2022-08-21 26:08

#119 離れ離れの罪人でも 22/8/21

ピリピ1:1-2からの礼拝説教。2022年8月21日録音。ピリピ人への手紙は「獄中書簡」の一つで、パウロがローマでの投獄中(使徒28章)、皇帝ネロの統治下の西暦61―63年頃書かれたと考えられています。パウロには命の危機にあったにも関わらず、この手紙は「福音に生きる喜び」に溢れています。私の恩師の牧師に言わせるとこの手紙には「信仰の奥義」が書かれているというのです。今日は最初の挨拶から1.聖書のパウロの伝道旅行に親しむ 、2.離れ離れでも一つの教会、3.罪人である聖徒たち、の3つの点について学びましょう。

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新約聖書 ピリピ人への手紙 1章1節2節 新海約聖書2017年版からお読みします。
キリストイエスの下辺であるパウロと手もてから、 ピリピにいるキリストイエスにあるすべての聖徒たち、
並びに監督と羊たちへ、私たちの父なる神とイエス・キリストから、 恵みと平安があなた方にありますように。
以上です。 今日はこのところから、
離れ離れの罪人でもと題して見言葉を取り継ぎます。 おはようございます。
今日からですね、ピリピ人への手紙に入ります。 新約聖書にはですね、パウロの手紙が13つ残っていると書かれていると。
そしてその中でもローマ書とコリント二書は長い手紙、 実はガラディアも長い手紙に入り、人によっては4つの大書館みたいに言うんですね。
残りの短い手紙、ローマ、コリント以外の短い手紙は10つありまして、 その中からですね、ずっと礼拝を取り上げてきたんですが、
ピリピ書でなんと7つ目を学ぶことになります。 短い手紙のですね、
ちょっと詳しいことを言うと、 3つはですね、テモテの手紙第1、第2と、テトスの手紙というのは勃開書館と言って、
当時の教会指導者にあてた手紙なので、 教会全体や教会の神徒にあてた手紙を、今日このピリピの手紙で短い手紙について言えば、
すべて学ぶことになるわけです。 これはですね、
極中書館と言われているエペソピリピコロサイというセットの中の一つで、 おそらくパオラはローマで東極中使徒の28章の最後にありますが、
皇帝ネルの時代、大体西暦61年から63年ほど書かれたと考えられています。 その内容はですね、まさに命の危機にあったにもかかわらず、
この手紙にはこの福音に生きる喜びにあふれているんですね。 いつも喜んでいなさいという有名な見言葉があるとおりです。
私の恩師の伊豆田明博士によると、 信仰の奥義がここに書かれているとも言われています。
まさにですね、今、いろんな意味でヨーロッパ騒いでいますし、
日本も騒がしい状況、そしてなかなか新型コロナウイルスの感染拡大からためやらない状況。 そんな中まさに
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喜びについてですね、信仰の奥義について このピリピピとの手紙からお互い学んでいければと思います。
今日はその最初の挨拶から3つのことを学びます。 じゃあ読める方は読んでみましょうか。
キリストイエスの下辺であるパウロとテモテから、 ピリピにいるキリストイエスにあるすべての生徒たち、並びに監督と羊たちへ。
これね、何か絵が書いてありますけどもね。 ピリピピとの手紙というのは実は
ヨーロッパで一番最初にできた教会なんです。ピリピという教会は。 それで
どこにあるかというと、大きい地図になりますけれどもね。 今のここです。
これ大きく見たパウロの電動旅行の地域の絵ですけれども、 このピリピというのはですね、ちょっと拡大しますと
今のギリシャですね。今のギリシャ図の左側のマケドニア州の ちょっと小さい丸でぼんやり囲んでありますが、そこの第一の都市だと書かれています。
いわゆる今、ウクライナ情勢などをはじめ、EU状況などをはじめ、 ヨーロッパ騒がれていますけれども、今のギリシャに属する
町で、実は2016年に世界遺産にこの町が指定されました。 教会の跡とか見つかったんですね。大きな地震があって、もう廃墟になったんですけれども、発掘作業が進んで
