1. 名谷教会 podcast
  2. 2021/01/17:主の祈りに見る清..
2021-01-17 55:36

2021/01/17:主の祈りに見る清き歩み

2021/01/17 新年聖会

斎藤亘師

マタイの福音書 6:9-13


00:02
本日は、主の祈りに見る清き歩みというテーマで、斉藤渡先生からメッセージをいただきます。
おはようございます。
おはようございます。
これ、とってもよろしいんですかね。
今日は、その、いただいた答弁の、それを忘れちゃいました。玄関に置いてあったんですけどね。玄関に置いても持ってこなかった。何者なんだよ。
ですからちょっと、三上さんにも、一列下がった方が、より安全じゃないでしょうか。そんな説明をいたしました。
昨年は祈られましたようにね、本当にこう、コロナに始まり、コロナで終わるって言うんだったらいいんですけども、なお深刻な時を、今迎えておるわけです。
ですから私は、お風呂に入って、その時に、いつも思うんですが、主の祈りを捧げるんですね。
ああ今日一日守られた、と思って捧げる。ただそういう中にもね、さあどうなんだろうか。
二週間前に逆らわないと、さあ明日は大丈夫かなという、それがありますから。
二週間前、何をしていただろうかということで、ちょっと日記帳を見ますとね、これはどこにも出ていないから、大丈夫じゃないかなということで、一安心したり。
時には、いや出かけたけども大丈夫だったかなというような、そういう心配があったりして、大変心を騒がせられた、この昨年でありますし、また今年もそのような中にあります。
そういう中で私は、お風呂につかりながらね、大変不敬犬なあれですけれども、そこで主の祈りをお祈り、そして改めてこの主の祈りの一つ一つを噛み締めるわけです。
ですから私は、そういう中で何か心にですね、主の祈りというのが非常に残りましてね、それが今回思いもしないような、新年正解での御用をするようにということをいただきました。
改めてお祈りをしておりましたときに、再びこの主の祈りというのが私の心の中に伴ってまいりました。
あるいはこれが私に与えられただけじゃなくて、この正解のためにあらかじめ、安様がこの主の祈りをお示しになってね、同じ思いでこの主の祈りを捧げるようにということで開くように。
03:17
私はそんな思いで、今朝改めて、今回はまたやによる福音書の六章からの主の祈りを、そこにもう一度求めていきたいというふうに願っております。
ご承知のようにこの主の祈りは、前半と後半というふうに、まあ分ければそういうふうに分けられるんですね。
前半はこの九節十節を通して、神様の側への祈り、そしてその後は私たちへのための祈り、天上におられる方への祈りであり、
そしてこの十一節からは、私たちに関わる祈りとして、イエス様がこの祈りを捧げなさいと言って教えてくださった。
ここで思いますことは、これは私自身の一つの証でもありますが、天にいます私たちの父という出だしですね。
私は天にいます神という、そういう思いは全くありませんでした。
やはり一般家庭のものですから、年末になりますと神社やお寺に行くわけですね。
特に私は、近所の悪童というんでしょうかね。まだその頃小学生、中学生になりかけたかな。
家にあるお札とかいうそういったものをみんな父親が私に託して、じゃあこれ持っていけって言って、それを持っていって、その神社でもって燃やしている。
キャンプファイヤーみたいにして燃やしているわけですね。そこでこの入れて、燃え尽きるのを見て、そして改めてこのお札をもらって帰ってきて、それを父親が元旦ですから、神棚に祀る。
そういう習慣でした。ですから私の神というご存在というのは、燃やしてしまったらもう終わりだし、そしてまた新しく来るけれども、これとともにまた1年経ったらみんな燃やしてしまう。
そういう神、燃やせばそれでその1年終わりという、非常に単純な私の思いですけれども、そんなんでした。
06:05
ところが教会に行って、天にいます父なる神様という、それをみなさんがお祈りしている、天にいらっしゃる、どこだと、単純な人間ですからそういうふうに思いまして、けどどこにもいないじゃないかという、そんな感じですよ。
しかし、そういう私の粗末な、霊的な、大変乏しい神理解でしかないようなものの中に、天にいらっしゃる神様という、そのことがこう聖書を通して教えられ、また今のこの主のお祈りの中においても冒頭にですね、私たちもお祈りできるその方は天にいらっしゃるんだ。
