ヨナの物語の導入
短くお祈りします。天の父なる神様、午前中にもあなたは語ってくださいました、一人一人にふさわしい御言葉が届いたと信じています。
どうか今日の午後、この四章からも、あなたの深い御心を悟ることができるように導きください。皆によって祈ります。アーメン。
加藤先生とは既にお話をしたんですが、今回本当は4回話をしたかったんです。
ですからこの後2回で、あと3時ぐらいからと6時ぐらいからと。もう4回やったらば、この1章、2章、3章、4章、全部話せるわけです。
けれども、それは無理だと言われたわけじゃないですけれども、もう無理だと私の判断しておりますので、この午後で2、3、4、全部やろうということで、全部読むのも大変だから最後は4章しか読んでない。
もし本当に4回全部聞きたかったら、私今週の木曜日に沖縄に参ります。金土日と3日間で4回のメッセージ、これをその通りやるんです。
今その沖縄のための準備をしているわけですね。いわば旅行演習です。ですから本番に来たい人は、ぜひ沖縄に私と一緒に行きましょう。
沖縄にはね、空港には丸い輪っかがあるんですって。なぜかというと大きな輪って言うんですってね。
分からなかったらいいです。沖縄での4回のメッセージがある中で、この4章から1章ずつお話ししようという準備をしてきたわけであります。
で、その4章に今度全体を知るために、ちょっと記憶になる表現があります。
1章って何なのか一言で言ったならば、それは逃げた預言者の話です。これ分かりますよ、今日の話。逃げた預言者。
で、2章は祈った預言者。逃げたけれども押せなかった魚のお腹の中で彼は祈った。祈った預言者。
で、3章は何かというと、そこから彼はまた魚の口から吐き出されて、そして陸に上がって今度は逃げるように逝ったんです。
逝ってなる人が語ったんです。だから3章は語った預言者です。
で、最後語っては言うんだけども4章を見ますと、語って全ての人がそこで救われて、話が終わりはないんです。
わざわざ4章があるという。で、わざわざ4章があるので私はわざわざ4章を午後お話しをするわけでありますけども、
この4章というのは何かというと、悟った預言者なんです。
で、彼は語ったんです。語ったんだけども悟ってなかったんです。語ったけれども悟ってない。
これはね、私たち牧師でもそうなんですね。語ったけれども本当は自分で体験してないとか、自分でわかってないということもあるんですね。
けれども、弟子たちもそうでありました。12弟子たちもイエス様と一緒に3年余りやっていた時に、もうわかってなかったんですね。
その、ペトロがね、イエス様が十字架のことを言った時に、その後左にされて、なんでかわかってない、神の言葉も、神の国の言葉も全くわかってないというふうに言われたわけであります。
で、クリシャンとしてもね、私たちが結構、ここにいる人たちは結構高齢バーや高齢寺院がおりますのでね、結構話は聞いてらっしゃる、理解した、
私もちゃんと御言葉を語ってきたと思う人がいるんだけれども、悟ってない場合があることを注意してください。
で、その悟るために何が必要かというのは聖書を読むんです。だからあの3分間のグッドニュースは必要なんですね。
ヨナの宣言と反応
何しろ、聖書を読んでも私たちは悟ってない場合があるんですね。で、まさにヨナはそうだったんです。
読んで3章で、彼は語ったんですね、3章で。ここでヨナは、2章をもう一言で言っていたのならば、彼はお腹の中で、私は本当にこういうことをやりました。
けれども、2章7つ、私の魂が私の内で衰え果てた時、私は死を思い出しました。
こんな時に思い出したのか、もっと早く思い出すよと言ったんですけども、私は死を思い出しました。
苦しい時に、魚のお腹の中にいる時、私は死を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きましたと。
で、この時に彼は自分の弱さ、自分が本当に神の御言葉に背いたことを思って、しかしその中で自分の命は取られずに、魚に救われたその時に、神様に祈った時、初めて彼はこの祈りが届いたと。
私たちは祈りますけども、祈りは届いているか。今回のチャレンジ、ディボーションはそうなんですね。あなたの祈りは届いていますか。
で、彼はこの時に、まさにその本当に苦しい土間の中で、祈りが届いたということを彼は経験した。
そして、それは神様の働きの中で、2章の10節、死は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。死んだんだけども彼はまた蘇った。
このヨナの話はイエス様が新約聖書の中で、ヨナの印のほかに私にはその印を与えられないと言われたのを知っている人は知っているでしょう。知らない人は知ってください。
イエス様はあえて言われた。それはイエス様が自分が葬られるんだけれども、3日目に蘇ることを、このヨナの例えの中で言われたというだけの話ではないんです。
ヨナは確かに、ここで神様の身むねを、自分は死ぬんじゃない、生きるということに意味があることに気がついたんです。
今日も先生がね、自分が朝一番気がついたのが、その生きることだと言われてね、やっぱり、やっぱりわかる人はわかってるんだと思ったんですけどもね。
