00:02
おはようございます。
それでは、いつものように、お隣、ご近所の方とお会いさせていただきましょうか。
おはようございます。
それでは、今朝は、このピリピリという手紙の一章の、読んでいただきました十二節以下を中心に、
このキリストに生きる喜びという題で、与えられたこのメッセージを進めていきたいと願っております。
ご承知のように、このピリピ教会という、最近、数期間でしたかね、国際が、トルコの方に旅行に行かれた、
多分その辺りもずっと見られたんじゃないかなと、ご覧になりました?
昨日、トルコがテレビデモをやっておりましたので、来週もそうですが、
大体そこは、観光として有名なところだけをピークアップしておりますけれども、
私の一つの願いは、できたらば、そういうファオルの足跡と言いましょうかね、
歩んだところを一度見る機会があったならば、どんな幸いだろうかな。
また、先日お聞きしましたラザリさんたちが、イランどこに行かれた?
よくぞ、イランに行かれたかと、
ずいぶん向こうの方の様子を新聞で、あるいはテレビで見る限りにおいては、
非常に物騒な感じをするところなので、無事でよかったなと思いながら、
しかしお聞きすると、やはり旧約定初の背景となっている、そういう歴史がそこにありますから、
イラン、イラクが平和であれば、ぜひとも行ってみたい、そういう箇所の一つでもあります。
余分な話でありますけれども、このフィリピンの教会というのは、
ご承知のように、パウロがその全土旅行の背中において、
これもあのトルコを中心に、今のですね、トルコを中心にした、
そのトワギアといわれるそこを殿堂する、彼はそういう願いを持って、
そして再度そこに向かおうとしていた。
ところがなかなかそこへの道が開かれないままに、
彼は一つの幻でいいましょうか、一つのビジョンを見たんですね。
それはマケグリアの人々が、私たちのところへ来て、この福音を伝えてほしいという、
そういうこの重荷が、彼の幻の中において、それが与えられた。
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それで彼はですね、その海を渡って向こうに行くということは、
彼にとっても全くの外国の地ですから、一体そこに何が待っているんだろうか。
これまで一回行ってきた、その現在のトルコ辺りですけれども、
その辺りの中では必要ですよと言っているし、いろんな問題に対応をして、
と言って今日まで来れたんで、できればここでやりたいという願いを持っておったでしょうが、
しかし神様が彼に示しなさったのは、一人のこの外国人が叫び求めているその幻の中でもって、
彼はそれではということでその導きを待ち、そしてついにですね、
エーゲ海というきれいなそこを渡って、そしてこのマケドニア、このギリシャの、
このペリフィというこの町に落ち着いた、その記録が、
人の働きですね、人の働きの16章前後を見てまいりますと、その様子が記されています。
で、その働きはいくら神様が命じなさったとは言いながら、
非常に彼にとっては思いがけないような苦難がそこに待ちおりました。
けれども彼はそこに神様が導いていらっしゃっている、そういう使命というものを彼は持っておりましたから、
目先においてどんな厳しいことがあっても、彼はそれを受け止めながら、
そしてその働きを進めていくという、そういう中でもってこのペリフィの伝導が、
思いがけない方向から思いがけない方法でもってそれが進んでいって、
そして後にこのようなギリシャの手紙という教会が参上し、
またパウロの手紙を受け取る教会となっていたわけですね。
で、パウロはこの合わせて表行伝なんかも見てまいりますとですね、
このペリフィ人の手紙をはじめとして、その他にこのエペストリ人の手紙、それからコルパンへの手紙、
それから個人的な慾愛の強いピレモンへの手紙とか、
そういう手紙が実はこのペリフィ人の手紙を各同じ地域に、
同じ環境の中でもって記されたようですね。
周りの人たちがそういう、彼に時間と場所と提供して、
そしてどうぞもうそれを全部書いてくださいと言ってできたのではないんですね。
むしろそのペリフィ教会にしても、その教会にしましても、
あるいはその、とは違いますけれども、個人とのその教会に書き送ったその手紙にしましても、
