00:02
それでは、今からメッセージに入りたいと思います。
今日の聖書・歌書は、ヨハネの福音書というところがありますが、そこの14章、第14章、6節です。
スクリーンに字幕がありますので、ご覧いただきたいと思います。
では、私がお読みいたします。
イエスは彼に言われた、私が道であり、真理であり、命なのです。
私を通していれなければ、誰一人、父の身元に来ることはありません。
もう一回お読みします。
イエスは彼に言われた、私が道であり、真理であり、命なのです。
私を通していれなければ、誰一人、父の身元に来ることはありません。
では、三つ箱で一言お祈りさせていただきます。
愛する主な神様、今日も主が私たちを愛してくださって、
今日は特に賛美伝道礼拝で初めてのお越しの方々、また二回、三回目の方々もいらっしゃるでしょう。
私たちがここに集まったのではなく、
先のお父様、父なる神様が、私たち一人一人を、この礼拝の場に主がついて、導いてくださったことを、心から信じ感謝をいたします。
どうかしよう、今から神様の聖書の御言葉から、あなたの命の御言葉を教えていただきます。
どうかしよう、我が一人一人の心の中に、主よ、聖霊による御言葉をお語りくださいますように、お願いをいたします。
二世に至れ、感謝して、上様の皆によってお祈りいたします。
03:00
今日、初めての方もいらっしゃるかと思いますので、
私は、皆さん今聞いていらっしゃるように、日本語が変な日本人じゃなくて、韓国人です。
この教会の牧師をしております。名前はユンソンホと申します。
今日はですね、この礼拝ですよ。
礼拝に初めてお越しいただいた方々も、あるいは二度目、三度目の方々もいらっしゃるかと思います。
奥様が一緒に行きましょうと誘われて、嫌々しながら来られた方、あるいは友人や知事の方々が一緒に行きませんと私ね、
誘われて、あるいは喜んでおいでになった方もいらっしゃるかと思います。
今日は市内では祭りをしているみたいですよね。
でも聖書にはですね、この礼拝が祭りであると。
今日は私たちね、みんなおとなしい祭りをしているなと、そうですね、思っていただけたと思うんですけれども。
皆さん実は今日、私はきが皆さんの御意志で歩いて、あるいは車で運転をされてですね、教会に来られたわけですけれども、
実は背後で、皆さんお一人お一人を他のところではなく、あの市内の祭りの場じゃなく、
あるいはベッドの上じゃなく、あるいはテレビの前じゃなく、この教会に送ってくださった方がいらっしゃる。
皆さんお一人お一人の心の手をつないで、ここまで聞いてくださった方がいらっしゃるんです。
目には見えませんけれども、その方が唯一の神、父なる神様であると思います。
今日はですね、私がそんなに偉い人間でもないし、日本語も下手くそですし、多分ですね、今日はちょっちゅう間違いがあると思いますけれども。
私の日本語が間違うかもしれませんけれども、私が皆さんに今日お伝えするこの聖書のお話は間違っています。
これは真意であります。
今日はですね、お願いしたいことは、心の扉を開いてですね、気楽にですね、聞いていただけたらと、そう願っております。
06:06
今日は皆さんお一人お一人を襲わせた目的があります。
それは皆さんも、私とあるいは皆さんの隣に座っている教会員のように、イエス・キリストを信じて、
そしてこの世においても、かの世においても、この天国の喜びを、この豊かさを、この授業で前味を知ってもらって、
そしてかの天国に入ってですね、そこで神様と永遠に喜びと幸せと楽しい、その永遠の命を持っていただきたい。
その願いを持って、皆さん方を今日お誘いしたわけであります。
皆さん、ここにですね、お花が綺麗なですね、その枚紙を鈴木姉妹が挿して下さるんですけど、
お花がありますけれども、ひとつお尋ねしたいと思います。
このお花は皆さん、生きていますか、死んでますか。生きていますか、死んでますか。生きていますか。
さあ、そしたら、このまま100年までいかなくていいんですね。1年このまま置いといたら、生きているでしょうか。
枯れて捨てられます。だいたい1時間、2時間経ったら、このお花はかわいそうだけど、ゴミになります。なぜでしょうか。
なぜ、生きているように見えるんですけれども、このお花は死んだものでしょうか。
根っこから切られたからです。命の根源から切られたから、今この水に刺しているから、綺麗にですね、実際綺麗ですけれどもね。
綺麗に見えますけれども、生きているように見えますけれども、実は死んだお花。
