伊町公園の散歩
始めていきましょうか。
よろしくお願いします。
今日は、小向善幸さん、天理教、桃石文教会、小向善幸さんと大浦瀬町の伊町公園を歩きながらお喋りしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
じゃあ、ここは大伊町ですね。ここをスタートに。すごいですね、これ。
いや、すごいですよね。あんまり人が来ないんですよね。
知らないってことですね。
知らない…。確かに伊町公園って言うんですよ。みんなちなみに沢山行くんですけど、アクセスの仕方がわからないかもしれないですね。
この大伊町があるから伊町公園ってことですね。
そうですそうです。
いやー、これはすごいな。これが日本一だったってことですよね。
かつてそうですね。
なんかその大伊町の伝説も、そのちっちゃな杖が目が覚めたら目が張ってて、伊町の木になってたっていうのを小さい頃から聞いてましたけど、
そんなことあるわけないじゃんっていうふうに思ってて、自分が大きくなって宗教者という立場になってきた時に、
それってどういうふうに解釈したらいいんだろうなっていうのは、今自分の中で一つ課題としてあって、
事実だろうと、そうでなかろうと、ここにこんな立派な大伊町があって、そんな謎めいた歴史もあって、
自分の感性をもっと豊かにしてくれるような素材がこんな地元にあったんだなっていう、
嬉しさが最近はあって。
その物語が伝えているものが何かってことですね。
あ、これもう行き止まりだ。
そうですね。もうここをクルッと回るぐらい。
行きましょう。ここからスタートして。
ノルディックウォークの体験
ここは神社ですね。
その自覚さんが不動明王を置いていかれたと。それをお祭りする神社っていう。
寝岸地区って言うんですね。
そうですね。ここが寝岸って言いますね。
じゃあ行きましょうか。
結構子供と一緒に来たいなって思うんですけど、怖がってなかなか入らないんですよ。
雰囲気がありますもんね。
雰囲気がすごい重いですもんね。ここから別世界みたいな感じがしますね。
子供は怖いな。
普段も歩くんですか?
歩きますね。
最近、この前初めてノルディックウォークっていうのがあって。
ノルディックウォーク?
ストックを持って歩くみたいなやつ。
ストック?
ストックを持って歩くやつ。
ストックを持ってリズミカルに歩いていくだけなんですけど、結構面白かったですね。
一人でやるんですか?
いやいや、誘われて。
市役所の人に、「いろんなことをお寺でやってるんですけど、全然人来ないですよ。」みたいな話をして。
お寺の行事もいろいろあるけど、高齢者向けの催しだとしたら、「お寺で待ってないで、そっちに行けばいい。」って言われて。
ノルディックウォークっていうのがあるから、「そこだと結構みんな参加してるから、定期的に参加してみたらいい。」みたいな感じで言われて。
結構参加者がいるってことですか?
いいましたね、40人くらい。
で、「この前参加したらどこどこの住職です?」みたいな感じで言われて。
で、「じゃあ一緒に歩きましょう。」みたいな。それだけなんだけど、すごい面白かったですね。
お話ししながら歩くんですか?
そうですね。リードしてくれる人がいて、「この木はこういう岩れです。」とか、「ここに橋の欠片がありますね。これはもともとこういう岩れです。」みたいな感じで。
車で歩いてたらわかんないですよね。歩かないと。で、歩くと、なんかちょっと破片っていうか、例えば橋の欠片みたいなのが残ってたりして。
で、「この橋はもともとこういう、世に使われてたものです。あるいは、ここの溝はもともと水田がここに広がっていた。」みたいな話が聞けたりして。すごい面白いです。
確かにそれは面白いですね。
だから、正規的に参加してみたらいいって言ったら。だから、あれ、ストック買おうかなと思って。自分用の。案外高いんですよ。
レンタルもできてっていう感じで。
そうなんです。すぐネットで調べて。それは結構、カーボンとか。そういうのがあったりして。面白いですね。でも定期的に参加しようと思ってます。
宗教者としての学び
今日来たのは、臨床宗教誌を見ておめでとうございます。
2年間ですよね。どうでしたか?
やっぱり、自分が宗教者っていう自覚がなかったっていうか。
それまでは?
