ゲストの紹介
宇山先生、宇山穂丸先生と、苗祝先生を今朝、お迎えしています。改めて本当にお迎えすることができて、心から感謝しています。先生方、来てくださってありがとうございます。
講師紹介は、ほとんどの方には必要ないかもしれませんけども、一応させていただきます。
穂丸先生は、1970年に兵庫県に生まれになられて、82年に受森をされました。12歳のころに受森をされたのでしょうか。
大学生時代に献身の召しをいただいて、大学を卒業後、父親にあります関西製書心学校で学ばれました。
1996年に卒業をなさってから、その後、大阪の柏教会、そして西山とキリスト教会で御奉仕をなさった後に、この名谷教会に来てくださいました。
先生は、4年間御奉仕をこの教会でしてくださったということをお聞きしました。
ちょっと意気地な車で先生とお話ししながら、あれと思ったんですね。
実は皆さんから、宇山先生って何年御奉仕なさいましたかって言ったら、ほとんどの方4年以上の年数を語っておられたんです。
そのぐらい、おそらく皆さんにとっても先生が御奉仕してくださってた期間というのは、とてものみつな濃い時間だったのではないかなと思って
感謝をいたしました。
先生はその後、神奈川の鎌倉塚沢教会で2年御奉仕なさった後、現在の鳥洲尊崎キリスト教会で開拓を始めて、18年間御奉仕をそちらでなさっておられます。
ちなみに、今日来てくださった明福先生と、また皆さんご存知かと思いますが、この名谷におられるときに生まれた息子さんの光君と、
そして鎌倉に移られてから、もう一人、のぞみさんという娘さんが今いらっしゃいます。
明谷教会はほぼ20年ぶりに来てくださったそうです。
懐かしいなぁとおっしゃってくださって、いろいろと言ってくださいました。
皆さんも積もる話もあるでしょうし、また何よりも先生に来ていただいて、御言葉の御用をしていただけることを心から感謝しています。
何よりも神様にこのひとときを期待しながら、先生の語ってくださるメッセージにも耳を傾けてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。
改めまして皆さん、本当にお久しぶりです。この旅は本当にこの30周年記念礼拝に、私のようなものをお届けくださったことを本当に感謝しております。
同時に緊張もすごくしております。
今日はですね、実は三宮から加藤先生に迎えに来ていただいてですね、そして板山の方からずっと明宝寺の駅、そしてこの宮谷に来るまでですね、
本当に一つ一つで懐かしいなぁとですね、ここで何か食べたなぁとかですね、ここでもう食べたなぁとか、食べたことばっかり話してですね、加藤先生が。
本当によく大門に執着されている先生かなと思われたら困るわけでありますけども、
でも本当にそれだけこの20年前、ここで息子が生まれた、本当に思い出の地でもありますし、まだ若かった時であります。
ですので本当にこの一つ一つのところでですね、もう建物の中に入ってもですね、
あそこのキッチンのところでですね、よく何か作業していると、何て言いますかね、役員の方がですね、クーラー入れ先生入れてくださいよとかですね、
上の方に行きますとですね、このシンクのところでは光をここで洗ったなぁとかですね、
本当に全部がですね、この窓を変えて開けると、この景色とかですね、不思議なもんですね、
あっという間にスッとですね、記憶が戻ってくる、本当に感慨深い。
でも今日このようにして、神様が私をさせてくださったことを本当に光栄に思っていますし、
またこうして皆さんとお会いして、ともにまさか20年後にこうやって礼拝を一緒に捧げるとは思っておりませんでしたので、本当に感謝しております。
どうぞ、本当にまたこの後もマジャレをよろしくお願いいたします。
一言お祈りさせていただきます。
恵み深い愛する天皇お父様。
このようにして、妙谷教会の30周年記念礼拝、この小さきものをお立てくださったことを本当に感謝いたします。
主がよくしてくださったことを何一つ忘れるなと。
また、主はあなたの恵みを冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満ちたらせると。
今までのことも感謝でありますし、これからも神様はこの妙谷教会の村人一人を支えてくださり、祝福してくださることを信じて感謝いたします。
今日、どうぞ今開かれたお言葉を通して、なくてはならない種のお言葉を、もう一度語るものも聞くものも一つとなって、あなたの御講演に聞いてまいりますから。
どうぞ主よ、あなた様が一人一人のうちに触れてくださり、また良き節目のとき、恵みのときとして、このところから新たに作り変えてくださり、また使わせてくださいますことをよろしくお願いいたします。
精霊様が豊かに行き巡って働いてください。すべての事をいだねし、私たちの救い主なるイエス様のお名前によってお祈りいたします。
アメン。
アブラハムの生涯
今日はどこを開こうかと祈りの中で、考えている中でですね、師に導かれたのは、皆様よくご存知の、この創世紀のアブラハムのですね、生涯の最初のところであります。
聖書はですね、このようによく言われます。神様の救いの歴史が記されている。それぞれいろんな人物が出てきますけども、その一貫したところは神の救いの歴史がそこに記されているんだということであります。