皆さん、カビに刺したお花がですね、20年30年ずっと咲いているお花を見たことがある方、いらっしゃるでしょうね。
お花だけではありません。我が人間も、私たちをお作りになった持ち主がおられる。
09:12
その持ち主と、その創造主神様との関係が断ち切られているならば、今私たちはですね、このように生きているようにですね、歩いたり食べたり食べたり歌ったりですね、するんですけれども、
その命の根源から切られた、断ち切られた人間は、いつかは必ずみんな亡くなる、命を失うという死というものがやってくる。
皆さん、人間の死には三つの死があります。今日、ちょっと重たいお話になるかもしれませんけれども、正直にですね、自分自身の人生に向かい合ってですね、向き合ってですね、真剣に一度だけでもいいですから、真剣に考えていただきたい。
人間の死には三つの死があります。一つは、みんなが迎えなくてはならないこの肉体の死です。病気で死のうが、事故で死のうが、あるいは長生きしようが、誰もがこの身体の肉体の死を迎えなければなりません。
誰もその死を逃れることはできません。皆さん、このことを認めますか?認めますね。
二つ目の死があります。それは、魂、霊魂の死です。これは、命の根源である霊魂が、体と亡くなるときに分離するその死です。
三つ目の死があります。それは、永遠の死というものです。
皆さん、私たち人間は、体が亡くなって、土に還って、それで何にも残らない、そういう死で終わるのでは?
体は、土に還るのですが、この魂、霊魂は、永遠に生きます。そして、その永遠の世界は、二つの道しか、永遠の天国か、永遠の滅びか。
12:16
神様に導かれて、救われた人々は、かも天国で、神様と共に、そして世界の何十億、いや、今までですね、神様を信じて亡くなった方もいらっしゃるわけですから、
その方々と、永遠にその天国で、素晴らしい恵みと祝福を味わいながら、経験しながら、永遠に生きる人生が待っている。
しかし、神様を知らない人、受け入れていない人には、実は、永遠の日が待っている。
このように、人生の先の道は、二つに分かれています。
この二つの道を避けてですね、自分が道を、あるいは、何かの世界を作ってですね、第3、第4の世界を作って、そこに入ることはできます。
聖書のマパニエルの作りにしよう。7章10の作りに出ますね。そのところを見ていきますと、このような言葉があります。
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入っていく者が多いのです。
命に至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者は稀です。
皆さん、聖書は明確に私たちに語っています。
命に至る道は狭い、命に行く道がある、そしてもう一歩の道が狭い門がある中でも、それは滅びに至る道なんです。
なぜ狭いと言うんでしょうか。歩みにくいです。歩みづらいかもしれません。人数が少ないんです。
なぜ広いと言うんでしょうか。多くの人が、大雑把の人が、歩いていくからでしょう。
にもかかわらず、世界には約4分の1、ですから10億、15億人ぐらいでしょうか。
ほぼ20億人近くの人々が、このイエス・キリストを信じる信仰の道を歩んでいるんですね。
15:03
日本は1億2千何百何十万ですけれども、その中でイエス・キリストを信じる人が本当にわずかなんですね。
60万人ぐらいでしょうか。少ない。100人でも、その中に1人いるかいないかです。
だから周りにクリスチャーが前から、その道が良くない道のように考えられる、見えるんですね。
日本の方は、だいたい昔から、みんなと一緒に行けば、赤信号でも横断歩道を渡る。
1人ではいかないんだけれども、みんなが、99.5%の人が、実は真っ白な方向に向かっているんですね。
でも、そこが安全な道のように思えるだけなんです。
でも、世界を見渡していただきたい。近くの韓国だけ見てもですね、4人の1人がクリスチャーなんです。
25万人ぐらいでしょうか。2000万人ぐらい。その2000万人の人が、実は狂ってイエス・キリストを信じるでしょうか。
中国を見ていきましょう。12億人いるんですけれども、今、推算で約1億人ぐらいがクリスチャーです。
その中国の1億人は、狂ったからイエス・キリストを信じるでしょうか。いや、そうではありません。
そこに、今日の御言葉のように、唯一の真理、唯一の道、唯一の命がある。
皆さん、私たち自分たちの人生のことを考えていただきたい。
皆さんより私は若いんですけれども、皆さん、人生というものは、実は虚しいことです。空である。