もちろん、宗教の世界の中に身を置く1人であるっていう認識はあったんですけど。
宗教っていう言葉の捉え方が違っていたというか、そういうのを基礎から学び直すことができたっていうか、学んでこなかったような気がして。
自分の教団の世界観とか価値観しか知らなくて、その言語しか知らなくて。でも、もっと遥か昔からいろんな人たちが、いろんな努力をしたりとか。
そういう中にいろんな宗教観があって、すごく勉強になって。
臨床宗教誌っていう資格を得れなかったとしても、すごくいい学びだったなっていうのがあって。
そうっすよね。確かに。語彙力っていうのが増えますよね。
もうずっと今まで自分のところの宗教の言葉しか使ってなかったんですけど。知らない他の宗派のいろんな言葉が。
そのいろいろな捉え方を学べるっていうのも、いい機会ですよね。
やっぱり、資生館っていうのを多めに触れる機会があると思うんですけど。
自分の教養の無さっていうのも、まざまざと知らされたことでもあるんですけど。
仏教って、いろんな宗派があるんですけど。全部、リンネっていうんですか。極楽とか地獄とかっていう世界観を持っていると思ってたのが、
ちょうど神宗とかっていうのは、そういうのはもうそもそもないんだよとか。えーっていうこととか。そもそもリンネっていうのは仏教の教えとかじゃなくても、
インドの元々の古代インドの考え方なんですよとか。えーっていうのとか。
なるほどなーっていう。
いやーそうっすよね、確かに。知らないこと多いっすよね。
多いですね。それで言うと、この間の、何週間前の小山田さんのラジオで、「ほんずなす?」っていう言葉の語源の話がすごく面白くて。
本耳。
そうそう、本耳なんですよね。本耳なしですね。
本耳とは何かみたいなもんだよね。
あれは何だろう?本来のあり方を知らない人。っていう解釈でいいんですかね。
どう解釈しました?
改めてグーグルで調べて、菩薩とかの本来のあり方みたいなのを本耳っていう。
ということは、本耳がないっていうのは、正気を失っているとか、正気をなくしているっていう。
正気とかっていう。ああ、そういうことになるのかなーとか。
普通に津軽弁だと思ったんだけど、あれは別に津軽弁じゃないですよね。
そうですね。こっちの方でも割と言うんですけど。特に酒を飲んだ時とか、「ほんずを脅した?」とか。
脅した?
脅したとか。それもグーグルで、真北の方で割と使われるらしいんですけど。
ほんずを脅して、で、次の日、そのほんずを拾って歩いてるとか。
えー、それもすごく面白い。
記憶とかっていう感じのニュアンスですよね。ほんずを脅して歩いて。
そうか。正気って訳すと、正気は落とすものなんだ。で、それを拾って歩くんだ。次の日。
これは何ですか?
ここに白鳥が来るんですよね。
名前あるんですかね?
名前あるかもしれないですけど。
これ、白鳥かな?
濃いですね。
今年、暑くなっても白鳥が飼えなかったりしてて。
マジですか?
なんか変だなーって感じなんですけど。
あれが自由の女神だ。
あっちまで行けるんですか?
行けます行けます。
シスターの高木先生って知ってますか?
あの先生の話、昨日、夜に聞いたんですよ。そういう講義があって。
僕、結構聞いてるんですけど、なんでも高木先生の話って。
昨日は、たぶん同じことを何回も話してて、聞き逃してたのかもしれないですけど。
スピリチュアル・ペインって言うじゃないですか。
スピリチュアル・ペインじゃなくて、高木先生は、スピリチュアル・ハンガーだって言ってて。
ハンガー?