このヨナの話はね、いわゆる私たち性別正解の中でよく、死んで生きるというメッセージをよく聞くじゃないですか。
大島英介先生なんかもよく言われるけど、それなんですよ。ヨナは死んで生きたんです。
実は彼自身は、まさに自分が行くのが嫌だということで、ダダをこねて逃げようとしたんだけども、逃げ切れられず神様に捕まえられ、
そして魚が備えられて彼は裏の中に行ったんだけども、彼はそこで祈った。
神様助けてください、私は本当に弱いもんです、つまらないもんですということがわかって、そして神様に祈った。
すると神様はその祈りを聞き届けてくださったと、彼は理解できたんです。
自分の祈りが聞き届けられたと理解することがよみがえなんです。
皆さん私たちの祈っても、祈りは聞きっぱなしじゃないです。
私が話をした祈った祈りというのは、たとえ今現実にそうでなかったとしても、
聴いてくださっているしかし、こちらが聞き届けられたと信じる信仰があるかどうか。
私はこの教会をたとえば100人になるように祈った、先生もたぶん祈っていらっしゃると思うんですけどね。
100人になっていない、じゃあ祈りは聞き届けられないのか?いや、そうじゃないんです。
聞き届けられているんです。ただ時期ではない。
まだその100名霊廃になるまでは時間がかかるかもしれない。
しかしそれをなることを神様は聞いていらっしゃるんだ、聞き届けていらっしゃるんだと受け止めたときに私たちは生き返る。
その時にたとえ現実は42名でも、いや、いける42名でもいいんだと。
神は私の祈りを届けてくださっているんだ。それでもう一度立ち上がることができる。
で、彼は立ち上がって3章に行って、今度は語ったんです。
言われた通りに言った。3章1節。再び世の中に尽きぬような死の言葉があった。
再びあったんです。一章でも叫べと言われたその言葉があったので、
彼はここで吐き出された時が、吐き出されたのが二重の町だったらこれほど簡単なことはないわけですけども、
そうじゃなかったようにですね、どっかの海岸に打ち出され、そこは二重から離れておった。
それがどこであったかわかりませんけれども、その時に世の中に尽きぬような死の言葉があった。
立ってあの大きな町二重に行き、私があなたに伝える宣言をせよと。
前は叫べと言った。今度は宣言せよと。
だから叫べ、何を叫ぶか、宣言することなんです。
宣言するというのは、説教もそうですけども、これは神の言葉の宣言です。
神様が言われたことを言うことを言うんです。
ただ宣言するであって、予言せよではないんです。
これまたね、細かい言葉の用途の違いなんですね。
予言するというのは神様から預かった言葉を予言するんですけども、宣言せよと言った時にちょっとニュアンスの違いがあります。
人々の悔い改め
彼は何を宣言したのか。
四節。
神様はその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って、ここが叫んだとあります。
叫んだあと四十日すると、二重では滅びるということを宣言したんです。
叫んだ。
滅びるという宣言。
まさに彼は叫んだんです。
けれども滅びるという叫び、滅びるという宣言だった。
彼らが罪を犯した、その上にこの町は滅びるというその宣言だった。
聖書をよく読んでみますと、確かに神は正義の方です、正しい方です。
悪いことをした人を裁かれる、それは確かなんです。
けれども滅びるということだけが聖書のメッセージか。
そうじゃないですよ。
そうじゃないはずです。
預言者は、これだけ多くの預言者が書いていますけれども、
預言者をよく読んでみるならば、
預言者は確かにこの町はイスラエルの国だろうが民だろうが、
あるいは多くの人々だろうが、
罪を犯した者は滅びるんです。
それは確かに言われています。
けれども滅びただけじゃないんです。
滅びた後のことが大切なんです。
滅ぼされる神様の宣言の後が大切です。
ところで、そこで四節。
あと四十日するとニレベは滅びる。
その後です、五節。
するとニレベの人々は神を信じ、
断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで
荒布をまとったということが書いてある。
滅びると言ったときに、この人たちは
ああ、悪かったと気がついた。
滅びたら大変だと。
大切な持ち物がなくなる。
あるいは家畜もいなくなるというふうに思って、
それは損すると思ったのかもしれません。
それで彼らは、神様、ごめんなさい。
悪くございました。
そして職務を立って断食をするほどまで
身分の高い者から低い者まで荒布をまとって
食い荒らためだ。
荒布をまとうというのは新訳でも出てきますが、
食い荒らための一つの表現であります。
ごめんなさい、ごめんなさい。
悪いことをしました。
滅ぼされるのを許してくださいと言ったのです。
このことが二レベの王の耳に入ると、
彼は王座から立ち上がって
王服を脱ぎ捨てで荒布をまとい
灰の上に座った。
王様でもそのことを認めて
ごめんなさい、神様、ごめんなさいと言った。
そして王と大臣たちの命令によって
次のような福福が二レベに出された。
人も家畜も牛も羊も皆
何も味わっていないから大変でね。
餌にやるな。
鶏インフルエンザでね、
