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おはようございます。バスエイの精神科リブラでございます。
えー、今週も頑張ってやって参りましょう。
えー、先週ね、あのー、なんていうかな、依存症の話、いろいろ盛り上がりましたね、先週ね。
で、今いろんな先週の放送だとか、その、あの、アンサーみたいな放送だとか、
あー、いろいろ聴いてみて、えー、これいいのかな、6本できてるのかな、できてる!できてる!できてる!
えー、聴いてみてですね、ちょっとね、マイクまたね、同じ場所に持ってきましょうか。ちょっと手でね、持ってますので。
これどっか付けるんだけど、付ける場所難しいよね、マイクってのはね、まあどうでもいいか。
えー、ピンマイクなもんですからね、どっか付けないといけないんだけど、付けるとね、なんかちょっとね、
ゲインが上がれないんだよね、ゲインが低いんだよね、ちょっと音が小さくなっちゃうんだよな。
えー、まあいいや、えーと、なんでしたっけね、あ、で、依存の話があったんですけど、
で、まあ、Pラインの方でもやりましたし、まあ受けて、その僕らの話を受けて、
えー、チカラさんもお話をしてくださったり、まあ猪瀬先生もまたね、お話をしてくださったり、いろいろしてましたけど、
まあそれらも聴いてね、まあいろいろ思ったんですが、
で、えーと、まあPラインの方で、スカンクさんがね、えー、なんて言ったかな、
承認欲求依存症なんですとおっしゃってたね、えー、まあ承認欲求を依存症と結びつけていいかどうかちょっとよくわかりませんが、
えー、そん、まあ、なんかね、依存症ってそういうことかい?って思うけど、まあその放送の時は別に言いませんでしたけど、
まあ言いたいことはね、えー、わかりますのでね、えー、僕は承認欲求がね、そこに頼っているんです、依存しているんです、
まあそういうことが言いたかったと思うんですけども、まあ依存症と言っていいかどうかっていう問題はまあありつつ、
まあまあ言いたいことはわかるということで、えー、まあ流しましたけど、
まあそこでね、ちょっとね、そのまあ承認欲求の話をね、えー、スカンクさんがしたんでね、えー、まあちょっとその話をしようかなと思ってですね、
まあ承認欲求ってのはまあ誰にでもある程度はあるわけですよね、普通の人はね、まあ褒められたいっていうことですよね、
でまあそれがあのスカンクさんは少し他の人より強いんだというふうにおっしゃっているわけだな、
まあだけどどうですかね、まあ確かに他の人よりというその場合の他の人を誰かと誰にするかという問題がありますよね、
で、まあそうだな、確かにな、この我々のWEB2、WEB3のこのスターF、WEB3コミュニティおよび、
まあこのWEB3から派生したスターFコミュニティの中では、えー、確かにスカンクさんは、あー、承認欲求強めではあるのかもわからないなと思いますね、えー、
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まあしかし、えー、世間的にどうかなというふうにはちょっと思うんだよね、世間的にはまああんなもんじゃないっていうふうに思わんこともないですね、えーと、そんなに特殊かな、まあ誰でもさ、褒めてほしいじゃん、ね、でね、
まあそういう意味では、僕なんかも承認欲求が強めなんでしょうね、あの、このコミュニティの中では、あるいは、僕の周りの精神科医の中では強めかもわからないですね、
僕の知る限り、精神科医の、僕の周りの精神科医の多くは、あー、あんまり人からの評価を欲しない自閉症的な人が多いですね、えー、人は関係ないっていうね、えー、まあ一部ね、人からの評価を欲するような人もいますがね、あんまりないね、で、うーん、まあどっちかっていうと内科の先生とかのほうが承認欲求が内科かな、うーん、強めのような気はします、
ね、褒めてほしいっていうね、でですね、その承認欲求というかね、褒めてほしいっていうね、あの、ものはですね、あの、まあ、あのね、ある程度あったほうがいいんですよ、そりゃ、あの、あったほうがいい、まあいいか悪いか難しいな、いいとか悪いかって価値判断なんで何にとってというのが必要ですけども、
例えば、世間的に、えー、えー、世間の人が期待する医者としての能力という意味では、あー、まあ、承認欲求みたいなものがある程度あったほうが、つまり褒められようとする人のほうが、ま、医者として望ましい人が多いね、えー、つまり一生懸命なんだよね、あの、褒められたい人って、
