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2016-07-17 35:24

2016/07/17:わたしは神のものです

2016/07/17 聖日礼拝

尹善鎬牧師

コリント人への手紙第一 -20

00:01
皆さん、おはようございます。
あっちの田舎へ送り出しちゃいました。
日暑い日々が続いていますけれども、
では、今日もですね、巣の恵みを待ち望んで、巣の御前に比例をしてやっていきたいと思います。
まず、御言葉をいただく前に、一緒にお隣の方と挨拶しましょうか。
よくいらっしゃいました。
はい、それでは一言お祈りいたします。
あなた方は代官を払って買い取られたのです。
ですから、自分の体を持って、神の栄光をあらわしなさい。
アーメン。
主よ、そうです、私たちはあなたのものです。
全てはあなたのものです。
この宇宙万物に、あなたのものでないものは何一つもありません。
どうか、主よ、この朝、巣の御前に比例をして、
この神様の絶対知見を認めさせていただき、
そして巣の御前に全てを委ね、捧げ、そして従っていく、
その恵みの時、あるいは聖霊による決意の時としてくださいますようにお願いをいたします。
どうか、主よ、天の扉を開いて、一人一人の魂の中にあなたの御油を注ぎ、
御言葉の力と命を、その力によって命によって、我らの全てが変えられますように。
どうか、主よ、力強く語って悟りを与えてくださいますように。
今日も天の知恵、巣の知恵をいでたく、その恵みの時としてくださいますようにお願いをいたします。
口を大きくあげて、そして神の恵みをどうか、主よ、いただけるように、我らの心をへりくだらして、どうか開いてくださいますようにお願いをいたします。
主よ、どうぞこの場に御臨在なさって、空気さえも全てを、主よ、どうぞあなたが巣で納めてくださいますように。
我らの心も精神も気も身体も、巣の御顔に、主よ、どうぞ集中させてくださいますようにお願いをいたします。
感謝して、待ち望みつつ、イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン。
はい、今日は開かれています御言葉から、私は神のものです、私は神のものです、お祈りを持ってですね、共に恵みをお受けしたいと思います。
03:14
人は生まれながら、自分のもの、自分の所有に対する強い欲求を持って生まれると思います。
例えばですね、赤ちゃんが生まれるとき、ほとんどの赤ちゃんは、こう手を握って、おみやーっとですね、生まれるんですね。
握るんです。私のもの、私のもの、それがずっと続くかもしれない。
特に子どもの場合は、もっとそういう稽古があるかなと思うんですね。
子どもも例外ではないんですけれども、下の二人を見たらですね、たまに子どもがですね、学校から帰りにコンビニに寄って、お菓子とかで買ってくるんですね。
そしたら、ひさまがくれんげたら、一個ちょうだいと言ったら、いいや。
一個くらいくれようと言ったら、いいや、もう私のおこづかいで買っただもん、って、絶対にあげないんですよ。
逆にですね、ひさんが食べているアイスクリームの中で食べているものを捕らえたらですね、もうすぐ泣いちゃう。
大きくなってですね、ユジリアを兄弟になってほしいと思うんですけどね。
ところが皆さん、私たちが時々忘れがちの子の主流に対する、とても大事な精神的価値観があります。
私たちは時々、自分自身、あるいは自分の子ども、あるいは自分の持ち物、あるいは自分の将来、あるいは子どもの将来、
そういったものを私たちは、まるで自分のものであるかのように考え、そしてその所有権を支給しようとするということであります。
そして自分の持ち物、自分で持っているものを手放そうとしない。
いや、と思ってしまう。
そして自分のものをですね、何とかして強くそれを守ろうとする欲求が人間にはみんなあるかなと思います。
ところが皆さんいかがでしょうか。今日の御言葉は私たちにこのように語っています。
19節、20節をもう一度ご覧ください。
私は読みますね。ご覧ください。
あなた方の体はあなた方の家に住まれる神から受けた精霊の宮であり、あなた方はもはや自分自身のものではないことを知らないのですか。
06:09
あなた方は代価を払って買い取られたのです。
ですから自分の体を持って神の栄光をあらわしなさいと言葉は語っています。
一言で言うならば、私は主のものだということです。私は主のものだ。
