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アーメン、感謝します。毎週の世界大会の賛美を感謝いたします。
それでは、今日もいつものように、素敵な愛の前に、隣の方々と挨拶をしたいと思います。
挨拶しましょう。おはようございます。
賛美の中、みなさん。
それでは、一言をお祈りいたします。
愛するつけな神様、水縄神賛美いたします。
許可を受け、愛する兄弟姉妹たち、しのみ前に集まり、御言葉が開かれ、読まれました。
しもべは聞きます。詩をどうぞお語り下さい。
耳を傾け、あなたの御言葉に学ぶ時として下さいますように。
神御自身が、私たち一人一人の魂の中に、霊の心の中に、聞ける御言葉をお語り下さいますように。
その御言葉が、自分の内に生きていて、命になる、力になる、恵みになりますように。
祝福して下さい。
この物を隠して、神御自身だけが表され、栄光を受け取り下さい。
家様の皆によってお祈りいたします。
今日から新しいシリーズメッセージをさせていただきたいとお願いしております。
家様の清い中華ということです。
今日はその1、伝道ですが、今年ですね、新しい試みをいろいろしているところです。
聖書通読とか、また今日もここから持たれるお立ち会いのときに、いろいろ話し合うときを持つことになると思いますが、
この清い中華を私たちが身につけること、良い中華を身につけることは、それはですね、とても大事なことですし、必要なことだと思います。
自分の身についている習慣は、なかなか帰りにくいところがあると思うんですね。
自分の知らずうちにやってしまっているところがあると思います。
富士山でいるときの、私覚えている一つの絵美術ですが、教会の仕事が終わってですね、家に帰ってきたら、
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ひきょんくんがひきょんちゃんだったと思うんですけどね、2歳3歳のときにですね、大きいクッションがあってですね、
それを後ろにして、こうして足をこう組んでテレビを見てるんですね。
誰がそうしてた?
そしたらいつもパパがそうしてテレビを見てた。
それを子供が見て、いつの間にかそう真似をしている。
このように皆さん、習慣というものは、癖というものは、いつの間にか繰り返して繰り返してそれを自分がやっているんですね。
それが自分の身についているんです。
で、それが身近な家族とか周りの人々が、いつの間にかそれを見習うわけなんです。
こういう言葉がありますよね。
三つ子の魂百まで、とかね。
似たようなことわざが、韓国のことわざには、3歳の癖、80歳までいく、という言葉がありますけれども。
アメリカの有名な教育学者、ホレイスマンという先生は、習慣についてこう言いました。
習慣というものは、太い綱のようである。
私たちは習慣という綱を毎日編んでいる。
ところが、このように一旦編んだ習慣は、なかなか破れにくい。
なかなか習慣というものを変えるのは難しいかもしれません。
しかし、まったく完全に不可能なものでもないと思います。
私たちは様々な習慣が身についていると思います。
例えば、食事の習慣とか、運転の習慣とか、祈りの習慣とか、
あるいは睡眠の習慣とか、歩きの習慣とか、生理生徒の習慣とか、様々な習慣があるんですね。
私、日本に来て食事のときにですね、進学とか、どけどけに食事をするときに、
大体日本の皆さんが身についている一つの食事の習慣がありますね。
例えば、ご飯と昼物は、みどちでは一緒に出るでしょ。
そうすると、ほとんどの方がまず味噌汁を飲んで、その後ご飯を食べる。
大体そう。出ない方もいらっしゃるかもしれません。
それぞれの習慣が身についている。
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良い習慣もありますし、良くない習慣もありますし、良くも悪くもない習慣もあるかと思います。
しかし、良くない習慣をやめて、して、それを改善するためには、
ただやめることだけではなくならない。
良くない習慣の代わりに、良い習慣を入れ替え、取り替えをしなくちゃならない。
特に私は、クリータンとして、神の人として、
