1. 名谷教会
  2. 2012/06/24:聖日礼拝(旧音源)
2012-06-24 39:36

2012/06/24:聖日礼拝(旧音源)

2012/06/24 聖日礼拝(旧音源)


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御着席ください。聖書朗読をしていただきます。
本日の聖書の箇所は、丸子の福音書4章の33節から41節、新厄聖書の72ページをお開きください。
丸子の福音書4章の33節から41節まで、私を経代に朗読していただきます。よろしくお願いいたします。
丸子の福音書4章の33節
イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて御言葉を話された。
たとえによらないで話されることはなかった。ただ、御自分の弟子たちにだけ、すべてのことを解き明かされた。
さて、この日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、
さあ向こう岸へ渡ろうと言われた。
そこで弟子たちは群衆を後に残し、船に乗っておられるままで、イエスをお連れした。
他の船もイエスについて行った。すると激しい突風が起こり、船は波をかぶって水でいっぱいになった。
ところがイエスだけは、友の方で枕をして眠っておられた。
弟子たちはイエスを起こして行った。
先生、私たちが溺れて死にそうでも何とも思われないのですか。
イエスは起き上がって、風を叱りつけ、湖に黙れ、沈まれと言われた。
すると風は止み、大泣きになった。
イエスは彼らに言われた。
どうしてそんなに怖がるのですか。信仰がないのはどうしたことです。
彼らは大きな恐怖に包まれて互いに行った。
風や湖までが言うことを聞くとは、一体この方はどういう方なのだろう。
以上です。
聖火隊の方々に新聖火の246番を賛美していただいた後に、
内田牧師先生より、風や湖もイエスに従うと題してメッセージをしていただきます。
美しきものの手、秘めをす日々に
03:06
秘めよりやすきよ、むけし心に
やすきよ、不思議やすきよ
三神の輪石、不思議やすきよ
十字架の下って、御伽噺をすくいし
秘めよりやすきよ、むけし心に
やすきよ、むけし心に
三神の輪石、不思議やすきよ
十字架の下って、御伽噺をすくいし
心のやすきは、御伽噺にせられ
やすきよ、不思議やすきよ
三神の輪石、不思議やすきよ
二蕎麦につこう、子供の手には
さばたれ土にかし
やすきよ、不思議やすきよ
06:06
三神の輪石、不思議やすきよ
皆さんおはようございます
今日の6月第4聖日の礼拝プログラムが 進められていることを感謝をいたします
今日はまず初めに修法にも書きましたが
私たちの属する日本イエスキリスト教団では 6月の第4聖日を世界選挙デーと定めて
首脳選挙命令の推進を覚えて 世界選挙への参加を呼びかける時としているということです
今日がその日にあたりますので一緒に心を合わせて 世界選挙のためにお祈りをしたいと思います
全世界に出て行きすべての作られたものに 福音を述べ伝えようと
恵み深い天の父なる神様 あなたはそれぞれの教会を祝し
そしてその福音選挙の基地として その教会を用い
そして首脳働きを皆が推進していることを 覚えて皆をあがめます
世界の各国から日本に来てくださり そしてこの福音を伝えてくださった
また今もそのような働きが進められていることを 覚えて皆をあがめます
また日本からも全世界に出て行き そして派遣された選挙師の方々が
そのところで苦難を覚えながらも 主を愛しその御言葉を伝えるというその使命に燃えて
その働きを進めておられることを覚えて皆をあがめます
どうぞその選挙師 そのご家族の皆さんが守られますように
またその働きが祝福されるように そしてその使命が十分に果たして
それぞれのその働きを全うすることができるように 主を助けてください
また日本イエスキリスト教団からは 中央アジアあるいは中国東南アジアに選挙に使わされています
どうぞその働きとまたそのご家族が祝福されるように また様々な迫害あるいは危険もあるようでございます
どうぞそのようなところからも守っていただいて その働きが進められ続けられていきますように
また私たちもそのことを覚えて日々祈るものとさせていただきますように
09:04
世界選挙の技にはまた必要なものがあります どうぞその経済面でも祝福してください
また働き人をあなたが起こしてくださって 全世界にこの福音が述べ伝えられて
一人でも多くの人がこの神様を知り そして神の御国へと救われていくことができるように助けてください
