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2019-02-10 34:47

2019/02/10:ヨハネの福音書講解説教(51)永遠のいちちとは

 2019/02/10 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ヨハネの福音書 17:1-5

00:01
おはようございます。
今日もお出会いのメッセージの前に、隣の方と挨拶しましょうか。
おはようございまーす。ありがとうございました。
では、ひとこといいがくお祈りいたします。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
あなたの使わされたイエス・キリストを知ることです。
アーメン。
神様、感謝します。
私たちを、我々一人一人に、神様ご自身がご自分の言い言葉をもって、
私たちにやりさせて、義の道、真理の道、光の道へ、
緑の牧場に、私たちを導いて下さい。
そして、主を知る者、また悟る者、力を物へと、
私たちを真理に生きさせて下さい。
また強めて下さいますように、お願いいたします。
主よ、おかさり下さい。
しもびや、お聞きします。
イエス様の名によって、お祈りします。
アーメン。
感謝します。
ヨハネーノ福音書公開実践、51回目です。
調べてみたら、2017年6月から始めてですね、
今年の6月になって、多分終わってないと思いますけれども、
2年以上、一緒にですね、ヨハネーノ福音書から、
本当に御言葉の恵みを、泉をですね、
本当にいただいていることは、本当に感謝で嬉しいことであります。
今日はタイトルにありますように、永遠の命とは何であるか、
そして永遠の命を持っている私たちクリスチャンとして、
その生き方はどんなものであるべきなのかについて、
この御言葉からその恵みを主にお受けしたいと思います。
今日の17章のところは、
03:04
イエス様が弟子たちと最後の晩餐の時に、
最後の最後にイエス様がお祈りになったイエス様のお祈りなんですね。
神のために、ご自分のために、またその後は弟子たちのために、
そしてその後は教会と世界のために、
あのオリーブ山で捕まえられる前に、
神様にお捧げになったお祈りなんです。
そこでですね、永遠の命が何であるか、
とても簡単明瞭に教えてくださっているんです。
その中で3節だけ一緒に、
もう一度ね、よく考えながら一緒に読みたいと思います。
3節ご一緒に。
その永遠の命とは、彼らが唯一の誠の神であるあなたと、
あなたの使わされたイエス・キリストを知ることです。
イエス様は十字架で死なれることを通して、
神の栄光をあらわすことについて、1節2節に祈られました。
ところが皆さん、イエス様が十字架で死なれること、
でもその死、その事態が目的ではないんですよね。
イエス様がご自身の十字架の死によって、
私たちに与えたいものがあるんです。
それは何ですか。2節にあるんです。
私読みますね。
それは子があなたからいただいたすべてのものに、
その次ですよ。
何を与えるためですか。
永遠の命を与えるため、この栄光をあらわしてください、ということなんです。
だからイエス様の栄光は、簡単に言って、十字架で死なれることであります。
でも死んで、その死、事態が目的である。
それで終わりではなく、そのイエス様の十字架の死がもたらすこと、
そして私たちにお与えになることは何ですか。
永遠の命であるということです。
だからこれだけ永遠の命というものは、
神の栄光、イエスの栄光と直結するものであって、
イエス様が死なれるほど、
神様が一人ごとイエス様を死に渡すほどの価値あるものが、
永遠の命であります。
わかるでしょうか。
本当に本当に神様にとって、イエス様にとって最も大切なことは、
私たちに永遠の命を与えることなんです。
06:01
ところで、永遠の命って何でしょうか。
お互いに聞かれたとしましょう。
あるいはどこかで教会のクリスマスとかね、
伝道集会に来られた方が、皆さんの家族、あるいは知り合いの方が、
誰々さん、永遠の命って何なの?
