戦争と平和
短くお祈りをさせていただきます。お祈りをいたしましょう。
愛する天の父なる神様、今朝も私たちを死ぬも今へと招いてくださり、あなたを仰いで礼拝ができる幸いを感謝いたします。
祈ってくださったように、今日は8月6日を迎えています。
私たちの国においては、広島という地域に核兵器が使用された日ですし、また9日には長崎県で、そして15日にはその戦争を終える日を迎えます。
神様、本当にあの日、広島の上空できらめいた光が、何十万人との人々の命を一瞬にして奪い去りました。
本当にそれが人のすることかと思うような惨事が起きました。
もう78年前のことになりますが、しかし主よ、その悲惨さを何度も何度も覚えるたびに、私たちは人間とは何者なのかと改めて思わされる気が致します。
主よ、だからこそ私たちは今この礼拝において、その痛みを覚えつつ、あなたの恵みの光に照らされることを願っています。
あなたの恵みが私たちの家の上に輝き、私たちを救い、神のことし、あなたは新たな命を与えてくださいました。
十字架の復活の命を与えてくださり、罪の許しと永遠に主と共に生きる、あなたと共に生きる命を与えてくださいました。
そのような使命を与えてくださった、与えられたものとして、どうかこの一時、主を仰ぎ、あなたを礼拝し、あなたの御言葉から平和を作るものとしての歩みを教えられたいと願っています。
この一時を主が導いてくださいますようにお願いいたします。
神様、祈られたように、本当にこの暑さの中で、体調を崩されている方々が、私たちの群れの中にもたくさんいらっしゃいます。
どうかお一人ひとりのその体とまた健康を主が支えていてください。
痛むところに身手を置き、癒してくださり、また、本当に暑さの中で、本当にこれ以上悪化することのないよう、あなたが導いてください、助けてください、お願いいたします。
また、本当に来たくてもう来れない方々、暑さの中で施設の中におられる方々、家で礼拝を守っておられる方々、心と体が弱ってここに来れない方々、主がどうか置かれているところにおいても、あなたの恵みを豊かに注いでくださいますように、お願いいたします。
また、今日はこの後、生産式を持ちます。主がそのひとときも導き、私たちに主の贖いを教えてくださり、あなたを福祉しながら一致していくことができますように、私たちを助け、導いてください、お願いいたします。
これからのひとときを、身手に委ねます。主が導いてください。イエス様のお名前によってお祈りをいたします。
これは個人的な願いとしてですけれども、8月には一度、平和について考える礼拝を持ちたいと願っています。
今年で日本は戦後78年を迎えました。今朝は8時から9時に広島の方では平和式典がなされて、私もテレビでずっと見ていました。
福祉くも、私は誕生日が8月6日なんですね。後でまた祝っていただければと思いますが。
ですから幼い頃から、8月6日に起きたことであったり、1945年の8月に起きたことについて、自然と関心を持つ子どもだったと思います。
私は当然戦争体験者ではありません。戦争のおぞましさを知っているのは、おそらく一番最初は図書館で見た裸足の源頭、ホタルの墓、
そして小学6年生のときに広島に修学旅行で行きましたけれども、そこで見た平和記念館、その博物館の展示、
見て晩御飯が食べられなくなったことを今でも覚えています。
でも、これは学び続けなければならないことだなと自分自身で思い続けています。
大学時代にKJKというところにお世話になったときに、戦時中のキリスト社の責任について学ぶことがありまして、
それをきっかけに私は大学時代からしばらくの期間、ことあるごとにご年配の方にお会いできる機会があれば、
ぜひあの時代の経験を教えていただけませんかということを個人的に聞くことを私は続けてきました。
多くの方々はこう言ってくださいました。
若い人にこういう話に関心を持っていただけることは嬉しいですと。
ですから話せることは話しますと、こういうふうに好意的に話してくださる方々が大勢いらっしゃって多くの話を聞きました。
ただ、私が新学生時代ですかね、一つの実習協会に行ったときに、
とあるご年配の少年の方にお話を伺ったときに、その方は同じような反応をしてくださったので嬉しいと。
あなたみたいな若い人にそういうことを聞いてもらえるのは嬉しいと。
ただ続けて言われたことは、でもまだ話せないことがあるんですと。
ごめんなさいと言われました。
でもまだ話せないことがあるんですと。