決して一言ではなく私たちもまたその 世界選挙の働きの一人としてそこに加えていただき
そして祈るところから始めさせていただき またここに私がおりますこの私をお使わしくださいと
いつでも備えていくことができるように それぞれをお導きくださるようお願いをいたします
また本年11月21日から25日まで 台湾選挙交流のツアーが予定されています
どうぞこの交流を通してまた台湾とこの日本が それぞれ交流をして交わりをしてお互いが福音に生きるものとして支えてくださり
何よりもこの愛する日本国がどうぞ神様のご支配なさる また神の愛に満たされた国となっていきますように
そのための一人お一人の働きとまた祈りをどうぞ祝福して くださるようお願いをいたします
ただ今からまた御言葉をいただきます 神様どうぞこの御言葉を通してあなたの身胸を今日教えてくださいますように
今日でなければならないあなたの身声を聞かせてくださるように また私たちも霊の耳をしっかりと開いてあなたのお声を聞くことができるように
霊の目をしっかりと見開いてうつむいてはいますけれども 魂はあなたを見上げていますから死をどうぞそのことを覚えて
あなたが魂を捉えてさらに御国へと引き上げてくださるようにお願いをいたします
今からの御言葉のひととき主に委ねて 主御自身が導いてくださることを信じてお祈りをいたします
全てを委ね主キリストの皆によってお祈りをいたします アーメン
そういうことで世界選挙のこともどうぞ覚えてくださって 全世界がこの福音に満たされるように
私たちもその世界選挙の一員に加えられるように そのように願っております
さて私たちはマルコのような福音書を マルコによる福音書を開いております
4章そしてこの5章に続きましてこの3つの 奇跡が書かれているということがわかります
1つは嵐を沈めなさった 2つ目は穢れた霊を様が追い出された
そして3つ目は死人を蘇らせなさった そういうことが書かれてあるわけです
12:06
私たちにとっては本当に不思議なことでありますし 見たことも聞いたこともない体験したこともないそういうもの
しかし全能である神はそれらを全て成すことができる そういう力のある方
私たちが神を知らないときはこういうことが本当に起こるんだろうか 誰がこんなことができようか
どんなに有能なあるいは権力のあるものであっても 絶対にできないもの
しかし私たちがこの誠の神というものを知ったときから 神は天地万物を作られそして全能である
全てのことを知り全てのことを作り成り 全てのことを支配なさっているお方であるということを知り
また信じたときからこの奇跡 私たちにとっては不思議な技でありますけれども
これは神様のなさる技である 神様は当然そういうことのできるお方なのだということを
私たちは信じて生きるものとさせていただくわけです
今日はそのうちの一つとして 先ほど読んでいただきました四章の終わりの方ですが
そのところで イエズ様がこのように言われたわけです
三十五節さてその日のこと夕方になって イエズは弟子たちにさあ向こう岸へ渡ろうと言われた
これはおそらくガリラヤ湖と言われる湖でありますが こちらの岸にいたイエズ様とそして弟子たち
そしてイエズ様がその弟子たちに さあ向こう岸へ渡っていきましょう
向こう岸と言っても簡単にはいけない
当然そこには湖ですからいわゆる水があるわけです
広い広い水が満ちたいわば海のような そういうものがある
向こう岸へ渡るにはその海を越えていかなければならない そういうことは当然でありましょう
その日の夕方イエズ様が向こう岸へ渡ろうと そう言ったときはおそらく波も穏やかで
そして風もないそんな時だったろうと思うわけです
ですから弟子たちも船に乗って そしてイエズ様と一緒に
いよいよ向こう岸に渡るために漕ぎ出したという そういう状況であります
私たちは今この記事から何を 今日神様からいただくのでしょうか
15:04
向こう岸それは一体何でしょうか
なぜこのような記事がここに記されているんだろうか そういうことを思うときに
はたして向こう岸とは何だろうか
それは例えば何かの目標であるかもしれない ビジョンと言われるような私たちが目指すところ
そういうところにその向こう岸ということの 意味があるのかもしれない
そんなことを思うんですね
そしてこの湖あるいは海とは何だろうか そこには当然波もありますし
波が穏やかなときもあれば風が吹き それが嵐になるような吹き荒れるときもある
そんなことは誰しもわかっていることです
そんなことを考えますときにこの海とか ここは湖ですけれどもそこは何が起こるかわからない