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そういうように整えられた状況の中でもって書けるような、そんなのではないかと。
むしろこの逆。
実はこの一教のここの十二節から見てまいりますと、
さて兄弟たち、私の身に起こったことが、
かえって福音を全身にさせることになったのを知ってもらいたいと思います。
私がキリストの家に投獄されているということは、
金鋭体の全員とその他の全ての人にも明らかになり、
また兄弟たちの大多数は私が投獄されたことにより、
主にあって大胆、主にあって確信を与えられ、恐れることなくますます大胆に。
ここに出てくる非常に厳しい言葉がいくつかついております。
彼の身に起こったことが、それは投獄だったというんですね。
実はパウロは何とか伝道したいという願いから、このフィリピンを始めとしてその終焉をくまなく伝道しました。
そして彼がさらに示されたのは、このローマへの伝道ということをあるように、やはり同じように示された。
ところがそちらの方の導いては一向になかなかったので、日記が開けなかった。
ところが神様が持ちなさった一つの手段というのは、彼の働きを妨げるという、
いわゆる迫害という言葉が次々と彼の身に、また彼の終焉に起きてきた。
そしてとうとうローマ法廷においての裁判にまで訴えられるようになりました。
パウロにとってはですね、もうそれこそ飽きかせせかせになって、もっとこれから働きが進むのに、
あの教会にもう一度行きたい、この日記にもう一度行きたい、そういう思いを持ちながらしかし、
そういったものが全部取らされてしまったような、そういう中に追い込まれてしまった。
ところがその中で一つ生きていたのは、私はローマを見なくちゃならない。
言葉を書いてもらえば、ローマに対する彼が強い思いというもの。
神様がその思いをお示しくださっておりますから。
彼は自分の身にどういうことが起ころうとも、神様は必ずそのローマへの伝道の道を開きなさるだろうと、
彼は信じていましたけれども、彼が願っていたような、では第一回伝道旅行、第二回伝道旅行、第三回伝道旅行という、
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そういう形で持ってローマへの大恩会、伝道旅行がそこに開かれていったのか、そうじゃない。
まあ、あえて言うならば、それまではいろんなクリスタンの兄弟姉妹、あるいは教会から掲げられた、
それによって彼はそういう伝道旅行というものが、伝道というのができたでしょうけれども。
ところが、この彼の身を着た者は、そういうどこからの援助もなしで、むしろ完璧でもって、自分の個人的なものではない、完璧でもって、
しかも戦争地を率いるローマの兵隊、国境の兵隊たちが、そこに守って、彼をガードして、そしてローマへ導くという。
たくさんいろんなことがありましたけれども、毎日おそらく人形伝の、そこを読んでいただいたのがわかりますが、
彼はついにですね、ローマに渡って、そして伝道できるようになった。
いやあ、彼は思いっきり伝道できたのか。
けれども、状況はこれでした。
当国のみ。
彼はそのまま裁判を受けるために、いわば今の言葉を言うのは軟禁でしょうかね。
そういう拘束された中、そして彼の周囲はいつもこの近衛隊なるローマの国境の兵隊たちが、彼を見守ると言ってもいいでしょうね。
逃れないようにという一面もあったようですけれども、
とにかくそういうようなことでもって、彼はそういうところに拘束されてしまった。
けれども、その拘束されている中でもって、実はこの国境所管、国境からの手紙というのでしょうかね。
これがずっと書かれたわけです。
ですからパウロは、自分の身にこういうことがどういうことが起きても、
彼はそういう中でもって、彼の変わらないその人に対する信頼と言いましょうか、信仰は、
自分の身にどういうことが起きてもしかしながら、その背後には全ては神が私のために最善を示唆されるという、
そういう信仰というものが神です。
ですから彼は、もし今と同じようにこの電動電動電動でもってその旅行に忙しくしておったならば、
こういう手紙を書き送ることのできるような、そういう場所も時間もなかったかもしれない。
けれども拘束されている、そしてまた自分は自由に出て行って、
そして誰にでも彼にでもって言わせにはいかない、