私はその言葉を聞いた途端にとても自分が恥ずかしくなったことを覚えています。
話を今まで聞き回ったことをとても反省させられた思いがいたしました。
戦後78年を今年を迎えます。
しかし、いまだなお言葉にできない、言葉にできないという経験がある。
無知ゆえに私はまだ言えない人の心に無神経に土足で踏み込んでいたのではないか。
そういうことをとても思わされて。
いやそうしてしまっていたのだということを思ってとても恥じるべきことをしたなと反省をさせられたことがあります。
ただ私にとってはその方のその言葉がおそらく一番戦争ということについて教えてくれた言葉だったと思います。
70数年たっても言葉にはできない、言語化できない、言葉にすることもつらい深い傷を人の心に刻み込んでいく。
ああこれが戦争なのだということ。
今ウクライナ、ロシアが侵攻していますが、おそらく今起きていることはまさにそういう経験が起きているのだと思うんです。
平和の難しさ
今朝は平和についてミコトバに一緒に聞きたいと願っています。
今の戦争の時代に私たちはどうすればいいのか、それを何かわかったような話を私はすることができないと思います。
ただ、清書から平和について語り、そして聞くということは何か上手にできるできないを超えて、やっぱりそれでもやらなきゃいけないことなのではないかと個人的には思っています。
ですから不十分だと思いながらも少し皆さんと一緒にいろいろなことを覚えたいと願っています。
さてイエス様は平和についてどのようにお話をなさったのでしょうか。
今日読んでいただいた清書の歌詞は有名な参上の説教と呼ばれる歌詞です。
特に清書朗読で読んでいただいた歌詞は五章の九節でした。
平和と清書から平和と聞くともしかしたら一番最初に浮かぶ言葉かもしれません。
平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子供と呼ばれるからです。
平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子供と呼ばれるからです。
この言葉はとても有名ですし、一言だけで十分魅力もある言葉ですから、よく家に飾られる言葉としても置かれる言葉だと思います。
しかし改めて少し冷静に考えてみたいのです。
平和を作る者は幸いである。イエス様がそのことを私たちに語りかけている。そのことを私たちはよく知っている。
さて、じゃああなたは平和を作る者になることができますかという問いです。
それが幸いだと言われているのであれば、あなたは平和を作る者になれますかと。
どうお答えになられるでしょうか。
おそらく世界中の人がそれに対して、なれますと答えられるのであれば、戦争は起きていないのだと思います。
しかし戦争は起きるわけですね。原因はおそらく多岐にわたります。
政治的イデオロギーの激突であったり背後にある人間の様々な名誉であったりエネルギーの話が今出てきています。
領土の専有、貧しさが戦争を生むということはもう当然のことかもしれません。
自分や家族の命を守るために銃を持たないと生きていけないという子どもたちがいます。
しかし銃を向ける者は向けられるわけです。
誰彼が殺された土地が奪われた復讐のために私はそこに向かわざるを得ない。
たくさんの人々が戦争において死にます。
でも皮肉なことにある国にとってはその戦争によって景気が回復するということがあります。
その回復した景気の上で生きている人たちが平和は大事だよと言っている。
実に矛盾に絡み取られていくような世界に私たちは生きています。
誰彼が大きな声で正しいことを言える、そういうシンプルな世界に生きていないのかもしれません。
私たちは別に告白人ではないわけです。
おそらくここにいらっしゃる皆さんは人の命を簡単に奪っていいとは全く思っていないでしょう。
私もそう思っています。
人の命を簡単に奪っていいなんて誰も思わない。
けど私自身は正直に告白をしますが、引き金を引かなければ
自分の大切な人を守れない状況に置かれてしまったときに。
いや、自分の大切な人が目の前で同じ人間に無惨にも無意味にも殺されるという現場を目の当たりにしたときに。
私は自分が引き金を引かないと果たして言い切れるのだろうか。
正直に告白します。私はそう言い切れない自分がいます。
私は自分自身に問うて思います。私は平和を作る者になれるのか。
そう問われたら、いや私は平和を作れますと言ったとしてもおそらく私のその言葉はそれ程、それ程度なんです。