強い習慣を身体に、心の中に、霊の中につけなければならないと思うんですね。
そして、今日から、家様が私たちの最も最高の模範の方ですから、
家様の福音書を通して、家様の強い習慣を私たちも招いたい。
そして、それを自分のものにさせていただいて、自分の身につけて、
そして、家様のように強い習慣を持って、神様に持ち入れやすいものになりたい。
私たちの身体も、心も、全ては神様のものです。
ですから、神様が使いたい時に、持ちたい時に、
使いやすいように、持ちやすいように、私たちは自分の身体や人生や生活を、
よくトレーニングしておかなければならないと思いませんか、皆さん。
神様がいざと、あなたを使いたい、持ちようとするんだけども、
例えば、あまりにも太っていて、神様が持ちにくいとしたら、
あるいは、なかなか硬くなっていて、持ちにくいとしたら、もったいないじゃないですか。
今日の強い習慣のその一つは、
家様の伝道の習慣について、ともに学んでいきたいと、そう願っております。
今日の御言葉に伺うと、マルコの国とにも、ルカの国とにも、
家様がなぜ来られたのか、その目的がですね、明確に記されているんですね。
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まず、マルコの国書を見てみましょう。
38節だけを一緒に読みたいと思います。よろしいですか。
マルコの国書、第一章、38節。
3、イエスは彼らに言われてきたのだから。
ここにですね、イエス様が、私はそのために出てきたのだからと言います。
何のためですか。福音を知らせるために。
私がこの地に来たのは、このためだ。福音を知らせるため、私は出てきたのだから、さあ行こうと言います。
では次のルカの国書を見てみましょう。19と10節。一緒に見ましょうか。
3、使徒の子は失われた人を探して救うために来たのです。
この使徒の子はイエス様としますね。
イエス様がなぜ来られたのか。
失われた人を探して救うために来たのですと語られました。
では皆さん、前を向いていただけますか。
イエス様がこの地上においでになったことは、失われた魂を救うために来たのだ。
ご自分の人生の生活の目的をはっきりとイエス様は知っておられました。
そしてそのために歩み生きていかれたからですね。
だからイエス様が最後に天に昇天なさるときに、
弟子たちに地の果てまで行って、すべてのおこみ、人々を私の弟子としなさいと思っております。
イエス様の主な関心はいつも魂の救いにあります。
イエス様の頭の中に、心の中に、イエス様のハートには魂の救い。
どうしたらこの魂やこの人が救われるんだろうか。
いつもそこに関心を持って、いつもその関心に、そのパッションと言いますか、その情熱に動かされて行動する。
それがイエス様の行動パターンなんですね。
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今日のマルコーナー福音寺の御言葉もですね、イエス様が夜明けまで祈られました。
そしてですね、弟子たちが、さあカペナウムに行きましょうと言ったときに、
イエス様はもうカペナウムでは十分伝道したから、
まだ福音を聞いていない他の町に行って伝道をしなくちゃとおっしゃったんです。
このように皆さん、イエス様は伝道のために来られ、伝道のために生きておられ、
伝道のために亡くなられたわけです。
イエス様の清い習慣の中に、このような伝道をする習慣が身についていました。
魂を救うためにガリレーに行かれました。
そしてそこでヘテロに会いました。アンテネに会いました。
それで彼らを弟子にされてですね、
またイエス様のように魂を救うためにサマリアのスカルの町に行かれて、
たった一人の女性に会うためにそこに行かれて、
井戸の中で一人の女性に出会って、彼女を救いに行きました。
クワの木の上に登っているザーカに出会って、エリコの町でザーカに出会って、
ザーカの木の上で職人を共にしながら、一人の男性を救いました。
皆さんこのようにですね、イエス様はどの町に行っても、誰にあっても、
いつもイエス様の主な関心は、その人が、その魂が救われることなんです。