1年間で終わり。燃やして終わり。また新しくプリントされたそのお札でもって、またこの1年が始まるというような、そんなちっぽけな、あるいはそんな、私はいい加減になって思ったんですけれども、そんな思いでしたよね。
しかし聖書で、イエス様が天にいます神。私はそれまでは、神様のご存在がね、そういうご存在として、この認識というのはありませんでした。
先日もテレビでもって、宇宙にありますダークホースじゃなくて、真っ暗なブラックホール。
それをね、こうやっておりましてね、そしたらその新しいブラックホール、新しいというか、とにかくそれまで見えなかった新たなブラックホールがそこに見つかった。
それを見てもですね、どこにブラックホールがあるんだろうかな、周りがちょっと明るいだけで、そしてその奥の方に何かあるらしいということぐらいしか理解がない私には、それしかないんですね。
けれどもそのブラックホールを見つけたということが、非常に科学者たちにとっては大きな問題、課題。
実はそれがね、いくつもあるっていうんですね。
点という中に、私たちが知っているのは、まあ400このキロ、500キロぐらいでしょうかの、今人工衛星がずっと動いております。
そしてそこから発信して、私たちは自動車でね、今ナビとか何か使っておりますけれども。
この大宇宙を覗くから言うならば、ほんのわずかしか行ってない先。
09:01
月まで到達したと言っても、それはもう宇宙の中において太陽系の中において、ほんのわずか、数ミリと言ってもいいぐらいの距離でしかないわけなんですね。
けれどもしかし、私たち人間にとっては未知の世界でありますし、そしてそれはもう果てしなく、私たちの人賃の中においてもっと行こうということで、今度は中国が月の裏側にまでですね、それを発信して、そしてやっていらっしゃるということでありますけれども。
私たちが見ているのは、ほんの小さな狭い範囲。
けれども、天にいらっしゃるこの方はね、新たに発見したブラックホールがどうのこうのじゃない。
それはもう全部を包括なさって、お作りなさった方なんだなと。
ですから私はそのテレビを見ながらね、一体神様がお作りなさったというのは、どこからどこまでなんだろうかと。
どうしてもそういう物理的に考えてしまいますから、そんなふうに思っちゃうんですけどね。
しかし、そんなちっぽけな知恵の中でも理解できるような範囲ではない。
それこそ私たちの日常の言葉で使うならば、無限という中において、神様はそのほんの少しのことを私たちに明かしされている。
そういうお方を私たちはね、
イエス様が教えてくださったその冒頭において、その天にいらっしゃる方、そういう神ということをここで教えてくださっている。
なんと雄大な、そしてまた未知の世界ではあるけれどもしかしながら、なんと細かな素晴らしい方を私はそこに見出しただろうかと、この思うんですね。
ですから私の生活の中において、教会に行くようになって、そして、
父なる神、天にいらっしゃる父なる神。
天というんですから、随分と果てしなく、それは無限ですけれども、しかしその方が私たちの日常用語で使えるような、
父なる神として、私たちのうちにそのご存在をお示しくださった。
そういう方を今私たちはね、天にいらっしゃる父なる神様といって、
イエス様が教えてくださったその祈りを祈ることができるというこの幸せ幸いということをこう思うんですね。
私は教会に行っても、皆さんがお祈りをしているその祈りを聞くだけで、
長い祈りだなあと思ったり、短くてほっとしたり、その程度の祈りに対しての理解でしかなかった。
12:05
ところがあるときに、祈りましょうと言われてですね、その時は順番ですから、とうとう私にまで回ってきて、そして、
初めてお祈りをしましたけれども、いまだに何を祈ったかわかりません。
ただ、後日になってわかった一つのことはね、その時に私も初めてイエス様といって、自分の言葉でお祈りをしたんです。
申し上げて何を祈ったかわかりません。
けれども、後になってわかってきたことは、その時にイエス様といって、この天にいらっしゃるこの方に、親しく父なる神としてお呼びすることができるような関係において、祈れた。
と同時に、これはだいぶ経ってからの私の実感なんです。証なんですけれどもね。
あの時何を祈ったかわからないような祈りをしたんですけれども、その祈りを通してね、父なる神様との線が、パイプが、イエス様によって開かれた。
ああでもない、こうでもないと言っていた、そんな私ですけれども、そこからですね、イエス様が、そしてまた聖書の言葉が素直に私の心の中に入ってきた。
入ってきたという表現が、この皆さん理解できるかどうかわかりませんが、それなりに私の中でもってですね、理解しまた信じれるようになった。
