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2017-04-09 31:11

2017/04/09:わたしはすべてを新しくする

2017/04/09 聖日礼拝

尹善鎬牧師

ヨハネの黙示録 21:1-8

00:01
今章は、ユン先生より、わたしはすべてを新しくする、と題しまして、メッセージをしていただきます。
みなさんおはようございます。
今日も礼拝にようこそいらっしゃいました。
いつものように、メッセージの前に隣の方と挨拶を交わせませんか。
よくいらっしゃいました。
それでは一言お祈りします。
すると、溝についておられる方が言われた、
みよ、わたしはすべてを新しくする。
アーメン。
ですよ。
昔も今もこれからも、すべてを新しくされる命の主、神様、
今日もこの世に行って、わたしの霊も身体も、心持ちが新しくしてくださって、
この祖の教会に集めてくださって、共に礼拝できますこの恵みを覚え心から感謝いたします。
どうか、主よ、わたしたちの礼拝が、礼と誠をもって、
唯一の主なる神様を崇め賛美する礼拝でありますように、
一人一人心の中に、今日でなければ聞くことのできないあなたの御言葉を、
主が聞かせてくださって、あなたの愛に触れて、
そして恵まれ、勇気づけられ、新しくされて、
ここから出ていく時としてくださいますように、お願いをいたします。
主よ、今日来れた方々、本当に感謝いたします。
またやむを得ず来れなかった、兄弟姉妹たちの方の上にも、
主の大きな大きな恵みが、その上に、主よ、襲われますように。
全てを主の御手に委ねて、主の御言葉を記載して、
イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン。
感謝します。
先ほども近い所からありましたけれども、
本日の招天者合同記念礼拝は、
信仰の先達の方々、その招天者の兄妹に、
大きな恵みを注いでくださった、神様への感謝の礼拝でございます。
このことを思いでですね、礼拝に臨んでいただきたいと願っております。
そして何よりどうか今日は、
その天の父なる神様の恵み、あるいは慈しみ、
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あるいはその御愛に触れるひとときとなられたらと願っております。
皆さん今日も、主の方も、あるいは車の方もですね、
桜が満開して、ほぼ満開ですけれども、その時期を迎えています。
皆さん、今年何か桜のお花見にでも行かれましたか?
まだですか?これから行くつもりにしている方もおられますか?
私はですね、割というか、
添いお花見とか旅行に行ったりするのが、実は好きなんですね。
でも忙しから行けないこともありますけれども、
また割と我が家の家族はあんまり好きじゃないんですよ。
興味がない。行ってくれない。
行ってませんけれども、ちょっと寂しいですね。
ところで、春の間、とても短い時間ですね。
大体一週間ぐらいでしょうか。
桜の花だけ言うならば、咲いて知りますけれども、
その桜の花を見たら、冬の間は、
花が咲く、何の木だしというか、全然見えないんですね。
桜の木は生きているんですけれども、冬の間はですね、
つぼみどころか葉っぱすらついていないんですよね。
ところが、どうでしょう皆さん。不思議に不思議に、
毎年毎年、そのように、
あの何もついていなかった木から、
つぼみが出て、死んだかのようなあの木からですね、
きれいな花が咲いてくるんですよね。
私たちは当たり前のように楽しんでいたり、
あるいは当たり前のようにですね、きれいだなと言いながらですね、
桜の木の下を通っているかもしれませんが、
実はこれは当たり前じゃないんですよ。
桜の木一本にも消え去らない命があるから、
冬の間、死んだかのような木から春になると、
こんなにきれいな桜の花が咲くのです。
命の力というものは本当に素晴らしいものなんです。
ところでこのようにですね、植物の木一本さえも命があるから、
こんなにすごいことが起こるのに、
まして私たち人間が持っている命は、
なおさらのことで最も素晴らしい力があるものではないでしょうか。
皆さんこの命というものは一体どこから来たものなんでしょうか。
命の根源は何でしょうか。
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去年のことだと覚えていますけれども、
大きな話題になってですね、ニュースにも報道されたと覚えておりますが、
アメリカのグーグルという会社が、
アルファゴというイボの人工知能のそれを開発して、
イボのプロ騎士とやってですね、アルファゴ、人工知能が買ったんですよね。
でも皆さん、グーグルであろうが、どこの会社であろうが、
人工知能のロボットはですね、作れますけれども、
命そのものは作れません。
あるいは医学がですね、いくら発達したとしても、
命そのものは作れないんですね。
聖書はこのように語っています。
荘石2章7節、私が読みします。
聖書ははっきりとですね、人はどのように作れたのか、
どのようにして命を持った存在になったのか、
その命の根源は何なのかを、私たちに教えているのです。
そうです。私たち人間が生き物となったのは、
偶然ではなく、進化の結果でもなく、
命の主なる神様が、私たちに命の息を吹き込んでくださったから、
生き物となったのです。
その命の主が、先に線にめされた兄弟たち、
方々に命を吹き込んでくださって、
共に人工生活をして、
そして、先に主が滅してくださったわけなんですね。
命の主なる神様は、先に線にめされた方々に、
どれだけ多くの恵みを注いでくださったのでしょうか。
本当に神様の恵みをなくしては、
その方々の人生ストーリーを書くことはできないくらいだと思うんですね。
実に命の主なる神様の恵みは偉大なものなんです。
その恵みはいろんなものがあると思いますけれども、
