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おはようございます。
皆さんご存知のように、一昨日と昨日、
信友文五郎兄弟玲子姉妹のお孫さんの早見さんの葬儀が教会で取り行われました。
突然の出来事で、深い悲しみによられるご親族の上に、
憐み深い神様の慰めがありますように、お祈り申し上げます。
また、背後で祈ってくださり、支えてくださった教会の皆さんにも感謝いたします。
残されている私たちとしては、進みながら、
また大胆に神様の前に近づき、福音を述べ伝え、信仰継承のために、派遣でまいりたいと願います。
一言お祈りします。
神様、感謝します。
主をどうぞ、今から神様ご自身が、私たち一人ひとりに、主のお言葉をお語りくださいますように。
聞く者は、心を無にして、低くして、ただ、あなたを求め、御言葉を求めてまいりますので、
どうか主よ、天の智慧と悟りと気づきをお与えくださいますように、お願いいたします。
全てを主の身でに委ね、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
メッセージに入りたいと思います。
荘石の21回目になります。
今日はロトの話になります。
荘石を見ますと、ロトという人物は、アブラムに比べると、荘石の中では助言のような人だと思います。
でも、みんながアブラムとかモーセのような主演になるわけではないと思います。
私たちのような平凡な人は、ある意味で、主演より助言、それともエキストラに近いかもしれません。
しかし、全ての人生を顧みてくださる神様は、助言のようなロトの人生にも目をとめてくださった。
顧みてくださったということが、今日のお話でわかります。
ロトがアブラムと別れた後、彼が定着して住んでいた町は、ソドム・ツワルの周辺でした。
今日の14章を読みますと、当時の町々は、それぞれの王がいて、その王が治める小さな国の形を持っていたんですね。
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あえて言えば都市国家のような形でした。
ともかくロトが住んでいたソドムの王は、周囲のゴモーラ、アデマ、ゼボイム、ツワルの王と同盟関係を結んでいました。
それぞれそんなに大きい町ではないですから、互いに助け合う関係、迷惑関係を持ってお互いを守り合う。
いざとしたときには、連合軍を組んで一緒に戦うということになっていました。
しかし今日のこの戦いでわかるように、そういった同盟関係というものは、他の同盟関係の国たちとの対立、戦いが常に起こりやすいというものなんですね。
それで今日の聖書を読みますと、この反対側のシンアル、エラサル、エラム、ゴイム、この4つの国の王たちと彼らも同盟を結んで、
いわゆるソドム側の同盟の5つの国と戦うようになりました。戦争が起きたわけなんですね。
ロトが住んでいるソドム側は5つの国、その反対側はシンアル側で4つの国です。
ソドムの周囲でこの9つの国たちとの間に戦争が起きたわけですから、これは非常に広い範囲での戦いが起きたわけです。
そして今から4000年前の時代の古代時代の話ですから、当然そこには様々な虐奪や暴火や暴力、殺人などが起きたことでしょう。
それで今日も読んでいただきましたけれども、勝つ同盟の町はその土地を獲得できる。
土地だけではなく人も財産も奴隷も取れるようになります。
負けた同盟の町は何もかも奪われてしまうことになりますね。
男の人たちは奴隷になる。女の人たちは他の人の妻にされたり奴隷にされたりするでしょう。
そこで注目したい箇所は11節と12節です。
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4人の王たちはソドムとゴモラのすべての財産とすべての食料を奪っていった。
12節、そこにロトが登場するんですね。
また彼らはアブラムの老いのロトとその財産も奪っていった。
ロトはソドムに住んでいた。
よそ通りロトとその財産も奪われてしまいました。
ロトから見ると皆さん、ロト自身には自分の人生に想定外の大事件が起きてしまったわけです。
彼がどれだけ憧れていた町なんでしょうか。
ソドムとある潤っていた町なんです。
草も多い町です。華麗な町なんです。
だから以前見たように多くのものがあふれていて、エデンの園のような町だったとロトの目にはそう見えた町でした。
そこでの住まいをロトは、その家族はきっと楽しんでいたと思うんですね。
しかしそれはロトの目から見たソドムとあるの様子です。
神様から見られてどうなんでしょうか。
どう見ても神様の心には喜ばれる町ではありませんでした。
そこに住む人たちの様子も清いとは到底言えない堕落時代の罪悪の町でした。