もしあの時にお祈りを、いや私は嫌だって言って、してなかったらどうなんだろうかなと。
あるいはイエス様を信ずるということにまでも行かない。聖書の言葉はもう途中で放棄して、そして教会に行くこともやめたかもわからない。
けど訳のわからないようなお祈りをですね、恥をかくような思いでもって、みんなの中でお祈りをした、その時から、神様が私の心を備え、私の中にイエスキリストを信ずる、そういう思いをお与えくださった。
私はまさにですね、ローマ人の手紙の発祥に書いてありますように、その時の心境はどう祈ったらいいのかわからないんですよ。
みんなが上手にお祈りをしていると、ああそうだな、ああいうお祈りをしないといかんのかなと、そんな風に思うことがあっても、しかしそれが私の祈りとして祈れるものではないわけです。
けども、神様はね、私たちがどう祈っていいのかわからないような、そんな霊的に乏しいような人間であったとしても、私たちが祈れるように祈るということにおいて、
15:02
神様のみたが、聖霊が私の内に与えてくださって、そして祈ることを教え、そしてその祈ることを通して、ほんのわずかですけれども、イエス様、では信じていきましょう、大丈夫でしょうか、というようなですね、私の内なるそれは、そんなこの戸惑いの中でもってスタートしたんですよ。
だから私はね、自分のこれまで歩んでまいりました60年余りの信仰生活の中で、あの時の祈りというのを非常に心に留めるんです。
あの時に、それこそお祈りをしたということが、私の知らない世界ですけれどもね、聖霊が与えてくださってね、そして祈りへと導いてくださって、そして私はそれだけではない、イエス様を信ずるそういうものが、私の中にこの与えられてきた。
ですから私は、この主の祈りの冒頭の、天にいます私たちの父よ、というその言葉、非常にこう力強さと言いましょうかね、親しみと同時に、こういうお方を父としてね、イエス様が教えてくださっているということに、非常に深い感銘を覚えております。
そして第二番目のことは、ここに皆があがめられますようにという言葉が、そこに続くんですね。
この祈りも、私にはわかりませんでした。
皆があがめられますように。
教会に行ったときは、こういう一緒に主の祈りのそれを見ながら捧げますから、それがわかるんですけれども、私の耳にはですね、皆というふうに聞こえたんですね、最初は。
だけど皆があがめられるってどういうことなんだろうかなというね、そんな思いで。
けれども、主の祈りの一文がわかってきたときに、神様の皆があがめられますように。
私はここに祈りの目的と言いましょうか、祈りの大切さというのを、ここにイエス様が教えてくださっている。
祈りの動機、それは皆があがめられる。
神様に栄光をきつくことができる。
そういうこの祈りとして、イエス様はここで持って教えていらっしゃる。
イエス様のお話の中に、これはルカニオの福音書の方ですが、二人の人が神殿でお祈りをしているというその様子、皆さん方もよく知っていらっしゃると思います。
18:11
一人は、非常に熱心なパリサイ派のそういう人です。
もう一人は、パリサイ派の人にとっては、同席しているだけでも何か自分が汚れるのではないかと、それぐらい差別し、そして彼らを汚しとった主税人ですね。
この二人があるとき、主税人から言うと、どっちもそうか分かりませんが、何と罰の悪いときに来ちゃったんだろうかなという。
よりによって、他にまた主税人がおればいいですけれども、何とそこに私たちは大変嫌っているパリサイ派の熱心ではあるけれども、
そういう彼らの存在を見ると、いつも劣等感を感じるような、そういうパリサイ派の人がそこでお祈りをしている。
もう聞き惚れるようなお祈り。彼らの祈りはやっぱりそういう裏付けがあってお祈りがなされているんだ。
そして祈りを聞いてきますとね、神様は、私はこの近くにおりますけれども、あのような人間でないことをまず感謝します、主税人を指してね。
それが証拠に私は断食をし、そして与えられた中からきちっと神様に献金をしています。本当にありがとうございます。
よって彼はですね、自らやっているその祈りの中において、誇りをもって自分の祈りをそこで捧げている。
そういう祈りを、イエス様はお喜びなさったか。そうではないんですね。
もうその居場所を失ってしまったかのような主税人は、もう穴があったら入りたいというようなそんな心境でもって、もう本当に小さく小さく小さくなって、そしてやっと出たお祈りは、
罪人の私をお許しくださいという、それだけだった。私はあのパリ災人のようには捧げておりませんけれども、それでも少しは捧げておりますとかね。