心の貧しさと幸い
虚弱で揺らぎやすい、そのような言葉ではないかと私自身はそう思わされて。
イエス様は平和を作るものは幸いであると。
だからあなたはそういうふうなものになりなさい。
あなたの努力で、あなたの力でそうなりなさいと言っておられるのかというと、おそらくそうではないんですね。
マタイの福音書の三条の説教をまたじっくり見る機会が欲しいなと思いますが、
今日はこの三節にも注目をしたいんですけれども、三条の説教の一番最初にイエス様が口を開いて言われた言葉は、
心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人たちのものだからですと言われます。心の貧しいものは幸いです。
この御言葉から三条の説教というのはまさに天の御国の価値観、神様の恵みの御支配の価値観について語るわけですけれども、
この心の貧しいものは幸いであるという言葉は、自らの心の貧しさを知っているものは幸いだとよく理解される言葉です。
私もそれでいいと思っています。自らの心の貧しさを知っているものは幸いである。
そしてこの教えが三条の説教全体を包み込むような、そのような意味のある言葉です。
つまり、私たちが神様の価値観に生きるための前提となるのは、自分は貧しいという自覚です。
私は心が貧しいものである。
そしてそれ故に、もしも神の恵みの価値観に私たちが生きていくとするならば、
それは、貧しい私を支えてくださる神様の助けがなければ、私たちはこの恵みの価値観に立てないということです。
立つことができない。そう言っているんですね。
中国での経験
今朝、もう一箇所読んでいただいた箇所が、伊沢書の26章でした。
これも今日は伊沢書の背景からじっくり話したいところですけれども、
ちょっと今日はこの言葉だけに注目をするならば、伊沢書の26章の12節というところ、
読んでいただいた箇所をもう一度読みしますけれども、こういうことを言われています。
主よ、あなたは私たちのために平和を備えてくださいます。
まことに私たちのすべての業も、あなたが私たちのためになさったことです。
主よ、あなたは私たちのために平和を備えてくださいます。
旧約聖書を見ていくならば、特に県庁にそうですけれども、平和を築かれる主体というのは神様なんです。
神が平和を築かれるという記述が多く書かれています。
この平和という言葉はヘブル語ではシャロームと言われますけれども、それはいろいろな意味があります。
欠けたるところがない、満たされているということも意味されますし、
それだけではなくて、神ご自身が勝利を与え、そのイスラエルの民に平和を築かれる、そういう言葉でも使われます。
しかしもう一つ重要な意味は何かと言いますと、この平和というのは、
神ご自身が神様と私たちとの間に築いてくれる平和があるということです。
私たちはそれをイエス・キリストの十字架というところで知っているわけですけれども、
神をいなみ、神様から離れている私たちが、神様と結ばれて、神と共に生きるものとされているイエス様によって、
それが神様が築いてくれる平和です。
ちょっとまとめてしまいますと、先ほどのマタイの福音書の言葉と合わせるならば、
おそらくこういうことが言えると思うんですね。
私たちがもしも平和を築くものになれるとするならば、その土台は間違いなく神との平和なんだということです。
神との平和という土台がなければ、実は私たちは平和を築く力が持つことができない。
今朝は戦争についてのテーマで話していますが、平和というのは私たちが共に生きるということです。
共に生きる平和を築いていくというのは、実は限界ある私たちが主に支えられながら築いていくしか難しいことではないかなと思います。
神に結ばれている、神の子である、神に支えられなければ、神に支えられつつ、神に祈るものでなければ、
私たちは平和を築くことがなかなかできない、そう言っているのではないか、そう思わされるんですね。
今朝は一つの証をご紹介して、そんな長くならず終わろうと思いますけれども。
もう4年前の百万人の福音という雑誌に載っていた証です。皆さんもお読みになられたことがあるかもしれません。
渡部良造さんという方がいらっしゃいます。渡部良造さんという方。この方の証を少しご紹介させていただきます。
この方は2014年に召された方です。
1944年の4月、戦争の終戦の1年前です。
当時大学3年生だった渡部さん、20歳前後だった渡部さんは、学徒出陣で徴兵されて、