その町にこの不思議にちょうどロトが住んでいたその時代に同盟間に戦いが起きてしまったわけなんです。
そしてロトは捕虜になって連れて行ってしまいました。
その多くの財産も奪われてしまいました。
さてどこまでロトは連れられていったんでしょうか。
14節ご覧ください。
そこの一つの町の名前を確認したいんですけれども、14節を見ますと
アブラムは自分の親類の者が捕虜になったことを聞き、彼の家の生まれて訓練された者318人を引き連れてダンマで追跡したとあります。
アブラムが自分の老いを救出するためにいわゆる死兵318人も引き連れてダンマで追跡しました。
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このダンという町はイスラエルの西北部の町なんです。
今ロトが住んでいたソドムは四海の南端にあります。
だからそのソドムを通わるからダンマではおよそ280キロから300キロぐらい離れている町なんです。
一番南から一番北まで行ったということなんです。簡単に言ってですね。
だからロトはそこにソドムに住んでいた人々はもう最南端から最北部の町まで連れられて行ってしまったんです。
300キロだったら神戸から数えてみたら東は静岡県の浜松ぐらいになるんですね。
そこを今が4000年前ですからね、観光バスに行って静岡県の観光に行くわけじゃないんですよ。
奴隷なんです。捕虜なんです。まともな着物も食べ物もないままでですね、そこまでまるで家畜みたいに預かれてですね、連れられて行ったわけなんです。
どれだけ苦しめられていたんでしょう。
あの華麗な町で暮らしていたロトは一夜で家畜のような捕虜になってしまいました。
自分にはですね、考えられない事件が起きてしまったんです。
以前も学んだようにロトは自分で選んだものを一瞬にして失われてしまいました。
ここはパラダイスだとね。
ここで長く住もうと思っていたことでしょう。
ここなら何もかももうたくさんあるし、大丈夫だと思っていた町でした。
しかし不思議にも彼はその町から、自分がパラダイスだと思っていたその町からのけられてしまったような形になりました。
人間のロトのことを考えますと、戦争が起きましたから、その恐怖や不安でどうしようもない気持ちになっていたと思います。
ここで一つ考えていきたいことがありますが、このロトに起きた事件を見て、
この事件を単なる彼が悪いことをしたから神様からの報復だ、罰だと思うのは単純すぎる考えだと思います。
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神様は当時の周辺の情勢、同盟関係、あるいは戦い、あるいは捕虜になったこと、これらのすべてを用いられたということになるでしょう。
さまざまな事件を起こすのが人間ですね、人たちなんです。
しかしそれらを天で見ておられ、知っておられる神様は、それらを合わせて用いることもできるお方であることを、私たちは知っておかなければなりません。
ロトは一夜ですべてのものを失われてしまいました。
そして捕虜になって、遠い遠いダンまで連れられていってしまいました。
彼はその時どんな気持ちだったでしょうか。
彼は何を気づいたことでしょうか。
ロトはその華麗な街での暮らしが、一夜で朝の梅雨のように消えてしまうのを見て、彼は悟ったらよかったんですね。
何をでしょうか。
信仰によらないすべてのものは虚しいということを、信仰によらないすべてのものの結局は滅びであることを、彼は悟るべきでした。
ロトが求めるべきものは、贅沢、虚栄、華麗ではなく、神様であり、清さであり、信仰によって生きるということを、彼は悟るべきでした。
しかし、彼も彼の家族もソドムで暮らしながら、その贅沢さ、その罪の甘さ、快楽、繁栄をとても満喫していたことでしょう。
そういうふうに暮らしているうちに、ロトと家族はどんどんどんどん、その街の罪深い世界にもっともっと深く溺れていってしまいました。
魂も体も穢れてしまっていってしまいました。
自分も知らず知らずのうちに、神の形を失ってしまったのです。
そして、今日は見ていませんが、19章のときにまた学びますが、
もうソドムの様々な罪悪に、ロトとその家族娘たちは、もう完全に同化してしまっていったのです。
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区別がつかないくらいでした。
でも、昔はロトはアブラムと一緒にウルを離れて、どこに行くか知らずに旅を始めた人だったのです。
神父の人はアブラムと一緒に暮らしていて、多くのものを彼は見て学んだはずだったのではないでしょうか。
神を学んでいるはずなんです。
ロトは気づくべきでした。
今、自分の魂はどこに来ているんだろう。
今、私は何を求めているんだろう。
今、私は何を頼りにして暮らしているんだろうと、彼は悟るべきでした。