またでしょうか。この19節、20節に書かれているように、私たちを家様という、家様の命という代価を払って買い取られたから、私たちは家様のもの、神様のものです。
皆さん、この大原理を、大法則を私たちの日常の生活によく適応して、そして私たちの生活がこの政治的価値観に支配していただかなければならないと思います。
もう一度皆さんにお尋ねしたいと思います。真剣に真摯に答えていただきたいです。
あなたは誰のものですか。
皆さんは誰のものですか。神様のものです。神様のものです。
では、具体的に何が神様のものなんでしょう。
まずその1、私たちの子供は私のものではなく、親のものではなく、神様のものです。
親は自分が生んだ子供を、大体の親は自分のものだと思って、自分の思うままに扱おうとします。育てようとします。
時々キリッカンでさえも、そういう敬語があるかと思います。
それである親は、自分の思う通りに子供が育ってほしいと強く願う。
それを要求する。そして思う通りにしてくれないと、もうめちゃくちゃ怒って使ってしまう。
そして親の希望通りに、ある学校にある職業を持つように、親の思う通りの人と結婚してほしいと、
親の思う通りの将来の道を歩んでほしいと考え、あるいは祈り、あるいはそれを求める。
いかがでしょうか。もちろんですね、この親が持つ経験から出る知恵は確かにある。
その知恵に子供たちが従うことは非常に大事なことであります。もちろんそうです。
09:01
ところが大事な法則は、子供は親の持ち物ではない。親も所有ではない。神のものであると。
もうすでにここにいらっしゃる方、ほとんどの方々が、もう子供たちがほとんどですね、30代、40代、多くなっていらっしゃるんですけれども。
いかがでしょうか。これは実はですね、信仰生活において非常に大事な価値観です。
健全な生徒的価値観を持つ親は、自分の子供は自分のものである。神のものである。
そのような健全な生徒的価値観を持って子供を育てます。
親の思う通りになって欲しいと、あるいはさせようとするのではなく、神の心にどうしたら神の心にかなった子供になれるんだろうか。
そのために祈り、誓える、育てることです。
親の心を満足させる子供じゃなくて、神の心を喜ばせる子供として育てることであります。
旧約聖典のサムエル記第一章二章を見たら、サムエルの母、ハンナが登場します。
子供がいなかったんですね。それでもう一人の夫の妻から、もう三難得られて、苦しめられて、いじめられていた。
ところがそのハンナは、子供サムエルが生まれる前から、神様あなたが子を授けてくださるならば、私はこの子を神様にお授けします。
あなたのものです。私のものではありません。という司会を。
そして子供が生まれてきました。そしたら普通の人間は気持ちが変わるんですよ。
子供が大事な子供なんだから、自分の思う通りにしたい。あるいは、そうしてあげたいと思うんですね。
ところがどうでしょう。サムエルの母親、ハンナは、そのサムエルが生まれてすぐに神の宮に預けて、神様によって育てていただきます。
皆さん、これはそんなに絶やしものではないと思いますよ。
子供がいなくて、もう苦しめられていたお母さんが、子供が生まれてきたからですね、これはもうとてもうれしいことなんです。
ところがサムエルの母、ハンナは、このサムエルは私のものではない。神のものである。神の息子である。
12:08
そういったこの固い聖書的価値観を持っていたから、惜しまず喜んで、神様に自分の息子を明け渡すと言いましょうか。渡すと言いましょうか。
子供は、親の思いを満足させるために生まれた存在ではなく、神に喜ばれるために生まれた。これを勘違いしてあげたい。
2番目、私たちの何が神様のものなんでしょうか。
それは、私たちの才能様ものは全て神様のものであると言います。私たちを作られた方も神様であって、私たちを育てられる方も神様であります。
そうであるならば、私たちの持つ才能様もの能力、それは全て誰のものですか。神様のもの。
こうですね、皆さん、どうでしょうか。お互いに、右左に座っている方々をご覧ください。
どんな才能様ものを持っていますか。何かですね、この能力、才能、うまくできる何か様ものをお持ちだと思うんですね。
昨日、月1回のママ相談会がありました。暑い日でしたけれども、お母様たちが集まって、子育ての話をしたり、生徒から学んだりして、そのうちに子どもたちは遊んでいたわけです。
大イベントがありました。流しそうめんをやりましたけどね。掲示板に冊子が当てますので、ぜひご覧ください。