どうしたらこの人を救いに導くことができるんだろうか。
いつも人に出会って、イエス様はいつも口から、そしてイエス様が行うことは伝道だったんですね。
イエス様の身についていました。
習慣なんです。
人に出会って、その人に福音を伝える。
御言葉を教え、紹介する。
御国を紹介する。
神様の御言葉を紹介する。
そして魂を救いに導くことができる。
イエス様はいつもそれを繰り返して、繰り返して、それをしていたから身についている。
イエス様も神様ですけれども、完全な場所と同じ人間の体を持っておられましたね。
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感情も全く一緒なんです。
疲れも覚えられ、
また、あまりにも疲れですね。
船がものすごく揺れている時に、その船でですね、人たちを怖がっている時に、イエス様はもう寝込んでおられる。
それほど疲れを覚えられる方。
怒る時にも、涙する時にも、悲しまれる時もありました。
そのイエス様には、人に出会ったら何をするか、
いつも同じパターンが身についているから、同じパターンが出てくるわけです。
皆さん、習慣という、これに関する名言と言いましょう。こういう言葉があります。
もう一つのこういう言葉があります。
人が習慣を作るが、あとは習慣が人を作る。
分かりますか、皆さん。
例えばですね、コーヒーですね、お好きな方はですね、朝食は食べた後、必ずコーヒーを飲まれる方がいらっしゃるんですね。
食事が終わった、それは信号なんです。
ああ、コーヒーを飲むんだ、という信号なんです。
それでいつの間にか自分はコーヒーを入れているんですね。
そしてそれを飲む。
で、これがいいかどうかそれは分かります。
それぞれ違いますからですね。
いいか悪いか知りませんけれども、
例えば、あまりにもそれがですね、癖になって中毒みたいになってですね、飲まないとですね、手が震えるんですね。
そしてコーヒーを飲んだら落ち着く。
私、大学生のときにですね、師弟の先輩が毎食コーラをですね、飲むんです。
1日だいたい2リットル飲むんですね。
彼の横にはいつもペットボトルのコーラがある。
それをもう授業中も飲む、食事もずっと飲む。
コーヒーは飲まないですね。コーラは飲むんですね。
最初は自分がコーラを飲むんですけど、あとはコーラが自分を飲むんです。
それが習慣、それが癖というものなんです。
良くないことも身につくんですけれども、良いことも身につくんですね。
例えば、朝起きて他のことをしないうちにまず静まって、
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いつも座っている机とかデスクに座ってですね、聖書を開いて読む習慣を持っている人は、
それは最初はちょっと難しいかもしれません。身につきにくいかもしれません。
それが繰り返して、繰り返して、朝起きてテレビをつけるとか新聞を開くのではなく、
聖書を開いて、まず聖書を読む習慣を身につけると、それは癖になるんです。
良い癖、良い習慣になって、いつの間にか自動的に聖書を開いて読んでいる自分があるんです。
皆さん、皆さんも一日の行動パターンをよく自分で自分を観察してみてください。こういう人はいるか。
例えば、朝起きてまず何をするか。あるいは午前中、余裕があるときにいつも大体何をしているのか。
あるいはテレビドラマを見ているか。あるいは新聞を三十分一日読んでいるか。あるいは何かの雑誌を見ているか。
あるいは誰かに電話をしておしゃべりをしているか。あるいは朝寝をまたしているか。
それで自分がどんな行動パターンを毎日それをしているか。よく自分自身を観察してみてください。
また、あるいは友達や親しんで友人に出会ったときに大体いつもどんな話をして何をしてそして別れるか。そうパターンを考えてみてください。
あるいは寝る前に大体何をして寝るか。テレビをずっと見て消して寝るか。あるいは政治を読んで寝るか。何か好きな本を読んで寝るか。
あるいは日記を書いて寝るか。あるいはバスや電車に乗っているときに大体何をしているか。私は大体寝るんですけどね。
そういう自分の行動パターンをよく考えて観察してみてください。自分の身についてです。
