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2022-08-28 48:20

2022/08/28:聞いて信じて従う祝福

2022/08/28 聖日礼拝

福本行弘師

ヨハネの福音書 2:1-11


00:00
お祈りをおさわりいたします。
組んだ旧市の者たちは、それがどこから来たのかを知っていたが、
さわやくは知らなかった。
イエスはこれを最初の印として、ガリラ屋のカナで行い、
ご自分の栄光を表された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。
ハレルヤ、天の地なる恩神様、
あなたのお測り知れない素晴らしいご愛とともに、
私どもの罪を許すために流された、
主耶穌様の尊い十字架の恩父よと、
聖なる力強い権威ある御名前とともに、
私たちの家にいらっしゃる内住の御精霊様を拝めて、
心いっぱい賛美をいたします。
八学も終わりに近づいてまいりましたが、
祈られたように、
主は今日というこの時まで、
私たちを深く憐れんでくださって、
生かしてくださっていることを心いっぱい賛美いたします。
今日は、主の導きとお恵みによりまして、
愛する宮谷教会の主にある兄弟姉妹たちとともに、
まことの生ける神様を礼拝できます恩恵を心いっぱい感謝いたします。
遠い古のそのイエス様の御前世当時、
あのガリヘア古藩で弟子たちや多くの人々にお語りくださった、
同じイエス様が同じお言葉を持って、
今日私たちに信仰と希望を与えてくださることを感謝いたします。
どうか御精霊様が肉と思って、
愛する兄弟姉妹たちに豊かに語りかけてください。
恵ませてくださることを信じております。
祈られたように、現実の世界は混沌としておりますが、
03:07
しかし闇のようなこの世にあっても、
主御一心の真実と愛そして御言葉は変わることなく、
私たちに生き生きと働いてくださっていることを信じております。
今日も宮谷教会をはじめ、
日本イエスキリスト教団の124、
教皇教皇27のすべての教会の礼拝を祝してくださり、
また全日本のすべての教会、
全世界のすべての教会、
クリスチャンたち、皆をどうか自我祝福してくださり、
あらゆる危険から災いからお守り下さることをあわせてお祈りいたします。
愛しているユン先生、半田先生はじめ、
ご家族の皆様方、そして、
この宮谷教会の主にあるすべての兄弟姉妹たちとそのご家族、
特にお体に痛み弱さを覚え、
また病に伏していらっしゃる方々の上に、
特別なるあなたの歓喜と慰めと、
まったく癒しを与えくださることをひたすらに、
小い願いいたします。
どうぞこのしもびを今、清めてくださり、
精霊をもって御言葉を語ることができるように助けてください。
兄弟姉妹たちの心の内にある切なる願い、
感謝に合わせ、イエス様のお名前によってお祈りをいたします。
今、田中三越前に読んでいただいた、
ヨハネの復縁書の2章の1節から11節までのところから、
知いて信じて従う祝福というテーマで、
説教させていただきたいと思います。
このカナンにおける婚宴という、
これは非常に有名なお話であります。
多分マリア様かヨセフの関係の方の結婚式ではなかったという説がありますが、
ともかくおめでたいお話の中で、
水が葡萄酒に変わったというお話です。
今日はいつものように3つのポイントでお話を進めていきたいと思いますが、
06:01
まず最初のポイントは、
あなたの葡萄酒がなくなったときどうするか。
あなたの葡萄酒がなくなったときあなたはどうするか。
これがまず最初のポイント。
2つ目のポイントは、
イエスを信じて御言葉に従おう。
イエス様を信じて御言葉に従おう。
3つ目のポイントは、
キリストの十字架の地は罪の毒を消したる。
この3つのポイントでお話を進めていきたいと思います。
まず最初のポイントは、
あなたの葡萄酒がなくなったときあなたはどうするか。
当時、井戸屋の習慣として、
本礼のときにお客様をもてなすのに絶対欠かすことができない、
欠かせないという葡萄酒がきつくもついてしまった。
一番慌てたのは主催者でありますが、
花向子さんをはじめ、本礼の関わっている主催者の皆さんが
慌てふためいていたときに、
マリア様がイエス様に葡萄酒がなくなりました。
これはマリア様はお母さんとして息子のイエス様に何とかしてほしいという
お願いをしたわけです。
イエス様の答えは、
あなたは私と何の関係がありますか。
女の方よ。
普通ならば、お母さんとかお母様とかママとかと呼びかけるはずですが、
どれだけかイエス様は女の方よ。
ある聖書では夫人よと呼びかけている役もありますが、
とにかくちょっと失礼ではないかなというような感じもしますが、
実はこのマリア様とイエス様の会話の中に