しかも、自分の欲望に、あのね、自閉症的な住屋木職人みたいな、自分の欲望に素直で、欲望に基づいて一生懸命やるわけではなくて、住屋木職人みたいな、自閉症みたいな人は、自分の欲望に向かって素直だからね、やりたいことやっちゃうからね、えー、だけど、その、承認欲求側の、を求める側の人っていうのは褒められたいわけだから、褒められようとするということは、
自分のやりたいことではなくて、人がやって欲しいことをやろうとするから、ま、医者としてはさ、医学研究者としては、あー、ま、どっちがいいかわかんないけども、医者としてはですね、現場にいる医療者としての医者としてはさ、患者さんとかそういう周りの人のね、えー、期待に応えようとするほうがいいじゃないですか、ね、別に期待なんか応えなくたってやめ、別に面倒くせえ、この人の病気どうでもいいや、興味ねえやっていう先生よりさ、
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あの、治ってありがとうって言われたい先生のほうがいいでしょ、で、一生懸命やってる人のほうがいいでしょ、ね、害してね、やっぱね、承認欲求みたいなものがある人のほうが一生懸命やるんだよね、えー、で、それこそ承認欲求っていうのは、そのヒーロー、ね、すかんきさんがヒーローだって言ってらっしゃったけど、ま、おせっかいなんだよね、えー、で、そのおせっかいさみたいなものがね、やっぱりね、承認欲求強い側のね、先生にはあるね、で、あの、首突っ込んでいくね、余計なことにまでね、えー、
で、それがね、若干こうじてですね、えー、おせっかいがこうじてね、おせっかいみたいなもので入ってはいけない病気、接触障害だとか、そういったときはね、ちょっと失敗しますね、やっぱね、承認欲求強い側の人はね、ま、だけど、ま、そういう特殊なね、えー、おせっかいみたいなものが邪魔になるような接触障害治療みたいなときはちょっとまあ別ですけども、ま、一般的にはね、えー、褒められようとして一生懸命やる先生のほうがそれはいいよ、ね、
なんですよ、で、ま、僕もね、若干そういう褒められたい欲がある、ちょっと強いかなと思うんですよね、精神科医の中ではね、で、それはね、やっぱりね、あの、褒められたい人っていうのはやっぱりちょっとちっちゃいときにやっぱりちょっと、なんとかな、なんかいろいろあって、なんかな、ま、うーん、ま、僕なんかはそんなに褒められなかったような経験はないんだけど、ま、うーん、ま、そうだね、一般的にはちょっとなんか親からちゃんと褒められなかったみたいな人が、
証人欲求強めにはなるわね、一般的にはね、僕はそんなに褒められなかった気はしないんだけど、ま、うーん、ま、ちょっと母親が自閉症っぽい人だから、あの人が適切には褒めてくれてなかったのかもわからないね、僕はそれを感じたのかもわからないね、ちょっと自分ではね、なかなか自分で自分の心ってのはわからないわけですが、
ま、それで、えっと、ま、若干その褒められたい欲が強いわけですが、僕の周りの精神科医と比べると、えっとね、それがね、ま、その後財というものがありましてね、ま、だから後の部分は今言った、あの、一生懸命頑張れるってことでね、褒められようと思って、要は、しかも他人のね、自分の、ただその自分の興味関心だけじゃなくてね、
財みたいなものに応えようと一生懸命やるからさ、医者としてはさ、いいじゃないですか、ね、てことで後財の、これは後なんでね、財の部分ってのがちょっと問題でね、僕なんかは特にですね、あの、例のその依存症のピースをね、パズルのピースね、積み木の一部分をね、え、考えもなしにね、考えもなしにってことじゃないんだけど、良かれと思ってなんだけども、要は腐ってるものを取るという風に訓練されているから、
まあ、取るわけですけども、そうしたらさ、そのピースが崩れてしまってさ、ピース、うーんと、パズルが崩れてしまってさ、最後さ、亡くなっちゃったりするんだよな、自殺したりするんですよ。
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やっぱり、その、大きなさ、なんていうかな、目標というか生きる、なんていうかな、その、生き甲斐、なんていうかな、人間のその柱みたいなものを、なんていうか、柱じゃないな、まさにだから積み木を失うからね、ね、そりゃあの、死んじゃうんだよね、場合によっても、最悪ですよね。