旧日本陸軍の北シナ方面派遣の二等兵として、中国大陸に派遣されることになりました。
その時の経験を、渡部さんは短暇にしたためて、その経験を短暇にしたためて、命がけで日本に持ち帰ってきて、
晩年になって、私衆として発表されます。
家衆小さな抵抗というものがあります。それが発表されています。
この渡部さんは、お父さんがクリスチャンだったんです。内村勘蔵の無教会系の流れで救われた方です。
幼い頃から渡部良造さんも聖書の話を聞きながら育ちました。しかし戦争が始まってきて、学生である自分も中国に行かなければならなくなった。
それまでお父さんは内村系の流れを組んでいますから、はっきりと非戦の意思を表明していたそうですが、渡部さん自身はそこまで非戦の思いはなかったそうです。
戦争というものが作る空気ですよね。とにかくその時代は招かれたら責任として行かなければならないということがあったのかもしれません。
出生の軍用列車に乗るまでの数時間、渡部さんはお父さんと二人で山形駅から出たそうですが、山形駅の近くの旅館で過ごして、その時にクリスチャンであるお父さんにこういうことを言われたそうです。
祈りの力
外交官は、戦争を回避するべく最大限の努力をするが、それと同様、一兵士として神の御心にかなう行動をすることは必ずできるはずであると。
いかなる事態にあっても、常に胸を開き、神様に祈ることを忘れない。
自分が犯罪に苦しむことになったら、一切の虚職を廃して、自分の言葉で祈れ。神は必ず天からの御声を聞かせてくれると。
そのように出発前にお父様に言われたそうです。
そう聞かされた渡部さんは、中国に渡りました。
そして任務地に配属されて、最初にさせられたのは、学徒出陣で連れてこられた学生たちにある種度胸を付けさせようとする、先に任務についていた軍人たちの指導でした。
何かと言いますと、捕虜として捕らえた中国人たちを、中国の方々を柱に結びつけて、そこに一筒銃を持って突っ込めと指示を出すわけです。
無抵抗の捕虜を殺害するということは、明らかに国際法違反です。絶対にやってはいけないことです。今の時代も絶対にやってはいけないことです。
ただそれが現場では完全に無視をされていました。
当時の戦場というのは、上官の命令は天皇の命令です。柱にくくりつけられた捕虜がいて、最初、自分は5番目だったけど、最初の4人がその捕虜に向かって一筒銃を持って突っ込んでいく。
行きの船の中で同じ学生として話し合っていた普通の友人たちが、銃を持って目の前で初めての人殺しに参加をしていく。
先の4人が突っ込み、これ4人が目の前で残殺をされ、そして穴に放り込まれて新しい4人が前にくくりつけられる。そして指示をされる。さあ、お前行けと突っ込めと言われる。
渡辺さんは5番目でしたから、最初に突っ込まなければならなかった。どうしようかと頭の中で計算する中で、渡辺さんはお父様の行く直前に与えられたお父様の言葉が脳裏に浮かんだそうです。
ことにあたって判断に急したら、自分の言葉でいいから神に祈れ、神に祈れと。渡辺さんは祈ったそうです。神様、道をお示しください。私に力をお与えくださいと祈ったそうです。
すると体全体が剣山で挟まれたような激痛を覚え、そして渡辺さんは神様の見声をその時に聞いたそうです。
汝、キリストを起よ。すべてキリストに寄らざるは罪なり。虐殺を拒め、命を懸けよと。そのような言葉が聞こえたそうです。
気づけば上官から一筒銃が手渡されて、さあ行けと言われるわけですが渡辺さんは動けなかった、動かなかったそうです。上官は怒鳴ります。おい渡辺、信仰のために殺さないというのかと。渡辺さんはその時自分でも驚くほど司法に響く声でこう言ったそうです。はい、そうでありますと。
後に渡辺さんはこう述解されています。なぜこの時に自分がこんなことを言えたのかがわからない。しかし確かなことはそれは自分の内にある良心であったり勇気であったり努力というそういう人の力がこう言わしめたものではなかったということだけは確かであると。そう告白をされています。
この問答以降渡辺さんは中国に渡ったばかりでしたけれども、その後は二刀兵の資格を剥奪され、人間扱いされない日々が始まりました。日本に二年後に帰るわけですが、その期間はずっと上官によるリンチ、水攻め、格闘技用の棒で全身を殴られ、殺人以外の拷問はほとんど受けたと。