そういうところなんだということも 私たちは想像つくわけです
魚を捕る漁師の方あるいは皆さんの中で 船に乗って海に出られた方ならわかると思います
そこは何が起こるかわからない そういうところだとも言えるわけです
そういう中で最初は波もなく風もない そういうようなところに
三十七節で激しい突風が起こって 船は波をかぶって水でいっぱいになった
案の定やはりこの湖の上で突風が起こり 嵐のような風が吹き荒れてきたということ
そして船は沈みそうになったということ
こういうことを読んでみますときに ここで一体私たちに何を言いたいんだろうか
聖書は私たちにこの記事を通して 何を今日語ろうとしておられるんだろうかということを
覚えて耳を澄ましていくわけです
皆さんのお持ちの新聖歌の二百四十八番
そこには人生の海の嵐にという賛美歌が 出ておるわけです
人の一生それを海になぞらえて この歌が書かれたようであります
海は時々時には嵐が吹きそして吹き荒れて
私たちが波をかぶって沈みそうになるという そういうときもあるということを
私たちの人生になぞらえて 私たちの生涯の中でも突然嵐が吹くことがある
18:08
もちろん穏やかな波のごとく平穏無事な そういう日々も確かにありました
しかし突然のごとく嵐が吹き荒れるような もう自分の生活の土台が根底から崩されていくような
そういう揺れを覚えるような襲ってくるような そんなときもあった
あるいは今そういう状況にある人もいるかもしれない
あるいはこれからそういうところに 遭遇する人もいるでしょう
中には事業に失敗してしまった あるいは病気で倒れてしまった
中には人間関係で行き詰まって 親しい人に裏切られてしまった
もうさまざまな波が私たちに押し寄せてくる
突然のごとく嵐が吹き荒れるように 私たちの生活を危機に追いやるような
そういうことが本当に誰しもあるんだということ
仕事のこと経済のこと健康のこと人間関係のこと あるいは子育てのこと
いろんな嵐が私たちの生涯の中で吹き荒れるんだ
そういうことをこの賛美歌は歌っているわけです
ここでも弟子と家様が湖に出られたときに 突然のごとく激しい嵐に見舞われたということが
そのことを表しているわけであります
そういうときに人間は私たちはどうなるだろうか
当然のごとく不安が襲ってきます
恐怖に見舞われます
そして自分を見失ってしまいます
そしてこの弟子が言っているように
先生私たちが溺れて死にそうです でも何とも思われないのですか
これはイエス様に対して弟子が言ったわけです
この言葉を私たちも覚えるときに 私たちとてこうではないかな
何でこんなことになったんだろう
これはきっと誰かのせいだ あのせいだこのせいだあの人のせいだ
そういうふうにして人のせいにする
ここでも弟子たちはイエス様に私たちが溺れ死にそうです
でもあなたは寝ておられて何とも思われないのですかと
21:02
そういう本来はこの突風嵐が問題であるのにもかからず
それを知っていながら寝ておられるイエス様に
やっぱりこの不平不満を言っている弟子の姿
これは私たちの偽らざる姿ではないでしょうか
そんなことを覚えるわけであります
今や船は木の葉のように揺れて そして恐怖と恐れそして不安に苛まれている弟子たち
何が一番荒れているのでしょうか もちろん風によって海が荒れています
しかし一番荒れているのは自分の心ではないか
弟子たちの心が一番この時揺れていた そのように言えるわけです
そういう状況の中でイエス様はどうなさっていたのか
38節ところがイエスだけは友の方で枕をして眠っておられた
もちろんイエス様はその日も一日中激しい選挙の働き
労働のゆえに疲れ果てておられたことは想像がつきます
もういわゆるくたくたになって そしてやっと一息つけたそういう中で眠っておられた
ですからどんな風が吹いてそして船が揺れようとも
そのお疲れのせいで熟睡してそして眠っておられて起きなかったんだ
そういう解釈もできます なるほどそうだろうなそういうことがありますね
本当にこう私たちが疲れそして熟睡した時に目覚まし時計がかかろうがなろうが
2つ3つなろうがもう起きないというそういう人もいるでしょうし
おそらくイエス様も疲れていたのは確かである
でもそれがイエス様が眠っておられたあるいは眠ることができた理由だろうか
そうではない イエス様はやはりこういう状況の中でも眠れるというのは
心に平安があったからと言えるのではないか
私たちとてもう体は疲れてそして
体は睡眠を要求しているしかしどうしても眠れない
そういういわば不眠症というようなことがあることを経験します
24:06
それはなぜか頭の中が冴えてしまってあれはどうなるんだろうこれはどうなるんだろう
