1. 名谷教会
  2. 2015/07/26:聖日礼拝(旧音源)
2015-07-26 37:35

2015/07/26:聖日礼拝(旧音源)

2015/07/26 聖日礼拝(旧音源)




00:01
皆さん、おはようございます。
熱い霧が続いていますが、皆さん、お元気ですか?
それでは、今日もお互いに挨拶しましょう。よくいらっしゃいました。
一言を祈りさせていただきます。
神様、主の拭みを感謝いたします。
こうして、主に会って、心を一つにして、主への感謝の賛美を捧げ、祈りを捧げ、また、主から言葉をいただきます。
主をどうぞ、お語りください。
イエス様の皆によって、お祈りいたします。
アーメン。
はい、一般働きの連続説教がですね、今日で14回目です。
連続ですから、時には先週のようにですね、恐ろしいようなことも書かれていたり、
この主の働き一環だけ見てもですね、この中には、個人のことや、あるいは家庭のこと、あるいは教会のこと、
あるいは肉のこと、あるいは霊のこと、様々な私たちの人生、あるいは信仰についてですね、本当に豊富に書かれていると思います。
ですから、私たちがこの主の働きの御言葉を通して、私たち個人個人の生活や、あるいは信仰生活、
あるいは教会のあらゆる営みのためにですね、とてもバランスの取れた御言葉をいただくことができるかと思います。
そして、主の働きは今からですね、はるかにほぼ2000年前のストーリーなんですけれども、
特に教会において起きた様々な事件や、あるいは死屈、あるいは死位、あるいは人の失敗とかですね、
そういったストーリーを書いて、そして私たちに語っていますから、この主の働きを通して、私たちはですね、本当に宝のような宝石のような教訓とか真理を学ぶことができると思います。
03:08
先週の5章の1節から11節のストーリーはですね、とても衝撃的な事件でした。
ですから、聖書はですね、もともとの原本は見つけていないんですけれども、この1章とか2章とか、そういう分けていないんですね。
人の働きからザーッといくわけなんですから、短編的にとって読むのではなく、これをまるで歴史のように、絵画のように、これは一つのストーリーとして、私たちがそれを前後を見ながら、読みながら理解していただきたいなとそう思います。
確かにですね、アナーニアとサスピラのあの事件は、今日の私たちにも読みづらくて、受け入れにくい出来事でした。
確かにエルサレム教会には大きな衝撃だったことです。
エルサレム教会の神父の目から見たらですね、先週まで一緒に礼拝していた、あのアナーニアとサスピラ夫婦が、彼らの住む家に亡くなってしまったわけなんですね。
ですからこの事件は、エルサレム教会の生徒たちには大きな恐怖と憤慨となったに違いないと思います。
しかし、それを私たちがどういうふうに見て解釈するかが大事だと思うんですね。
先週も申し上げたように、サタンは私たち生徒と教会を潰そうとして使い落ちようとしている。
しかし、神様は教会と生徒を守って、その清潔を主が守ってくださったこと。
この出来事が1節から11節の記録です。
ですから事実ですね、この出来事は、エルサレム教会にとっても、彼ら信徒、人々にとっても大きな危機のようなことだったんですよね。
大きな危機でした。大きな試練でした。大きな悲しみなんですね。
ところが皆さん、神の人には、シューイエス・キリストを信じる人には、危機や試練や悲しみはそのままで終わるのではありません。
今日のタイトルにあるように、危機の後に来る支給が必ずある。
06:05
今日、読んでいただきましたけれども、1節から11節のあの恐ろしいような、とても悲しいということ、非常な恐れが生じるあの事件があって、
そのすぐ後にですね、12節からは、今まで味わったことがないような大きな敷居と、敷居をエルサレム教会のみんなはそれを経験しました。
皆さん、この敷居の後に来る敷居、これは偶然でしょうか。そうではないですよね。
これは神様が試験を持って、神様がなされた神様の御業であります。
これからもですね、人の働きから教えていただきますが、特にこの人の働きを読んでいきますと、
試練とか、あるいは失敗とか、あるいは悲しみとか、あるいは敷居の後にはですね、本当に驚くべきのような救いと支給と恵みが起きてくるということを私たちが知ることができる。
英語にノークロスノークラウンという言葉があります。この言葉はですね、日本語で意味なくするならば、試練や危機を通り抜けなければ、祝福を手にすることはできないということではないでしょう。
試練や危機を通り抜けなければ、祝福を手にすることはない。
私の友人の一人がですね、イギリスで進学博士と取るまで、だいたい6年くらいかかったそうなんですね。