この方々が月1回ですから、お手伝いに来ていただけたらと思います。私も一杯食べました。お腹が痛いほど食べましたけれども。
感謝のことは、白石兄弟ともち田さんが、暑い中ですね、それを手作りで作ってくださって、どれくらい、25人、30人近くのですね、お母様と子どもたちがですね、ほんとに楽しいお時を持たせていただきました。
他にもある方々は、音楽的な才能を持って掘っていらっしゃる。ある方は料理の賜物を持って使っていらっしゃる。何かを作る。それぞれみんな才能、能力を持っています。
ところが、この余責な価値観はどうでしょうか。それを持ってお金をかき集めて金持ちになる。あるいは金持ちにならなくても苦労しないほど普通の生活をしようと思う。それを図らう。それが実は余責な価値観ではないでしょう。
15:19
しかし、私クリタは、神様がその才能も能力も、何かうまくできる、何かの身のあなたのその能力、才能を、神の栄光を表すためにそれが与えられているということを、私の才能、能力、賜物は私のものではありません。
親のものでもありません。人のものではありません。夫のものでもありません。妻のものでもありません。誰のものですか。それを育った人は、自分の能力、自分の才能、あるいは自分の賜物を持って、どうしたら神の栄光を表すことができるんだろうか。どうしたら神の栄光のためにこれを用いさせていただけるんだろうか。
そのために生きる人は、ただの成功のためではなくて、ただのある程度の家を持って、マンション、小建てを持って、仕事を持って、走って、車一台、二台を持って、年金を払って、星のようにあって、年金をもらって、普通に苦労せずに、
そういった、この世的な世の人々が持っている価値観じゃなくて、このすべてを思い切り、死のために用いさせていただきたい。そのために生きる人が、私は神のものですと告白する、クリスタンの生き方です。
今日の二十節、もう一度一緒に見ましょうか。
ご一人さん、あなた方は、雷火を払って灰を取られたのです。ですから自分の体を持って、神の栄光を表しなさい。アメン。
本当に皆さん、アメンですか。このように歩みたいですか。
自分自身に聞かせていただきたい。皆さん、皆さんの人生は、今からどれくらい残っていらっしゃいますか。数十年残っていらっしゃいますか。
誰も知りませんね。三十年残っているか、十年残っているか、もっと長く残っているか、誰も知りません。
そうでならば、後にしよう、後にしよう、来年にしよう、ちょっと余裕ができたらしよう、元気になったらしようと後回しするのではなく、
18:03
今日、ここで神様のために与えられた、我らの魂物、才能、能力、そういったものを、神の栄光を表すために持ちなければならない。
そうしないと、神様はたまに、その才能、能力、魂物、種が取られるんですよ。
持ちたくても、持ち入られない時がします。
持ち入られる時にそれを持ち入る人が、賢い人であって、神の心にかなった生き方のクリエイターです。
3番目、私たちの身体、思い、将来は、誰のものですか?神のものです。
ちょっと一括、整数を開けましょうか。
第1コリント、8章6節、328ページ、8章6節、5・1・2・3、はい。
私たちは、好きなる唯一の神がおられるだけです。
すべてのものは、この神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。
また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものは、この主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
この8章6節、心にとめていただきたいです。
私たちの身体は、自分のものではない。
自分の思いも、自分のものではない。
自分の将来も、自分のものではない。
すべて存在するものは、主のものであり。
それならば、私たちは自分の身体、自分の思い、自分の将来を、主のために持ち出していただくことであります。
それが、神の創造の目的にかなったものであります。
もう一箇所いただきましょう。
同じ第一コリント、10章31節。332ページですね。
10章の31節。
21:02
もう一度読みましょう。
こういうわけで、あなた方は、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光をあらわすために来なさい。アメン。
コリント教会の信徒たちに、2回も、神の栄光をあらわすために来なさいと言いました。
皆さん、日頃の皆さんの身体は、思いは、将来は、あるいは時間は、神の栄光をあらわすために誓っていらっしゃいますか。持ち出していらっしゃいますか。