二度断食しなさいと言うけれども、私はまあ一回程度でしかできないんですという、比べればそういう祈りが彼の祈りかわかりません。
けれども彼はそれすらもできなかったと言ってもいいですよ。そして彼はただ一言、この罪人の私をお許しくださいという祈りだった。
21:08
私はこのイエス様のお話を改めて読んだときにですね、実は沢村五郎という、当時私どもが進学生として学んでおりましたときの校長としておられた、その沢村校長が、やがて私たちは神様の前に立つ。
そしてその立たされたときに、私がそこで、もし祈ることができたとするならば、私はこの祈りだと思う。罪人の私を許しください。
祈りですから、それから私の心の中に残っております。あれもしたこれもした、私は牧師としてこれまでやってまいりましたというような、そんなのもどこにも祈れない。
ただ、この主税人と同じようにね、神様の前に立たされた自分はどうぞ、罪人の私をお許しくださいという、その祈りでしかないということに、本当だなあ、それは今もそう思いますよ。
パリサイウィットは自分の実績を誇りとしてそれを祈りました。しかし主税人はそうではない。しかしイエス様が私たちに求めていらっしゃるところの祈りは、この主税人の祈り。
天に祈る父なる神様と祈りながら、あれもしましたこれもした、私は何年信仰生活を歩んでまいりましたというような、もうそんなことはお首にも出せない、出せる資格もない。ただ祈れたことは、罪人の私をお許しくださいというこの一番。
それが全てであるということを、この沢村先生はご自分の証の中でもっておっしゃったことが非常に私の中に残り、そしてまたイエス様も父なる神様が喜んでその祈りを聞きなさった祈りは、あれもしましたこれもしましたというような、誇らしげに祈ったパリサイウィットの祈りではなくして、
その一言しか祈れなかった主税人の祈りこそ、神はそれを厭された。神はその祈りを一番の喜びとしてお受けなさった。それが皆が崇められるということではないでしょうかね。
24:07
私たちがいよいよ行いをすることを通して、いよいよ証になりますから、それも皆が崇められるところの一つの要因となるでしょうけれども、しかし一番神様が求め、また私たちを通して栄光を表しなさるというのは、本当に罪人の自分というものをそこで見出し、それを正直にありのままに祈る。
それこそが神が私たちに求めていらっしゃるところの祈りだ。
ですから、最初の求説の祈りの次に、御国が来ますように、御心が天に行われるように、地でも行われますように。
私たちは、イエス様のお祈りの中において、私たちにこう祈りなさいという祈りの一文に御国が来ますように。
栄光を持ちなさったそのお方の国が、それこそ一日も早く成就されますように。御国が来ますように。イエス様の再臨ということも、そこにお教えくださっているわけですね。
私はですから、私たちの祈りは、その動機において、目的において、神様の栄光が現れますように、それと合わせて、私たちはその祈りの中において、どうぞ、あなたの御国が一日も早くここに成就されますように。そう祈りなさい。
私は、健全な再臨信仰という、そこには、こういうね、主の御心を求める祈り、あるいは供給を求める生き方というのが、そこに織りなされている。
イエス様がおいでくださる、そういう信仰には、イエス様が今日おいでなさっても、私たちは主よ、あなたの御国がこうして成就されました、と言って、イエス様の再臨を喜んでこのお迎えできる、そういう清き者としてね、私たちはそこに喜び、また、
27:16
その御国を求めていく、そういうものでありたいということ。ですから、再臨信仰という、イエス様がもう一度私たちの家においでくださいというその祈りの中にね、この祈りは何と貴重な大切な祈りとして教えてくださっているか。
病に降る時、そこに人間的なそういう肉体的な限界を感じて、そして、私の生涯はこれで終わるかな、と。
しかし、確率として高いでしょう。九十何パーセントというんですから。だけど、どこでどういうことが起こるかわからない。最初にそうですね、限界としては、百倍さん大丈夫ですよ、と言う。
それ、いないんですって。それ聞いたらね、大丈夫かなとふと思いました。自分の心臓をお任せするわけですから。で、私の記憶の中にもう一人、私よりもだいぶ前に心臓のバイパス手術を受けなさった方がですね、その時はね、心臓を取り出してね、それでこうやって。
ここでまた体内に入れて、体温でもっとあったかくなって、ドキッと言ったら成功。言わなかったら、それで終わりなんだ。そういう説明を受けたというのでね、それがそういう時に限って思い出すわけですよ。