その中で今日は信仰の父と言われる、アブラムですけども、後にアブラハムと名前が変えるわけですけども、アブラムの生涯において記されているところ。
このアブラム、アブラハムの生涯において注目されるべき一つのことは何かと言いますと、それは奇跡的な信仰、経験を通して展開されているということじゃないかなと思うんですね。
皆さんどうでしょうか。今までの自分の人生を振り返っても。私自身もそうですけども、なんか一足飛びに全部順調よくいったということはないと思うんですね。
正直申しまして、あるときには何か後退するようなこともあればですね、また倒れてしまってつまづくようなこともあります。
そういう意味では何かこう信仰がいつも右上がり状態ということではなくてですね、何か上がったり下がったりみたいなことも均一にはあるんじゃないかなと思うんです。
ですけども、じゃあ聖書の人物が私たちとかけ離れているかというとそうではなくて、やはり同じようなところを通っているんじゃないかなと思うんです。
そういう意味で私たちはですね、この人物と重ね合わせてですね、見ることができる、それも恵みだなと思うんです。
そういう意味では、アブラハムの章が見ますと、神様の言葉がそうした人生の危機的状況において、いつもそこに語られて、そのお言葉を彼が信じたときに、そこに救いの出来事が起こってくる、変化が起こってくる。
さらにその救いの出来事が、アブラハムだけでなく、人類の救いの歴史にとても意味を持っていく、影響力を及ぼしていくという形に結果となっていくということをですね、聖書から見ることができるわけです。
つまり、救いの歴史と言いますけども、それにそこには神様のお言葉と、人間の、私たちの信仰によって形作られていくということですね。
そういうことを私たちは、この聖書からまたアブラハムの生涯から教えられるわけであります。
生きた信仰
今日はですね、生きた信仰という題であります。と言いますのは、過去にどんなに素晴らしい証を持っていたとしても、信仰というのは過去ではやっていけない。
常に新しく、常に今の信仰によって、生きた信仰によって、私たちは前進しているんだということですね。
信仰は誰か生き物なんて言った先生がいらっしゃいますけど、生きた信仰。
さあ今日はですね、ポイント2つでですね、以前私は明大の時にいつも3つのポイントで話したと思うんですけども、
あれから考えて、やっぱり2つの方がいいなと思って、2つにさせてあげました。
一つはですね、まず皆さんに知っていただきたいのは、主のお言葉によって前進していくということですね。主のお言葉によって前進していく。
1節のところを読みますと、主はアブラムに言われた。主はアブラムに言われたというところから始まっています。
写真が撮られていますので、ちょっと動くと。はい、今ちょっと止まりましたけどもですね。
この主なる神様がアブラムに対して語られたこの主が言われたというこの時ですね。
この時というのは単なるたまたまではなく、ふさわしい時と言いますか、必要な時であった、特別な時であった。
じゃあ彼の人生においてどのような時だったのか、そこをですね、ちょっと注目したいと思うんです。
今日のところではお見しませんでしたが、10章の方を読みしますと、今開きませんが、その10章のところにですね、ノアの時代に遡っていきましてですね。
大公図の後、ノアの家族がそこでこれから生活して、だんだん子孫が増えていくわけですが、ノアの彼の3人の息子、セム、ハム、ヤフェテというのがですね、10章の1章で出てきますが、
その中のうちのですね、セムの子孫から出てきたのがアブラムなんですね。
で、また聖書を読んでいますと、アブラムの家族は、このアブラムのお父さん、テラという名前ですけれども、テラとともに最初、どこにいたかというと、カルデア人のいるウルというところに住んでいたんですね。
それは11章の28節に出てきます。このウルという町、いろんな町、ひとつの単なる町かなと思うわけですけれども、しかしこの場所というのは、月神礼拝の中心地であった。
つまり月を拝む、そういう特別に月を拝む、そうした特別な町であった。
皆さんもご存知のようにですね、聖書を見るときに、私たちが信じている神様、聖書が教えている神様というのは、単なる月だけが神ではなく、万物を作られた神であります。
ですから、神様が作ったものに過ぎない月を拝むというのは、聖書から外れていることでありますし、このすべてを作られた神こそですね、まことの神である。
ですけれども、この町にいた人たちは、その月を拝んでおった。つまり偶像礼拝。
アブラムとそのお父さん、その家族が、言うならば最初のノアンの息子、そこから受け継がれた神子、セムのような生き方をしないで、だんだん時が経つにつれてですね、
神様の御心からそれて偶像礼拝者、そのような時代の中にあって、世俗的な生き方に、だんだんこう、すり変わっていくと言いますかですね、変わっていく。
本質からずれていっていくというような、そういう状況が、そのアブラムのその家族の中に起こっておったというような。
そのような生活の中で、何が起こるかと言いますと、これも11章のところに記されている28節のところにありますけれども、アブラムの弟、ハランが亡くなる。
それだけでなく、アブラムの妻、サライは不妊娠で、彼には子供がいなかったんですね。
皆さんどうでしょうか。自分の家族の中で誰かが亡くなったとなるとですね。
