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2021-01-24 23:14

2021/01/24:創世記(6)ふさわしい助け手

2021/01/24 聖日礼拝

尹善鎬牧師

創世記


00:01
今朝は、四先生より、ふさわしい助け手と題しまして、メッセージをしていただきます。
みなさん、おはようございます。
今日は、創世記の6回目のメッセージになります。
先週は、新年正解が恵みの地にきたかれて、主の祈りから、大変恵みのメッセージをいただいたことを、本当に感謝いたします。
今日は、朗読していただきました、この2章の18節のこの御言葉から、
ふさわしい助け手、特にこの助ける、助け合う、というこの創造の法則を、そこから共に学んでいきたいと願っております。
既に学びましたように、神様は最初の人間、アダム、もちろんアダムだけではなく、すべての人々を神の形として見せて作ってくださった、ということを私たちは学びました。
そして、このアダムに神様は、神の品性、神の知恵を宿らせてくださって、彼はその知恵によって生き、またその知恵によって、すべての動物、家畜の名前を作りました。
その中で、神様は、人が一人でいることはよくない、そして、この人、アダムのために、ふさわしい助け手を作ろうと主は言われました。
まずここで、ふさわしい助け手を学ぶ前に、人が一人でいることがよくないとすれば、神様は最初から、アダムといえば、男性、女性を作ればいいのに、なぜ最初、はじめはアダムだけ作って、一人でいるのがよくないと思ったのだろうか、というような疑問が、
あるかもしれません。
ここに、時間が短いから、詳しく言うのが難しいですけれども、簡単に言いますと、想像の神秘があると思うんですね。
03:10
神様は、人は、他の動物や家畜と全く違った存在として作ってくださりました。
動物とかはですね、すべて最初から、オス、メスで作られました。
それが、神様の想像の法則です。
しかし、神様は、その動物、家畜と同じ形として、人を作ったわけではないんですね。
最初に、男性、アダムを作ってくださった。
そして、彼に女性、エヴァを迎える、慕う心を主は辿らせてくださった。
そして、神の時に、神様は、アダムの体を通して、女性、エヴァを作ってくださったということです。
これが、人が動物や家畜と違う理由であります。
神様の想像の計画の中には、アダムが先で、エヴァが後であるということ。
もちろん、これはですね、順位の、あるいは、優劣の順番じゃないんですね。
男性が先で作られたから、男性は上。女性が後から作られたから、女性は下。
そういう優等生、そういう順番ではない。
最も大事なことは、今日の18節の御言葉にありますように、
女性を、エヴァを作られる時に、主はそこにですね、想像の法則の中で、
今日、私たちが注目したい、注目すべき言葉があります。
それは、助けるという言葉です。助ける。
神様は、アダムにですね、エヴァを、ふさわしい助け手を作ろうと言われました。
ふさわしい助け手。
今日は、この助けるという想像の法則を、夫婦関係だけではなく、
全ての関係、神様と私たちの関係も、世界へそれを拡大して、
激応していきたいと、そう願っております。
神様は、まず、アダムとエヴァを、助け合うふさわしい関係、
ふさわしい手として作ってくださいました。
06:02
これは、今、申しましたように、男女関係だけではなく、
簡単に言いますと、私たちは、互いに助け合う、
ふさわしい助け手として作られた、ということなんです。
まず、神様と私たちの関係を、まず先にですね、考えてみましょう。
私たちから、神様を見るならば、神様は、私たちを助けてくださるお方です。
この神様は、私たちを助けてくださるお方なんだ。
この、今日の言葉の、助けて、の、助ける、助けという、この言葉は、
聖書にあらゆるところに、言われていますけれども、
新約に行きましてですね、
イエス様が弟子たちに十字架の話をして、天に登られることを話される時にですね、
私が父のもとにいたら、父があなた方のために、
もう一人の助け主をお与えくださる、とね、その見方があるんです。
それが、ヨハネの福音書14章16節ですけれども、私がお読みします。
そして私が父にお願いすると、
父はもう一人の助け主をお与えくださり、