今日は大きく二つを分けてお話をしたいと思います。
まず、栗さんであろうがなかろうが、
全ての人に提供されている、
与えられている恵み、恩情があります。
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それを教会では一般恩情とも言います。
誰にでも与えられている恩情、恵みなんです。
例えば、太陽の光、月や星の光、雨、雪、風、
そういったものは、誰にでもみんなに公平に与えられている神の恵みなんですよね。
あの人は悪い人だから、太陽の光が遮られているというものはないのです。
聖書にはその天についてこのように触れています。
サイノフクニ教5教45説を見ますと、
天によられるあなた方の父の子供になれるのです。
天の月は、悪い人にも良い人にも太陽を昇らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせて下さるからですとなります。
悪い人にも良い人にも、今日も同じく太陽が昇らせている。
正しい人にも悪い人にも、神様は同じく雨を降らせて下さるんです。
本当にそうなんです。
神様は全ての人に、昼は太陽の光を、
夜は月の光を、あるいは星の光を提供して下さっているんですね。
みんなにです。
アシア人であろうが、西洋人であろうが、
太陽を昇らせて、雨を降らせて、方々に。
公平に提供して下さるんです。
ところが、しかも、タダなんです。
光も雨も、雪も風も、全てタダなんです。
例えば、車で大阪に行きたいとしたら、半径高速に乗って大阪まで行きますと、
930円かかりますね。
当然、高速に乗ってそれを使ったから、料金を払いますよね。
払うのは、当たり前のように私は払っています。
もし1日3回乗ったら、3回払わなければならない。
払わないと犯罪になりますよね。
ところで皆さん、毎日1日10時間としましょう。
10時間、12時間、私たちは太陽の光を使っているんですよ、皆さん。
今日も皆さん使っているでしょう。今も使っているんです。
でもどうでしょうか、皆さん。
今まで、20年、30年、40年、50年、60年、70年間、太陽の光代を払ったことはあるかた?
ありません。
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あるいは、神様から請求書が届きました。
あなたの今月の雨の水の代は5000円ですと、請求されたこともないのです。
あるいは、あなたは夏に節約するために風をこれだけ使ったから、風の代を払ってくださいという請求もあります。
太陽も月も星も雨も雪も風もすべて、ただなんです。
これが一般温床というものでありまして、すべての人に与えられているものなんです。
それだけではありません。
今日はお花の話が来ていますけれども、お花見に行きます。何かしたお花を見たりします。
請求されたことはあります。
秋になってですね、京都どこかの福島の紅葉がきれいになって見に行こう。
高速代は当たり前に払っていますけれども、その紅葉を見て紅葉の代を誰かに払ったことはない。
管理している公園かどこかに入所料を払ったことはあるかもしれませんが、
皆さん、私たちは当たり前のように使っており、当たり前のように頼んでいるんですけれども、実は当たり前ではないんです。
万物を救われた方、保ってくださる方、命の主なる神様の恵みがあるから、私たちは使わせていただいている。
楽しませていただいているということではないでしょうか。それだけではない。
私たちの体はどうでしょうか。もちろんお母さんが産んでくださったらあるものなんですけれども、
だからといって母が命を作ったのか、そうではないのです。
例えば皆さん、60年、70年、あるいは40年、30年、自分の体を使っていますよね。
例えば髪の毛を使っている、爪を使っている、歯を使っている、
死を料金を払ったことはありますか。ないんですよ。
当たり前のように使っていますけれども、実は当たり前のものではないんです。
命の主なる神様は、すべての人々を愛しておられ、憐れんでおられ、保っておられる。
そして祝福と将来を与えようとしておられる。
その一般的にみんなに同じく恵みが与えられているんですね。
ところが神の恩徴、恵みは一般恩徴だけではありません。
特別恩徴というものがありまして、命の主なる神様を信じて、
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主イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れて、
天に召された方々、あるいは生きている私たちに与えられている永遠の命、救いというものがあります。
これが特別恩徴というものであります。特別な恵みなんです。
実はこれは誰にでも与えられているものではないのです。
主イエス・キリストを救い主として信じたものだけに与えられている、
この世では得ることができない素晴らしいもの、救い、永遠の命なんです。
聖書はこのように語っています。ここをちょっと開きたいと思います。
ヨハネの福音書、新約聖書です。
新約聖書、ヨハネの福音書、5章24節を開いていただきたいと思います。
182ページです。
ヨハネの福音書、第5章24節。それではご一緒にお読みしたいと思います。
誠に、誠に、あなた方に告げます。
私の言葉を信じ、私を使わせた方を信じる者は、永遠の命を持ち、
裁きに遭うことがなく、死から命に移っているのです。
アーメン。
もう一箇所、その同じヨハネの福音書、6章40節です。
2ページくらいめくったら出てきます。
6章40節。それではご一緒に。
事実、私の父の御心は、こう見て信じる者が、皆、永遠の命を持つことです。
私はその人たちを、一人一人、終わりの日によみがえらせます。
アーメン。
ここにですね、こう見て信じる、この子は神の子であって、イエス・キリストです。
そのイエス様を信じる者には、
者は何を持ちますか?