そういう中でもって彼はそれぞれ優秀なこの手紙をまとめたんですね。
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ですから神様が与えなさる時に苦難というのは、いつでもそこに見通しのある苦難なんですね。
ただ私たちもそうじゃない。
もうそういう試練とか厳しいことや、あるいはこの苦しみに出会いますと見通しが高くなっちゃう。
出てしまいは同じ教会に来ながら、あの日たちは本当に恵まれながら、
なんで私の身はこんなでもうつまらん事柄からこういう問題が過ぎると起きてくるんだろうかな、
泣くし、そして落ち込み、そしてもう自分のその不幸をわかりを投げて、
もう全部の不幸を自分がもう持ち込んでしまっている、あるいは背負っているというような、
そんな感じで持って教会に行っても、何の解決もないし見通しもないし、
どうして私たちがこんな目に遭うんだろうかという、そういう歪められたこの気持ちというものがますますそこに増幅してくるというような、
その苦難というのがですね、時に私たちにこういう風におっしゃってくれます。
しかもそれだけじゃないんですね。
その苦難を自分のことではなくして、誰かによってそういう厳しいことにつらいことに出会っているということでもって、
誰かにその刃を持っていくところから、この人間関係というものもだんだんおかしくなってしまう。
しかし、私はパウロがこういう厳しい中でもって、どうして彼はですね、そういう中から新しいことをそこに見出し得たかというならば、
それこそ今朝のテーマではありますが、
キリストに生きるというこの本当の喜びというのをね、彼は自分のうちにしっかりと持っていました。
ですから苦難というものがもちろん、彼の思いがけないところからやっていくわけですよ。
しかし彼は、そこに必ず神がされてもしかしたらあるという、そういう神様の見せを感じた時に、
むしろそこに彼は、いや、実はこの世の中にこんなに素晴らしいことがあったんだということで、
そういう言葉がそこに次々と分かってきた。
ですから彼は大胆に、この十二節先ほど言いましたが、そこには、実はその自分の身に起こったことが、むしろこの福音の前身に役立っている。
それまでは、いや、せっかくローマに来たっけながら、どうして私はローマの議会でもってこの証ができないんだろうか、
あの人にもって、そしてこの福音を伝えることができないんだろうか、そうではないんです。
自分の身に起きて、今国中である拘束された中にあるけれども、しかし考えてみると、このことがあってこそ福音の前身に役立った。
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実、この手紙そのものもそうですよね。
私たちはパウロが国中で書いたこの手紙によって、どれだけ今の信仰がそこに教えられまた確立されて、今日に至っている。
パウロの国中生活がなかったならば、この優秀書簡、私が最初に聞いたときには優秀だなと思ったんですね。
いわゆる優先された中でもって、彼は書いたというところでもって優秀、とらわれの身の中でもって書いた手紙という。
しかし私にとっては本当に優秀な手紙だ。
私たちはそれによって大きな恵みをいただいて、今に至っているんですよ。
パウロも働きなかったならばその時代だけですよ。
彼の行動範囲だけですよ。
しかしながらそうではない。
今にまで至る大きな恵みが彼の拘束された苦難の中でもって、生まれそして私たちを呼んでいる。
もう一つは、彼は先ほどお言いしましたこの十三説。
キリストの家に投獄されているということは、神霊体の全員とその他の全ての人にも明らかになり云々と書いてあります。
何がしたの?不祥な老化の神霊体が、いつ何時暴患に襲われるかわからないということ。
あるいはパウロがいつ飛び出して、そしてどこへ行ってしまうかわからない。
それは私たちの責任大だということで、彼らはいつでもこの身の回りのことをお世話しながらパウロをガードしていた。
ところが神様はね、そのパウロにいつも隙間を通るようにしておりましたこの神霊体の人たちが、
パウロの信仰の凄さに驚かされて、そして次々と彼らの中からクリシアになるという人たちが起こされていった。
このローマの兵隊は、この期間はローマにおいてパウロのそれを世話しなさい。