普段ですね、5年づらいかかるみたいなんですけれども、私は行ったことないからわかりませんが、6年もかかってですね、
その6年の間にイギリスでもう言い尽くせない苦しみと涙があった。そこには人種差別もあって、また教義からの差別があって、
また博士号だから証人なんですよね。その中でもまたいじめがあって、その他にもですね、本当にもう数多くの辛いことや苦しいことがですね、たくさんあったそうです。
それでですね、彼がですね、6年の間ですね、もう何回もですね、自分を苦しめるイギリス人をぶん殴ってですね、もう家に帰りたいという気持ちがたくさんあったそうです。
09:09
ところが彼はですね、その時にそのたんびにですね、自分が行っている小さな教会があって、そこでですね、もう夜のたんびにですね、もう泣きながら、叫びながらですね、祈ったそうなんです。
その時に、師は彼にですね、こう語ってくださるような心があったそうなんですね。神様あるとね、彼を、「私はあなたの心を知っている。私はあなたの涙を知っている。私はあなたの苦しみを知っている。
私があなたを捉えているから、誰もあなたに害をすることはありませんよ。そして今の危機や試練は必ず至急に変わるんだ。そしてあなたをからかったあの人々、彼らが必ずあなたの前で頭を裂ける日が必ず来るよ。」という話です。
それですね、彼は6年間もですね、大変忍んで忍耐してですね、だけど6年間も我慢できたなと思うんですけれども、忍耐してですね、彼はその博士号を取る時にですね、学位指定と言いましょうか、その時にその学校の最高学位論文賞みたいなですね、そういう賞をもらってですね、
彼をからかっていた仲間たちや教授もですね、彼の前にですね、もうみんな敬語になってですね、頭を裂けていたんですよ。
皆さん、私たちは生きていく中で様々な試練や危機に、そういった関門に打ち当たる時があります。
例えば、願わないんですけれども、まだ元気で働けるんだけれども、丁寧に対策をしなくならないこともあるでしょう。
あるいは本当に願っていないんだけれども、願わぬ病気を患うこともあるし、あるいは本当に避けたい状況の中にですね、ポンと落とされたかのようなこともあるし、
あるいは周りにですね、自分を苦しめる人があったりするかもしれません。
この時どうしたらいいんでしょう。あるいは皆さんはどうしていらっしゃるでしょう。
人がいないから諦めてますか。あるいはその状況からその人々から逃げたらいいんでしょう。
12:09
あるいはその人と喧嘩してですね、もう威嚇してですね、屈服させてですね、これ以上苦しめてこないようにしたらいいんでしょう。
皆さんはですね、そうされていないと思いますか。
福や試練の時こそ、今日のお言葉をぜひ覚えていらしたいんですね。
それは、全てのことを神様の方法で解けば、危機の後に必ず祝が来る、という。
これが今日のキーワードです。
全てのことを神様の方法で解けば、危機の後に必ず祝が来る、という。
これは皆分かっているようなんだけれども、実は分かっていない人が大勢いるかなと思うんですね。
危機の後に必ず祝が来ます。
どんな人にでしょうか。
全てのことを神様の方法で解くしかない。
差し込みと神の祝福を大いに受ける人はどんな人なんでしょう。
それは、自分の方法ではなくて、神様の方法でこの人生の様々な問題を解く人なんです。
そうすると、そこに平安が満ちる、喜びが満ちるようになるでしょう。
これが皆さん実は、人の働きから学ぶとても貴重な教訓なんです。
エルサレム教会の人たちは、いつもそういう風に問題を解決していました。
人間的な方法や自分のやり方ではなく、神様の方法で、神様のやり方で全ての問題を解いていました。
これが皆さん、祝福と奇跡の指定手段です。
人の働きから教えられる人生公式があるとならば、それは神様のやり方で問題を解く。
WHOという、世界保健機関という機構があるんですね。
そこでですね、現代人の疾患の主要な原因はストレスだと。
皆さんどうでしょうか。皆さんストレスを多く感じていらっしゃるタイプでしょうか。
全員で感じていらっしゃらないタイプでしょうか。
昔はですね、ストレスという言葉すらもなかったそうなんですね。
15:02
現在では本当に多くのストレスを受けているかなと思います。
会社に行っても受けて、学校に行っても受けて、家に戻ってきても受けたりすることが。
この皆さん、私たちクリスチャーはよく考えてみたら、
家様を信じた後からはストレスが少なくなっているのではないでしょうか。
消えているのではないでしょうか。
同感している方もいらっしゃるんです。全然同感していない方もいらっしゃるんですけれども。
