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それでは一言、短くお祈りいたします。
恵み深い父なる神様、こうしてこのような良き朝をお与えくださり、
あなたを礼拝する民の一人として未満にお加えいただきましたことをありがとうございます。
主がどうぞ、この私たちが探る未開礼拝ですが、あなたの人材の中においてお言葉が開かれ、
私たちはまた精霊の恵みをいただいて、このところから新しく歩み出すことができるように導いてください。
主の皆によって一言をお祈りいたします。
最初に歌いました、神聖歌18番でしたかね。
私はこの歌をこの賛美をしますと、
80年ビリガム大会というのが、今で言うならば昔ということになっちゃうんですけれども、
大阪の日清球場、今は日清球場がなくなってしまいましたけれども、
日清球場始まって以来だというですね、
あそこに、確かあそこは球場としてはそう広くはないんですけれども、
1万2、3千集まったんでしょうかね。
最後の日は大阪府警が出向いてきて、これ以上入れてはなりませんという、
ですから入れなかった人はその違うところに集まって、
そしてビリガム先生がそこでメッセージをその人たちのためにされたという、
そういう印象が今もあります。
その大会のときにこの18番がですね、メインのようにしてよく歌われたんですね。
日本に何回かビリガム先生が来られたんですが、
その都度新しい歌をね、キリストには変えられませんという、
これもそうであったり、他にもあるんですけれども、
そういう歌を歌いますとね、思い出します。
なぜこんな話をしますかと言いますと、
あるいは皆さん方もテレビか新聞でご覧になったかと思うんですが、
ついにこのビリガム先生も99歳で天に変えられたというですね、
ちょうど私は、大阪警戒区が終わって日本警戒区コンベンションが、
埼玉の熊谷にあるホテルヘルテージというですね、
そこで行われておったときにそのニュースが入ってきましてね、
仕事を止めされたんだなという、そういう感を新たにいたしました。
私が新校に入って間もないときに、ビリガム先生が初めて日本に来られて、
そしてその当時は立教じゃない、日大の講堂だったんですが、
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今の武道館ですね、もちろん武道館という名前ではないんですけれども、
そこで行われてね、青いスーツを着られた若き日のビリガム先生がそこでメッセージをされる。
こっちは何を言っているのかさっぱりわかりませんが、なんとなく迫ってくるものを感じました。
で、案内してくださったのが森山里志という先生で、この先生が、
斉藤君が明日は立教タッカーホールで教職者対象のそれがあるから、あんたも行きなさいと。
先生のときはまだ新学生でもないのに高校生なのにと言ったら、いいに行きなさいと言ってね、
強引に後ろから押されているような形で参りました。
間違いも必ずしい感じがしたんですけれども、
そういう出会いからビリグラム先生というその存在というのをだんだんと存じ上げるようになりまして、
80年のビリグラム大会。
最近では2010年にそのビリグラム先生の悩みの種だとおっしゃっているんですけれどもね、
フランクリン・グラムという、この息子はとんでもない息子でね、
自分で明かししてましたから言っても差し支えないと思うんですが、
薬はするしね、家は飛び出すしということで、表向きはグラム先生は随分大きな働きをなさったんですがね、
家庭的にはそういう問題を抱えなさった先生だったんだなと。
けれどもこのフランクリン・グラムが後に取り扱われて、
そしてそのお父さんの後を立派についで、2010年には大阪城ホール、
あそこでですね、大きな大会のメインのメッセンジャーとして御用された。
最近はそのビリグラム先生から言うと孫のオイルというのがあるんですね。
そんなに親しくないんですけれどもね、何回かお会いしたわけなんですが、
これはね、非常に素晴らしいメッセージだなと。
私は福岡大会に行ったときにそのことを感じました。
今度四国での大会には孫のオイル先生が来られるかに聞いておりますけれども、
時代がだいぶそういう若い時代に変わりつつありますが、
一言ね、ちょっと私の個人的な思いでも含めてさせていただきました。
私はビリグラムという方を尊じ上げてからの先生の書物とかね、
そういうことにより触れて読んでまいりましたが、
