1. 名谷教会
  2. 2012/07/01:聖日礼拝(旧音源)
2012-07-01 47:12

2012/07/01:聖日礼拝(旧音源)

2012/07/01 聖日礼拝(旧音源)


00:01
ご着席ください。聖書朗読をしていただきます。
聖書の箇所は、新約聖書、ヨハネの福音書14章の1節から6節まで、新約聖書の209ページです。
あなた方は心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。
私の父の家には住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなた方に行っておいたでしょう。
あなた方のために、私は場所を備えに行くのです。
私が行って、あなた方に場所を備えたら、また来て、あなた方を私のもとに迎えます。
私のいるところに、あなた方をもおらせるためです。
私の行く道は、あなた方も知っています。
トマスはイエスに言った。主よ、どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうしてその道が、私たちにわかりましょう。
イエスは彼に言われた。私が道であり、真理であり、命なのです。
私を通してでなければ、誰一人、父の身元に来ることはありません。以上です。
それでは、岩渕誠さんを内田先生より紹介していただきます。
皆さんおはようございます。
今日は本当に礼拝にお越しくださったことを心から歓迎いたします。
私がうれしいという以上に、神様が皆さんをお招きくださって、ここにおられるということを一番喜んでくださっていると思います。
どうぞ引き続いて、毎週日曜日、こうして礼拝をしておりますので、来てくださることをお祈りしておりますし、お待ちしております。
今日はですね、この教会、礼拝に来てくださった皆さんお一人お一人を紹介したいと思うんですけれども、時間に限りがありますので、
それをまた次の機会にさせていただいて、今日は一番遠くからお越しくださった方を紹介したいと思います。
それは誰でしょうか。
それと、そして今日一つの神様のご奉仕のために来てくださった岩渕誠さん。
本当に親しく誠さんと呼ばせていただいたり、私たち教会では岩渕誠兄弟とかそういうふうに呼ばせていただくのは本当に幸いであります。
本当に今日、岩渕誠さんがこの礼拝、また午後のコンサートに来てくださったことを、私たちは本当にお待ちしておりましたし、歓迎したいと思います。
03:08
皆さん拍手を持って出しましょう。
それで、今日はこの礼拝の中で限られた時間ですが、歌を歌ってくださいます。
教会では歌を歌うというよりも、賛美をするとか神様に賛美を捧げるという、そういうふうに言ったりします。
午後のコンサートでは1時間、1時間半ぐらいたっぷりと撮っていただいて、十分に賛美とお話をしてくださるということで期待しております。
それでは早速、岩渕さんにと思うんですけれども、その前にこの明丹教会の皆さんが神様に捧げる賛美とともに岩渕誠さんをお迎えするという意味で、私たちも一曲賛美を捧げて、そして岩渕さんをお迎えしたいと思います。
それでは皆さんご起立ください。
岩渕さんが作られた数々の素晴らしい歌の中から、父の涙を賛美したいと思います。
ではよろしくお願いします。
愛を知らずに遠すぎてゆく
十字架からあふれた流水
それは父の涙
十字架からあふれた流水
それはデスの針
父が静かに見つめていたのは
愛する人々の傷ついた姿
06:00
人の罪をその道背負い
父よ彼らを許してほしいと
十字架からあふれた流水
それは父の涙
十字架からあふれた流水
それはデスの針
十字架からあふれた流水
それは父の涙
十字架からあふれた流水
それはデスの針
おはようございます。
大変珍しい出方だなと思っています。
今日は午後までお世話になりますので、よろしくお願いします。
今、皆さんが歌ってくださっているのを聞きながらですね、本当に幸せもんだなと改めて思いました。
というのは、私は1歳半の時に父親を亡くしてまして、母一人子一人でずっと育ってきましたから、すごく空っぽだったんですね。
生活も豊かではなかったし、それからいつも一人でいましたし、そういう中で、実は小学生の時に登校拒否などをやりまして、
友達付き合いも上手じゃない。その落ち着いて、それが収まった時にご褒美で買ってもらったのがこのギターなんですね。
自分の大切なものがどんな時に出会っただろうかって振り返ると、嬉しい時とか体力充実っていうそういう時よりは、
辛い時や悲しい時や孤独な時に出会ったものが多いような、そんな思いがします。
そんなふうにして育ってきた自分が、こうやって皆さんに歌っていただけるような、そういう曲を神様から与えられた。
09:00
本当になんて幸せ者なんだろうと、この朝また改めて感じました。
最初にこんな歌を歌いたいと思います。
星野富洋さんというシガ作家の方の作品なんですが、「聞く」という鼻の名前がついた曲です。
喜びが集まったよりも
悲しみが集まった方が
幸せに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
幸せが集まったよりも
不幸せが集まった方が