今まではですね、以前はですね、家様にお会いするまでは、
自分のやり方で、自分の力で、自分の考えで、この問題を解こうとしたから、
辛くて、ストレスが溜まって詰まって、肩こりで、肩がこりこりって、
痛みたくなって、いろんな病気がかかったりするんですよね。
しかし、家様を信じてからは、試練が来ても、
自分の方法を無くす。
自分のやり方を空っぽにする。
そして、神様の方法で問題を解くから、ストレスが消える。
病気が消える。
憂いが、思い患いが消えて、涙が消えてしまうのではないでしょう。
この人名だらけのエルサレム教会は、
全ての問題を神様の方法で、神の方法で解いたから、
危機はありますが、苦しみはありますけれども、
その後に必ずのように大きな大きな至福が、神様の方法で問題を解くということは、
神様に全てを委ねてしまう。
任せてしまうことはない。
言い換えるならば、自分で問題を解こうとするその心さえも、
あるいは自分が人や状況を操ろうとするその心さえも、
自分の思う通りにやりたいその心を空っぽにすることはない。
無くすことはない。
多くの人です。
心配の原因の一つは、
自分の思う通りに、思考や今置かれている状況を変えようとするから、
操ろうとするから、そこからもっと大きな問題が起こるのではないでしょう。
例えば、親子の関係を考えてみましょう。
いろんな問題が起きたりするのでしょう。
18:02
子どもにだけ問題があるのでしょうか。
そうではないと思うんですよね。
実は、親が自分の思う通りに、自分の心に合わせて子どもを変えようとするから、
子どもを操縦するように操ろうとするから、
親もストレスがあって、子どももストレスがたまって、
そこでパッと問題が起きるのではないでしょう。
夫婦関係も同じだと思うんですよね。
妻が夫を変えようとするから、操縦しようとするから、
あるいは逆に夫が妻を操ろうとするから、そこにトラブルが起きるのではないでしょう。
皆さん、主義をお任せするということは、
自分が人や状況を変えようとするその心を操ろうとするその気持ちを空っぽにするときに、
神様の方法が我々の人生に始まります。
皆さん、振り返ってみてください。
皆さん、今まで自分のご主人を、自分の奥様を、
あるいは自分の子どもを自分の思うとおりに変えようとして操ろうとして、
うまくできたのでしょうか。
うまくできた方、一人もいないんですよね。
今日ですね、旧約戦争の中で一人の人をお話ししたいと思います。
彼はですね、本当に人間的な方法、それをもう使いすぎて、
いろんな葛藤やストレス、逃亡が続く人生、
しかし彼は後々は神様の方法でもんだよ、と言ってですね、
喜びと平安を味わった人がいるんです。
誰でしょうかね。
小説に出てくるクイズです。
ヤコブです。
まずですね、彼が自分のやり方で人間的な方法を使ったときに、
彼の人生がどれほど不幸で葛藤が多くて、不安が多くですね、
ストレスが多かったのか見ていきましょう。
ヤコブは小さいときから何と言いましょうか、ゆるかしというものです。
彼はですね、よくもですね、
この自分のやり方、人間的な方法をうまく巧みに使うものです。
自分の心のままにですね、危機を操ろうとしました。
21:00
自分の状況、自分が時なのに、
強難のその執拗を奪おうとしですね、状況をですね、
うまく巧みにですね、操ろうとしてしまいました。
そしてですね、お父さん遺産が鹿の料理が食べたい。
そしたらですね、餌は料がうまいだから鹿をですね、料に出かけているうちにですね、
ぽちぽちとって目が霞んでなかなか見えないその遺産をだまして、
自分は時難なのに調子の低くを奪ってしまいました。
その状況を自分が耐えようとしたわけなんですよね。
お父さんを、兄を操ろうとしたわけなんです。
この時からヤコブの人生には不安やストレスや緊張の人生が続いたわけなんですよね。
そのヤコブのことを知った餌はヤコブに復讐してくるだと思ってですね、ヤコブは、
遠く遠く海外に逃亡してしまいました。
逃亡者の人生が始まったわけなんですね。
たぶんですね、もしですね、あの時にヤコブが健康死んだ人間物を受けたらですね、
不眠症、胃腸病、ストレス、タパコフィを病んでいたかもしれない。
誰かがですね、ヤコブさんと言ってきてですね、そうしていたかもしれない。
ところが彼らはですね、彼はですね、あの逃亡の生活の中でもですね、自分のやり方を空っぽにしていないんですね。
あのおじ、ラバンのもとでシモメのように暮らしていながらも、
もうですね、頭をですね、毎日のようにですね、回して回して、
ずるがしとく状況やラバンや、あるいは自分が恋していたですね、
その娘をですね、自分の嫁にしたくですね、いろんな悪賢さを働かせました。
財産を増やしました。