やはり先生があれだけ大きな働きをしたということをされたということはね、
背後にどれだけ大勢の祈り手があったか。
それを私は一番フランクリン大会フェスティバルのときにそれを感じましたね。
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もちろんビリグラム先生はもう高齢で来れませんが、
しかしフランクリン先生のメッセージを聞いてきますと、
もう姿格もお父さんそっくりですけれども、
メッセージも非常に単純で、そして担当職人に語られる。
こんなことを言うと、偉い斉藤という牧師はどういう牧師だと思われるかわかりませんが、
なんかこの程度のメッセージでいいかなと内心思うようなね、
やはりビリグラム先生のメッセージを聞いておりますからね、
そんな思いを持ったことが実はあるんですよね。
しかしそれがね、そこに私はメッセージを語る器も大切ですけれどもね、
それをサポートする祈り手というのを感じたんですね。
同じメッセージをしても、非常にそこでもって決心を募る大勢の方々がね、
ゾロゾロ前に来て、そして決心される。
中には牧師になりますと言って生涯をつなげるような、
そういうこの若い人たちも起こされたりする。
そういう事柄が起きました。
やはりビリグラム先生は、これは孫のウィルというね、
あのおじいちゃんは日本に行くけれども、
日本に行く私は何をしたらいいんだろうか、
と言って質問されたそうです。
そして何が一番大切なんだろうか。
そしたらこのビリグラム先生はね、
お祈りだと一言おっしゃった。
その証をね、日本に来られた時にちょっとおっしゃっておったんですが、
ですからビリグラム先生という大きな器は、
それだけにご自分も祈りますけれども、
またどれだけ大勢の祈り手をそこにこう思っていたか。
今年も最後の晩にその挨拶をさせていただいたんですが、
その時にそういった事を感じましたのでね、
おそらく世界中で一番祈られている場所は、
今晩のこの大阪城ホールだ、
そう申し上げた事を思い出します。
それぐらい祈りがあっての大きな働きが進んでいったんだな、
という事を思う。
私は改めてこの3章の、
このマタエによる福音書の最後に出てくる、
イエス様が先天を受けられたというところですけれども、
ここを読んで改めて思います事はね、
この場面を想像しますとね、
おそらく一番この場面で驚いたのは、
戸惑ったのはバプテスマの御金だと思うんですね。
大勢の人々に、
そこにはサドカイ派の人もおればパリサイ人もおる、
その人たちもね、
あのバプテスマの御金が先天を受けたりして、
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この申し出てきたんですけれども、
彼らに対しては非常にこつめたくあしらっている一冊があるんですが、
で、なんとそこにですね、イエス様がおいでになって、
私も先天を受けたい、という事をおっしゃった。
もとよりこの先例というのは、
私たちの罪の許しという事をそこに見されている。
罪ある者が、
イエスキリストの御名によってバプテスマを受け、
そして私たちはその罪から救われて、
そしてこの信仰に入る、という大切なところですね。
ですから考えてみますと、
イエス様は私たちと同じような先例を受けなさる必要はないんですね。
罪の許しの権威を持っていらっしゃるこの方が、
罪の許しを得るためにそこで先例を受けるという必要はない。
ですからバプテスマのイオハネは、それをよく知っておりますからね。
いえ、私の方こそがね、
イエス様はあなたの足元にこの膝をまずいて、
そして先例を受けるべきですと、
こういうのは拒絶した。
ところがイエス様はそこで何とおっしゃったかというと、
この十五説。
ところがイエスは答えて言われた。
今はそうさせてもらいたい。
このようにして全ての正しいことを実行するのは、
私たちにふさわしいのです。
イエス様は不思議なことをおっしゃいました。
私たちにふさわしい。
別にバプテスマのイオハネと私たちという意味ではない。
この光景の中でも三密の神がそこでよく表されているのですけれども、
イエス様の口からは、
私がこうしてあなたのもとにおいて先例を受けることは、
これは父なる神の御心であるし、
また精霊がこの時を、このところを備えてくださった。
そして受ける私は、その場において最も受けるにふさわしい時として、
私は受けさせてほしいんだということをおっしゃったんですね。
もちろん、ここに示されている正しいことを実行するのは、