大変な欲にありますけどもね。
鶏に餌をやられても大変だと思うので
その餌分助かったんじゃないかなと思うんですけどもね。
まあ、何しろしかし
この家畜に餌をやるのも大変です。
けれども、それもすするな。
もうすすりたいし、
この鶏死んでもて卵が生み出されない。
生み出せなかったら自分の生まれは曲がったり。
そうなんです。
商売のことよりももっと大切なことがあるということなんです。
断食をするということは
自分の体もちょっと弱るかもしれません。
しかし、ここで彼らが
神様が、世ながらそういうことを言ったために
彼らは本当に食い改めた
それは自分が損をすることだった。
しかしそれでも
やはり滅ぼされるということが嫌だったので
彼らはそこで
ごめんなさいと神様のように
言ったというのがその後です。
ところが事態は急変化します。
8節
ここで彼は
イエス・キリストの誕生のことを聞いたわけではありませんけれども
世なのが滅びるということを言ったために
彼らは悪かったということを認めた。
そして9節
これは大切。
もしかすると
前と同じ言葉が出てきましたね。
もしかすると神が思い直して
ヨナの葛藤
あわれにその燃える怒りを収められ
私たちは滅びないで済む
かもしれない。
かもしれない。
これが2節目
あるいは旧約
あるいは違法人たちの大きな問題だ。
私たちは悪かったことは認めた。
けれども悪かったことを食い改めても
滅ぼされるかどうか
滅びないで済むかどうか
わからない。
わからないんです。
これがまさに違法人のものであり
そして旧約聖書の中でも
実は預言者たちに対して
神様が言われている大切なこと
神の滅びの宣言をしろと。
しかし
それで
終わりではないんだということ。
神の言葉で
罪を犯した者は滅びるんだから
まさに聖書の言う通りです。
けれども
それで滅びるんだ
というのは言ったんですけれども
これで終わりではないんだ。
もしかすると済むかもしれない。
彼に確証はなかったんです。
ところが実説
神は彼らの行いをすなわち
彼らが悪の道から立ち帰ったのをご覧になった。
そして神は彼らに下すといった
災いを思い直し
思い直してくれるかもしれないといった
そのところに
神様御自身は思い直して
それを行われなかった。
はっきり書いてある。
彼はそれを
二年目の人たちは
聞いてないんです。
神様はそうされた
ということが書いてあるんだけれども
これはこの時点ではまだ
彼らはそれを知らないんです。
思い直してくれるかもしれない
の段階で終わっている。
そこで四章なんです。
四章で
ここで
神様は
この世の中に対して言われる。
ところが
このことは世の中を
非常に不愉快にした。
何事故だと。
つまり神様が
滅ぼさないのを見てですよ。
世の中を不愉快になったと。
そして
死に祈った。彼は祈りました。
二章でも祈りました。
神様はそのまま申し上げたんです。
ああしよ
私がまだ国にいた時に
このことを申し上げたではありませんか。
それで私は
はじめタルシシへ逃れようとしたんです。
あなたが情け深く
憐み深い神であり
いかぬのに遅く
恵み豊かで
災いを思い直される方だということを
知っていたからですから
言っているんです。
もし私が言ったならば
神様思い直される。
それが嫌だから私は逃げたと言う。
つまり
もし私が
目に目に
言って
それを伝えたならば
二年の人たちが
食い荒らされたならば
この二年目の国はまた
栄えて
自分の国をまた
信仰するかもしれん。
それが嫌だと
滅びてほしい。
だから
ここで
彼は
ほったらかしにして
何の言葉も言わなかったら
ほったらかしにしていたのでいれば
自動的に滅べる。
だから私は行かない。
神の言葉を伝えない。
そうしたら
神が自動的に
彼らを滅ぼされるから
そう思って
そうだった方がいいと思ったんだ。
神の憐れみ
けれども私が
行って
神の言葉を伝えたら
神様が思い直して
彼らを助けられると
困ると言うんです。
救われると困る
と言うわけです。
エホバの承認の人たちが
自分たちの
勝手な協力を作り上げて
自分たちが救われるのは
14万4千人だと
言っていることは
ご存知ですか?
知らない。
知らなかったら言います。
エホバの承認の人たちは
14万4千人が
救われそうなんです。
それ以外の人たちは
どうも救われないみたいです。
かわいそうに。
それで彼らは平気なんです。
私たちは平気から。
今、教会にいる人たちが
救われただけで
いいのか?
ということなんです。
しっかり神様が
あわびの神です。
ヨナもそのことを知っていた。
そしてヨナは
神様から言われて
ニルベに行って
神のことを伝えたらば
神のあわび深い方だから
それを思い直して
彼らを救われる。
それは困る。
私たちがね
もし誰か他の人に対して
それが救われたら
まずいと思うことは
あるでしょうか。
もう今
私トランプを見て
腹が立つんです。
あれがもう滅べたらいいのに。
本当にそう思いますよ。
あんなひどいことをする
大統領を
あんなに
それでも自分が
クリスチャンと言っているのがね
もう私も
すごく
もう腹が立つところなんですよ。
そういう人たちも
中では言えないし
皆さん牧師の中で
ちょっと憎たらしい人
おりません?