その戦い、捕虜になった自分自身、すべてを奪われてしまった、
あの遠いダンマで家畜のように連れられていった時に、彼はそれを悟るべきでした。
神に出会うべきでした。
自分の状態に目が開かれるべきでした。
だから、この危機は、ちょうど起きたこの戦い、捕虜になったこと、
そして、自分の親族のアブラムが、わざわざ318人も死兵を連れて、
自分を、そして家族を、財産を救出してくれたことを通して、
これは神様から与えられた、よみがえりのチャンスだと悟るべきでした。
彼はそこで、神様に出会ったらよかったんですね。
彼は自分自身のその罪を悟ったらよかったです。
自分自身に向き合うべきでした。
そして、今自分の魂がどれだけ罪に溺れているかに気づくべきでした。
しかし、残念ながら、彼には結果的に見れば、そんなことは一切なかったようです。
しかし、神様はどうでしょうか。
アブラムを愛される神様は、ロトも愛されます。
アブラムをかえりみられる神様は、ロトもかえりみられます。
神様は、アブラムは大事なんだけど、ロトはどうでもいいと思われる方ではありません。
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神様にとって、アブラムもロトも大事な神の子供なんですね。
だから神様は、アブラムを通してロトを救おうと働きかけてくださいました。
彼を信仰の場所に取り戻そうとして、神様は語りかけて、
この戦いというムチを持って彼を立ち返らせようとされました。
しかし皆さん、神様は何もかも強引に最後までされる方ではありません。
粋に働きかけてくださるんですけれども、悟りを築くように主は促してくださるんですが、
人には自由意志がある、心がある、良心がある、魂があるわけですから、
最後には自分自身が選択に任されるということなんです。
神様はこの戦い、捕虜というムチを用いてロトを悟らせようとしたんです。
これに皆さん注目していただきたいんです。
もちろん皆さん、神様はどんな時も無茶苦茶なムチを持って罰ばかり下す神様ではありませんが、
しかし、どうしても悟らない者には、何度も何十年も語り明けても鈍感でわからない者には、
神様には諦めることができないから、その者を立ち返らせるために、
神様の心を痛められながらムチを手にされる時があります。
今、ロトがそのような時なんです。
愛するからこそ、やむを得ず、神様の心を痛められながら悟らない者にムチを使う場合があります。
だからロトは、この戦いや捕虜になったこと、断馬で連れられていったことを通して、
自分自身の罪を悟るチャンスが与えられていたんですよ。
それに気づくべきでした。悟るべきでした。
ある聖書学者は、このような事件を指して、危機に変装した祝福とも言いました。
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実は祝福なんだけれども、危機や試練のように変装してやってきたという意味なんですね。
本当にそうだと思います。
そして皆さん、私たちの人生にも、これに似た試練や危機、様々な事件に変装した祝福のチャンスが今まで多くあっただろうと思います。
しかもそれが神様から来たものが多くあったに違いないと思います。
そのチャンスを握った時、逃してしまった時、気づいた時、気づいてなかった時があったかもしれません。
だから、霊の目が開かれているということは皆さん、今この出来事は、今私の身に起きたこういったことは、神様からのメッセージなんだ。
実は危機に変装した神の愛なんだ、祝福なんだ、それを悟ること。悟れる霊の目が開かれますように。
この頃私自身は、本当にそうだなと、とても実感しております。
この私の身に起きているこの病気は確かに軽くない病気なんですけれども、しかし私はこういうふうに捉えております。
私を悟らせる神の愛のムチなんだ。
病気に変装した神の愛であると私は捉えているから、本当に感謝で幸せです。
さて、ロトは捕虜になって連れられていた時、彼はどうなったんでしょうか。
彼はその途中、あるいはアブラウミに吸収された時、その家族も財産も無事に取り戻されたんですね、奇跡のように。
そういったプロセスの中で、彼が本当にあのソドムツワルに住んではいけなかったと、自分の罪に気づいていたんでしょうか。
あの事件で魂が清められて、人生が変えられたんでしょうか。神に立ち返ったんでしょうか。
皆さん、不思議な人生は不思議なものだなと思うんです。
このロトから、本当に反面教師の教訓が語られていますが、
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ある人は小さな小さなことで目が大きく開かれて、神のメッセージを聞ける人がいる一方で、
ロトのように、もう死ぬかもしれないような大きい事件が起きても悟らないものがあるんだなとおっしゃられます。