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すごく大きな真理が含まれているということを皆さんしっかりと受け止めてほしいと思います。
どういうことかと言いますと、
マリア様は葡萄酒がなくなったという現実の問題を捉えて、
困ってイエス様に助けを呼びかけたわけです。
けれどもイエス様の答えは、
申し上げましたように、
何の関係がありますか。
私の時はまだ来ていません。
実はこの、
私の時がまだ来ていませんというのが一つのキーポイントになっているんです。
私の時という、この時という言葉に、
同じ言葉が、
ヨガネ十七章の一節に出てきます。
父よ時が来ました。
この十七章の一節の、
父よ時が来ましたという時と、
ヨガネの二章に出てくる私の時というのは全く同じ、
同じ意味の言葉、同じ内容の言葉。
どういうことかと言いますと、
それは十字架の時、
全人類の、
全ての罪をあがなうための、
十字架、
存在の時を、
言っているわけです。
森屋さんは、
現実に、
武道士が亡くなったという問題を取り上げていますが、
イエス様は、
十字架の時、
つまり、
私が来たのは、
全ての罪人を招いて、
これを救うためである。
イエス様の直接の問題、
直接の目的はそれだった。
武道士を、
水を武道士に変えるということ、
変えられたのですが、
イエス様の最大の目的はそうではなかったのです。
だから、私の時はまだ来ていません。
ところが、
12:03
イエス様からその言葉を聞いた時に、
森屋さんは、
忘れていたわけではないのです。
忘れていたわけではないのですが、
はっと思い出した。
やっぱりそうなんだ。
確かに私の息子ではあるけれども、
この目の前にいるイエスは、
精霊によって私の体に宿った神の御子。
このイエスこそ、
救い主である。
そして、全人類の罪をあがらぬために来たのだということを、
今一度森屋さんは、
思い出したと言いましょうか、
はっと割りに帰ったと言いますが、
とにかく、あ、そうだったんだ。
それで、仕方ず森屋さんは、
救事の者たちにお願いした。
あの方が言われることは、
何でもしてください。
何でも。
どんなことでも、
それに従ってくださいよ。
と森屋さんがおっしゃったことが、
今私が申し上げました、
この方こそ、主なる神が使わせてくださったネシアである。
キリストである。
神が油注がれたお方である。
キリストとネシアというのは一緒の意味ですね。
ご存知の一緒の意味。
で、あの、
ですから、マリアさんのおっしゃったことも、
もちろんイエス様がおっしゃったことも、
どちらの言葉も、
人かけでも間違いはございません。
会話、ちぐはぐのような会話ですけども、
そうではない。
ふと二人が一致している。
このお話から、
実は私たちの人生においても、
いろんな時にいろんな武道手が、
15:01
亡くなってしまいそうな、
あるいは亡くなってしまうことがやっぱり多々あるんですね。
例えば、健康面での武道手が亡くなりそうだという。
何かの病気に侵されてしまって、どうにもならないという。
昨日まで健康であったけれども、
一夜明けたら何となくこの体の調子が思わしくないという。
あるいはその、
今日ものすごい大きな世界的な問題になっておりますが、
経済面での武道手がもうそこを尽きそうだという。
本当に日本を含めて、
皆さん、世界中の経済というのはもう本当に、
すみません、破綻を期待している。
私は悔いを改めたのですが、
悔いを改めた一つのことなんですが、
これまではあまり企業とか、
あるいは病院とか、
病院関係者の方とか、
あるいは介護施設とか、老人ホームとか、
あるいは食べ物屋さんの方のこととかね、
そういう方々のために、
正直言って一生懸命祈ったことはあまりなかったんですね。
やっぱり教会のこととか、
神道の皆さんとか、家族のこととか、
自分のこととか、
いうことはしょっちゅう祈っていましたけれども、
今申し上げたようなことについては、
本当に恥ずかしい話ですけれども、
そんなに熱意を込めてお祈りしたということはあまりなかったんですね。
それで、コロナのことが起きてから、
起きてから祈りだしたというのもおかしいんですが、
本当に何か目を覚まされたように、
そういう方々のためにも、
本当に何とかしてくださいというお祈りをさせていただくようになったんですが、
仕事がもうなくなったとかですね、
あるいは働いてもそれぞれの給料がもらえないとか、
そういう類の武道士が亡くなりそうだとか、
18:01
あるいは家庭の夫婦とか親子の関係とか、
何かギシギシしてどうも面白くないというような、
そういう類の武道士が亡くなり始めたとか、
子育てや教育のこととか、本当に大変なことがいっぱいありますが、
そういう類の武道士が亡くなり始めたとか亡くなったときに、
どうするか?