先生ではないと思います。
あの先生らが
もう早く滅べたらいいのに
と思うような人がね
時々変なね
偽予言者みたいな人が
時々いらっしゃって
私は時々
そういう人にも
同じような思いを
するわけでありますけど
もう滅べたらいいのに
あの人なんか
いなくなったらいいのに
これは
みんなすごく
全力そうな顔をしているけどもね
時々
そういう人がいるんですよ
うちのあのシュウトルさん
早く死んだらいいのに
あのうちの嫁になっちゃうのが
もう何とかもう
早く別れたらいいのに
そこまで言う必要はないでしょうけども
それが現実の世界には
やっぱりあるんですよね
ヨナもまさにここで
ヨナ氏は
そのヨナの気持ち
私が言ったら
あの人は
あの人が食い殻食べて
それが救われるんだのは
そんなの嫌やと
だから彼はね
今日のこのところでは
今日の題は
喜んで伝えるために
という題なんですけども
喜んで伝えるためには
何が必要かというと
まず第一番目です
それは
神様は
怒りの神であると同時に
憐れみの神である
ということを
悟らねばならない
確かに神様は
悪に対して
裁きをなさるお方ですよ
けれども
それだけでは終わらない
だから彼は
ヨナ自身も
実は海の中に
投げ込まれた
神様は
それはあえて許された
なぜか
彼が
魚の腹の中で
祈り
食い殻食べるためだった
そして彼は
そこでいわば死んだんです
けれども
神様は
彼をもう一度
生きよって言って
生き返らせ
魚が彼を
陸の上に吹き出したんです
生き返ったんです
その生き返った時に
彼は
本当は悟るべきだったんです
なぜ
生き返らされたのか
それは
死だけが終わりではない
死の後の
生というのが大切だ
トールも言っています
バクテスマというのは
あの水の中に
入れられる時に
死んだんだ
けれども
水の中に引き上げられる時に
それは
キリストとともに
あなた方は
蘇らされたんだと言っています
大島一健先生なんかも
言われるように
聖書の中に書いてある言葉
これは
生と死
死んで
蘇る
メッセージ
死なればならない
死なれなければ
生き返られない
けれども
死ぬということだけで
終わるのではないんだ
死んで蘇る
ヨナはそれを経験したはずなんです
はずだけれども
三章で言っているのは
死ぬということだけなんです
滅ぼされるということだけなんです
滅ぼされた後に
どうなるのか
彼は
本来は
それを言わなければならなかった
けれども
四章になって
彼はそのことを
まず第一番目に
神様が示されたのは
いや
私は
憐れむ神なんだってことを
彼は
この神様は
言おうとした
その後
三節に
ヨナの言葉を説きます
ですから死をどうか今
私の命を取ってください
私が生きているよりも
死んだほうがバッシーです
同じことを言っているじゃないですか
あの時に
梅の中にやり込まれて
死んだほうがよかった
そうじゃないでしょ
あんたは死んだんだよ
死んで
生き返してもらったんだよ
そのことくらい分かるよ
と
言うんですけども
どうか私は生きているより
死んだほうがバッシーだと
もうここで
死んでも
何も
これから
神様のことを
伝えないことを
しないほうがいいんだ
生きる意味
というふうに彼は
思った
言葉に出していった
全然方向が違いますね
神様の思いとか
彼の方向
皆さん方は今
生きているのは何のためか
語るためですよ
死んだほうがいいなと
言ってはいけません
もうあと
5年10年
長生きしたいと
思う人は
それはいるでしょう
けども何で生きるのか
それは
語るためなんです
しかも語る内容は
単なる滅びのメッセージ
じゃないんです
語る内容は
その後彼は
神様から示されて
それこそ悟っていく
そのために神様は
ここで
日は言われた
あなたは当然である
かのようにいかんのか
もう自分が生きているのが
当然であるかのように
いくのか
そうじゃないでしょう
あなたは生かされたんだよ
私が生かしているんだよ
それを
もう死んだほうが
ましだと言うのは
おかしいじゃないか
そう神様は
彼に悟らせるために
わざわざ
こういうことを
なされた
それでその次
魚を備えられた神様は
何を備えられたか
語説
世の中は都から出て
都の東の方に座った
そして
そこで自分で
狩小屋を作り
都の中で
何が起こるのかを
見極めようと
その影のところに
座ったと書いてあります
彼は狩小屋を作った
なぜなんですか
彼は
都の中に生きていたらば
都が滅ぼされる
その時に自分も
巻き込まれるかもしれない
と思ったの
で、外に出たの
悪賢いね
神様に滅びよと言った
そして
40日になったら滅びると
自分も言ったので
彼は神様が滅ぼされると
そればっかり思っていたので
東雲の成長と影響
自分はその巻き添えにならないように
外に出まして
狩小屋と言いましても
ちゃんとした小屋だったらね
別に東雲生えなくても
いいわけなんだ
わざわざその後
東雲の話が出てきますので
簡単な
それこそ
火を遮るような
戸谷みたいなものを
やった
木の陰でいいじゃないかなと思うんですけどもね
残念ながら二年目は
もう特別な
暑い国ですから
特別に水を注ぐとかいうような
水がない限り
木も生えないような
そういうところだったんでしょう
そこで彼は
何かして
そういう陰になるようなものを
自分で見繕いまして
そこで少なくともちょっとした
この引っ掛けが出るようなものを