生きること自体がある意味で虚しいです。なぜでしょうか。
そんなに健康のために、体のために、何時間運動して散歩しても、長生きをしても、80年、90年でしょう。
あるいは、事故があったら、一瞬に命を失ってしまう弱い人みたいです。
あるいは、何十年も仕事を一日目働いて骨折り苦労していても、もし火事になったら、一瞬に全てのものは亡くなってしまう。
18:20
日本には地震が多い。津波も多い。
私、去年も一昨年も東北に行かせてもらったんですけれども、前は街があったところ、津波もないですね。
一瞬に消え去ってしまう。
ものも、実は人生の命もそうでしょう。
ものだけではありません。
私たちの記憶というもの、あるいは感情というものはどうでしょう。
皆さん、例えばですよ。小学校のとき、友達と楽しく遊んでいた。
あのときの、その爆発したその感情が今、起こせるでしょうか。
できないんですよね。
過ぎ去ったら、感情というものも、記憶というものも、思い起こしたいんだけども、できないんですよ。
うちにですね、私の部屋に、新婚旅行の写真がですね、小さい写真が3枚かけてありますけれども、その写真を見たら、2人ですね、みこみこ笑っているんですね。
でも、あのときの、あのときのその感情にですね、思いを起こしたくても、なかなかですね、思いを起こしないんですよ。
皆さん、そうなんでしょうか。
それも17年前のことだけども、それはなかなかですね、どこにいたかは覚えてますよ。
ハワイに行かせてもらったんですけど、市計というのもなかなか覚えてこないし。
人間の思い、記憶、感情というものは、消え去るものなんです。
人生そのものも、消え去るものなんです。
実は人生は空である、虚しいことです。
向き合いたくないかもしれませんけれども、
今日正直に、自分自身にですね、皆さんも自分自身に正直でありたいと、そう願っております。
でも皆さん、なぜ人生が虚しいと空だと思えるんでしょうか。
その答えを皆さんご存じでしょうか。
実は、この地上での人生は旅路だからです。
本物がある、これは人生の影ということなんです。
21:01
私たちはみんな、帰るべきふるさとがあるんです。
故郷がある。
すべての人は帰るところがあるんですよ。
帰るべきふるさとがあるんですね。
人生は80年、90年、100年としましょう。
100年としても終わる。
しかしみんな帰るふるさとがあるんですよ。
魂が帰るべきふるさとがあるんですよ。
だからこの地上での人生が虚しいと、影だから、旅路だから虚しい。
皆さん、小さい時にですね、私もこういう経験がありますけれども、
友達と遊ぶんですよね。石とか玉とか遊ぶんですよね。
そうすると、そろそろ4時、5時、6時、夕方になってですね、
東地元ですね、お母さんがですね、
おい、おいでよ。ご飯だよ。
そうすると、遊んできた石とか枝とか、
そういったものをみんなそのまま捨てて家に帰ります。
私たち人生も一緒です。
神様が帰りなさいよ。帰りなさい。
あなたが帰るべきふるさとはここなんだよと呼んでくださるんです。
だからこそ、この地上での人生が虚しいです。
今のこの話を聞いていてもですね、
それありません。人生は虚しいでありませんと、
考えられる方がおられるかもしれませんけど、
一人の方を紹介したいと思います。
聖書にソロモンという王様がいました。
皆さん聞いたことあるかもしれないですね。ソロモン。
彼は王様でした。
イギリスの国の中で一番華麗な人生を送った王様でした。
彼に妻が何人いたか皆さんご存知ですか。
奥さんがですね、なんと千人いました。
今日おいでの男性の方、皆さんの奥様は何人いらっしゃいますか。
一人ですね。私も一人です。
ソロモンには奥さんが千人いました。
一人と寝ても三年かかる。
彼が住んでいた王宮は三十年かかって建て上げられました。
皆さんの王宮は何年かかりましたか。
大体一年で建ち上げられますね。
しかもその王宮は柱も壁も純金なんですよ。
24:00
金ですよ。金の木がありません。
純金なんです。
彼の一度の税金で、自分の衆民は一度で約一兆円過ぎます。
それが年に何回もあるわけ。
全部彼のものです。
皆さんの中でソロモンよりお金持ちの方いらっしゃいますか。
いらっしゃらないんですかね。
ソロモンほど富と英雅とそれを味わった王はいないんです。
でも彼が老年になって死ぬ前に彼が書き記して残った聖書が伝道者の表という聖書があります。
ここに彼はこの世で人間が手に入れることができる全てのものを入れて