この正しいことということの意味には、
もう一つは立法的な背景もそこに示されているのですけれども、
私は先導を受けるということは、
こんなにまでも正しいことなんだ。
私は、きのうは赤城一丸教会で、
青年女子ですね、彼女から電話がありまして、
今度先生結婚するので来てくださいと言われて、
彼女が日本ですから一緒に行ったんですけれども、
その教会で最後に先例を授けたのは、
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90時に4歳だったと思うんですね。
私にとってはもう最高齢者なんです。
この方はね、聞くと、奥さんは樽見教会自体からずっと信仰を持っておられて、
そして赤城に移られてからは一丸教会に来られた。
樽見教会自体から60年間、求道者生活を送ってきたという。
まあ年期があった、求道者なんですねと冗談言いましたけどね。
60年ですよ。私の信仰よりももっと早くから教会に行って、そしてよく聞いてきた。
なんで背抜けないんですかと言ったら、
いやあ、ちょっとね、私はね、一科学者としてということを仰ってましたけれども、
そういう背景があるんですけれどもね。
どうも人心上のそれがね、信じがたいんだわって、
受け止めにくいんだわっていうことをおっしゃった。
これね、私も正直言ってね、
全部が全部理解して、それでわかったから洗礼を受けますって決心したんじゃない。
私が洗礼を受けるときは、人心上のあることすら知らなかったんです。
やっと覚えたのが主の祈りぐらいだったんだ。
しかし私はいつもこの洗礼式をするときに思うことは、
その受ける必要のないお方があえて、
これは正しいんだから受け止めさせて欲しいと言って受けなさった。
私はその御心がどういうところなのか、十分わからないけれどもね。
けれどもイエス様はそれを受け止めて、
そしてバクテスマのヨハネから洗礼を受けなさったっていうこれを考えるとね、
イエス様ですらもう正しいことをするのに、
何の躊躇もいるか、バクテスマのヨハネさん、私もそこに預かりたいから、
私にも洗礼をさせて欲しいんだっていうことを平たく言うのはそういうことですよね。
それでこのイエス様はそこで洗礼を受けるという運びになっていったわけです。
改めてバクテスマのヨハネはそういうことを覚えて、
そして彼はイエス様に洗礼をさせてなさった。
私は洗礼準備会のときに必ず開くのが実はこの箇所なんです。
イエス様を信じますと言いながらも、
全部が全部分かって、そして洗礼を受けますっていうのではなかった。
ないんじゃなかろうか、自分も含めてなんですよ。
しかし今は全部を知ってそして信じて受けるわけではないけれども、
しかしイエス様ですらも正しいことだからとおっしゃって、
そして受けなさったというこれを考えると、
本当にイエス様を信じてきた私たちにとって、
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また本当にイエス様という方が素晴らしかったなと思うその方にとっては、
それはやっぱりイエス様も受けなさったこの正しいことと、
おっしゃったこの受けるということは、
私はこれはもう理屈抜きで受けた方がいいと思いますよと言って、
その方に申し上げたんです。
まあいろいろ供養曲折ありましたけれども、
忘れられないのは私が一丸教会を終わって、
そして引退する最後の日曜日、3月の31日がイスターで、
そしてそこでの私の最後の礼拝説教、
そしてそこで他に数人おられましたけれども宣伝式をしました。
私は村岡さんと言うんですけれども、あるいは古い方は知っているかもしれませんが、
この村岡のおじいちゃんがそこで宣伝を受けなさった。
60年の宮堂生活にピリオドを打たれて、
そして第一歩を始められた。
その段階にもう一つ話しますと、この村岡さんが進めた時に、
いやあ先生、私よりも息子の方が宣伝を受けた方がいいと思うんですわと。
この息子さんがまたこの両親を連れて、そして毎週礼拝に来るんですよ。
私はもう宣伝を受けたクリスチャンだと思っていたんです。
よくよく聞いたらまだ宣伝こそ受けていませんけれどもね、
両親を車に乗せて、そして西赤橋から連れて来られて。
そのことを聞いたのですから、どうですかと言ったら、はいわかりました。
じゃあ受けますと言って。
もうこんなに熟知取れた身はないと思うぐらいですね。
もう一言言っただけで、はいじゃあ受けますと言って、
スラッと宣伝を受けなさって。