神奈川の根原で一番大事な武道士が底をついたときに、
水を武道士に変えてくださったイエス様が、
その同じイエス様が、今申し上げたような類の武道士を、
また水を武道士に変えてくださったように、
どこかで何かの形で肯定させてくださるんじゃないだろうかという、
そういう信仰と希望を私たちはいつも持ちたいと思います。
十字架で死にましたけれども、復活したイエス様が、
私たちの心や家庭や人生の、言ってみれば金目、奥義の金目、
金目が外れたらバラバラになっちゃって、
どんな効果の戦術も、
この間私も大切にしていた戦術をあまり乱暴にやっていたら、
金目が外れちゃって、戦術がバラバラになっちゃったんです。
一生懸命自分で金目を直そうとするんですが、直らない。
これは戦術の話ですが、私たちの人生とか家庭の戦術の金目というのは、やっぱりイエス様の。
四辺の五十篇の十五節に、
悩みの時、苦しみの時、私を呼び求めなさい。
私はあなたを助け、あなたは私をあがめます。
いい言葉ですね。
あるいは新約聖書に、死を呼び求める者は全て救われる。
21:11
本当にお祈りする。
私たちが天の神様にお祈りできるというのは、何にも代え難い幸せと言いましょうかね。祝福。
二つ目のポイントは、イエスを信じてその御言葉に従いましょう。
マリア様からあの方が言われることを何でもしてあげてくださいと言われた、
求人たちは、下人たちは、聖書を見る限り全然疑いも前もなくその通りにした。
これ皆さん、もし求人たちが、
こんなのを知っても何の役に立つかと言ってね、
こんなしんどいことをできないと言って、
マリア様の言うことを聞かなかったらどうなっていたかな。
それでもイエス様は何とかしてくださったと思いますけれども、
聴いて信じて従った。
ずっと昔の元役という、皆さんご存知でないと思いますが、
文語役の前の聖書、元役ね、
源の役、元役という聖書があったんですが、
その元役では、このように訳してますね。
水を汲みししもめどもはしれり。
水をイエス様がおっしゃったとおりに、それに聴いて従って、
水を汲んだしもめだけが、誰がどこで文を書いたかということを知っていた。
その他の人は誰一人で知らなかった。
花婿も花嫁も誰も知らなかった。
ただ主のお言葉を聴いて信じて従った。
皆さん今日でも一緒なんです。
私たちも時代は変わってますし、
いろんなものが当時のこととは全然違います。
24:00
違いますけれども、原則は一緒だ。
信仰の原則は聴いて信じて、はいと言って従う。
どこから来たか、誰も知らなかった。
それは天の御元から、神の御座から来られたシュエス・キリスト、
メシア・キリストがそれを出させた。
私たちも神と共に生きる真空生涯を今歩んでいるわけですが、
皆さん、諦めない。
どんな困難なことに遭遇しても、
どんな面倒なことが起きても、困難がやってきても、
私たちは諦めない。
教会生活を絶対やめない。
教会でお話したと思います。
礼拝でお話したかもしれませんが、
皆さんもそうですが、私もそうですけれども、
どんなことがあっても、
僕は教会をやめなかったですね。
どんな嫌なことがあっても、
学校はサボったことはありますけれども、
教会だけはサボったことが、サボったという記憶はないね。
教会をやめなかったということが、
一つ今までどうにかこうにか、
クリスチャンとしてつながっていたのではないかと思います。
ですから、もう一つ申し上げます。
諦めない。
信仰や祈りのギアをストップさせない。
どんな面白くないことがあっても、
27:03
教会や信仰をやめない。
やめない。
こんなことを言ったら、ちょっと申し訳ないですが、
牧師が嫌になってもやめない。
神徒が嫌になっても牧師はやめない。
もう全部神様にお任せする。
御心を成し給え。
私たちクリスチャンにとっては非常に便利というか、
いいですよね。
主よ御心にお任せいたします。
主によって私たちはなすべき努力はしなくてはなりませんが、
御心にお任せします。
ですからもう皆さん、途中で教会やめたり信仰やめたり、一環の終わり。
私たちが教会やめたり信仰やめて一番喜ぶのは誰ですかね。
悪魔ですよ。
サタン。
おお、やめろやめろ。
もういい加減に教会なんかやめてしまえ。
私たちはサタンのいざないとかね、