その他ね、例えばね、具体的にちょっとね、言おうかと思いますけども、昔の話ですけどね、えっと、例えばね、僕はね、当時の精神科にしては珍しく、そもそも内科医になろうと思っていたところがあってね、
フラット先生と対談のときにも話しましたけど、僕はあの循環器内科とか、メインは神経内科、まさにフラット先生と同じの神経内科、最初は研修院に入る前は小児科になろうと思っていて、回ってるうちに循環器内科とかそっちの内科系行こうと思って、本当は腎内、腎臓内科とかも行こうと思って、
途中から循環器内科だろってなって、最終的には神経内科になるぞと思って、最後の最後は本当に精神科になっちゃうわけですけども、神経内科考えてたんですけどね、そういうようなことでね、内科の研修とかをね、まあまあ一生懸命やったので、ちょっと内科的な知識がある程度はあったわけですよね。
当時の精神科の医者っていうのは、当時ローテイト研修といっていろんな科を回るというのが一般的ではなくて、僕のいるこの名古屋地域と東北大がある仙台地域では、要は東北大と名古屋大学が直接大学の医局に入局させずに、町の病院を2年間研修してから入局させるという方式をとっていたせいで、
この地域、名古屋地域と仙台地域だけがローテイト研修を昔からやってるんだよね。で、その影響で、僕なんかもそこに組み込まれた、名古屋にいますからね、組み込まれてローテイト研修をすることになるわけですよ。
ところがですね、僕が入局したところは名古屋大学じゃないので、そうするとね、そこの先生たちは名古屋大学の仕組みに乗っかってないので、乗っかってた人も中にはいなかったな、いなかったな、いなかったですね。
名古屋大学の関連の人はいなかったんで、出身の人もいなかった、いたか、かなりの少数派でパッと思い浮かばないし、当時医局にはいなかったかな、というレベルなんでですね、誰もね、ローテイト研修みたいなものやってない、つまり内科研修やってなかったんですよね。
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なのでね、バリバリのというかガッツリというか100%ストレート果汁みたいな精神科医なんですよ。混ざり物、混ざり気なしみたいなね。なのでね、内科の知識があまりないわけ。だから内科治療苦手なわけ。
そうするとね、僕はアイデンティティを、僕の僕らしさみたいなものを示すためには、僕は研修を2年間の研修を他でやってきたという珍しい当時の曲では、今当たり前なんですけども、今法律でルール化されてそれやるのが当たり前なんですが、当時珍しい内科なんかを研修してきた精神科医だったんですよ。
2年間やってから来たんでね。そうすると僕はね、内科的な知識を生かさないといけないという僕の立場としてね。ということで、わりとね、やたらね、身体疾患に基づく精神障害みたいなやつを見つけるのに不信したわけですね。熱心にやったわけ。
そうして一生懸命やるとね、結構見つかるもんでね。統合症状ということになっていたけど、実は良側のクッシング症候群、まあまあね、細かいことはいいじゃないですかね、とかね、クッシング病であるとかね、あと何見つけたかな、まあいっぱい見つけたんだけども、成長ホルモン分泌偶然症候群とか、まあ何やらかんやらね、いろいろ見つけてるわけですよね。
過水帯線症見つけたりね、まあいろいろ見つけるわけ。精神病らしくないところをパッと捉えてですね、そこからね、甲状腺筋の更新症とかね、低下症とかね、橋本病、バスド病ね、そういうのも見つけるわけですけど、その微妙な違いみたいなものから、
これはおかしい症となって、再移血だとかね、いろんな検査を加えていて、あ、これは違いますね、これは鬱病じゃない、これは統合症症じゃないですよ、というようなことを見つけて、まあすごいねと言って褒められると、で、僕は喜ぶとね、すごいねと言って褒められて喜ぶ。
あるいは患者さんの家族、あるいは患者さんからありがとうございますと言われて、まあまあ、こんなことはね、医者として当たり前ですよみたいなね、まあいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろい
やっぱりね、褒めて欲しいという気持ちが強いんですよね。で、それがね、やっぱ悪い方に働く時があるんですよね。
つまりだから、褒めて欲しいが故にですね、患者さんのことよりも自分のことを考えちゃってるんだよね。
なのでね、やっぱりね、抜いちゃいけないピースを抜くんですよね。
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抜いちゃいけないとその時は気がつかないんだよね。