例えば、あのヤギがですね、健康なヤギを産んだら、それは自分のものにする。
弱い病気のヤギを産んだら、それはおじのものにしてしまう。
そういうふうに財産を増やしました。
だから彼はですね、あの20年間、あっと伸ばして寝たことは一度もないんじゃないかと思うんですね。
いつも人を黙って、いつも人を操ろうとする。
自分の思うままに状況を変えようとする。
なんと不安なストレスのたまった人生だったでしょう。
想像してみてください。
20年間ですよ、ラバンのもとでですね。
20年間、本当に彼は心臓病があったかもしれません。
その不安や恐れ、不眠の日々が、
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自分のやり方で、自分の方法で、この人生の問題を解こうとしたあの人生が20年も続いて、
なんと辛かったことでしょう。
きっとですね、彼は夜ごとにですね、悪夢にうなされたことがたくさんあったと思うんですね。
それで彼はですね、もうおじと共同生活ができなくなってしまって、いよいよふるさとに会えようと思いました。
しかしまだ、ここでまたヤコブのこの悪賢さが働きますね。
多くの家畜や財産をプレゼントとして餌にですね、送ってですね、しかも自分が持ってくれないんです。
自分が行列の一番、もう最後に立ててですね、先にですね、送るんですね。
殺されたらまずいから送ってですね、そして兄の心を和らげようとしまいました。
まだ自分のやり方を、自分の方法を空手にしていないヤコブでした。
しかし神様は、今度は神様が彼を変える時が来ました。
矢牧という川がありました。それを渡ろうとしていたときに、あの川岸で見つかると人申しました。
レッスリング、英語で見たらレッスリングと書いてありましたけれども、ある日本の先生は相撲と似ているのではなかったか、そういうふうにですね、訳しました。
そこで彼は初めてのように神様にお会いしました。そして彼自身が変えられましたね。新しい人になりました。
名前も神様がですね、ヤコブではない。何と名付けていたのでしょうか。イスラエルと名付けていました。
そこで彼はその場所をですね、ペヌエルと名付けました。そのペヌエルという意味は、顔と顔を合わせて神を見た。
今まで神様を見たことがない。いや、まさに今日で自分は神様を顔と顔を合わせて。
この時以降からヤコブは、全ての問題を自分のやり方で自分の思いで人や状況を変えるのではなくて、操縦するのではなくて、それを全て空っぽにして、
神様の方法で人生の問題を解く人に、自分の方法を空っぽにして、人や状況を変えようとしたその思いも空っぽにした時、ヤコブの人生にはですね、初めてのような平和と喜びが訪れてきました。
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これを覚えていただきたい。
彼は今までは自分で人や状況を変えようとしましたが、神様にお会いしてからは顔と顔を合わせて死にお会いしてからは、
神様が人や心を状況を変えてくださる恵み、神様が状況を変えてくださる奇跡のような恵みを体験させていただきました。
これが大事です。
これですね、エサにあった時、どんなことが起きたのでしょうか。皆さんご存知でしょう。
復讐してくると思った兄将がですね、彼が先にヤコブを見たらですね、彼が先に走ってきました。
そして抱きしめて口づけをしてですね、あのプレゼントももうこれはあなたのものだ。
エサが先に和解をしてくれました。
今まで何もなかったように、ヤコブを喜んで嬉しく迎えてくれました。不思議なことが起きたんですね。
先ほどですね、ちょっと聞きかけたいと思いました。全部は読みませんが。
双世紀三十三章十節。これですね、エサとヤコブがですね、再会した時にですね、ヤコブがどういう話をしているのか。
この十節がとても印象深いんですけれども。六十ページです。九百世紀の六十ページ。十節。一緒に読みたいと思います。
ヤコブは答えた。いいえ、もしお気に召したらどうか。顔を、神の御顔を見るように見ていました。
あなたが私を心よく受け入れてくださいましたから。アメン。
皆さん、今までですね、ヤコブにとってはエサは敵の顔なんです。見たくないんですよ。会いたくないんです。
しかしですね、今ヤコブが何と言っていますか。兄エサの顔を見て、誰の顔?神の御顔を見るように見ていますと。
それですね、その間エサが口せけたからかじゃないんですよね。
エサの誇りが変わったかもしれませんが、誰が変わったからでしょうか。ヤコブが変わったから。
自分の方法を空っぽにしたから。今まで自分がもがいてきた自分のやり方をすべてしてたから。
30:00