そしてその後も要注意人物としてあえて激戦地に送られるなど、窮死に一生を得て二年後に日本へ帰って来られます。そのような過酷な日々の中で自分の気が狂わないようにと短歌を書いて、それを服の中に縫い付けて忍ばせながら書いた短歌があって、その短歌を日本に持ち帰って晩年に発表されました。
帰ってから渡部さんがこういうことをおっしゃっているそうです。ただし戦後も、あの捕虜虐殺の光景を思い出すだけで私は震えが止まりません。そして自分は殺人を拒否したけれども、上官や戦友に、なおも虐殺は間違っていると、なぜ自分は進言し続けることができなかったのか、そのことを後悔し続けていますと、そうおっしゃるんですよ。
意味もないと思うかもしれませんが、しかしそういうことで責めている自分がいる。
ただクリスチャンである渡部さんはある日聖書の言葉に問われました。
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと天におられるあなた方の父からの報いは受けられませんという、マタイの六章の一節の言葉があります。
ここで渡部さんは自分は語るべき状況にありながら、語らないということの罪を示されたそうです。
そして晩年本当に、歌集とともにご自身の体験談を発表されたということ、言葉にすることもおぞましいような体験をでも勇気を出して書かれたということだと思います。
渡部さんが書かれた短歌の中に一つこういうものがあります。お読みします。
生き延びよ 獣にならず生きて帰れ このひどきことを言い伝うべくと
人が獣となる現場を忘れないように 伝えるために自分は生き延びなければならないと
まさに血が滲むような歌だと思います。
しかし渡部さんを寸手のところで獣ではなく人間に踏みとどまらせたのは
神への祈りと力だったということがやはり証から聞こえてきます。
これも戦争を体験した牧師の言葉ですけれども、ある説教者がこう語っています。
祈りからできること
平和の第一要件は祈りである 平和の第一要件は祈りであると
獣を突きつけられその前で祈る、そんなこと無意味ではないかと
そんなことをして一体何の意味があるのかと
先生は続けてこう語ります。きっと多くの人はこれらの話を笑うでありましょうと
しかしそれを笑う人たちのしていることがどれだけ確かであると言えるのでしょうと
神のことをせられたものでなければできないことがあります。
従って彼らは神の子と呼ばれるようになるのであります。
これは竹森正一という説教者なんですけれども
神のことをせられたものでなければできないことであります。
従って彼らは神の子と呼ばれるようになるのであります。
平和を作る者は幸いです。その人たちは神の子供と呼ばれるからです。
平和のために神の子にしかできないことがある。
そして私たちが召されているのは平和のために神の子でしかできないことをするように招かれている。
それゆえに私たちは神の子と呼ばれるのだという公開は見事なものだと思っています。
平和の第一要件は祈りである。
この後私たちは生産式を取り行います。
パンとぶどう酒を飲むというのは
私たち一人一人が一人の型を食べ一人の型を飲むということを意味します。
ただ忘れてはならないのは生産式は私たちだけが飲んでいるものではなくて
私たちがこれを食べ飲むということは
全世界のキリストにある公の教会と告白をいたしますが
公の教会キリストに集う全ての神の家族とともに私たちはこれを飲み食べるんです。
そうなるときに私たちが思い浮かべるのは
ウクライナにある兄弟姉妹
それだけじゃないんです。ロシアにある兄弟姉妹
その人たちとともに私たちはパンを食べぶどう酒を飲むんです。
そうなるときに私たちは祈らざるを得ない。
平和のために神を仰ぎ祈らざるを得ない。
この同じパンを食し同じぶどう酒を飲んでいる
あの兄弟姉妹がどうか平和であることができますように。
そしてそのために私たちが祈りからできることは何であるかということが問われ
それは決して無意味ではない。
いいえこのことしか貧しい私たち
しかし平和を作るものとしての私たちの最初の方針であるべきであると思うんです。
心を痛め祈り始めるということ
そしてその最初の方針から私たちに求められる平和の業を始めたい
神に結ばれ祈り生きる私たちは確かに平和を作るものにされているんですね。
今朝は一つの御言葉をご一緒に受け止めながら
いろいろなことを思いながらそれに問われたいと願っています。
平和を作るものは幸いです。
その人たちは神の子供と呼ばれるからです。
平和を作るものは幸いです。
その人たちは神の子供と呼ばれるからです。
祈らせていただきます。
祈りましょう。