実は私はですね、まだ両親も、その兄弟もですね、全員健在なんですね。
だけど、コロナ禍にあってですね、妹が癌になったっていうことが分かってですね、えっとですね、しかももうステージ4に近い状況であった。
アブラムの困難
本当に家族の中に衝撃がしたと言いますかですね、いろいろうさぶられましたね。
まあこのアブラムの弟が亡くなるということが起こったときに、当然アブラムもその家族もですね、死という問題に改めて向き合うと言いますか。
本当にですね、今までと平穏な生活が本当に変わってですね、悲しみとまたある意味では寂しさといろんなこと、そして死んだらどこに行くんだろうかというようなことも非常に考えたんじゃないかなと思うんです。
今年ですね、九州郷区ではですね、台風6号の中ですね、先週でしたけども、キャンプをやったわけですね。
場所は変えて福岡協会でやりました。
もう中止はしたくない、別にしたくないって自分の思いじゃなくてですね、祈りの中でそれに導かれて。
で、本当に祝福されたんですけども、その講師がですね、加賀都協会の坪内先生という先生です。
まあ坪内先生をまたここでお呼びになったことがあるかどうか分かりませんけど、私と同い年、同級生、学年上なんですけど、そんなことは細かいことはどうでもいいんですが、
彼はですね、救われる前、本当に壮絶ないいじめを受けておった、という話を聞いたんですね。
まあ前からしておりましたけど、そのいじめの中で自分は死のうと何度も考えた。
ええ、自ら命を絶とうとしてたんですけども、いざ死のうとした時に、死というものと向き合った時に、死んだらどこに行くんだろうということを考えれば考えるほど怖くなってですね。
そして死ぬことができなかったなんてですね、まあ死ということを向き合うとですね、私たちはやっぱりですね、どんな人でも分からないことでありますから、そして不安になってきます。
それだけじゃなくてですね、先ほども言いましたように、アブラムの妻、サライも不妊嬢であったということでありますから、本当にですね、将来子孫が増えていくということがこの当時のですね、希望であったにもかかわらず、
しかしそこに子供が与えられないということの中で、まあアブラムは正直将来の不安をすごく感じたんじゃないかなと思うんですね。
いろいろと自分の将来を描いている中でそううまくいかない、思い通りにならないということがぶち当たった時にですね、私たちはいろんなことを考えます。
でも現実、リアルな世界の中で私たちは理想と現実は全然違う。またいろんなことが起こってくるんですね。
アブラムの新たな方向
そんな中ですね、使徒行伝、ちょっとここは開きたいと思います。使徒行伝の7章のところ、7章のですね、2節のところをちょっとご覧いただきたいと思うんですね。
ステファノの殉教するところの場面のその最初のメッセージをするところでありますけれども、使徒の働き、ごめんなさい、使徒の働きの7章の2節のところ。
ちょっとステファノの言っている言葉をですね、ちょっと参考にしたいなと思うんです。はい、気楽になったでしょうか。244ページを見いたします。
するとステファノは言った。兄弟並びに父である皆さん、聞いてください。
私たちの父アブラハムがハランに住む以前、またメソポテアニュにいた時、栄光の神が彼に現れ、あなたの土地、あなたの親族を離れて私が示す地へ行きなさいと言われました。
皆さん実は12章から神様が突然語られたんじゃなくて、すでにこの偶像の地、異教の地にアブラハムの家族がいて、そしてそのような状況の中でいろんな不安の問題、また困難にぶち当たった時に、その時に神様がアブラハムのところに来てですね、語ってくださった。
あなたの居場所はここじゃないとですね、カナンの地に行きなさいとですね、これから行く道をですね、示してくださった。その時に彼はもう一度神様を疑い、おそらく以前のその信仰の歩みを持っておった、その祖先のですね、歩みをもう一度そこに思い起こしてですね、そこにまた方向転換していった。
そしてアブラハムとその家族はカナンの地に向けて旅立っていくということが起こったんですね。私自身もですね、自分の信仰を振り返った時に、自分の情熱とか自分の思いよりも、神様の恵みがいつもそこにあるな、頼りな時にですね、頼りなお言葉がいつも語られてですね、もう一度自分自身の信仰をですね、ある意味では立て直してくださると言いますか。
そういうことが、その人のある意味では私自身がですね、倒れなかったとしてもですね、道を逸れたとしても、神様がちゃんとそこにですね、戻してくださるということがあるわけです。
ですけども、もう一度創世記に戻っていただきたいんですが、創世記の11章の31節には、そのようにカナンに行こうとして旅立っていくんですけども、ちょうどカナンに行くまで、ハランまで来ると彼らはそこに住んだと書いてある。
ウルというところからカナの地に向けて行くんですけども、中間地点のところにあるハランにですね、住み着いてしまうわけですよ。
まあ居心地がよかった、ちょっと休もうかと、休んだのかわかりませんけども、休んでみたら居心地がよかった。
そして、このウルという町も、ハランという町もですね、ウルと並んで月を拝むですね、そうした礼拝地であった、中心地であった。
まあまたですね、この彼らはですね、前の生活に逆もとにしてしまうんですね。信仰生活の挫折を見るんです。
おそらくアブラムのですね、お父さんテラーの影響が大きかったんじゃないかなと思うんです。