イタズリにはまり込んではいけません。
皆さんご覧になっているかどうかは存じませんが、
ダーウィンが来たという、確か本番だと思います。
私も日曜日の夜毎回見てますから、
この間すごいなあと思って。
すごい世界があるんだなと思って。
水の中の世界ですよ。
どういうわけかわからないそうですが、
イワシが日本列島を海遊するという、
ものすごい数のイワシ。
イワシというのは魚へんに弱いと書きますね。
本当に弱い。
群れから離れたら一発でやられてしまうという。
その海遊しているイワシが、
海遊しながらトランプトンを食べるね。
いろんなトランプトンを食べる。
そしたら突然イワシに出かけて、
アジの群れがダーッとやってくる。
アジ、アジ。
30:01
イワシを食べてしまう。
しばらくしたらそのアジの群れの中に
ブリがやってくる。
ブリが安心しちゃったら、
今度はイルカがやってくる。
もう一人ブワーッ。
それで終わりかなと思ったら、まだ終わらない。
今度はシャチがやってくる。
そしたら空が真っ黒になるほど、
鳥の群れが海面目指してダーッとやってくる。
いよいよ終わりだなと思ったら、そうじゃない。
今度はクジラがブワーッ。
イワシに出たかね。もう一飲みで食う。
私はそれを見ながらね、
私たちの人生も一緒だな。
もう罪の嵐が次から次へとやってくる。
これが終わったらまた違う罪の誘惑とか
サタンの誘いが消えてなくならないでしょ。
これは悩みや問題。
そんなものが次から次へとやってきても、
人生って何なのかな。
神様を真面目に信じて、
教会生活を真面目にしているのに、
何だこれは。
ところがありがたいことに、
いつもイエス様が立ちはだかってくださる。
そして流してくださった十字架の父によっても、
そういうサタンや罪の嵐、誘惑、
それをもう全力で弾き切って
消し去ってくださる。
だから私たちは信仰を持って、
希望を持って祈る。
三つ目のポイントですね。
キリストの十字架の地は、
罪の毒を消し去る。
小さい子供の頃だったと思いますが、
毒消しはいらんかね。
33:04
当時は流行歌って言ってましたね。
海洋曲とか。
毒消しはいらんかね。
私は富山の薬より、
越中富山の半温炭。
半温炭ってご存じですね。
若い方はご存じないかもしれませんが、
半温炭というのは、
渾炭というのはね、
あれは何か渾炭があるぞ、
腹に一物、背に二物。
こんな大きな渾炭を持ってる。
だから渾炭というのは、
何かね、悪い考えとか、
横島の思いとか、
人を騙すとか、
そういうことでしょ、渾炭。
越中富山の薬よりはそうじゃない。
半温炭ですから、
そういう偽りは一切ございません。
騙し事は一切ございません。
誠にこの薬一粒飲めば、
毒は消し去ります。
イエス様の十字架の知識は皆さん、
すごいですよ。
どんな罪の毒も、
きれいに消し去ってくださる。
巫女イエスの血が全ての罪から、
私たちは消えます。
サタンと罪の毒を消す、
毒消しはキリストの十字架以外にないです。
水を最高級のブドウ酒に変えて、
キリストによって自分の人生が、
最悪から最高へと変えられた人がたくさん。
皆さんもそれを置いている人かもしれません。
そうですね。
一人の人のお話を、
皆さんに紹介したいと思いますが、
ライオン歯磨き、ご存知ですね。
ライオン歯磨き。
私も大体ライオン歯磨きを使っていますが、
ライオン歯磨きの創始者は、
小林富次郎という方です。
この初代の小林富次郎さんのお話ですが、
彼はある時山形の山奥から、
大量の財力を切り出して、
町房を生産して大儲けしようと、
目論んだのですが、
もがみ川に浮かべていた筏が、
台風のために一夜にしても、
全部海に流れてしまって、
彼は丸裸になった。
36:03
実をした彼は、
もがみ川に飛び込んで、
橋の上から飛び込んで死のうと、
まさに飛び込もうとした時に、
すっとその頭に浮かんだのが、
一度だけ教会に行った時に聞いた、
聖書の言葉がすっと浮かんだそうです。
その言葉は、皆さんもご存知だと思いますが、
マタイの11章28節、
すべて疲れた者、
重に負って苦労している者は、
私のもとに来なさい。
私はあなたを休ませてあげよう。
彼はふと思った。
死のうと思えばいつでも死ねる。
この聖書の神様が、
本当に生きている神様だったら、
一度この神様を信じてみようと。