僕たちがよくしゃべっていたんだけれど、
永遠の命って何なの?と聞かれたとしましょう。
皆さん、何とお答えになるでしょうか。
そうですね、よく私分かりませんよ。どうするんですか。
もちろんね、永遠の命とは、
永遠に生きる命をまず先に思い出すかもしれませんね。
だいたいね、永遠の命だからね。
それも間違いではないでしょう。
救われた神が、あらなわれた神が、
神を礼愛して、神様と共に永遠に生きることであります。
しかし、今日の御言葉には、
この地上にいる私たちは救われたんですから、
永遠の命が私たちに与えられているわけなんです。
それをイエス様が、もう一言でまとめて整理してくださっています。
それが、さっきお読みになった三節なんです。
永遠の命とは、ここでイエス様が何と言ってくださいましたか。
簡単にまとめましょう。
神様とイエス様を知ることなんです。いいですか。
永遠の命とは、神様とイエス様を知ることが永遠の命なんです。
実はですね、これが私が2004年、
牧師の試験をして、面接の時に、
その面接官の先生から聞かれたんですよ。
何人育てたか覚えてないんですけれども、このことは覚えています。
伝法師、牧師の間に公法師がありますけどね。
永遠の命とは何ですかって聞かれてですね、
実は神が卒業しているものなのに、
この御言葉が頭の中に無かったわけなんです。
それでさっき申しましたように、天国で神様を賛美して恋愛して、
その方を永遠に喜ぶ、恋愛していること、
その恵みが永遠の命だと言っていますと、そういう風に答えたんですよ。
その時にその面接官の先生が、この聖書を誓ってくださって、
聖書を一緒に読みましょうか。
09:00
で、三節を、皆さんこの御言葉を覚えて知っていらっしゃったんでしょうか。
永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、
あなたの使わされたイエス・キリストを知ることなんです。
知ることなんです。
つまり、永遠の命イコール神様とイエス様を知ることなんです。
ここでもっと深く言いたいものがあります。
では、神様を知ること、イエス様を知ることとは何でしょうか。
知ること。
人間の言葉は限界がありますよね。
日本語の知る。
英語の聖書も、のけいえのだぶりゅ。
それを使っていますけどね。知る。
そしたら、大体私は教法として、あるいは知識として、あるいは学習、あるいは学び的な、
そういう知るということを先に思い出します。
それも違ってはいないんです。
ところが、それよりはるかに高くて深い意味のあることが、
この神を知る、イエス様を知るということであります。
それをね、なるべくわかりやすく話をするために、
男女のお付き合い、交代を、たとえとしてお話をしていきましょう。
便宜上、仮想の名前を作りますね。
男性の名前は、ちょっと古いですけど、たくまさんとしましょう。
女性の名前はさくらさんとしましょう。
たくまさんとさくらさんがお付き合いです。
本当にね、愛しています。
この春に結婚する予定です。
2月の14日、バレンタインチョコレートもあげる準備をしています。
でもこの二人の、たくまさんとさくらさんのこの愛の関係が、
ずっとずっと深く続くためには、この二人の関係において、
三つが必要です。
感情と知性と意思が必要です。
わかるでしょうか、皆さん。
この感情と知性と意思がバランスよく取れているときに、
とても良いお付き合いという人格的な関係になるわけです。
例えば、男性のたくまさんが女性のさくらさんに対して、
愛の感情はあんなにないまま、さくらさんが朝大体6時起きることを知っています。
そして女性のさくらさんはね、魚は好きなんだけれども野菜は嫌いのことを知っています。
12:04
彼女のお付き合いを知っています。
どこの出身なのか、どこの高校を卒業したのか、それぐらい情報として知っています。
でもそれは、愛の感情がないとしたら、ただの情報にすぎないということなんです。
もちろん高いのことを知ることは大切ですよ。
でもそこに本当の愛の感情がないとしたら、その関係は本当の意味で、
愛している、知っている、人格と人格が通じていると言えるでしょうか。
言えないんですよね。
またね、男女がお互いの自分のことをオープンする分だけ、互いのことを知ることができます。
自分の過去のことや家族のことなどなどをオープンして、互いを知り合うようになりますし、
それでまた二人の関係が深く深くなっていくわけなんです。
またそこに心の意思も大切なんです。
その良い関係を持ち続けるためには、ずっとずっと持っていくためには大事なんですよ。