だからですね、小さいことが起きるからわからないわけでもありませんし、逆に大きな事件が起きたからみんな悟るかでもないなと思いますね。
ロトはこの後どうなったと思いますか。
今日、19章1節2節を読んでもらいましたけれども、そこを皆さん確認してください。
今、ロトがジャンプしましたけれども、このようにアブラムによって救出されました。
家族も財産も取り戻されました。
そして、宗敵はその間、アブラムの別の話があって、そして飛んで19章にこの話に行きますね。
だから、この間の15章、16章、17章、18章を除いて、この14章と19章をつなげて読むと、ロトはあの段から取り戻されて、そして救出されて、
その後彼はどこに住んでいたのかを、皆さんつなげて読んでほしいんです。
1節ご覧ください。19章の1節。
この2人の密会は、この密会はアブラムに行っていたその密会ですね。
夕暮れにどこに着きました。ソドムに着きました。
ロトは、ここにロトが登座しますよ。ソドムの門のところに座っていた。
ロトは彼らを見ると、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて節をかけた。
そして言った、ご主人方どうかこのしもべの家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりくださいと言いました。
どういう意味ですか、皆さん。今ロトはどこに住んでいますか。どこにいますか。ソドムにいるんですよ。びっくりなんです、皆さん。
ソドムに自分の家があるんです。そこに暮らしているんです、家族みんな。
この時はアブラムが死兵318人を連れて、せっかく命を懸けてダンマで救出した後の話なんですね。
ですからロトはシマル川の連合軍から劇的に救出されて、そこから帰ってくることができたわけです。
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だから彼はそこで本当に霊的に我に帰って、目が開かれて、狭くてもいいからアブラムと一緒に暮らそうという思いを持っていたらよかったんですね。しかし持てませんでした。
イスラエルはソドムだけではなく地中海やガリダや湖の周辺、西の方も草原があるんですよ。ソドムだけが水があって草原がある場所ではないんです。他もたくさんあったわけなんです。
しかし彼は神様がアブラムを通して、彼を戦い捕虜になったことを通して彼を神のところに取り戻そうとしましたが、結局彼が選んだ町はまたソドムでした。
だから今日のタイトルがそれでもロトはなんです。それでもロトはソドムに行ってしまいました。それでもなんです。
彼はそこを離れられなかったんですよ。あのソドムツワルで味わったあの炭の楽しさ、甘さ、快楽、自分の脳に体が覚えているあの快楽の味を忘れることはできなかったでしょう。とても残念なことです。
神様の見心を考えますと非常に悲しいことなんですね。神様はそこまでロトを帰りみてくださって、彼を取り戻そうとして働きかけてくださったのにもかかわらず、それでもロトはソドムに行ってしまって、そこに住んでしまいました。
彼は移されてもそこに自ら戻ってしまいました。神の救いの御手を振り切ってしまいました。まるで磁石とNとSがくっつくようにですね、ソドムの罪にあまりにも強く引っ張られてしまった様子です。
なぜロトはそれを拒むことができなかったのでしょうか。果たして彼にはですね、二度とソドムには行かない、もう身向きもしない、そこに暮らすなんてありえない。神様はこんな風に私をせっかく救ってくださったんだから、そこには二度と行かないと、こういった選びはできなかったんですね。考えられなかったんですね。
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人は堕落してしまうと、それくらいの判断力も考えも信仰もなくなってしまうんですよ。でも皆さん、逆に考えますと、罪というものは、その甘さ、誘惑というものは、それくらい強烈なものであるということなんです。
重力のように引力のようにロトをソドムに引っ張ってしまう力、彼はそれを拒否できないくらいの力が罪にあるわけなんですね。拒否できないくらいのその快楽にロトは吹けていました。
いつの間にかそこに住んでいるということなんですね。このように皆さん、何かの快楽、罪の誘惑、その甘さ、楽しさを味わったら、人はその脳の中に、記憶の中に、体がそれを覚えてしまうんですね。
普通のことも似ているなあと思うことがあります。この前ですね、ある私の後輩から、北海道の超高級のメロンをいただきました。初めて食べる高価なメロンでしたけれども、うちの園だったら絶対にはスーパーで買わないような高いメロンでした。