乾きなんですよね。
痛みじゃなくて乾きだろうみたいな話をしてて。
なるほど、それわかりやすかったんですよ。
確かに痛みじゃないなと思って。
乾きって訳すと、完全に仏教とかは、その乾きっていうか、かつ愛とか、ないものを求める時に乾くっていうのを使ったりするから。
そうなんですね。
それがイコール苦しみなんですよ、仏教でいう。
そうすると、すごくわかりやすいんですよね。
高木先生は、スピリチュアル・ケアイコールスピリチュアル・ハンガーは、別に終末期に限ったことではないって言ってて。
だからもう、みんなが備わってるもんだから、っていうのもぴったり仏教の考え方と合うんですよね。
なるほど。
それはすごく面白くて。
それはわかりやすいですね。
なんか、結構フィットするんですよね。日本人だからかわかんないけど。
確かに、「スピリチュアル・ペイン」っていう言葉を谷山先生が、「私は使いたくないんだ」っていうことはおっしゃっていて。
違和感ありますよね。
そうですね。僕、その学び始めた段階で、「スピリチュアル・ペインっていうものにそもそも初めて出会ったのに、私はそれを使いたくない」って、急に習い立ての言葉を否定されてしまって。
僕はどうしたらいいんだろう?みたいな感じだったんですけど。でも、確かに、「スピリチュアル・ペインに対するものって治す?」っていう解釈になっちゃうから、「私は使いたくないんです。」っていう谷山先生の言わんとすることは確かにわかるなっていう。
でも、谷山先生は、代わりに、「私はこういうふうに言ってます。」っていうのは別になくて、ずっとチューブラリーのままだったんですけど。
ああ、ペインに代わる言葉は、自分は探せてないけど、「これがない気がする。」みたいな話なんだ。
いや、ハンガーがすごいですね。
これ、自由の女神の前で一枚いいですか?
ニューヨークと井戸が一緒。
昔は、持ってるトーチが、夜になるとカラフルに光ったりしてたんですけど。あれは、1995年の遥か大きい地震とかがあって。半身大震災のちょっと前くらいだったんですけど。震度5くらいの地震が来て、腕がポキッと折れちゃって。
ああ、これが。
多分この辺の線が入ってるんですよ。
もう光らず。
それを修復した状態なんですね。
状態ですね。今のやつもちょっと塗装し直してリニューアルした感じですね。
すごいな。こんなところに自由の女神像が。ニューヨークの像の4分の1の大きさ。
1990年12月28日。
そうっすね。ももちゃん。
ももちゃんって?
相性はももちゃんと呼ばれてる。
小向善幸さんの背景
これももちゃんって言うんですね。
あれ?小山さんはアメリカ行かれてたんですよね?
うん、住んでましたね。
ニューヨークは住んでないです。遊びに行く街でした。
じゃあ自由の女神見てるんですか?
見てますね。
僕がいたときに、セプテンバー11が起きたんですよ。
僕も結構友達がニューヨークのアートスクールとかに通ってて、ニューヨークにいたので、すごい心配した記憶があります。
そのアートの勉強で行ってたんですか?
いやいや、お坊さんですよ。向こうのお寺です。
なるほど。そこで修行というか。
そうですね。修行というか、役目というか。
そういう派遣みたいなのがあって。
天理教もあるでしょ?
ありますね。
天理教だとどこにあるんですか?
天理教だとアメリカもありますし、ロスとニューヨークと。
韓国、台湾、コロンビア、メキシコ、ブラジル、ペルーとか。
フランスにも1ヶ所あるとか。
アフリカ、コンゴとか。
コンゴ?
コンゴ、ブラザービル。
最初に上がってた都市は、全部日本人が多い街ですけど。
そうですね。
アフリカとかだと違う感じがしますね。
コンゴはまた、いろんな奇跡的な出会いとかがあって。
じゃあ、日本人向けじゃないわけだ?
じゃないですね。
すごいな。
僕、コロンビアに行ってたんですよ。
マジですか?