それが、患者さんが倒れるかどうかよりも、自分が何かを見つけて抜いて直すぞという気持ちがね、全面に出ちゃう。
それはもう患者さんのためじゃなくなっちゃったような途中から、自分が褒められたいんだよね。
だけどさ、いろんな例がありましたけど、あんまり具体的なことは言えないんだけど、
例えば思春期だとかみたいな大事な時期をね、精神病として過ごしている人とかいるわけですよね、結局ね。
精神病っていうのはさ、統合視聴症も、まあ統合視聴症ならば、統合視聴症って言いましょうかね。
統合視聴症なんていうのはさ、やっぱり当時ね、やっぱり今よりももうちょっとね、統合視聴症がもう少し重めだったので、
この辺はまた、この話はまたいずれしましょうかね、どっかでね。今と違うんですよね。
なのでね、統合視聴症はね、主に病院にいましたしね、入院していましたしね、
先生の言うこと聞きなさいと、自分で考えちゃダメよと、お母さんそれでいいと言ったの、先生に確認しなきゃダメよと言ってね、何人も決めさせてもらえるわけ。
子供扱いされるわけ。精神科の病院っていうのは患者さんをどんどんどんどん子供にしていくという治療をするわけ、基本的には。
で、判断させないようにね、狙んでも噛んでも先生に引く、親に引くみたいな、責任感のない、判断能力のない、子供のままとどめるという治療をするんですよ。
まあ今もそういうところありますよね。でも、そうやって一人の人間として成立しないように仕向けるわけ。
成立したら困るわけ。判断力がおかしいというふうに言うんでるから、妄想がある、幻覚がある、判断する能力がないというふうにこちらは踏んでるからね。
まあそういうふうに評価してるからね。で、それはまあその講座の話は今回別ですんでまあいいじゃないですか。
まあそれはまた別の話だ。で、それがいいか悪いか別の姿勢、そういうもんなんですよ。
で、一般の人っていうものはそれじゃダメじゃん。社会で責任を負って生活しないといけないからさ、自分で決断しないといけないじゃないですか。
っていう立場じゃないですか。これ別の目標があるわけだ。
で、僕は統合主張症だということになっていた人を、いや違うと、これは内科の丸々病による症状であって統合主張症ではないというふうに持っていくわけだ。
すごいものを見つけましたね。要は統合主張症だと思われてたものが違ったということで、これは僕のやってることが福音になるわけですよ。
ということで、僕はそういう病気を見つけまして、あるんだが、ということは普通の人にするわけだ。
統合主張症で病院で守られた存在で子供のままとどまっていた人を大人にしていくわけだ。
ところがね、やっぱね、それはね、病気が発症してから1年2年であればまだ何とかなるんだけどね。
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僕はその辺当時よく分かってなかったですけどね。
1年2年3年4年5年6年と時間が経てば経つほど元に戻るのが難しくなるんだよ。
だってさ、10代20代の大事なね、どっかのタイミング10年間もね、精神病院にずっといてですよ。
そこでね、お前は何もやっちゃダメだ決めちゃダメだということに聞きなさい従いなさい。
先生に聞かなきゃわからないんだよ。お母さんにちゃんと許可取らないと無理よって言ってね。
大事な10年間ね、大人になる10年間をね、ずっと精神病院でね、そうやって大人になるな大人になるなと教育された人がね、急に大人になれますかそんなの。
急に甲状腺の病気を急に治したからと言って、急にクッシング病の下垂体を治したからと言って、クッシング症候群の腹筋を急に取ったからと言ってね、手術で取ったよホルモンはなくなるよ。
だけどさ、その10年間の歴史がどうもならんじゃないですか。
だけどさ、僕はそれが分かってなかったんだよ。
自分が褒められたいばっかりでしょ。
だからさ、患者さんにね、もうあなたは治ったんですよというメッセージを出すんだよ。
よかったね、治ったね、これで普通の人と同じだね。よかったね、治ったねと言って、こういう僕は呪いをかける。また呪いをかけるんだよこれ。
健康の呪いを僕はまたかけ始めるわけです。ここで患者さんにね。
元気でなければいけないというね。
それはそうじゃないと僕は褒められないからね。
僕もその元気でなければいけない健康の呪いに僕もかかってるわけですよ。
で、その呪いをもとにですね、患者さんにね、新たに僕がかかってる呪いを患者さんにかけ込む。