そしてある時間が来ると今度はあなたはこのギリシャに渡りなさい。あるいはソロコに来なさい。
当時のローマは世界を世話しておりましたから、いろんなところにこの軍が入っておりましたよ。
今私たちの日本でも大きな大変深刻な問題がまさに国会を通ろうとしているようなそういう雰囲気の中にあります。
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一度軍人としてその国のために招集されたならば、その国のためにあるいは軍のためにということでもってどこへ行くかわからない。
それがこの兵隊の与えられた使命ですよね。
そのローマの兵隊たちはこの小さなスペースの中でもってパウロから教えてもらったイエス・キリストの素晴らしさ、
彼らは今度はその自分の使わせ方を認知でもって、そしてその人たちに福音を伝えた。
パウロは自分が願っていても行けないような場所だったと思いますよ。
ところが彼はこの場所において、このペッセル兵隊たちがパウロを通して福音に触れ、そしてイエス・キリストも過ぎたという言葉だから、
パウロの世界選挙というものがそういう人たちを通して次々と行き渡っていった。
これはパウロにとっても予想外のことじゃなかったかな。
そこまで彼は軽感して、そして神様何と素晴らしいことがなさるんだろうかと最初は思っただろうか。
最初は思えなかったと思う。
けれども彼の手紙を見てまいりました。
今のこのピリピリというのはそうですが、この最後を見ますとね、多分こういう表現がいくつか他にもありますけれども、
この四教の二十二節あたりを見ますとここに、生徒たち全員が、そして特にカイザルの家に属する人々がよろしくと言っています。
このカイザルというのはやる皇帝カイザルでしょう。
ですからこの一文から見ても、パウロのもとには、さっきは皇帝カイザルに使いながら、しかし今はキリストに使えるものになった。
そういう人たちも込めて、そしてピリピリの教会の人たちを、こういう人たちがみんなあなたのために祈っているよ、あなた方のために祈っているよといってですね、
そういう励ましをパウロはそこで持っていくと言っているわけですね。
私たちはこのふうに思えるようなくなんとか発願とか、そういう意味であって、そして私たちは一気に昇進してしまう。
しかしこうした仮定を見てまいりますと、それは私たちの計算の中ではもうこれ以上ダメだろうというふうに思ってしまう。
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しかしながら神様のご計画とその計算は、そうではないんですね。
人がダメだと思っているようなところから、そういうふうな思いもしないような計算外、想定外という言葉がよく言われますけれども、
まさにパウロにとっては想定外の、そういうこの全世界に向けての福音の差が進んでいるということに、彼はむしろ驚き、そして呻いたんじゃないだろうか。
ですからパウロはこの29節、今朝は26節まで読んでいただきましたけれども、そこの歌詞を出て、そして29節を読みますと、
あなた方はキリストのためにキリストを信じる信仰だけではなく、キリストのために苦しみを賜っている。
彼の苦難に対する受け止め方ですよ。
このキンキョウリャク聖書では、この賜ってるという言葉を、恵みとして与えられているというふうに略されておったと思います。
ですから苦難も、そういう本当に自分にしかこんな厳しいことはないだろうと思えるほど厳しい事があったとしても、
それは神様が恵みとして私たちに与えなさっていることなんだ、という、こういう信仰の受け止め方。
キリストを喜びとして生きる人というのは、そのように物事の受け止め方というものを、いつも主からのものとして受け止めながら、
そこにどんな素晴らしい最善が、そこに私たちの前に約束されているか、だから恵み以外何ものでもない。
そういうことですよ。ただ私たちは苦難が恵みとして受け止められるに至るまでには、多少なりとも時間がかかりますね。
先ほど申し上げたように、あてもない、こうでもないと、そして疑ってみたり、あるいは巻き込んでみたり、あるいはもうそれをこの人になすりつけたりというようなことに、ついついその私たちの思いが向かってしまう。
しかし恵みとなったらと出会えますよね。ああ、これも私にとって恵みだなあと思ったら、そこに神様は素晴らしい光を与えなさる。