その助け主が、その助け主が、いつまでもあなた方とともにいるようにしてくださいます。
ここの、助け主、これがね、この助け主の助けが、
今日の葬式の、この18節の、助けてと同じ言葉だ、そうなんです。
つまり、神の霊である聖霊様が、他ではなく、助け主だったということは偶然ではない。
私たちに向かう神の心、創造の法則の中で、
神は私たちを助けてくださる方であることが、創造の始めからイエス様の時まで、
そして今もなお、神様は、聖霊様を通して、私はあなたを助けると、
神様は、私たちの苦しみも、痛みも、涙も知っておられ、そして助けてくださる。
まずこの、助けるという創造の法則を覚えていただきたいです。
09:03
それからもう一つ、私たちは、一生神様に助けてもらうだけで、
私たちから見れば、神のために何の役も立たない、そういうものなのか、そうではないということですね。
神様は、私たちがただ助けてもらうだけの存在、
役に立たない、そういう存在ではなく、
神様は私たちを、神の働き人として、神のパートナーとして作ってくださった、ということなんです。
神様は、この堕落したこの世界を、新しく作ろうとしておられる。
もちろんその完成は、神様の祭りのともに完成されるわけですけれども、
そこまでに、神を信じる一人一人を通して、教会を通して、
この世界を新しく作ってくださっているということなんですね。
その時に神様は、私たちと一緒に働いてくださるということ。
神のパートナーとして、神の働き人として、私たちを作ってくださった。
そして、用いてくださる。
助け主である聖霊様によって、助けていただいて、
このうちに神の国が来ますように、見心がなりますように、
その神の働きを、私たちを通して、私たちとともにやってくださるということ。
そういう意味として私たちは、ちょっとおこがましいかもしれませんが、
神を助けているということなんです。
神様と私たちの関係は、主人と下辺のそのような関係ではなく、
パートナーとして、神様は私たちと一緒に働きたい。
また、私たちと一緒に悩んだり、泣いたり、喜んだり、働いたり、走ったり、
止まったり、座ったり、考えたり、祈ったり、一緒にいてくださる神様なんです。
次は、人と人の関係を考えていきましょう。
ここで一つ、まずこの助けるという言葉を考えるときに、
一般的に助けるという言葉を考えると、
12:00
一方が強くてもう一方が弱い関係、一方が上であってもう一方は下である、
そういう関係を思い出しやすいなと思います。
ところが、今日の2章の18節、みんなでもう一度一緒に読みましょうかね。
今日の御言葉、創世紀2章18節を、みんなでもう一度一緒に読みたいと思います。
せーの、また、
ここにですね、ふさわしい助けてとありますね。
この助けて、ふさわしい助けてというこの訳は、本当に素晴らしい訳ですけれども、
この中のですね、助けるは、
女性は男性の劣るものだから、男性を埋めるような、
そういう主と重の関係ではなく、
実はこのふさわしい助けて、ふさわしい助けるという言葉の中にはですね、
この同等な、対等な関係という意味がここに含まれているんです。
だから、神様は最初、アダムとエヴァを作られた時に、
これは、同等な関係、対等な関係として、パートナーとして主は作ってくださった。
そこに、ふさわしい助けてという、この創造の法則があるということなんです。
それが創造の法則であり、その通りに生きるように主は私たちを作ってくださったということです。
ここに夫婦の方が結構いらっしゃいますけれども、
夫婦の関係だけではなく、親子の関係、あるいは教会の兄弟姉妹の関係も同じなんです。
皆さんどうですか。
皆さんは、私たちはお互いが本当にふさわしい助けて、そういう関係なんでしょうか。
夫婦がふさわしい助けての関係なんでしょうか。
親子がふさわしい助けての関係でしょうか。
あるいは、兄弟姉妹がふさわしい助けてという創造の美しくて素晴らしい関係として私たちは生きているのでしょうか。
それを、もしも少し足らないところが欠けているところがあれば、それを回復していきたいと願っているわけです。
15:12
ところが、この美しい関係がふさわしい助けて、互いに助け合うその関係が、これが罪によって壊れてしまった。
そこに起こることは、苦しみであり、破壊であり、波であり、分裂ではないでしょう。