夫婦でもそうじゃないでしょうか。
最後まで愛するぞ、決定にしていない、進化し続ける、どこまでも一緒に歩んでいくんだ、そういった意思も大事なんです。
皆さん、私たちが神様を、イエス様を知ることというのは、この三つのこととよく似ていると思うんです。
愛という感情、知るという知性、それからもうどこまでも愛するぞといった意思、
この三つが大事なんです。
まず一つ話しましょうか。
神様とイエス様を知るということは、神様、イエス様と人格的な関係を保つということです。
そしてそこには、まず神様を愛する心、感情が大切なんですよ、実は。
本当に神様は大好きということなんです。
神様、イエス様が大好きなんだから、ずっとずっと一緒にいたいんです。
別れたくないんです。
神様、イエス様に会っても会っても、もう会いません。
つまり、礼拝するのが大好きなんです。
皆さん、大好きな人と会って一緒にいたら、退屈に感じますか。感じないんですよ。
15:04
ドキドキワクワク、ドキドキワクワク、会いたくて会いたくて、見たくて見たくて、もうたまらないんです。
一緒にいたら別れたくないんですよ。ずっと一緒にいたいんです。
同じなんです。神様の顔が見たくて、神様の見こえが聞きたくて、賛美したくて、本当にワクワクするんです。
何ででしょうか。愛するから。神様が大好きなのか。イエス様が大好きなんだから。
だから、神様にお会いする時間がいつかいつか待ちきれないほどです。
早速、教会に行って礼拝したくてたまらないんです。
聖書を読みたくてたまらないんです。神様からのラブレーターなんだから。
神を愛すること、そしてその方を礼拝すること、これ以上の喜びはないんです。
なぜなら、神様とイエス様を本当に愛しているから。
そこに本当の愛の中にはないものが一つあります。義務感というものはない。
皆さん、義務感で人を愛するなら、夫を、妻を、子供を、神を義務感で愛するなら、それを本当の愛と言えるんでしょうか。
本当の愛とは喜びがないんですよ。喜びがないんです。
例えば、こいつのために朝ごはんを作るのにね。本当に皆さんはそうではないでしょうけど、本当に作りたくないんですよ。
でももう、奥さんだからと言うには作らなくてはならない。
でももうね、それ人気子の関係がないわけないんです。
たったごはんだけでも、味噌汁だけでも、愛があるならば、もう食ってあげたり、食べてもらいたい。
義務感がないんですよ、本当の愛には。
神を礼拝すること、奉仕すること、捧げること、本当に愛するなら、そこにはしなくちゃという義務感はありません。
代わりに、したい!したい!と思いませんでしょうか。
それが、神を愛すること、それが神の家様を知るということなんです。
皆さん、起きてしまいましょう。胸に手を当てて。
私は本当に神様を愛しているんだろうか?
愛という感情が本当にあるんだろうか?チェックしてみてください。
もしもこれほどの愛がもしないなら、あるいは欠けているなら、私たちはそのことを深刻に取り組んで考えて、
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神に祈って、愛を回復していただかなければならないんです。
信仰生活によって、これが一番大切なことなんです。
これは気質の性格の問題ではないんですよ、皆さん。
落ち着いている人であろうが、せっかちの人であろうが、ワクワクしている人であろうが、それは関係ない。
本当の愛という心を持っている。
神を知ること、イエス様を知ることの人格的な関係の肝心なところは、この愛なんです。
イエス様が大好き、神様が大好き、その方を礼拝することが大好き。
二番目、神様とイエス様を知るということは、神様、イエス様と人格的な関係を保つことですけれども、
そこには二番目として、神様をイエス様を知るという、この知性の部分がまた大切なのではないでしょうか。
知性というものも、神様がくださった賜物なんですよ。
神から来た神の神性、神の形なんだからですね。
知性を無視する、否定しているわけではないんです。
神様は、イエス様は、私たちにご自身のことをオープンしてくださった。
それを刑事とか言っていますけれども、オープンして示してくださった。
それが何でしょうか。この聖書の御言葉なんです。
新旧約、旧約は39巻、新約は何巻ですか。27巻合わせて66巻なんです。
この神の御言葉を愛する心を持って知ることです。
食べることです。研究することです。学ぶことです。目標することです。聞くことです。読むことなんです。
聖書の御言葉を学んで学んで学んでですね、また学びたくなる。
なぜなら、正しさが大切だからです。