今はひとまわり協会で、両親と奥さんと、そして4人で礼拝を守っていらっしゃいますけれども、
ただ奥さんの方が少しおばあちゃんですが、認知が入ってきているものですからね、
どの程度ご主人の宣伝をお願いながら来て、本当にこれを受け止められたかな、
その時はちょっと進んでおりましてね、
その宣伝式の行われる礼拝はお休みになったんですよ。
だから残念だったなと、今それが思われるんですけれども、
しかしこの100歳にちょっと手前、97か8かですけれどもね、
今はひとまわり協会においての最高齢者だと昨日おっしゃっていましたけれども、
私はその方にもね、ここを開いて、村岡さんね、宣伝を受けるっていうことは、
確かに村岡さんにとっては、人心情のね、あれが全部わかったら受けるっていう、
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それもわからんことではない。
だけどそれを待ってたらね、どっちが先はわからんけれども、
奥さんが言って、ああ、それでわかったって、ちょっと遅いから、
奥さんがね、少しはっきりしてる今の間に宣伝を受けたらいいですよ、
なんとなく情的に訴えたんですね。
そしたら、そのこともあるしね、こっちが先かもわからんしね、
まあ私は死ぬ直前に受けたらいいと思ってたけれども、
まあ今が直前かもわからないから、じゃあ受けましょうって言って、
その3月の31日インスタの礼拝の中でこの宣伝を受けなさった。
一つの決め手はね、イエス様がこれは正しいこととおっしゃった。
だったら、それを私が覆す、それは悪いことと言って反論する必要もないでしょう。
じゃあイエス様が正しいとおっしゃって、自分もそうなさったんだったら私も受けましょうって言って、
まあそういう信仰の告白と言いましょうかね、そういうことですけれども。
しかし私はね、やっぱり宣伝を受けなさるっていうことの中にはね、
やっぱり私のために何をしてくださったかっていうこのお方の、これは正しいんかな、
だから私もそうとおっしゃった、それを私は躊躇せずに宣伝を受けるっていうことは当然のことかなと今思うんですね。
そしてそれからイエス様はバプテスマのヨハネの足元にこのようにひざまずいて、
そしてあのヨルダンガレを持って宣伝を受けなさった。
そうした時に天が開かれたっていうのがここの情景ですよね。
聖画の一つにここがよく描かれております。
鳩のように精霊が下ってきている、そういう絵を見たりもいたしますけれども、
天が開かれた、どういう状況がそこに、いわゆる今まで曇っていたのか、
さーっと雲が去って、そうして輝くばかりのこの太陽の下でっていう、
それも想像できないことではないでしょう。
しかしそれの意味ではないんじゃないかな。
私は後で一つのことを思い出した。
それかなと思ったのは、私が信仰を持つ一つのきっかけと言いましょうかね。
そのきっかけは、行ってすぐにクリスマス、そして元旦の早朝礼拝っていうのが夜外で行われましてね。
で、そこでその時に、そこに住居におりましたかね。
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まあその当時の教会って高校生のバイブルクラスみたいなもんですから、
そこに大人の人が二人ほどおるくらいの。
で、その人たちと一緒に、私も何か何かわからない、
それまでやってたのは神棚に飾っておりました、そういうものを持って神社に持って行って、
そして焼いてもらって新しいお札か何かをもらってくるっていうのが私のそれまでの習慣でした。
それしないの寂しいなあなんて半分思いながらですね、わからないものですから、
それと言われてそうして行ったんです。
で、その時にね、だいたい教会っていうところは、ここでもそうかわかりませんが、
一人か二人代表してお祈りする。
今日のお祈りの人は長いなあと思いながら、早く終わらんかなあと思いながらですね、
そこに神戸を下げておったんです。
今日の人にしか早く終わらない。そんなことを勝手に思いながらね。
で、そんな私がね、その元旦の朝のそこでもって初めて口にしたんですよ、お祈りを。
遠くのそういうところですからね、
確か下柱が10センチくらいのところをサクサクこうして踏んで、
そしてちょっとした小高い丘なんですが、そこに上がっていって、
そしてそこで早朝の礼拝をする。
もう私にとっては何もかもみんな初めてです。
ところがその時のお祈り会は、
いつものその長い人と短い人とおりましたけれども、
見たらね、今までお祈りしたことのないような、