もう心配事や不安やそういうものが渦巻いているとき眠れない
そういうことを経験することがあります
ですから私たちが少なくとも眠れるということは心の中に平安があるということ
もちろんさまざまな不安恐れ多少はあってもそれに勝る何か安らぎ
私たちを睡眠に導いてくれるその安心感そういうものは確かにあるんだろう
だから眠れるのだ
イエス様もおそらくこういう突風が吹く波が荒れているそういう中でも
本当に心の中が平安でそして眠っておられたんだ
そういうことを私たちは覚えるわけであります
イエス様のこの眠りは平安から来るということ
そのことをここで私たちに示しているんだ
そしてさらに四十節でイエスは彼ら弟子に言われた
どうしてそんなに怖がるのです
あなた方はこの波に恐れそして沈みそうになることを恐れる
そんなことを言われたって誰しもこういう状況になれば恐れるでしょうと言いたくもなります
イエス様はそのことを覚えてどうしてそんなに怖がるのです
信仰がないのはどうしたことです
イエス様の言いたかったのは弟子たちの心にある恐れや不安
それとこの信仰というものとここで結びつけなさったわけです
信仰がないのはどうしたことです
優しくおそらく弟子たちに語ったと私は想像するんです
お前たちは信仰がないからだめだとお叱りになったのではない
あなた方は今こういう状況の中で恐れています
おそらく人間としては当然でしょう
でもそういう中でもし信仰があるならば状況は違うのではないでしょうか
信仰がないのはどうしたことです
もし信仰があれば幸いではないでしょうか
願わくはさらに信仰を強めて
そしてどんな状況の中でもこの不安や恐れから少しでも解放できるようになれば幸いではないでしょうか
27:01
そのように語っておられると思うのです
このイエス様がおっしゃるその信仰というもの
それは何よりも天地万物を創造なさった神
そして全てを支配なさっているそのお方を信じて生きるということ
これが信仰であるわけです
ですから私たちがこの海でこの嵐にあったということを通して
私たちの日常の生活の中でこの吹く嵐
そういう中でも私たちが信仰を持って歩んでいくならば
誠の神そして全知全能なるそのお方を見上げて生きていくならば
これからの生き方はおそらく変わってくるであろう
もちろん信仰を持てば全てが解決するということではありません
私たちは日々不安を覚え恐れを覚えそして平和をなくすそういう弱いものであります
しかしそういう中でそれに負けてしまうそれに溺れてしまうそういうことのないように
願わくは信仰がその助けとなり力となって私たちを支えていくことができる
またそういう嵐の時にもそれを乗り越える力を与えてくれるそれが信仰なのだ
そのことを今日も教えてくださっていることと思いますし
改めてもう一度そのことを確かめるそういう時ではないかそのように思うわけです
信仰は力であるその信仰が力であるということも
おそらくここで弟子たちがイエス様が湖に黙れ沈まれと言ってくださったおかげで
風は止み大泣きになったそういうことを実際に見てそしてそれを体験した
そのことによって弟子たちの信仰はさらに増し加えられそして力強くなっていった
ですから私たちの信仰とて同じです
私たちがこの方を信じてそして日々祈りまたそれに従って信じて歩む
そういう日々の中で確かにこの私の上に私の愛する身近な人の上に祈りの上に
神の力その技が実際に起こった私の身の上にそれを体験として自分はいただいた
30:01
そういう体験がその人の信仰をさらに強くしていくんだ
ですからそういう力というのは信じなければいただけないものですし
そういうものをしっかりと日々覚えて歩む上で神の技がなされたという
その体験に基づくということを覚えておきたいと思うんですね
ですから決して諦めないでこの信仰を私の生涯のこととしてこれを続けていく
そのことが大事なんだろうそのように思うわけです
イエス様は風あるいは波を叱ってそして沈まれ黙れと言われた
すると風は止み大泣きになった
弟子たちの驚きというのは大変なことであったろうと思うんですね
イエス様の一声で今まで荒れ狂っていたその湖が泣きになった
これは一体どういうことだろうか
彼らは始め自分たちがもう沈みそうになる溺れ死にそうですと
そのことに恐れ恐怖を覚えていた
しかし最後に41節のところで別の恐れが彼らの心に湧き上がってきた
それは一体この方はどういう方なのだろう
湖や風までも沈めてしまうこの方は一体どういう方なんだろうかということを
彼らは不思議にも思いそしていわゆる恐れを感じた
この恐れは怖いというそういう恐れではなく