この真理を誘ったクリスチャンは、どうしたら、神の栄光をあらわすことができるんだろうか。自分のその居場所で。
そのために、祈り、そのために、泣き、そのために、悩む、あるいは、もがく、そして、御言葉や、礼拝や、夢で通した、それを誘って、そして、その通りに生きる人。
今日この日本に、世界に必要なクリスチャンは、まさに、このようなクリスチャンではないでしょうか。
願わくは、ずっと皆さんも、祈っていらっしゃると思いますが、私は特に、とても熱心に強く祈っている課題が一つあります。
それは、私たちの子供の世代、あるいは、皆さんにとったら、お孫の世代、その次の世代が、日本の全分野に進出して、
そして、そこで、神の栄光をあらわす、そのために活動する人が、もう大勢、起こされるかもしれない。
作り出したいです。このユダニ教会から作り出したいです。こんな祈りを聞いていただきたいんです。
皆さんは、皆さんの祖国日本のことを誇るように思っていらっしゃるでしょう。
確かに、起これることがいっぱいあるかもしれませんが、しかし、この世界全分野を見てみてください。
非聖書的で堕落したテレビや映画やメディアの分野が、もう進んでいます。
その中で、本当に真実なクリスチャンたちが、神の栄光をあらわしたいと切に願って、大胆に進むクリスチャンたちが、
その分野に行って、そしてそこで能力を認められて、そのすべてをメディアよ、強めて、
そしてそこで神の栄光をあらわす人たちが、たくさん起こされなければならないんです。
日本にも、そういった監督さん、PDさん、俳優、そういった人がたくさん起こされなければならないんですよ。
このままじゃ、それには駄目なんです。堕落の堕落のだけではありません。教育分野も同じでしょう。非常に必要なんです。
24:05
神のかたしにとられて作られた子どもたちが、教育競争、入試競争、成功シンドロムに、
その生贄にされているこの時代じゃなくて、その人格と人生が、神様の創造の目的通りに用いられ、
破棄されるような教育学校が建てられるように、そういう教育がですね、たくさん起こされるように、祈らなければならない。
企業も同じです。世界にあちらこちら、テロが起きている。戦争が起きている。それに使われる武器は誰が作るのでしょうか。
アメリカ、日本。日本も川崎とか、ギスリスとかが武器を作るでしょう。貪欲的な企業がたくさんあります。世界に。
金のためなら布施をする。お金のためなら、戦争の武器をもうどんどん作って、それを撃って、財閥になる企業がアメリカ、日本、世界に。
労働者を着手する企業がたくさんあります。金より人を優先にする企業。神様を中心にする企業。救済して世界選挙をする企業。
人を生かし、家庭を生かし、その利益を社会に還元する、思い切り還元する、そういう企業がこの日本にたくさん起こされなければならないんです。
そのためには私たちは祈らなければならない。そういった子供、お孫さんになるために祈らなければならないんですよ。
政治分野も同じでしょう。法案を作って政策を徹底する政治家。議員の中にもっと多くのクリスチャンが立てられて、
神を恐れる政治家、本当に国民のために政治をする人々が、この一般温床の中で神の栄光を表す人がたくさん起こされなければならない。
涙をもって苦しくほど、私たちはこの世界のこの事態を見て祈らなければならない。
ただ、日曜日は教会に行って、雨がまれたら帰って、働いて、それだけではこの世界は皆さん変わりませんよ。
諦めないで。皆さんの子供のために、お孫さんのために、この日本、世界のために、祈らなければならない。
27:06
これはお勧めではありませんよ。特にランチのお店のシェフ一押しの今日のメニュー、そういったものではありません。
神様の御命令であります。
また、教会の子供たち、皆さんの子供たち、お孫さんたちが、神を栄光のために生きる人として育てなければならない。
そのために、真剣に祈らなければならない。
それが皆さん、私たちが主の祈りで祈っている、御国を帰たらせたまえ。御所の天になること苦しみもなさせたまえ。
という祈りの具体的な実践であります。
皆さんが愛される、この日本は神様の目にはどんな国なんでしょう。
願わくば、神の栄光を表す国になってほしい。
そのためには、まず私たちクリスチャンがこの国のために、この子供たちの世代が神の栄光のために生きる神の栄光を表すものがたくさん起こされるように、祈らなければならない。