患者さんもかかってるんだけどね、同じ呪いにね。
だけどそれをまた強化していくわけ。
だけどさ、だから正常にならなければいけないというわけよ。
あなたはもうね、手術して治ってるんだから。治ってるはずなんだって。
だけどさ、患者さんとしてはさ、10年間さ、子供扱いされてきたでしょ。
そりゃね、うまくいかないわけだ。
だけどさ、うまくいかないと言えないんだよ僕には。
親にも。だってうまくいかないと言ったらさ、うまくいかないことはないよ。
手術してもう治ってるんだから。
僕はさ、自分が手柄を立てたいわけですよ。
ってことはさ、患者さんの病気を見つけたけど結局よくならなかったというのはさ、
僕の手柄が薄いじゃないですか。
僕の手柄がでかくなるためには、僕が珍しい病気かなんか知らんけど見つけて、
そのために、そのせいで、そのおかげで患者さんがグーンと状態がよくならないといけないわけよ。
すっかり治らないといけないわけよ。すっかり治らないといけないわけよ。
すっかり治ったらさ、これ僕の活躍の度合いがでかいじゃん。
いや、リブラス先生すごいってことになるじゃん。
リブラス先生、珍しいやつ見つけて、あのね、若いのに。
すっかりなんかね、なんかめちゃくちゃいい人生になってる、あの患者さん。
リブラス先生に見てもらってよかったね、と。
ゆえにリブラス先生はすごいね、と。
まあこれらのことでさ、僕は褒められようとしてるわけですよ。
なので、完全に治ってもらわないと困るわけよ、僕としては。
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なのでさ、あなたは治ってる、治ってる。あなたは治ってる、治ってる。
良くなるんだ。いいはずだ!っていうね、そういうプレッシャーをどんどんかけていくんですよ。
どんどんまたね、呪いをかけていくんですよ、これね。
あなたは元気だ、元気だ、元気だ。治ってる、治ってる、治ってる、と。
ところがさ、治ってないじゃん。治せないじゃん、10年間の空白。
これはどうやって治すんですか?僕そこをね、見てないわけですよ。
なのでさ、患者さん、でも10年間の空白のせいでできないんですよ。
いくら言われたって、僕に治ったって言われたって。
そしたらさ、なんかさ、追い込まれちゃってさ、何人かそういう人があったんだけど。
痙攣してる人があったりね、なんかね、足が動かなくなってヒステリーなんだよ。
で、なんか足が曲がっちゃったり、そういう人がいてさ、
もうそれで、その、なんかね、足がね、ちゃんと動かなくなった患者さんが見てね、
はっと気がついたね、その時に。
あのー、2例目ぐらいで気がついたね。
あ、これ僕がやってしまったことなんだと思って。
つまり、その足がさ、変な風に曲がったりさしてさ、歩けなくなったのはさ、
僕のせいなんだよ。
僕がね、そこでね、彼らにね、プレッシャーをかけなければよかった。
その時はっと気がついた。
あの時僕が言わないといけなかった言葉は、
僕が実際に言った言葉は、
あなたは手術によって病気はすっかり治りました。
なので、遠慮することなく、
ね、普通、今までね、制約されていたけど、
あれはやっちゃ、これはやっちゃダメだと言われていたけども、
それは間違いだったので、
今からはね、みんなと普通の人と同じようにね、
ね、ちゃんとね、あの、自由だからね、権利も全部あるからね、って言って、
つまり、権利があるからねって言ってるのは、
あんたは責任があるからねって言ってるのと同じことなんですけど、
大丈夫よ、と。
ね、もう治ったんだよ、こうやって僕が言ったんですよ。
だけど、そしたら患者さんが追い込まれて、
痙攣したりとか、どっか手が動かなくなったり、
足が動かなくなったりしてしまったんですよ。
僕が言わなければいけなかったことはこうではなくて、
僕が本当に今思えばですけど、
言わなければいけなかったのは、
あなたは、あなたの病気は手術によってすっかり、
一応ね、すっかり治りました。
だけど、すっかり治ったというのは、
ホルモン的な問題としてはすっかり治りましたが、
しかし、あなたが統合症状として、
10年間、この精神科の病院で暮らしてしまったという、
このことに関しては、これは治しようがないことなので、
なので、この部分の障害は残りますと。
なので、あなたは確かに、
自分から先はもう病気に苦しむことはないので、
治っているんだけども、
ここから後ろの10年間、精神病院にいて、
いろいろ成長を妨げられたという、