ここに表されている一体この方はどういう方なんだろう
風や湖までいうことを聞く
一体この方はどういう方なんだろうかという
彼らの心の中にこの方をあがめるあるいはこの方を
私たちと違う特別な人として見上げるそういう思いが彼らの中に芽生えた
それがいわゆる恐れ異形の念異風ですね
そういうものが彼らのうちに与えられたということ
これは幸いなことでありまたそこから弟子たちの信仰がさらに強くなっていくんだということ
そのことを覚えるわけです
私たちとて同じことであります日々の生活の中で襲ってくる嵐
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その中で不安を覚え恐れを覚えます
しかし私たちはそういうときに何を見るのか
周りの状況に怯えそして不安を覚える
それは当然のこととしてその中でもこの全能の神を覚える見上げるということ
この方は全能であり私たちのすべてを知ってくださる
そしてこの方は嵐をも沈める力のある方
その方が私の生活にも関わってくださる
さまざまな状況の中にあっても私はこの方を信じて
そしてこのところを乗り越えていく力を与えてくださる
あるいは知恵を与えてくださる
そういう方が私とともにいてくださるということは何と幸いか
この方を知らずに生きていくということと
知ってこの方を信じて生きていくその生き方には大きな違いが出てくるのは間違いありません
ですから私たちは嵐が吹かないように
私のこの生涯に何の嵐も吹かないように
いつも大泣きでありますようにというそういう祈りをすることもいいでしょう
でもおそらくそういう生涯はあり得ないということも私たちは知っています
であるならば私たちはそのことをしっかりと受けとめながら
もしそういう突風が吹き荒れるような時にもこのお方を見上げて
そして私たちはこのお方を信頼して
そしてこの方の力とまたこの方の善能の技を期待して祈る
信頼して祈るということそれが必要であろうかとそのように思うわけであります
このイエス様ご自身も自然をご支配し
また風や湖でさえも従える力のあるそういうお方であるということを覚えることが
本当に私たちにとっての最大のお力であります
弟子たちはイエス様がこういう船が沈みそうになっても枕をして眠っておられた
そして不安と恐れに苛まれてイエス様を起こしてこんなに沈みそうになっているのに
どうしてそんなにどうして何とも思われないのですか
36:02
私たちは溺れそうで死にそうなのにそのように弟子たちは言ったわけです
その弟子たちに信仰があればなとイエス様はおっしゃってくださった
おそらくここから弟子たちは変えられていくんだと思うんですね
そしてこのお方を信じる信仰に生きるものとさせていただく
もし同じようにイエス様と弟子たちが船に乗り湖に出て
最初は薙ぎであったのに突然のごとく嵐が吹き荒れて
そして船が沈みそうになった
その時弟子たちはどう言うだろうか
おそらく先生お休みのところ申し訳ありませんけれども
できれば起きてこの波と風を沈めていただけませんでしょうか
彼らはきっと心を乱すことなくただイエス様にそのように申し上げ
イエス様がどうなさろうとそれはイエス様に委ねて
ただそのように願うそういう弟子に変えられているのではないか
私たちとでも何か突然のことが起こる時も
まずこの主に願ってそして心を取り乱すことのないように
平安を失うことのないように
もちろん恐れや不安もありつつもこの善能の方が何とかしてくださる
私はこの方の力によって何としてでもこのところを乗り越えることができるんだ
そういう私たちの生き方をさせていただける
それが信仰である
そのことをもう一度覚えて私たちもこのいただいた信仰をさらに強めていただいて
そして歩みゆかせていただきたいとそう願うわけです
今日の見事は四十節イエスは彼らに言われたどうしてそんなに怖がるのです
信仰がないのはどうしたことです
願わくはさらに信仰が強められ増し加えられるように
そう願って私たちも祈りたいと思います
お祈りをいたします
天の父なる神様
今日御言葉を心から感謝をいたします
イエス様が自然をご支配なさり風や水でさえもこのお方に従う
39:03
そういう力のあるお方であることを覚えて皆を崇めます
このお方こそ誠の神全能の神であられることを今一度確信し
私たちの日々の中で起こる様々な苦難や試練の中でも
このイエス様を信じて生きていくことができるようにどうかお導きください
全てを委ねて主キリストの皆によってお祈りをいたします
アーメン
39:36

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