作った
自分の力で何とかそこで
助けようと
自分が楽をしたいためです
町の人は滅びてもいい
自分は滅びないで
しかも暑い日陰を
何かの陰になるようなものを
ちょこっとやった
狩小屋を作った
ところが神であるしは
一本の東雲を備えて
子供を備えるということがあります
東雲を備えて
世の上を
応用に生えさせ
それは彼の頭の上の陰にして
世の不機嫌を
治そうとされた
神様なんて
私に不機嫌なことがありますよね
神様
不機嫌なんだよ
ということで
備えてくださるというのもあるんですよ
だから
この世の不機嫌を
治すために
わざわざ
東雲という
ひょうたんとかね
そういう風に訳されることもあるそうですけど
葉っぱの大きな
植物だそうです
それを生やして
直下日光を防ぐことができるように
わざわざ神様は
そうしてくださった
そうすると
それを彼の頭にして
世の不機嫌を治そうとされた
世の中の東雲君を
非常に喜んだと書いてある
非常にということもね
時々出てまいりますけども
非常に喜んだ
自分の命が
自分の熱さを逃れるために
東雲入ったことを喜んだ
自分のためです
自分が喜ぶように
自分の熱さが
病むために
二年目の町の人がどこであったかは問題ないんです
二年目の町の人が滅びたとしても
私は滅びると言った
その言った言葉のほうが大切で
神様はその人に
してくださると思って
自分はそこから残れて
熱いのこで神様が
東雲を生えさせてくれて
よかったと
勝手に自分で思った
しかし神様は
この東雲を生えさせたのは
彼を喜ばせるためだけじゃなかったんです
しかし
翌日の夜明けに神は
一匹の虫を
備えられた
東雲は備えられたと同じように
虫を備えられた
虫がその東雲を噛んだので
東雲は枯れた
こんな一日で
それだけ大きくなるのかどうかも
不思議なんですけど
何しろ神様のやだでしょう
一日の間に東雲はやって
影を作った
けれども一日の間に
東雲は枯れた
太陽が昇ったとき
神はやけつきような東風を
これまた備えられたと書いてあります
たまたま風が吹いたんじゃないんです
神様は
その東雲を枯れさせられ
そしてまた東風を
人々への教訓
与えられた
太陽が夜の頭に照りつけたので
彼は弱り果て
自分の死を願っていった
私は生きているよ
死んだまま死な
何とも言いなさい
生きているよりも死んだまま死な
もう何も
この二年ぶりの町に
これからやるべきことなんかない
もう私は帰って死んだまま死な
こういう風に言った
すると神は夜に言われた
この東雲のために
あなたは当然であるかのように
いかんのか
いかんのが当然である
そういう風にいかんのか夜は言った
私が死ぬほどいかんのは当然のこと
よく言えたもんだと思い
預言者でも
ここまで落ちたよ
よく言えたもんだと思い
あの町が滅びるんだったら
滅びるとみんな言ってしまった
それを実現してもらわないで
私は死んだまま死な
いいことなら東雲を生やしてもらっても
何にもいいことない
なんて言っているような
そんな状態だった
もう夜なしの終わりなんです
終わりの方に来ているんですよ
それで彼はまだ当然のことです
と言った
死は言われた
あなたは自分で老さずその他のせず
一夜で生えて
一夜で滅びたこの幕屋を
お死んでいる
みなさん神様は哀れみ神です
第二番目
大切なのは
お死む神なんです
彼にとっては
この二レベにいる人たちが死ぬということは
何のお死むこともなかった
あなた自分が知っている人でも何もなかった
お死むことは一つもなかった
けれども神様は
この東雲の橋を通して
ドアに
何をおしようとされた
これは夜なが
自分の頭の上を
覆う一本の東雲さえも
お死んでいる
という姿を彼に
経験させてみたんです
つまり
自分が駅になるため
避けるために
この一本の東雲を
お死んでいるあなたが
この二レベの町の人に対しては
どういう思いを
持っているんだということを
知らされた
みなさんこのお死むという言葉は
実は聖書の中でも
大切なところ
これは大切なのでね
ぜひみなさんに知られてください
新約聖書のロマ書です
ロマ書の八章です
ロマ書八章三十一節から
ちょっと読みしますね
これは大切な言葉ですので
ぜひ防線でもしてください
ではこれらのことについてどのように言えるでしょうか
神が私たちの味方であるなら
誰が私たちに敵対できるでしょう
私たちすべてのために
ご自分の御子さえも
お死ぬことなく
死に渡された神が
どうして
御子とともにすべてのものを
私たちに恵んでくださらない
ことがあるでしょうか
言うなよ
お前は一本の
遠駒さえもお死んでいるんじゃないか
ての私は
自分の御子
一人を
この世に送るってことを
おしまないんだよ
と言われて
このおしまない神ってのは
まさに恵みの神のことです
神の恵みってのは
自分の中の
最も良いものさえも
お死ぬことなく与える
お方なんです
皆さんこの教会できるまでにも
いろんな人たちがいろんな苦労をされた
いろんなものを捧げられてきた
お死ぬことなどなかった
いやお死ぬ心ありながらも
ちょびちょびと出しているかもしれません
しかし
一つの教会の技が
なされるためにも
お死みながらでたとえあったとしても
それを捧げているってことが
一つの教会を立て上げるために
必要だった
個人的な背景
いわゆるこの日本に福音宣教が
伝わるために
150年ほどの歴史がある
この日本の教会の中に
多くの人たちが