18節を見ますとここに、するとどういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも真実であろうとも、あらゆる仕方でキリストが延べ仕えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです。今からも喜ぶことでしょう。
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これはパオロのそういう働きを中には妬んでね、そしてパオロよりも私の働きの方がどんなに素晴らしいかという、まあ言うならば本当のキリストに生きる喜びからではなくして、
そういうこのパオロに対して自分の方がどんなに素晴らしいかということを見せようとして伝道するのもおる。そういうこともパオロの耳に入ったんでしょう。
まあその一つの例は、コリントンの題詞の手紙の始めを見てまいりますとね、せっかく教会、クリスチャンとして見つかりながら、私はこのペトロ党だ、私はアポロ党だ、私はヤクミクト党だというような、そういうことを端で持って互いに競い合っているし、争い合っているというような人が書いてありました。
パオロにとってはね、パオロにとってアポロが何者ぞ、ペトロが何者ぞ、パオロが何者ぞ、もっと素晴れさま、イエス様じゃないか、確かに中には私がキリストフォーダーなんていうとですね、そういうことでもって、東亜神からそういうイエス様の名前を使うような心の中におりますけれどもね。
私は教団の教職としても引退いたしましたけれども、今主には教法教派的なそういう働きの方にむしろ時間が費やされているというような言葉がそこに無くはないんですね。
いろんな教派、いろんな団体、特にケジックは、それはキリストにあって私たちが一つというのが、これが英国のケジックから始まったこのケジック運動のそれなんですけれども、そして今はそれが全世界にと言いましょうかね、それぞれのところにこのケジックの集会が、政界が行われています。
ですからいろんな教派団体の人たちが来ます。またいろんな人たちとそこでもという祈り合いながら、では次のために行って、そして祈りを共にしながらこの住んできているわけですけれども、そこにはヘッドのような、そういう教派も実はあるんですね。
そういうところに訪ねて行ってみて、そうかなと思ったりもすることがあります。幸い私たちの日本イエスキリスト教団は、最近はそういう傾向が少ないかと思うんですけれどもね、やはりバキトン先生の働きでもって全道体が乱され、そしてバキトン先生は何も全道体というものを乱すために全道しているわけではない。
27:10
とにかく日本に、日本人の手による全道がそこに済むならばということでもって聖書学校を起こしたりなさっているわけです。そこにあるのは根底から教教派というね、一つの教会や教会にとらわれることなく全ての兄弟姉妹という、ですから先生はそうは言いながらご自分は聖公会でした。
聖公会の美術教職として日本に来ましたけれども、しかし聖公会を広めるという、そういうこの働きではなくして、むしろいろんな人たちを先に松屋の方に招集していたりして、そこでもってスイカな劇場を開いて、そこでもって全能なさったという、そういう働き。
ですから日本の教育がそこに開かれましたときに、ですから聖公会の美術をもらいました。陽気社長さんの教職や診断者たちも、旧正尊ももちろんおります。いろんなところから入ってきております。
これは聖公会は非常にハードな、ペンとポスターのそういうところからも来ておりますけれども、ルートをさせていただきますと、結構爆損のところに行っているので、改めて思ったりもするのですが、何を申し上げたいかというと、
私たちはたくさんに、中身は東亜人から、あるいは自分の共生だけを考えて、あるいは時には自分の名誉というもので持って殿堂するというような、とんでもない臓器を持って殿堂するような人も中におります。
何でもですから、自分がその中心にいないとならない。で、自分がそこにいなかったならば、どうして私がいないときにそういうことが決まったのか、みたいなことでもって、そこからまたごちゃごちゃにするというような人も、中には牧師でやっておるんですよ。