見つかったということです。 ここはさっきも言いましたけれども、パウロの第二次電動旅行の時に設立されました。
人の働きの16章から21章、特に16章にピリピリ教会の誕生の物語が感動的に描かれています。
そんな中で皆さんにちょっとお勧めしたいのは、 聖書を言ってみれば気楽に読んでいただきたいということなんですね。
どういうことか。 実は私が学生時代とか20代、ディボーションという言葉が流行っているんです。
ディボーション、聞いたことあります? ネボーションじゃないです。ディボーションというのはディボート、捧げる、没頭する。
聖書を朝ですね、毎日ご飯を食べる前に読む。
そして真剣に読んで、できればノートを取りながら読んで、神様からのメッセージを受け取るべく、朝一番に真剣に読む。
しかも毎日読むという、そういう運動が盛んになりました。 私もできるだけ実践していたんですけども。
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もちろんそのように、聖書は深く大事に神様からのメッセージを読むんだという姿勢も必要なんです。
ただ、あまりにそればっかり気持ちが向きすぎて、お高い本に止まってしまうともったいないんですね。
だから、もっと気軽に聖書に親しんでほしい。 これでは、ベンチに腰掛けながら、暖かい日差しの中で読む人とか、
寝転がりながら読んでいる絵なんかがありますけれども。
なぜかというと、人の働きにはパウロの電動旅行など、
パウロの手紙に出てくる教会の誕生の経緯や、パウロが選挙で受けた迫害の物語が生き生きと描かれています。
ですから、ぜひ皆さんには、聖書に何が書いてあるかを知るために、さらっと読んでほしいんですね。
最近は、ネットの画像検索なんかで、このパウロの電動旅行の地図を、いくらでも検索することができます。
第1、第2、第3。スクショしてもいいですしね。
そうすると、どこを実際パウロが歩いたのかということを見て取れます。
それを元に読むと、これまで礼拝で学んできた手紙、聖書のパウロの手紙の誕生の物語、
そこで起こった迫害の物語なんかに触れてですね、この読んだ、学んだことが生き生きとですね、蘇ってくるということもあります。
こういう背景だからこの手紙が書かれたんだ、なんてことがわかるので、この役に立つということです。
ですから、ぜひ皆さんですね、この特にピリピリ教会の誕生は、使徒の16章から書いてあります。
読んでみてください。そんな中で、聖書箇所を引用しながら、最初にはですね、まずパウロの聖書の電動旅行に親しむということで、
ざっとピリピリ教会誕生の物語をおさらいしてみたいと思います。
先週まで学んだガラテア教会というのは、ここですね、この辺り、ガラテア地域ですね。
この辺り、第一次電動旅行でパウロが訪れた時に生まれた教会です。
そしてパウロは第二次電動旅行の時にですね、アンテオケから旅立って、ここの教会のフォローに行ったわけです。
そこで、このイコニオムというところで、やがて弟子となる…
失礼しました。やがて弟子となるですね。ちょっと待ってくださいね。機械文明に追いつけてないところ。失礼しました。
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パウロはですね、このイコニオムというところで、やがてこの手紙にも出てくる弟子となるテモテに会いました。
ここでテモテに会った。
そしてここからですね、実はテモテに会いまして、北の辺りを通って行ったんですけども、電動の道が阻まれていったんですね。
そしたらある夜、幻の中でマケドニア人が現れて、私たちのところに来て助けてくださいと助けを求めたわけです。
そしてその夢を見て、あるいは幻を見て、パウロ一行はこういうふうに決断したんですね。16章10節。
パウロがこの幻を見たとき、私たちは直ちにマケドニアに渡ることにした。
彼らに福音を述べ伝えるために、神が私たちを見せておられるのだと確信したからである。
実はこの私たちというのはルカです。ルカの福音書と使徒の働きを書いたルカで、彼もこのパウロの旅に同行し、ピリピ伝道にも関わったわけです。