お死ぬ心もあったかもしれません
けれども
今までこの教会が守られてきたってのは
おしまずに
自分の持っているものを
備えて与えてきた
あるいは捧げてきた
それを献身した
おしまずにやった
私は
牧師の家庭の
8人兄弟の8番目に生まれた
という話は結構有名なので
ご存知かもしれません
この8人兄弟の中
上から7番目までは
12年のうちに
7番目がバタバタバタと生まれた
そしてその後
7年間私が
ポコッと生まれた
私はひそかに言うならば
思い出しっ子とかね
おまけとかね
付け足しとか
追伸とか
本当にポコッと
生まれたわけでありますね
そこで
私はこの
7年の間に何が起こったか
私の母に訪ねたところが
実はこの7年の間に
2人の子が
生まれたけど死んだ
生まれたとき死んでいった
そこで
あなたがお腹の中に宿ったことがわかったときに
私は神様にお祈りした
神様この子が元気に
生まれたら
この子をあなたにお捧げします
というふうにお祈りした
私に何の断りもなく
母はそう祈った
それで生まれた
元気に死ぬことなく
生きて生まれた
それから私の母は
これは神様に自分に約束したことだ
ということで生まれたときに
言葉が喋れるようになったらすぐに
お祈りしなさい
というふうに私に命じた
イヤイヤながらというか神様のことは何も分からないけど
何しろ祈る
そこでおっしゃられた
小学校1年生になったちょうどそのときに
1955年
高校役成就が出た年
それまでは文語役しかなかった
高校役で普通子どもでも呼べるようになった
それからもついている
母は私が小学校1年生に
その聖書を持ってきまして
よしみこれからあなたは毎日一日一章
この聖書を読んできなさい
そうしないと学校に行かせません
という鬼のような母で
それで私は
はい
昔も私は素直なんです
わかった
それで学校でみんながね
咲いた咲いた桜が咲いた
ということをやっているときに
学校行く前に
はじめに神が天と地を創造した
地は形なくむなしく
闇がその表を覆っていたということを
読まされてきた
そんな素直には言えませんよ
けれどもそれをちゃんと読み終えないと
学校に行かせてもらえなかった
という不幸な星の中に
生まれたわけです
けれどもそうやって小学校1年生のときから
あの難しい聖書を
読み続けさせられたので
私は何とか
早く聖書を読まなくちゃいけない
そう思って今も私の口が
かなり早いんです
これでも押さえたりしない
昔はこれの2倍早かった
ぐらいだったんです
何しろそこで毎日
聖書を読むということが
ずっと重なられて
3分間のグッドニュースも
そういう背景の中で生まれた
大変なことですよ
出てくるまでが
つまりその間私は
聖書を読まなければ
生きることはできないということを
教えられてきた
そして母が私を
2人の子供が死んでしまったので
この子だけは生かしていかなくちゃいけない
それこそ死んだ2人
このすでに
その2人の男が死にませんけど
その人たちを
まさに惜しむ思いで
私を生んでくれた
私はこの地上に生まれた背景を
思うときにね
惜しまれないで生まれたと言いますかね
2人はまさに
亡くなったのは
神様の惜しみと私たちの命
惜しまれたでしょうけどね
私は本当に
未だに惜しまれていることは知りませんけど
しかし何しろこの地上に
生を受けたというのは事実であります
1人の人の命が
生み出されるということは
すごい大変なことなんです
皆さん方も1人1人
どういう親かは知りません
生み出された命であります
そして今でも様々な
苦しみがあったに違いない
それこそ
とうごまが
生えてすごく楽だったけれども
急転直下
それが亡くなるということがあるかもしれない
皆さん方の財産が急に失われたとか
あるいは自分の愛する子供が亡くなったとか
あるいは自分の病気が
になったとか
本当にそういうことがあって
ああなんでこんなことがあるんだろう
当然のように怒る
というようなこともあったかもしれない
けれどもそれはみんな
神様が
あなたに悟らせるために
してくださっているのです
世の中に
言われたことは
あなたはこうやって1日に
家に生えて1日で
死んでしまった
枯れてしまったこの花のことを
このとうごまを
惜しんでいるのか
それならばですよ
神様のことは
まして私はこの大きな町
にねべを惜しまないで
いられるだろうか
たった一本のとうごまのために
惜しんでいるお前
けど私は
この人間だけで
十二万やその人間と
数多くの家畜がいる
というその町を
惜しまないでおれようか
だから
神様はイエス様を
与えられたの
にねべの町のためだけではないんですよ
この日本のあるいは
世界のすべての人を
惜しんでいらっしゃるから
この私たち一人と
この地上の中に
生かしておられる
皆さん方私はこの地上に
生きているのは誰々家の跡を
繋がせるためだそれはもちろんあるでしょう
けれどもそのためだけではない
神様はあなたを
惜しんであなたを
持ちたいと願ってらっしゃる
ヨナの気づきと使命
そしてそのためにあなたは
この今のこの時に
イエス様の救いを得て
今このところにいるんです
この命が与えられている
であんならば
喜ばないで
おれません
私たちは今のこの時に
生かされているのは
自分の上にとうごまの光で
自分の命が守られ
その二レベの町の外に出て
自分だけが守られる
そのために生きるんですか
そうじゃないでしょう