だからね、神様の御言葉での聖書を知れば知るほど、
神様が何を喜ばれるか、何を嫌われるか、神様が何に対して高い関心をお持ちなのか、
神様は私たちや世界に対して何を望んでおられるかを知ることができるようになるでしょう。
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だから、神を信じる人、神を愛する人、神を知るという人は、
この神の御言葉である聖書を読む人であって、聞く人であって、
学ぶ人であって、研究する人であって、目標する人であって、食べる人なんです。
そして、その方の御言葉通りに歩みたいと願って願って、実際に歩む人なんです。
これが神を知るということです。
私はこう考えております。
もしも私たちが一日に聖書を一度も開かなくて、一度も読まないとしたら、
あるいはそんなに読みたい気持ちがあんまりないとしたら、私たちに、
果たして神を愛していると、知っている、信じていると言えるのでしょうか。
もし私がそんなものであれば、言えないと思うんですよ。
皆さん昔、今もそうかもしれませんけどね、恋愛の時代にですね、
彼女から彼からお手紙が届いたらですね、一度読んでしまってしまいますか。
そうじゃないでしょう。何度も何度も読んで読んで、覚えるほど読むんじゃないでしょう。
今日読んで飽きた、また読みたくなるんですよ。
そして捨てないとかに入れといてですね、それを読みたくなる。
私たちが誇れば本当に神様を愛していながら、
その方が送ってくださったこのお手紙が読みたくならないのは、むしろおかしいと思うんですよ。
神様を愛するなら、神を愛するなら。
3番目、神様とイエス様を知るということは、
神様イエス様と人格的な関係を保つということですけれども、
そこには3つ目として、神様とのこの愛の信頼、知るという関係を維持しようとする、
これを必ずもう守るという意思も、
実はどんなことがあっても神様を最後まで愛する、従っていく。
神様を捨てない。絶対に捨てない。
そうさせてもらおうという意思が大切なんです。
ところが皆さんよく考えたらですね、
この意思というものも本当の意味で神様とイエス様を愛するなら、
意思というものは自然についてくるものだと思うんです。
だから信仰が成熟したクリスタルの様子を見ると、
24:05
神様に対する意思が何者によっても邪魔されない、揺さぶられない。
しっかり言っているんです。
誘惑であろうが、迫害であろうが、邪魔されない。邪魔されたくない。
何者にも、物であろうが人であろうが、何であろうがね、
その強い堅い意思があるんです。
皆さん、このように神様とイエス様を愛する感情、知る知性、
関係を持ち続けようとする意思がある時に、
初めて私たちは神を知る、イエス様を知ると言えるんです。
そしてそれが永遠の命であるということであります。
例えば、神様を愛する感情があまりないまま、知識はいくらあっても、
聖書を言語から、ラテン語から、イリシャ語から、ヘブナ語から、
翻訳できる知識を持っていたとしても、
悪魔性であったとしても、
本当に大好きで愛する愛がないならば、神を知ると言えるでしょうか。
本当の意味では知っていないんです。
そしてその人も神に知られていないんです。
皆さん、これが大事なんです。
私たちが神様を知ること、そして神様に私たちが知られることが大事なんです。
そして愛する感情を持っているなら、自然にその方が知りたくなるんです。
愛するならば、恋するならば、知りたくなるでしょう。
何が好きなのか、何が嫌いなのか、知りたくなるんですよね。
神様を愛するならば、ちょっとどこっぽいですけど、神様と恋するならば、
その方のことがもう知りたくてたまらないんです。
そこに知性が働くんですよ。
もっともっと知りたいんです。
その方の言葉を読んだり聞いたりするのが喜びになるんです。
恋愛することが最高の喜びになるんです。
だから皆さん、使徒の働きの初代教会の使徒たち、
あるいは今も迫害されている国々のクリスチャンたちは、
27:00
神を礼拝することに、それがもし迫害されて礼拝できなくなるんだったら、
もちろん死ぬ方がマシだと思うわけなんですよ。
それより神様を愛して礼拝がしたいから、
何者にも礼拝することを妨げられたくないからです。
本当に愛するから。
皆さん、考えてみてください。
本当の愛の関係であれば、その間に何者かが入って、
二人の関係を邪魔する者を喜ぶ人はいないでしょう。
邪魔されたくないんでしょう。
それが人であろうが、物であろうが、時間であろうが、本当に愛するから。
神様を本当に愛するならば、神様に捧げ物を捧げることも、