味わった、経験した、楽しんだ彼の最後の告白のお話を聞いていた人です。
彼はこのように告白を聞きました。
空の空、伝道者は言う。空の空、全ては空。
地の下でどんなに苦労しても、それが人に何の益になる。
皆さん、なぜ人生は空なんでしょうか。
あのソロモンもそんなに楽しんだものなのに、彼が人生を虚すと言うんですよね。
私たちは彼の1億分の1も味わっていない。
皆さん、いくら金持ちであっても、世界第一の最も金持ちであっても、
あるいは人生を100年、120年生きていても、人生は空の空なんです。
なぜでしょうか。帰るべき故郷が故郷。
お父様が待っておられる。
ずっとずっとあなたを待っておられるんです。
そこが神の国、天国なんです。
でも皆さん、人生がそれほど虚しいと、
無くても90年なのに、それで終わり、その後は何もないとしたら、
それほど虚しいことがどこにあるのでしょうか。
この父での人生が虚しいとしたら、その先に何かの報い、保証があってほしいと思いませんか。
27:12
人は亡くなったら、それで決して終わりではありません。
天国で永遠に神様と共に喜び楽しみながら生きるか、
永遠の滅びで、地獄で、ひどい苦しみの中に苦しめられて生きるのか。
永遠の時間が私たちを待っているということです。
ひとつの新聞の記事をお話したいと思います。
1987年、9月23日、韓国にですね、朝鮮日報という新聞がありますけれども、
斜めにこんな記事が載せられました。
韓国でですね、1970年代から1993年まで生きられた、
韓国ではですね、とても有名な僧侶、僧侶という僧侶、お坊さんがいました。
このですね、お坊さんがですね、説法をしたらですね、
もう数万人が集まるほど、本を出したらベストセラーになる、とても有名なお坊さんでした。
彼が亡くなる何日かの前に、自分の死を恐れて余り、
このような文書を書いてですね、新聞社に送ったんです。
その内容が新聞に出ました。
私が訳してみたんですけれども、こういう内容です。
聴いていただきたい。
私の罪は山より高く、海より深い。この罪を私にはどうしようもない。
私が80年間教えた説法は、実にもない。我らには救いはない。
罪の報酬を解決できる者はいない。
その時にその僧侶がですね、何十年ぶりに娘さんと出会ったそうです。
娘よ、私が悪かった。私は間違った人生の道を歩んできた。
私は地獄に行く。
彼は死ぬ前に地獄で非常に苦しんでいるお釈迦様を見て、
30:00
お釈迦様は父子の霊魂を盗んだひどい泥棒だ、泥棒だと彼は語って、
その話を新聞に投稿しました。
皆さん、亡くなったらそれで終わりではありません。
二股の道が分かれています。
永遠の命、永遠の滅び、どっちかです。
しかし神様は、皆さんお一人お一人を愛しておられる。
それで一人も滅びなく、永遠の命を得ることを切に切に願っておられる。
世の始めから今まで願っておられる。
それで四目の勲章三章十六節にこのような御言葉があります。
この御言葉は、よろしかったら御一人読んでいただけますか。
三拝
神は一人その一人を渡り成ったほどに愛された。
その次もありますけどね。
それは、二股を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである。
確かもう一度お読みしますね。
神は一人その一人を渡り成ったほどに、世を愛された。
この世は、皆さんお一人お一人を愛されたんですよ。
その一人のなるイエス・キリストを知らせるほど、あなたを愛しておられました。
なぜでしょうか。
それは、二股を信じる者は一人として滅びることなく、滅びることを望んでおられません。
永遠の命を持つためである。
皆さん、天のお父様は、皆さんお一人お一人が、唯一の道イエス・キリストを信じて救われることを切に切に望んでおられます。
でも、そこに一つ深刻な問題が一つあります。
それは、天のお父様神様は聖なるお方です。
清いお方です。絶対善です。
でも、私たちはみんな罪人なんです。罪を持っている。穢れているものなんです。
だから、聖なる神様は、罪というもの、穢れたものを近づいてくることを許さない。
33:05
だから、私たちは自分の力では、その神様の身元に行くことができないということです。
皆さん、教会に来たらですね、よく罪人とか、罪人とか、そういう話を聞かれることが多いでしょう。
でも、大体聞きたくないんですね。あなたは罪人ですよ、穢れていますよと言ったらですね、聞かれたくないかもしれません。
でも、正直であっていただきたいと、そう願っております。
皆さん、皆さんは本当に清いですか?