そして彼らはですね、船で渡ってですね、マケドニア州第一の都市のピリピに着いたわけです。
そしてそこで河原で、ユダヤ人は街道がなかったようですから、違法人が礼拝をしていた。
ユダヤ教を信じてユダヤ人が礼拝していたところに、パウロとその一行はですね、訪ねて行って、御言葉を語ったらですね、紫商人のリディアという女性が簡単にとイエス様を信じたわけです。
実はですね、当時のこのギリシャ地域は女性が非常に活躍していました。
どこぞの議員たちと違いましてですね、本当に女性活躍していて、いわゆるお上的な女性がたくさんいて、教会のリーダーにもなっていた。
リディアはですね、彼女はパウロたちを家に招いた。おそらく大きな家に住んでいたんでしょうね。
そしてパウロたちはその家を拠点にピリピリで殿堂していました。
すると占いの霊につかれた若い女奴隷につきまとわれてですね、この人たちは神の下辺だって言ってつきまとわれて迷惑したわけです。
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するとパウロはその霊をイエス様のように叱りつけるとですね、占いの霊がその女から出て行ってしまいました。
その女奴隷の主人はですね、この女奴隷から占いを通して稼ぎ口にしていたわけですが、その稼ぎ口がなくなったわけです。
そしてローマの公館に訴えてですね、このパウロをはじめ、こいつらはローマに反逆させるとんでもない連中だと言ってローマの公館に訴えていた。
するとその市民たちもですね、こいつらは悪者だと言って大騒ぎをしたわけです。
するとローマのその公館はパウロと中でもシラスを捉えて何をしたか。
ここに書いてありますね。
二人を何度も鞭で打たせてから、二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。
この命令を受けた看守は、二人を奥の牢に入れ、足には木の足枷をはめた。
こんな絵がある通りです。
有名なシーンですからいろんな絵が残っています。
このようなまさに先週も見ましたけども、イエスのしもべ、夜勤を負うような体験をパウロはここでもしたわけです。
この二人何をしていたかというと、極中の中で夜、賛美歌を歌っていたんですね。
そして他の看守や囚人たちもその歌に聴き入っていた。おそらく聴き惚れていたんじゃないかという学者もいるんです。
すると夜中に突然大地震が起こって、このすべての牢屋の扉が開いてしまったわけです。
看守は囚人が逃げたと思った。囚人が逃げると看守は死刑になります。
ですからその前に日本人の侍の切腹をよろしく自害しようとした。
するとパウロが止めたわけです。
死ぬのはやめなさいと、私たちは誰も逃げていなくて全員ここにいますよと言った。
するとこの看守はですね、ご主人様救われるにはどうしたら良いでしょうかとパウロに尋ね合ったわけです。
すると聖書でも有名なこの宣言をパウロはしたわけですね。
これを読んでみましょうか。
2人は言った、主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。
そしてこの看守はイエス様を信じ、この夜時を失わずパウロとシラスを自分の家に招いたんです。
そして2人の傷口を洗って、そして家で食事のもてなしをした。
そして家族全員がこの福音の御言葉を聞いてイエスを信じ、バプテスマを受けたとこの御言葉に、ローマ書に、人行伝に記されているわけなんですね。
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これがザットピリピ教会の誕生の物語、使徒の16章に書いてあります。
ぜひ機会を捉えて読んでほしいんですけども、そのような後ですね、2人は釈放された。
実はローマ市民であったパウロを取り調べもしないで、この関係がムチ打ちにしたことはローマで重罪なんです。
そのことをパウロは言ったらですね、このローマの公館はですね、自分が来てですね、申し訳ありませんでした。
手のひら返すようにですね、謝って、御身に立ち去ってくださいと2人を釈放したわけです。