ある韓国で電路セミナーで有名なある僕先生のお話ですけど、その先生も電路を越えたら誰にも負けないほどいつも誰に出会っても電路をするんですね。
飛行機の中でも電車の中でも街でも電路をするプサギらしいとても有名な先生ですけど。
とても有名な先生がその教会の生年を連れてソウルからモンゴルに夏にキャラバン伝言に行ったんですね。
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そのときに同時に自分の隣の席に韓国で鳥の博士と言って有名なテレビ番組によく出てくる博士があるんです。
その博士が自分の隣に近かったんですね。
それで僕先生はこれは電路のいい先生と思って鳥の博士に電動しようと思って最初ちょっと飛んで声を掛けました。
こんにちは。鳥の博士のユン先生ですね。
そしたら鳥の博士がこんにちは。僕はモンゴルに鳥に観察していくんですけどね。
モンゴルにはこういう鳥、ああいう鳥、こういう鳥があります。
で、四時間ですね、ずっとモンゴルに行くまでですね、その鳥の博士がですね、鳥の話をずっとしゃべりまくってですね、この僕先生は聖書の一言も言えなかった。
もう四時間鳥の宗教に洗脳されるほど、その話をずっと聞かされたそうです。
で、その僕先生は悔しくですね、自分が電動の先生なの、博士なのに電動の一言も言えなかった。悔しいなと思ってですね、一週間の先生働きを終えて帰るときに、
あれ、その博士がですね、同じ床に乗っていてですね、自分の青年の隣に座って席を変えて、今度こそ電動しようと思ってですね、
ああ、また挨拶として、こんにちは、もう終わって帰られますか。ああ、そうです、モンゴルよね。こういう新しい鳥の借金がありましたよ。借金をですね、見せてですね、また四時間鳥の宗教を。
その先生がですね、電動の生命などのときにこの話をしたりしながら、その鳥の博士は、彼の頭の中には、どこにいても誰からいても、鳥について、
四時間も、もう一日じゅうっと喋れるほど鳥に精通していて、情熱があって、喜んで楽しく思い切り鳥の話をする。お金なんていらない。
で、自分は電動の生命などの講師なのに、どれほど誰にあってどこにいても、あの鳥の博士ほど喜んで、本当にもうワクワクしながら生き生きして、イエス様の聖書のお話をしているんだろうかと。
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教えらればそうです。皆さんはどうでしょうか。
誰に出会って、例えば育てる時に、友人とか知人に出会って、あるいは家族に出会って、イエス様のお話を、あの鳥の博士ほどですね、生き生きして、ワクワクしてですね、もう喜んで喜んでお話していらっしゃるでしょうか。
イエス様は、聖書の御言葉を話すのが大好きなんですね。
人に命の御言葉、福音の話をするのが大好きなんです。
だからイエス様はそれが大好きだから、いつも人に出会って、病者に出会っても、ザーカに出会っても、誰に出会っても、福音の話、聖書の話をするんですね。大好きだから。
だいたい皆さん、自分が大好きなことをしている時に人は嬉しいんですね、楽しい。
作家が好きな人は、作家をしている時が幸せです。
あるいは、おいしいスイーツを食べるのが大好きな人は、そういったものを食べる時に、ああ幸せ、そうですよね。
スリーちゃんは、御言葉をもべつめること、イエス様を障害すること、それを大好きな人になっていただきたい。
自分の内側に魂の救い、その情熱が、パッションが燃え上がって、そして一人の魂が救われるのがどれほど大事であり、
これがいかにこの地上において、最も重要なことなんだとわかって自覚している人は、
伝道しませんか、伝道しましょうと言われなくても、自ら鳥の博士のようにウキウキしてワクワクして伝道するんですよ。
いつもバッグにチラシとかトラックとかを持って伝道するんです。伝道はイエス様の清い習慣です。
イエス様の癖です。清い習慣は清い人生を作ります。そうなんですよね、皆さん。
ところが、この清い習慣というものは、今流れで申し上げたように、ある状況に置かれますと、いつもそのような行動をするパターンがあるということです。