今まで一度も過ちを犯したことは一度もないでしょうか?
嘘をついたことも、人を憎んだことも、まだまだ許していないこともないでしょうか?
聖書はこのように言っています。エレミア教十七章九節。
神様は私たちの人生を見て、このように診断されています。
人の心は何よりも陰厳で、それは治らない。誰がそれを知ることができよう。
他の聖書はこの陰厳という言葉を、偽りあるいは不敗という言葉で訳されています。
皆さん、我ら人間はですね、実は罪人なんです。汚れたものなんです。
この万物の中で最も偽りのもの、最も汚れたことは、我ら人間の心なんです。実は。
この世がこんなに汚れたことは、どこから始まったのでしょうか?
人間の心から始まったわけなんです。
この世のすべての罪悪は、人間の罪悪によるものなんです、皆さん。
皆さん、例えばですよ。百年前、五十年前、あるいは三十年前より、今の時が、
無料道ですね、贅沢で暮らしやすくてですね、とても便利な時代になっているんですか。
それぞれですね、ほとんどの方々が、マイフォームを持ってですね、車もあります。
24時間電気も使えます。リモコンさえ押せばですね、何百パネルテレビも見れます。
新幹線もあってですね、飛行機もあってですね、アメリカにもですね、もう地区に飛んでいける。
36:01
とても文明と文化が発達しているんですよね。
では皆さん、こんなに文明と文化が発達しているならば、人間の心ももっと良くなる、
もっと善に向いていくべきだと思いませんか。
でも逆に、文明と文化が発達すればするほど、人間は堕落しつつある、不安しつつあると思いませんでしょうか。
この時代がどれほど堕落して、悪がはびこっているでしょうか。
コンビニさえ行ってみたらですね、本当にさまざまなですね、そういった堕落のみずらなことがジャスティがずわっとですね、並んでいる。
インターネット、テレビ、今ですね、携帯にですね、迷惑メールというんでしょうか。さまざまな迷惑。
同性愛が深刻になっている。暴力といじめで自分の命を殺す生徒たちがどれほど多いでしょう。
人間は堕落している。罪人である。
でもこの話を聞いても、「いや、私は真面目で私はいい人ですよ。」と言いたいかもしれません。
でも皆さん、人間は罪を犯しやすい条件が満たされているならば、誰もが罪を犯しやすくなってしまいます。
お金さえものすごく余るほど持っている。誰も鑑賞されない。
そうしたら人間は男性も女性も何でもしちゃいます。
世の中では人間が進化したと言われています。体も心もですね、進化したと。
しかし皆さん、なぜ人間の心は進化しないんでしょうか。
行けば行くほど堕落して、行けば行くほど腐敗し続けるんでしょうか。行けば行くほど偽りがしどくなるんでしょうか。
人間は罪人だから。ほぼ心が腐敗しているからなんですね。
このように穢れた人間は罪人は神様の身元に自分の自力では行くことができない。
それで神様が悩み始めました。どうしたらこの人間を救うことができるんだろうか。
39:04
神様が悩み始められました。
それで唯一の道を設けて下さいました。それがイエス・チュリストという道なんです。
心の良心がいいとか、真面目とか、誠実。一度も悪事をしたことがない。
真面目に喰らい、暴力を活用、浮気をしたこともないと方もいらっしゃるでしょう。もちろんいらっしゃいます。
とても真面目ですね。悪事ですね。ほとんどもしていない。とても尊敬されるべきような方々もいらっしゃいます。
私も認めます。素晴らしいことです。
しかし皆さん、それは誰と何と比べて真面目だと、あるいは良い人だと言えるんでしょうか。
その基準、標準はどこにあるんでしょうか。
他の人々と比べて私は真面目だ、私は良い人だと言うんです。
でも実は皆さん、私たちが比べる基準は、人間じゃなくて聖書の御言葉であり神様なんです。
ですから私たちには神様が設けてくださったその唯一の道が必要なんです。
その道はイエス・キリストです。イエス・キリスト以外には救いはありません。