そういう意味では、クリスチャンファミリーの中に信仰者、信仰の長となる人がいたらですね、その人の信仰の影響力というのは、その家族において及ぼす影響は大きいなあということを思うんですね。
ところがそこでも、この停滞し挫折をしている中にもですね、起こることが、11章の32節目。アブラムの父、テラーが亡くなる、死んだ。
姉の信仰の保持
そしてお父さんの死によって、またアブラムの家族にですね、言うならば波乱でですね、またちょっといい生活ができたか、そうわかりませんけどもですね、腰を下ろしているときにこういう悲しみがドーンと起こって、危機的状況が起こってくる。
そのときに、今日の12章1節以下が語られる。
本当に神様はアブラムを選んで、アブラムが何かすごいんじゃなくて、ご自身の方から常に、ここぞというときにもう一度あなたの使命を忘れるなと言わんばかりにですね、アブラムに語り続けられる。
まあ神様って本当に忍耐強いお方だなと。諦めないお方だなと。
今日も皆さんこの中にですね、懐かしい顔ぶれがあるなと、20年中でずっとこの信仰生活歩みの中に来られたということでありますけども、でも振り返ってみたら、危なかしいところも取られたなということもいっぱいあると思うんですね。
ですけども、これはもう神様の恵みによって今もこのように導いてくださったお方様がいらっしゃるんだ。
あの要所要所の中に、危機的状況の中に。
ですからこの一節の言葉、あなたはあなたの土地、あなたの親族、あなたの地の家を離れて、私が示す地に行きなさい。
これは神様の一方的な恵みによる語りかけであり、また初めて語られた言葉ではなく、何度もと言いますか、繰り返し語られた言葉なんだ。
一つの言葉が私たちをずっと支えてくださっている。
これは寺の神によってではなくて、主のお言葉によってこそ再出発の誠のきっかけだな、ということがここに強調されているんじゃないかなと思います。
先日ですね、日曜日というこの忙しい、僕先生はみんな忙しい日曜日、忙しいんですけども、その朝にですね、私の三つ離れている姉からですね、過去側にいるんですけども、姉から電話があってですね。
姉もクリスチャンでありましてですね、教会の役員もしているような姉であります。
その姉がですね、家庭にいろいろな問題が起きたということで、よく連絡してくるんですね、話を聞いて。
ちょっと余談ですけども、これは録音されていないと信じておりますけども、あまり身内のことを言うと姉から怒られそうなんですが、
姉はですね、結婚する前、私はクリスチャンの人とは結婚しない。ミシンジャと結婚するんだ。
そしてそのミシンジャの人をですね、クリスチャンにするんだなんてね、なんかちょっと不思議なところがありましたけどもですね、
そういう中でミシンジャの方と実際結婚してですね、そしてその方が救われてということもあるんですけども、でもいろいろですね、その後も苦労しているんですね。
まあ夫婦関係や家族のことですね、もう絶えざ腹、詳しいことはちょっとプライベートのことでやりますので言いませんけども、本当に苦労したと思うんです。
で、そういう中でもですね、何とか乗り越えてきたんですけども、今回電話があったのはですね、もう私は疲れたと。
今までいろんなことがあったけども、もう今回は立ち上がられへんっていうですね、そういう電話だったんですね。
で、私もですね、なんかこういろいろ話を聞いてなんかこう言おうとしたんですけども、最終的に姉の方からですね、言ったのは、
あんたにはわかれへんから。
じゃあなんでかけてきたんやとですね。
もうそれは言いませんでした。
うーっとなりましたけども、ごめんねみたいなことしか言えない。
なんか昨日聞いた慰めの言葉は。
って考えておいて沈黙がついてしまってですね。
まあ経験しないことですから。
で、最終的にですね、私はそこで声を出してですね、姉の抱えてる問題のために、主の助けを求めてお祈りするわとですね。
で、祈ったわけですね。
で、祈ったんですけども、なんか自分にですね、この勝利というものがないような、祈ったんだけども姉はどう受け取ってるんだろうかなということもあったんですけども。
あーずっとその後ですね、切った後もですね、あーこう言ったらよかったなとか、あー言ったらよかったなとかですね。
そんなことばっかりがグルグルしてるんです。
ですけども、朝の早い時間だったので、その後姉の電話が終わったそういう気持ちの中でデボーションをですね。
デボーションじゃなくてデボーションをするわけですね。
で、そのデボーションをしたときに、いずれその言葉がちょうどその時に当たられてですね。
このような言葉が当たられた。
たとえ山が移り丘が動いても、私の真実の愛はあなたから移らず、私の平和の契約は動かない。
いずれの民がどんなに神様から背を向けよう、また信仰から離れようとしてとしても、神様一と契約を結んだものを離さないんだ。
その時に私は平和きたんだ。
姉と神様との関係もですね、これでもう何か信仰を失ってもうどうでもなれというような、そういうところでどうなるんだろうかなという不安心配もあったんですけども、
神様が姉を支えてくださっている。
私ができたことは本当に祈ることだったんだな。
そして私はですね、その時の御言葉とですね、ちょうどその時ですね、実は私がメッセンジャーではなくて、
カナエがですね、メッセージ、月日からメッセージをカナエがしているんですね。