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例えば、さっきも申し上げたように、朝起きたらまず聖書を開く。それは自分の行動パターンなんです。身についているんですね。
でも、よくない行動パターンもあるんです。新学校に、私は火曜日に行って、夜7時に定例記とかに出るんですね。
7時からだいたい祈りが終わる。8時半に終わるんですね。早朝が火曜日の朝6時になります。今、私に出されて参加しておりますが、その新学生の行動パターンをよく観察するんですね。
そう見たら、毎週居眠りする者が毎週居眠りする。
学長が始まるとしたら、まず目をつぶっているんです、彼は。目をつぶって、こういう姿勢をとるんですね。そうすると、いつの間にかこうして寝ている。時には、いびきもする。
それが最後ですね、大変疲れているなと思った。しかし、1年なんですね、私、3月から。ほぼ毎週、あの姿勢をとって、あのように寝るんです。
それは、自分のうちにいつも火曜日の夜7時になって、あの木とし木に座ったら寝るんだ。それが自分の意識についているんです。自分が寝よう、意図的に寝ようじゃなくて、座っていたら体がそう構えをするんです。
わかりますか、皆さん。構えるんです。自分のうちにそういう行動パターンがあるんですね。そうすると寝るんですよ。そして、いやあ、よくないなと私は思ったんだけど、ほぼ毎日寝るんです。
だから、10回の1回をするとですね、9回は寝ているんです。そうでも一緒です。会話せねるわけじゃないんですけど、自分の行動パターンがあるんです。
皆さんにも行動パターンがあります。日曜、礼拝に座って、笑われて、礼拝する行動パターンが皆さんそれぞれあります。
いつもですね、よく説教者をよく顔を見て、メッセージを聞いておられる方々もいらっしゃいますし、晴れて聞いていらっしゃる方々もいらっしゃいますし、
目をつぶって聞いていらっしゃる方もいらっしゃいます。それぞれ行動パターンがあるんですけど、それが伏線になるんです。だから私たちは、強い習慣を、良い習慣を身につけることはとても大事なんです。
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家様は誰に出会っても、人に出会ったら、家様の行動パターンは、聖書のお話を言い出す。それが習慣になっているんですね。皆さんはどうでしょうか。
いつも周りには、だいたい10人の中には、家様を知らない人が、私の周りには多くいらっしゃるわけなんですね。
その方々と出会ったときに、あるいは皆さんの会社で、あるいはバイト先で、あるいはボランチャーのあのところで、いつも皆さんが行っている美容室とか散髪屋さんとか、あるいはクリーニングなんとかなとか、そういういつも行っていらっしゃるお店があるんじゃないですか。
そういう人と何かの話をするときに、ちょっとだけでも、一言だけでもトラクトを配ったり、あるいは聖書のお話を書いて、そう。
まず、私に皆さんにできることがある。若さでも今からでも十分だと思います。
今、自分が置かれているところで、いつも出会っている方々と、そのところで私にできる伝道のやり方をしていこうではありませんか。
トラクトを一枚渡すこと、そこから始めてもいいでしょう。
あるいは自分の友人に、たまにでもね、こういう話を聞いて恵まれましたと、はがきを送ることもいいでしょう。
だって、はがき、ご自然しかならないし。
皆さん、小さなことでもいいです。ささやかなことでもいいです。
まず、身につけましょう。人に出会って、いい言葉を伝える。紹介する。
家様の話を言い出す。教会の話を言い出す。あるいは皆さんが聞いた誰々の証とかですね、そういう話を言い出す。
最初はそれがちょっと難しいかもしれません。照れくさくて、ちょっと言いづらくて、あるいは感情が壊れてしまうのではないか。
そういう恐れがあるかもしれませんけど、それを乗り越えなくならない時があるんですね。
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メッセージを終わりたいと思います。
家様の清い習慣、その一は伝道です。皆さんも清い習慣として、伝道身につけていこうではありませんか。
お祈りしましょう。