先ほど申し上げましたように、永遠の命、命の根源から断ち切られた人間は、今生きているように見えますけれども、必ず永遠の日を迎えなくちゃということです。
しかしイエス・キリストは神様と私たちの間に救放者になる間に立っていらっしゃいまして、私たちを神様の身元に導いてくださる方は唯一の方なんです。
聖書にはこのような読み言葉があります。第一手持て二の御説明ですね。こういう読み言葉があります。
私が読みします。いや、ご一緒に読みしましょうか。いいですか。私が読みますね。ごめんなさい。
42:03
神は唯一です。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのイエス・キリストです。
キリストは全ての人のあだ名の大貨として、ご自身をお与えになりました。
皆さん、罪の多い我らが、罪のない聖なる神様の身元に行くことができる道は、仲介者なるイエス・キリスト・オイトリ・タケル。
神様は聖女の子です。栄光と賢悟と光で生み出されている聖なるお方です。
さっきも賛美しましたよね。聖なる、聖なる、聖なるお方なんです。
この全ての宇宙万物は、神様によって作られたものなんです。
ですから私は、神様を愛さなければならない。神様に栄光をお返ししなければならない。
しかし私たちは、みんな自己中心な人生を送ってきました。
自己中心。日本語には自己中という流行り言葉がありましたけれども、自己中。
あるいは多足、そのために生きるものです。
一度も皆さん、神様の栄光のために生きようとしたことはありますか?
神様に栄光をお返ししたことはありますか?
神様に喜ぶ人生を歩もうと考えたことはありますか?
私たちはみんな、この罪の問題を解決していただかなければならない。
私たちにはできません。
同じくですね、海に溺れた人がいますよ。
二人とも海に溺れて、圧迫してですね、死にそうです。
隣の人が隣の人を救ってあげることができるのでしょうか?できません。
自分も溺れてですね、死にそうなのに隣の人と引っ張ってですね、一緒に死んでしまう。
それが人間の世界なんです。
海に溺れていない、外にいる人が海に溺れている人を救いあげることができるでしょう。
罪のないイエス・キリストだけが私たちを救うことができる。
そのイエス・キリスト様が、我らの罪の代わりに十字架で進んでください。
人間の罪がどれほど酷いなのか、その代価がどれほど酷いなのか、
神なるイエス・キリストが十字架で死ななければならないほど深刻な酷いものなんです。
そのイエス・キリストが私たちを、その穢れた衣を脱ぎ去るために、
45:09
罪を覆ってくれるために、十字架で死んでください。
そのイエス・キリストだけが唯一の道です。
この御言葉、四年六日曜、十四日曜、六日節です。
もう一度ですね、一緒にですね、読んでいきたいと思います。
はい、ではですね、声を合わせてですね、一緒にですね、読んでいただきたいと思います。
3回、イエスは彼に言われた、私が道であり、真理であり、命なのです。
私を通してでなければ、誰一人、死の身元に来ることはありません。
さあ、唯一の道がある。救っていただける唯一の道がある。
それは神様が認められた唯一の道があるんですよ、皆さん。
それを信じることです。信頼することです。
その方に自分の人生を追い詰めすることです。
これが私たちが救っていただける唯一の道なんです。
この日本語の聖書にはですね、私が道であり、真理であり、命なのですと書かれていますけれども、
実は言語はですね、この英語ではthe road, the truth, the life、それはどういう意味か。
唯一なんです。それしかないんです。道も一本、真理も一本、命も一本。
人行伝、人の働きですね、16章31節目、このような言葉があります。
つまりは、救イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
皆さん、神様は皆さん、お一人お一人が永遠に滅びることなく救われて、この地上においても天国の前味をさせてもらって、