神の方法で新しく生まれたから、あの敵だった兄を見たときに、それが敵の顔、怖い顔じゃなくて、神の御顔を見ていると。
彼は明かしをしているんですね。皆さんそうなんですよ。
私が神様の方法で生きているならば、すべての人が、すべての状況が、神の御顔を見るように見ているんですね。
そうすると、憂いも思い患いも、不安や緊張や葛藤や恐れやストレスが消え去る。
そして、死の平安が訪れてくる。満ちあふれる。
今までヤコブの気持ちは、まるで北極の氷のように、氷ついたあの心がボケてしまったわけ。
皆さん、これが至極の秘訣です。これが恵みの秘訣なんです。
神様の方法で生きるならば、そこには不安が消え去る。平安が訪れてくる。
心配が消え去って、幸せがやってくる。たたこりが消え去って、健康がやってくるんです。
エルサレム教会に戻ってきました。
エルサレム教会には、試練がありましたが、それは頭を回して、これは何とか解決しようとするのではなく、
精霊に導かれて、神様の方法で全ての問題を解いたら、今までよりもっと大きな至極が訪れてきたのではないでしょうか。
今日読んでいただきましたけれども、もう一度読ませていただきますね。
十五節からご覧ください。
そればかりか、死を信じる者は、男も女もますます増えていった。
ついに人々は病人を大鳥へ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかる時には、せめてその掛け目も誰かにかかるようにするほどになった。
また、エルサレムの付近の町々から、大勢の人が病人やけかれた例に苦しめられている人などを連れて集まってきたが、その全部が癒された。
皆さん、本当に神の方法で問題を解いたら、今までなかったような驚くべき素晴らしい救いと癒しと平安が訪れてきたのではないでしょうか。
皆さん、今日、他のことはすべて忘れてもいいんです。しかし、危機の後に必ず祝福が来る。神の方法でやれば、危機があっても、試練があっても必ず祝福が来るということをぜひ覚えていただきたい。
33:13
この前、子どもたちの試験があって、ハンナはアメリカにいる時期で、中1の試験の算数の勉強をして、大体言われたんですけれども、図形の問題が中1なのに難しいんですね。
それですね、もうやーっと、それが、もう1つ教えたことがあるんですけれども、やり方をわかっていたらやりやすいんだけれども、やり方がわからないから難しいんですね。
人生の問題も教会の課題も同じではないかなと思いました。方法がわからないから、あるいは自分のやり方で、人間的なやり方でそれを解こうとするから、なかなか解くことができないのではないでしょう。
夫婦の問題も、親子の問題も、あるいは自分の人生の問題も、あるいは今置かれている状況の問題も。皆さん、神の方法で解いたら解くことができない問題はありませんし、神様の方法で解けば解くことができない時期なんて。
最後に四編107編を説きたいと思います。四編107編、4節から9節です。1016ページです。それではですね、4節から9節まで、これを合わせてですね、今日のメッセージを覚えながら、
神様がどんなに素晴らしいことを私のために知ってくださるのかを覚えつつ、一緒にですね、読んでいきたいと思います。4節からです。
主は彼らを苦悩から救い出された。また、彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。彼らは主の恵みと、人の懲らえの苦しい業を主に感謝せよ。まことに主は渇いた魂を満たらせ、飢えた魂を良いもので満たされる。アーメン、アーメン。
36:18
皆さん、何か解きたい問題があるでしょうか?あるいは解決しなくならない課題があるでしょうか?我々の自分のやり方を空っぽにしましょう。なくしていこうではありませんか?
そして、神様の方法で、主に教えていただきまして、そしてやっていきます。教えていただきましょう。そこに道があり、そこに救いがあり、そこに祝福があります。お祈りします。
それでは、今日のメッセージを覚えて、主の言葉を覚えて、それぞれ応答の祈りをしていきましょうか?皆さんの目の前にある何かの課題が、問題があるでしょうか?それこそに侵されているでしょうか?
主よ、今日から私のやり方、私の方法を空っぽにします。なくしてください。そして、あなたの方法で、あなたのやり方で、主よ、これを解決できるように、主よ、知恵を与えてください。
あなたの目前に比例を置きます。主よ、どうぞ、教えてくださいと、祈っていきたいと思います。それでは、しばらくの間、ご一緒にお祈りいたしましょう。
37:35

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