そうした時に、その人はね、いや、そういうところからね、今はね、心臓を動かしながらやるから、多分大丈夫ですよ、と。多分ですか、と聞き返しまして。ですから、お医者さんはね、受けなさった方がいいよ、ということを言うわけですよ。
まあ、私の家内や子どもたちもみんな、だから手術を受けるべきだ、と。家内にとっては私も他人事ですよ。親子であっても夫婦であってもね、やっぱりそういうところへ行くと、なんか冷たく走られるような感じがいたしましてね。
で、先生に受けた方がいいですよ、ということは。受けなくてもいいですよ、ということでしょうか、言ったら。受けなさいとは言えないんですよ。あとは本人の意思です、と言われてね。そして周りから受けるべきだ、と言われて、そして受けた。
30:01
で、もし何か起こったらどうなんだろうかというのは、やっぱりちょっと不安の材料の一つとして残りますよ。私の親しくしております牧師の一人から、斉藤さんなあ、余裕言を書いておいた方がいいって。それから私はザルフにですね、ずっと自分の余裕言を書いたんですね。
パスワードを入れないとね、開けないんですから、書いても意味がないわけです。パスワードを知っているのは私しかおりませんからね。後で考えたらそういうことだなと思ったんですが、それでも一応書いたんですよ。式次第もずっと書いてね。誰が詩式をする、どういう歌を歌う、どういう賛美歌を歌うとか、なんかそういうことを書いて、そしてザルフの中に今でも入っているんですよ。入れてあるんですね。
で、そういうこともしましたけれどもね。何かがあって、もし私が召されることがあったらどうなんだろうか。その時に合わせ思ったことは、やっぱり主の祈りなんですよ。
御国が来ますようにということは、神様の前に自分が本当に立つことができるようにという、そういう祈りでもあるわけですから。ですからどうぞ、この私が、どんなことがあっても、あなたの前に最終的には立つことができるように私をどうぞお守りください。
そして、御心が天に行われるように地でも行われますように。
主の祈りに関わる一つのエピソードですけれども、笹尾哲三郎というね、私にとっても歴史上の人のような、そういう存在ですよ。
昔、昭和政界が行われて、申し上げた沢村吾朗とか、小島一介とか、そういう先生方の説教を聞くと、この笹尾先生のこの証がよくそこにありましてね、教えられました。
先生は若い時代に、将来日本に新たな事業を起こそうとして、実用化を目指して飛べなさった。
その飛べなさった、そのホームステーしました、そこの方はクリシャンの方で、そしてこのご夫人は、私はいつか日本にね、伝道に行きたいという、そういう思いを持っていらっしゃった。
そこへ日本から一人の青年が来るということで、ホームステーとしてそれを受け止めなさった。
33:05
そして彼女は当然のように、青年笹尾哲三郎というこの人を教会にお誘いして、そして笹尾先生も全く知らない世界ですから、そこで教会に行った。
やがてイエス様は死にました。
そのイエス様を信じたこの笹尾先生の中にね、この主の祈りのこの一文があると非常に働いて、自分の心の中に留まった。
身心が天に行われるように、そしてその次の地でも行われますように。
身心が天で行われますようにと素直にお祈りできた。
ところが先生の心の中に一つの光が入ってきて、地でも行われますようにという。
この祈りを捧げようとしたら、祈りが詰まってしまった。
先生にとってこの地っていうのはね、この地上のすべてに神様の栄光が現される、そういう身心がなされるようにという、そういう捉え方でもいいわけですよ。
ところがその時の青年笹尾哲三郎の心の中には、それはお前だ、その地こそお前だ。
天に神様の身心が行われるように、笹尾哲三郎の地に神様の身心が行われますように。
そこから先生は主の祈りができなくなってしまった。
そこまでは祈り。
けれどもこの箇所から、もし神様がね、わかりましがって、笹尾哲三郎よ、私の身心が、私の心が、お前になされるようにとなったらどうなんだろうか。
アメリカに渡ってきてクリシャになっただけでも、大変な騒ぎがこの日本においては、時代の中においては、親族一両の中においては行われている。
もう本当に教会に行ってクリシャになっただけでも帰りそうもないのに。
ところがこの一部はそれだけじゃないし。
そこで神様に全てを捧げするというのが、地でも行われますように。
笹尾哲三郎の全部を神様にお任せする。
これはそういう意味なんです。
ですから私たちは地でも行われますように。