愛に近いような気がする
喜びが集まったよりも
悲しみが集まった方が
幸せに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
12:01
真実に近いような気がする
幸せが集まったよりも
不幸せが集まった方が
愛に近いような気がする
愛に近いような気がする
パラダイスは遠い南の島じゃなく
あなたの心の中にある
優しい風が吹いてくる
イエス・キリストを知ってから
パラダイス
心の中に
パラダイス
心の中にある
心の中にある
心の中にある
15:01
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
心の中にある
18:03
心の中にある
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
心の中に
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
心の中に
パラダイスは遠い南の島じゃなく
私の心の中にある
優しい風が吹いてくる
イエス・キリストを知ってから
パラダイス
パラダイス
心の中に
パッパッパ・パラダイス
パラダイス
心の中に
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
21:06
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パッパッパ・パラダイス
パラダイス
神の軌跡
神の軌跡
静かに特別なことじゃなく
平凡な日常の中で
神の軌跡は
届けられています
24:02
悲しみの中で喜びを
不安の中で確信を
絶望の中で希望を
持てるような神の軌跡が
心の貧しい者たちの中で
心の貧しい者たちの中で
日々起こされています
気がつかないほど
ひっそりと
静かに神の軌跡は
毎日届けられています
悲しみの中で喜びを
不安の中で確信を
絶望の中で希望を
持てるような神の軌跡が
心の貧しい者たちの中で
心の貧しい者たちの中で
日々起こされています
気がつかないほど
ひっそりと
静かに神の軌跡は
毎日届けられています
27:28
それでは今日の御言葉をいただきます
その前に一言お祈りをさせていただきます
恵み深い天の父なる神様
今日の良き日を感謝をいたします
こうしてあなたがここにいてくださり
この礼拝の主として私たちを
導いてくださっていますことを
ありがとうございます
今日の礼拝のプログラムの一つ一つが
祝福されていますことを覚えて
皆をあがめます
またあなたの御言葉を
今いただかんとしております
あなたの御言葉が私たちの
行くべき道の光として
道しるべとして私たちを
導いてくださるその御言葉を
今いただきますから
それぞれを整えてくださり
またこの御言葉が私たちのうちに
とどまりますように
どうぞ導いてください
またあなたが新しい命の注ぎ
また礼の注ぎを与えて
どうぞこの礼拝を最後まで伴って
祝福してくださるようお願いをいたします
語るもの小さく乏しいものですが
主をどうぞ憐れんで最後まで支えてください
主御自身がお語りくださいますように
私たちのその声を
さやかに聞くことができるように
礼の耳を開かしめ
礼の目を開かしめて
あなたを仰ぐ見ることができるように
助けてください
全てを委ねて主キリストの
皆によってお祈りをいたします
アーメン
今日は本当に礼拝に来てくださって
感謝をいたします
いつしか
教会は
敷居が高いというふうに
思われてしまったようでありますが
どれぐらい高いのかというと
それは5階ぐらい高い
いや5階ではなくて
実は敷居が高いというのは
5階なんだ
ということなんですね
教会ほど敷居の低いものはないんですけれども
そういうふうに
思われてしまった
あるいは思わせてしまった
それは私たちの責任ではないか
神様ごめんなさいと
言わざるを得ません
神様はどんな人も
招いてくださってそして
神のもとに立ち帰れと
日々声をかけてくださっています
ですから
30:00
その言葉どおり
どんな人も
神様の前に来て
そして神様を賛美し
そして神様を礼拝することが
許されているんだ
そして何よりも
神様のお声を聞く
それは聖書を通しての
御言葉をいただくという
そのことをさせていただく
それを毎週日曜日に
私たちはこのところでしております
ですからどうぞ
ぜひ続けて
礼拝にお越しくださるように
そのように祈っています
今日も御言葉をいただきますが
先ほど読んでいただきました
十四章の一節から六節
この少し前ですが
イエス様が
私は行くと
おっしゃっている箇所があります
私は行きます
弟子の一人のシモン・ペテロが
主をどこにお入れになるのですか
これは後
イエス様が十字架にかかって
全人類の罪をあげなうという
そのことを意味しているんですが
それのわからないペテロは
主をどこに行かれるのですか
そのことを教えてください
このように言ったわけです
そしてイエス様は
そのペテロに
またこのようにも語ってくださっています
少し前の十三章の三十四節
あなた方は互いに愛し合いなさい
私があなた方を愛したように
あなた方も互いに愛し合いなさい