それでダメだったら、もう死のうと思った。
そこから彼の、
死に物狂いの信仰が始まったそうです。
何が何でもこのキリストに、
血がもついていこうと。
そして、やがてあの有名な、
ライオンハミガキという会社が設立された。
2代目の小林富次郎も、
3代目の小林富次郎も、
みんな信仰を継承して、
それぞれその時代にあった教会を、
ほぼほぼ助けた。
彼にとって必要なのは、
イエスとキリストだけだった。
私たちもそう。
すべての人に必要なのは、
キリストであるという賛美を、
祈祷会で歌わせてもらいました。
生き返る人の目の輝きは、
悩みと虚しさで見していた。
笑顔の裏で泣いている、
ただイエスだけが見抜かれた。
闇の道から光の道へ、
本当の生き方示された主の愛。
絶望を希望に変える主の愛。
39:02
命の御言葉に聞いてみよう。
生き返る人の目の輝きは、
悩みと虚しさで見していた。
笑顔の裏で泣いている、
ただイエスだけが見抜かれた。
人には主が必要。
夢破れた後、主のもとに。
人には主が必要。
すべての人には主が必要。
闇の道から光の道へと、
本当の生き方示された主の愛。
絶望を希望に変える主の愛。
命の御言葉に聞いてみよう。
人には主が必要。
夢破れた後、主のもとに。
人には主が必要。
すべての人には主が必要。
人は信仰をイエスの中に置いている。
人生のすべての下駄をキリストに預けた。
42:11
他の下駄を今から履く必要はない。
キリストだけ。
当時の当局者に捕らえられて牢獄にいた時に、
教会は皆さん何をしていましたか?
教会は彼のために祈っていたとあります。
熱心に彼らは祈っていた。
皆さん常識的には絶望状態。
しかし教会は諦めなかった。
クリスチャーは諦めなかった。
そうして彼は解放された。
どんな状態にあっても、
諦めないで、いつも希望を持って祈り続ける。
望みえない時でも、祈り続ける。
私はこれが教会の強さであり、
またクリスチャンの力ではないかな、祈る。
もうお話を終わりにしたいと思いますが、
現実の世界は本当にもう、
絶望しても仕方ないような世界です。
このように、暗黒の荒地はもう本当に不吉算。
しかし、死はもうなく来られる。
私たちは目を覚まして身を慎んでいなさい。
と聖書のお言葉通り、本当に身を慎んで、
目を覚ましていたいと思います。
やがて死は確かに来られる。
一つのお話をして、説教を終わります。
60年ほど前の映画でありますが、
オン・ザ・ビーチという映画がありました。
オン・ザ・ビーチ。
渚に映画を訳されておりました。
この映画は、当時はフィクションとして公開された。
こんなことはないと。
しかし、現在、現在、
このオン・ザ・ビーチという映画が物語っていることは、
45:04
決して、非現実的ではない。
まさに現実に起こり得るような物語。
第三次世界大戦が起きまして、
核の死の範囲が全世界を追って、
もはや生きていく場所は南半球のオーストラリア
という事態が設定されておりました。
ところが、それを残された時間は、
刻一刻と終わりに近づきつつある
最後の火の場面。
クリスチャンたちが怒暴殿堂している
その映画では救世軍の兵士たちが一生懸命殿堂している。
説教者が声を張り上げて
町ゆく人々に呼びかけている
上の大きな横断木には
時間はいつでもある。
お兄さんたち。
時間はいつでもある。
お兄さんたち。
そして、イエス様の復位、キリストの復位を信じて下さいと
殿堂者は叫んでいる。
確かに死は来られます。
間もなく死は来られて、この全世界を
王様になります。
というのが聖書のメッセージ。
確かに死は来られる。
時は近づいている。
間もなく死は来られる。
時は近づいている。
未復位の良い知らせを
国々に告げ知らせよ。
これが私たち
主から
委ねられた
クリスチャンの
絵のメッセージではないか。
時は近づいている。
今日か明日か当たったかは分かりませんが
48:02
私たちはいつも信仰と希望を持って諦めないで
キリストの復位を
明らかにしていくという
素晴らしい
主の恵みに
預かっていることを今一生
感謝したいなと思いますね。
お祈りいたします。
48:20

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