永遠の命を持ちます。
今日、商店舎暴動記念見合いでありますけれども、
信仰を持って天に召された方々は、永遠の命を持っている。
そして、私たちも、いずれかはですね、天に召されるわけですから、
信仰を持っていた人はですね、
一人一人、終わりの日によみがえらせてくださる、ということですね。
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命の主が、命を与えてくださった方が、永遠の命も与えてくださる、ということであります。
これが、特別恩聴です。
ところが皆さん、この永遠の命は何でしょうか?
永遠の命、ただ単に長生きすることではないでしょう。
たまに永遠の命を話をしたら、
もう年をとったままずっと生きるんですか?
そしたらそれはしんどいですね、と思うかもしれません。
病気のまま、もう歩けないままずっと生きるんですか?
それは嫌だですね、と。
でもそうではない。
永遠の命とは、この地上においても天においても、
父なる神の子供として、神様がくださる恵みと祝福と愛を豊かに持つこと、楽しみあげること、享受することなんです。
ある方の身近な若き人です。
救われて、そういう話をしました。
生徒に出会うまで、自分はずっと心に空虚感、孤独感、自分の存在に対する無意味をものすごく探していた。
ところが今は、教会で神様に出会ってからは、
嘘のようにあの孤独感、空虚感などがもう消え去って、
今はこれほどまで自分が必要で大切な存在なのを気づくようになって、本当に幸せですという証を聞いたことがあります。
そうなんです。
永遠の命が与えられているから、この地上においても、その永遠の命を、豊かさを、恵みを、祝福を、希望を味わいつつ生きていく。
そしてその永遠の命とは、この地上でだけではなく、この地上で命が立たれた後、
永遠に死ぬのでもなく、無に変えるのでもなく、さっきの四十節の御言葉のように、一人一人終わりの日によみがえるということであります。
新しい体、新しい霊、新しい天と新しい死霊ですね。新しくされて、そこで天皇父なる神様を永遠に賛美しつつ、礼拝しつつ生きるものであり。
さっき日本はですね、この前ニュースを見たら、町の高齢化が急速に増えていて、国全体の堅いとなっていますね。
それで空き家が増えて増えている。それである町では、町自体が高齢化になって、幽霊都市みたいに空き家が多いから、町の発展と言いましょうか、そのために
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引っ越ししてくる人がいれば、費用も定着金も、家の修理費も無償でエンドするという話を聞いて、それほどしんどいかなと思ったことがあります。
そういう町に引っ越した人がいると言いましょう。古い家を潰して建て直すことなんですよね。この町もよくあるんですね。
ところが皆さん、新しい天と新しい地に変わるということは、古くなった家を潰して建て直すことよりはるかに異なったことであって、次元の違うことであります。
今まで全くなかった新しい天と新しい地において、永遠の命をもって生きることなんです。
皆さん、新しい人間は大体自分が見たこと、経験したこと、聞いたことが材料になってイメージできるんですね。
だから、清書に当たっている新しい天、新しい地は見たこともない。清書で言うことだけが一つの材料であるから、想像につかないんです。
今日の清書をもう一度一緒に読みたいと思います。ヨハネの目白21章1節から5節。それでは、21章1節からしばらく私が読みしますのでご覧ください。
また、私は神様ですね。命の宙、神様です。神様は新しい天と新しい人を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。この地上の天と地は過ぎ去ってないんですね。海もないんです。
そして、3節をご覧ください。
その時、私は、ヨハネは、溝から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
見よ、神の幕屋が人と共にある。神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らと共におられて。
新しい天と新しい地においては、神と共に私たちがいるのです。
今のように、霞んでいる、薄い、そういう形ではない。もう、面と面向かっているような、そういうところになりますね。
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4節、一緒に読みましょうか。