自分のことを惜しんで
生きるというだけじゃないでしょう
神様はあの二レベの町を
惜しまれた
そしてその時にも
この世の中を使わされた
その後約八百年後には
実は
恩一人ぐらいであるイエス様を
惜しむことなくこの地上に
置いてくださった
それはこの地上に
生きたその当時
何億の人がいたか知りません
今現実でも八十億ぐらいの人が
この世界にいる
その人たちを神様は
惜しまないで
おれようかと言ってらっしゃる
しかし大切なのは
ここで世の中が
終わっているという理由なんです
なぜ
惜しまないでおれようかと言われたら
その後空白が続くのか
ヨナはこの後どうだったか
あそうですかわかりました
じゃあさようなら
私これからエルサリムに帰ります
帰ったでしょうか
誰もそうは思わないでしょう
ここで終わっているということは
この後の空白の時に
何が書かれるか
彼はその後やっと悟った
そして彼は
二レベの町にもう一度行ったはずなんです
そして二レベの町に伝えた
神はこの町を滅ぼすと言われた
それは確かだ
けれども神は思い直して
あなた方を生かして下さるんだ
滅ぼされないんだ
生かすんだ
それは神の憐れみによるんだ
神の惜しみない憐れみによるんだ
ということを彼は伝えた
に違いない
でないと彼の話は
何のために彼はここまで
魚のお腹の中に呑み込まれながら
生かされている理由はありません
彼がここで
そのまま帰ったはずがない
彼はここで
本当に神様
私はやっと分かりました
滅びを伝えるのが私の使命ではない
滅びを伝えるのも必要だ
けれども大切なのは
神は愛のゆえに憐れみのゆえに
この町をもう一度起こし
平穏を与えて下さるお方なんだ
ということを彼は伝えるべきことに気が付いた
そのために
そのために
ヨナー賞は書かれたんです
福音を伝えるための準備
しかしこの後空白なのは何なのか
実はヨナー賞は第五賞がある
その五賞は何か
新約聖賞です
新約聖賞は
第五賞だとヨナー賞は五賞です
つまりここで
おしまいでおりようか
と言われたヨナーは
ここで食い荒らされて狩人しか出ていった
そしてあの場体の
28賞の最後のところ
全世界に出て行って
すべての作られたものに
福音を述べてさよと言われた
その言葉に彼は従った
また28賞には
何と書いてあるか
その中には
私イエス様は
天に昇天される直前に
私は天においても地においても
一切の権を授けられた
私は一切の権を授けられた
だから
あなた方は出て行って
福音を伝えなさい
権を授けられた
だったら神様イエス様
あなたは自分でやりなさいよ
そうじゃないんです
一切の権を授けられた
だから神様は
弟子たちを墓し開いた
神様は今もすべての権を持っていらっしゃる
だから皆さん方をこの教会に招かれた
皆さん方のこの教会に通せられた
皆さん方に今日のメッセージを聞かせられた
それは神がすべての権を持っていらっしゃる
神があなた方を用いるために
すべてのものを備えて
皆さん方を地上に
使わそうとしていらっしゃる
皆さんの家庭に使わそうとされていらっしゃる
それが
喜んで
福音を伝える秘訣なんです
自分の力でやるんじゃないですよ
自分の力でやるんだったら
自分で狩り小屋を作るくらいのことしかできません
そんなのは
本当に何の役にも立たないものなんです
けども神様は
必要なものを一つ一つ備えられる
大きな魚を
備えられた神様は
またトウゴマを備え
またそのトウゴマを
カラス虫さえも備え
また苦しめるために
わざわざ熱い
炎症
熱さを備えられる
それは何のためか
それは苦しめるためじゃありません
彼に悟らせるためだったんです
悟らせるためだった
私たちは悟ってますか
今私たちがここで使わされている
というのはあなた自身が
自分だけの救いのために
自分だけが熱い夏の日差しを
妨げるものを
自分の力で得るためではないんです
それはあなたがここで
全てのものを備えてくださる
全ての権威を持たれるお方が
皆さん方を
それぞれの家庭で
それぞれの家で神様の
めき身を喜んで
私たちが明かしするためのもの
あのウィル・グラムのことで
私は何度も
私は自分が
今そうやって
小さい時から
そうやって育てられました
よしみは大きくなったら
伝道者になるんだよと言われて
それをそのまま素直に受け止めた
伝道者と言えない時には
どん伝者と言っておった
大きくなったら何々はどん伝者になる
なんじゃら食い荒らされて福音を信じよう
そうやってね
徳の間の上で言ったことを私は覚えております
3歳くらいの時だったと思いますけど
それで私は今の私があるんだと
伝道者
本当に自分は伝道者
新学校の教師というよりも伝道者と思っています
私はその伝道者として
本当に必要なことというのは
何よりも直接伝道するというのは
もちろん大切ですけども
神徒が伝道するということの
喜びを感じ
そして神徒が
分かち合う
そのために整えられることの必要性
それが
ウィルグラハムのために
こういう本が備えられている
ということを今回
気がつきまして
それだなと思った
これはウィルグラハムの働きのために
神徒訓練のために
三冊三部作が
今度は発行される
これは実は四国が
今年の五月に持たれるんですけど
ちょうど終焉成果があるときです
そのときに四国では
ウィルグラハムが来て
メッセージをするわけでありますけども
そのために
何をするか
朝も言いましたけども