口の中でとろけるすごい甘いメロンでした。しかしですね、それを食べた後ですね、これから多分安いメロンは食べられないんだなあと思いました。多分他のメロンではね、満力しきれないだろうと思いました。
皆さん、罪の甘さ、楽しさ、その誘惑のあの快楽もそれに似ていると思うんですよ。一度味わってしまったら、他のものに、ロトのように変えることができないんですね。難しいんですよ。
あのソドムツワルで味わった、あの華麗な暮らし、堕落の甘さ、楽しさ、その虚栄、華麗さから来る快楽は、諦めることができなかったくらい強烈なものなんですね。もう彼の人生に焼き付けられて、染み付いていたんですね。
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自分が捕虜になっていても、財産を奪われてしまっても、あんな苦しみにあったにもかかわらず、それでもロトはソドムに戻ってしまいました。そこから救出されたならば、彼はですね、我に還るべきでした。ソドムの罪や堕落を悟るべきでした。
自分は今、もう溺れていると気づくべきでした。しかしロトは、罪の甘さや楽しさに負けてしまいました。だから皆さん、これを葬石全体から見たらですね、もう敗北のストーリーになってしまうんですよ。ロトも負けて、アブラムも負けて、神様も負けてしまいました。
それで誰が勝ったんでしょうか。サタンが勝ってしまいました。こうしてサタンはロトという人を虜にすることができました。アブラムから神様から一人の人を奪い取って、それを潰すことができたんです。
彼の家族の最後は私たちはわかっているんですね。皆さん、罪からくる甘さや楽しさ、その快楽は本当に怖いものなんです。知らず知らずのうちに私たちの魂の中に入り込んで、魂を蝕んでいくんです。
神様を愛する喜び、礼拝する喜びを奪い去っていくんです。そしてサタンはそれを罪を楽しむ楽しさや甘さに取り替えて気づかないようにするんです。そしていつの間にか溺れさせてしまうのです。
一気にすることはないんです。知らず知らずのうちに、そういうふうにされてしまうのです。皆さん、サタンは悪賢い霊なんです。あらゆる手を用いることができるんです。私たちの弱さを私よりもとても知り尽くしているわけですから、いくらでも対応ができる霊のものなんです。
ある意味で皆さん、甘く見てはいけないんです。人は何か悪い経験をして、そこから来る快楽を味わったなら、その人の脳に、記憶に、霊の中に、体に、その甘さ、楽しさ、記憶が保存されるそうなんです。
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そして皆さんもそういった経験があるかなと思いますが、時々その記憶がよみがえるんですね。自分で思い出すわけではありませんが、その悪かった記憶と言いましょうか、罪の快楽とか、それが自らよみがえるんです。
もっとは、それが自分のうちによみがえって、あ、そどもでよかったなと、いつの間にか見たら、そこに向かっていて、そこに住んでいたわけなんです。
ですから皆さん、私たちは日頃、最初から、罪の経験や罪が与える快楽を、最初から味わってはいけないんです。できる限り、最初から味わわないほうが、もっといいんです。避けなければなりません。
触れてはいけません。でも、もしも例えば、そのような罪の経験をしたならば、その記憶さえも、イエス様の十字架によって、その血潮によって、罪に打ち勝った十字架の力によって、すべてが洗い流されるように、祈り求めて、清めていただかなければなりません。
人は弱いものですし、堕落したものですから、ロトのようにその快楽に人はもて遊ばれやすいものであることを、私たちは常に意識をしていなければなりません。大丈夫な人は誰一人いないんですよ。
皆さん、考えてみてください。このロトの中に自分がいるように思えませんでしょうか。私は見てしまったのです。ロトの中にいる自分を。霊的に盲目のその自分がロトの中にいます。
罪の快楽という誘惑に負けてしまう弱い自分がいます。私は違う。大丈夫だと思い込んでいる自分がロトの中にいます。
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罪に対する神のメッセージが語られても知らんふりをしている自分がロトの中にいます。それでも悟らない、ソドムに戻ってしまう自分がこの中にいます。
罪の誘惑に負けてしまって虜になっている自分がロトの中にいます。それを気づいていただきたいです。
今日皆さんがロトの中で自分を見ることができたら、それこそ神からの悟りの恵みです。悟りというものは、精霊の証明によってのみ与えられる賜物だからです。
悟りも気づきも本当に神の恵みです。ある人は悟り、ある人は鈍いです。
どうか主のメッセージに悟り、その信仰の道を知恵深く信仰によって歩ませていただきましょう。お祈りします。