御言葉を通じた励まし
で、メッセージをカナエがしたものをですね、録音したものを、今便利ですね、LINEで撮ったものをパンと飛ばすことができるわけですよ。
で、送ったの、御言葉とメッセージを。
そうするとですね、LINEがパッと見たらですね、既読になっているんですね。
普通何か送ったら、ありがとうとか、なんかいろいろ返ってくるんですね、いつも。
だけど何にも返ってこない、既読。あれ怖いですね、既読っていうだけっていうのはね。
どう思っているんだろうか。
まあそういうところでですね、姉のことがですね、また不安があったんで、でももう御言葉を送った。
そうすると、それからしばらく経って返事が返ってきた。
姉はとても恵まれて感謝です。
続いて、神様から解決が当たられるように祈ってくださいっていう一文がですね、返信として返ってきた。
だから御言葉を聞いて、姉の中に、本当に悶々とした中にもですね、まだ解決が当たられていないけども、励ましを受けた。
御言葉で励ましを受けたんだなっていうことが分かったわけです。
で、それからもう3日ぐらい経ってからですね、なんとですね、また姉から連絡が来たの。
それは、今抱えている問題の根本的なことは解決していないけども、この問題を通して、実は8年間続いていたある問題が解決されたから感謝です。
そして姉自身からですね、私は2つの御言葉を与えられました。
全てのことを愛働きて益となる。主に信頼する者は失望に終わることはない。
この2つの御言葉をですね、私に送って来たんですね。
そして、この彼女が、姉がですね、立ち上がったって言うんですね。
ありがとうって書いてるんですけど、私何にもしてないわけですね。
何か人間的なアドバイスをすることもできませんでしたし、逆に失望してたんですけども、
御言葉を送り、メッセージを送って、姉の信仰が何よりも神様が支えてくださるという、私自身もその信仰に立って、もう神様により頼んでいた。
その時に、神様不思議なことを起こしてくださった。
まあ今もですね、その途上にありますけども、この問題を神様が解決してくださると信じてですね、期待しているわけだよ。
四節のところを見ますと、アブラムは主が告げられた通りに出て行った。
古き人の執着と家族の影響
アブラムのですね、おそらくそういう悲しみ、つらさの中においても、神様のお言葉によってもう一度立ち上がる力をいただいたんじゃないかなと思うんです。
主が告げられた通りに出て行ったって短い言葉ですけども、非常に重みのある言葉だな。
言うなれば、このことを通して人類の救いの歴史を全く変える力を持つ言葉でもある。
見えるものではなくて、私たちは常に主の御言葉を信じて旅立っていく、立ち上がっていく、また立て上げていく、そういう生涯の連続ではないかな、これも恵みだなと思うんです。
この時、アブラムがある意味、自分自身の中に立ち上がったということなんですけど、その後、家族も一緒に旅立っていくときについて行っているんですね。
これを思うときに、先ほども家の信仰者、課長となる者がですね、霊的リーダーシップを取るか取らないかで、その家族の愛も変わってくると言いましたけどもですね。
一人の信仰者の影響というのはですね、その家族も含んでいるんだということを私たちは忘れてはならないと思うんです。
一人の信仰者が変わるときに、その家族にも変化が起こってくると。そして感化力を良い影響を与えていくと。
だから、この使徒行でもそうですね、主耶穌を信じる者、あなたもあなたの家族も救われるということは、そこにつながっていくと思うんです。
私たちは今日もう一度、この神様からのお言葉によってどのように答えていくかということを、もう一度そのところ問われていくんじゃないかなと思うわけであります。
さあ二つ目であります。二つ目はですね、それは、これは性別と祝福であります。性別と祝福。
この一節のところで語られた、土地、親族、父の家の性別とありますけれども、この性別は、言うなれば環境とか文化とか、特権を今まで持っていたものを捨てるということですね。
また肉的な交わりの中に、自分の居場所を保持しようとしていた生き方を捨てることを表しています。
私が示しに行きなさいとまたその後語れるわけですけれども、これは地上的なものの中に自分の存在価値を求めるんじゃなくて、主ご自身の中にそれを求める。
そこに自分の人生を、また御心にかなう国を建設していくということです。
ある意味、見えるもの、何かを捨てるというだけでなく、例的な意味で言うならば、古き人の欠別と言ってもいいでしょう。
肉の人を本当に十字架につけるという、私はもともとニオンイエスのものじゃないんですけれども、ルーテル今日もそんな話をしていましたけれども、
でも私はニオンイエスのCYの新学校に入って、やはりいつもこの清めの恵みというものに非常に魅力を感じたものだと。
感情ではやっていけない。私の本当にこの古き人が十字架につけられなければ、最終的にはやっていけないんだと。
今日はここに家内があるので、いろいろといい格好を言っても、バレバレなので、何を言っても、
あんたはああいう生活、ああいうことがあるだろうと思ったりするんですけど、私は子供が先も言いましたように2人いるんですね。
私は日曜日、レハが終わった後に、こんなことを言うんです。子供たちに。
今日のメッセージどうやった?自分から言うのもあるけどどうやった?