彼らの目の涙をすっかり拭い去って下さい。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものがもはや過ぎ去ったからである。アーメン。
本当に皆さんそうなんです。永遠の命を持つ方は、素晴らしくされます。
5節に、身を私は全てを新しくする。天に召された兄弟たち、その方々、永遠の命を持っている方は、神様が全てを新しくして下さって、
あの天国には、死もなく、悲しみもない、叫びもない、苦しみもない、争いもない、差別もない、貧乏も、金持ちも、そういった差もない。
差別、戦争、制度、いや、もうそこには、教団、教派もない。建物もない。ただ、神様と神を礼拝する神の民と、礼拝だけがあるわけなんですね。それが、永遠の命の恵みなんです。
この地上では、確かに悩みがあるかもしれません。あるいは、事故があるかも。病気があるかもしれません。涙もあるでしょう。試練もあるでしょう。でも、永遠の命を持つ人は、心配いりません。
この地上で、たとえ悩みや悲しみがあったとしても、それらを全く違った見方で見ることができるようになるからです。だから、試練が試練でなくなるのです。悲しみが悲しみでなくなるのです。
人生に起こる事柄に対する、自分のこの見方、考え方が変わるのです。感覚が変わるのです。
ある教会で、変わった名所で、お葬式の告別を行っています。その名所は、天国感想会。天国に送るということなんです。
亡くなられて、ただ別れる、寂しさを感じるだけでなく、ああ、そうなんだ、イエス様を信じた方々は天国に入られるわけですから、私たちは天国にその方をお送りするのだという、喜びの会なんだということなんです。ちょっと変わった名所ですけれども、とても意味ある名所だと思います。
天に召された後も、すべて新しくされた人生として、永遠に人と共に生きるのです。それは、この地上では経験したことのない人生だから、私たちには騒動につかないことも無理ではないでしょう。
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私たちは生きていく中で、いろんな経験をします。失敗した経験、つらい経験、あるいは何かの事故が起きたり、とても悲しい目にあったりする、そういったものが人生にはあるでしょう。
皆さん、もしすべての記憶、あるいはその失敗とか事故とか、そういったものもすべてを新しくしてくれる、それができるリセットボタンというものがあればいいなと思うんですね。
何かのボタンがあって、ピョンと落ちたり、すべてがリセットされるんです。悲しい記憶もなくなる。あのときの、例えば私は大学を一度落ちたことがありますし、
進学を一度落ちて、大学生のときには当時は見込んできたから、自分もつらい思いがあって、親にもつらい思いをさせたからと思っておりますし、
進学を一度落ちたときには、婦人が生まれてばかりのときで、妻も黒い下着ですから、リセットボタンがあったら落ちて、それをなかったことにしたいなということがあるかもしれません。
どうでしょう、皆さん。でも、そんなリセットボタンはありませんけれども、すべてをリセットしてくださる方がおられる。
以前のつらかった記憶も、大失敗も、罪も、すべてリセットしてくださる。それは、天の基地なる神様です。
それが今日の御説の御言葉、「見よ、私はすべてを新しくする。見よ、私はすべてを新しくする。」
過去のつらかった記憶も、大失敗も、罪も、けが、陽気、事故、争い、すべてのものを、私はすべてを新しくしてくださる。
このままではありませんよ。死も亡く、悲しみ、叫び、苦しみもないから、それを天の基地なる神様が私たちにしてくださる。
救援という人を信じて生きるものに、特別恩情、恵みとして与えてくださるということなんです。
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言葉で万物をお救いになった方、言葉で人をお救いになった方、その唯一の神様が、すべてを新しくしてくださるんです。
完全にリセットしてくださるんです。その日が必ず来るのです。
何と嬉しいことなんでしょうか。もしかしたら、神様早くリセットしてほしいと思う方がおられるかもしれない。
イエスと言われたいと思います。信仰を持って、天に召された兄弟たち。
今、天国で新しい命に生きているのです。もはや、涙も悲しみも咲きももないところにいるのです。
皆さん、その恵みに預かろうではありませんか。永遠の命をいただけませんか。
見よ、あたしはすべてを新しくする。これらの言葉は、信ずべきものであり、真実である。お祈りします。
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