ですから余計薬師になっちゃうんですけれども、しかしパウロという人は、彼は、たとえ無視されたとしても、それをそのまま受け止めながら、自分を指定するようなそういう言葉がそこにあったとしても、けれどもそれによってイエス様が伝えられたならば、それがベストだ。
パウロのその君人に生きる喜びというものを持っている人はそうなんですね。
ですから彼はどんなことが起きても、こうでもって彼は言いますよ。今読んだこの自話説の終わりの方。
このことを私は喜んでいます。そうです。今からも喜ぶことでしょう。少々検討しがいな言葉がそこに起きて、そしてどういう働きがあったとしても、彼はどんなことの中でも喜びというものを見出し、喜びというものをエネルギーとして、そして彼は喜びを人々にこれを伝えていく。
30:22
ですからこのテレビ店の手紙を読んでまいりますと、この喜びという言葉がやたらと出てまいりますよ。やたらとといったら、決してただもう字面をそこに並べているんじゃないでしょうね。
一つ一つがそこにおいてどういう意味を持ってこの喜びという文字が使われているのかという背景を見ますと、君人に生きる喜ぶパウロの姿なんだな、指定なんだなと教えられます。
17回か18回か、その辺出てると思いますから1回、喜びという男性の言葉をこの手紙をして、そしてその前後を読んでいきますと、それだけでもああーっと思うことに出会えます。
私たちはそういう意味で、そこにキリストが伝えられるということにパウロの喜びをいつも見出しました。
教会で時に生じる一つの事柄というのは、これは善意なんですけれどもね、一生懸命新しい人が来た、一生懸命ですから、自分はこの人のために祈ってさせて導こう、それはわかるんです。
ところがそこに誰かが入ってくるとね、なんで私がやろうとしているのに、余計なことをして入ってくるんだろうかということで、もう取り込んでしまう。
これは教会の姿じゃないですよね。でも現実にそういうことが起こるんですよね。
だからその人たちにとっては、またその人にとっては、自分の周りに自分がちょっとでも骨ばっかりつけたというんでしょうか、非常に人間的な表現ですけれども、自分が導いているという人を集めて、そうして楽しく賑やかにやる。
それを壊したくない。
ところがそれがだんだん強くなってきますとね、外から入ってくる人に対して受け付けないというところが時に出てくるんです。
あんまりにも交わりが、もう素晴らしくみんながいいなと言っているようなその交わりがそこにありますと、今度は外からこっちに入ってきたような人でもって壊したくない、壊されたくないというような思い持ちなんですよね。
非常に敗者的になるんです。
教会の知りやすい一つの問題はこれなんですよね。
教会の交わりが素晴らしい。素晴らしさの意味で何か来た人に対して受け入れるという努力がないためにね、非常に閉塞されてしまう。
33:07
私は日本の教会の弱さというのが課題というのはそこにあるかなと思う。
教会の群れとしてはちょうど日本の教会のだいたい平均の世界人数が30名ぐらいでしょうかね。
それは一番交わりという点では良いそうですよ。お互いに何もかも分かり合えるという関係においてはその30名というのは良い。
ところがそれを良いことにして他を受け入れないところでなってくるとこれは教会にとっては死命傷ですよね。
先ほど久しぶりに小さい子供さんの声を聞きましたけれども、私が前のその赤城という言葉がなかったですけれども、
その前の白方希望教会の時にはですね、礼拝の最中でもそういう子供の声がもう来たんですよね。
もうそこにはちょっと黙ってなさいと言ったこともあるんですね。ところがある時期からね、子供がいなくなっちゃった。
礼拝にしても教会にしてもこの子供の様子がないんです。
その時私はひとつの危機感というのでしょうか、寂しさを感じました。
教会に子供の声が聞こえなかったらね、これはひとつには警告ですよ。教会の札がないんですよ。
だから私がその前の白方におりました時にはその教会を礼拝でもっと恥ずかしいことが起きてもですね、
10年経ってこれなさい。青年会の有力なメンバーですよ。わずか10年。
自分の過ごしてきた何十年も考えますとね、10年経ってもうあっという間ですよ。
だからこの煩わしい子供たちが10年後の青年会の中心で、もうちょっとしたら役に入って、
クリスチャンもきっちり、みんな育ってきますよ。
だから教会に子供の声が聞こえなかったならば、教会のきっちりです。