神徒を訓練するために
弟子を作るために
三冊の本を用意された
一冊は
ヨハネの福音書を
より分かりやすく
あるいは見事も覚えることができる
福音書のための
手引書ですね
私の三文学と同じような
目的を持っている
もう一つが実は
クリシャルの生活と明かしという
これが実は
実際に始まる前に
みんなを
自分の生活を通して
イエス様を明かしするために
備えられた
手引書です
これがすごくよくできている
これは単なる
こうしたらイエス様を信じたらいいですよ
神罪救いのことについて
言えばいいですよ
それも入っているんですけども
そのためにあなたの生活が
どう神様と結びついたものになっていますか
という
クリシャルの生活と明かし
のことについて書いた本
このオレンジのハットは
今度はそうやって教会に来た人たちが
イエス様を信じて
成長していくために
必要な要素は何ですかということが書いてある
ですから
集会の前にはこのことを学び
そして集会の後には
これを学ぶ
そしてその中で御言葉にずっと
接していくためにこのオレンジの福音書の
解説がある
というこの三部作です
このことを
牧師が神徒に
教えるというだけじゃなくて
神徒が他の神徒にも
教えることができるような
研修会というのが
今年の
9月の3,4,5でしたが
クリシャルの役割
日にちはちょっとまた
お知らせしますけれども
それが持たれることになっている
で、私が
今日、自分が今
ケゼックの働きもしています
ケゼックの働き
ケゼックはクリシャルのための働き
それはすごく大切なんです
だけどこのウィルブラムは
御信者にこのクリシャルがどうアプローチするか
のためのもの
なんですね
で、どちらも必要なんです
クリシャルだけを育てる
しかしその結果って何なのかそれは
また御信者がイエス様のことを知るためです
そうじゃないとここにいる人たち
みんな死んでもたらおしまいです
次に新しくイエス様を知らない人たちが
またこの教会に来るためには
どうしても必要なんです
ということは私たちがクリシャルであるということは
私たちがこの生活を通して
証ができるようになる
誰かに福音を伝えることができるようになる
それを具体的に
人の人を導いて教会に来て
信じなさい、信じなさい
というのも
それも伝道であるかもしれませんけれども
本当に必要なのは
あなたの生活が変わること
あなたの生活が
自分のためだけに生きる生き方じゃない
どんな生活をしようが
そこで周りの人たちに
イエス様は確かに
悪を騒がれる
けれどもご自分の身を
犠牲にして
あなたのために救われたんだよ
あなたのために知られたんだよ
ということを伝えるために
私たちはまさに福音を伝えるために
生かされている
そのことを皆さん
ぜひ2026年の
一つの自分の目標として
いただけないでしょうか
教会で先生にも
いろいろなパンフレットもお渡ししました
皆さんにも
ギーライオンの案内についての
パンフレットは皆さんにお手元に
いっていると思いますけれども
それはあくまでも一つの手段です
大切なのは皆さんの一人一人が
その生き方が変えられることです
自分の生活が
いわば私たちの
もう用いてくださる
そしてすべてのことを備えていらっしゃる
神様に役に立つため
どんなに小さな障害でも
今日も一番最後に
お話しした一つの
一人の芝居のお渡しをいたしましたけれども
自分が今まで何かをしてきた
しかしそれが
期待されるとしんどいそうなんです
まさにそうなんです
だから喜びをもって殿堂できない
僕先生の期待に応えるたびに
教会に来てきた
けれどもしんどい
それが普通です
やるほどやればやるほどしんどくなる
それはそうなんです
けれども本当に大切なことは
イエス様が私とともに生きてくださっている
私は
この世のように
もう死んでも
死の方がましだと言っているような私が
今生かされているということは
意味はどういうことだか
それは生きなさいと言われる
生きて語りなさい
日々の喜び
しかもそれは滅びのメッセージではない
救いのメッセージ
あなたは愛されている
あなたを憐れまわれる方がいらっしゃる
あなたが本当にこれから新しい
この日々を
今まで知らなかった
生き方があるんだということを
伝えるために私たちは
今生かされているんだ
そのことをぜひ皆さん知っていきなさい
私は神様の前に
生かされているというのは
私の何の
特別なことがなくてもいいけれども
私に何の良いものがなかったとしても
イエス様が
私のうちに生きて
働いてくださっているという
この
夢の中に生きること
この後みんなでご一緒にね
ああ嬉しい我が身も
主の者となりきりという
その賛美歌は私の大好きな歌なんです
ああ嬉しい我が身も主の者となりきり
その時に私たちは
自分がどんなに
弱いものでも足らないものでも
主のためにこの人生
この生涯を
用いていただきたいと願うはずなんです
どうか
高齢バーでも高齢児でも
できるものでもできないものでも
問題ない
問題大切なのは神様の
恵みが私たちのうちに
日々満たされることです
御言葉によって日々
今日も神様あなたはこの言葉を
私に与えてくださったんです
感謝します
常にその喜びを持って生きる日々で
ありますように
私はこのところで招かれて
お話できたのは
まさに神様がそれを伝えなさいと
言われたそのことを確信して
語らせていただきました
お祈りいたします