたします。
今日どうぞ、ここの中にあなたの恵みが豊かに豊かにありまして、主の祝がありまして、本当に主をあなたが満たしてくださいますようにお願いをいたします。どうぞ感謝いたします。
あなたの恵みを豊かに祝してください。感謝いたします。どうぞ主様、ハレルヤに応えてくださいますようにお願いをいたします。
イエス様の御名によってお祈りいたします。一言お祈りします。
彼女はイエスに言った。はい、主よ、私はあなたが世に来られる神の子、キリストであると信じております。
神様、私たちがイエス様をキリストとして信じていることを、この新婚の恵みを心から感謝をいたします。
また今日、二人のお話が決まったけれども、これは偶然ではない。主の愛のお導きであること。
主どうぞ、あなたが彼らの心の中に安らぎを与え、平和を与え、将来を与えてくださいました。
そして、富に富んでおられる人共に歩むことができますように。
主どうぞ、新婚の道を歩めるように。
主どうぞ、あなたが導いてくださいますように、聖霊様、感動を与えてください。
我らの人生のこの道を、主どうぞ、人共に歩む幸いなものとしてください。
神様、感謝いたします。イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン