00:01
おはようございます。
この度は、講壇公開ということで、祝福としてお見舞いをいただきまして、とにかく感謝いたします。
赤嶋ひとみの教会の加藤幸男と申します。
この名谷教会、今日が実は初めてお伺いさせていただいたようなことです。
改造も初めて拝見させていただいて、きれいな改造であります。
特にこのステンドブラシですね。
とても美しいと言えるような、教会のみなさんの温かい雰囲気で、教会学校の子どもの声が聞こえるということで、素晴らしいなと。
また来年ですから、お祝いにしたいのではないかということで、私もまた心に覚えております。
今日は、中でこういった機会を与えられて、本当に感謝でございます。
恐れを感じつつ、慎んで、二言葉の取り継ぎをさせていただきたい。
一言お願いさせていただきたいと思います。
恵みに御志さもちなる神様、あなたの届きになる心よりやがめに感謝いたします。
今日はこのように、名谷教会、本当にご保持させていただきますことをありがとうございます。
どうぞこの教会が、これまで本当にこの神様によって導かれて、神様、宣教の技を持って教会が立て上げられてこられましたけれども、
本当に多くの先生方が、そして今は、ゆん先生、またご主催が、神様、本当にこの教会の僕らに寄与しんでくださる中、
生徒の、神徒の一人一人がまた祈り心を持って、先生方を支えて、神様、この教会の技に励んでおられることを覚えさせていただいて、
誠に感謝いたします。
どうぞこの地において、住宅街でもあります中、どうぞ近隣の方々、この教会がくれた方々に地域に向かって、
03:02
どうぞこれから大いなる宣教の宮座が進められてまいりますこと、神様の愛、イエス様の十字架の確かな救いを多くの方々に知っていただき、
また信じる群れがさらに起こされてまいりますことをよろしくお祈りいたします。
どうぞ今日このように御言葉を、またこのものもどうぞ御保証させていただいて取り付かせていただくことでございますが、
どうぞ菅、油注いでくださり、この時をあなたが成立してくださいますことをよろしくお祈りいたします。
はじめから終わりまですべてをあなたが握ってくださって、御自身の大いなる御御長恵みを我らに注いでくださって、
この一週間も一緒の御言葉に神様、本当にこの強められて、喜びと感謝をもって歩んでいくことができますように、
またこの時代、本当にこの週末の様子をさらに色濃くしている中にあって、
本当に神様はキリストにある主の御祭りを待ち望みつつ、なお平和を創り出すものはあいわいであるというあなたの御言葉に御従いして、
どうぞキリストの平和が福音の宣教の業をもって、本当にこの空に拡大せられるようにと、私たちこの祈りまた御奉仕させていただくことができますように、
あなたにお仕えすることができますように、よろしくお祈りいたします。
すべてを感謝いたします。
尊きイエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
ありがとうございます。
聖書の中には何度も読まれて、そしてその度ごとに恵まれるというような箇所がたくさんあるわけなんですが、
皆さんの中にも私にとっての御言葉ですというような、そういった聖書の箇所が終わりではないだろうかなと思うわけなんですね。
そういった箇所を私たちが分かち合うということですね。
それほどがやはり互いの信仰の励ましであるわけでございまして、
教会でもそういうことを思い出すときに、これはメッセージを聞くということはもちろん大切なことでありつつ、
そうであるときに、この聖書だけを読む集会なんていうのも、これはあっていいななんていうことも私も思うときがございます。
いつかそういったお互いの恵まれた御言葉を読んで、お互いに感謝したいというような、
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そういう集会も、いつかのほらいいなというようなことも覚えております。
そういった中の今日は、一つ私にとって本当に恵まれるなという箇所でございまして、皆さんとはかけ合いさせていただきたいと思っております。
先ほどもお読みいただきましたけれども、有名な箇所ですね。
ここに一人の女性が出てくるというわけでございますが、書いてありますように、
彼女は非常につらい人生を送ってきたという人物でございます。
深刻な病が彼女にはあったということです。
それは長寿を患っていたと記されております。
しかもそれが12年間という期間にわたって、彼女はずっとその病を背負って生きておったというようなことであります。
実際のところ、彼女が何歳だったかというようなことは書いていないわけですけれども、
またその長寿の患いというのが、今の現在の病でどういう病名がつくんだろうかというようなこともわからないわけですけれども、
想像できますね、どれほどか体調が優れないというようなことであったり、
加えて結婚して子供を産むというようなこともやはりできなかったんじゃないかなと思うんですね。
そういった病でいらっしゃったという。
ですからいわゆる一般的な女性の幸せということを、
彼女は得ることができないような、ですから肉体的にも精神的にも非常に苦しい辛い人生を彼女は送っていたというようなことでらっしゃるわけです。
もちろん彼女自身それで手をこまめいていたというようなことではないわけです。
ここを見ていただきますと、16節のところでございます。
ごめんなさい、26節かな。ちょっとステージが違ってごめんなさいね。
こういうふうに書いてあるんですね。
この女は多くの医者からひどい目に遭わされて、自分の持ち物を皆使い果たしてしまったが、
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何の甲斐もなく大抵悪くなる一方だと記されておるわけです。
ですから彼女の意味一生懸命、彼女だけではない、その親がいればその親もそうだったと思いますが、
何とか治りたい、何とか癒されたいというようなことで、
多くの医者にかかった、何とか治ろうと圧を運んだ、こちらに優秀な医者がいると言うならばそこに圧を運び、
あそこに命令がいると言うならばそこに出向いていったというような具合だった。
そういった経験を皆さんなさった方っていらっしゃるんじゃないですか。
私もこの女性というほどのことはないんですけれども、私は小さい時はアレルギーがすごいひどかったんですね。
私の家というのはいわゆる仕立て屋でございまして、テイラーでございます。
仕立て屋と言いながら、当時家で仕事場と普通の暮らす場所と分かれているわけでもないようなところで仕事を両親がしておったんです。
家の中は埃が、こうやって生地を切ったりするような埃が、本当にすごかった。光がさっそく埃が。
埋まっているのを覚えているような話です。
そうすると私も弟も大変なひどいアレルギーだったんですよ。
弟の方は喘息とか吸血みたいなものが絶えない。
私の方は鼻が通らないんです。小さい時から。
ですからよく小さい時は鼻が熱くなって口をアパッと開けておったというようなことです。
それですから母親も気にするわけですね。
私の名前はイクオです。
イクオちゃん、口を閉じなさい、口を。とか言うんですよね。
しかしながら口を閉じたこれ息できないですか。
僕からちょっとその時だけは我慢してよしって言って閉じましたけどもね。すぐパカッと開くというような。
そういうようなことで私も難儀していた。
これこそここに書いてある党です。こちらの医者がいいって言ったらそこに連れて行かれ、
あちらの医者がこれはもう治ると言われたら評判が良ければそこに連れて行かれ。
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しかしながら治らない。
でも党と私は当時の今福岡、私は福岡がうまいなんですね。
近くにいわゆる武田哲也の家なんかあるところなんですけどね。
民主的に行って手術まで教学校に。
美中国湾曲標ですねとかね。アデノイド取りましょうとかね。
手術まで受けたけれども治るかと言ったら治らない。やったら治らない。
最後は母親がそうと民間療法に売り出してきた。
昔もあるんですが、そうかいとかご存知ですかね。
ああいう健康雑誌というのが売っているんですね。
あれを買い出して見ている。
そのうちにですね、ある日です。
ちょっと行こうぜ。こっち来なさいって言うんですね。
何にお母さんかと言ったらですね。
このね、記事にすごい良いことが書かれているのよ。
どうしたの?と言ったら。
玉ねぎ、すりつぶして、生ですよ、生。
それを口の中に、あ、鼻の中にですね。
入れ込むと治るって書いてあるよ。
ええ?っていうような話ですけど。
やってみよう。
じゃあやるよ。と言ったらいいです。
いや、ちょっと待ってと言いながらも、
その規剥です。母のその時の治そうという行走規剥はですね。
たとえちょっとぐらい大きくなっても、抵抗できないんですよ、これ。
皆さんもそうじゃないですか。
自分の子供のためだと思った時の自分の顔を一旦鏡で見たらです。
すごいですよ。もう引きずり込まれるようにしてですね。
きっちりそうやってどうやって鼻にそれを入れられたか覚えはありませんけれども。
その時も、こう、粘膜にあの刺激ですからね。
悶絶したようなことでありましてですね。
しばらくそれからは母親と折り合いが悪い。
まあそんなこともある。
でも治らない。治らないんです。
そうやっていろいろと治療を受けても治らないというようなことを、
まあ皆さんもそういった体験あるんじゃないか。
この女性はまさしくそうであった。
ここを見ますとですね、持ち物を全部費やしたというぐらいです。
どんだけの。
しかも、これ酷い目に合わされてともありますけれども、
どんだけか辛い目に合わされてですね、
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そしてそれで良くなるならいいですけれども、
もうますます悪くなる一方であったとも書いてあります。
ますます悪くなる。
結果が思わしくない。それだけじゃない。
悪くなっていると言うんですよね。
お金もなくなる。持ち物もない。
症状もまたもっと酷くなっていく。
発砲下がりの状態。
しかしまたですね、それだけじゃないんです。
それだけか。それだけじゃない。
もう一つまたその彼女につらいことがあるんです。
何でしょうか。
それはですね、この病気の結果を被る宗教的なですね、
そういったレステルというのがあるんです。
長寿患うというのはこれは流失という表現が使われますけれども、
これは当時の立法で言うとですね、
あの重い皮膚病、そういったものと同等にこれは穢れていると、
そういう範疇に入れられてしまうようなものなんですね。
長寿患うということは宗教的にもこれは穢れている。
穢れているわ。
別にこういった、この記事15章ですがちょっと読みますので、
お開きいただかなくてもいいですけれども、
こういう風な記事があるんです。
もし女に月のさわりの間ではないのに、
長い日数にわたって血の漏出がある場合、漏れて出る漏出がある場合、
あるいは月のさわりの間が過ぎても漏出がある場合、
その穢れた漏出の間中、
彼女は月のさわりの間と同じく穢れると書いてある。
この、そして女の者にさわる者は誰でも穢れるとまた言葉が添えてある。
ですからその人は穢れている。
またその人にさわると穢れる。
そういう風なことがここで宗教的に穢れている。
ですからその人はその穢れを清めるために
宗教的に自粛をしなければならなくなるというようなことで。
ですからその人はですね、
みんなからうとんじられるようなことでもある。
確実されていたというわけではないでしょうけれども、
おそらくはそんな自由にですよ、
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歩き回って人と交わるようなこともできないようなことである。
昔は雑誌披露なんていうようなことが、実はそういったことがあったわけですよ。
この長所患った女性も人目を避けるようにしてまた生きていかなければならない。
そういったことである。
それが彼女の現実であったという。
私だけがもしそうだったらどうでしょうか。
今のこの時代はこういった時代ではありませんけれども。
絶望。絶望と言いようがないわけですね。
希望がない。私だけがこうだったら。
しかしながら、そういった状況ということを今つらつら申し上げましたけれども、
これからが大切なところですけれども、大事なのは、
それで彼女がもう絶望したのかというとそうじゃなかった。
彼女は望みを捨てなかったんですよ。
それで人生を諦めなかった。
投げなかったんですよ、これ。
12年間、暗く悲しくつらくみずめな思いをしておりましたけれども、
なお彼女はそこでしゃがみ込んでしまうというのではなくして、
救いを求めた。
救いを求めてその手を伸ばした。
その彼女がそこでしたことは何だったのか。
それはイエス様のところに行くということだったのではないか。
皆さんもご存知の方、お読みになった方いらっしゃるんじゃないかなと思いますね。
大変なベストセラーとなった本でございますが、
置かれた場所で咲きなさいという本。
ご存知でわかりますかね。
置かれた場所で咲きなさい。
渡辺和子さん、和子先生ですよね。
ノートラムの精神女子大学の学長を務めておられたという、
その先生が、女性の先生ですが、書いた本がもう一時期売れに売れたという。
私もですから買って読んだわけでございます。
感動しましたけれども、その中に忘れられない身近い言葉、フレーズがあるんですね。
それは彼女がこういうふうに書いている言葉ですが、
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一筋の光を探して歩むという言葉なんです。
一筋の光を探して歩む。
これはどういうようなことで言っておるかというと、渡辺先生はこれは、
人それぞれ深刻な悩みを抱えて生きていかなければならない。
そういうお互いであったとしても、
それでも一筋の光があるって。
その光を探しながら、明日を生きていけばいいんですという意味なんですね。
そしてまた神様はそのように、
あなたにその逃れる光を備えてくださっておるという励ましの意味のこれは言葉でございます。
一筋の光を探して歩む。
この女性は謎しく私はですね、その言葉に当てはまる。
一筋の光。
彼女にとってそれはこの時はイエス様だった。
そのイエス様に彼女はただいまと言った。
それはこの箇所で、今日読み取られたところでございます。
それこそそこは先ほど申し上げました、
人目を羽ばたるようなそういった病でもありますから、
そこに行くって大変な勇気を。
私たちもそうですよ。
もう落ち込んだようなことがあった時にですね、
人の前に出るってしんどいですか。
もう私たちも親切人で、大々さん今落ち込んでるわ、教会に来てもらおうと言ってですね、
はい、いらっしゃい、教会に来なさいよと言っても、
本人はあまりにも落ち込みすぎたら、
ちょっといいです、今日はもう。
おやすみしね。
信仰がないねなんてそこは言わないでですね、
ああ本当に落ち込んではるな、犬とぼーっていうのが一番いいわけですよね、
そういう時はね。
それぐらいのこと。
ところが彼女は、イエス様といってはもうたくさんの人たちが取り巻いているような弟子たちも含めて、
そこに行くっていく。
一筋の光を探して生きる。
29節であります。
そこにですね、その彼女は、
ふっと後ろからイエス様のところに来てですね、
着物に触るっていうわけですが、
その時の彼女の心の中身が書いてある。
置物に触ることでもできればきっと治る。
置物に触ることでもできればきっと治ると考えていたからである。
24:08
私どもの教会では交互役制御でございまして、
せめて見心にでも触れば治していただけるであろうと思っていたからである。
せめて見心にでも触れば治していただけるであろう。
先ほども申し上げました、何回も言いますが、
立法的に汚れているというような彼女でありますから、
そんな人がイエス様に直接などとは触るなどということはできない。
そういうようなことの中で、
それでもせめて見心にでも着物にでも触れば治していただけるという。
そう彼女は思った。
私はこの特に交互役制御ですが、
せめてという言葉が添えてあるのはすごく気に入っているんですね。
素晴らしい役だなと思う。
新海役でもそういうニュアンスはございます。
新共同役ではこのお方の服にでも触れば
治していただけるという、やはり同じようなニュアンスがある。
いずれもそういうニュアンスはありますが、
交互役では特にせめてと書いてある。
根拠がない役でしょうか。いやいや、私ももちろん調べはしました。
そうすると十分にそういう言葉が添えてもいいような原文なんですよ。
ですからそのせめてという言葉は、
やはりこれは先ほどの一筋の光を探して歩むということです。
道義ではありませんか。
私たちもですから、この女性の信仰を今日習いたいなと思う。
せめてイエス様の身衣着物にでも触るならば、近づいてですよ。
触るならば、そこに出向いて触るならば、治る、癒される。
これはしかしながら皆さん、決定、相極的な信仰ではございません。
むしろ積極的なこれは信仰と申し上げられると思うんですね。
神様に、イエス様に望みを置く信仰であります。
信仰せっかく信仰しています。イエス様信じています。
真面目に礼拝出ております。
それもいいです。大事なことです。
しかし皆さん、あなたは今、イエス様に望みを置いて生きてますか?という
27:05
信仰とはそういったものでございます。
私の母教会や福岡教会でありましてですね、
その福岡教会、僕社横田武之先生、
ユン先生、ご主婦さんがそこにいらっしゃった時期もちょっと終わっていらっしゃったので、
本当に感謝の話なんですけれども、
その横田先生には不思議とバランスのあった奥さん、塩子先生がいらっしゃるとですね、
不思議です、僕社というのはですね、この先生やったらこの先生、
ユン先生素晴らしかった奥さんも素晴らしいというバランスがですね、ちゃんとあるんですよ。
で、その塩子先生はですね、もう本当に私も救われて、
その先生にいろいろなことを教わった、奥さんの方にですね。
いろいろと私も知ってくださるんです。
その中の一つですけれども、先生は新校に入る頃のことだと、
まあ若い女学生ぐらいの時ですね、
で、塩子先生は団家もそういう家出すわけですよ。
もう結構厳しいんですね、宗教的に。
ですから、おっしゃるのはですね、
もうそういうところですから、自分の娘が教会に行くなんて、
もう本当にこのままじゃないわけです。
一旦行くなんていう話であります。
ですけれども、もう神様を知った、イエス様を知ることができた、
その塩子先生はですね、もうどうしてもこの礼拝に行きたくてしょうがない。
実際この子育った時代にですね、娘時代にそんな新校が与えられたという、
四国の高松の知恵でありますけれども、
いやあかんというような話の中でですね、
塩子先生はもう諦めたかというと、そうじゃなかったというんです。
せめて最後のその礼拝のメッセージにも間に合わないかもしれないけれども、
何とか抜け出してですね、せめて最後の祝祷です。
祝祷を言っても間に合いたいというような気持ちで、
一生懸命、週ごとですね、親のいろいろな顔色も伺って、
そして抜け出して、「礼拝に抜け出せよ!」
そういったことをおっしゃってくださった時にですね、
30:00
私は、「え、ほんとにそれほどのものか。
イエス様がそこにいらっしゃって、そのイエス様にお会いしたい、
御言葉を聞きたい、むずまれたい。
いや、それも叶わないならば、せめて祝祷だけを受けさせていただきたい。」と。
そのスピリットを教えていただいた時に、
その思うにですね、先生がその後、その人生を、
その信仰が決定すぎたと思うんですよ。
そこでその信仰があったことのゆえに、
今は牧師府、魂を貫くも80を超えていらっしゃるわけですけれども、
今も個人伝道、週に1人、2人、3人ぐらいはされてるんでしょうかね。
なさってるような先生。
せめてのその信仰によって、この先生の人生、神様に用いられている。
ですから私たちも、自分の思う通りにならないようなことは、
ただ、そればかりと言ってもいいような私たちの人生でありますけれども、
しかし失望する必要はありません。
せめての信仰をもってですね、どんなに小さな信仰であっても、
カラスじゃね一粒ほどにも満たないような私たちの信仰ですと自覚するようなことであってもですね、
せめて、頃のに今のに変わるならばという、その信仰をもってイエス様に近づくとき、
必ずしは応えてください。私たちもそうです。
人によってはですね、いや実際私の仕事をもう勘弄しておりますとか、
日曜日なかなか出られない仕事なんです。いやそうでしょう。
だけど祈りましょう。
上司の人と一生懸命、せめてそれでも月に一回二回、礼拝に出させてもらいたい。
そうやって礼拝に出てどれだけその方が喜ばれておるか。
家庭の都合でなかなか礼拝に行けない。
自分のその夫はですね、クリスタンじゃないので、
嫁のこのシュートンネさん、クリスタンじゃないのでなかなか難しいって。
それでもせめて礼拝に。
あるいは私も年取って、もう奉仕できなくなりました。
以前はもう元気にもう外に出てログを連動したりですね、
チラシ配ったりいろんなことできましたけれども、今もできませんよ。
33:03
せめて祈りによってです。
この京都を建て上げることに、私もまた恵みとして扱わせていただきたいものだ。
いや私は経済的にもう今は大変なことです。
本当に元気なの。なかなかしたいようにできない。
いや、いいんですよ。
だけども自分の中でこれだけのことを示されて、せめてそれを捧げるならば、
私はそれを油断にもしれません。
この女性もその信仰の行為によってどうなったか、29節でございます。
するとすぐに血の源が枯れて、
血の源が枯れて、ひどい痛みが治ったことを体に感じた。
私たちも風邪や多くのそういう病、熱がひどかった、
それが引いたというときに体に感じるというようなことがあります。
体に感じた。
素材はしてくださった。
それだけじゃない。
すごいことですけれども、またそれに気が付かれた力が出ていった、
そしたら気が付けたイエス様もその女性を探してですね、
そして言うわけです。
まあ、もう私たちはその方が分からないと思いますよとか言うわけですが、
いやいや、確かに。
この女性、目の前です。
娘よ、あなたのその信仰がある。
あなたを癒したのだという。
安心して帰りなさい。
動機にかからず健やかでいなさいと、
癒されただけじゃないですよ。
祝福をそこに与えられる。
何から何まで、
信仰のその行為がつましいことではあっても、
踏み出したその信仰の行為の結果として、
主がその人の祝福を。
千代子先生が、せめてといって礼拝に足を運んだ時に、
祝と主の祝福に預かった。
主は病を癒してくださるお方でありますが、
それだけではありません。
何よりも私たちを、
祝福し送り出してくださるお方であります。
そこで先ほどの渡辺一子先生のもう一つフレーズを
ご紹介させていただきたいと思うんですね。
こういった言葉でございます。
神は信じるものを拒まない。
神は信じるものを拒まない。
36:04
これも私は、これを読んでハッとしました。
神様という言葉です。
信じるものを拒まない。
ドアをガシャッと閉めて。
もうあなたはダメです。
あなたはよくよく私はもう分かってますよ、あなたのうちは。
もう今までの自分を帰りに行ってごらんなさい。
自分でも分かるでしょう。
もうあなたは受け入れませんよ。
人間だったらそういったことはあるかもしれません。
イエス・キリストの父なる神は、
信じるものを拒まない。
誰が他の人がどうたらこうたらあったとしても、
イエス様はあなたを拒まれない。
いや、拒むどころか、
癒し、救い、祝福してくださるのであります。
必ず応えてくださるのであります。
最後に一つだけお話しして終わりたいと思います。
私が敬愛する一人のですね、以前教会生活をしていた中に、
ご夫人がいらっしゃったんです。だいぶ少年の方でした。
もう礼拝の中で私が教会生活をしていた若い頃のその教会は、
自由祈祷というのがあったんですよ。
今だったら皆さんほとんど、
今日のお礼拝の祈祷の担当は誰誰って決まってますよね。
その方がお祈りされる。
ところが教会によっては、
では今からお祈りをいたします。
示されるままにお祈りくださいというような礼拝もあったんですね。
そうするとですね、ちょっと間が沈黙があるというようなこともありますが、
ところがその間髪入れずに、
週ごとに真っ先に祈るそのご夫人の方ですね、いらっしゃったんですよ。
で、私もその人にだいぶ励まされたことでありますけれども、
ある時は犯したいと。
それはその方がどうやって救われたかというとですね、
ある時、戦後そう経ってない時にですね、
彼女はこの教会に行ってイエス様を信じて救われたという。
それからですけれども、救われたのは自分だけです。
夫は全然そんなことではない。
息子を小さい男の子が3人いた。
赤ちゃんとまた小さい幼児3人いた。
で、彼女はイエス様を信じてですね、
なんとか教会に行きたい。
それで決定してですね、
毎週教会にその3人を連れて行く。
昔は車とかありませんから。
で、夫人は夫人で大反対。
そんなとこ行くもんじゃないというような反対をする。
39:03
彼女は決然とですね、いや私は行きますと言って、
この小さい2人の男の子をですね、
両手に引き、後ろに赤ん坊をかわってですね、
それで毎週歩いて教会に行き続けたという。
その結果、そのご主人もついには救われて、
私も覚えておりますけれども、
その教会では一生懸命、
救報の発をそのご主人が抱えて当てはりましたけれども、
それだけではない。
息子さん3人が成人してですね、
3人ともクリスタンになっただけじゃないんですよ。
役人者になっているんですね。役人者。
ですから私は、その女性の生産と申し上げますが、
その方の小さなささやかなことではあったかもしれませんけれども、
神様のところにですね、子供を抱えながらも、
足を運んで出向いて礼拝に行って、
そこから彼女は運命が変わったと思うんですね。
ですから今日申し上げたいのは、今までは、
それはそれで素晴らしいものでらっしゃった
神様のご恩賜を恵みに生きておられたとも思いますけれども、
もし今、神様が皆様を本当に祝福してくださるわけでありますけれども、
せめてもう一度ここでですね、
神様がチャレンジを与えてくださるという時にですね、
いかがでしょうか、この礼拝においてですね、
今この時、もうこれで私はもういいやというような
私たちの信仰ではなくしてですね、
進んでいこう。
イエス様のもとに、イエス様に触れて、
そしてイエス様の御心に、この近がっていこう。
そして祝福にあたろうというようなですね、
信仰をもって今日、死の前に立ち上がるお互いとさせていただこうではございませんか。