広い範囲においてはこの地上に早くコロナが治まって、そしてオリンピックもできて、何もできて、もう本当に国と国の争いも終わって、そして平和が来ますように。
36:09
そういう祈りとして祈りたいですよ。
けれどもそれ以上のこの地というもののメッセージは、神様の身心がこの私の地になされるように。
私はそのことをこの教えられたときにですね。
その祈り、そういう応答をもってそして神様の前に祈ることがどんなに大切か。
どうぞ主の祈りの中において。
そういう思いで神様の身心の前に自分自身を本当にこの明らかにし、そしてお依頼し。
どんなことであっても主よ、あなたの身心が私の地になされますようにというお祈りをしたいですよね。
もうこれで時間が来ちゃうんですけれども。
その後、11節から、これは最初に申し上げたように、今までのそこは神様に関する関わる祈り。
そして11節からは今度は、私たちに関わる祈りとしてイエス様がこういう祈りを教えてくださっている。
私は私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
本当に何と神様は私たちに対してのお問ばかりくださっている哀れみの方か。
神様に栄光がありますように。
そして言うならそれと並行するようにしてね。
並行するようにして私たちの日ごとの糧をといって、その祈りをそこでもって教えてくださっている。
玄関にどんなところがあります。
これは日常の生活の問題ですよね。
この祈りの中において自分にかかるような、それはもう遠慮した方がいいんじゃないか。
今までの前半のことを思うと、そこで自分の日常の生活、それこそ日ごとのパン。
終了どうぞ、明日は何とか食べるものをといってお祈りをする。
けれどもそれでいいんだ。
言うならば並列の中でね、神様に栄光がなされるということと並列の中でもっとイエス様は
私たちの毎日の生活のためにこの糧をお与えくださるようにと祈りなさいとおっしゃっているんですね。
39:11
私はもう10年になりますが、大阪の大阪城ホールでもって
フランクリン・グラウン先生を迎えしてのフェスティバルが行われました。
あるいは皆さん方もそこに行かれたかと思います。
私はその前にはプサンにおいてのフランクリン先生を迎えてのそこに、
その時はユン先生は向こうにおられて、それで私たちは案内してくださったんですけれども、参りましてね。
フランクリン先生とはその前にオーストラリアのパースというところでもって
それがあるからということで、日本から何人かの人と一緒に参りましてね。
それまではクルセイドという名前で、お父さんのビリ・グラウンという方は同じようにこの大阪でもありました、東京の高楽園でもありました。
ところがやっぱり時代ですよね。やっぱりクルセイドとなるとですね、やっぱりそういうかかる被害を受けなさったね。
十字軍でもってもう偉い目にあったそういう国がありますから、もうクルセイドということをやめて、フェスティバルって。
ああ、なるほどなあ、今の時代において一つの知恵だなと思いましたよ。
日本においてもフランクリン、グルハム、フェスティバルということでやりました。
で、そこでもってね、このフランクリンという先生は若い時代にも苦労なさった。
ビリ・グラウンの後継者として後を継ぐということでみんな職棒されていました。
それがプレッシャーだったんでしょうね。とんでもない道行っちゃった。
ご自分の本の中にも、それでお会いした時にもご自分の証として聞かせてくれましたけれどもね、
あの時は自分も私もね、いわゆる薬に走った。
そういう薬に自分の弱さを持っていったことがあります。
正直にね、おっしゃってもらえた。
えーと、だから私は、彼も悩んだんでしょうけれどもね、
けれどもビリ・グラウン先生も悩んだんではないだろうか、その家族もそうじゃないか。
もう世界であるそういう長たる著名な説教家でね、そういう方ですから。
そのビリ・グラウンはね、大勢の人に語っても自分の息子を見続けないじゃないかという、
非難されたらもうその通りですよね。
ですから先生自身もそういうふうに悩んだことでしょう。
で、そういう中からフランクリン先生は、
あの時、ボッピアスというこの方、私は新学生の頃に大阪のフェスティバルホールでね、
大きなクルセイドがあった。その時はまたクルセイド。
で、この先生はそういう働きと一緒に、ワールドビジョンというね、そういう働きもなさって、
42:01
それでフランクリン先生をしばらく預かってね、その働きに加えて、
そして世界の各地の貧しいところに一緒に行ってね、その救援の働きをした。
そういうことが自分の中にありましたから。
で、フランクリン先生はね、そういう霊的な働きと同時にね、