そしてこの2人はですね、2人を含め一行はこのピリピを出て、皆さんも知っているこのテサロニケの町に行って御言葉を伝えた。
その他にベリア、いわゆるこのギリシャのマケドニア地域で福音を述べ、伝え始めたわけです。
この後、第2次・第3次電動旅行の時にテモテはピリピの教会に残ったり、行ったり来たりしてですね、
このテモテはピリピの教会でもとても重要な人物として名を残したわけなんです。
パウロはですね、このピリピートの手紙の一番最初で、キリストイエスのしもべ、パウロとテモテからって書いています。
しもべです。ありて言えば奴隷です。
彼は自由人ではありましたけれども、そして立法からも解放されていますけれども、
イエス様に仕えるしもべであり、ピリピの教会の人々に仕えるしもべである。
その姿はイエスの足跡に習った姿だって、それが後は出てきます。
このようなですね、パウロのキリストのしもべとしての生き生きとした姿が、
使徒の働き16章17章、このマケドニア伝道の物語を通して、私たちは生き生きと知ることができるわけです。
それが第一番目。
さあ二番目、いわゆる本文から見ていきますけれども、離れ離れでも一つの教会である。
ちょっと繰り返しになりますが、読める方もう一回読んでみましょうか。
キリストイエスのしもべであるパウロと手もてから、ピリピにいるキリストイエスにあるすべての生徒たち、並びに監督と執事たちへ。
複数形でしたね。
実はこの呼びかけの言葉、ピリピの人々に対する呼びかけの言葉、大事な言葉が一つあります。
それはすべての生徒たちへのすべてということです。
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これはですね、この手紙の後々の鍵となる言葉に関係していくんですが、
誰一人例外なくすべての人に宛ててって書いてるんです、わざと。
ちなみにこの後の監督たちと執事たちっていうことが、
これはどんな人たちかって学者の間でも議論があるんですが、監督というのはおそらく今の教会の牧師のように、
パウロの指導の下で群れを管轄するような役割、英語でオーバーシアラーと言われてます。
執事というのはディアコノスと言われてますけれども、
そしてそのパウロや監督の下で実際に、例えば必要に応じて人々に仕えた人たちを、執事という。
いわゆる日本語の執事にも似たような感じですね。
制度がまだこの頃できたわけじゃなくて、ボランティアとしてそういう人たちが起こってきたという背景があります。
そのような役割があろうがなかろうがですね、パウロが一番大事なことと言っているのは、
すべてのピリピの生徒たちへと言っていることです。
実はですね、このピリピ教会の人たちとパウロの間にはとても良い友情関係があって、友情の手紙だという人もいたんです。
この間のガラテア人の手紙を覚えてますか、反対する人たちいましたよね。
パウロなんかは人ではないという声に騙されて、パウロに反逆する人とかですね、
こういう異端的な歩みをして分裂したりしていました。
実はそういう問題はここにはなかったそうです。
そういう親しさもこの手紙から湧き出てくるような教会ですけれども、
その中でですね、後々女性の名前が2人ほど、3人ほど出てくるんですが、
そういうちょっとですね、先ほど言ったオカミ的なこのリーダーシップのある女性同士で、
なんかちょっと意見の違いがあって、衝突に発展しそうな空気があったという子供に酔わされているようです。
問題ではなかったけれども。
ただ大事なことはですね、そんな中でですね、この心が離れ離れにお互いになる危険が何となく潜んでいた。
そういう中で、みんなすべて同じ生徒ですよと、一つですよということをパウロは最初に言っている。
あるいはさっきちょっと見ましたが、2人出てきましたね、鍵の人物。
ルディア、リディアですね、大きい家を多分持っていた。
当時家の協会でやってましたから、例えばリディアの家の協会。
そして先ほどのカンシュ、大きい家でしたから、カンシュの家の協会。
ピリピという場所でいくつかの大きい家で協会をやっていた。
そういうのは当時のあり方であったようなので、文字通り場所が離れ離れで、でも一つの協会という、そういうニュアンスがあったかもしれないわけです。