そしたら息子は気遣って良かったよ、みたいなことを言うんですけど、娘は話が長い、眠たいと。
それを聞くと、なかなか落ち込んでしまうわけです。
また奥さんもどうやった?と聞くと、最初ダメ出しから出てくるので、もっといいとこを言ってくれたらなと思ったりするんですけど。
ここで別に愚痴を言っているわけではなくて、そういうところですね、いろいろジレンマを感じたりするんですが。
でもですね、これは笑い話なんですけど、真面目な話。
つくつく思うのは、子供たちというのは、私のこの高段から真っ正に向かって語っているところを見てはいないなと思う。
高段から降りて、後ろの姿というか背中を見ているんだなと。
祝福と主の存在価値
それはもうしっかりと聞いていると言いますか、見ているし受け取っている。
どんなに綺麗なことを言ってもですね、実際に高段から降りたその生活はどうなのかとなるとですね、やっぱりそれはですね、子供たちにとって私の姿の影響力を及ぼしている。
私はですね、本当に結婚して子供が与えられてから、自分の姿というものを、ある意味では嫌というか向き合うように神様が導かれたなと思う。
一人の時はそう感じなかったんですけど。
どこまで話したらいいかわからないですが、私は父が牧師しているんですけども、父は牧師さんなんですけども、結構気が短い性格なんですね。
もう深いことは言いませんけども、いろいろ見ているわけですよ。
子供にとってはですね、それが嫌だったというのも。
そういう姿を見ながら、私は父のようになりたくないと思っていたんですけども、よくよく家内から言われるのは、あんたお父さんに似てるねということを言われるんですね。
で、皆さん私のことを見ていると、本当に穏やかで、本当に優しそうな、よくよく言われるのは、おどよこと言われるんですけども、
まあ実はですね、もともと私の本来の性格で、古き人というのはですね、結構ですね、まあなんて言いますかね、自分で言うのもわからない人も気が短いらしいですわ。
気が短いと言われるんですよね。
で、それは、笑い話ですればいいんですけども、家族の中で、またですね、そうした日常生活の中で、娘は非常に傷ついた、息子は傷ついたということを聞く。
で、私あるときですね、本当にそのことが示されてですね、娘と話の中で、そのことをですね、お父さんの嫌なところ、なんかそういう話になったときに、
本当に引くぐらい気が短いとか。
で、これ以上そういう姿になったら、もう私はお父さんと話したくないと言われた。
娘が結構言うんです。
そのときに、私にですね、すごく示されてですね、まあそれは正解のこともあってですね、そういう中で語られたこともあったんですけども、
私は本当に娘の前で謝った。
本当にお父さんはそういう、気が短くてそういうことを本当にやってしまったこと、世の中でつまづきを与えてしまったこと、
こういうときにつまづいたんだ、こういうときに傷ついたんだということも聞きましたから、本当にごめんなさいねって。
お父さんも本当に神様の恵みを、本当に今祈って変えようと思うから、向き合って。
もう変えられるように娘、のぞみって言って、のぞみも祈ってくれと言ったんですね。
これなかなかね、お父さんはお父さんなんだってすぐ思ってしまうんですけども、そこは、自分自身の中でも、
ああ、これではやっていけないなあっていうことが、今までヒヤヒヤすることが実はあったんです。
これを聞いて、奥さんはどう思っているのかというのが気になりますけども、
じゃあすっぱり変わって、いやでもそれでもですね、私は本当に変えてくださいとですね、祈っているものでありますし、
少しは変わったんじゃなかろうかとかですね、いろんなことを思うわけですけども、
しかし、今日もう一度話を戻しますけども、この性別というのは、私の人生にとってやっぱりなくてはならない。
これではやっていけないという、本当に砕かれるようなことを、過去においても私たちは経験する中で、
それでも私は自分でやっていきます。自分の生活は変えませんではなく、
ここで私が本当に変えられていくように、主の前に本当に十字架にこの古き人をつけます。
一足止めではないかもしれない。だけども、外の人の前ではできるかもしれない。
でも一番というか、家族の前で自分はどうなのかという、その姿は、やはりごまかしがきかないんじゃないかなと。
でもその部分が本当に取り扱えたときに、今日のところ言いますと、性別と同時に祝福が語られているんですね。
性別しなさいと言ったとき、彼が出ていった。
過去のものに引きずらないで、過去の生き方に執着しないで、そこに進んでいったときに、あなたは祝福となりなさい。
ここや部聖書では、あなたは祝福の基いとなるであろう。素晴らしいなあと思うんです。
私も存在を通して、祝福が周りに広がっていくんだ。
私自身がですね、その頑固さによって祝福をとどめてしまうような、つまづき渡り、私だけ良ければいいんじゃない。
その私の救われた理由は、周りに祝福を及ぼすため、周りを一緒にあって生かすためなんだ。