実は大した問題でなくなるでしょう。
本当に愛しているんだから、神様と自分のこの人格的な愛の関係の中に、
それがお金であろうが、何者であろうが、邪魔されたくないから。
だから、いくらでも惜しみなくお酒をすることができるんです。
いや、むしろ、もっともっと捧げたくなるんです。
先週、月曜日、火曜日、福岡に出張させていただきましたけれども、
富山の支援の協会から選挙担当の牧師と、
それから5年前から支援の協会が大学生たちを、
4月に200人、250人、九州の大体20から25の協会に、
6人、7人、1週間、短期選挙を派遣しているんですね。
どんどん協会が、最初は十何個の協会が、どんどん評判になって、
うちも来てほしい、うちも来てほしい、どんどん増えているところでありまして、
今年、来年、それをもっと拡大するつもりで、
4月みたいなミーティングがありましたけれども、
そこに牧師と一緒に来てくれた少年の主治さんの話なんです。
聞いていてください。
ご親ですけれども、前は、
積極的にはお医者さんですよ。
その病院、お医者さんですけれども、
前は、十の、いわゆる内科、月科、そういう、
十個の病院を軽減して、延長して、
自分は心力科の専門をしていて、
いわゆるね、真空を持っていました。
もう本当にお金持ちでした。
ところが、彼が心空が深まっていくにつれて、
30:01
世界選挙に自分の、もうこのね、私より2歳上ですけれども、
自分の将来をおさげした、
そしてその経営している病院を全部整理して、
今は三つだけ持っていて、
そして、いわゆる今、販入のブームがあるから、
それもまたね、一つの道具として用いられるから、
その事務所を作って、
そしてもう時間が結構あるから、
そのためにインドネシアに、タイに、アフリカに、
今度は日本にも来てくれましたけれども、
もう世界選挙にですね、自分の時間やお金や全てを、
もう夫婦共にそれをおさげして、
喜んで来てくれて、
これからもあのこの日本で旧市で何か報酬させていきたい、
もう燃えていました。
私はその方に初めてね、お会いしましたけれども、
あ、神様を愛する事ってこんなものなのかな、
自分のあの富を、あのね、それを名誉を全部もうね、
片付けてでも、神に自分の将来を捧げたい、
そこまでする事が出来る事は何と素晴らしい事なのかな、
これが愛するという事、これが神を知る、
皆さんいかがでしょうか。
私たちは神様を知るものなんでしょうか。
それとも知っていると思っているだけなんでしょうか。
ジェインス・パッカーという僕先生が書かれた古い本が、
今度これまた新しい本になっていますけれども、
神を知るという事、
この本はぜひ、ちょっと分厚いですけどね、
ぜひ読んでほしいんですけれども、
神を知るという事という名著があるんです。
ここでこの先生がこういう風に語っています。
ちょっとこの先生の言葉、真夏です。
私たちは神を知ってもいないのに、
知っていると簡単に思い込んでいます。
人は神様について非常に多くの事を知っていながらも、
神ご自身をあまりよく知らずにいる事があり得ると言っています。
知っていると言ってはいるんだけど、実は知らずにいる。
そういう人が教会の中にあり得るという事なんです。
皆さん私たちは本当の意味で、
神様を、イエス様を、聖霊様を知るものになりたいです。
本当の愛に基づいた人格的な関係を持ち続けていきたいです。
33:02
神様が大好きで、イエス様が知りたくて、
だから固いしっかりした意志を持って、
どこまでもその方についていきたいという信仰を持つものになりたいです。
あるいは夫婦の関係のようにです。
大好きで、神格で、どこでも、どんな事があっても、
知恵があっても、金持ちなくても、貧しくなくても、
どこまでもついていきたい、この人とずっと一緒にいきたいという、
それと同じく、そういう信仰を持つものになりたい。
結論です。終わりにしますけれども、
これが実は永遠の命というものなんです。
このように神様、イエス様を知る事です。
神様を愛する事。
その方の事をもっともっと深く知る事。
そして一種的にその方についていく事。
これが知るという事であって、それが何ですか?
永遠の命という事です。
お聞きしましょう。
皆さんは神様を愛していて、
神様とイエス様と精霊様が本当に大好きですか?
何者にも邪魔されたくない大好きなんでしょうか?
神様とイエス様と精霊様を愛しましょう。
もっともっと知りましょう。
どこまでもついていきましょう。
お祈りします。
34:47

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