夫婦の関係、親子の関係、集団と集団、国家と国家の関係において、この助け合う創造の法則が罪によって壊れてしまうと、そこには支配と非支配、搾取、搾取される。
分裂、争い、戦争、そこが起きてしまうんじゃないでしょうか。
夫婦の間が、親子の間が、兄弟姉妹の関係が、この社会が、国と国の関係が、お互いを必要とする。
助け合うならば、そこはもう天国じゃないですか。天国なんですよ。しかし、それが壊れてしまうと。
夫婦関係だけ見ても、まるで誰かの一方が支配される。
争いが起こる。分裂が起こる。それで、別居したり、離婚したり、悲しいことが起こるわけなんです。国家の間の関係も同じだと思うんです。
神様が人を作る時に、人の心の中には、助け合うという最高の美しい価値を手話を入れて作ってくださったわけなんです。
そもそも、そういうふうに生きるように作られたんですよ、私たちは。助け合う関係として。
互いを尊重し、互いをたっ飛び合い、互いの必要を満たし合う関係。
そのような美しい関係として、夫婦を、家族を、我々の関係を作ってくださったわけなんです。
ですから皆さん、信仰を持つということは、神を信じるということは、私たちが家庭においても、夫妻をたっ飛ぶこと、助けてあげること。
18:08
ああ、私はこの人のふさわしい助け手として主が作ってくださった。
私はこの子どもの、私は親のふさわしい助け手として主が作ってくださった。
助け合う、助けようと、そのもともと作られた神の価値をね、それを生かして歩んで生きていきたいと、そう願っております。
しかし、この世界に、この助け合う美しい神の品性によるこの価値が、この法則が壊れてしまったときに、どんなことが起きてしまったのでしょうか。
すぐにアダムとエバの、その次のカインとアベルの関係において、巨大は助け合う関係として作られたのに、妬み合う関係になってしまった。
その助けるという最高の美しい関係が、罪によって壊れてしまって、殺してしまう関係になってしまったじゃないでしょうか。
これをですね、世界の歴史を見れば、近現代の歴史を見れば、数多くの戦争や搾取や支配、非支配の関係が今もなお続いているわけなんです。
もしも、もしものですよ。取り戻すことはできませんが、もしも、あの大航海の時代にイギリスのようなヨーロッパの国々の人々がアフリカに到着して、
あの国人たちを見た時に、彼らを搾取の対象ではなく、そこにいる資源を全部お金にする、そういう支配、非支配の関係ではなく、助ける関係、助けてあげる、そういう対象として見たならば、世界の歴史は変わってしまったと思うんですよ。
世界第一、第二次大戦が起きた、戦争を起こしてしまった国々が、その被害された、支配された国々の領土や様々な資源を、そういったものを搾取の対象ではなく、助けるその対象として見たならば、歴史は変わったと思うんです。
すべては罪によって起きてしまったことなんですね。その範囲をせめて、教会の中の関係を考えてみましょう。
21:07
教会がこの世と違うところがあれば、違わなければならないところがあれば、それは神にあって、私たちが互いに同等であって、互いにたっ飛びあって、互いに助け合う関係の、この神の最高に美しい助ける価値をもって生きる教会でありたいと出会うわけであります。
教会に来ても、上の者がいて、下の者がいる。持っている者がいて、持っていない者がいる。支持する者があって、そうでない者がいる。
そのような、この世とあまり変わらない関係が、そのまま教会であるならば、それは間違っているということではないでしょうか。
願わくは、この助ける、ふさわしい助けとして、主は私たちを作ってくださった。
願わくは、両谷教会が神様からいただいた、自分自身のタラントを持ち、それが小さなものであろうが大きなものであろうが関係なく、この世にいる限り、主が力をくださっている限り、主のために、兄妹のために、そのタラントを持ち、
自分自身を捧げて、本当に自分を愛するように、兄弟姉妹を愛する心を持って、互いに助け合う、祈り合う、愛し合う。
そのような神様の、この美しい、ふさわしい助けと、この関係を持って、我々が共に歩んでいきたいと願います。お祈りしましょう。
23:14

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