もし互いの間に愛があるなら
それによってあなた方が
私の弟子であることを
全ての人が認めるのです
最も大事なことはこの愛である
日本語に愛と訳されています
これはアガペというギリシャ語ですが
このアガペこそが
あなた方にとって最も大事なことだ
もちろん教会にとって
最も強調したいこと
それはアガペ
互いに愛し合うこと
そして世に出て
そこに私たちが置かれたその場
その場でこのアガペの愛をもって
接していきなさい
そのような教えを弟子たちに
そして今日生きる私たちにも
イエス様は語っていてください
そういう諮問ペテロ
主よどこにおいでになるのですか
ペテロにとっては本当に心が不安で
どうなるんだろうか
イエス様がいなくなったら
どうなるんだろうか
そういう思いがいっぱいであったんでしょう
そのことを見透かしておられた
イエス様がこのようにおっしゃった
あなた方は心を騒がしてはなりません
これはペテロだけではなく
33:01
私たちとても同じです
日ごろどれほど心配し
また心を騒がせ
いろんなものに恐れを抱く
そういうものであります
そういう私たちに
神様がこのように語ってくださっています
あなた方は心を騒がしてはなりません
神を信じまた私を信じなさい
これが今日ペテロに語ったイエス様の言葉
また私たちに語ってくださっているお言葉
私たちが何を不安に思い
また日々恐れているのか
それはさまざまなことがあろうかと思うんですが
もっと私たちの心の深いところで
人間は
私はどこから来たんだろうか
あるいはなぜ今ここに生きているんだろうか
なぜ生かされているんだろうか
そしてやがてどこへ行くんだろうか
そういうことを日々思わなくても
ふとそういうことを思うときが
あるわけです
それが偽らざる私たちの思いではないかと
そう思うんですね
そのためにイエス様は神を信じ
また私を信じなさい
そのように言ってくださった
続けて二節のところで
私の父の家には住まいがたくさんあります
そのように言ってくださっています
この父の家
この父は天の父なる神様でありますから
いわば父の家
それは天の父なる神様のおられる身国
いわば天国
そしてパッパパラダイスということになるわけです
この天国
神様の身国を信じなさい
そしてそこにあなたたちは行くのです
そこには住まいがたくさんあります
私はその場所を備えに行きますから
あなたはそれを信じて
いつでも来るように
イエス様はそうおっしゃってくださっているわけです
それでもなお五節でトマスは
イエス様に言った
主よどこへいらっしゃるのですか
私たちはまだ
イエス様の十字架のことを
深くわかってはいなかった
続けてイエス様はこのように言われたのです
六節
イエスは彼に言われた
私が道であり真理であり命なのです
私を通してでなければ
誰一人父の身元に来ることはありません
今日イエス様が弟子に語った言葉
36:02
そして今を生きる私たち一人一人に語ってくださる
その言葉は
私が道であり真理であり命なのです
私を通してでなければ
誰一人父の身元に来ることはありません
私たちも知らない土地に行きます
そういうときに行きたいところに
なかなかたどり着けないときに
人にすみませんがあそこに行きたいんですが
どの道を行けばいいんでしょうか
と聞くことがあります
そうすると親切に
ここをまっすぐに行って
角を右に曲がってください
そういうふうにして
道を教えてくださる
道を示してくださる人は
たくさんいますけれども
私が道である
私が道だとおっしゃったのは
古今東西歴史上イエスキリストのほかにはありません
私が道だ
私という道を歩いていきなさい
私は道を示すものではない
私自身が道なのだ
イエスという道をあなたは歩むものだ
そのようにおっしゃったわけです
私たちは今どういう道を歩いているのでしょうか
それぞれが信じた道を歩んでいることでしょうが
ただ一つそういう中で
ある方はまだ解決されていないものがあるかと思うんです
私は今生きている
ある道を歩んでいる
しかし結局どこへ行くんだろうか
私たちは道にしろあるいは
どこかに電車を乗って行くとしましょう
そしてどこそこに行きたい
もちろん切符を買って乗るんですが
乗ったはいいんですが
ふと窓の外を見ると
何か思ったのと違う景色が映ってきて
隣の人にこの電車はどこへ行くんでしょうか
さあわかりません
え、あの人に聞いてもさあわからない
もうだんだん不安になってきて
運転している運転手のところまで行ったとしましょう
運転手さんこの電車は一体どこに行くんですか
いや私にもわかりません
行き先のわからない電車に乗ったらどうなるでしょうか
これほど不安なことはないと思います
飛行機に乗ってもそうです
飛行機が飛び立って機長がアナウンスします
ようこそ皆さんこの明太に航空に
ご登場いただきありがとうございます
当機は何千メートル上空順調に進んでおります
39:04
しかしこの飛行機どこへ行くか
私にもわかりません
そんな飛行機に乗っているとしたら
こんな不安なことはない
私たちはどうでしょうか
私たちの人生あるいは生涯という今
そういう電車に飛行機に船に乗っているといたしましょう
それはどこへ行くのでしょうか
私たちはやがてどこに行くのでしょうか