そしていつかは、あの天国で永遠に喜び楽しみながら、本当の幸せを経験しながら生きることを神は願っておられる。
そのために、今日皆さん方をここに神様が我々教会を通してお招きしたわけなんです。
皆さん、イエス・キリストを信じさえすれば、すべての宇宙万物をお作りになった神様も、
48:04
昔は神様をお父さんと呼ぶわけですから、息子、娘なんです。神様のすべてのものが私のものなんです。
だから、この地上でも最高の幸福と喜びを経験できる。
かも天国に行ったら、最も素晴らしい本物の喜びと幸福を体験できる。
その天国が、神が両手を差し伸べて皆さんを待っておられる。
ここがあなたのふるさとなんだよ。と、皆さんを招いておられる。
皆さん、イエス様を信じれば、不思議なことが自分の身から、夫婦の間で、親子の間で、さまざまな関係において、
不思議なことが不思議なことが、次から次へ起こってくるんです。感謝が満ちあうれる。
悩みがあっても、悩んでいない。貧しくても、貧しいふりをしない。苦しくても、苦しい顔をしない。喜んで、喜んで。
清楚に絶えず、喜びなさいとあげます。
清楚に一回一緒に見てみましょう。第2コリント6章10節に、このような不思議な奇妙な言葉がありますよ。
神様を信じる人は、このような人生を送っているんですよ。皆さんの隣の方々が、このような人生を送っているんですよ。
悲しんでいるようでも、いつも喜んでおる。悲しんでいる。みんな悲しんでいるようだけども、彼だけは喜んでいるんですよ。
神様を信じる方。貧しいようでも、多くの人を伸ばす。貧しいかもしれません。貧しいです。
でも、多くの人に、この富の根源である、源である、神様の福音を述べていたい。
そして、貧しくても、自分のものを持って喜んで差し上げる、渡すことができるんですね。
皆さん、2年前ですね、3.11の東北の震災が起きた時に、日本中で一番多くの支援金とボランティアの割合は、クリスチャンでした。
私は、アイズというところに行ったんですね。そのところで、27件あった仮設住宅に行きました。
そこで、月期と賛美の奉仕と食事をさせてもらったんですけどね。
そのおじいちゃん方が口をそろって言っておられた話は、近くにでっかいお寺があった。
51:02
でも、何にも来てくれないと。
正直に、クリスチャンは、アメリカから、何の関係もない、アメリカから、中国から、韓国から、たくさん入って、何でこんなに親切にしてくれるんですかって。
なんでしょうか。貧しくても、多くの人を飛ばせるんですよ。それができるんですね。
何も持たないようでも、全てのものを持っています。私には何も持っていません。
しかし、全ての持ち主である神様は、私のお父さんですから、パパですから、神様のものは全てが私。
それが、イエス・キリストを信じる人の人生の生き方なんです。
韓国語の言葉に、こういう言葉があります。死ぬという言葉があります。
死ぬ、亡くなる言葉がありますけれども、尊敬語で、帰るという言葉があります。
人が死んだら、帰られたと言うんですね。韓国では虎が漁ったと言います。
それは帰られたという。
ふるさとがあることを知っている人間は、本能的にそれがわかっている。だから言葉に帰るという言葉があるわけなんですね。
メッセージを終わりたいと思います。
真剣に考えていただきたい。最後、もう一度考えていただきたい。正直に考えていただきたいと、そう願っております。
皆さんは、亡くなられたら、どこに行きましょうか。
二つの道しかありません。永遠の天国と、永遠の滅びしかありません。
あの天国で、永遠の喜びと、この地上では一度も経験できなかった最高の最善の喜びと、永遠の命を経験する人生。
そしてこの地上においても、豊かな恵みを、家庭において、職場において、この社会においても経験できる、そのような人生を送りたいと思いませんでしょうか。
では、静まってですね、目をつぶっていただいて、祈り時を持ちたいと思います。