最後に、主にお伺いしたいことは、ではどうしたら、こういう生き方のモス、スリサになれるでしょう。
自分のものを自分のものとは言わず。
どうやったらこれができるんでしょうか。
一つの道しかありません。
神の恵みを受けることです。
精霊の満たしを受けるほかにはありません。
学びを通して、できませんよ。
知識を通して、できませんよ。
変わりません。
我らの生き方が、活観が変わる道は、神の恵みと精霊の満たし、ほかにはありません。
だからこれを悟った人が幸いな人です。
皆さん、本当の意味で幸せな人は、幸いな人は、神の恵みと御霊によって変えられた人。
活観が変えられ、生き方が変えられ、そして以前と全く違った生き方をして神の栄光を表す人が、本当の意味で幸いな人です。
実は何の問題もなくて、労働、年金をもらって、盆栽をして、趣味を頼んで、散歩をして、たまに美味しいものを食べに行って、幸せの村の温泉に行って、
それは実は、悲しい人生ではないでしょうか。
神様が私たちの人生を、そんなつまらないものに作っておられないんです。
30:03
ここに本当に幸せにする、生きる人がいます。
当時の人々と全く違った、全く新しい生き方をする人々がいました。
補正書を開きましょう。
基礎の働き、四章三十二節。新約の234ページ。
基礎の働き、四章三十二節。
一章読みたいと思います。
信じた者の群れは、心と思いを一つにして、
誰一人、その持ち物を、自分のものと言わず、全てを共有にしていた。
信じた者ですよ。
イエス様を信じた人々は、今までの生き方と、当時の女的な生き方と、全く違った生き方をするんです。
これが本当の信仰ではないでしょうか。
信じた者の群れは、心と思いを一つにして、
誰一人、その持ち物を、自分のものと言わないんです。
それをみんな共有にしていました。
これが信仰の生き方です。これが健全な聖書的な生き方です。
どうやってこれができたんでしょうか。
神の恵みを受けたからです。
精霊の満たしを受けたから、変えられたからです。
見た目によらないと、人は変わりません。
だから、私たちに必要なのは神の恵みであって、精霊の満たしです。
それによって変えられるならば、この地が、我の生き方が、
天のものに、神の恵みを受けて、神様は本当にどんなお方なのか、
愛した人は、神の御子様の真理を悟ったクリスチャンは、
精霊の満たしを受けた恵まれたクリスチャンは、このように変えられます。
皆さんは変えられていましたか。
皆さんは変えられているでしょうか。
変えられているでしょうか。
知識によっては変えられませんよ。
ただの方式によっては変えられませんよ。
ただの習慣によっても変えられませんよ。
年月が経ったとしても、変えられませんよ。
本当に人格的に、神様において、
精霊に致されれば、この人形のこの宮座が、私たちの間にも起こるのです。
私は信じます。
その人が一人、二人、三人、四人、十人あれば、神の国が来る。
メッセージを終えたいと思います。
心の中で答えていただいても結構ですし、声を出して答えていただきたいと思います。
33:06
神様の御前に、真剣に、真摯に、近寄す心を持って答えていただきたい。
私は今、神の御前に立っています。
あなたの子供は誰のものですか。
あなたの身体と将来と健康は誰のものですか。
あなたの時間と想いは誰のものですか。
あなたの持ち物すべては誰のものですか。
あなたの身体を持って何を表すべきでしょうか。
神の栄光です。
この告白を通りに歩んでまいります。お祈りします。
それを反省していただいて。
今、皆さんが神の御前にお答えになりました。
私のすべてはあなたのものです。
主よ、しかし私たちは自分のものであるかのように、勝手に好きに使ってしまいました。
自己満足のために使ってしまいました。
持ち物、時間、健康、身体、将来。
主よ、我らのこの罪深い自己満足、それをお許しください。
そして、あなたの身体を持って神の栄光を表しなさいという言葉を通りに生きるものとさせてください。
神の恵みによって、生命の力によって、私たちは変えらればいいです。
主よ、私たちを変わらせてください。変わらせてください。
そして、まず自分自身が変わって、家庭が変わる、教会が変わる、この日本が変わりますよ。
主よ、その変化が、この改革が、この私から起こりますように。
妙大教会から始まりますように、主よ、助けてくださいと。
今しばらくしのみ前に、真剣に祈って参りましょう。お祈りをしましょう。
35:24

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