そういう人たちまでがそこでお祈りし始めた。
これちょっと順番が来たらこっちもお祈りせんとならんのかなと、
私は誘ってくれた彼に、
こうやってそれ書いて、どうなんだ、お祈りできるのか、するのか、書いて送った。
そしたら、
しなくちゃならんべ。東北弁ですから。
そうやって帰ってきたんですね。しなくちゃならん。
それから二人どっちが先にする。
もうそのやりとりばっかりです。
そしてやりとりしながらね、じゃじゃんけんしようと。
じゃんけんして、私が負けたんですよね。
そしたら私が彼の前にするっていう、その順番だった、そのはずが、
彼がね、やっちゃったんですね。
まあやっちゃったって一生懸命おかしいですけど、お祈りしたんですよ。
私はびっくりして、こうつつぎながら、
おれだんべ、って言ったんですけどね。
つじなくてね、それで彼はお祈りした。
それで続いて私が、初めてそこでお祈りしたんですね。
その、何をお祈りしたのか、全く記憶にないんですね。
ただやたらとむしゃぶるいですね。
寒さもありますけども、ガタガタガタガタ震えながらね、
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それでそこでもって、お祈りをした。
初めてお祈りしたんです。
私は、後にね、この時のことを会うことで思い出したんですね。
私は、なかなか理屈っぽい人間じゃないんですけども、
それでもなかなか信じがたいもんですから、
なんだかんだ言ってですね、信仰を持つっていうことに対して、
虚偽をしていたんですね。
ところが、そのお祈りをしてから後、私が聖書を開きますとね、
そういうことかって言って、少し聖書が分かり出した。
私は、その宣伝準備会の時に、私が持ってくる、
持ち出す一冊の新約聖書があるんです。
そして、また、会議の副委員長の、
例えば今日の3節は3節の割に3.4ってですね、
今日の日付を入れるんですね。
いろんなところに日付が入ったんです。
なんで日付を入れたかって言うとね、
時々しか読まないんです。
たまにしか読まないもんですからね。
今、どこまで読んでたのかなっていう、
印をつけとかないと、いつまで経っても、
又やによる福音書の一章の1節からずっと始まるわけですからね。
それで日付を付けたんです。
それなんですよ。
それで、その人にね、
この頃はね、日付を読んで、付けて読むような、
もう聖書ってわからんと思って私は、
そうしてですから、あるところから日付が入ってこないんですよ。
そんな聖書の読み方しかなかった私がね、
このローマみたいな手紙、
やっぱりそれでも読んできたんですね。
それでローマみたいな手紙が入ったら、
ふっと1つの光が入ってきたんでしょうか。
自分の罪っていうのがわかりだしたんです。
罪っていうのがわかりだしたときに、
ローマみたいな手紙っていうのは非常に、
単刀直入のように、
自分の姿をそこにずっと現してきますよ。
中でもあのローマみたいな手紙の7章に入りますとね、
したくない罪を自分は犯してしまった。
なんと自分は弱いんだろう。
正しいんだから率先してやったらいいのに、
なんかそれをする勇気もないっていう、
きらたくいうならそういう意味合いの7章には、
パウロの非常に深刻な告白がずっと続いていますよ。
私はそこも含めてですね、
そのローマみたいな手紙がわかりだしたんですよ。
じゃあローマみたいな手紙からいつもメッセージを
その後したかっていうと、
メッセージは別ですよね。
なかなかローマみたいな手紙からメッセージをするってことは難しいんです。
私はあんまりしたことはないんですけども、
しかし私には分かった。
その時のことを今も思い起こすんですが、
なんで急に聖書の言葉が理解できるようになったんだろうか。
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本当に自分の罪が分かり、
罪の許しのためにイエス様が何をしてくださったのか。
そういう一連の出来事がスッと私の中にですね、
ご紹介できるようになったんです。
それまでどうやったってなかなか前進めなかったこの聖書の朗読がですね、
聖書読みが。
そういう風にして分かりだした。
で、この天が開かれたっていうこの言葉ですがね、
ある意味で私にとっても本当にお祈りをした時に、
天が開かれてね、
そして聖書がなかなか分からなかった、
信じ難いと思っていたことが、
スッとこう受け止められるようになったっていうのは、