ですから私たちはそういう自分の考えの違う人とか、
何でこんなに悲しい子供が教会に来ているのだろうかというのではなくて、
そういうものを全部受け止めていく。
この一部の中に私はですね、このパウロのどりょうというんでしょうか、
懐の深さというんでしょうかね、彼は全部を受け止めて、
そして彼はそういう働きの中からさらに一つ一つの働きを進めていく。
私はこうして50年の自分の牧師・伝道者としての生涯を、
今は辞めたわけではないですね、働きに加わっております。
けれども私にとってはもう本当にこの50年、50年というのは私には奇跡なんですね。
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何で自分のようなものが、こうして50年、伝道者・牧師として来れたんだろうか。
この間に、私の教会での働きは最初は新潟県の名古屋市というところですよ。
いつも御座席に行って、そして10万円ぐらいサブトンパッドに並べたならば、
もうそれで持って礼拝ができるというのは大変便利なところです。
けれどもその人たちが去った後、この教会はこの町にとってどれだけのインパクトがあるんだろうか、
かかりがあるんだろうかと思ったら寂しくなることがあった。
けれどもその教会に使わされるときに、当時の道場、十太郎先生が印象で、
ビジョンのない民は滅びる、だからビジョンを持ってやりなさいという、
そういう葉書の底に書いてあった思いを起こしては、ビジョンを持ってやろう、ビジョンを持ってやろうともっとも、
なかなかそのビジョンが湧いてこないというようなことがありましたけれどもね。
しかし私にとっては、最初の教会だけに非常にいろんな点で狙われて、
そしてその時の3年余りのせいがどんなに貴重だったか。
そしてその後、この岡山県の大原教会、ここは宮本の会というね、ご存知だと思いますけれども、
私がその教会に行ったら、一人のこの中道者の方が、先生がここで伝道しようと思ったら、
これぐらい前に読んでおかないと。
あの吉川英二作の天の巻、地の巻、なんとかの巻という3巻、こんな分厚いやつを持ってきてくれて、
そしてそれを一生懸命読みました。時々見て読んだんじゃないですよ。
時々福田英二の原作を見ながら、なんだこの氏名が今も、あそこの氏物書のことか、
宮本と言ったら福田と書いて、そのまま小説の時代が今のところに生きているわけですよ。
ですからその宮本というところでも家庭集会を始めるようになりました。
私にとってはその大原教会での5年間というのはね、今でもそういういろんな点で結びつきがあります。
祈ってくれた教会。なおしても教会はそうではないのか。そうではないんですよ。本当に祈られたなあ。
そしてその後、しばらく本部の仕事をする。そしてその間に社会とか、いくつかの教会をサポートするようなことがありました。
そして改めて、全然人知の平方希望教会という、その平方に来た。
平方に来た時は、これ有業無限の中屋の文化アパートですから、
端から見たら大きそうに見えないんですけれども、本当に毎日一軒半かな。
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そういう中での開拓伝道が始まったわけです。
ここでもっと教会形成ができているのだろうかなと思いましたけれども、
しかし私にとっては思いもしない、そこでの30何年間の、今の私がそこで作られたと言ってもいいじゃないかなと思いました。
毎週木曜日になったから、卵屋さんなんですね。
慶應に卵のこのケースをバーッと詰めて、そして信者さんの家に持って行く。
その信者さんがそれを今度は開けて、それで近所の人たちにこの改造建築という大きなもののセーマがありましたから。
なんとその時ですね、最高額が月178万ありましたからね。
私のその時の給料は3万か4万でした。
思い切って卵屋になろうかなと思うくらいに、もう本当に売れてくるんです。
教会の卵が素晴らしい、そんなこともあって、
まあ教会の卵は素晴らしいんじゃなくてね、家は素晴らしいってことをみんなが知れてくれたらいいんですけれども。
けれどもその期間の働きというものが、今の平方希望教会の土台を築いたと言ってもいいんじゃないかな、いろんな苦労もありましたよ。
私自身とても大きな事故もありましたよ。