ここで言っている日ごとの糧。
いうのがここでは私たちの日ごとの糧。
フランクリン先生は私たちの日ごとの糧。
特別な、あるいは特定の人にだけそれが向くんじゃなくてね、
福音を伝えるということの中には、イエス様は私たちの日ごとの糧のための、
そういう祈りをそこで捧げるように。
サマリタンパースという、そういう働きをこのお越しなさって。
最近テレビのコマーシャルでも、サマリタンパースの募金活動のそれが、
日本でもこういう紹介があるんだなと思って、見ましたけどもね、
ワールドビジョンとかそういうのをやっておりますが。
私は改めてそのサマリタンパースの働きを、
それは東日本震災のそのことが起こりました。
2010年ですか。
そのときにそのビルグラム電動団の方から大阪でフェスティバルをやって、
そういう私たちに一つの呼びかけがあった。
それは東日本の人たちのために救援物資を送るから、
日本の協会としてあなた方がまとめてくれっていう、そういう要請だった。
ところがスケールが違うんですよ。
言ってきたことはね、自販も一気に積んで日本に送る。
それが花であるのか、あるいはもう仙台はだめでしたから送るっていう、
そういうことを聞いて、日本の協会でそれを受け止めることができるかっていうところからですよね。
できましたのは厚木飛行場にそのジャムが渡ってきて、
そしてそこからね、米軍の働きでもと協力でもって仙台を中心に
やがて救援物資が送られていったわけですよ。
私はね、サマリタンパースっていうこの働きを改めてそこで思って、
こういう大きな働きをするんだな、しかも起きて1ヶ月ぐらいでそういうことが進んで、
こっちはもう週1回集まって2時間行けないってどうのこうのじゃないんですよね。
もう毎日でも集まってどうするか対応しないとならないんじゃないかと思うぐらいのそういう救援ですから、
45:05
もう1日も早くっていうのがフランクリンあるいはビリグラム電動団の気持ちなんですよが、
それに対応しきれなかったんですね。
しかし見てますとね、そういう救援物資だけではない、
いろんな人材を長期にわたって仙台を中心にそこに派遣してそういう働きをしている。
ですから霊的な働きと同時に、彼はそういう物質的な面においてもね、
それこそ私たちの日ごとの糧をお与えください。
まさにその祈りを、そのビリグラム電動団として身をもって私たちの前にこの証されたなぁと、今も深く思いますよ。
しかも長期にわたってです。
私たちの日ごとの糧を、特別にそういう特定の人ではない、
ここにありますように全ての人ですよね。
今私たちは世界中がコロナ問題でもって大変な時を迎えております。
大勢の人たちが亡くなり、そういった痛みを、お互い新聞をあるいはテレビを見るたんびにですね、
私あの阪神淡路のあの時もそうでしたね。
私の親しくしておりました方の息子さんが亡くなられたり、あるいは西部教会のね、あの広瀬さんのご親が亡くなられたりということで、
知っている方も何人か、あの子供さんたちを含めて亡くなりました。
最初の揺れは、そんなにまで大阪におります私には感じませんでしたけどもね。
けども次々とテレビで報道されるその中でもって、ここに火があった。
そしてそれが収まる間もなく、こんなまた別なところにこの火災が起きている。
そういう中でもって、見放されたかのように亡くなった方も大勢いらっしゃるんですね。
そこにおるのに助けられない。
そういう痛みを特にこの阪神淡路の時の皆さん方もここでそういう経験をなさったと思います。
その後今度は東日本においてのそういうことでしょう。
その後天災とも言われておりますし、そこには半分以上に人災的な、それもあるだろうと言われますが、そういうことが次々と起きてきている。
ですから私は改めてね、私たちの日ごとの糧っていう、この祈りの大切さを思わされますよ。
48:05
本当にこの祈りを私たちにいられてくださったイエス様は、私の今日の糧のためだけであり、私たちの日ごとの糧のために祈りなさい。
そしてその次にね、その次に私たちのお夢をお許しください。
本田先生がね、地方協会で勃開をなさっていたところにいろいろな人がやってくる。
先生がね、個人電動のひとつの大切なことをあなた方に教えるとおっしゃったことがね、来たらね、そこで一生懸命説教するんじゃなくて、
あなた今、何か食べ物欲しいか。言われなくてもそこでもって準備しておいてね、まあこれ食べなさいよ。一緒に食べながら、それから個人電動をなさった。
まず食べさせることだっていうことを、あの先生がおっしゃっていたことを思い出しますよ。