こういうことなのかな。
もちろんイエス様の時の光景と、
私のそういう内的なそれとは違いますけどね。
しかし、
天が開かれて、そして聖霊が下って、
そして改めて父なる神から、
私の愛しい我が子だっていうお言葉がそこに向けられたっていう、
この流れを読みますとね、
私個人にとっても、やっぱり
神様が分かりだしたってことはね、
そこには聖霊が、
私の理解力をね、助けてくださって、
そして理解力だけではない、
信じる心も与えくださって、
そしてその一つ一つを受け止めることができるように、
聖霊がしてくださった。
だから私は、こういうイエス様のような光景はないんですけども、
私の内的な経験においてはね、
ある意味において、分からないこんな人間がね、
本当にイエス様って言って、
どういうお祈りをしたのか、
覚えたのもむしゃぶりだけだったっていうような、
そんな粗末なお祈りでしたけど、
しかし、私はその時ね、
天が開かれたっていうこともそうですが、
私の心が開かれてね、
そして聖霊がそこに私の内に働いてくださって、
聖書の一つ一つが信じられるようになった。
私は当時のことをこう振り返りますとね、
ここの、それが正しい聖書解釈ではないか分かりませんけども、
私にとってのこの箇所は、
私にとってもやっぱり、
聖霊が私の心を開いて、
そして御言葉の一つ一つを教え、示し、
そしてイエス様を信じようっていう、
それがそこに働いたのではないか。
中学生時代だったでしょうか、
30:01
中学生会、
中学生会にゲシュワインっていう先生がおいでになって、
それでこのお世話なさった、
その時のメッセージがここだったんですね。
その時の先生のメッセージは、
やはり今の時代に必要なのは、
こういう点も開かれた教育者である牧師であり、
神徒だっていうことをこうおっしゃったんです。
私は本当にその時、また新しくこのお言葉が心に残ったんですね。
牧師にとってね、やはり点が開かれて、
そして主との交わりを本当にこう深め、
そしてさらにはイエス様がそうであったように、
精霊がそこに下ったっていう、
それこそイエス様は洗礼を受けるために、
ヨルダン川の川底に降りていって、
そしてそこでなんと、
アプテツバのヨハネの足元に跪いて、
そしてこの洗礼を受けなさったっていうその光景、
イエス様はこの場面でも最も低いところにまでも自分を置いて、
そしてなんとアプテツバのヨハネから洗礼を受けなさったということを考えると、
私たちもまた必要なことはね、
本当に精霊の取り扱いの中でもって、
もう砕かれて、減り下されて、
そして私たちがその洗礼を受ける、
そういう器こそがね、今の時代に必要な牧師であり神道ではないかっていう、
このゲシラニ先生のメッセージを今思い起こします。
私たち一人一人のお互いのために、
主がこのような模範を私たちに成し遂がさった。
で、あるならば私たちも、
もう一度改めて死ぬ前に、自分自身をそこで本当にこう明け渡し、
そして精霊によって私たちが今ここから新たにされる。
イエス様への言葉は、ここに父なる神様からのメッセージがそこにありますかね。
これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ。
父なる神も、イエス様がバプテスマの横の足元に出して、そして洗礼を受けなさったということを、
もう一度父なる神はね、私もこれを喜ぶ。
私たちが洗礼を受けるということは、単なる儀式じゃないんですよ。
主の御前に生きようとする私たちにとって、これが大切なポイント。
洗礼を受けたらば、その先ほどのおじいちゃんはね、
まあ、カナエが喜ぶんだったらんじゃ、ということを言いました。
まあ、それもいいかもわかりませんけどね。
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誰よりも、私がこれを喜ぶとおっしゃる父なる神様の喜びを、
私たちがイエス様を信じますという告白の中に、このことがそこに伴っているんだ。
誰よりも父なる神が、私たち一人一人のそのことを一番喜びとしてくださっているということを思いますとね、
本当に今朝私たちは、今ご一緒に清算を受けますけれども、
清算を受ける中においてもね、この清算を通して、
清算を受けることもできるようにしなさった父なる神様に感謝しながら、
この子同士が喜んでくださっているんだなということを受け止めてね、
そして私たちは、新たに政令によって一歩を進めていきたいとお願いされております。
お祈りいたします。