あの事故の話はもう2度聞いてるから、3度話したんでいいから。
前もって打ち合わせしてみましたから、もう話していってもないんですけど、そんな個人的なそういう問題も起きました。
けれどもそういう一つ一つのこの教会。
じゃあお菓子はどうなんですか。
お菓子はお菓子でね、本当にいいお菓子があそこにあるんですけれども、素晴らしい目に見いただきながら、
そして今は宮崎教会に協力博士。
教団では何でしたかね。
食卓博士。自分の立場が忘れちゃうんですけれども。
食卓博士ってね、会社を定年した人が食卓として、
女性をそこで励みなさい、奉仕しなさい、というようなことでしょうか。
そういうことで使わされています。
しかし私とてはね、今申し上げたようなその教会とは忘れられないんですね。
なおいつも今からもう50年近く前の話ですから、
けれども、疲労のような感じがして戻ってきますよ。
緑波の中で彼が献身してくれたなというのは、献身して今うちの教団で博士をやっている人もおりますし、
その平方でもゴジゴジゴジゴジやっているところから何人か献身して、
そして今もうちの教団の中で博士をやっているのもおりますしね。
ですから、その働きによって身を結ぶのは確かなんでしょうけどね。
しかし身を結ばせてくださるのは神様ですからね。
私がやったのでこんなふたつじゃないんですよ。
神が私をそこに置いて使わされた中において、こういう一人一人の身をそこに結ばせてくださった。
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教会があっての自分だということを、いつも私は思いながらおります。
ですから本当にパウロはね、そういう意味において、
彼は、たとえ自分の身にどういうことが起きようという時間が来ましたら終わりますが、
彼の生き様の結論と言いましょうか。
この二十節を見ますと、それを私の切なの祈りと願いにかかっています。
すなわち、どんな場合にも味ることなく、いつものように、今も大胆に語って、
生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが憐れられることです。
私にとって生きることはキリスト死ぬことも益です、と言って彼は。
彼はそれですよ、生き方。
本当にキリストに生きる喜びというものを経験したいからこそ、
彼は全てをキリストに懸けているんですね。
自分の身にどういうことが起きようと、神はそこから、ここに書いてありますように、
キリストがあがめられることをそこで表してくださる。
バクチョン先生と一緒に働きなさったフォーア先生という方がいらっしゃいます。
このフォーア先生という方がおっしゃったというのを、
2、3年前に主要聖会に来られた、サオシロ・チュウイチという先生が、
その先生はフォーア先生の影響を受けて、そして教団は違いますけれども、
何年か前に主要聖会でメッセージされた、そのフォーア先生がね、
あがめられるということは、拡大するという意味がそこにあるんだと。
私はそういうことを聞いたときに、ああ、なるほどなと。
単にあがめられる人、神様の栄光がそこに表されるという意味じゃなくて、
キリストご自身がそこで持っている、ものすごく拡大されている。
彼の願いはそれだったんですね。
私の身によってキリストが拡大される。
前に話したことがあるかもしれませんが、アラスカのアンカレッジにおりましたときに、
そういうことで400キロぐらい離れているんですけれども、マッキンレイという山がありました。
北米で最高峰と言われている、4500、700なんかある、それが見えるんですよね。
で、私はそのデジカメで持ってそれを撮ったんですけれども、記載はそれでしかなかったんです。
で、この一人が望遠でもってこうやりましたら、はっきりとマッキンレイが見えてくるんですよ。
すごいなと、そこで思いましたけれども。
私は望遠じゃなくて、拡大することでしょ。
どんなに遠方にあっても、それを拡大して、そのすごさというものを見せてくれる。
45:00
私たちクリスタンは、そういう神様の恵みを表すこともできる、拡大することもできるものとして、今私たちは置かれている。
それがお互いです。
ですから、本当に私たちのこの信仰生活を通して、私たちが選ぶキリストによって生きるかということによって、
イエス・キリストが私たちをとってお祈りいたしましょう。