もしそこでつまづきのあるものを神様は自分自身につけなそうと。
まあそこからですね、アブラハムの祝福はやがてイエス・キリストにつながっていく。
全世界に及んでいく。
ミョンスク先生とビッグジョン五代目
そういう意味では、私たちの信仰者の祝福は、個人の救いにとどまらないで、家族の救い、国民の救い、世界の救い。
実際にミョンスク先生はですね、母教会というのは韓国にあるんですけども、中国の宣教師がですね、教会をですね、立ち上げたということでですね。
そこからひおじいちゃんがですね、救われる。
そこからですね、やがてミョンスクがですね、救われて信仰を持って、そして日本にですね、宣教師としてやってくるわけですね。
そして日本から日本にですね、ある意味ではミョンスク先生を通して、多くの人がまた救われていく。
中国の一人の人の中国人の救いが、韓国人、韓国人から韓国人。
いやそれだけじゃ、同じ日本にいてもですね、私この後、宣教大会にですね、大阪にまた行くわけですけども、
その一緒に行くメンバーの一人の青年はですね、東京の子なんですけども、その子は若いんですけども、
ビッグジョン五代目ですって言うんですよ。ビッグジョン五代目。
そしてその五代目である彼女が、本当に主の働きのためにですね、また明かしのために持ち入られている。
一人の信仰者から、本当にその信仰が継承されていって、また多くの人を生かしていくという恵みがそこにある現実ですね。
本当に神様の祝福だなあと思うんです。
なので、このカナンの入国ですね、カナンに入る当初ですね、
アフランは言ってもですね、主の約束に対して全く疑問がない、恐れがないというわけではなかったと思うんです。
全く知らない、今のようなネットで調べるとかそんなことはできない時代ですから、
行けと言われるところに行くっていうのはですね、本当にある意味不安があったと思うんです。
私、教団に入ると言われるのは、この教団に入るには条件があります。
教団がどこへどこへ行けと言っても、絶対従って行くということですよ。
その時私一人みたかったんで、全然大丈夫です、と言ったんですけど、
でも実際家族はでき、またいろんな歴史のある教会に行くということは大変だなとから分かって、
教団というよりも神様が行けと言われたら、どこでも行けますか?
岡山先生がこの教団に入ってくださることは嬉しいですけど、
このことに対してあなたはイエスと言います。
はい、と言ったことであります。
ですけども、ここでアフランの生涯においては、
このような疑問や恐れがあったかもしれませんけども、神様は励ましています。
それは主が彼に現れて約束の確認を与えているのです。
私はあなたの子孫にこの地を与えます。
神様は本当にその年老いたアフランに対して一つの出来事を起こす。
あなたに子供が与えられる。
これは確かな印だとですね。
アフランはまだ現地になっておりませんでしたけども、
そのことを主が成してくださるという具体的な約束をいただいたアフランは、
主のためにそこに祭壇を築いたとナナセツにあるのです。
祭壇と天幕の象徴
それは主の約束の御言葉に対する信仰告白と献身の現れでした。
ノアが築いたように、アフランは行く先々において祭壇を築いているのです。
ただその後ですね、ちょっと道を外すと祭壇を築いていない。
だからこの祭壇を築くというのはですね、信仰の現れであり献身であります。
新たに献身を新たにしたということですね。
そして同じナナセツには天幕を張ったとあります。
これは地上に自分の人生を執着しないで、地上においては旅人であるということです。
そしてもう一つ重要なところは、この祭壇を築いてそこで祈りを捧げたということです。
祈りを捧げた。
これは主の御言葉の応答であると同時に、自分の弱さの告白でもありました。
自分の熱心によるものでもなく、自分の頑張りではなく、主の言葉によってどこまでも進んでいく。
また自分の欲望ではなく、主の御心がなるようにという祈りなのです。
最後に、もうお話は終わりますけれども、これだけお話させていただいてですね、終わりたいと思いますが、
私は96年にですね、新学校を卒業したんですけれども、4年間新学校に行ったわけですが、
右も左もわからない中で研修して新学校に行ったときにですね、
私たち新学生がすごく多くてですね、そして同じ学年でも年がバラバラでですね、
40代の人もいればですね、18の人もいたりだがですね、そういう中で何が起こったかというとですね、
同じ研修生、新学生なんですけども、誰が偉いかと同じのことですよ。
誰が礼儀的なのか、誰が素晴らしいか、あの人にマシだろうとか、
そういうことがですね、加藤先生のときそういうことがあったかわかりませんけどもですね、
私の方が立派だみたいなですね、そういうところで張り合ったりですね、いろいろあったんですね。
そういう生活の中で、あるときですね、新学生の2年生のときだったでしょうか、