それは派遣っていうよりは、天理教が運営している語学学校があって、海外で不教活動をする人を育てる学校なんですけど。
そこに通って、卒業後の女性制度の派遣があって、それに応募したんですけど。スペイン語を勉強したんですよ。
候補地はメキシコ、ペルー、コロンビアの3つしかなくて。
ちょうど応募も3人しかいなかったので、どっかに行ければ行けるみたいな感じで。
でも、メキシコ、ペルーは行きたい人がいる。
コロンビアは、当時はすごい治安が悪かったんですけど、誰も行きたがらないっていうので、「じゃあ、ここは絶対行けるな!」みたいな感じで、コロンビアを受けて。
どうでした?メインでその2年。
当初は1年の予定だったんですけど、無理を言ってもう1年にさせてもらったんですけど。2年目くらいから語学学校も通わせてもらえるようになって、そこで現地の友達が出てき始めたんですけど。
そうやっても、その拠点の中にしかいないんですよ。その拠点の中で草刈りをしたりとか、外になかなか出る機会がなくて。現地の信者さんが来ることもあるけど、そんなにしょっちゅう来るわけでもなかったり。
その中に来る人は、もともと日本人の人だったりとか。食べ物も日本食ばっかりらしいみたいな。日本じゃん!みたいな感じだったんですけど。まあ、学校に行かせてもらえるようになって、マジで現地の人たちとやっと触れ合うことができた時に。
最初はからかわれたりとかもするんですけど。やっぱり日本人に対して、結構リスペクトがあって。もう、日本って言ったら格闘技大国とか、車とかの産業大国みたいな感じで、戦亡のまなざしとかが来てくるんですけど。
いろいろ聞かれるんですけど。言葉もちゃんとはわからないんですけど、それ以上に聞かれてることに対して、自分が答えられないんですよね。日本のことに対して。
・・・だから、音楽じゃなくて、知らないってことでしょ? そうですね。自分が日本のことを何にも知らないっていうことを。実際に言われましたでしょ?前に、日本のことを何も知らないなっていうのを言われて。でも、向こうの人たちって、ちっちゃい子でも有弁に語るんですよね、自分たちのことを。
何が違うんだろうなって思ったり、もっと日本のことを知りたいなっていうのとか。言語っていうハードだけを鍛えても、ソフトがないと、結局何もないんだなっていうのをすごく学んで。
そうですね。それが一番印象に残ってますかね。
それ何歳ぐらいですか? それは20歳とか21歳とかですかね。
小村さん、天理教だと、今は教会長じゃないですか。
接種生ってどのくらいの割合なんですか?
99%、100%に限りなく近いですね。
え、マジですか?
そうなんですね。
接種じゃないところが逆に、「あそこ何やってるんだ?」って見られるくらいですね。
家族が続いてなんぼっていうところがあって。
家族を大事にしますもんね。
でも、やっぱり家族を大事にするっていうのと、代表を家族でずっとつなげていくっていうのは、ちょっとまた別の話じゃないかっていうのは、最近の若い人たちの考え方になってきてるかなっていう。
やっぱり接種生の弊害が出てきてるし。
え、そうなんですね。
じゃあ、小村さんも、それを当たり前のようにして受け入れて育ってきたってことですか?
まあ、多少、やっぱり思春期の頃は、「なんで俺だよ?」っていうところはありましたけど。
まあ、上手くいくるめられて、魂が違うんだと言って、「魂、俺、違うんだ!」みたいな。ちょっと嬉しくなったりもして。
明らかに天理教を意識したのって、その天理高校に入学する時ですか?
いや、もう、天理高校も全然天理教をしてなくて。むしろ、周りから、あいつ大丈夫かなって思われるくらいだったみたいで。
ああ、その高校内でも。
そうですね。高校を終わって、語学の勉強に行ったんですけど。そこで、ハードとしての語学言語と同時に、ソフトの天理教のことも同時に学んだんですけど。
なんか、今まで自分が聞いてきた天理教とは違うなって思うことがあって。
まあ、それまで教えられたっていうよりも、その天理教の価値観の中で、環境が天理教だったっていうことだっただけで、別に何か教えられたこともないし。
初めて何か教えを聞いたような感覚で、「えっ、そんなすごいことを教えられてたの?」みたいな。
それを100年くらい前に、うちのご先祖様がその天理教と出会って、まあ、いろいろあったんですけど。
天理教を問う決意をして、それこそね、今のところじゃない地域の人たちからバカにされて石投げられたりっていう中を、「うちはもうこれで行くんだ!」って決められたっていうのは、すごい誇らしく思えてきて。
えー、みたいな感じになったのが、その19歳とかの時ですね。
それで、自分でもその人生というか受け入れるっていうのは?
そうですね。そこでも完全に受け入れましたね。
19歳か20歳くらいで?
そうですね。
高校終わってどっちですか?
高校の隣に語学の学校があって。
その後、そこに行って。
1年行って、コロンビアですね。
本当に天理教しか知らない状態ですね。ただ日本とコロンビアっていうだけのことで。世の中は全く知らない。
それで青森に帰ってきたからですか?