目をつぶっていただいてですね、静まって考えていただきたいと願っております。
54:02
神様は、皆さん、すべての人々が、イエス・キリストを信じることを切に願っておられます。
神様の両手を差し伸べて、皆さん方が神様のその懐に抱かれることを願っておられます。
今、イエス・キリストを信じますと、心に信じて口で告白するならば、今まで神様を亡くして生きてきたすべての人生は許されます。
すべての罪は許されます。
そして、栄光に輝かしい神の御供にならせていただきます。
そして、この地上において、あのかの天国において、素晴らしい恵みを、祈福を経験できます。
イエス・キリストを信じておきたい。
イエス・キリストはこのようにおっしゃいました。
私は道であり、死にであり、命なのです。
私を通していれなければ、誰一人、死の身元に来ることはありません。
またですね、教会の方々は隣の方々の好きなためにお祈りいたしましょう。
あとは、今日初めての方々、あるいは旧仏の方々は、祈りはですね、神様にお話しする、会話することです。
皆さん、心を表せばいいんです。
信じたいですとか、どうすればいいんですか、神様とか、何でもいいです。
真剣にですね、死の彼方には永遠の命があるんだったら、そこに入れてほしいと思うならば、祈ろうではありませんか。
今ですね、静まってですね、本当に自分自身の救いのために、神様に、神様、私を救ってください。
私の罪を許してください。そして、神の子として、永遠の天国に私の死を入れてくださいと。
静まって、祈ろうではありませんか。では、ご一生にお祈りいたします。
ハレルヤシの神様、あなたの恵みよ、あなたの恵みがありますように。
今日、お祈りの方々一人一人を同時に、あなたを超えて、恵みがありますように、
今日、私を神様の助けに導いてください。
今日、お祈りの方々一人一人を、あなたが憐れんでください。
その魂が救われ、神の胸元に死を戻できますように、
57:04
神の助けに導いてください。
神の助けに導いてください。
神の助けに導いてください。
神の助けに導いてください。
神の助けに導いてください。
では、一言お祈りいたします。
愛する、好きな神様、
今日は、主が私たち一人も滅びることなく、
永遠の命を私たちに持たせるために、
唯一の道を知らせるために、
私たちをこの場に主が導いてくださいました。
私は今日、御言葉を聞きました。
永遠の命がある、永遠の滅びがある、
しかしその永遠の命に至る道は、
唯一のイエス・キリストしかないということを、
どうか、
まずは、教会の方々には、
この救いの確信をあなたがお与えください。
そして、行くところどころで、
神様、我らがこの救いの喜びを、
永遠の命を喜んでお伝えすることができますように、
確信をお与えください。
あなた、今日初めて、あるいは二度目、三度目、
おいでになった方々を、
どうか、あなたが心に触れて、
どうか、一応、唯一の道、イエス・キリストを信じて、
永遠の命を得て、
そして、この地上においても、
家庭において、職場において、社会においても、
本当の喜びを味わう、
喜びを楽しむことができるように、
どうぞ、私を助けに導いてください。
人生は虚しい苦の苦であると、
ソロモン王は語りました。
主よ、そうです。
しかし、私たちは、
永遠の命が得る。
この人生は、たった一時に、
過ぎないことであることを、
お覚えさせていただきます。
どうか、主よ、この朝、
どうか、主よ、
あなたの全ては、全ての人々は、あなたの民ですから、
あなたの息子、娘ですから、
主よ、どうか、あなたが憐れんで、
全ての子どもから、イエス・キリスを信じて、
本当の喜びを、
永遠の命を、救いを、得ることができません。
主よ、どうか、あなたが、
聖霊様が、今、感動を与え、
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生きめくって働いて下さいますように、
お願いをいたします。
神として、イエス様の皆によって、
お祈りいたします。