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そういう別々のところで別れて礼拝するグループがあったかもしれませんけども、
パウロは最初にすべての一つの生徒たちへという言い方をして伝えているようです。
じゃあ私たちの協会どうでしょうか。
今ね、オンライン礼拝など文字通り場所が離れて今礼拝をしていますよね。
顔が見えない時もあります。
でも逆にズームなどのおかげで、ピリピとは違って同じ時間に礼拝することができます。
同じ御言葉をこうやって敷いています。
生産式にも同じ時に預かれます。
あるいは礼拝出られなくても音声配信とかレジュメによって同じ御言葉に触れることができます。
かつてのような一緒に食事をしたり観談をして一緒の雰囲気を味わうということが簡単ではないのが今の現実ですね。
だから自己紹介と祈りのカードを配布するというのは、一つの群れとしての交わりを共有する。
ここに絵を引っ張ってきましたけどもね。
一つの葡萄の木に属するそれぞれでも一つの木に属する群れだよというイメージですけども、
私たちも文字通り離れたところで礼拝をしている。
会えない人もいる。
でもイエス様にあってつながって一つであるということを、
もう一度フィリピンの教会の学びを通して確認できればと願っております。
3番目最後短いんですけども、
罪人である聖徒たちという言葉です。
パウロは全ての聖徒たちと言っているんですね。
聖徒は英語で聖徒ですね。
ニューザーのキャンパスがある立教大学はセントポールズユニバースティといってパウロの名前がついています。
青山学院ですね。
熊田圭介が出た。
あそこはセントアンデュルズ。
それはアンドレ、ペテロのお兄さんの名前がついている。
セントアンデュルズ。
そういうセントというのはですね、カトリックなんかでは聖人として認められたような立場です。
でもパウロはですね、フィリピンの人全員聖人なんですよって言ってるんです。
私たち全員セントなんですよ。
つまりですね、もともと聖徒というのはですね、
性別という言葉から来ているんですけど、
旧約聖書なんかで見るとわかるのは、
この清め分かつというのは本来は神様によって神様のために選び分けられた人々です。
先週見た神のイスラエルという考えですよね。
それは私たちクリスチャン全てがそこに含まれます。
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そして私たちは罪があっても、そういう罪の誘惑があったり、
時に神に喜ばれない言動があるかもしれません。
でも聖なるものとされているんです。
なぜかそれはイエス様の贖いによるからです。
ですから緊張関係がありますね。
罪人でありながら実は私たちは聖徒である。
それが私たちのアイデンティティです。
神の前で私たちは聖なるものとされている。
実はそのような生き方、イエス様にあって聖なるものとされている。
そしてそのイエス様を目指して歩んでいる。
その生き方が喜びとなって新たな人生のゴールを生むことになる。
実はその素晴らしい喜びにあふれた模範がパオロによってピリピの手紙3章に書かれています。
このまさに信仰の秘訣がピリピとの手紙に書かれていますので、
そのことをこれから共に学んでまいりましょう。
ではお祈りします。
天の神様皆を賛美いたします。
文字通り今から2000年前パオロがこの地を歩いてピリピの教会が誕生しました。
パオロ自身もまた教会にも様々な試練や課題がありましたけれども、
あなたに選ばれた一つの民として聖なる者として歩んでいたことを感謝します。
どうぞ私たちもこの世の旅路において、
あなたに選ばれ、あなたに聖なる者とされた者として、
あなたを目指して前進していくことができますようにどうか導いてください。
この願いと感謝を私たちの救い主シュイエス様のお名前によって祈ります。
アーメン。
それではどうぞ皆さん一分ほど死に応えてお祈りしましょう。
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