このもう1個の別の病気ね、
二次的な病気に関しては、
今から少しずつリハビリをしてやらないといけないので、
すっかり治ったと思ってもらっては困りますよと。
なので、少しずつまだね、病気ね、
本当の一時的なホルモンの病気は治ったけど、
二次的なホルモンの病気ではなくて、
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統合主張症だというふうに誤信されたせいで、
起こってしまったいろんな問題に関しては、
今からね、10年かかってなってしまったことは、
10年かけて治していきましょうねと、
こう言わないといけなかった。
だから何かできない。できないのは当然だよと。
あなたは10年間精神病として暮らしたんだ。
そんな急にできるわけないじゃないか。
そんなに慌てなさんだと。
10年かけて戻しましょうと。
現実の症状の状態まで10年かけてリハビリしましょうよと。
そういうふうに言わないといけなかったのを、
僕は自分の手柄欲しさに、
自分が褒めて欲しいばっかりに、
お前はもう完全に治っているはずだと。
あなたは治っている。完璧に治っている。
というメッセージを出して追い込んだんですよね。
こういうことをいっぱいやったと思う。
もうその時ってさ、
もう患者さんのこと考えてないもんね。
褒められる自分のことしか考えてない。
20代の時の話ですよ。
若気の至りと言ってしまっては申し訳ないんだけども。
でもそんなこと誰も教えてくれなかったしね。
周りの先生たちも先輩の先生たちもすごいすごいと言ってね。
すごいもんだすごいもんだと褒めてばっかりくれたもんだからさ。
周りの人も気がつかなかったんだろうな。
現実の先のわからんよ。
現実にこういうことが起こって初めて気がついたんだよね。
僕なんかは完全にそういうことが起こって初めて
心に刺さりましたよね。
症状が出た時、患者さんのね。
そんなこと起こるはずがない症状が起こったんだよね。
うわー僕のせいだと思ったよね。
そこから急に言い方変えたけど、いやいや10年間ね。
あなたが病気だということにされてね。
統合症状だということにされてね。
ここに押し込められてね。
自由を奪われたことによるね。
弊害みたいなものはね。
残るんだよってことはね。
後からは思いましたけどね。
これは大反省ということで。
ということでですね、今回はね。
ということを今日は言いたかった。
怖いよとね。
人間っていうのはその承認欲求っていうのはね。
おせっかいというのはね。
おせっかいとか承認欲求っていうのはね。
行き過ぎると害ですよね。
あるとね。ないとね。
それはそれで問題なんだけど。
あったほうが一生懸命でやる気なんだけどね。
行き過ぎるとこういうことになるからね。
人に迷惑をかけます。ということで。
今日の話は承認欲求というのは誰にでもあることだと。
承認欲求みたいなものがあるというのは
褒められたい欲みたいなものがあったほうが
熱心になるしね。
ヒーロー的に人を助けようとするしね。
ところがちょっとこうじるとおせっかいになるけどね。
そういうのはあると。
僕の自分の反省ですけど。
特に医者としての反省ですけども。
承認欲求が強い若い時ね。
特にね。
褒められたいがゆえにね。
患者さんにプレッシャーをかけてしまったりね。
でも途中からはね。
患者さんのことよりも自分のことを考えてる。
自分が患者さんが病気が治るというのは
目標なんだけども。
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それが患者さんのためにではなくて
僕が褒められるために治ってほしいと。
いうふうな思いが強すぎて。
もうすでに患者さんよりも自分のことを
考えてしまっていた。
そういうことによって
新たな病気を生んでしまったということが
僕の経験上あって
本当につらい
もっと言えない
もっとひどいこともあったんだけども。
全部僕の善意みたいな
後から気がついたんだけどね。
っていうようなことがありましたということでね。
やはりね。バランスって大事だなと。
いうような話を。
反省とともにね。
今この年になってみるとね。
そういうことあったなと。
思い出してみたところでございました。
ということで。
今日はこの辺にしましょうかね。
今週も元気にやってまいりましょう。
ということでみなさん。
さよなり。
またやったね。
切るボタンを準備してから
言うべきなんだよね。
おー長い。さよなり。