私はですね、夏の断食祈祷会ですかね、それがあってですね、
その断食祈祷会でメッセージを受けたら3日間食べないんですよ。
最初のときはもう空腹のことで話も聞くことがなかなかできなかった2年生ぐらいから、
やっと話が聞くことができてですね、そして非常に恵まれた。
いやーこの恵みをですね、私は恵まれたということにまた嬉しくなってですね、
そして校長先生のところにですね、私こう恵まれて、こんな決心が今回当たられたんです。
先生祈ってください、私言ったんです。
そうするとですね、校長先生、当時のある先生がですね、私にですね、
上山さん、それは素晴らしいですね。
あなたは他の新学生よりもですね、こうやって決心いただいて、こんなに成長して今私のところに来たんですね、
って言うと思ったんですね。言わなかった。
何を言ったかというと、上山さん、怒らないで聞いてねって言ったんです。
だんだん怒らないで聞いてね、これ褒めてもらうために来たのに。
怒らないで聞いてね、何を言うのかなと思ったら、
上山さんからね、お祈りをとったら、何にもないからねって言われた。
え、全然話がかみ合ってないなと思った。
上山さんからね、私の話を本当に聞いてニコニコしながらうなずいていたのに、
それに対する答えがですね、上山さんからね、お祈りをとったら何にもないからねって。
え、校長先生も他の新学生と比べていろいろ見てですね、私には何もないんだと見てるんだ。
私はその後ですね、先生の祈りもね、全然何を言ったか覚えてなくてですね、ただただトコトコと帰っていった。
恵まれたって思って何を決心したかもわからなくなってですね、そのまま。
で、その後ですね、新学校を卒業し、明谷も来てですね、
そしてその後、これ言ったらどこに行ったかわかってしまうんですけど、
次のところに行ったわけですよ。
私は実はそのところでですね、非常にぼっかりで行き詰まってしまったんです、実は。
みなさんこの明谷教会4年っていうことでですね、10年ぐらいいたとかね、なんかそういう方もいらっしゃる。
私は、ごめんなさい、もうこれだけなら知ってくださいね。
卒業、ここから行ってですね、次のところに行ったときに2年間いた。
2年間がですね、10年以上いたぐらい思ったぐらい、地味だったら非常に行き詰まってしまう。
で、本当に正直もう牧師を辞めようかなと思った。
で、明谷先生も韓国帰ろうかなと思ったぐらい、もうなんかうまくいかなかった。
そのときに、もう何にもない、何にもないと思ったんですね。
そのときに思い起こしたのが、もう数年前に聞いた、上山さんからね、お祈りを取ってたんです。
私はそのときふっとですね、あ、お祈りがあるじゃないかと。
高壇のところに行ってですね、まあ礼拝の前始まる前にですね、本当に祈った。
神様、私何にもありません。もう行き詰まっています。牧師を辞めようかと思うぐらいです。
ですけども、主よどうぞ私を助けてください。立ち上がらせてください。
もう一度私が働くことができる力を与えてくださいとですね、
まあ本当に半泣きのような感じですね。祈ったわけですね。
そのときに神様はですね、今日のお見言葉じゃないですけど、神様が私を使わせた。
そしてこれから行くところにおいてもですね、神様が導いてくる。
そこに無意味なことはないんだ。
そして何よりもあなたの弱さをここで認めて、神様に本当にお頼むように歩んでいきなさいという、
そのような見声をですね、私のうちに神様が語ってくださった。
もちろん何かすぐ解決するということはなかったですけども、
しかし神様は私に平安を与えてくださって、そして少しずつ少しずつですね、
いろんな変化が起こってきたんですね。
まあその後、神様は導かれるようにして、
トスに導いてくださって、開拓に使わせてくださった。
でも今考えると、あの2年間のこのときってのはですね、
本当に自分自身の中において、通らなければならなかったとこだな、しんどかったけど。
そう考えるとですね、やっぱりしんどいときっていうのは、
やっぱり神様が取り扱ってくださっているときなんだな、
もちろんそれは楽しいとは言えません。
嫌だなと思うときなんですけども、でも全部を見ていけばですね、
神様が使わせる、通らせるとこっては、無駄なことはないんだなっていうことを思います。
まあそういう意味では、本当に少しは成長したかどうかは分かりませんけども、
でも神様はこんな小さなものを用いてくださっている。
また、この妙谷教会においてもですね、
僕先生がいろいろ変わることもあったかもしれませんけども、
しかし神様が最低のところを導き、主が人一人を立ててくださっているところなんだ。
私今日、妙谷教会って30周年で、まだまだそんなに若かったんだなとですね、
もっと立っているのかと思ったらですね、30ということで、
私よりも若いんですけどもですね、
本当に主が良くしてくださったことを何一つ忘れて、
またこれから主が成してくださることに期待して進んでいきたいと思います。
お祈りいたします。