そういう不安はないだろうか
もしあればそれを解決していただかなければなりません
あなたは心を騒がしてはなりません
神を信じまた私イエスキリストを信じなさい
そして私が道であり私が真理であり私が命なのです
私という道を歩み極めていきなさい
あるいは私が真理です
何が正しいのか真理とはどこにあるのか
これが真理だあれが真理だ
そういう人はたくさんいます
しかしイエス様は私自身が真理なのだ
私こそ全て真理の全てである
そして私は命なのです
命とは私たちを生かしめる最も根本的な源
そういうものであります
しかし私たちは体が動けばいいというそういうものではありません
心があり魂がある
それを生かしている
私たち一人の人間を生かしめている
それは命です
その命の源としてのイエスキリスト
この命を私たちはどこからいただくのか
イエスキリストからいただく
そのようにイエス様は今日言ってくださっているわけです
そしてイエス様はこの私を通してでなければ
誰一人父の身元に来ることはありません
父の身元それが父の家すなわちパラダイス神の御国天国
そこに行くための一つの条件として
私を通してでなければ誰一人父の身元に来ることはありません
私を通してでならどんな人も
父の身元父の家パラダイス天国に行くことができるのだ
そのことをイエス様は教えてくださった
私たちにとって最終的な
やがてどこへ行くのかというその解決
42:01
その解決はどこにあるんだろうか
ふと思う時があるしかし
それは考えまい言うまい封印しながら生きてはいないだろうか
でもそれで済むことではない
私たちは大切なこととしてこの生涯を生き
そしてやがてこの世を去る
それで終わりではない
その先はどうなっているんだろうか
その解決を私たちがしっかりといただいた
そして今を精一杯いきましょう
それがイエス様が弟子たちに語って
また今日を生きる私たちにも語っていてくださる
イエスは言われた私が道だ
私が真理だ私が命なのです
私を通してでなければ
誰一人父の身元に来ることはありません
私たちは今日この御言葉を通して
もう一度このイエスキリストという御方を
さらにもっと知りたく願うわけです
今日この時間ですべてを
イエス様のことを語ることはできません
ですから毎週毎週日々このイエス様のことを覚え
また知りそしてこの御方をさらに深く親しみを持ち愛し
そしてこの御方を我が神我が主よとお呼びしながら
この御方と一緒に会いましていただく
この御方は本当に憐み深い愛の御方として
私たちをこよなく愛し
そしてこの地においてもまたその先も
世の終わりまで私は共にいるであろうと言ってくださる
この御方が私の神である
その信仰告白をもって私たちはこの生涯を生きていくのです
切符を買ってそしてそこにはしっかりと行き先が記されている
私はこの切符をもってイエスキリストという道心理
命というその切符をしっかりもって行き先もはっきりわかっている
そして自分の乗っているその電車も飛行機もちゃんと行き先がわかっている
そして安心して平安をいただいてしっかりとこの今を生きていけばいいんだ
このことを皆さんに知っていただきたい
日本の人々みんなに知っていただきたい
世界の人々にこの御方を知らない方々に知っていただきたい
そういう思いでいっぱいであります
どうぞ皆さんの御家族友人知人の皆さんにあらゆる機会を通して
このイエスこそ神であり愛の御方であり道であり心理であり命なのです
この御方を通してであればどんなものも父の御元神様のところに行けるのだ
45:01
そのことをお伝えしていきたいとそう願います
そのためにはまずこの私自身がそれを信じて
そして御国への約束をしっかりいただくものとさせていただきましょう
お祈りをいたします
イエスは彼に言われた私が道であり心理であり命なのです
私を通してでなければ誰一人父の御元に来ることはありません
天の神様感謝をいたします
今日も御言葉をいただきありがとうございます
この御言葉が私たちの心にいつも留まりますように
そして私たちが行くべきところをしっかりと仰ぎ見ながら
そしてこの御方こそ我が神我が主よと呼べる時が来ますように
そして日々この御方を仰ぎ見て礼拝を捧げるものとさせていただけるように
私たちがこの御方を超えなく愛することを通して
また私たちの唇に賛美を授けてくださるように
私たちの魂が喜びまた感謝にあふれて日々過ごすことができるようにどうぞ導いてください
そしてまだこの御方を知らない方々にも何としてでもお伝えしたいというそういう思いがありますので
神様どうぞあらゆる機会を通してそのことが一人でも多くの人に伝わりますように
私たちの愛する家族知人友人接する人たちみんな神様がそれぞれを愛してくださっています
私の目にあなたは高価でたっと私は愛していると言ってくださるその方をこれからも我が神として仰ぎ見ることができるように
そしてどんな人々にもそのアガペの愛をもって私たちも接することができるように
私たちを愛のものへと変えてくださるようにお願いをいたします
御言葉を感謝してイエス様の尊い皆によってお祈りをいたします
アーメン
47:12

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