そうですね。
それで、今のお父さんというか手伝って?
手もなくて、この辺町に、この辺だと大きい天理教の教会がありまして。
天理教の教会って、教会自体が家計図みたいな感じになってるんですよね。
うちの実家の教会の親にあたる教会がこの辺の教会なんですけど。
そこで2年くらい住み込んでこいという親のお勧めというか、「じゃあ行くか?」みたいな感じで2年行って。
その時に、僕が不清脈になったんですよね。
不清脈になって入院してる時に、「天理教って、病気とか怪我っていうのが神様からのメッセージだって考えるんですけども。」
それを、当時住み込んでいたこの辺の教会の方から、「これはこういうメッセージだっていうよりも、できればドコドコの教会の責任者としてあなたを派遣したいんだけども。」っていう言葉をいただいて。
それ自体を僕がメッセージと捉えたんですよね。
このために、自分はこういう病気をいただいたんだなっていう、きっかけをいただいたんだなっていうので、同じこの街にある潰れかけの教会に派遣されるんですよね。23とかで。
そこに10年、11年くらいいました。
・・・じゃあ、そこの教会の長として?
そうです。かなり異例の人事っていうか。
それが自分に与えられたものだっていう気持ちで、そこに赴任したってことですね。
教会ごとにお勤めを務める日が毎月1日あるんですけども。
そこの教会が毎月15日なんですけど、4月だけ8日っていう仲間があって、ちょうど自分が病気になったのが4月の8日だったんですよね。
そういうのも絡めるわけですよね、解釈として。
これはもう完全にそこに行けっていうことなんだな、みたいなふうに捉えて。
こっち?
いや、その14,15年の苦労ってのはどんな感じなんですか?もう一言じゃ言えないだろうけど。
そうですね。単に一人で。でも、何も知らないわけですよ。苦しいということを。
もう23とかなんで、「なんでも来い!」っていう感じだったんで、徐々に年を取るごとに辛くなってくるんですけど。
ここじゃなかったか?こっちか。
今、「行け!」って言われたら絶対行けないんですけど。
なんだろうな、こんな金のないっていうのはこんなに惨めなんだなーとか。
その先人の人たちの本を何度も読んで、どんどん苦労してこそ、この宗教者としてのあれが上がるんだ、みたいなのを信じ続けて。
いやーでも、辛いなーっていう。
よくでも頑張りましたね、そこ。
そうですね。でも、よく大した成果はもちろん出てないですけど、そこに居続けたっていうのが自分の財産にはなってるかなっていう感じで。
さっき奥さんに会ったら、この辺にも居たことがあるんですけど、その時に結婚されて。
天理教だと、教会同士の上下関係が結構密接で。
自分の教会の子供にあたる教会とかに、自分の子供とかを派遣するっていうのは、よくあることなんですけど。
自分と子供と全然関係のない教会に僕は行ったので、親も口出しできないというか。
そこで、自分は親の天理教官から独立することができたというか、独り立ちすることができたというか。
やっぱり自分の親の天理教官しか知らなかったし、実践できなかったので。
それで、やっぱりうまくいかなかったり失敗したりしたことがあって。
なんでだろう?なんでだろう?っていう。
そういう経験がなかったら、臨床宗教師っていうのも全然魅力感じなかったかもしれないですし。
やっぱり、あそこにいたのは、いただけで良かったのかもしれないっていう。
そこで自分の天理教官を掴んだわけですね。
学びと成長
そうですね。天理教官を掴んだっていうよりも、
天理教とはこうあるべきっていう枠から抜けれたかなっていう感覚しかない。
自分の天理教官はまだ掴んでないんですけど。
なんか自分が囚われてたものから、最初は囚われてたって気づいてすらなかったんですよね。
うーん。
これは確かにもう、財産ですね。
最終的には奥さんと二人で、そこを頑張ってきたってこと?