確かに教会の姿を見てもらいますとね、よく教会は集まっては食べ。
そしてイエス様の時もそうですけれども、そういうことがそこに並行して記されています。
イエス様はまず食べること。そしてその次に私たちの罪に関すること柄をそこでお祈りしなさいとおっしゃっている。
私はここにもね、本当に私たちに対する御恩を分かりなさるイエス様の姿、その思いをそこで感じます。
と同時に、その次には私たちを試みに合わせないでください。
最初に死の祈りを自分に使いにならないと申し上げましたけれども、イエス様を守られてですね、そして今日一日守られた。
そしてそこでもって、改めてこの言葉ですね。
こんな人間ですからね、本当にもうあの人が苦労しているその苦労が、もし自分にかかってきたらどうなんだろうか。
私だったらもう駄目になっちゃうんじゃないかなという、そういう弱い人間ですからね。
ですから改めてイエス様はね、どうぞ私を試みに合わせないでください。
もうここで見られたら私はもうどうなっちゃうか分かりません。
半分でイエス様を文句言うような気持ちでしょうか。
私たちは確かにそういうね、本当にあの人が受けた、いや私はもう大丈夫だっていうような、言える人は素晴らしいと思いますよ。
51:06
けれどもその人が受けなさった試みを、もし私に向けられたならば、私はもうと思うんですね。
ここでもね、賛美の方針に明石と一緒にしてくれた小林由紀子という彼女ですけれども、
私は一回限りの手術でしたけれどもね、彼女は何回も何回もやるんですよ。
本当にこの細い体が、もう私の、もうちょっとこう取ってつけてあげたいと思うような、そんな思いでしたよね。
けれども彼女はね、そういう中でね、それこそ、何で私がこんな目に遭うんですかっていう祈り、彼女から聞いたことがないんです。
それを受け止めながら、そして彼女もまたこの祈りを捧げたでしょうね。
けれどもまた次の新たな試みが、私ではなくして彼女に向けられていくっていう、そこにもう痛みを感じましたけれどもね、正直言ってね。
しかし彼女はね、そういう中で試みを試みとして受け止めながら、神様が私の今日を生かしてくださっているということに、新たな恵みを感じながら行くわけですよ。
あの時はもう先生終わりですって言って、電話がかかってきて家まで行ったんですね。
そしたら立つこともできない、座ることも横になることもできない。
もう水がお腹に溜まって、そしてもう肌は、そして目はもう横断でやられてもう真っ黄色でしたからね。
今年は桜を見たいと思っても先生ダメだと思いますっていう、そんなんでしたよ。
そしてそこで何とかお祈りをしましてね、その後に今度はご主人の肝臓を移植する。
最初はそういうのができなかった。
母親の肝臓を移植して来たんですけれども、そこからはダメだったんですね。
ところが彼の肝臓を移植してからね、まるでこれどっちが本人なのというぐらいに、
彼女はスマホに入れておりますから、もうおばあさんもおばあさんも本当にそんな状態だった。
けれどもそこからね、ご主人の肝臓を移植してからはどんどんどんどん開封してね、
検査機関でも毎年賛美の方針に加わってやってくれておりますけれどもね、
心身に今日においては打ち勝ってね、そして文句をつけることじゃなくて、本当にその今生かされている、生きている。
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そういう動機がありますから、毎月夜の中、金曜日は病院のホスピス美容棟に行って、そして賛美の方針をする。
彼女があの時言っておりました。
今日お会いしてきた人はね、来月おるかどうかわかんない。
だから今日精一杯私は賛美で奉仕したいと思って行っているんですということでした。
やはり病院ホスピス等ですから、やはり来月まで命が持たなくて亡くなったという現実があるわけです。
ですから今日精一杯行く。
心の中においてもね、今自分が生かされているということの中において、
今日生きていこう、今日明かししていこう、今日皆が甘められるように自分の全部の存在を通して表していこうというのが、
彼女のその信仰姿勢としていつも教えられております。
同時に私たちを試みに合わせないで、そして悪からお救いください。
お祈りを許されているということを本当に感謝しながら、
今日もこの祈りを祈りとしてね、
心の中にメッセージとして与えられている主のお祈りから来る清き生活を、
私たちは合いまわせていただきたいとお願うんですね。
お祈りいたしましょう。
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