そうですね。本当に苦労かけましたね。
ちょっともう迷ってるんですけど。
あっちの黄色い建物の方が車がある方です。
こんなガッツリ天理教の話で。
いやー、でも全然面白いですね。
むしろそっちの方がいいですね。
なんかもう、喋りやすくてすごい喋っちゃいましたけど。
いざでも今は臨床宗教師になって、
そんな簡単な答えなんて多分ないんですけど、どんな感じでそれを活かされていくのかなっていうイメージっていうのかな。
僕も完全に仏教側の人間だから、
ある程度、仏教側でいうと先輩方がたくさんいるから、
臨床宗教師で仏教者でみたいなイメージってなんとなくぼんやりあるんですけど、
天理教だとどうなっていくのかなーみたいな感じ。
いやー、全然イメージできないですね。
なんかだからもう、天理教職って、
天理教っぽさって多分出せなくて。
一般の人がスピリチュアルケアをやってるのと、そんな見た目は変わらないっていうところにやっぱり行き着く気がしてて。
僕なんか、当たり前のようにして、「サムシング・グレイト」とか使ってるけど、あれなんですね。天理教の人が言い出したんでしょうね。
そうですね。村上さん。
そうなんですよね。
あの人も天理教の人だから、天理教の文脈に乗せて言いたいんだけど、そこをそういうふうにして言えなくて。
サムシング・グレイト。
あの人も、立場的にはその教会の後継者なんですよね。
あ、そうなんですね。
枠からはみ出た人っていう扱いもされがちですし。
でもそれだけの功績もやっぱり残されているので、やっぱりいろんな見方もされてますけど。
サムシング・グレイト。
この会社に行ったみたいに、修行職が極薄で、そのスピリチュアルケアをやっていく。
そういう感じなのかな。
天理教の方だとどうなんだろうね。
地元の経調ボランティアとかも最近所属して、活動をたまに行くんですけど、やっぱり若者で、男性でっていうのが珍しい世界じゃないですか。
どうしてこういうところに来られるんですかって聞かれた時に、
まあ、臨床宗教師というのを資格を取るために勉強してましてっていう話をするんですけど。
自分が天理教の教会長でっていうところが言えれば、一番辻褄が合っていくんですけど。
それを言わない方が、雰囲気を悪くしないで済むんじゃないかなっていうのも、やっぱりあって。
それは話は聞きたいですね。僕はお坊さんですって言えちゃうんですよ。
そうですよね。その方が、むしろ信用してもらえるんですよね。
ところが、「私は天理教です!」って言った時の話は聞きたいなあ。
たぶん大人な対応をしてくださるとは思うんですけどね。
それとも、自分自身に遠慮があるんですか?
そうですね、最近はやっぱり。
昔の23とかで教会長になりたての頃は、あんまりそういう空気を読む感覚もなかったので、「天理教です、天理教です!」っていう感じで。
今思えば関係こじらせたなあ、みたいな。
関係こじらせるっていうか、気を使わせる?
気を使わせるし、フラットな人間関係を作れずにいたなっていう。
その、「天理教です!」っていうことによって。
そういうことが、自分にとって、その天理教を宣伝するっていう意味もたぶん含まれていて。
ああ、その言い方というか。態度とか姿勢とか。
天理教を広めるっていう文脈がすごい含まれた天理教ですっていう感覚だったので。
それはどうなんだろうね。自分の気持ちで変わっていくんですかね?
人間関係の構築
それもまあ、デカいですよね。
態度の話なんですかね?
天理教の認識が、やっぱりその人とその人で違うじゃないですか。
受け取り側の認識が。
もう少し関係を詰めながら、「自分のことも信頼してくれてる。僕もその人を信頼してる。」っていうぐらいになってきて。
やっと言ってもいいのかなっていうぐらい、今、慎重になってますね。
前はスナックとか行って、「お姉ちゃんとから仕事何されてるんですか?」みたいな。
で、「天理教です。」みたいな。
それはもう、広めるために。
一緒に行ってる天理教の仲間とかは、「いや、やめようよ。そういうの。」みたいな。
「え、なんで?」みたいな。
いや、それはちょっと、答えが出ない。
だけど、どっちがいいのかな?わかんないですね。
圧倒的に年数がね、天理教の歴史というか。
まだ200年もいってませんし。
じゃあ、もうそろそろ暗くなってきたので、終わりましょうか。
後、喋りたいことないですか?
大丈夫です。
こんなぐらいで。
じゃあ、小村さん、ありがとうございました。
ありがとうございました。